音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.55 hob-No.-48


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
55 48 Maria Theresia  1773 C 4 -  -  - - (1) A 祝祭的交響曲の頂点。
       1 C Alleglo
       2 F Adagio
       3 C Menuetto & trio、allegretto
4 C Finale,Alleglo
通称名のMaria Theresiaのように、1773年当時のオーストリア皇妃マリア・ テレジアがエステルハージ候へ訪問の折に、披露された交響曲。UP井上著によると、実際の作曲年は1769年で、この披露された曲ではなかった可能性を指摘。実際に披露をされたのは、Hob−No.-50の方であると記載。
 C調で祝祭的交響曲の典型。名曲解説全集にも掲載。通称名は、作曲者の死後に付くものも多いようだが、こちらは生前からあったらしい。Allegloは提示部がかなり長い。第1主題の提示後、経過動機が提示され、この動機が提示部内で随所で登場、展開する。余り目立たない第2主題だが、長い提示部での転調が多い。展開部は比較的短く、余り調性の変化はないが、経過動機も扱われている。
 Adagioでは、弱音器のvn.フィッシャー盤では、MenuetとFinaleを中心に随所でsoloがある。弦が主体で動くが、中間部でhr.の高音域のsoloがある。Menuetの第2部では、trp.の3連音があり、後のNo.100 の先駆をなす。特に第4楽章は、合奏協奏曲の様に、速いテンポで一気に駆け抜けるようで心地よい。AllegloのテンポよりもPrestに近い雰囲気だが、こちらがベター。祝典的な交響曲であるが、実際に当時、このために作曲された。後の交響曲では、祝祭的な雰囲気はあるが、実際の祝典が伴うことは余りないと思われる。(貴族からの委嘱で作曲されたり、市民向けのコンサートで披露するに留まる)このため、これが祝祭的な交響曲の頂点になると思う。
 ドラティ盤は、編成はフィッシャーよりも大きいが、交響曲シリーズのひとつとしてあくまで演奏している雰囲気。soloの扱い方が控え目。

「追記」2009年10月10日 NHK FM放送 名曲の楽しみ ハイドンその生涯と音楽にて、トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュコンサートの演奏を聴取。先週からの引き続いての聴取。フィッシャーと比較し全体的にテンポがゆっくり目。オリジナル楽器のためか、響きが、やや「くすみ」がち。楽器編成では、cemb.が入っている。ドラティ盤と同様に、弦を中心としたsoloの扱いはない。第1楽章のtrp.のファンファーレ風の旋律などは、輝かしさが欲しいと思う。駈抜けるような爽快感は、やはりフィッシャー盤を取りたい。
 2011年1月9日 ディビス盤を聴取。楽器編成はフィッシャー盤と同様に、trp.が入る。同時にcmb.が入る。Hob−No.-52と同様に、Allegloの展開部では、最初の部分で、cmb.の独自の動きがあり、cmb.の独壇場。比較的短い展開部で転調の箇所は、他の曲よりも少ないかもしれない。しかしその分、スコアで見ると第1vn.を中心とした速い旋律と演奏が聴き所なのが分かる。
 今回はスコアを見ながら聴取をしたが、数多くの版が出回っているのか、この演奏では異なるところがある。特に、trp.の箇所が実際には入っていない。全体を通してフィッシャー盤の掛け抜ける清々しさには適わない。
 2013年7月13日 追記。ホグウッド盤を聴取.。例によって、trp.とtimp.は入らず。編成からすると以前、聴取したピノック指揮の古楽器と同様になろう。しかしながら、編成が少ないのにも関わらず、迫力ある華やかさは、この演奏でも十分に聴き取れる。その原因の一つには、ときおり入る短調へ傾く旋律と音の強弱ではないか。ついつい管楽器を中心としたファンファーレに聴き勝ち。しかしながら、T12からのc−molへのpの旋律。その直後にまた、冒頭のファンファーレが来たり。従来よりも規模が大きいのはもちろんであるが、いたるところに、工夫が見られると思った。
 フィッシャー盤では、ついつい、迫力さが先行してしまい、管楽器のファンファーレが聞きとりにくい。それに対して、ホグウッド盤では、細かいパート、特にhr.が聴き取れるので、スコアをみながら、細かい分析には最適。
 名曲解説全集では、Menuettoの主部の中間あたりで、後の、交響曲100番  ミリタリーの第2楽章にも登場する、3連符のファンファーレに言及。ここまでは気づかなかった。ただしこの解説では、、古いためか、1773年の マリア テレジア訪問の際に演奏されたと記載。現在では、これではこの
 2015年4月5日 追記。ゴバーマン盤を聴取。祝典交響曲の典型であるが、裏を返せば、各パートの細かい動きは余り、重視をされて書かれていない。ゴバーマン盤は、各弦、特に第2、特に第2vn.の動きが特徴であるが、Tuittiの箇所が多く、独自の動きが少なく、しかも目立たない。同じC調で、数年前に作曲されたNo.41と対比させてみると、その違いが良く分かる。
 2016年1月10日 D バレンボイム イギリス室内管弦楽団のCDをNo.44に引き続いての48聴取。N45の同じ録音場所と録音年は近い。編成は打楽器群が加わる。録音が、奥行き間が不足し、平板な感じ。先日、ショルティ盤では、ホールの中央で聞いた雰囲気と記載をした、こちらはかなり近接している録音。提示部のみの繰り返しは採用するが、展開部と再現部の繰り返しはなし。Finaleは、かなり速いテンポで駆け抜ける。
3曲を一気に通して聴いていた。指揮者の演奏の解釈は、それほど違いがないかもしれない。しかし録音によって、聴き手にとっては、捉え方が大きくことなる。最後のNo.48は、No.44、45と異なり、timpとtrp.の打楽器群が入っている。その分、オーケストラの規模は当然大きくなる。
作曲者もその様に、演奏を希望するだろう。指揮者もその解釈が基本となる。聴き手もCD1枚に3曲がセットになっているので、収録順も考慮すると、当然、オケの規模に合わせて、それなりに期待をする。録音がNo.48では、No.45以上に音全体が近接しすぎて、分離、奥行き間が不十分。この録音のために、No.45と48に関しては、ランクが低くなってしまう。それに対して、No.44は録音もよくて、緊張感がよく出ていると思った。同じ1枚のCDでも、これほど録音による演奏スタイルの差を経験したのは初めて。
 2016年6月27日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No38を聴取。ここ数日、一連のブリュッヘンの演奏を聴いてきた中で、この第1楽章は、とても印象に残る。元々この曲のランクは自分なりに高く上げていたが、取りたてて、第1楽章は派手さの中にもfとpの対比、テンポの変化、転調など、楽器編成の多さも加わって至る所に聞き所がある。ブリュッヘンは、元々fとpの微妙なニュアンスをダントーネと同様に加えているが、この楽章でも随所に新たに登場。ホグウッドの様に、各弦のパートの分離とユニゾンの効果も聴き所。経過部のT35-T43の部分で第1vn.は伴奏的な旋律に重視する一方、第2vn.以下のパートが旋律を受け持つ。この部分でも第1vn.は、やや音量を落として、他の弦のパートを引き立たせている。これに対して、再現部のT151-159の類似個所では、調性も異なり、第2vn.が対旋律を引く。この対比が面白い。
 一番興味深いのは、T44からの第2主題の第1vn.の旋律。今まで聴いてきた指揮者は、この部分をスコアではスラーの提示で、柔らかく演奏する。しかしブリュッヘンでは、スラーの指示は守らない。この主題が少し、荒い雰囲気で漂う。再現部でも同様。しかし展開部のT128で類似した旋律(ただし、旋律は鏡の様に下降して登場)では、柔らかく登場。第2主題の柔らかい雰囲気が一瞬、聴かれる。ブリュッヘンの演奏の中でも、ここまで聴き通してきた中では、一番推薦する曲としたい。
 

2017年1月30日 T. ピノック No.48を聴取。同じC調でNo.50から引き続いて聴取すると対比が面白い。No.50は、どちらかといえば古風な雰囲気で派手さが少ない。一方こちらの方は、大編成のオケを想定したような、派手で祝典的な雰囲気が漂う。 
第1楽章は後期の交響曲に見られる単一主題に近いような構成とは対照的に、様々な旋律が随所で登場。多い旋律が転調されながらこの楽章の中で楽しむのがポイントの一つ。T38からしばらくはvn,はユニゾンで引く。しかしT41から第2vn.は、第1vn.と異なる旋律を受け持つ。この第2vn.の旋律は、再現部でも同じように登場するが特徴ある旋律。概してT40から第1vn.の高音域の旋律に消されてしまう。ピノックの演奏では、第1vn.は少し音量を落として第2vn.以下の旋律を引き立たせている。この部分は再現部で第2vn.の旋律が第1vn.の高らかな演奏されるポイントの一つ。(再現部では、主調で逆に第1vn.がこの旋律を演奏。それに対して第2vn.は音量を落とす。
 Finaleのテンポはやや遅めだが、第1楽章と同様に2つのvn.パートの分離とユニゾンが引き立つ。Tuittiで全てのパートが鳴り響くとき、特に左右のvn.パートが広がっていて迫力がある。ピノックの演奏の推薦曲のひとつとしたい。
 2017年12月19日 T ファイ No.48を聴取。この第1楽章は、様々な旋律が登場し、いたる所で転調を含む箇所が多く一度、聴いただけではテンコモリの印象がぬぐえない。しかしスコアを見ながら何度か聴き重ねていくと、楽章全体の統一感が見えてくる。ハイドンの面白さのたとえとして、即興と臨場感をベースとした漫才ではなく、落語の様にある程度、筋道を事前に知った上で面白さが分かる記述があった。この楽章はその典型のひとつ。楽章全体の流れを含めた、終わりまでの道筋を意識しないと、なかなか面白さは見えないと思う。
冒頭の第1主題で、管楽器群が受け持つ。vn.は旋律としての動きは余りないが、16分音符のリズム感が目立ち心地よい。(第2vn.が右側にいるため明白に聴き取れる)この後の経過部で T ピノックの演奏で、T41からの第2vn.パートの旋律を目立たせる部分について記述をした。ファイの演奏でも、同様に、第1vn.は少し音量を落として第2vn.の旋律を引き立たせている。その分、再現部の箇所では、第1vn.が主調で豪快に引くのは良い手段と思った。
ファイでは通常は繰り返しを守ることが多い。しかしさすがに、このファイ盤でも第2楽章で、展開部と再現部の後半に当たる繰り返しは採用せず。第1楽章は全て、繰り返しを採用して11:24。それでも後半の繰り返しの採用がなくても第2楽章は11:32で、ほぼ第1楽章と同じ。もともと、この第2楽章は終始、2つのvn.は、全て弱音器をつける指示があり。vn.パートの細かい動きに終始する箇所が多く、やや冗長気味な雰囲気のため、繰り返しがない分は納得できる。
 Menuetの再現で、timp.の即興や各パートの装飾などは、いつものファイ盤で、しばしば聴いて来た特徴のひとつだがここでも堪能できる。全体的に通して聴くと、過去のファイ盤の特徴を全て旨く捉えている解釈で推薦する曲のひとつ。
  2019年2月3日48番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。ハイドンの交響曲No.中で名前が付いている25曲が選曲されている。名称の マリア テレジア は、現在の説では、当人がエステルハーザ宮殿の到着した1773年より以前に作曲されたこと。当時の交響曲はNo.50だったらしい。しかし名前を持つ曲にはふさわしい。打楽器群のtrp.とtimp.を含む演奏もあるがマリナー盤は打楽器群はなし。
 この曲の第1楽章は様々な旋律が登場し、場合によっては統一感に欠ける雰囲気もある。旋律も多いのに加えて転調の箇所が強弱の対比も多い。統一感と変化の組み合わせてのバランスを考える必要があると思う。ひとつの手段として主な旋律をある程度、目立たせて伴奏の部分を少し抑えることがある。過去のブログにT ピノック の盤で、第1楽章 T40の部分。通常は音程の高い第1vn.の旋律を抑えてその分、第2vn.を引き立てる効果を記載した。(以下のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-671.html

 マリナーの場合も同様に、この部分は第2vn.を逆に引き立ているので同じ解釈。ピノックと同様に他の箇所でも、楽章の中で柱となるような旋律を目立たせているので統一感がある。
 Finaleのテンポもピノックより速めで躍動感がある。第1楽章では、vn.とob.のユニゾンが余り目立たなかった。しかしFinaleでは、ob.のユニゾンが目立ち打楽器群がない分、管楽器とのユニゾンが豊富に聴ける。疾風怒濤の交響曲は楽器編成が殆ど同じ。特にこの曲は打楽器分がない。しかし調性が違うためか、同じ頃の作曲されたNo.44と比較すると「同じ作曲かなのか?」と疑うほどの違いがある。マリナーの場合はNo.44の悲壮感とNo.48の明るい躍動感が旨く対比されていると思った。
 2019年4月4日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 48番を聴取。第1楽章は様々な旋律が登場しながも統一感が比較的ある曲と思うひとつ。以前 T  ピノック の演奏で、第1楽章 T41の部分で第2vn.の旋律を目立たせる特徴を記載した。(以下のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-671.html

 様々な旋律が登場し必要に応じパートによっては目立たせない部分ではある。メルツェンドルファーの演奏では、ピノックほどではないが、第2vn.の旋律を比較的表に出している。対向配置ではないが、過去にも少し触れたように第2vn.が中央より右側にも広がっていて、2つのvn.は厚みがある。Finaleのテンポは普通。普段は前面にob.が出るケースはあるが、この曲では余りでない。Tuittiで弦楽器とob.のユニゾンもこの曲に関しては良好。
 ただし録音に関しては、第1楽章は、LP特有のスクラッチノイズが時々目立つ。緩叙楽章で、ややレベルを上げての録音も違和感あり。しかし第3,4楽章でのレンジも開く録音も良好。録音で各楽章の差があるのが残念。