音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.17 hob-No.-3


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
 17 3    1761 3 -  -  - - (1)  B 短いながらもカノン風の力強いFinale
       1
       2 g Andante moderate
       3 G Menuet
4 G Alla Breve
 旧番号順の通りに聞いていったら、第2番と第3番の差が歴然とあるのに、びっくりするのに違いない。作曲順に聴いているので、2曲の差があるのは、理解済みである。実際、約2−4年の差があるが、楽章数、楽器のsoloの扱い方や音色、展開部の処理などは、驚くほどに進歩が見られる。
 たとえば楽器の扱い方では、第1楽章の第2主題が第2vn.で提示される。Menuetのtrioでは、弦楽器や管のsoloが聴こえる。第1楽章の展開部では、第1主題が擬似再現の様に登場する。これらをとっても、もう中期以降の作品に近いところに来ている。
 圧巻は第4楽章。フィッシャー盤では、時間は2分にも満たない。第1主題は モーツァルトの第41番、Finaleのフーガにも似ている。実際カノン風の主題が、息を継ぐ間もないように、一気に終わってしまう。Breveの表示の様に、生き生きとしている。 「Finaleがもう少し長ければ」と惜しまれる。もう少し長かったら、第25番を追い抜いていたかもしれないぐらい、立派な作品に聴こえる。
井上著でも、この交響曲の細かい点まで聴き所が多い点の記述あり。特に展開部で、第1と第2vn.が掛け合いながら、調性が属調、主調、下属調へめまぐるしく変わっていくのは、後年に良く用いられる手法が記載がある。古典派の技法を完璧に身に付けたと表現があるが、ぴったりである。
 実際、中期以降は、展開部の労作が作曲者の真骨頂であると私は思う。特に、調性の変化は、この究極であると思うが、早くもこの交響曲で兆しがあった点は見逃せない。冒頭にNo.2とNo.3との差について。soloの扱い一つをとっても、作曲年代が、エステルハージ侯爵の時代に明らかに入ったため、soloにも活躍を求めたのではないか。
 2010年12月13日 ディビス盤を聴取。第3楽章のMenuetでは、ob.の音がある程度大きく、vn.と同じユニゾンで終始演奏している。ユニゾンの効果が今までの2者の演奏よりもはっきり聴こえる。trioでは、hr,とob.をvn.以上に目立たせている。このあたりは、ライブ録音のメリットが現れていると思う。
 Finaleの主題は、第1楽章の主題と明らかに似ている点がある。しかしテンポは大差はないが、カノン風の形式が短いながらも堂々としていて、第1楽章の2番煎じの様な印象は微塵も感じさせない1桁の初期の交響曲としては、やはり聴き応えがある。
 2011年3月8日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。スコアを見て、意外な発見があったのは、まずは、第1楽章。展開部で第1、2vn.が、掛け合いながらの転調を繰り返す。
 次に第3楽章のMenuetのtrioの部分。ob.とhr.にsoliの指示が記載してある。中後期にかけては、tiro、の弦や管での指示は普通になっているが、早くも、Hob-No-3の時点で、取り入れてある。フィッシャー盤では、このsoliの指定を重視するためもあるのか、当然の如く、この後に各弦の旋律もsoloで演奏している。
 第4楽章のFinaleは、どの演奏も2分前後ではあるが、単一主題でありながら、各パートが全て、主旋律を受け持っている。Finaleの主題は、第1楽章の主題と大きな変化はない様だ。しかし、ほぼ同じテンポでありながらも、第1楽章とは、がらりと印象は異なる。この原因は、やはりフーガ形式によると思う。楽章の終わりに行くに従って、クレッシェンドなどの強弱の指定は、スコアには記載がしていない。曲の終わりに向けて盛り上がる雰囲気の原因は、低弦とhr.の長い持続音の影響か?  3者のどの指揮者も、この短いが凝縮したFinaleを感動的に締めくくるのは、敬服するばかりである。
 ドラティ盤では、最初からcmb.が入っているが、第2楽章では装飾的な箇所が多くなる。聴き通してみて、やはり凝縮されたFinaleが一番の聴き所である点は変わらず。3者の中では、やはりフィッシャー盤を推薦したい。小編成でありながらもダイナミックな音量の差が一番、目立つ点からを取るため。
 2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の緩徐楽章では、この頃に見られる弦楽器のみ。ホグウッド盤では、最終楽章のFinaleでは、テンポが速め。2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の緩徐楽章では、この頃に見られる弦楽器のみ。ホグウッド盤では、最終楽章のFinaleでは、テンポが速め。
2015年2月18日  ゴバーマン盤を聴取。緩除楽章では、cmb.が大きめに入っている。呼応する第2vn.の旋律が目だって好みに合う。FinaleのfugaでT115で、第2vn.が主題の上がっていく音程が鮮明に聴こえてくるので、ランクがBであることを改めて認識。
 


2018年2月26日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.3を聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」の中で、この第1楽章の展開部の充実について記載がしてあった。短いながらも、提示部で調性やニュアンスの異なる動機が様々に提示され、展開部でもこれが活用されている。冒頭のガロワの第1主題は、第1,2vn.の旋律をあくまでレガート風に引いている。その後、この動機が、T10では、歯切れの良いリズムに受け継がれて行くのと対照的。その後、各動機や主題が登場するが、2つのvn.パートを中心に、展開されていく。T2では低弦が対旋律の4分音符で連続し引いている。一方T11からは低弦は、4分休符を挟むので、弦のパートで切れるようなリズム感が増しているのが良く分かる

このFinaleはフーガ形式で繰り返しがない。冒頭の第1主題の動機は第2vn.の対旋律を伴う。少し詳しく見てみると、第1楽章の冒頭主題と、第4楽章のFinaleの主題が似通っているようだ。Finaleは僅か132小節で繰り返しはない。ガロワのテンポは中庸で演奏時間は1:57.直ぐに終わってしまうが、弦を中心とした各パートは、明瞭に聴き取れる。
 ガロワのこの4曲を聴きとおしてみて、レガートがキーワードになる。レガートでも曲によっては、微妙にことなるようだ。編成はモダンだが、奏者もかなり少ない。小編成ではなく、適度な距離感がある。Tuittiでは、管楽器は、やや音が少なめな分、右側の第2vn.のパートがわかれていて、弦の各パートが素直に聴こえているのがありがたい。特に第5番 第1楽章のhr を低くしている解釈は独特で、初期の交響曲意外にも、聞いてみたいと思った。
2019年2月25日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 3番を聴取。作曲順番で聴いていく中では、有名なNo.6〜8の3曲のセットの直前に当たる。エステルハージ楽団の頃になると推定されsoloの箇所が、かなり入ってくる。Finaleのfuga形式は短いが、聴き応えがあるのは他の指揮者でも記載した。この演奏でも同様。奏者の数は中規模だと思うが。繰り返しのない中、終わりの方でT 115からのvc.とbass.の長い持続音もダイナミックレンジが余り広くない録音ではあるが迫力は十分。