音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.27 hob-No.-12


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
 27 12    1763 E 4 -  -  - - (1)  D 小規模のソナタ形式で全楽章が終始
       1 E Alegretto
       2 e Adagio
       3 E Presto
 Eの調性は少ない。主調がE調であるのは唯一の曲。小規模のソナタ形式で全楽章が終始する。第2楽章のAdagio(e調)の主題は、 モーツァルトのfl.四重奏曲第2楽章に類似。弦のみで演奏。楽器の使い方や音色には工夫は余りなし。第2楽章は展開部と再現部が繰り返し演奏される。フィッシャー盤では、再度の繰り返しのときに、vn.soloによる装飾音がある。
 ドラティ盤はどの楽章も比較的ゆったりとしたテンポで、cmb.が目立つ。第2楽章の装飾音は合奏に留まる。
 2010年12月23日 ディビス盤を聴取。ディビス盤のテンポは、フィッシャー盤とドラティの中間。ただし 第2楽章のAdagioは、かなり遅い。作曲年代からすると、もっと初期の作品に相当すると推測。第2楽章は、展開部と再現の繰り返しがない。フィッシャー盤で繰り返しのときに、vn.のsoloによる装飾があると聴き飽きさせない。その分、同じ繰り返しだと飽きてしまう。ランクはDのまま。
 2011年3月20日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでは繰り返しの後半はcodaで短いvn.のsoloがある。リズムからしてシチリアーノ風。通しNo.で聴き通してみると、同じ作曲年代でありながら、一つ前のモルティン候時代の作品にやや近い雰囲気。保守的で聴き応えがない。ドラティ盤は、繰り返しを忠実に守っている。ただしAdagioの後半の繰り返しはなし。
 2013年3月9日 追記。ホグウッド盤を聴取。第2楽章 Adagioは、弦のみで、細かい動きと強弱の対比が聴き所。古楽器のためか細かいところまで聴き取れる。しかし全体的に元々ランクが低いために、ホグウッド盤としての、コメントはなし。
 2015年3月4日  ゴバーマン盤を聴取。Alegrettoでは2つのvn.は、ほぼ同じ動きをすることもありゴバーマンの特徴が出ない。第2楽章は展開部と再現の繰り返しがない。しかし全体的に元々ランクが低いために、ゴバーマン盤としてのコメントの追加が特になし
 2018年4月29日 ハンス・ロスバウト指揮のバーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団のNo.12を聴取。2曲目となるためか録音の音源にも少し慣れる。1961年6月の録音。
No.19でも気になっていたが、ダイナミックレンジが少ない中ではあるが緩叙楽章での音源の対比が特徴のひとつであるが思った。No.19と同様に第2楽章は弦楽器のみ。
 管楽器は休むために弦楽器のみの中、各パートの音の分離、Tuittiで強弱がポイントの一つになってくる。音の分離に関してはモノラルの音源のため、どうしても、この演奏では不足してしまう。しかし強弱に関してはモノラルの音源は余り関係がない。第2楽章にシチリアーノ風の主題は、最初に第1vn.のみでpで提示される。その後T2の後半で f で悲壮感を伴うように強調。この当たりの第1vn.のみではあるが強弱が比較的目立つ。Tuittiの箇所では、T24からの小終結部当たりがその例。T24では第1、2vn.のみが主旋律引く。その後、T25で全ての弦のパート f のユニゾンとなる。ユニゾンでの強弱の対比が古い録音ではあるが逆に、この演奏の特徴であると思った。この類似の箇所は、2楽章の最後でも、同様で悲壮感を漂わして、f で占めくくるのも印象的。2曲聴いたのみであるが、モノラル録音ならではの、ある意味ユニゾンを含めた強弱を生かした演奏が印象のひとつと思った。
 2018年6月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 12番を聴取。4曲のシリーズで最後になる。最近ロスバウトの曲を聴いたが、ガロワは録音が新しいことは有利。(下記のブログを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-893.html

冒頭の主題は例によって短い動機で構成される。T1から弦の各パートはスラーの表示のユニゾンとなる。しかしT9からスッタカートで切れ目のあるアクセントとなり展開していく。この音色の対比が明白。またその後に続く経過部も、スラーとスッタカートと明確に分けている。スラーとスッタカートでない部分は、ノリントンのようにノンレガートの様な音色。
 初期の交響曲では楽器の数は限られ、この楽章でも管楽器のsoloの箇所は殆どなく、弦楽器が中心になっている。しかし随所で1小節の中でも、細かい指示がある。自前の楽団があってこそ、この様な細かい演奏が可能であったと思う。
井上著の最初の部分でも少し触れられているが「岩城 宏之 楽譜の風景」で「フレーズの入り方などモーツアルトやベートーベンを比べて、はるかに複雑」とある。この第1楽章などはその典型ではないかと思った。ガロワの演奏は細かい部分が良く分かる。
 2019年3月7日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 7番を聴取。作曲順番から通して聞くとNo.40に続くことになる。No.40と比較してMenuetを各3楽章・楽器編成は同じだが、こちらは流れを重視した、小規模な室内楽的な雰囲気。 第1楽章でp ガロワ は、冒頭の柔らかいスラーを伴う第1主題とT9からのスタッカートを伴い対比について記載をした。メルツェンドルファーの場合は明確な対比は余りない。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

第2楽章は弦楽器のみだが、No.40と比較して、第1vn.が主体となって動き、他の弦のパートの対比が余りない。シチリアーノ風の主題だが強弱の対比があるものの、元々ランクを低くしていたこともあり印象は余りなし。録音は普通。