ページカウンタsince2011年8月15日
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
11 |
A |
107 |
1760-61 |
B |
3 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
C |
終楽章のcodaがポイント |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
Hob-No.では107番になっていたと思う交響曲。Allegloでは展開部が比較的長く休止があったりで、この当時としては聴き応えがある方。Alleglo mltoの第3楽章は、タランティラ風の主題で終始する。短いが最後にcodaがつくが、最後を締めくくるのに小気味良いアクセントなっている。例によってドラティ盤では第3楽章のsoloの演奏はなし。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月1日とする)
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2010年12月5日 ディビス盤を聴取。曲自体は通しNo.10(Hob−No.-19)と同様に、エステルハージ侯爵の赴任前のモルツィン伯爵の頃に作曲。ランクとしてはCのままで変わりなし。
Allegloではディビスでは、hr.が、かなり大きく扱われた演奏。第3楽章も同様。ドラティ盤と異なり第3楽章では、soloが一部にある。
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改めてフィッシャー盤をスコアを見ながら聴き直す。ドラティ、ディビス盤と比較して、どの曲もテンポは比較的速いのは共通している。その中で最終楽章のcodaについて着目してみた。楽章の冒頭でテンポの指定はAlleglo mlto で記載がしてあるのは、周知の通り。それ以外に速度の指定の記載があるかどうか、チェックをしてみたが特にない。しかし最後のcoda(6小節)のところで、フィッシャー盤だけ、後半だけテンポを速めている。この部分では特にテンポの指定は書いてないし、他の2人の演奏も同じテンポで演奏をしていた。
もともと、この第3楽章は無窮動に近い様な動きが特徴であり、vn.奏者が速いパッセージを弾きこなすのが見所ではないか?フィッシャー盤の演奏では元々のテンポが速いのに加えて、さらにテンポをアップして終わるのは、とても理に適っていると思った。
2013年2月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のhr.のためか、かなりhr.のパートの音が目立つ。音域の制限もあると思うが、提示部では音域が高めであるのに対して、再現部は、低めの音域で終始。このあたりの違いは、ホグウッド盤でよく分かる。
第3楽章の無窮動に近い動きは、モーツァルトNo.39のfinaleの様な雰囲気。聴き始めて登場する終楽章のcodaは、ホグウッドでは、通常通りのテンポ(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月1日とする)。
2015年2月20日 追記。ゴバーマンを聴取。Allegloの展開部や再現部で、第2vn.が掛け合いで演奏しているところは良く分かる。Finale Alleglo mlto は比較的遅めのテンポ。2つのvn.が、同じ旋律や音程で登場することもあれば、掛け合うこともあれば様々。弦楽器が前に出ているので、管楽器とのユニゾンは後退。しかしその分、弦楽器を中心に、Finaleを楽しむことができる。
その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音量を落としている。一段落して聴き所のCodaにつないでいる雰囲気。
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1 |
Alleglo |
B |
有 |
|
2 |
Andante |
Es |
無 |
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3 |
Alleglo mlto |
B |
有 |
|
|
|
|
|
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
12 |
25 |
|
1760-61 |
C |
3 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
A |
第1楽章で序奏付きの最初の曲 |
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楽章の構成 |
調性 |
通し番号を聞いて来た中で、初めて第1楽章に序奏が付いている曲。序奏も長く、短調に転じたり主部との対比がある。さらに中期の交響曲のようにも聴き取れる。通称名もないが、初めて聴く人に中期に近い曲だと紹介しても違和感は全くない。井上著では、小型の交響曲だが極めて充実しているので、1764年以降の作曲ではないかと記述。私も同じ考えである。その後、スコアを見ながら、もう一度聴き直す。序奏は23小節もありかなり長い。主部とも関係はなさそうで、曲想も変化は多少あるが、転調も少なく一貫性はあまりないかもしれない。しかしAdagioからAlleglo mltoへのテンポの変化は絶大であると思う。
仮に、もし序奏がなかったらどうなるか?この例として、この後の作曲になるHob-No-53などは、序奏の有無による価値が大きいと思う。ただしNo.53は、テンポの変化が余りない。むしろ後期の交響曲のNo.75を取り上げたい。序奏はGraveでPrestoの主部に突入する。作曲年代は、1781年と約20年も先となってしまうが、テンポの変化を含めて序奏の威力が分かると思う。後年の序奏の効果を作曲者が実験的に取り入れているのではないか。
ただしこれは第1楽章のみの話で、全部で3楽章を聴き通すと、他の2-3楽章は第1楽章と比較するとやや劣る。(緩徐楽章がないのが影響) それでも全体を通して聴くと、中期の作品に聴こえる。井上著の本でも、「極めて充実しているので、1764年以降の作品ではないかとの? もある」と記載があった。
後で気付いたのだが、この第2主題は、Hob-No-1の第1楽章の第2主題と共通する点があると思った。Hob-No-1の方は、未発達に近い第2主題の様相ではあるが。一方No.25の方は、第2主題自体も少し長く'(6小節)展開部でも少し登場する。このため第2主題であるのは明白である。
第2楽章のMenuetのtrioではvn.のピチカートや管のsoloの扱い方などは、早くも中期以降の作品の芽生えあり。(中・後期になると、Menuetのtrioでは、管・弦のsoloが、もはや定番に近くなってくる。)3者の演奏の中でフィッシャー盤は、小編成で残響が多いこともあって、とても美しい音色である。
Prestoの主題は簡潔であるが、短いながらも飽きさせない展開に終始する。Finaleは113小節。繰り返しがあっても3分程度の演奏時間。この後のHob-No-3でも記載をしたが、やはり飽きさせない印象は変わらず。今までの評価の中ではAランクとしたい。
なおFinaleのPrestoの主題は、飽きさせないと記述をしたがその後、全曲を聴き通してみた中で、この後に続くHob−No.-5のFinale主題と共通する部分が多い。フーガの形式までには至らないが対位法が、かなり駆使されているのも、Aランクの要因であると思う。
ドラティ盤は序奏のテンポがやや速めなので、主部との対比がやや目立たない。また第1楽章はAdagioの表記のみ。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月2日とする)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月6日 ディビス盤を聴取。
第1楽章と第3楽章は、ディビス盤では、展開部と再現部の繰り返しがあるので、多少、演奏時間が長くなっている。序奏が初めての登場なのは、この聴取記録でも記載した通り。ディビス盤では作曲順に収録されているので、「初めて」の印象が強くなる。
曲自体の構成や印象は従来の通り、Aランク。この盤でも当てはまる。soloの扱いは、フィッシャー盤とかなり近いがライブ録音のためか、soloの演奏であると思うが目立ち難い。
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2011年7月3日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。序奏が初めて登場したのは前記した。第1楽章が188小節ある中で、序奏は23小節を占めている。序奏のテンポが、ゆっくりということもあり、聴き通してみて時間的に序奏の占める割合はかなり大きい。曲想の変化と転調が少ないと前記をした。しかし注意深く聞いてみると、後年に見られる短調に行きかける転調もある。やはり序奏の占める影響は大きい。
第2楽章Menuetの部分でフィッシャー盤では、提示部と再現部で、低弦の旋律が異なっている。
Finaleは僅か114小節。繰り返しを含めてもフィッシャー盤で、2:57.第3楽章はfuga形式に近いこともあり、後年のユーモアのある雰囲気はない。楽器の種類が限られている中で、「凝縮」という表現がぴったりである。全てがC調になってしまうが緩徐楽章がなく3楽章。同じ調性が続いても違和感はない。
ドラティ盤でも序奏と主部のテンポの対比が余りないのは前記した通り。
2012年3月5日追記 デイビス盤では第2楽章のMenuetの終結は、フィッシャー盤と同じ。ディビス第3楽章では、ライブ録音とも相まって、管楽器の独自の旋律が聴き所。フィッシャー盤やドラティ盤では、余り気付かなかった点で、管楽器のob.の旋律が印象深い。T114のFinaleで管楽器の動きは余り注目ではなかった。
提示部では管楽器のob.とhr.は、それほど独自の動きはなし。ところが再現部になると、楽器の役割自体はそれほど差はないと思うが、各パートの中で独自の動きがある。各パートの旋律が重なることもあって、提示部と異なり勢いが増している。この当たりは、細かいところが聴き取れるからこそ分かると思った。
2013年2月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。元々、この曲はランクが自分なりに高く評価していること。作曲年代の位置付けでは、中期に近い作風であること。最初にフィッシャー盤を聴いた演奏が強すぎている影響がある。ホグウッド盤では、小編成であり第1楽章での序奏と主部の対比が少ない。やはりフィッシャー盤には敵わない。
第2楽章Menuet Trioでのob.が主旋律を受け持つ中、弦がピチカートで伴奏するスタイルなどは、聴き通してみて初めて登場。このあたりも、ずっと後の作品に感じさせる要因。
Finaleは第1と第2vn.が、同じ旋律を受け持つ箇所が多い。速いテンポで、この旋律を引くことは当時ではかなりの演奏技術が要求されたであろう。もう少し後になると、(hob-No.-20番台以降)では、この様な手法がしばしば見られる。その先駆をなしているとも思った。ホグウッド盤では小編成の分、演奏技術の高さの点でも意識をさせている。
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2017年6月21日 T ファイ盤を聴取。No.43.25.36の順番に収録されているが、No.25から聞きはじめる。下記のサイトにもレビューがある。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-395.html
ファイ盤をはじめて聴いたのが、No.40。その後、初期から後期のものを暫時、入手している段階。最近では最初期のNo.1からがある。曲自体に管楽器のsoloの箇所が少ない分、弦楽器が中心となる。vn.パートが左右に分かれているので、特に第2vn.の動きが明白。
第1楽章の冒頭から、第1主題がvn.はユニゾンではなく、音程が3度を中心に微妙にずれているのがよく分かる。No.1と同様に第1楽章もシンコペーションのリズムは少しがあるが余り目立たない。
2つのvn.パートの音程の差は、第3楽章の冒頭のFinaleも同様。冒頭から3度離れて主題が登場するが、その後T4からvn.は同じ音程のユニゾンで f の旋律との対比が目立つ。このFinaleは前半と後半の繰り返しは忠実に守るが、店舗は中庸なファイ盤でも113小節。演奏時間も3:45しかない。繰り返しがありながらも、シンコペーションのリズムを伴い旋律も取り入れた効果があり、力強い締めくくりがある。しかしテンポの変化、微妙な旋律の装飾はファイでも、他の曲ほど目立たないと思った。
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|
|
1 |
Adagio Alleglo molto |
C |
|
2 |
Menuet |
C |
|
3 |
Presto |
C |
|
|
|
|
|
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
13 |
11 |
|
1760-61 |
Es |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
B |
cantabileは モーツアルトに類似 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第1楽章での第1主題の歌う様な旋律。第2主題も同じ歌う様な旋律で第2vn.の伴奏。Adagioのテンポ表示でcantabileが付いているか、いないかで楽章の雰囲気が異なる。まさに、このcantabileのおかげだ。まるで
モーツァルトのK287 ディベルティメントの緩徐楽章を聴いている様だ。 井上太郎著「ハイドン106の交響曲を聴く」の著書によると、この第1楽章では管楽器はob.が登場してない。hr.のみが使用されている。楽器の使い方でも、cantabileの効果があると思う。
第2-4楽章は第1楽章と比較すると、やや淡白に聴こえてしまう。全て調性がEsに統一しているので、やや聴き飽きる。
フィッシャー盤だと、テンポがゆっくりで、全体約20分の中で、第1楽章が、半分を占めている。それに対してドラティ盤は、Adagioのテンポがやや速め。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月3日とする)。
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2010年12月7日 ディビス盤を聴取。第1楽章のAdagio cantabile は、ドラティ盤と同じ様に、ゆっくりめのテンポを採用。歌うようなこの雰囲気は、ドラティ盤以上にライブ録音も手伝ってか、すばらしい。その後スコアを見ながら再度、ディビス盤を聴取。第1楽章はcmb.が適宜、bass旋律以外に、装飾音を伴う。あくまでメインは第1、2vn.のcantabileの旋律が主体ではある。cmb.の装飾はvn.を引き立てる意味で聴き応えになっていると思った。
それ以外の第2-4楽章は、月並みになってしまう。あらためて3人の演奏を聴き通してみてディビス盤が一番のお勧めとしたい。
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2011年11月19日スコアを見ながら再度、演奏を聴取。フィッシャー盤では、前回はスコアを見なかったが、今回はスコアを見ながらの聴取。デイビス盤と比較して、管楽器の音量がドラティ盤ほどではないが、余り目立たないのは、前にも記載した通り。hob-No.40番から50番代を聴き通している中で、突如Hob‐No‐11を聴くと新鮮味を感じる。
この第1楽章のCantabileに関しては、謡う様な旋律と雰囲気がぴったりであると改めて感じる。この原因の一つには、フィッシャー盤では、編成の少なさの影響ではないか。当時のエルテルハージ楽団の編成に近いものであろう。逆に大衆を意識した40番代以降だと、この様な緩徐楽章は、既に殆ど書かれない。逆に、往年のパリからイギリス向けの多数の聴衆向けに対しては、この様なスタイルの作曲は見られない。
また楽器編成に関しても、管楽器のob.が全く登場していないので、弦楽器が主体の編成に伴い、Cantabileの表現が引き立つ。(この当たりは、前述の井上著の本からの引用にも記載した通り)大衆向けの分かりやすい曲の面影は微塵もない典型の楽章であると再度、確認をした次第。
その後、ドラティ盤を聴取。第1楽章のCantabileの演奏時間は、約7分。演奏時間だけで比較するのは、早計であるが、やはりフィッシャー盤と比較して目立たないのは同様。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2012年12月31日 追記
昨日(2012年12月30日 日曜)名曲の楽しみの最終回を聴取した。その最後の方では、吉田秀和氏が愛していたモーツァルト の中で、若い頃の代表作で デベルティメント KV287 第4楽章の Adagio カラヤン指揮が放送された。このときにハイドン 交響曲でも同じ緩叙楽章の中で、同じ様な雰囲気である点を記載した。この交響曲は、どの曲であったのか、あらためて調べなおした。そうするとNo.11の第1楽章であった。奇しくも同じES調。(KV287は第1楽章は、B-durであるが、この楽章は、ES調のES-dur)
モーツァルトの位置づけは、あくまでデベルティメントの中のひとつなので、室内楽か、あるいはもっと少ない編成で演奏されたであろう。それに対して、このNo.11の初期の交響曲での演奏者は、自前のエステルハージ楽団。人数的には、前期のモーツァルトのとは、大差はないであろう。この両者の小節数はもちろん異なる。モーツァルトの場合は、管楽器は一切、この楽章のみは入っていない。
ハイドンのこの楽章は、弦楽器が主体でも、他の楽器、特に第2vn.から最初に、第1主題が提示されること。他の弦楽器のパートも、それなりに、第1vn.以外にも受け持っている点などは、多少の違いはある。しかし主旋律を引く、第1vn.に対して細かく分散和音風に、ところどころ、寄り添うような第2vn.の動き。主旋律が抑揚と強弱のある第1vn.旋律。これらのみを注目しても、このNo.11の第1楽章は、あらためて共通点が多いと思った。
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のためか、弦の調性による曲の雰囲気が、がらりと変わる。ES調はホグウッド盤では、聴き始めて初めての登場。フラット系の調性では、通しNo.9のF調、通しNo.10のB調に続き、3回目。
デイビス盤では、Cantabileの第1楽章でhr.がライブ録音ということもあって、効果があると思った。一方ホグウッドでは、hr.はデイビス盤ほど目立たない音量であるが逆に、これが効果的。すなわち、あくまでこの楽章では、hr.は、旋律楽器としてではなく、補強の役割を持つ。やわらかい音色が、ホグウッド盤では理に適っている。もうひとつの管楽器のob.が、全く登場していないので、なおさらhr.の役割が効果的。
それに対して第2楽章は、調は同じでもテンポが急に速くなり、がらりと変わる雰囲気。ひとつ前の序奏付きのNo.25と似ている。こちらの方は無論、別な楽章であるがob.が初めて登場して、雰囲気の対比はより効果的。
Menuetのtiroは弦楽器のみとなる。フィッシャー盤ではsoloとなっているが、ここでは合奏となる。ただ編成が少ないためかsoloに近い雰囲気。しかし短いfinaleは、コンパクトにまとまっていて、中期以降に見られる大掛かりなものとは対照的に楽しめる。
ただし聴き通してみると、やはり同じES調が続くのはテンポや曲想が変わるとは言え、やや苦しいところ。
2015年2月21日 追記。ゴバーマンを聴取。聴きとおしてみて、No.25をを除くと、ゆっくりとしたテンポが最初に登場する初めての曲。(ゴバーマンはNo.25は録音していない)Adagio cantabile の指定の表記から、モーツァルトのような旋律の美しさが特徴。ただしモーツァルトほど、長い旋律を繰り返して続けないように、微妙に変化していくのがハイドンの特徴ではあるが。第2vn.から登場する冒頭の主題が、第1vn.に引き継がれていく掛け合いがこの演奏では良く分かる。ただし全て繰り返しを省略しているのが残念。
第2楽章のT104で、第2vn.から主旋律で登場し、対旋律が低い音程で第1vn.に引き継ぐ。この掛け合いも心地よい。
おりしも、ここまで聴き通してきた中でなぜ楽器、特に第2vn.の右側の位置にこだわっていたのか? この曲を通して、初めて契機となったのは、レヴァインの演奏だ。モーツァルトの交響曲全集のレヴァインは、第2vn.が右側に配置している。現在は、セットで販売されているが、発売当初から新譜の度に購入をしていた。レヴァインは、ヴィーンフィルの演奏で録音会場もウィーン、ムジークフェラインザール。(ただしゴバーマンの音色もウィーンのコンツェルトハウスでのセッション録音) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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1 |
Adagio cantabile |
Es |
無 |
|
2 |
Presto |
Es |
有 |
|
3 |
Menuet&trio |
Es |
無 |
|
4 |
Finale、presto |
Es |
有 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
14 |
5 |
|
1760-61 |
A |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
B |
No.6-8の予兆、Hrのsolo |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
初めてhr.のパートsoloが随所(特に出だしの第1主題が印象的)で聴かれる作品。hr.のsoloは4本使用の後の作品もあるが今回は2本のみ。2本でも、それぞれパートが分かれていて、hr.同士の掛け合いも印象的。むしろ4本より聴きやすいかもしれない。
第1楽章のテンポがゆったりとしたテンポと相まって、有名な45番の最終楽章Adagioのcodaの雰囲気にも似ている。調性は全てAであるが、全てテンポが異なりsoloが随所にあって合奏協奏曲に近い。初期作品のNo.6-8をピークとすれば、この前段階や予兆を思わせる特徴を持つ通しNo. 7(hob. No.10)で初めて、合奏協奏曲が登場したと書いた。No.6-8に向けて、hob No. 10に向けての2番目の曲に位置していると思う。
Prestoの演奏時間は短いが速いテンポながらも、中期以降の少しユーモアや遊び心が漂う。この交響曲で初めて、はっきり聴き取れると思う。もう少しPresto演奏時間が長くなったら、さらにランクを上げたい。
なお全体の楽章の並び方は第1楽章に、緩徐楽章が来ている。中期から後期では楽章の並び方が固定していく中、作曲者は、いろいろと先人の一つ前のNo.11と同様に、研究を重ねたに違いない。中野著や井上著では、この順番を教会ソナタ形式と表現をしている。
ドラティ盤では、第2-4楽章のsoloの演奏はなし。フィッシャー盤との差は、余りないと思う。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月4日とする)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月7日 ディビス盤を聴取。Allegli ma non tropo の第1楽章は、2本のhr.が活躍するが、この演奏でも、かなり目立つ。この後に続くNo.6-8のシリーズの予感をさせる。
ディビス盤では、soloの扱いはフィッシャー盤ほどはないが、細かく聴いてみると、Menuetの経過部でも「チラリ」とvn.のsoloが聴き取れたりする。trio.では初めて、管楽器を主体としたsolo.の音色(弦はピチカート奏法)の手法は、後年の先駆けとなっている。A調が続いても、何度聴いてもテンポの変化が全て異なるのも魅力は大きい。意外な発見がある点からもBランクは変わらず。
(追記)
ディビス盤を再度に聴取。フィッシャー盤ほど、vn.のsoloの箇所は、やはり少ない。 しかしながら、全集版の収録順番に、再度、敬服した。というのも、作曲順番通りに、聴いていくと、この曲は、Hob-No-6〜8シリーズの後になる。しかし、私は、Hob-No-6〜8シリーズの前段にあったと、解釈したい。(1761年作曲以前)もし前段の作曲であれば、イタリア風の雰囲気をこの交響曲を通じて試していたのではないか?ここまで聴いてきた中で、イタリア風の跳躍し休止、強弱のある雰囲気の作品はまだ接していない。前段として作曲したのであれば、理に適っていると思う。その点からも、作曲された順番に収録されているのも、納得がいく。また、作曲された順番に聴いて行く楽しみでもあると、再度思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その後スコアをみながら、ドラティ盤とフィッシャー盤を再度、聴取をする。フィッシャー盤は、随所に管楽器のsolo、soliの指定箇所は元より、第1、2vn.も必要に応じて、soloの箇所があることを再度確認する。Hob-No-10にも記載をしたが、この後のHob-No-6〜8シリーズの予見をさせる点では変わりなし。Hob-No-6〜8は、イタリア風の協奏交響曲を連想させる。ハイドンは、エルテルハージ候が当時はイタリア風に興味を持っていたことから、必要に応じて、イタリア風を作曲に取り入れていたらしい。
そのためか、第2楽章の跳躍や休止を挟む快活な雰囲気は、いかにもイタリア風の雰囲気が漂っている。第2−4楽章にかけては、第1楽章以上にvn.のsoloが協奏交響曲の雰囲気を味わうには欲しい所。フィッシャー盤は見事に応えている。
それに対して、ドラティ盤は、やはりvn.のsoloの箇所が物足りない。A調が続くのは心苦しい点もあるが、テンポの変化は見事。
2012年3月20日追記 ディビス盤を聴取。No.6-8の予兆を感じさせると記載をしたが、この根拠は、管楽器を中心としたsoloの活躍にある。ディビス盤ではライブ録音とも相まって、管楽器を中心とした音色が、うまく聴き取れている。
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。通しNo.順に聴きくと、No.11に続いて、共通するところと逆に違いが楽しめる。楽章数は同じで、最初に緩徐楽章が入っているのは同じ。ただし調が異なることと、hr.が活躍する点は異なる。
No.11の緩徐楽章は、hr.は、伴奏に徹していたが、ここではsoliの記述があるように、旋律楽器を受け持つ。ホグウッド盤では、高音域のhr.の音色が効果的。ob.は伴奏のみに徹している。フィッシャー盤では、第2楽章などは合奏協奏曲風に随所にsoloがあるが、ホグウッド盤ではなし。
Menuetのtrioでは、第1楽章で活躍したhr.が、ここでも登場。ob.はsoloとなっていて実質、旋律楽器としては、2人のhr.と1人のob.で計3人。tiroの由来に当てはまる。短いFinaleは、わずか69小節。前半と後半の繰り返しがあっても、演奏時間はせいぜい2分程度。しかしコンパクトにまとまっている。
2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。緩除楽章から始まるのは、No.11とも共通だが、hr.が活躍。しかし弦楽器が中心でhr.はは余り目立たない。FinaleのPrestoの第2vn.の対旋律も良く聴き取れる。
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2017年5月27日 T ファイ No.5 を聴取。初期の交響曲から聞き始めると調がAに変わり4楽章の構成となる。No.14までは、hr.のsolo(2名なのでsoli)の活躍が入る。この曲の聴き所として、hr.の活躍を記載した。ファイの演奏では、思ったよりhr.は全体的に控えめ。また、自分なりのこの曲のひとつとしてコンチェルトグロッソの雰囲気でNo.6〜8の予兆と記載した。最初に聞き始めたフィッシャー盤で、第2楽章のT32からvn.をsoloで引いている。この部分を例にあげたが、ファイ盤では、soloではなく通常のvn.パート。このため、コンチェルトグロッソ風の雰囲気は余りない。
No.1,4に、何度もシンコペーションについて記載をしてきた。第2楽章のT9からも登場。この動機は、他の箇所でも登場し、冒頭の跳躍するようなテンポあるリズムの動機と対照的。 4つの楽章が全てA調のため、楽章ごとの調性の変化は難しい。(このあたりは、hob-No.-22のも共通している)しかしテンポの変化は全て違うので飽きさせない。 特にfinaleはくりかえしを含めてもわずか65小節でファイの演奏時間でも1:27.冒頭主題のvn.の対向配置を生かして、第2vn.の対旋律が生きる。Finaleは短いが、中期から後期に匹敵する、無駄を極端に省いたFinaleにより、短い曲でも充実感が一杯。
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2017年12月23日 G Herbig No.5を聴取。第1楽章は、2本のhr.のsoliの箇所(大半は、同じ旋律を受け持っていない)が聴き所のひとつであるが、それほど目立たず。hr.は右側の奥の方へ位置。第3楽章 Menuet のTrioの部分でob.とhr.が活躍するが、ここでもhr.は目立たず。通して聴くに、印象は余りない。
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2018年2月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.5を聴取。今回のCDはNo.1から5まで収録されているが、作曲順番で聞いているため3番目にあたる。4楽章形式で初めて。テンポこそ変わるが全てがA調であるため、通して聴くと、少し辛い思いがある。第1楽章はAdagio ma non tropo のゆっくりしたテンポ。6小節目にhr.のsoliがある。この部分でhr.の実音が低い。恐らく1オクターブ低いのではないかと思った。今までの奏者はここでは、hr.の音がかなり高く目立っていた。ガロワの演奏では、実音が低いので、hr.が目立たないことはないが、落ちついた印象。キーワードの「レガート」にも通ずる雰囲気。この楽章は、全て、実音は低いままで通している。
一方、他の楽章でも、低い実音が続いていると思ったが異なるようだ。第3楽章 Menutet 中間部trioの部分。ob.とhr.が活躍する。冒頭の出だしの音程は、第1楽章のT6と同じ。ここでは明らかに高い音。弦の伴奏を伴ってhr.が明るく目立つ。
59小節しかない短いfinale。対向配置で第2vn.の対旋律が効果的。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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|
1 |
Adagio ma non troppo |
A |
無 |
|
2 |
Alleglo |
A |
無 |
|
3 |
Minuet |
A |
無 |
|
4 |
Presto |
A |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
15 |
32 |
|
1760-61 |
C |
4 |
|
(1) |
2 |
2 |
有 |
必要? |
D |
曲順に応じた入れ替え |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
C調でtrp.とtimp.もセットで入ることもあり、祝典的な雰囲気な交響曲。全般的には大味な印象を受ける。ハイドンだけには限らないが、曲の調によるイメージや影響は大きい。それに伴い、楽器編成もさらに曲全体に影響が加わる。第3楽章にAdagioのゆったりとしたテンポを持ってきているが、第1と第3,4楽章のテンポが速いので、うまく組み合わさっている。
ドラティ盤は、両端の第1、4楽章は編成が大きい分、スケールの大きい。Adagioのcmb.が良く聴こえることで、逆に花を添えている。通して聴くとこちらの方に軍配が上がると思った。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月5日とする)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2011年3月6日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-No.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じてMenuetは入れ替わっているのは聴き所、ポイントに記載した通り。
第1楽章では、trp.がリズムの補強に近い扱いではあるが単独で旋律を持っている。これは、Hob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いが、trp.とtimp.は元より管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetではフル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。
もし、Hob-Noの通りに聴いてみたら、続きで次の33番もC調で似た様な雰囲気。2曲を通して聴いてみると、さらに辛いかもしれない。全体を聴き通してみては、評価はDのままで良いと思った。
フィッシャー盤では、例によって、弦のみが受け持つtrioでは、各弦のsoloとなっている。弦の編成が少ない分、trp.とtimpがその分目立つ。cmb.の使用はなし。特に、第2楽章のMenuetは、c調のtrioが全てsoloになっているので、音色の対比が効果的。全4楽章を通して評価の点では余り高くはないと思う。
しかし第3楽章Adagioはvn.は弱音器を使用しないものの、各弦がしっとりと聴かせてくれる。後年の弱音器の音色に関しては、好みが分かれるところではある。比較的小さいホール(エステルハージ宮殿よりもさらに小さい規模)の面積と編成を考慮すると、わざわざ、弱音器を使用しなくても、かなりの音色の対比があると思う。特に、フィッシャー盤は、編成が少ない分、この対比が目だって良いと思った。
作曲年代はエステルハージ候に就任する前と思うので、ディビス盤ではまだ4枚目のCD。この後の5枚目からが、エステルハージ副楽長就任シリーズになっている。第2楽章のtrioでは、cmb.がストップ効果を使用しているかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月8日 ディビス盤を聴取。C調でtrp.とtimpが入っているのは、通しNo.2(Hob−No.-37)とも共通。ただし、こちらは、楽章数は4と増えている。
第3楽章でcmb.の音量は、フィッシャー盤とドラティ盤との中間。管楽器が全て休むので、低弦を含む各弦のパートの細かい動きとcmb.の対比が美しい。ただしcmb.はユニゾンに徹している。しかしながら、全体を通して聴いてみても印象は平凡に終始する。.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2011年3月6日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じて、Menuetは入れ替わっているのは、聴き所、ポイントに記載した通り。
第1楽章ではtrp.がリズムの補強に近い扱いではあるが、単独で旋律を持っている。これは、Hob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いがtrp.とtimp.は元より、管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetでは、フル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。作曲の通し順番から聴き始めると、timp.とtrp.が初めて登場。trp.は中央よりやや右側に位置するか?第1と第2楽章までは、楽器数が多かったが、第3楽章は、一転、弦楽器のみ。スコアでは、各パートに強弱の細かい記述が書かれている。後半ではtenutoの記載もあり。元々、評価を下げていることもあり、全体的にホグウッド盤でも印象が余りなくコメントも少ない。しかしながら第3楽章の雰囲気は、それ以外の3楽章と対比的なのは、記述に価すると思った。
2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。No.37と似た雰囲気でtrp.とtimp,が入る。No.48の交響曲を先取りした雰囲気。Alleglo moltoの第1楽章は、No.37と違って、2つのvn.パートが同じ音程あるいは、時には分かれて自由自在に動き回る雰囲気が特徴。ゴバーマン盤では、この特徴をよく活かしている。第3楽章のT34の冒頭で、第2vn.から第1vn.に受け継がれていく部分などは、配置を旨く活かしている。T65のフェルマータでは、余り目立たないが、cmb.の装飾が入る。概して遅めのテンポで、前半、後半の繰り返しはないが違和感はなし。曲の評価はDとしているが。ゴバーマンを聴くと、ランクを上げたくなる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弦のみで演奏する緩叙楽章の第3楽章。提示部の繰り返しを採用。繰り返しの後半は、S ラトルのような装飾はないが、後半は冒頭から音量を少し落とすなど微妙な違いがある。初期の交響曲で緩叙楽章は弦のみが大半だが、今まで聴いて来た中で弦の各パートが、少しずつ対位法的に独自の動きが少しずつ多くなってくる。メルツェンドルファーでも各パートの動きは良く分かる。録音も良好の方。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
|
1 |
Alleglo molto |
C |
有 |
|
2 |
Menuet |
C |
無 |
|
3 |
Adagio ma non troppo |
F |
無 |
|
4 |
Finale Presto |
C |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
16 |
15 |
|
1761 |
D |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要? |
C |
ピチカートの効果 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第1楽章は3部形式の様。最初の第1主題は、主旋律はvn.であるが、伴奏の低弦がピチカート。曲の出始めからピチカートに会うとベートーベンの第1交響曲にも似ているかもしれない。 各楽章で、soloのパートが多くあるが、ビオラ(va.)とチェロ(vc.)のパートが第2楽章のtrioで長く掛け合いで聴ける。音色の工夫のために、楽器のsoloを今までよりもパターンを変えている。
曲全体の構成は、一つ前のHob−No.-32と類似。第1楽章の形式が、今までのソナタ形式でない純然たる3部形式。第2楽章のMenuetのtrio.の部分が長く、管楽器が休んでいる点などは、今までにない手法。 →聴きと通しみて、過去にはあった手法である。 Finaleは中間部に短調を挟むが、かなり長い。
全体を通して聴いてみると、細かい点まで新たな発見がある曲。ランクはCで変わらず。.井上著では、この交響曲ではハイドンは、これまでの交響曲の定型を壊そうとしたのではないか?との記述がある。この表現は、作曲順に聴いて見ると的を得ている。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月6日とする)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月8日 ディビス盤を聴取。各パートにsoloが多くある点から、この頃よりモルツィン侯爵からエステルハージ侯爵の副楽長に就任した一番最初の曲になると推定。ディビス盤でも、この曲からエステルハージ副楽長としての作曲のCDに入っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月7日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。最初のAdagioは33小節。その後のPrestoは77小節。帰ってくるAdagioは18小節。中間のPrestoは純然たるソナタ形式で、提示、展開、再現部が、きれいに並んでいる。第1楽章の構成からして、今までにない形式。中期の頃の交響曲でも、楽章によって最初の頃の部分が回帰してくる曲もあったと記憶。その先駆をなすための実験策でなかったか。なお、モーツァルトのイタリア風の交響曲でも似たような形式はあるが。
第2楽章のMenuetでtrioは弦のみ。フィッシャー盤ではtrioの部分は例によってsoloになっている。この交響曲の最初に記載した通り、この点はひとつ前のHob-No-32に通じる所を再度、確認。
第3楽章のAndanteも、弦のみでの演奏。この点も一つ前のHob-No-32と共通。随所で、低弦は独自の動きがあり、vn.と旨くやりとりをしている。
Finaleは作曲者はPrestoの指示をしているが、フィッシャー盤では、これよりも遅いテンポを取っている。中間部の短調の部分でもテンポの指定はないが、3/8拍子。最後の短いcodaがあるが、聴けば聴くほど、意外な発見があり、ランクはCで良いと思った。
ドラティ盤での違いは、第1楽章のPrestoでのテンポの速さ。第2楽章のtrioのsoloの扱い。(フィッシャー盤では、しばしばだが、ドラティは珍しい)FinaleのPrestoの指示は忠実に守っている。
ディビス盤では、trioの部分は、vc.のsoloのみとしている。スコアを見ると、vc.はsoloの記述はないが、明らかに高音の記号で記譜してある。作曲者は高音部でのvc.のsoloを要求したのであろう。Andanteのテンポは速めであるが、録音の良さもあってか、細かい音まで聞き取れる。Finaleのテンポは、フィッシャーとドラティの中間。
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取
第1楽章のAdagioでは、ピチカートの効果を聴き所で記載をした。それに伴って、第1vn.の旋律が引き立たせる。このvn.の動きは、手持ちのスコアでは、単旋律のみであるが、ホグウッド盤では、さらにパートに分かれているように聴こえる。その分、小編成でも、各パートの細かい音が聴こえる例なのかもしれない。
Menuetのtrioは弦楽器のみであるが、珍しくva.とvc.が旋律を受け持つ。両者は同じ音域であるが、ここでは、vc.が普段よりも高い記譜記号で書かれていて、vc.の方が目立つ。
2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。
曲の聴き所のポイントとしてAdagio(後半にも回帰)をあげたが、va.以下の低弦のピチカートが効果的。この部分では、普段は目立たないcmb.が、かなり大きく左側にピックアップ。第2楽章のTrioでbassは、soloあるいは、奏者を減らているか? 繰り返しの指定がない短いFinaleのテンポは中庸。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
|
1 |
AdagioーPrestoーAdagio |
D |
無 |
|
2 |
Menuet&trio |
D |
無 |
|
3 |
Andante |
G |
無 |
|
4 |
Finale |
D |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
17 |
3 |
|
1761 |
G |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
B |
短いながらもカノン風の力強いFinale |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
旧番号順の通りに聞いていったら、第2番と第3番の差が歴然とあるのに、びっくりするのに違いない。作曲順に聴いているので、2曲の差があるのは理解済みである。実際、約2−4年の差があるが、楽章数、楽器のsoloの扱い方や音色、展開部の処理などは、驚くほどに進歩が見られる。
たとえば楽器の扱い方では、第1楽章の第2主題が第2vn.で提示される。Menuetのtrioでは、弦楽器や管のsoloが聴こえる。第1楽章の展開部では、第1主題が擬似再現の様に登場する。これらをとっても、もう中期以降の作品に近いところに来ている。
圧巻は第4楽章。フィッシャー盤では時間は2分にも満たない。第1主題は モーツァルトの第41番、Finaleのフーガにも似ている。実際カノン風の主題が、息を継ぐ間もないように、一気に終わってしまう。Breveの表示の様に生き生きとしている。
「Finaleがもう少し長ければ」と惜しまれる。もう少し長かったら、第25番を追い抜いていたかもしれないぐらい、立派な作品に聴こえる。
井上著でも、この交響曲の細かい点まで聴き所が多い点の記述あり。特に展開部で、第1と第2vn.が掛け合いながら、調性が属調、主調、下属調へめまぐるしく変わっていくのは、後年に良く用いられる手法が記載がある。古典派の技法を完璧に身に付けたと表現があるが、ぴったりである。
実際、中期以降は、展開部の労作が作曲者の真骨頂であると私は思う。特に調性の変化は、この究極であると思うが、早くもこの交響曲で兆しがあった点は見逃せない。冒頭にNo.2とNo.3との差について。soloの扱い一つをとっても、作曲年代がエステルハージ侯爵の時代に明らかに入ったため、soloにも活躍を求めたのではないか。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月7日とする)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2010年12月13日 ディビス盤を聴取。第3楽章のMenuetでは、ob.の音がある程度大きく、vn.と同じユニゾンで終始演奏している。ユニゾンの効果が今までの2者の演奏よりもはっきり聴こえる。trioではhr,とob.をvn.以上に目立たせている。このあたりはライブ録音のメリットが現れていると思う。
Finaleの主題は、第1楽章の主題と明らかに似ている点がある。しかしテンポは大差はないが、カノン風の形式が短いながらも堂々としていて、第1楽章の2番煎じの様な印象は微塵も感じさせない1桁の初期の交響曲としては、やはり聴き応えがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月8日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。スコアを見て、意外な発見があったのは、まずは第1楽章。展開部で第1、2vn.が、掛け合いながらの転調を繰り返す。
次に第3楽章のMenuetのtrioの部分。ob.とhr.にsoliの指示が記載してある。中後期にかけては、tiro、の弦や管での指示は普通になっているが、早くも、Hob-No-3の時点で取り入れてある。フィッシャー盤では、このsoliの指定を重視するためもあるのか、当然の如くこの後に各弦の旋律もsoloで演奏している。
第4楽章のFinaleは、どの演奏も2分前後ではあるが、単一主題でありながら、各パートが全て、主旋律を受け持っている。Finaleの主題は、第1楽章の主題と大きな変化はない様だ。しかし、ほぼ同じテンポでありながらも、第1楽章とは、がらりと印象は異なる。この原因は、やはりフーガ形式によると思う。楽章の終わりに行くに従って、クレッシェンドなどの強弱の指定はスコアには記載がしていない。曲の終わりに向けて盛り上がる雰囲気の原因は、低弦とhr.の長い持続音の影響か? 3者のどの指揮者も、この短いが凝縮したFinaleを感動的に締めくくるのは、敬服するばかりである。
ドラティ盤では最初からcmb.が入っているが、第2楽章では装飾的な箇所が多くなる。聴き通してみて、やはり凝縮されたFinaleが一番の聴き所である点は変わらず。3者の中では、やはりフィッシャー盤を推薦したい。小編成でありながらもダイナミックな音量の差が一番、目立つ点からを取るため。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年12月31日 追加記載 FinaleのFugaについて。このFugaに偉大さには、過去にも記載をした。当初は、このハイドンがFugaの技法を広めた一人だと私なりに考えていた。
しかし最近、読んだ 石多著 「交響曲の生涯」によると事情が違うようだ。これによれば、そもそもフランス風の序曲では、Fugaが使われることが原則だった。これにともない、その影響を受けた交響曲も多くあった。音楽様式の主流がホモホニックなっていく18世紀中葉から後半に、その独特な効果を狙ってFugaが用いられた交響曲は多数ある。
ウイーン前古典派のヴァーゲンザイルは、1746年以前に採用していた記述がある。
これを参考にすると既にFuga形式は、ハイドンが最初ではないかもしれない。しかし聴き通して行く中、初めてのFuga形式には敬服するばかりである。
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の緩徐楽章では、この頃に見られる弦楽器のみ。ホグウッド盤では、最終楽章のFinaleでは、テンポが速め。
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|
|
1 |
Alleglo |
G |
有 |
|
2 |
Andante moderate |
g |
無 |
|
3 |
Menuet |
G |
無 |
|
4 |
Alla Breve |
G |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
18 |
6 |
朝 |
1761 |
D |
4 |
1 |
(1) |
2 |
|
|
必要 |
A |
合奏協奏曲。全てのパートのsoloあり。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
音楽の友社 名曲解説全集の第1巻 交響曲の中で、ハイドンの記述を見ると交響曲の初期の作品の中では、旧第1番の次に、この第6-8番シリーズが来る。(補巻を含む) この本に掲載されてる様に、昔から初期の作品の中では知名度が高い。これによると自筆楽譜には第7番の「昼」のみだったらしいが、朝 、昼、晩の3部作として、この第6番も知られていたらしい。フランス語で”Le Matin"と記載がされている。 フランス語の表記のように、ディベルティメントやセレナード風の貴族的な雰囲気もある。交響曲というようりも、ビバルディの四季の様に、合奏協奏曲に近い。
「朝」、「昼」「晩」の命名については、最新名曲解説全集によると、エステルハージ侯爵自身の指示により、ハイドン自身が命名。通称名の交響曲はあるが、ハイドン自身が命名した交響曲は数が少ない。しかしこれは作曲者自身が命名したことは明らかな一つ。副楽長を就任した折に、最初の頃に作曲者自身が楽団員と侯爵の両者に華やかに売り込みを図った、3セットの交響曲との位置づけと考える。
Dの調性で終始、華やかに終始する。コントラバス?(通してからの聴き始めで最初の登場)を含む、全ての楽器のsoloがある。(名曲解説全集ではvc.と記載があるがcb.ではないかと思う)特に第3楽章trioでは、fg.とvc.のsoloが珍しい。フィッシャー盤は随所にsoloがあり、Tuittiとの対比が良い。特に、初のAdagioの部分でsoloから始まりながら、クレッシェンドしていく部分はいかにも、「朝」の名称の様に、日の出の様な雰囲気である。
名曲解説全集では、第1楽章のAleglo第1主題の楽器については、単にfl.による提示と書いてある。井上著の本でも同様であるが、fl.が単独で第1主題を提示するのは、極めてまれな例であると思う。正確な記憶はないが、これに似た手法としては、晩年のHob−No.-101 の第1楽章 第1主題ぐらいではないか? 早くも後の手法に結びつく点が登場する。
それに対して、ドラティ盤は、soloの対比が少なくステレオ間の広がりが、やや少ない。その分Tuittiでは、ダイナミックに聴こえる。この6-8番シリーズは、他にも録音が多いと思うが、敢えてこの2種にとどめる。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月8日とする)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2010年12月14日 ディビス盤を聴取。 聴き始めてfl.が登場。Adagioの序奏は、フィッシャー、ドラティ盤以上に特に最初がゆっくり。Allegoloでの提示部と展開部ー再現部の繰り返しがない。もともと楽器編成からして、solo.の箇所は多い。しかし繰り返しのない分、協奏交響曲のスタイルにより一層近い雰囲気になる。
第2楽章のvn.のsoloでは、装飾音を多く取り入れている。特に、Menuetのtrioでは、cb.のsoloがfg.とともに目だっている。(録音の場所からして、かなり右端に位置する。cb.と推測)
Finaleもcmb.が通奏低音としての楽器ではなく、装飾音を交えながら華やかにsolo.に近く活躍をしている。エステルハージ候の自前のオーケストラの団員に、各soloをアピールするために、副楽長就任の最初の頃としての名曲の一つ。フランス語の「朝」と言う明るい雰囲気はあるが、あくまで全曲の中で明るい雰囲気の一つの交響曲の様な位置づけ。録音は弦のプルト数は多いと思うが、ライブ録音とあってか管楽器のsoloがフィッシャー盤以上に目だっている。目立つ分フィッシャー盤と同等の聴き応えのあるランクとしたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。エステルハージ楽団のsoloの活躍を取り上げるための交響曲が明白に感じられる。作曲順番で聴いて来た場合、fl.が初めて登場。
第2楽章は、緩徐楽章で13小節のAndanteの序奏の後、88小節のAndanteの主部。主部では、vn.とvc.のsoloがあり、提示部と展開部〜再現部へ続く。12小節のAdagioの終結部で終わっている。
第3楽章のMenuetのtrio。の部分は、cb.を中心としたsoloがある。フィッシャー盤では、fg.とcb.のsoloを引き立てるために、他の弦楽器は、ピチカートでしかも、かなり弱く伴奏に徹している。
ドラティ盤では演奏者の欄で、vn.とvc.のパート名が記載されているが、cb.の演奏者は記載されていない。(No.7,8には記載されているのとは対象的) フィッシャー盤と違って常時cmb.が入っている。第1楽章の展開部では独自の動き。
協奏交響曲の視点が大きいのは、楽器の音色でsoloあるいは、soli 同士が重なる点も大きい。初期から後期にかけて楽器のsoloやsoliの箇所は、この前後も時折あるが、各楽器同士が重なることは余りない。協奏交響曲では、しばしば用いられると思う手法である。No.6-8シリーズもこの点に当てはまる。
2013年2月15日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴き通してみて初めて、fl.が登場。古楽器のため、音量がやや小さい分、弦とのバランスがよいと思う。各弦パートで、soloとして初めて登場。ディベルティメントやセレナード風の位置づけとしての記述をした。この例として、第2楽章がある。最初のAdagioでは、vn.soloが小手調べ風に、soloを開始してから、主部に入る点などは、今までになかった手法。
Menueのtrioでは、va.のsoloもある。ここではsolo指定となっていることから、va.奏者は2人以上だったのか?この疑問は、vc.やcb.にも当てはまるが。ホグウッド盤では、今まで3者の演奏を聴いてきた中で、テンポは大差がない。ただ音色の点で、細かい音がが聴きやすい分、ダイナミックの差は不足と感じる。今後は、曲自体の規模が大きくなり、楽器編成も増えて来ることが多い。この点についての、気になるところ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
|
1 |
Adagio-alleglo |
D |
有 |
|
2 |
Adagio-andante
-adagio |
G |
無 |
|
3 |
Menuet |
D |
無 |
|
4 |
Alleglo |
D |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
19 |
7 |
昼 |
1761 |
C |
4 |
2 |
(1) |
2 |
|
|
必要 |
A |
第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn.vc.の協奏交響曲 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第6番と比較して、さらにsoloパートが多く合奏協奏曲かもしれないが、ディベルティメントやセレナードとして聴いた方が良い。特に第2楽章は、Recitativoの序奏がある。ここでの g の調性とその後の G の調性の対比が美しい。(名曲解説全集では、Recitativo(2部形式)を単独の楽章として、全部で5楽章として掲載してある。2種の全集は、Recitativoを第2楽章の序奏としてあり、続けて演奏されている。(全4楽章)
第6番と同様に殆どのパートでsoloがあるが、2本のfl.とvn.やvc.の扱いが第2楽章で目立つ。 モーツァルト初期の交響曲のように、第1楽章はob.のみでfl.なしが、第2楽章ではob.なしの編成。ob.がないので、緩徐楽章では、やわらかい雰囲気が漂う。2本のfl.がそれぞれのパートを持ち掛け合いがあって、soloの楽しさ。圧巻は再現部の最後のカデンツアでvn.とvc.が提示部や再現部であった旋律を元に両者で披露する。第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn、vc.の協奏交響曲として聴いても差し支えない。
Menuettoのtrioでは、コントラバスのsoloがある。フィッシャーでは、この部分もvn.はsoloで引いており、コントラバスの音を引き立てている。それに対してドラティ盤は弦soloでない。しかし2種のいずれも、バスが編成の右端に位置してステレオでの配置が堪能できる。
楽器の扱い方をNo.6-7を中心に書いて来た。6-8番に共通していることは、展開部の主題の労作なども初期の作品として、この時期でも典型的なスタイルで扱われている。2種とも聴き通してみて、No.6とは違った意味で、こちらも楽しめる。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月9日とする)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2010年12月15日 ディビス盤を聴取。Hob−No.-6と同様に、随所にイタリア風のビバルディの合奏協奏曲の雰囲気がある。特に第2楽章は、この傾向が強い。fl.2本、vn.vc.のための協奏交響曲と記載したが、ディビス盤の演奏でも同じ様な雰囲気。ただし、cmb.がやや目立つ。Finaleは展開部と再現部の繰り返しがない。割合、速めのテンポが加わり、さらりとした流れを重視した感じ。ライブ演奏であることもあり、繰り返しがない方が、すっきりとした印象を受ける。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。楽章構成が一応5つあることもあり、規模からすると、6-8シリーズの中では一番大きいであろう。Recitativoは29小節あるが、中間部はAllegroにテンポを転じるなど、テンポの変化とともに展開が速い。その後のAdagioは、調性がG-Durと大きく変わること。ob.が全て休んで2本のfl.になり、柔らかな音色を重視する対比が一番の聴き所であることは変わりなし。
特にフィッシャー盤では、編成が小さい分、細かい音まで聞き取りやすいのも良いポイントとして評価したい。fl.を2本としたのは正解だと思う。なお、fl奏者は2人専属ではなく、1人はob.の持ち替えではないかと推測。(それまでの楽章ではfl.は登場していないこと。Adagioの楽章はob.が休み。その後の第3楽章はfl.は休み。Finaleは、ob.2本とfl.本の通常の編成などから)Adagioの終わりに近い部分は、vn.とvc.の両者によるカデンツアが15小節にも渡る。このカデンツアは作曲者がオリジナルなもので、途中でAllegroからAdagioへのテンポの指定などもあり大規模。途中では、vc.がvn.以上の高い音域にいたる箇所もあり、vc.奏者にとっては腕の見せ所であったと思う。
第3楽章のMenuetでは、フィッシャー盤はなぜかcmb.が入っている。No.6では入っていないと思うが。No.7でもMenuetのみ入っているのは不明。trioでcb.を引き立てることもあり、cmb.は目立たないが。
Finaleは今までの各楽章で登場した楽器が再度、総勢でsoloを含めて締めくくる雰囲気。
No.6-8シリーズが協奏交響曲あるいは、セレナーデ風の様式に特化している理由として。井上著ではパウル・アントン候はビバルディが好みであったのも由来する可能性を指摘。特に、この第1楽章は、コンチェルトグロッソあるいは、リトネロ形式の様相が強い。一つ前のHob-No-5で、類似した形式を、このシリーズで開花させた印象が強い。特に作曲順番に聴き通して行くと、「開花」の表現がぴったりであると思う。
なお、ディビス盤はFinaleで展開部と再現部の繰り返しがない。ライブ録音もあり、繰り返しがなくても良いであろう。
2013年2月16日 追記。ホグウッド盤を聴取。fl.が活躍するのは、前のhob-No.-6と同じであるが、今回は2人となる。第2楽章のRecitativoでは、管楽器でob.2人がいる。その後のAdagioでは、ob.が休みでfl.が2人となる。続けて演奏する考えとして、RecitativoをAdagioの序奏とし全4楽章の考えもあろう。しかし、楽器編成からすると、恐らくob.奏者2人が、fl.に持ち替えていると、私なりには思う。編成が、がらりと変るので全5楽章と、私は解釈したい。モダン楽器と違って緩徐楽章でのfl.の音色の対比が印象的。
Menuettoのtrioでは、cb.のsoloがある。ホグウッド盤では、この音色が他の楽器のバランスが良いためか、自然な感じで聴き取れる。
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2017年3月21日T.ファイ No.7を聴取。no6.と異なり、第1、4楽章は、2名のvn.奏者のsoloがある。ファイ演奏はvn.が対向配置になっているので、3度離れた旋律で演奏する個所の対比が効果的。一方、第3楽章ではvn.とvc.のsoloが聴き所。トーンキュンストラの方は、長いカデンツアの後半の方で、vc.がvn.よりも高い音域で演奏する個所。ここでは、vc.のほうが音色を引き立たせていた。一方ファイ指揮のハイデルベルク響では、2名の奏者が常に対等で演奏。
Soloを含めた楽器の配置も良いNo.6 第3楽章のtrioも同様だったがbassのsoloが左端に明確に位置。No.7のtrioも同様。しかし、全体的にファイらしい特徴は余りない印象に終始。
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2017年7月6日 鈴木秀美 盤 No.7を聴取。No.6-8は、初期の交響曲としては、soloの活躍が多いので、視覚効果が高い部類。中期から後期の交響曲にも共通する。
佐藤裕 トーンキュンストラー管のようにライブ録音で楽しみたいひとつ。こちらの方は、ライブでも録音会場は東京の朝日浜離宮ホールで、大ホールだと収容人数は525人。人数からして観客席と演奏者との距離はそれほど遠くないと思うので、CDからでもライブで、すぐ前で聴いているような音源を期待したい。しかし、No.6にも記したように、私の視聴環境では定位感と広がり間が不足気味で、ダイナミックレンジが私には狭いように聞こえるため、やや難しい。
第2楽章の短い短調のRecitativo は、木管楽器はob.のみで、fl.とfg.は登場しない。Recitativoが終わって第3楽章の明るいG-durの調性に切り替わる部分。この部分がこの曲の白眉だと思う。すなわち第3楽章は明るい調性に変わるのはもちろん、ob.ではなく、2本のfl.に変わる。しかも2本のfl.は、solo、Tuitti、音程を変えたsoliなど、弦楽器のsoloを合わせて華やかな役割となる。2本のfl.は、音域の広がりは余りないが、それでもT27の部分の様に、わずかではあるが離れた音で演奏する部分がある。この箇所などが、オリジナル楽器の特色を生かして効果的。
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|
1 |
Adagio-alleglo |
C |
有 |
|
2 |
Recitativo:adagio |
g |
無 |
|
3 |
Menuetto |
C |
無 |
|
4 |
Alleglo |
C |
有 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
20 |
8 |
夕べ |
1761 |
G |
4 |
1 |
(1) |
2 |
|
|
必要 |
A |
fl.とob.2本の同時の登場によるユニゾン効果。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
3曲目の合奏協奏曲。soloの扱い方は、同じ様な感じ。Alleglo moltoの演奏時間は短い。提示部は簡潔であるが、第1主題が巧妙に扱われている。
井上著では、moltoの主題は1759年にウイーンで初演された、クリストフ・ヴァイリバルト・グルックのオペラコミック「大騒ぎ」で歌われる「たばこの歌」である。当時、この歌はポピュラーだったようで、ハイドンがユーモラスに味をつけていると記述がある。
展開部はかなり長く音色が変わったり、擬似再現があったり。続く再現部も、管で第1主題が再現するなど聴き応えがある。ob,2本は通常の使用だが、持ち替えではなく、fl.が単独で追加になっている。ob.2本とfl.1本の3人の奏者によるsoloは聴こえないが、中後期での芽生えが感じる。
Andanteでは、2vn.、vc.以外にfg.のsoloがあるが、前の2曲よりもfg.の扱いが増えている。Menuettoでは、第1主題がfl.と弦でユニソンで演奏するのは、今まで見られなかったと思う。trioはバスのsoloは、第7番よりも長い。(fg.のsoloなし)第4楽章の描写音楽の「嵐」 では、高音域のfl.が旋律を駆け巡り、あたかもfl.協奏曲に近い。
3曲を通して聴いてみると、どうしても合奏協奏曲としての面が表に出てしまい、楽器の扱い方や音色が中心になってしまう。これ以降に交響曲として、この様なスタイルは、なくなってしまうのは、いささか残念である。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月10日とする)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月17日 ディビス盤を聴取。第1楽章はやや、ゆったりとしたテンポ。Hob−No.-6と7と同様に、cmb.は、装飾的に活躍。第3楽章Menuettoのテンポは逆に、かなり速め。逆にtrio.は、ややゆったり目で、cb.のsoloがやや即興的になっている。テンポの対比が効果的。
FinaleはHob−No.-7と同様に繰り返しがなく、速めのテンポとも相まってすっきりとした印象。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2011年3月10日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。No.6〜8の一連のシリーズを締めくくる最後の曲として、申し分のない位置づけ。
第1楽章は、fl.を中心に管楽器が至る所で活躍。第1主題はG調であるが、展開部の第1主題の擬似再現は、C調。
それに対して、第2楽章はfg.のみが参加。それ以外は弦楽器のみの編成となる。弦楽器は、第1,2、vc.の各soloがあるため、弦のパートは何と7段にも渡っている。この様な多くのパート数は、弦のみだと、後年のNo.45、Finaleぐらいしかないと思う。各弦のsoloと、soloでない部分の対比が印象的。フィッシャー盤では、cmb.が入っている。
Menuetの主部は、あくまで管楽器が主体。最初の旋律は、管と弦のユニゾンであるが、fl.が常に上の旋律を受け持つ。Menuetの後半もfl.が常に主導を取っている。Menuetは、trioでは、やはりcb.のsoloがある。ここでの特徴としては、小節数だと思う。Menuetが37小節に対して、trioの方が長く45小節もある。trioの方が長い。
Finaleは描写音楽の「嵐」の名称を持つ。6/8拍子のPrestoのテンポで最初は、vn,が8分音符を演奏。その後すぐ16分音符を引く。vn.奏者の技巧の見せ所である。しかしその後、第2vnのsoloの16分音符に引き継がれた後、vc.のsoloの16分音符。各弦のsoloが16分音符の速いパッセージで引く様子は、当時のアックsolo演奏者の技巧の高さを示している。
しかし圧巻はその後で、solo以外のbass.を含む全ての奏者が16分音符で引く。この部分では音域こそは違え、同じ旋律を引いている。(18−19、38−40小節など)ここでは、管楽器は休んでいる。エステルハージ楽団の弦楽器の奏者の技巧が、当時は高かったと推定される例だと思った。
Finaleで各楽器のsoloの箇所が多いが、vn.の奏法がフィッシャー盤では、臨場感があふれる。この後の交響曲でも時折vn.の演奏であるのだが、弓の使い方を工夫して緊張した音色になっている。(vn.の詳しい奏法は分からないが、スコアには、詳しい奏法は記載していない)全体的に、フィッシャー盤はcmb.は控えめなのであるが、珍しく装飾が多い方だと思った。交響曲ではあるが、編成の小さい奏者による協奏交響曲のスタイルは変わらない。
ドラティ盤は、少し昔のスタイルでオーソドックスな感じ。あくまで交響曲の一つとしての解釈だと思う。
一方、ディビス盤は、ドラティ盤と同等あるいは、より一層テンポを遅くしている。cmb.の音色と装飾は、ドラティ盤以上に目だっている。ライブ録音もあっては、繰り返しは採用していない箇所もある。Menuetとtrioのテンポの指定はスコアには記載がない。ディビス盤では、Menuetはまるでスケルツオ並の速いテンポで通している。その分、ゆったりとしたtrioのテンポが対照的。3者の中では、やはりフィッシャーが群を抜いていると思った。
2013年2月22日 追記。ホグウッド盤を聴取。この3部作共通するが、fl.の音色が軽やかで印象的。第2楽章のAndanteは、2人のvn.奏者となる。第2vn.は、第1vn.と比較して、左側ではあるが、中央寄り。第3楽章 trio.のcb.のsoloは、思ったより目立たない。元々、小編成で、cb.は1名のみだったのか?あるいは、使用する楽器のためか、元々、音量が小さいのか? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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2017年7月7日 鈴木秀美 盤 No.8を聴取。No.6と同様に、第1楽章で、随所でfl.のsoloが活躍。提示部では、それほど目立たないが、展開部からfl.が大きく入ってくる部分T104当たり。T104では、fl.の旋律は、冒頭と同じ様にスッタカートの指定は記載していないが、やや堅い雰囲気。T107からスラーを伴う16分音符のsoloが続く。1オクターブ高い音域の高低差が、オリジナル楽器のためか、自然なやわらかさの雰囲気。
拍子こそ違うが、第1楽章と第4楽章は共通点が多いと思う。冒頭の主題は、それぞれ、スッタカートを含む旋律。しかし提示部が進むに従って、スラー指定の流れるような16分音符の下降旋律がある。この対比が面白い。第1楽章と同様に、fl.のやわらかい雰囲気が堪能できる。 展開部と再現部の繰り返しは、原則、どの曲も採用。Finaleで、ファイ他でも繰り返しの後半で装飾などを加えるが鈴木盤でも同様。T106で管楽器は、繰り返しの後半はトリルとなっている。短い一瞬ではあるが、このトリルにより、曲の締めくくりに向けて華やかさを加えている。なお曲の最後は拍手が入っている。No.6.7と違って、拍手が入ることによりライブ録音の良さが出ていると思った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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|
1 |
Alleglo molto |
G |
有 |
|
2 |
Andante |
C |
無 |
|
3 |
Menuetto |
G |
無 |
|
4 |
Presto |
G |
有 |
|
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