音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNO.11から
アクセスカウンターページカウンタsince2011年8月15日

No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
11 A 107 1760-61 B 3 (1) 2 必要 C 終楽章のcodaがポイント
楽章の構成 調性 リ*1 Hob-No.では107番になっていたと思う交響曲。Allegloでは展開部が比較的長く休止があったりで、この当時としては聴き応えがある方。Alleglo mltoの第3楽章は、タランティラ風の主題で終始する。短いが最後にcodaがつくが、最後を締めくくるのに小気味良いアクセントなっている。例によってドラティ盤では第3楽章のsoloの演奏はなし。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月1日とする)
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2010年12月5日 ディビス盤を聴取。曲自体は通しNo.10(Hob−No.-19)と同様に、エステルハージ侯爵の赴任前のモルツィン伯爵の頃に作曲。ランクとしてはCのままで変わりなし。
 Allegloではディビスでは、hr.が、かなり大きく扱われた演奏。第3楽章も同様。ドラティ盤と異なり第3楽章では、soloが一部にある。
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改めてフィッシャー盤をスコアを見ながら聴き直す。ドラティ、ディビス盤と比較して、どの曲もテンポは比較的速いのは共通している。その中で最終楽章のcodaについて着目してみた。楽章の冒頭でテンポの指定はAlleglo mlto で記載がしてあるのは、周知の通り。それ以外に速度の指定の記載があるかどうか、チェックをしてみたが特にない。しかし最後のcoda(6小節)のところで、フィッシャー盤だけ、後半だけテンポを速めている。この部分では特にテンポの指定は書いてないし、他の2人の演奏も同じテンポで演奏をしていた。
 もともと、この第3楽章は無窮動に近い様な動きが特徴であり、vn.奏者が速いパッセージを弾きこなすのが見所ではないか?フィッシャー盤の演奏では元々のテンポが速いのに加えて、さらにテンポをアップして終わるのは、とても理に適っていると思った。

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2013年2月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のhr.のためか、かなりhr.のパートの音が目立つ。音域の制限もあると思うが、提示部では音域が高めであるのに対して、再現部は、低めの音域で終始。このあたりの違いは、ホグウッド盤でよく分かる。
第3楽章の無窮動に近い動きは、モーツァルトNo.39のfinaleの様な雰囲気。聴き始めて登場する終楽章のcodaは、ホグウッドでは、通常通りのテンポ(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月1日とする)。

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2015年2月20日 追記。ゴバーマンを聴取。Allegloの展開部や再現部で、第2vn.が掛け合いで演奏しているところは良く分かる。Finale Alleglo mlto は比較的遅めのテンポ。2つのvn.が、同じ旋律や音程で登場することもあれば、掛け合うこともあれば様々。弦楽器が前に出ているので、管楽器とのユニゾンは後退。しかしその分、弦楽器を中心に、Finaleを楽しむことができる。
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2019年2月19日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 106番 A を聴取。作曲順番だと11番目になるが、この全集ではNo.104の最後に2枚 A とBがまとめて収録されている。補足的な解釈かもしれない。(ドラティ盤などと違い、後世追加となった交響曲が最後の方に別途、収録されている)
 No.27ほどではないがob.が、かなり強調されている録音。ob.以外にfg.もbass.とのユニゾンではあるが一部強調されている。Tuittiでは、それほど違和感はないが。
 初期の交響曲はNo.6〜8を除くと、soloの箇所は余りない。中期から後期にかけてsoloの箇所が増えてるにつれて、旨く表現できるかどうか気になるところ。

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2019年10月15日 106番 A  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestra を聴取。Naxosシリーズで、過去にbaraで一部は入手していたが、3枚からなる マロン盤は未入手。 22枚目で  No.62、 107 、108 が交響曲では1枚に収録されている。この盤に関しては下記の ハイドン音盤倉庫に、演奏者の経歴を含めて、かなり細かいレビューがある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

古楽器のようで、cmb.が常時入っている。奏者はやや少ないようだ。cmb.は、やや大きめな音で中央、奥側に位置。概してテンポは遅めだが、第2楽章は逆に速め。もともと、サラリとかかれている曲の一つ思われ、全体的な印象は少ない曲のひとつ。管楽器は、必要に応じて、Tuittiを中心に入るが、あくまで補強的な役割。疾風怒濤曲の頃と違い各パートのsoloの箇所は殆どないことも影響しているが。冒頭で弦を中心とした第1主題。ここではあくまで2つのvn.パートが対等でvn.を中心にオーソドックスで登場。 再現部のT80でも、hr.がvn.と一緒に登場するが、あくまでhr.は補強的に終始。
 ドラホシュやガロワでも、柔らかい表現を特徴に記載した。マロン盤もどちらかといえば、柔らかい表現を、あくまで基調としている解釈のようだ。繰り返しは忠実に採用。第3楽章 Finaleは、冒頭にも記載したように、テンポはゆっくり目。Finaleは、明るく、流れるように進める指揮者が多いが、マロンの場合は、流れは重視しながらも、テンポや強弱は適宜行う程度。珍しくFinaleでは短いがCodaがある。
その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音量を落としている。一段落して聴き所のCodaにつないでいる雰囲気。

Alleglo B
2 Andante Es
3 Alleglo mlto B


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
12 25 1760-61 C 3 (1) 2 必要 A 第1楽章で序奏付きの最初の曲
楽章の構成 調性 通し番号を聞いて来た中で、初めて第1楽章に序奏が付いている曲。序奏も長く、短調に転じたり主部との対比がある。さらに中期の交響曲のようにも聴き取れる。通称名もないが、初めて聴く人に中期に近い曲だと紹介しても違和感は全くない。井上著では、小型の交響曲だが極めて充実しているので、1764年以降の作曲ではないかと記述。私も同じ考えである。その後、スコアを見ながら、もう一度聴き直す。序奏は23小節もありかなり長い。主部とも関係はなさそうで、曲想も変化は多少あるが、転調も少なく一貫性はあまりないかもしれない。しかしAdagioからAlleglo mltoへのテンポの変化は絶大であると思う。
 仮に、もし序奏がなかったらどうなるか?この例として、この後の作曲になるHob-No-53などは、序奏の有無による価値が大きいと思う。ただしNo.53は、テンポの変化が余りない。むしろ後期の交響曲のNo.75を取り上げたい。序奏はGraveでPrestoの主部に突入する。作曲年代は、1781年と約20年も先となってしまうが、テンポの変化を含めて序奏の威力が分かると思う。後年の序奏の効果を作曲者が実験的に取り入れているのではないか。
 ただしこれは第1楽章のみの話で、全部で3楽章を聴き通すと、他の2-3楽章は第1楽章と比較するとやや劣る。(緩徐楽章がないのが影響) それでも全体を通して聴くと、中期の作品に聴こえる。井上著の本でも、「極めて充実しているので、1764年以降の作品ではないかとの? もある」と記載があった。
 後で気付いたのだが、この第2主題は、Hob-No-1の第1楽章の第2主題と共通する点があると思った。Hob-No-1の方は、未発達に近い第2主題の様相ではあるが。一方No.25の方は、第2主題自体も少し長く'(6小節)展開部でも少し登場する。このため第2主題であるのは明白である。
 第2楽章のMenuetのtrioではvn.のピチカートや管のsoloの扱い方などは、早くも中期以降の作品の芽生えあり。(中・後期になると、Menuetのtrioでは、管・弦のsoloが、もはや定番に近くなってくる。)3者の演奏の中でフィッシャー盤は、小編成で残響が多いこともあって、とても美しい音色である。
 Prestoの主題は簡潔であるが、短いながらも飽きさせない展開に終始する。Finaleは113小節。繰り返しがあっても3分程度の演奏時間。この後のHob-No-3でも記載をしたが、やはり飽きさせない印象は変わらず。今までの評価の中ではAランクとしたい。
 なおFinaleのPrestoの主題は、飽きさせないと記述をしたがその後、全曲を聴き通してみた中で、この後に続くHob−No.-5のFinale主題と共通する部分が多い。フーガの形式までには至らないが対位法が、かなり駆使されているのも、Aランクの要因であると思う。
 ドラティ盤は序奏のテンポがやや速めなので、主部との対比がやや目立たない。また第1楽章はAdagioの表記のみ。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月2日とする)。
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2010年12月6日 ディビス盤を聴取。
第1楽章と第3楽章は、ディビス盤では、展開部と再現部の繰り返しがあるので、多少、演奏時間が長くなっている。序奏が初めての登場なのは、この聴取記録でも記載した通り。ディビス盤では作曲順に収録されているので、「初めて」の印象が強くなる。
 曲自体の構成や印象は従来の通り、Aランク。この盤でも当てはまる。soloの扱いは、フィッシャー盤とかなり近いがライブ録音のためか、soloの演奏であると思うが目立ち難い。
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2011年7月3日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。序奏が初めて登場したのは前記した。第1楽章が188小節ある中で、序奏は23小節を占めている。序奏のテンポが、ゆっくりということもあり、聴き通してみて時間的に序奏の占める割合はかなり大きい。曲想の変化と転調が少ないと前記をした。しかし注意深く聞いてみると、後年に見られる短調に行きかける転調もある。やはり序奏の占める影響は大きい。
 第2楽章Menuetの部分でフィッシャー盤では、提示部と再現部で、低弦の旋律が異なっている。
 Finaleは僅か114小節。繰り返しを含めてもフィッシャー盤で、2:57.第3楽章はfuga形式に近いこともあり、後年のユーモアのある雰囲気はない。楽器の種類が限られている中で、「凝縮」という表現がぴったりである。全てがC調になってしまうが緩徐楽章がなく3楽章。同じ調性が続いても違和感はない。
ドラティ盤でも序奏と主部のテンポの対比が余りないのは前記した通り。
2012年3月5日追記 デイビス盤では第2楽章のMenuetの終結は、フィッシャー盤と同じ。ディビス第3楽章では、ライブ録音とも相まって、管楽器の独自の旋律が聴き所。フィッシャー盤やドラティ盤では、余り気付かなかった点で、管楽器のob.の旋律が印象深い。T114のFinaleで管楽器の動きは余り注目ではなかった。
提示部では管楽器のob.とhr.は、それほど独自の動きはなし。ところが再現部になると、楽器の役割自体はそれほど差はないと思うが、各パートの中で独自の動きがある。各パートの旋律が重なることもあって、提示部と異なり勢いが増している。この当たりは、細かいところが聴き取れるからこそ分かると思った。

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2013年2月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。元々、この曲はランクが自分なりに高く評価していること。作曲年代の位置付けでは、中期に近い作風であること。最初にフィッシャー盤を聴いた演奏が強すぎている影響がある。ホグウッド盤では、小編成であり第1楽章での序奏と主部の対比が少ない。やはりフィッシャー盤には敵わない。
 第2楽章Menuet Trioでのob.が主旋律を受け持つ中、弦がピチカートで伴奏するスタイルなどは、聴き通してみて初めて登場。このあたりも、ずっと後の作品に感じさせる要因。
 Finaleは第1と第2vn.が、同じ旋律を受け持つ箇所が多い。速いテンポで、この旋律を引くことは当時ではかなりの演奏技術が要求されたであろう。もう少し後になると、(hob-No.-20番台以降)では、この様な手法がしばしば見られる。その先駆をなしているとも思った。ホグウッド盤では小編成の分、演奏技術の高さの点でも意識をさせている。 
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2017年6月21日 T ファイ盤を聴取。No.43.25.36の順番に収録されているが、No.25から聞きはじめる。下記のサイトにもレビューがある。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-395.html

ファイ盤をはじめて聴いたのが、No.40。その後、初期から後期のものを暫時、入手している段階。最近では最初期のNo.1からがある。曲自体に管楽器のsoloの箇所が少ない分、弦楽器が中心となる。vn.パートが左右に分かれているので、特に第2vn.の動きが明白。
 第1楽章の冒頭から、第1主題がvn.はユニゾンではなく、音程が3度を中心に微妙にずれているのがよく分かる。No.1と同様に第1楽章もシンコペーションのリズムは少しがあるが余り目立たない。
 2つのvn.パートの音程の差は、第3楽章の冒頭のFinaleも同様。冒頭から3度離れて主題が登場するが、その後T4からvn.は同じ音程のユニゾンで f の旋律との対比が目立つ。このFinaleは前半と後半の繰り返しは忠実に守るが、店舗は中庸なファイ盤でも113小節。演奏時間も3:45しかない。繰り返しがありながらも、シンコペーションのリズムを伴い旋律も取り入れた効果があり、力強い締めくくりがある。しかしテンポの変化、微妙な旋律の装飾はファイでも、他の曲ほど目立たないと思った。

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2018年6月29日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 25番を聴取。このCDはNo.25以外に、No.42とNo.65が収録されている。最初にNo.25を聴取。
 ごく初期の作品のひとつとされているが、井上著にも記載してあるように、かなり後に作曲されていると私は思う。第1楽章の23小節にも渡る序奏は、Adagioの指定。今まで聴いて来たCDは、このAdagioのテンポで、その後のAllegroの主部との対比が印象的と、過去に何度も記載してきた。しかしガロワの演奏は、Adagioのテンポではなく、とても速い。Allegroのテンポに近い様で、T24からの主部ののテンポの対比が、殆どないのがとても残念。

 かなり後の作品と思うポイントのひとつには、第1楽章主部の第2主題にもある。調性こそ違うが、最初の頃のひとつNo.1 第1楽章の第2主題と類似している。No.1でのこの主題は、経過的で短いもの。(T23からのわずか2小節のみ)、展開部でも、余り登場しない。一方、No.25の方はt57から)類似した主題ではあるが、展開部でも素材のひとつとして扱われる。この部分だけを比較しても、最初期の頃の交響曲とは思えないと感じる。ガロワの演奏は、第2vn.が右側に位置し、ファイ盤以上に、第2vn.との対比が明白に聴こえるのが良いと思った。
 Finaleは繰り返しを忠実に守るがPrestoのテンポを重視し、かなり速い。2:54で、一気に終わる。


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2019年2月20日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 20番を聴取。作曲順番から聴き始めて序奏が始めて入る曲。比較的長い序奏から明るい伸びのある主部に突入する対比が一番の聴き所。ここではNo.27と同様にob.が前面に殆ど出てしまう。弦楽器の細かい音、特に第1、2vn.がob.に負けてしまう。

冒頭の主題の部分。T26で2つのvn.が16分音符で演奏する箇所がある。この部分が2本のob.に負けてしまう。この動機はこの後の展開部でも活躍するので大切なものだと思う。しかし展開部T114からでもobの持続音に負けてしまい、旋律の対比が聞き取り難い。(この部分は音程の違う2つのvn.の旋律が、冒頭の主題から変形されて一番の聴き所なのだが)

 第2楽章のTrioではhr.とob.が前面に出る。その分、弦楽器群はピチカートで伴奏にすべて回る。この部分では普段は余り目立たないhr.も前に出ている。ob.も少し控えめ。弦楽器とのバランスも良好。Tuittiでなぜ、これほどob.を前面に出すのか再び疑問に思う。


Adagio Alleglo molto C
2 Menuet C
3 Presto C


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
13 11 1760-61 Es 4 (1) 2 必要 B cantabileは モーツアルトに類似
楽章の構成 調性 リ*1 第1楽章での第1主題の歌う様な旋律。第2主題も同じ歌う様な旋律で第2vn.の伴奏。Adagioのテンポ表示でcantabileが付いているか、いないかで楽章の雰囲気が異なる。まさに、このcantabileのおかげだ。まるで モーツァルトのK287 ディベルティメントの緩徐楽章を聴いている様だ。 井上太郎著「ハイドン106の交響曲を聴く」の著書によると、この第1楽章では管楽器はob.が登場してない。hr.のみが使用されている。楽器の使い方でも、cantabileの効果があると思う。
 第2-4楽章は第1楽章と比較すると、やや淡白に聴こえてしまう。全て調性がEsに統一しているので、やや聴き飽きる。
 フィッシャー盤だと、テンポがゆっくりで、全体約20分の中で、第1楽章が、半分を占めている。それに対してドラティ盤は、Adagioのテンポがやや速め。

(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月3日とする)。
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2010年12月7日 ディビス盤を聴取。第1楽章のAdagio cantabile は、ドラティ盤と同じ様に、ゆっくりめのテンポを採用。歌うようなこの雰囲気は、ドラティ盤以上にライブ録音も手伝ってか、すばらしい。その後スコアを見ながら再度、ディビス盤を聴取。第1楽章はcmb.が適宜、bass旋律以外に、装飾音を伴う。あくまでメインは第1、2vn.のcantabileの旋律が主体ではある。cmb.の装飾はvn.を引き立てる意味で聴き応えになっていると思った。
 それ以外の第2-4楽章は、月並みになってしまう。あらためて3人の演奏を聴き通してみてディビス盤が一番のお勧めとしたい。
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2011年11月19日スコアを見ながら再度、演奏を聴取。フィッシャー盤では、前回はスコアを見なかったが、今回はスコアを見ながらの聴取。デイビス盤と比較して、管楽器の音量がドラティ盤ほどではないが、余り目立たないのは、前にも記載した通り。hob-No.40番から50番代を聴き通している中で、突如Hob‐No‐11を聴くと新鮮味を感じる。
 この第1楽章のCantabileに関しては、謡う様な旋律と雰囲気がぴったりであると改めて感じる。この原因の一つには、フィッシャー盤では、編成の少なさの影響ではないか。当時のエルテルハージ楽団の編成に近いものであろう。逆に大衆を意識した40番代以降だと、この様な緩徐楽章は、既に殆ど書かれない。逆に、往年のパリからイギリス向けの多数の聴衆向けに対しては、この様なスタイルの作曲は見られない。
 また楽器編成に関しても、管楽器のob.が全く登場していないので、弦楽器が主体の編成に伴い、Cantabileの表現が引き立つ。(この当たりは、前述の井上著の本からの引用にも記載した通り)大衆向けの分かりやすい曲の面影は微塵もない典型の楽章であると再度、確認をした次第。
   その後、ドラティ盤を聴取。第1楽章のCantabileの演奏時間は、約7分。演奏時間だけで比較するのは、早計であるが、やはりフィッシャー盤と比較して目立たないのは同様。
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2012年12月31日 追記
昨日(2012年12月30日 日曜)名曲の楽しみの最終回を聴取した。その最後の方では、吉田秀和氏が愛していたモーツァルト の中で、若い頃の代表作で デベルティメント KV287 第4楽章の Adagio カラヤン指揮が放送された。このときにハイドン 交響曲でも同じ緩叙楽章の中で、同じ様な雰囲気である点を記載した。この交響曲は、どの曲であったのか、あらためて調べなおした。そうするとNo.11の第1楽章であった。奇しくも同じES調。(KV287は第1楽章は、B-durであるが、この楽章は、ES調のES-dur)
 モーツァルトの位置づけは、あくまでデベルティメントの中のひとつなので、室内楽か、あるいはもっと少ない編成で演奏されたであろう。それに対して、このNo.11の初期の交響曲での演奏者は、自前のエステルハージ楽団。人数的には、前期のモーツァルトのとは、大差はないであろう。この両者の小節数はもちろん異なる。モーツァルトの場合は、管楽器は一切、この楽章のみは入っていない。 
 ハイドンのこの楽章は、弦楽器が主体でも、他の楽器、特に第2vn.から最初に、第1主題が提示されること。他の弦楽器のパートも、それなりに、第1vn.以外にも受け持っている点などは、多少の違いはある。しかし主旋律を引く、第1vn.に対して細かく分散和音風に、ところどころ、寄り添うような第2vn.の動き。主旋律が抑揚と強弱のある第1vn.旋律。これらのみを注目しても、このNo.11の第1楽章は、あらためて共通点が多いと思った。
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2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のためか、弦の調性による曲の雰囲気が、がらりと変わる。ES調はホグウッド盤では、聴き始めて初めての登場。フラット系の調性では、通しNo.9のF調、通しNo.10のB調に続き、3回目。
 デイビス盤では、Cantabileの第1楽章でhr.がライブ録音ということもあって、効果があると思った。一方ホグウッドでは、hr.はデイビス盤ほど目立たない音量であるが逆に、これが効果的。すなわち、あくまでこの楽章では、hr.は、旋律楽器としてではなく、補強の役割を持つ。やわらかい音色が、ホグウッド盤では理に適っている。もうひとつの管楽器のob.が、全く登場していないので、なおさらhr.の役割が効果的。
  それに対して第2楽章は、調は同じでもテンポが急に速くなり、がらりと変わる雰囲気。ひとつ前の序奏付きのNo.25と似ている。こちらの方は無論、別な楽章であるがob.が初めて登場して、雰囲気の対比はより効果的。
 Menuetのtiroは弦楽器のみとなる。フィッシャー盤ではsoloとなっているが、ここでは合奏となる。ただ編成が少ないためかsoloに近い雰囲気。しかし短いfinaleは、コンパクトにまとまっていて、中期以降に見られる大掛かりなものとは対照的に楽しめる。
 ただし聴き通してみると、やはり同じES調が続くのはテンポや曲想が変わるとは言え、やや苦しいところ。
 
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2015年2月21日 追記。ゴバーマンを聴取。聴きとおしてみて、No.25をを除くと、ゆっくりとしたテンポが最初に登場する初めての曲。(ゴバーマンはNo.25は録音していない)Adagio cantabile の指定の表記から、モーツァルトのような旋律の美しさが特徴。ただしモーツァルトほど、長い旋律を繰り返して続けないように、微妙に変化していくのがハイドンの特徴ではあるが。第2vn.から登場する冒頭の主題が、第1vn.に引き継がれていく掛け合いがこの演奏では良く分かる。ただし全て繰り返しを省略しているのが残念。
 第2楽章のT104で、第2vn.から主旋律で登場し、対旋律が低い音程で第1vn.に引き継ぐ。この掛け合いも心地よい。
 おりしも、ここまで聴き通してきた中でなぜ楽器、特に第2vn.の右側の位置にこだわっていたのか? この曲を通して、初めて契機となったのは、レヴァインの演奏だ。モーツァルトの交響曲全集のレヴァインは、第2vn.が右側に配置している。現在は、セットで販売されているが、発売当初から新譜の度に購入をしていた。レヴァインは、ヴィーンフィルの演奏で録音会場もウィーン、ムジークフェラインザール。(ただしゴバーマンの音色もウィーンのコンツェルトハウスでのセッション録音)
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2018年6月18日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 11番を聴取。Adagioのゆっくりしたテンポで冒頭から第2vn.から提示されるのは新鮮。冒頭から第1vn.以外のパートから開始する例は、少しずつあるが、初期の頃には珍しい。ここでも右側の位置にあるのが効果的。
 Finale Prestoでは、シンコペーションのリズムが効果的。ここでの冒頭の主題よりもT3からの短い動機も重要。T32で二つのvn.パートが、掛け合う部分が印象的。ガロワの演奏でFinaleの演奏は繰り返しを全て含めても僅か3:15しかない。冒頭のAdagioのゆっくりしたテンポとは対照的に、速いテンポで一揆に終わるのはNo.25にも少し類似している。(No.25は長い序奏があるので少し異なるが) モダン楽器ではあるが小編成で分離感のよい録音が効果的。



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2019年2月21日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 11番を聴取。すべてES-durの同じ調性であるのは、続けて聞くと苦しいところ。No.22にも少し共通している。第1楽章は管楽器はhr.のみ。第2vn.から主題が提示されることもあり、この曲は弦楽器で特に第2vn.の存在が大きく、対向配置の効果が大きいと思う曲。
 ob.が入らないのでNo.25のときと異なりTuitiiで違和感はない。hr.はあくまで伴奏に徹している。第2楽章もob.は控えめで通常通り。 Finaleはシンコペーションのリズムが印象的。下記の P ガロワ のブログにも、メルツェンドルファー の方も良好。シンコペーションの手法は、交響曲にすべて共通することではある。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-937.html


この曲に関しては、ひとつ前の第3楽章 Menuet trio の部分で、既にシンコペーションのリズムが登場している。Finaleへの予兆のような雰囲気。 ob.の目立つ録音は全くない。バランスなどは良い。ただし緩叙楽章を中心にテープヒス音のようなものが時折ある。


Adagio cantabile Es
2 Presto Es
3 Menuet&trio Es
4 Finale、presto Es


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
14 5 1760-61 A 4 (1) 2 必要 B No.6-8の予兆、Hrのsolo
楽章の構成 調性 リ*1 初めてhr.のパートsoloが随所(特に出だしの第1主題が印象的)で聴かれる作品。hr.のsoloは4本使用の後の作品もあるが今回は2本のみ。2本でも、それぞれパートが分かれていて、hr.同士の掛け合いも印象的。むしろ4本より聴きやすいかもしれない。
 第1楽章のテンポがゆったりとしたテンポと相まって、有名な45番の最終楽章Adagioのcodaの雰囲気にも似ている。調性は全てAであるが、全てテンポが異なりsoloが随所にあって合奏協奏曲に近い。初期作品のNo.6-8をピークとすれば、この前段階や予兆を思わせる特徴を持つ通しNo. 7(hob. No.10)で初めて、合奏協奏曲が登場したと書いた。No.6-8に向けて、hob No. 10に向けての2番目の曲に位置していると思う。
 Prestoの演奏時間は短いが速いテンポながらも、中期以降の少しユーモアや遊び心が漂う。この交響曲で初めて、はっきり聴き取れると思う。もう少しPresto演奏時間が長くなったら、さらにランクを上げたい。
なお全体の楽章の並び方は第1楽章に、緩徐楽章が来ている。中期から後期では楽章の並び方が固定していく中、作曲者は、いろいろと先人の一つ前のNo.11と同様に、研究を重ねたに違いない。中野著や井上著では、この順番を教会ソナタ形式と表現をしている。
 ドラティ盤では、第2-4楽章のsoloの演奏はなし。フィッシャー盤との差は、余りないと思う。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月4日とする)。
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2010年12月7日 ディビス盤を聴取。Allegli ma non tropo の第1楽章は、2本のhr.が活躍するが、この演奏でも、かなり目立つ。この後に続くNo.6-8のシリーズの予感をさせる。
 ディビス盤では、soloの扱いはフィッシャー盤ほどはないが、細かく聴いてみると、Menuetの経過部でも「チラリ」とvn.のsoloが聴き取れたりする。trio.では初めて、管楽器を主体としたsolo.の音色(弦はピチカート奏法)の手法は、後年の先駆けとなっている。A調が続いても、何度聴いてもテンポの変化が全て異なるのも魅力は大きい。意外な発見がある点からもBランクは変わらず。
(追記)
 ディビス盤を再度に聴取。フィッシャー盤ほど、vn.のsoloの箇所は、やはり少ない。 しかしながら、全集版の収録順番に、再度、敬服した。というのも、作曲順番通りに、聴いていくと、この曲は、Hob-No-6〜8シリーズの後になる。しかし、私は、Hob-No-6〜8シリーズの前段にあったと、解釈したい。(1761年作曲以前)もし前段の作曲であれば、イタリア風の雰囲気をこの交響曲を通じて試していたのではないか?ここまで聴いてきた中で、イタリア風の跳躍し休止、強弱のある雰囲気の作品はまだ接していない。前段として作曲したのであれば、理に適っていると思う。その点からも、作曲された順番に収録されているのも、納得がいく。また、作曲された順番に聴いて行く楽しみでもあると、再度思った。
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その後スコアをみながら、ドラティ盤とフィッシャー盤を再度、聴取をする。フィッシャー盤は、随所に管楽器のsolo、soliの指定箇所は元より、第1、2vn.も必要に応じて、soloの箇所があることを再度確認する。Hob-No-10にも記載をしたが、この後のHob-No-6〜8シリーズの予見をさせる点では変わりなし。Hob-No-6〜8は、イタリア風の協奏交響曲を連想させる。ハイドンは、エルテルハージ候が当時はイタリア風に興味を持っていたことから、必要に応じて、イタリア風を作曲に取り入れていたらしい。
 そのためか、第2楽章の跳躍や休止を挟む快活な雰囲気は、いかにもイタリア風の雰囲気が漂っている。第2−4楽章にかけては、第1楽章以上にvn.のsoloが協奏交響曲の雰囲気を味わうには欲しい所。フィッシャー盤は見事に応えている。
 それに対して、ドラティ盤は、やはりvn.のsoloの箇所が物足りない。A調が続くのは心苦しい点もあるが、テンポの変化は見事。

2012年3月20日追記 ディビス盤を聴取。No.6-8の予兆を感じさせると記載をしたが、この根拠は、管楽器を中心としたsoloの活躍にある。ディビス盤ではライブ録音とも相まって、管楽器を中心とした音色が、うまく聴き取れている。
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2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。通しNo.順に聴きくと、No.11に続いて、共通するところと逆に違いが楽しめる。楽章数は同じで、最初に緩徐楽章が入っているのは同じ。ただし調が異なることと、hr.が活躍する点は異なる。
 No.11の緩徐楽章は、hr.は、伴奏に徹していたが、ここではsoliの記述があるように、旋律楽器を受け持つ。ホグウッド盤では、高音域のhr.の音色が効果的。ob.は伴奏のみに徹している。フィッシャー盤では、第2楽章などは合奏協奏曲風に随所にsoloがあるが、ホグウッド盤ではなし。
 Menuetのtrioでは、第1楽章で活躍したhr.が、ここでも登場。ob.はsoloとなっていて実質、旋律楽器としては、2人のhr.と1人のob.で計3人。tiroの由来に当てはまる。短いFinaleは、わずか69小節。前半と後半の繰り返しがあっても、演奏時間はせいぜい2分程度。しかしコンパクトにまとまっている。
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2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。緩除楽章から始まるのは、No.11とも共通だが、hr.が活躍。しかし弦楽器が中心でhr.はは余り目立たない。FinaleのPrestoの第2vn.の対旋律も良く聴き取れる。
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2017年5月27日 T ファイ No.5 を聴取。初期の交響曲から聞き始めると調がAに変わり4楽章の構成となる。No.14までは、hr.のsolo(2名なのでsoli)の活躍が入る。この曲の聴き所として、hr.の活躍を記載した。ファイの演奏では、思ったよりhr.は全体的に控えめ。また、自分なりのこの曲のひとつとしてコンチェルトグロッソの雰囲気でNo.6〜8の予兆と記載した。最初に聞き始めたフィッシャー盤で、第2楽章のT32からvn.をsoloで引いている。この部分を例にあげたが、ファイ盤では、soloではなく通常のvn.パート。このため、コンチェルトグロッソ風の雰囲気は余りない。



No.1,4に、何度もシンコペーションについて記載をしてきた。第2楽章のT9からも登場。この動機は、他の箇所でも登場し、冒頭の跳躍するようなテンポあるリズムの動機と対照的。
 4つの楽章が全てA調のため、楽章ごとの調性の変化は難しい。(このあたりは、hob-No.-22のも共通している)しかしテンポの変化は全て違うので飽きさせない。
 特にfinaleはくりかえしを含めてもわずか65小節でファイの演奏時間でも1:27.冒頭主題のvn.の対向配置を生かして、第2vn.の対旋律が生きる。Finaleは短いが、中期から後期に匹敵する、無駄を極端に省いたFinaleにより、短い曲でも充実感が一杯。
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2017年12月23日 G Herbig No.5を聴取。第1楽章は、2本のhr.のsoliの箇所(大半は、同じ旋律を受け持っていない)が聴き所のひとつであるが、それほど目立たず。hr.は右側の奥の方へ位置。第3楽章 Menuet のTrioの部分でob.とhr.が活躍するが、ここでもhr.は目立たず。通して聴くに、印象は余りない。
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2018年2月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.5を聴取。今回のCDはNo.1から5まで収録されているが、作曲順番で聞いているため3番目にあたる。4楽章形式で初めて。テンポこそ変わるが全てがA調であるため、通して聴くと、少し辛い思いがある。第1楽章はAdagio ma non tropo のゆっくりしたテンポ。6小節目にhr.のsoliがある。この部分でhr.の実音が低い。恐らく1オクターブ低いのではないかと思った。今までの奏者はここでは、hr.の音がかなり高く目立っていた。ガロワの演奏では、実音が低いので、hr.が目立たないことはないが、落ちついた印象。キーワードの「レガート」にも通ずる雰囲気。この楽章は、全て、実音は低いままで通している。
一方、他の楽章でも、低い実音が続いていると思ったが異なるようだ。第3楽章 Menutet 中間部trioの部分。ob.とhr.が活躍する。冒頭の出だしの音程は、第1楽章のT6と同じ。ここでは明らかに高い音。弦の伴奏を伴ってhr.が明るく目立つ。
59小節しかない短いfinale。対向配置で第2vn.の対旋律が効果的。
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2019年2月22日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 5番を聴取。No.11から引き続いて聴取すると、同じ調性が4楽章連続して続く点は共通。第1楽章の冒頭のhr.は右側に並んで位置しそれほど目立たず。
なお、CD自体のソフトの影響かもしれないが、第3,4楽章で音飛びが一部あり、旨く再生できない箇所があった。

Adagio ma non troppo A
2 Alleglo A
3 Minuet A
4 Presto A


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
15 32 1760-61 C 4 (1) 2 2 必要? D 曲順に応じた入れ替え
楽章の構成 調性 リ*1 C調でtrp.とtimp.もセットで入ることもあり、祝典的な雰囲気な交響曲。全般的には大味な印象を受ける。ハイドンだけには限らないが、曲の調によるイメージや影響は大きい。それに伴い、楽器編成もさらに曲全体に影響が加わる。第3楽章にAdagioのゆったりとしたテンポを持ってきているが、第1と第3,4楽章のテンポが速いので、うまく組み合わさっている。
 ドラティ盤は、両端の第1、4楽章は編成が大きい分、スケールの大きい。Adagioのcmb.が良く聴こえることで、逆に花を添えている。通して聴くとこちらの方に軍配が上がると思った。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月5日とする)。
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2011年3月6日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-No.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じてMenuetは入れ替わっているのは聴き所、ポイントに記載した通り。
 第1楽章では、trp.がリズムの補強に近い扱いではあるが単独で旋律を持っている。これは、Hob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いが、trp.とtimp.は元より管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetではフル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。
 もし、Hob-Noの通りに聴いてみたら、続きで次の33番もC調で似た様な雰囲気。2曲を通して聴いてみると、さらに辛いかもしれない。全体を聴き通してみては、評価はDのままで良いと思った。
 フィッシャー盤では、例によって、弦のみが受け持つtrioでは、各弦のsoloとなっている。弦の編成が少ない分、trp.とtimpがその分目立つ。cmb.の使用はなし。特に、第2楽章のMenuetは、c調のtrioが全てsoloになっているので、音色の対比が効果的。全4楽章を通して評価の点では余り高くはないと思う。
 しかし第3楽章Adagioはvn.は弱音器を使用しないものの、各弦がしっとりと聴かせてくれる。後年の弱音器の音色に関しては、好みが分かれるところではある。比較的小さいホール(エステルハージ宮殿よりもさらに小さい規模)の面積と編成を考慮すると、わざわざ、弱音器を使用しなくても、かなりの音色の対比があると思う。特に、フィッシャー盤は、編成が少ない分、この対比が目だって良いと思った。
 作曲年代はエステルハージ候に就任する前と思うので、ディビス盤ではまだ4枚目のCD。この後の5枚目からが、エステルハージ副楽長就任シリーズになっている。第2楽章のtrioでは、cmb.がストップ効果を使用しているかもしれない。
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2010年12月8日 ディビス盤を聴取。C調でtrp.とtimpが入っているのは、通しNo.2(Hob−No.-37)とも共通。ただし、こちらは、楽章数は4と増えている。
 第3楽章でcmb.の音量は、フィッシャー盤とドラティ盤との中間。管楽器が全て休むので、低弦を含む各弦のパートの細かい動きとcmb.の対比が美しい。ただしcmb.はユニゾンに徹している。しかしながら、全体を通して聴いてみても印象は平凡に終始する。.
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2011年3月6日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じて、Menuetは入れ替わっているのは、聴き所、ポイントに記載した通り。
 第1楽章ではtrp.がリズムの補強に近い扱いではあるが、単独で旋律を持っている。これは、Hob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いがtrp.とtimp.は元より、管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetでは、フル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。

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2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。作曲の通し順番から聴き始めると、timp.とtrp.が初めて登場。trp.は中央よりやや右側に位置するか?第1と第2楽章までは、楽器数が多かったが、第3楽章は、一転、弦楽器のみ。スコアでは、各パートに強弱の細かい記述が書かれている。後半ではtenutoの記載もあり。元々、評価を下げていることもあり、全体的にホグウッド盤でも印象が余りなくコメントも少ない。しかしながら第3楽章の雰囲気は、それ以外の3楽章と対比的なのは、記述に価すると思った。
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2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。No.37と似た雰囲気でtrp.とtimp,が入る。No.48の交響曲を先取りした雰囲気。Alleglo moltoの第1楽章は、No.37と違って、2つのvn.パートが同じ音程あるいは、時には分かれて自由自在に動き回る雰囲気が特徴。ゴバーマン盤では、この特徴をよく活かしている。第3楽章のT34の冒頭で、第2vn.から第1vn.に受け継がれていく部分などは、配置を旨く活かしている。T65のフェルマータでは、余り目立たないが、cmb.の装飾が入る。概して遅めのテンポで、前半、後半の繰り返しはないが違和感はなし。曲の評価はDとしているが。ゴバーマンを聴くと、ランクを上げたくなる。

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2019年2月23日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 32番を聴取。ハイドンの交響曲は最初の出だしの動機で決まると思う。No.25で長い序奏を経た後、主題の切れ(vn.の16分音符の短い動機)がob.に消されて不明瞭なことを記載した。この曲は序奏はないが、冒頭から旋律が一斉に登場する。今後の展開していくのは、主に8分音符を中心とした細かい箇所が多い。このため冒頭の2つのvn.の8分音符の切れがポイントになると思っている。No.25では、こういった箇所がob.に埋もれてしまって聴こえ難いと予測していた。しかしこの曲では、vn.の4分音符の動機が強調されているので分かりやすい。trp.が時折、補強的に入るが余り目立たないものの違和感はなし。

 弦のみで演奏する緩叙楽章の第3楽章。提示部の繰り返しを採用。繰り返しの後半は、S ラトルのような装飾はないが、後半は冒頭から音量を少し落とすなど微妙な違いがある。初期の交響曲で緩叙楽章は弦のみが大半だが、今まで聴いて来た中で弦の各パートが、少しずつ対位法的に独自の動きが少しずつ多くなってくる。メルツェンドルファーでも各パートの動きは良く分かる。録音も良好の方。
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2019年8月3日 33番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。HOB 番号順だとC調が続くことになる。No.33もNo.32と類似した雰囲気で少し、聞き苦しいところ。
 一番、面白いのはFinale。ホッグウッド盤では、Finaleでの強弱、音色、などの対比がhr.を含めて、興味深いことを記載した。ブリュール盤では、取り立てて特徴が少ない印象。

Alleglo molto C
2 Menuet C
3 Adagio ma non troppo F
4 Finale Presto C



No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
16 15 1761 D 4 (1) 2 必要? C ピチカートの効果
楽章の構成 調性 リ*1  第1楽章は3部形式の様。最初の第1主題は、主旋律はvn.であるが、伴奏の低弦がピチカート。曲の出始めからピチカートに会うとベートーベンの第1交響曲にも似ているかもしれない。 各楽章で、soloのパートが多くあるが、ビオラ(va.)とチェロ(vc.)のパートが第2楽章のtrioで長く掛け合いで聴ける。音色の工夫のために、楽器のsoloを今までよりもパターンを変えている。
 曲全体の構成は、一つ前のHob−No.-32と類似。第1楽章の形式が、今までのソナタ形式でない純然たる3部形式。第2楽章のMenuetのtrio.の部分が長く、管楽器が休んでいる点などは、今までにない手法。 →聴きと通しみて、過去にはあった手法である。 Finaleは中間部に短調を挟むが、かなり長い。
 全体を通して聴いてみると、細かい点まで新たな発見がある曲。ランクはCで変わらず。.井上著では、この交響曲ではハイドンは、これまでの交響曲の定型を壊そうとしたのではないか?との記述がある。この表現は、作曲順に聴いて見ると的を得ている。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月6日とする)。
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2010年12月8日 ディビス盤を聴取。各パートにsoloが多くある点から、この頃よりモルツィン侯爵からエステルハージ侯爵の副楽長に就任した一番最初の曲になると推定。ディビス盤でも、この曲からエステルハージ副楽長としての作曲のCDに入っている。
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2011年3月7日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。最初のAdagioは33小節。その後のPrestoは77小節。帰ってくるAdagioは18小節。中間のPrestoは純然たるソナタ形式で、提示、展開、再現部が、きれいに並んでいる。第1楽章の構成からして、今までにない形式。中期の頃の交響曲でも、楽章によって最初の頃の部分が回帰してくる曲もあったと記憶。その先駆をなすための実験策でなかったか。なお、モーツァルトのイタリア風の交響曲でも似たような形式はあるが。
 第2楽章のMenuetでtrioは弦のみ。フィッシャー盤ではtrioの部分は例によってsoloになっている。この交響曲の最初に記載した通り、この点はひとつ前のHob-No-32に通じる所を再度、確認。
 第3楽章のAndanteも、弦のみでの演奏。この点も一つ前のHob-No-32と共通。随所で、低弦は独自の動きがあり、vn.と旨くやりとりをしている。
 Finaleは作曲者はPrestoの指示をしているが、フィッシャー盤では、これよりも遅いテンポを取っている。中間部の短調の部分でもテンポの指定はないが、3/8拍子。最後の短いcodaがあるが、聴けば聴くほど、意外な発見があり、ランクはCで良いと思った。  
 ドラティ盤での違いは、第1楽章のPrestoでのテンポの速さ。第2楽章のtrioのsoloの扱い。(フィッシャー盤では、しばしばだが、ドラティは珍しい)FinaleのPrestoの指示は忠実に守っている。
 ディビス盤では、trioの部分は、vc.のsoloのみとしている。スコアを見ると、vc.はsoloの記述はないが、明らかに高音の記号で記譜してある。作曲者は高音部でのvc.のsoloを要求したのであろう。Andanteのテンポは速めであるが、録音の良さもあってか、細かい音まで聞き取れる。Finaleのテンポは、フィッシャーとドラティの中間。
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2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取
第1楽章のAdagioでは、ピチカートの効果を聴き所で記載をした。それに伴って、第1vn.の旋律が引き立たせる。このvn.の動きは、手持ちのスコアでは、単旋律のみであるが、ホグウッド盤では、さらにパートに分かれているように聴こえる。その分、小編成でも、各パートの細かい音が聴こえる例なのかもしれない。
 Menuetのtrioは弦楽器のみであるが、珍しくva.とvc.が旋律を受け持つ。両者は同じ音域であるが、ここでは、vc.が普段よりも高い記譜記号で書かれていて、vc.の方が目立つ。
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2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。
曲の聴き所のポイントとしてAdagio(後半にも回帰)をあげたが、va.以下の低弦のピチカートが効果的。この部分では、普段は目立たないcmb.が、かなり大きく左側にピックアップ。第2楽章のTrioでbassは、soloあるいは、奏者を減らているか? 繰り返しの指定がない短いFinaleのテンポは中庸。
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2019年2月24日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 15番を聴取。繰り返しの箇所が少なく、形式も今までと異なり実験的な新たな展開という感じのひとつ。第1楽章の冒頭から弦のピチカートなど斬新な雰囲気。メルツェンドルファー ではピチカートの部分は、たとえ伴奏の部分であっても低弦を含めてかなり目立たせている解釈。その後のhr.(右側)も控えめに位置。
 第2楽章 Menuet trio の部分で、vc.とbass.が聴き通してみて初めて分離の部分が登場する。ここではva.も独自の動きがある。vc.は中央、やや右よりに位置。bass.との分離もよく分かる。録音も良好。

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2019年10月22日 15番  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。井上著にも記載があるように、独創的なところが多く、どちらかといえば、通好みの曲のひとつ。第1楽章は通常は繰り返しの箇所が多いが、この曲に関しては繰り返しはない。緩叙楽章も入れ替わり第3楽章になっている。冒頭の16分音符の動機。2つのvn.で最初は提示。この楽章は、すべて弦楽器のみで構成。弦の各パートの受け渡しなどがポイントのひとつ。T6の部分で低弦のみがこの動機を受け持つことになる。この部分でも、あくまで柔らかく表現。

AdagioーPrestoーAdagio D
2 Menuet&trio D
3 Andante G
Finale D


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
17 3 1761 G 4 (1) 2 必要 B 短いながらもカノン風の力強いFinale
楽章の構成 調性 リ*1 旧番号順の通りに聞いていったら、第2番と第3番の差が歴然とあるのに、びっくりするのに違いない。作曲順に聴いているので、2曲の差があるのは理解済みである。実際、約2−4年の差があるが、楽章数、楽器のsoloの扱い方や音色、展開部の処理などは、驚くほどに進歩が見られる。
 たとえば楽器の扱い方では、第1楽章の第2主題が第2vn.で提示される。Menuetのtrioでは、弦楽器や管のsoloが聴こえる。第1楽章の展開部では、第1主題が擬似再現の様に登場する。これらをとっても、もう中期以降の作品に近いところに来ている。
 圧巻は第4楽章。フィッシャー盤では時間は2分にも満たない。第1主題は モーツァルトの第41番、Finaleのフーガにも似ている。実際カノン風の主題が、息を継ぐ間もないように、一気に終わってしまう。Breveの表示の様に生き生きとしている。 「Finaleがもう少し長ければ」と惜しまれる。もう少し長かったら、第25番を追い抜いていたかもしれないぐらい、立派な作品に聴こえる。
 井上著でも、この交響曲の細かい点まで聴き所が多い点の記述あり。特に展開部で、第1と第2vn.が掛け合いながら、調性が属調、主調、下属調へめまぐるしく変わっていくのは、後年に良く用いられる手法が記載がある。古典派の技法を完璧に身に付けたと表現があるが、ぴったりである。
 実際、中期以降は、展開部の労作が作曲者の真骨頂であると私は思う。特に調性の変化は、この究極であると思うが、早くもこの交響曲で兆しがあった点は見逃せない。冒頭にNo.2とNo.3との差について。soloの扱い一つをとっても、作曲年代がエステルハージ侯爵の時代に明らかに入ったため、soloにも活躍を求めたのではないか。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月7日とする)。
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2010年12月13日 ディビス盤を聴取。第3楽章のMenuetでは、ob.の音がある程度大きく、vn.と同じユニゾンで終始演奏している。ユニゾンの効果が今までの2者の演奏よりもはっきり聴こえる。trioではhr,とob.をvn.以上に目立たせている。このあたりはライブ録音のメリットが現れていると思う。
 Finaleの主題は、第1楽章の主題と明らかに似ている点がある。しかしテンポは大差はないが、カノン風の形式が短いながらも堂々としていて、第1楽章の2番煎じの様な印象は微塵も感じさせない1桁の初期の交響曲としては、やはり聴き応えがある。
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2011年3月8日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。スコアを見て、意外な発見があったのは、まずは第1楽章。展開部で第1、2vn.が、掛け合いながらの転調を繰り返す。
 次に第3楽章のMenuetのtrioの部分。ob.とhr.にsoliの指示が記載してある。中後期にかけては、tiro、の弦や管での指示は普通になっているが、早くも、Hob-No-3の時点で取り入れてある。フィッシャー盤では、このsoliの指定を重視するためもあるのか、当然の如くこの後に各弦の旋律もsoloで演奏している。
 第4楽章のFinaleは、どの演奏も2分前後ではあるが、単一主題でありながら、各パートが全て、主旋律を受け持っている。Finaleの主題は、第1楽章の主題と大きな変化はない様だ。しかし、ほぼ同じテンポでありながらも、第1楽章とは、がらりと印象は異なる。この原因は、やはりフーガ形式によると思う。楽章の終わりに行くに従って、クレッシェンドなどの強弱の指定はスコアには記載がしていない。曲の終わりに向けて盛り上がる雰囲気の原因は、低弦とhr.の長い持続音の影響か?  3者のどの指揮者も、この短いが凝縮したFinaleを感動的に締めくくるのは、敬服するばかりである。
 ドラティ盤では最初からcmb.が入っているが、第2楽章では装飾的な箇所が多くなる。聴き通してみて、やはり凝縮されたFinaleが一番の聴き所である点は変わらず。3者の中では、やはりフィッシャー盤を推薦したい。小編成でありながらもダイナミックな音量の差が一番、目立つ点からを取るため。

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2011年12月31日 追加記載  FinaleのFugaについて。このFugaに偉大さには、過去にも記載をした。当初は、このハイドンがFugaの技法を広めた一人だと私なりに考えていた。
 しかし最近、読んだ  石多著 「交響曲の生涯」によると事情が違うようだ。これによれば、そもそもフランス風の序曲では、Fugaが使われることが原則だった。これにともない、その影響を受けた交響曲も多くあった。音楽様式の主流がホモホニックなっていく18世紀中葉から後半に、その独特な効果を狙ってFugaが用いられた交響曲は多数ある。
 ウイーン前古典派のヴァーゲンザイルは、1746年以前に採用していた記述がある。
 これを参考にすると既にFuga形式は、ハイドンが最初ではないかもしれない。しかし聴き通して行く中、初めてのFuga形式には敬服するばかりである。
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2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の緩徐楽章では、この頃に見られる弦楽器のみ。ホグウッド盤では、最終楽章のFinaleでは、テンポが速め。
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2015年2月18日  ゴバーマン盤を聴取。緩除楽章では、cmb.が大きめに入っている。呼応する第2vn.の旋律が目だって好みに合う。FinaleのfugaでT115で、第2vn.が主題の上がっていく音程が鮮明に聴こえてくるので、ランクがBであることを改めて認識。
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2018年2月26日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.3を聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」の中で、この第1楽章の展開部の充実について記載がしてあった。短いながらも、提示部で調性やニュアンスの異なる動機が様々に提示され、展開部でもこれが活用されている。冒頭のガロワの第1主題は、第1,2vn.の旋律をあくまでレガート風に引いている。その後、この動機が、T10では歯切れの良いリズムに受け継がれて行くのと対照的。その後、各動機や主題が登場するが、2つのvn.パートを中心に展開されていく。T2では低弦が対旋律の4分音符で連続し引いている。一方T11からは低弦は、4分休符を挟むので、弦のパートで切れるようなリズム感が増しているのが良く分かる

このFinaleはフーガ形式で繰り返しがない。冒頭の第1主題の動機は第2vn.の対旋律を伴う。少し詳しく見てみると、第1楽章の冒頭主題と、第4楽章のFinaleの主題が似通っているようだ。Finaleは僅か132小節で繰り返しはない。ガロワのテンポは中庸で演奏時間は1:57.直ぐに終わってしまうが、弦を中心とした各パートは明瞭に聴き取れる。
 ガロワのこの4曲を聴きとおしてみて、レガートがキーワードになる。レガートでも曲によっては、微妙にことなるようだ。編成はモダンだが奏者もかなり少ない。小編成ではなく、適度な距離感がある。Tuittiでは管楽器は、やや音が少なめな分、右側の第2vn.のパートがわかれていて、弦の各パートが素直に聴こえているのがありがたい。特に第5番 第1楽章のhr を低くしている解釈は独特で、初期の交響曲意外にも聞いてみたいと思った。
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2019年2月25日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 3番を聴取。作曲順番で聴いていく中では、有名なNo.6〜8の3曲のセットの直前に当たる。エステルハージ楽団の頃になると推定されsoloの箇所が、かなり入ってくる。Finaleのfuga形式は短いが、聴き応えがあるのは他の指揮者でも記載した。この演奏でも同様。奏者の数は中規模だと思うが。繰り返しのない中、終わりの方でT 115からのvc.とbass.の長い持続音もダイナミックレンジが余り広くない録音ではあるが迫力は十分。

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21019年12月20日 3番 ジョヴァンニ・アントニーニ(Giovani Antonini)指揮のバーゼル室内管弦楽団を聴取。ハイドン音盤倉庫にも好演と記載されている。(下記のブログ)2019年12月の時点で第7集まで発売されている。その内、現在の自分のブログでは、第1〜3集までは聴取済み。音盤倉庫では、この第6集の一つ前の第5集からオケが変わっているとある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1689.html


第1〜3集と比較してオケが変わっているが、私にはその差は分からない。前のオケと同様に、奏者の氏名と使用楽器の履歴が詳細に記載されている。弦の奏者数は下記の通り。
6:5:4:3:2

音盤倉庫のレビューにも記載されているが、 冒頭から古楽器を生かして「キレ」の良い演奏が展開。初期の交響曲だが、No.6〜8の頃の直前に位置する。初期でもかなり年代が経過している曲の一つ。打楽器群は入れないが4楽章形式でバランスが取れている典型。

自分なりにランクを上げている曲で、Finaleのfugaに向けて、書かれている特徴と記載した。T27から f で 音量を上げていき、T27でhr.と低弦を含めて新たな旋律が登場する。ここまでどちらかといえばhr.は余り活躍してこなかった。T27で低弦とともにhr.が入り、あたかも打楽器が入るように音の厚みが加わるのが印象的。

このシリーズは、ライナーノートの写真も興味深い。今回の写真家は、Abbas となっている。下記のmagnum photo のホームページにも記載がある。詳しくは見ていないが、白黒写真が得意で宗教関係の作品が多いようだ。ジャケットの作品にもキリスト関係に由来した作品が多く、関連付けもよいと思った。現在第4.5集はまだ入手していないが。第1から3集を見る限り、ジャケットの表紙はカラーが多い。しかしこの第6集に関しては、著者の近影以外は、すべて白黒写真もうなずける。


Alleglo G
2 Andante moderate
3 Menuet G
4 Alla Breve G


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
18 6 1761 D 4 1 (1) 2 必要 A 合奏協奏曲。全てのパートのsoloあり。
楽章の構成 調性 リ*1 音楽の友社 名曲解説全集の第1巻 交響曲の中で、ハイドンの記述を見ると交響曲の初期の作品の中では、旧第1番の次に、この第6-8番シリーズが来る。(補巻を含む) この本に掲載されてる様に、昔から初期の作品の中では知名度が高い。これによると自筆楽譜には第7番の「昼」のみだったらしいが、朝 、昼、晩の3部作として、この第6番も知られていたらしい。フランス語で”Le Matin"と記載がされている。 フランス語の表記のように、ディベルティメントやセレナード風の貴族的な雰囲気もある。交響曲というようりも、ビバルディの四季の様に、合奏協奏曲に近い。
 「朝」、「昼」「晩」の命名については、最新名曲解説全集によると、エステルハージ侯爵自身の指示により、ハイドン自身が命名。通称名の交響曲はあるが、ハイドン自身が命名した交響曲は数が少ない。しかしこれは作曲者自身が命名したことは明らかな一つ。副楽長を就任した折に、最初の頃に作曲者自身が楽団員と侯爵の両者に華やかに売り込みを図った、3セットの交響曲との位置づけと考える。
 Dの調性で終始、華やかに終始する。コントラバス?(通してからの聴き始めで最初の登場)を含む、全ての楽器のsoloがある。(名曲解説全集ではvc.と記載があるがcb.ではないかと思う)特に第3楽章trioでは、fg.とvc.のsoloが珍しい。フィッシャー盤は随所にsoloがあり、Tuittiとの対比が良い。特に、初のAdagioの部分でsoloから始まりながら、クレッシェンドしていく部分はいかにも、「朝」の名称の様に、日の出の様な雰囲気である。 
 名曲解説全集では、第1楽章のAleglo第1主題の楽器については、単にfl.による提示と書いてある。井上著の本でも同様であるが、fl.が単独で第1主題を提示するのは、極めてまれな例であると思う。正確な記憶はないが、これに似た手法としては、晩年のHob−No.-101 の第1楽章 第1主題ぐらいではないか? 早くも後の手法に結びつく点が登場する。
 それに対して、ドラティ盤は、soloの対比が少なくステレオ間の広がりが、やや少ない。その分Tuittiでは、ダイナミックに聴こえる。この6-8番シリーズは、他にも録音が多いと思うが、敢えてこの2種にとどめる。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月8日とする)
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2010年12月14日 ディビス盤を聴取。 聴き始めてfl.が登場。Adagioの序奏は、フィッシャー、ドラティ盤以上に特に最初がゆっくり。Allegoloでの提示部と展開部ー再現部の繰り返しがない。もともと楽器編成からして、solo.の箇所は多い。しかし繰り返しのない分、協奏交響曲のスタイルにより一層近い雰囲気になる。
 第2楽章のvn.のsoloでは、装飾音を多く取り入れている。特に、Menuetのtrioでは、cb.のsoloがfg.とともに目だっている。(録音の場所からして、かなり右端に位置する。cb.と推測)
 Finaleもcmb.が通奏低音としての楽器ではなく、装飾音を交えながら華やかにsolo.に近く活躍をしている。エステルハージ候の自前のオーケストラの団員に、各soloをアピールするために、副楽長就任の最初の頃としての名曲の一つ。フランス語の「朝」と言う明るい雰囲気はあるが、あくまで全曲の中で明るい雰囲気の一つの交響曲の様な位置づけ。録音は弦のプルト数は多いと思うが、ライブ録音とあってか管楽器のsoloがフィッシャー盤以上に目だっている。目立つ分フィッシャー盤と同等の聴き応えのあるランクとしたい。
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2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。エステルハージ楽団のsoloの活躍を取り上げるための交響曲が明白に感じられる。作曲順番で聴いて来た場合、fl.が初めて登場。
 第2楽章は、緩徐楽章で13小節のAndanteの序奏の後、88小節のAndanteの主部。主部では、vn.とvc.のsoloがあり、提示部と展開部〜再現部へ続く。12小節のAdagioの終結部で終わっている。
 第3楽章のMenuetのtrio。の部分は、cb.を中心としたsoloがある。フィッシャー盤では、fg.とcb.のsoloを引き立てるために、他の弦楽器は、ピチカートでしかも、かなり弱く伴奏に徹している。
 ドラティ盤では演奏者の欄で、vn.とvc.のパート名が記載されているが、cb.の演奏者は記載されていない。(No.7,8には記載されているのとは対象的) フィッシャー盤と違って常時cmb.が入っている。第1楽章の展開部では独自の動き。
 協奏交響曲の視点が大きいのは、楽器の音色でsoloあるいは、soli 同士が重なる点も大きい。初期から後期にかけて楽器のsoloやsoliの箇所は、この前後も時折あるが、各楽器同士が重なることは余りない。協奏交響曲では、しばしば用いられると思う手法である。No.6-8シリーズもこの点に当てはまる。
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2013年2月15日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴き通してみて初めて、fl.が登場。古楽器のため、音量がやや小さい分、弦とのバランスがよいと思う。各弦パートで、soloとして初めて登場。ディベルティメントやセレナード風の位置づけとしての記述をした。この例として、第2楽章がある。最初のAdagioでは、vn.soloが小手調べ風に、soloを開始してから、主部に入る点などは、今までになかった手法。
 Menueのtrioでは、va.のsoloもある。ここではsolo指定となっていることから、va.奏者は2人以上だったのか?この疑問は、vc.やcb.にも当てはまるが。ホグウッド盤では、今まで3者の演奏を聴いてきた中で、テンポは大差がない。ただ音色の点で、細かい音がが聴きやすい分、ダイナミックの差は不足と感じる。今後は、曲自体の規模が大きくなり、楽器編成も増えて来ることが多い。この点についての、気になるところ。
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2015年2月22日  ゴバーマン盤を聴取。作曲順から聞き通して、初めてfl.が入る。協奏交響曲のスタイルで、soloがいたるところに活躍することを重視してか、録音が、従来と全く異なり、管楽器がやや近めに、しかも広い配置となっている。特にfl.はかなり左側。第2楽章から初めてsolo vn.が登場するが、こちらもかなり左側に位置。T23からのvc.もかなり右側に位置。単独あるいは、スポットでこの曲を聴くのなら、それほど違和感がないかもしれない。しかし聴き通してみる方法では、録音がが不自然で、曲や解釈の仕方に抵抗をを少し持つ。
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2016年12月23日 T ピノック No.6を聴取。ARCHIVの全集のセットで、元々の発売は1987年になっている。古楽器でcmb.は最初からbassのパートで最初から入っている。出だしのAdagioは、最初は、かなりゆっくり目のテンポから次第に、通常と思うAdagioに速度を上げている。第2vn.は右側に位置。第3楽章TrioでT43からのva.とvc.のsoloの部分。左側のva.が思ったよりはっきり聞こえる。Trioの暗い雰囲気が終わった後、元のMenuetに帰ってくる明るいfl.の音色がはっきりと対比が聴こえにくい。全体的に、音響の良いモダン楽器のウイーン録音の佐藤盤を先日、聴いた印象の後。録音の差でも、透明感、バランス間の程よい音色に刷り込まれていることもあり、全体的な印象が少ない。
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2016年11月17日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.6を聴取。ハイドン音盤倉庫で月間ベストに登壇していることもあり今回入手。演奏者については、下記のブログに少し触れられている。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1481.html
失礼ながら、私はこの指揮者については、このCDより少し前に最近、知った。地上波 TV  NHKの 鶴瓶の家族に乾杯 10月3日放送 「鶴瓶地元へSP 指揮者・佐渡裕と西宮市ぶっつけ本番の旅」から。この番組は数年前から視聴をしているが、このときに指揮者、音楽家であることを始めて知った。指揮者としての過去の活動もこの番組は知らなかった。その後、このCDが発売されて、ライナーノートから国内外での活躍には、びっくりした。
 さて、今回も作曲順とされる順番通りNo.6から聴取していく。ウィーンのムジークフェラインでのライヴ録音。ニューイヤーコンサートの会場にもなっているので、毎年1回は、このホールをテレビではあるが見る機会は多い。しかしライブ録音でのCDの聴取の機会は、私には余りないと思った。冒頭から弦のノンビブラート気味の音色に、最初から引き込まれてしまう。2015年10月、2016年5月の最新録音というこもとあり、ライブ録音で観客周囲のノイズは皆無であるものの、あたかもホールの上等席で聴いているような雰囲気。音の溶け合い、広がり感、分離感が高く、しかもバランスが良いのが見事。この3曲は殆どの楽器がsoloで活躍するので録音の影響が大きい。バランスの良い録音で、最初のNo.6を聴き通してみて圧倒される。
音色の対比の例として、第3楽章のtrioの部分。ここでは、d-molで管楽器はfgのsoloのみ。しかもbassのsolo。短調とも相まって独特の雰囲気が漂う。Trioが終始した後、突然、元のMenuetに帰ってくる。忠実な繰り返しであるが、fl.ob.の楽器がユニゾンでD-durで回帰してくる部分の音色が美しい。今までもこの曲を何度か聴いてきたが、これほど、この雰囲気が対比されているのは初めての経験。T67、71, 74 当たりのsolo vn.の重音などもクリアに聴こえる。
 表紙の裏側にある写真。録音のときの写真かもしれないが、高い後方の位置から、正面のオケを写している。観客はオケの背後まで全て埋まっている。第2vn.は左側に位置。この写真では、bass.は右側でなく中央に位置している。Trioのbass.のsoloではva.と同じように右側に位置。
 ジャケットの写真で、ステージからかなり離れた2階の席の観客。1階席ほど、料金は高くはないと思うが、演奏を見るには、かなり横を向いて身を乗り出すようにする姿勢には、少し大変そうな雰囲気が垣間見れる。またライナーノートには3曲ごとに、それぞれsolo奏者の楽器と写真が掲載されている。よく見てみると、soloの奏者が少しずつ違っている。fl.は金属管ではないようだ。ハイドンの交響曲を今まで聴いてきた中で、これほど細かい様子まで掲載してもらうので有難い。
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2017年3月20日T.ファイ No.6を聴取。ハイドン音盤倉庫でも、ファイの印象がやや肩透かしであったことを記載。(下記のアドレス)
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/page-1.html

一方、Micha クラシックとリュートの楽しみ では、ファイの演奏を期待しすぎると物足りないの記述もある。(下記のアドレス)
http://micha072.blog.fc2.com/page-1.html

上記のコメントも参考にしながら聴取する。No.6〜8 は協奏交響曲風の作曲が頂点の特徴。コンチェルトグロッソ風にSolo楽器と通常のパートとの対比が一番のポイント。このため各パートの分離と対比が重要にもなる。少し前に聴取した佐藤裕 トーンキュンストラー管 のライブ録音で、残響がやや多めながら、とろけるような録音に感化されていることもあり、この対比とがポイントの一つとなる。今回は主に弦楽器のピチカートについて書いてみたい。

初期の頃は、弦楽器ではあまりピチカートは用いられていないが、要所では少しずつ登場する。自分なりの通し番号No.6(hob-No.27)の第2楽章でも聴き所の一つに第2楽章のピチカートの効果について取り上げた。この楽章でも随所にある。第2楽章がメインになるが、その前の第1楽章のT77-80でも弦のパートがピチカートで演奏する。前段の予兆を受けて、第2楽章に入るが、冒頭からリュート(中央やや置くに位置するのが効果的)が印象的。Vn.とvc.が随所に登場する中、T14から弦の伴奏パートはスッタカートで演奏。Soloパートがスラーを伴い如何にも技巧的に演奏するので、この伴奏のスッタカートの旋律は大切なポイントのひとつ。撥弦楽器のリュートの効果も相まって、T14からのスッタカートの切れが印象的。提示部が再度繰り返すが、T14からの部分は各弦のパートはピチカートで引いている。繰り返しの部分では微妙な装飾を加えたりする部分はファイだけの特徴ではないが、奏法でしかも長い個所で演奏している部分は、とても効果的。

その後繰り返しを挟んで、緩除楽章では珍しくcodaがある。Codaに入る前のT103のフェルマータの休止がある。ここでは、かなり間を空けていて、一瞬、この楽章が終始したかの印象。長い休止を挟んで、codaに入る。Codaのテンポはかなり遅い。冒頭T1に類似した動機が2つのvn.パートで再現する。一方、va.以下の低弦は、音域が低いもののカンタービレ風に演奏される。スコアでは各パートユニゾンで演奏するが、この部分が印象的。
とくにこの楽章は、管楽器が一切登場しない。その分、soloを含む弦楽器の各パートが聴き所になっている。ピチカートの効果とともに、各パートのカンタービレ風な謡う様な旋律が聴き所。第1.3.4楽章ではそれほど大きな印象は私としては余りなかった。
しかし、この第2楽章だけは、録音の良さも相まって評価を高くしたい。もしライブ演奏ならこれほどの長い休止とかなり遅いテンポに聴衆は困ったかもしれない。一方この録音はライブではなく、CDによる聴取。スコアを見ながらじっくりと聴くにはふさわしい解釈のひとつだと思った
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 2017年6月13日 ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツの指揮によるフライブルク・バロック・オーケストラのNo.6を聴取。harmonia mundiからの分売盤を入手。No.6. 7とモーツアルト No.31がカップリングされている。ライナーノートが付属していないので、指揮者はオケの詳細は不明であるが、以下のブログに略歴等が記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-760.html

楽器は古楽器。編成は小さい方で2001年の録音。録音が鮮明で近接音がやや大きく、各パートの分離感がはっきり分かる。第2vn.は現代オケと同じ左側に位置。管楽器でfl.とfg.の位置が通常とは反対。すなわちfl.は右側でfg.は左側。冒頭の第1楽章の第1主題でfl.の独奏があるが、右側から聴こえてくるため、右側のvn.パートと対比されてステレオ感が広がる。一方fg.は左側に位置するため、第3楽章 trioの部分では独奏のbass離れて広がって聞こえる。また、vn.とvc.のsoloがいたるところで登場するが、soloの位置が近めに聴こえる。
 テンポは概して中庸で、繰り返しを全て採用。佐藤裕指揮のムジークフェラインザールの現代オケとホールの録音と対照的。前者はモダン楽器で編成もかなり大きく残響が多い。一方こちらの方は編成が少なく、各パートが鮮明で音の分離感が高い。vn.のsoloパートは、あたかも、すぐ前で聞いている雰囲気。第4楽章で展開部の冒頭、A-durで冒頭主題がvn.soloで登場し、その後、T62から、あたかもvn.協奏曲のように長い部分で展開される。この箇所でもsoloの重音が鮮明に聞こえる。


ファイの演奏の様な独特の解釈が、一度聴いただけでは分かり難い。各パートが近めに聴こえることが相まって、あたかも、実際に小ホールの近い位置で聞いている雰囲気。各楽器のsolo箇所が多いので、もともと視覚効果が高い曲と思うが、この録音を聞いてみると、古楽器で実際に聞いてみたい印象が高くなる。
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2017年7月5日  鈴木秀美 盤 No.6を聴取。ライブ録音だが、拍手はカットされていて、ライブ録音を感じさせない。No.43と違ってvn.パートは全て左側。ライナーノートの写真に、当日と思われる写真が掲載されている。写真によると低弦でva.は中央やや右側、vc.は、左側に位置している。
ほとんど全ての楽器にsoloがあるが、木管楽器のオリジナル楽器について、ライナーノートに記載がある、オリジナル楽器は、音域による音の差が大きいので、音の高低の距離感を強く感じるが、それが音型の滑稽さや色合いの楽しさを生み出すとある。第1楽章T7からのfl.が第1主題を演奏する部分はその典型で、5度下降する旋律がオリジナル楽器ならではの微妙な音色を示している。
 FinaleのT62当たりからの第1vn.のsoloの部分。ゴルツ盤では、重音が明白に聴こえ近接音が近くて、あたかも目の前で演奏していることを記載した。鈴木盤では、vn.のsoloはやや遠くに位置しているためか、重音で切れのある迫力さは余り聞き取れない。
 ワンポイントと思う録音のためか、各パートの定位感は分かりにくいが、その分、全体の音の溶け合いが自然。ただ左右の広がり間が少なく、ファイの耳に聞きなれているためか、Tuittiで左右いっぱいに広がった迫力ある印象とは対照的。
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2018年5月28日 ラトル ロンドンフィル 6番 第3楽章を聴取。No.64から引き続き。No.65は緩叙楽章のゆっくりしたテンポから、一転して中間的な雰囲気のMenuetになる。Menuetもハイドンの交響曲の中で数多くある中、今回はNo.6を採用。ここでの特徴は、Trioのsoloの部分、cb.va.fg.のそれぞれのsoloがある。ここの暗い雰囲気は、No.6他の部分の楽章の大半は明るい長調なので対照的。
 ラトルは、繰り返しを忠実に守り繰り返しの後半、微妙な装飾を加えているのは定番通りで違和感は全くない。数多くのMenuetの中で、この曲を選択したのも理解ができる。スコアによっては、Trioの部分でvc.のsoloがあるかもしれないが、私の聞いた限りでは、この部分はva.のみ。また、cb.はやや左側に位置しているようだ。ライナーノートの最後には、奏者の氏名が記載されている。それによると、弦楽器の数は下記の通り。8:8:6:5:3
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2019年1月25日 6番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。パリセットの一部等はレビューすみ、。過去にLPで名前付きの交響曲選集でセットで発売された記憶もある。その後CDの発売されていたが、ようやく入手。既にモダン楽器である程度の特徴は推測ができていた。今回、1996年に発売された 25曲セットを入手。その内、2曲は R レッパード。作曲順番にマリナーの分からNo.6より開始をする。
  モダン楽器でcmb.がほぼ常時、装飾を含めて入っている。(右側でかなりの音量)。vn.は通常配置。元々マリナーの演奏は、Tuittiでも各パートの分離感を重視する。Tuittiでの音の溶け合いを少なめに抑えその分、soloを含めた各パートを目立たせるのが大きな特徴。No.6-8はその特徴を現す典型で期待できる。
 予想通り冒頭から各楽器のsoloパートが鮮明。 強奏の部分でも、soloの部分が負けることがない。この当たりは過去に聴取した『佐藤 裕 ウイーン トーンキュンストラー管』とは大きく異なる。第3楽章 Menuet Trio でハイドンには珍しく、va.のsoloの箇所がある。このTrio 自体が 短調で、とても異色な雰囲気の部分になる。唯一のva.のsolo も  fg.やvc.に対等に張り合って聴き応えがある。その他の箇所でもvn. vc.などの各soloの随所に存分に聞ける。cmb.は常時入っている。soloほどの活躍はないが、微妙な装飾が、逆に、旨く溶け込んでいる雰囲気。パリセット以降の後期では、cmb.は入っていない。初期の頃はcmb.が入る解釈と思う。期待通りの演奏で満足。
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2019年2月26日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 6番を聴取。ハイドンの協奏交響曲スタイルで頂点となる3部作。Soloの箇所がふんだんにありTuittiとsoloの対比、聴き通して初めてfl.が入るなど、様々な点で興味があるところ。
 CD収納ジャケット裏面の奏者に関して。2名のvn.奏者以外に、cmb. vc. Bass. の記載がある。fl.とfg.の記載はない。序奏のT3からのfl.中央寄り。他の管楽器のob.fg.との分離感が他の曲と比べて分かり難い。序奏の後、管楽器のみで提示される主題も近接音に近く、あえて少し管楽器群の音を手前に少し引き寄せたような録音。Cmb.は第2楽章の序奏の後T14から入る。主にbass.の旋律が中心だが微妙な装飾もある。
 第3楽章、Menuet trioの部分でfg. va. bass. それぞれのsoloの箇所がある。調性が、がらりと変わり音量もかなり落ちることから、この対比が聴き所のひとつ。残念なことにbass.のsoloが極端に強調されすぎ、しかもとても近い位置から聞こえて不自然に聴こえる。vn.とvc.のsoloも手前には位置しているが、soloの箇所では必要に応じて、音源を調整している雰囲気。テープヒス音も時折、目立つ。 以前、「佐藤 裕」 トーンキュンストラー管 のCDを聴取した。ライブ録音で新しいが残響が多いものの自然な録音であった。この様な録音とはかなり異なる。特にこの曲の聴き所は、冒頭にも記載した様に録音による影響が大きい。聴き通してみて録音による不自然さが目立つ。
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2019年8月11日 6番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。ウオード盤は、既に2枚を入手済み。残りを聴取。CDの全集の残りから、収録順だと2番目でNo.6〜8がセットになっている。
 モダン楽器で編成は少ないほう。cmb.は常時入り、緩叙楽章では、cmb.の装飾が適宜ある。初期の交響曲では数々の演奏がある。最近では、佐藤裕 トーンキュンストラー管 のライブ録音なども印象にあるひとつ。 ウオードの演奏は、soloの扱いは取り立てて大きくは目立たない。



Adagio-alleglo D
2 Adagio-andante
-adagio
G
3 Menuet D
4 Alleglo D


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
19 7 1761 C 4 2 (1) 2 必要 A 第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn.vc.の協奏交響曲
楽章の構成 調性 リ*1 第6番と比較して、さらにsoloパートが多く合奏協奏曲かもしれないが、ディベルティメントやセレナードとして聴いた方が良い。特に第2楽章は、Recitativoの序奏がある。ここでの g の調性とその後の G の調性の対比が美しい。(名曲解説全集では、Recitativo(2部形式)を単独の楽章として、全部で5楽章として掲載してある。2種の全集は、Recitativoを第2楽章の序奏としてあり、続けて演奏されている。(全4楽章)
 第6番と同様に殆どのパートでsoloがあるが、2本のfl.とvn.やvc.の扱いが第2楽章で目立つ。 モーツァルト初期の交響曲のように、第1楽章はob.のみでfl.なしが、第2楽章ではob.なしの編成。ob.がないので、緩徐楽章では、やわらかい雰囲気が漂う。2本のfl.がそれぞれのパートを持ち掛け合いがあって、soloの楽しさ。圧巻は再現部の最後のカデンツアでvn.とvc.が提示部や再現部であった旋律を元に両者で披露する。第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn、vc.の協奏交響曲として聴いても差し支えない。
 Menuettoのtrioでは、コントラバスのsoloがある。フィッシャーでは、この部分もvn.はsoloで引いており、コントラバスの音を引き立てている。それに対してドラティ盤は弦soloでない。しかし2種のいずれも、バスが編成の右端に位置してステレオでの配置が堪能できる。
 楽器の扱い方をNo.6-7を中心に書いて来た。6-8番に共通していることは、展開部の主題の労作なども初期の作品として、この時期でも典型的なスタイルで扱われている。2種とも聴き通してみて、No.6とは違った意味で、こちらも楽しめる。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月9日とする)
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2010年12月15日 ディビス盤を聴取。Hob−No.-6と同様に、随所にイタリア風のビバルディの合奏協奏曲の雰囲気がある。特に第2楽章は、この傾向が強い。fl.2本、vn.vc.のための協奏交響曲と記載したが、ディビス盤の演奏でも同じ様な雰囲気。ただし、cmb.がやや目立つ。Finaleは展開部と再現部の繰り返しがない。割合、速めのテンポが加わり、さらりとした流れを重視した感じ。ライブ演奏であることもあり、繰り返しがない方が、すっきりとした印象を受ける。
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2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。楽章構成が一応5つあることもあり、規模からすると、6-8シリーズの中では一番大きいであろう。Recitativoは29小節あるが、中間部はAllegroにテンポを転じるなど、テンポの変化とともに展開が速い。その後のAdagioは、調性がG-Durと大きく変わること。ob.が全て休んで2本のfl.になり、柔らかな音色を重視する対比が一番の聴き所であることは変わりなし。
 特にフィッシャー盤では、編成が小さい分、細かい音まで聞き取りやすいのも良いポイントとして評価したい。fl.を2本としたのは正解だと思う。なお、fl奏者は2人専属ではなく、1人はob.の持ち替えではないかと推測。(それまでの楽章ではfl.は登場していないこと。Adagioの楽章はob.が休み。その後の第3楽章はfl.は休み。Finaleは、ob.2本とfl.本の通常の編成などから)Adagioの終わりに近い部分は、vn.とvc.の両者によるカデンツアが15小節にも渡る。このカデンツアは作曲者がオリジナルなもので、途中でAllegroからAdagioへのテンポの指定などもあり大規模。途中では、vc.がvn.以上の高い音域にいたる箇所もあり、vc.奏者にとっては腕の見せ所であったと思う。
 第3楽章のMenuetでは、フィッシャー盤はなぜかcmb.が入っている。No.6では入っていないと思うが。No.7でもMenuetのみ入っているのは不明。trioでcb.を引き立てることもあり、cmb.は目立たないが。 
 Finaleは今までの各楽章で登場した楽器が再度、総勢でsoloを含めて締めくくる雰囲気。
 No.6-8シリーズが協奏交響曲あるいは、セレナーデ風の様式に特化している理由として。井上著ではパウル・アントン候はビバルディが好みであったのも由来する可能性を指摘。特に、この第1楽章は、コンチェルトグロッソあるいは、リトネロ形式の様相が強い。一つ前のHob-No-5で、類似した形式を、このシリーズで開花させた印象が強い。特に作曲順番に聴き通して行くと、「開花」の表現がぴったりであると思う。
 なお、ディビス盤はFinaleで展開部と再現部の繰り返しがない。ライブ録音もあり、繰り返しがなくても良いであろう。
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2013年2月16日 追記。ホグウッド盤を聴取。fl.が活躍するのは、前のhob-No.-6と同じであるが、今回は2人となる。第2楽章のRecitativoでは、管楽器でob.2人がいる。その後のAdagioでは、ob.が休みでfl.が2人となる。続けて演奏する考えとして、RecitativoをAdagioの序奏とし全4楽章の考えもあろう。しかし、楽器編成からすると、恐らくob.奏者2人が、fl.に持ち替えていると、私なりには思う。編成が、がらりと変るので全5楽章と、私は解釈したい。モダン楽器と違って緩徐楽章でのfl.の音色の対比が印象的。
 Menuettoのtrioでは、cb.のsoloがある。ホグウッド盤では、この音色が他の楽器のバランスが良いためか、自然な感じで聴き取れる。
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2015年2月22日  ゴバーマン盤を聴取。No.6から引き続いて聴取。No.6では、vn.のsoloは1人だったが、ここでは第2vn.のsoloの入る。当然、配置から、第2vn.は右側にやや離れて位置。vn.2名の奏者同士のsoloとなると、配置がやや離れすぎる観がある。
 Adagioの最後のカデンツアで、vn.とvc.の掛け合いの部分も、指揮者を挟んで、かなり離れた位置で聴く雰囲気。

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2016年12月24日 T ピノック No.7を聴取。No.6と同様に、各楽器のsoloが随所で登場するが弦楽器のvc.の役割が多い。第3楽章 Adagioでは、vn.とvc.は同じ旋律を受け持つことが多い。楽器のサイズと音域もあり、Vc.vn.の音程を上回る個所は殆どない。しかし後半 T36から 第1vn.とvc.のカデンツアに入る部分。わずかで間でhあるがT41-42にかけて、vc.がvn.よりも高い旋律を演奏する個所がある。高い音域のvc.に対して、vn.は、音量を抑えてvc.を目立たせているのが印象的。
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2016年11月18日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.7を聴取。楽器ではfl.が1本加わる。またvn.のsoloも2名となる。このためNo.6と比較してより一層、soloとTuttiの個所の対比が多くなる。第3楽章レスタティーヴォはh-mol で終わる。ここまではfl.が全く登場しない。その後、G-DurのAdagioの明るい2本のfl.が登場する部分。この対比が、No.6の第3楽章と同様に美しい。
 第3楽章のvn.とVc.のカデンツアの部分で、vc.がvn.よりも高い音域で演奏する個所がある。この部分では、vn.の方は少し音量を落として、vc.を引き立たせている。
ライナーノートについて。No.6に登場したfl.奏者の男性(Whalter Schober)は、楽器を手に持っていない状態で撮影。No.7で登場したもう一人のfl.の男性(Bright Flhch)との対比がされていて、奏者のパートが分かりやすい心難い演出。なお、Soloの写真では、vc.の奏者がいない。No.6と違う奏者だが氏名は記載されている。写真では not shownになっている。できれば、顔をみたかった。
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2017年3月21日T.ファイ No.7を聴取。no6.と異なり、第1、4楽章は、2名のvn.奏者のsoloがある。ファイ演奏はvn.が対向配置になっているので、3度離れた旋律で演奏する個所の対比が効果的。一方、第3楽章ではvn.とvc.のsoloが聴き所。トーンキュンストラの方は、長いカデンツアの後半の方で、vc.がvn.よりも高い音域で演奏する個所。ここでは、vc.のほうが音色を引き立たせていた。一方ファイ指揮のハイデルベルク響では、2名の奏者が常に対等で演奏。
Soloを含めた楽器の配置も良いNo.6 第3楽章のtrioも同様だったがbassのsoloが左端に明確に位置。No.7のtrioも同様。しかし、全体的にファイらしい特徴は余りない印象に終始。
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2017年7月6日  鈴木秀美 盤 No.7を聴取。No.6-8は、初期の交響曲としては、soloの活躍が多いので、視覚効果が高い部類。中期から後期の交響曲にも共通する。
 佐藤裕 トーンキュンストラー管のようにライブ録音で楽しみたいひとつ。こちらの方は、ライブでも録音会場は東京の朝日浜離宮ホールで、大ホールだと収容人数は525人。人数からして観客席と演奏者との距離はそれほど遠くないと思うので、CDからでもライブで、すぐ前で聴いているような音源を期待したい。しかし、No.6にも記したように、私の視聴環境では定位感と広がり間が不足気味で、ダイナミックレンジが私には狭いように聞こえるため、やや難しい。
 第2楽章の短い短調のRecitativo は、木管楽器はob.のみで、fl.とfg.は登場しない。Recitativoが終わって第3楽章の明るいG-durの調性に切り替わる部分。この部分がこの曲の白眉だと思う。すなわち第3楽章は明るい調性に変わるのはもちろん、ob.ではなく、2本のfl.に変わる。しかも2本のfl.は、solo、Tuitti、音程を変えたsoliなど、弦楽器のsoloを合わせて華やかな役割となる。2本のfl.は、音域の広がりは余りないが、それでもT27の部分の様に、わずかではあるが離れた音で演奏する部分がある。この箇所などが、オリジナル楽器の特色を生かして効果的。

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2019年1月26日 7番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。No.6から、soloにvn.が加わり、緩叙楽章ではfl.が2名になる。第2楽章の中途の部分で2本のfl.が随所に入る箇所(レスタチーボの序奏の後からだとT11の部分)ここでは、solo vn.からvc.が2本のfl.と絡んでくる。2名のfl.は、音色がはっきりと分かれ、vn.とvc.の対比が印象的。No.6にも少し記載をしたが、soloからTuitti あるいはTuittiからsoloに変わる部分。ここでは、自然な雰囲気とは少し異なり、あくまでsoloの定位感を重視した録音。特に弦楽器のsoloがTuittiで他のパートを重なっていく部分。ここはスタジオ録音のためか、soloがメインになっている。ワンポイント録音とは少し異なる雰囲気。(1980年の録音)
緩叙楽章を中心にcmb..が必要に応じて、装飾で随時入っている。スタジオ録音ではあるが、僅かに緩叙楽章を中心に楽器外の音が入っている。しかしその分、臨場感がある。No.6と異なりvc.はかなり高音域でvn.と掛け合う カデンツアの部分も録音が鮮明、距離感がかなり近く、会場の最前列で聞いている雰囲気。
 第3楽章Mnuet trio でbass の soloがある箇所。ここでのbass.はあくまでsoloとして引き立て、他のパートはできるだけ音量を抑えている。テンポは概して少し速めで、繰り返しは最低限にととどめている。作風からして繰り返しを忠実に守らなくても違和感は少ない。
 No.7は自筆楽譜がある。井上著 ハイドン106の交響曲を聴くにも、第1楽章の冒頭で10段の五線譜の写真がある。緩叙楽章のカデンツアの部分は、vn..とvc.の2名なので、五線譜は2段でよい。かなり長いカデンツアの部分は、五線譜のページ数を節約するために、1ページの中に詰めて書いたのかどうか? 当時は紙は貴重であったこともあり興味がある。
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2019年2月27日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 7番を聴取。No.6と異なりvn.のsoloがひとり増えて2名となる。ファイの場合は2名のvn.奏者が指揮者を挟んできれいに左右に分かれていることを記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-693.html

 ファイの場合は、元々、vn.が第2vn.が右側にあり対向配置になっている。第2vn.のsoloも右側にあるのが自然な形式。一方、メルツェンドルファー の場合は、第2vn.のsolo のみが右側になっている。左右に分かれているが、solo以外のvn.は左側。第2vn.のsoloのみが、右側の離れた位置になっている。va.のsoloの箇所もないので、solo 2名を中心に聞くには、それほど支障はないかもしれない。しかし協奏交響曲のスタイルなので、soloの箇所がありながらも他の弦のパートと一緒になることもある。第2vn.は左側にあり第2vn.のsoloとは少し離れている。このため第2vn.のsoloとTuittiの差が少し生じてしまう。録音のためか、この差までは私には分からなかったが。もし実際にこの光景を見た場合、違和感があるかもしれない。
 2名のfl.奏者は分かれて聴こえていない。Cmb.第2楽章の冒頭から入っているがNo.6と同様に緩叙楽章以外は入っていないようだ。
 Menuet trio でNo.6と同じように bass.のsoloがある。ここでもNo.6と同様に、第2vn.soloと同じ様な中央の手前に位置し不自然な感じ。No.6と同様に、録音の点で不利になり印象が低い。
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2019年8月12日 7番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。No.6から引き続く。No.6と比較して録音レベルが少し高いのか、soloの楽器の扱いが大きめ。その分、管楽器などの奥行き感が余りない。

Adagio-alleglo C
2 Recitativo:adagio
3 Menuetto C
4 Alleglo C


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
20 8 夕べ 1761 G 4 1 (1) 2 必要 A fl.とob.2本の同時の登場によるユニゾン効果。
楽章の構成 調性 リ*1 3曲目の合奏協奏曲。soloの扱い方は、同じ様な感じ。Alleglo moltoの演奏時間は短い。提示部は簡潔であるが、第1主題が巧妙に扱われている。
 井上著では、moltoの主題は1759年にウイーンで初演された、クリストフ・ヴァイリバルト・グルックのオペラコミック「大騒ぎ」で歌われる「たばこの歌」である。当時、この歌はポピュラーだったようで、ハイドンがユーモラスに味をつけていると記述がある。
 展開部はかなり長く音色が変わったり、擬似再現があったり。続く再現部も、管で第1主題が再現するなど聴き応えがある。ob,2本は通常の使用だが、持ち替えではなく、fl.が単独で追加になっている。ob.2本とfl.1本の3人の奏者によるsoloは聴こえないが、中後期での芽生えが感じる。
 Andanteでは、2vn.、vc.以外にfg.のsoloがあるが、前の2曲よりもfg.の扱いが増えている。Menuettoでは、第1主題がfl.と弦でユニソンで演奏するのは、今まで見られなかったと思う。trioはバスのsoloは、第7番よりも長い。(fg.のsoloなし)第4楽章の描写音楽の「嵐」 では、高音域のfl.が旋律を駆け巡り、あたかもfl.協奏曲に近い。
 3曲を通して聴いてみると、どうしても合奏協奏曲としての面が表に出てしまい、楽器の扱い方や音色が中心になってしまう。これ以降に交響曲として、この様なスタイルは、なくなってしまうのは、いささか残念である。
(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月10日とする)
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2010年12月17日 ディビス盤を聴取。第1楽章はやや、ゆったりとしたテンポ。Hob−No.-6と7と同様に、cmb.は、装飾的に活躍。第3楽章Menuettoのテンポは逆に、かなり速め。逆にtrio.は、ややゆったり目で、cb.のsoloがやや即興的になっている。テンポの対比が効果的。
 FinaleはHob−No.-7と同様に繰り返しがなく、速めのテンポとも相まってすっきりとした印象。
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2011年3月10日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。No.6〜8の一連のシリーズを締めくくる最後の曲として、申し分のない位置づけ。
 第1楽章は、fl.を中心に管楽器が至る所で活躍。第1主題はG調であるが、展開部の第1主題の擬似再現は、C調。
 それに対して、第2楽章はfg.のみが参加。それ以外は弦楽器のみの編成となる。弦楽器は、第1,2、vc.の各soloがあるため、弦のパートは何と7段にも渡っている。この様な多くのパート数は、弦のみだと、後年のNo.45、Finaleぐらいしかないと思う。各弦のsoloと、soloでない部分の対比が印象的。フィッシャー盤では、cmb.が入っている。
 Menuetの主部は、あくまで管楽器が主体。最初の旋律は、管と弦のユニゾンであるが、fl.が常に上の旋律を受け持つ。Menuetの後半もfl.が常に主導を取っている。Menuetは、trioでは、やはりcb.のsoloがある。ここでの特徴としては、小節数だと思う。Menuetが37小節に対して、trioの方が長く45小節もある。trioの方が長い。
 Finaleは描写音楽の「嵐」の名称を持つ。6/8拍子のPrestoのテンポで最初は、vn,が8分音符を演奏。その後すぐ16分音符を引く。vn.奏者の技巧の見せ所である。しかしその後、第2vnのsoloの16分音符に引き継がれた後、vc.のsoloの16分音符。各弦のsoloが16分音符の速いパッセージで引く様子は、当時のアックsolo演奏者の技巧の高さを示している。
 しかし圧巻はその後で、solo以外のbass.を含む全ての奏者が16分音符で引く。この部分では音域こそは違え、同じ旋律を引いている。(18−19、38−40小節など)ここでは、管楽器は休んでいる。エステルハージ楽団の弦楽器の奏者の技巧が、当時は高かったと推定される例だと思った。
 Finaleで各楽器のsoloの箇所が多いが、vn.の奏法がフィッシャー盤では、臨場感があふれる。この後の交響曲でも時折vn.の演奏であるのだが、弓の使い方を工夫して緊張した音色になっている。(vn.の詳しい奏法は分からないが、スコアには、詳しい奏法は記載していない)全体的に、フィッシャー盤はcmb.は控えめなのであるが、珍しく装飾が多い方だと思った。交響曲ではあるが、編成の小さい奏者による協奏交響曲のスタイルは変わらない。
 ドラティ盤は、少し昔のスタイルでオーソドックスな感じ。あくまで交響曲の一つとしての解釈だと思う。
 一方、ディビス盤は、ドラティ盤と同等あるいは、より一層テンポを遅くしている。cmb.の音色と装飾は、ドラティ盤以上に目だっている。ライブ録音もあっては、繰り返しは採用していない箇所もある。Menuetとtrioのテンポの指定はスコアには記載がない。ディビス盤では、Menuetはまるでスケルツオ並の速いテンポで通している。その分、ゆったりとしたtrioのテンポが対照的。3者の中では、やはりフィッシャーが群を抜いていると思った。
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2013年2月22日 追記。ホグウッド盤を聴取。この3部作共通するが、fl.の音色が軽やかで印象的。第2楽章のAndanteは、2人のvn.奏者となる。第2vn.は、第1vn.と比較して、左側ではあるが、中央寄り。第3楽章 trio.のcb.のsoloは、思ったより目立たない。元々、小編成で、cb.は1名のみだったのか?あるいは、使用する楽器のためか、元々、音量が小さいのか?
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2015年2月23日  ゴバーマン盤を聴取。録音の方法は、No.6.7と同じ様だ。第2楽章では、管楽器はhr.のみので、fl.登場しない。しかも、消えるように終わっている。後半のMenuettoでは、fl.を含む、全ての楽器が、Tuittiで、冒頭の主題を演奏。この対比が、印象的。

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2016年12月24日 T ピノック No.8を聴取。第1楽章のT1の第1主題8分音符の切れ目のあるリズムに対してT66の第2主題の16分音符の下降する流れの旋律の対比がポイント。最近聴いた 佐藤のモダン楽器で流れるようにビブラートが少し聴いた重厚な旋律が印象的だったことと対照的な音色。No.6にも少し記載したが、古楽器で奏者がやや少ない編成のために、T66からのTuittiの下降旋律の迫力が不足。
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2016年11月19日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.8を聴取。ライナーノートに、第1楽章の第1主題でオペラからの引用について、解説がある。(井上著 ハイドン106の交響曲を聴く にもこのことは記載があった)1959年にモルツイン時代にオペラの上演を見ていた記載を始めて知る。
ライナーノーツの著者である、Michael Lorenz のブログの中には、ハイドンの妻についての考察もあるようだ。(英文の下記のアドレス)
http://michaelorenz.blogspot.jp/2014/09/joseph-haydns-real-wife_11.html
soloがいたるところで活躍するが、主に二人のvn.が聴き所。第2vn.のsoloが同じ旋律を音程を下げて演奏している個所が多い。第2楽章T16から、同じ旋律で寄り添うように行こうとするが、T19で離れてしまう部分。二人のvn.の駆け引きが、よい録音も相まって聴き取れる。
3曲を聴き通してみて、どれをベストとするかの話になったら、最初のNo.6を進めたい。パリセットのノリントンの最初の一撃と同じ様に、出だしからして引き込まれてしまう。
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2017年3月21日T.ファイ No.7を聴取。solo楽器がいたるところでコンチェルトグロッソ風に活躍するのがNo.6〜8の特徴であるが最後の曲も同様。Menuetのtrioでは、全てのbassにsoloがある。左側に位置するのが同じだが、伴奏する楽器の奏法も面白い。ランドン版のスコアでは、bassのsolo以外の弦のパートは全て、通常通りの弓を引いての演奏。過去の演奏でも同じ様になっていた。
 一方ファイの演奏は、va.も含むかもしれないが伴奏するvc.の旋律が駒の近くで奏法している様に聞こえる。(ピチカートでないようだ)この手法は面白い。Trioの後半の繰り返しで最後の2小節はfで終わり、回帰するMenuetに引き継ぐように締める。
 第1楽章のT16からの下降する32分音符の旋律。この旋律が、Finaleにも再度、登場して引き締めているように思う。第1楽章では、弦のsoloは活躍をしない。一方Finaleは、弦を含む各soloが活躍。各パートがスッタカートのような刻む緊張感もある。一方では第1楽章で一部登場した32分音符の下降旋律。様々な旋律が要所で変形しながら各のパートでsoloやTuittiで登場し、しかも流れるように終わる。ファイの演奏では、流れを重視しながらも、各のパートが明確に引き立ち印象的。3曲を聴き通して来た中では、このFinaleが一番よかったと思う。
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2017年7月7日  鈴木秀美 盤 No.8を聴取。No.6と同様に、第1楽章で、随所でfl.のsoloが活躍。提示部では、それほど目立たないが、展開部からfl.が大きく入ってくる部分T104当たり。T104では、fl.の旋律は、冒頭と同じ様にスッタカートの指定は記載していないが、やや堅い雰囲気。T107からスラーを伴う16分音符のsoloが続く。1オクターブ高い音域の高低差が、オリジナル楽器のためか、自然なやわらかさの雰囲気。
  拍子こそ違うが、第1楽章と第4楽章は共通点が多いと思う。冒頭の主題は、それぞれ、スッタカートを含む旋律。しかし提示部が進むに従って、スラー指定の流れるような16分音符の下降旋律がある。この対比が面白い。第1楽章と同様に、fl.のやわらかい雰囲気が堪能できる。
 展開部と再現部の繰り返しは、原則、どの曲も採用。Finaleで、ファイ他でも繰り返しの後半で装飾などを加えるが鈴木盤でも同様。T106で管楽器は、繰り返しの後半はトリルとなっている。短い一瞬ではあるが、このトリルにより、曲の締めくくりに向けて華やかさを加えている。なお曲の最後は拍手が入っている。No.6.7と違って、拍手が入ることによりライブ録音の良さが出ていると思った。
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2019年1月27日 7番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。No.6、7と同じ演奏スタイル。No.7の緩叙楽章では2本のfl.が入っていたが、ここではfl.はなく、その代わりに管楽器でfg.が活躍する。得てして高音域が多い vn.とvc.に聞き入ることが多いが、fg.も少ないが独自の動きがある。高音域が少ないので余り目立たない。しかしマリナーの演奏ではfg.の音色も重視。Manet trio.もbass.のsoloがNo.7と同様にある。bass.自体のsoloは繰り返しでの装飾は余りないと思うが、cmb.は独自の装飾を加えている。
 Finale.の最初の方で 主旋律のひとつ fl.が受け持つ部分がある。通常T15の部分は8分音符で通す。しかし珍しく 版によるのか、fl.がT15の1小節の部分だけ16分音符で吹いている。Prestoの速いテンポで同じ音程を16分音符で続けるのは珍しい。その後に続くT16から「Tuittiでスラーで流れるような下降旋律と対照的。この旋律はNo.6 第1楽章、No.8の第1楽章にも類似箇所がある。冒頭の刻む様な16分音符の緊張感とは対照的。打楽器群は入らない少ない編成ではある。しかし微妙なリズム感の変化を通して、旨くまとめている楽章だと改めて認識した。
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2019年2月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 8番を聴取。第2vn.のsolo はNo.7と同様に左側に位置。第3楽章 Menuet trioでNo.6や7と同様にbass.のsoloが入る。やや奥側に位置し極端に前面ではないので自然な雰囲気。
 Finaleは今まで概して遅めのテンポが多かった。しかし過去に聴いて来た中で、とても速いテンポ。16分音符の下降する流れるような旋律。16分音符でトレモロの刻む様な鋭い緊張感との対比がポイントになる。速いテンポでありながらも、Tuitti とsolo の対比を旨く表現。すべての弦のパートでのユニゾンの箇所が多く、通常配置でも違和感は余りない。No.6や7と異なり特にFinaleは好演だと思った。
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2019年8月13日 8番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。No.6〜8は共通してcmb.が、全て入っている。最近だと N マリナーはFinaleでfl.の旋律をスタッカートでも独自で、吹いている点を記載した。(下記のブログ)
ウオード盤では通常通り。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1067.html



Alleglo molto G
2 Andante C
3 Menuetto G
4 Presto G