三次科学技術教育協会は広島県三次市で、活動しているサイエンス・ボランティア団体(NPO法人)です。以下のボタンはメインメニュー

三次科学技術教育協会 MISTEE ミスティー とは 広島県三次市で、科学や技術が好きな人,楽しみたい人,伝えたい人。クールでしかもホットなハートを持った人が集まった,サイエンス・ボランティア団体(NPO法人)です。略称はMISTEE(ミスティー)。英文表記,Miyoshi Institute of Science and Technology Education の頭文字です。(三次(みよし)科学技術教育協会
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交響曲通し番号リスト(下記の表の文字列を繰りクリックするとサブページが開く)

No.1〜10   No.11〜20    No.21〜30    No.31〜40    No.41〜50    No.51〜60  
No.61〜70   No71〜80    No.81〜90    No.91〜100    No.100〜106   

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 番号 名称  ファイル番号     番号  名称   ファイル番号 
 1  聴取記を書くきっかけ 「氷山の1角」  haydonsub100-10-1   13 石多著 交響曲の生涯 を読んで     haydonsub100-10-13
   2.聴取記のポイント  haydonsub100-10-2   14  ハイドンの晩年の記憶と作曲順番    haydonsub100-10-14
 3  聴取記の記載に際して 「周知の番号順でなく、作曲年代順に」  haydonsub100-10-3   15  名曲の楽しみが終わって    haydonsub100-10-15
 4  第3期までのまとめ その1  haydonsub100-10-4   16  交響曲の作曲順番の位置づけ    haydonsub100-10-16
 5  第3期までのまとめ その2 FM放送   haydonsub100-10-5    17  石井 宏 著 反音楽史を読んで    haydonsub100-10-17
   参考文献の紹介  haydonsub100-10-6    18  自筆楽譜から読み取れる作曲の様子   haydonsub100-10-18
   聴取記録の完結  haydonsub100-10-7    19  音楽史の中のハイドン 1   haydonsub100-10-19
 8  ラッセル・デイビス盤の聴取を開始  haydonsub100-10-8     20  音楽史の中のハイドン 2   haydonsub100-10-20
   野球の監督として,ハイドンを例えてみたら   haydonsub100-10-9    21  ハイドン全交響曲を関わり始めた経緯    haydonsub100-10-21
 10  ハイドンのサイン   haydonsub100-10-10    22  聴き手とナビゲーションの例え    haydonsub100-10-22
11   交響曲の分水嶺   haydonsub100-10-11    23  音楽史の中のハイドン 3   haydonsub100-10-23
 12  ヨーロッパ各停列車で行く ハイドンの旅 を読んで   haydonsub100-10-12     23.旋律、動機、ことばとの関係
  haydonsub100-23-1
 0  空様式  haydonsub100-kara     23.旋律、動機、ことば 
23.旋律、動機、ことば との関係
 haydonsub100-23-1
             
             



通し番号とhob番号の比較

 No. hob   No.  hob  No.   hob   No.  hob   No.  hob   No.  hob
 1  1 11  107A 21  36  31   13  41 38  51   54
 2  37  12  25  22 33  32 23  42   26 52 46 
   18  13  11  23  9  33  22  43  35  53  47
   2  14  5  24  107B  34  21  44  41  54  45
   4  15 32   25  14  35  24  45  42  55  48
   27  16  15  26  40  36  30  46  43  56  51
 7  10  17  3  27  12  37  31  47  58  57  50
 8  20  18  6  28  16  38  39  48  59  58  49
 9  17  19  7  29  34  39  29  49  65  59  52
 10  19  20  8  30  72  40  28  50  64  60  53
                       


 No. hob   No.  hob  No.   hob   No.  hob   No.  hob
61 54 71 67 81 79 91 89 101 99
62 55 72 69 82 80 92 90 102 100
63 56 73 70 83 81 93 91 103 101
64 57 74 71 84 82 94 92 104 102
65 60 75 73 85 83 95 93 105 103
66 61 76 74 86 84 96 94 106 104
67 63 77 75 87 85 97 95
68 62 78 76 88 86 98 96
69 66 79 77 89 87 99 97
70 68 80 78 90 88 100 98


オーストリア古典派の作曲家の一人、ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は生涯に渡り100曲以上の交響曲を作曲した。小中学校の音楽の教科書では「交響曲の父」などと称されている。また、ニックネームのついた曲も、いくつかは知られている。しかし、大半は最後の12曲、通称「ザロモンセット」が、知られているにすぎないと思う。ハイドンは108曲(諸説によっては、多少、数は前後する)を作曲した。しかし上記ザロモンセット12曲、約1割程度しか、主に知られていない。残りの曲は、最近ではCDで、再発売も含めて知られつつある。しかしザロモンセットに比べると、まだ知られていない方であろう。
 交響曲の父と称される所以は、色々と考えがある。ザロモンセットに至るまで、余り注目されていない残りの約95曲は、氷山の1角に例えられるかもしれない。しかしその氷山の海面下にある約95曲も、それなりに価値はあるのではないか? 約200年余り前の当時は、作曲者がまだ活動している時期から、数多くの出版社から多数の版として出回っていた事実がある。
 しかし、当時から人気があった交響曲も、今は、余り注目をされていない。「交響曲の父」としてハイドンは、交響曲を少しずつ育てて来た過程があろう。交響曲に取りかかった頃の最初期(1760年前後)と、晩年に近いザロモンセット(1791-1795)の頃とは、約30年余りの開きがある。年齢では、28歳頃から作曲に取りかかり、63歳頃の交響曲の作曲を終わるまでの約35年余りに相当する。この間に彼はどの様にして交響曲を完成させたか? CDの聴取記を自分なりに記載することを通して、交響曲の父の生い立ちを洗い出しながら、知られていない名曲や、聴きどころなどを紹介して行きたいと思う。









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