通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
39 |
29 |
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1765 |
E |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
Andanteの第2vn.の掛け合い。 |
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1 |
E |
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Alleglo di molto |
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2 |
A |
Andante |
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3 |
E |
Menuet allegretto |
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4 |
E |
Presto |
Hob−No.-28〜31は自筆楽譜が現存し作曲年代が確定している。中野著「ハイドン 復活」の最後の方に、交響曲の一連の作曲年が、過去の学者の研究の一覧で掲載されている。Hob−No.の順番であるが、もう一度見直してみた。 自筆楽譜が当初から現存しているのは、これまで聴いて来た中で3割程度しかない。 第2楽章Andanteのvn.の掛け合いが面白い。第1と第2が交互に演奏する。フィッシャー盤は第2vn.,がこの楽章だけ、通常との配置とは異なり右側に位置している。ステレオ感の広がりがあり第2vn.の細かい動きが聴き取れる。 モーツァルトの初期から終期までの交響曲の様な、第2vn.の独自の動きはハイドンでは余りない。しかしこの第2楽章のみは、かなり目立つ。 個人的には モーツァルトは第2vn.は独自の動きが多いこともあり右側を好む。しかしハイドンの場合は、現代良く用いられる配置の左側で良いと思う。 (2019年1月19日追記 この第2vn.の配置については、難しい論点であると思う)
ob.が2本であるが、soloとは違って2本が掛け合いながら進行するのは目立つ。音作りにはそれなりの工夫が多少はある。しかし全体を通して、さらりと書かれている雰囲気。Menuetのtrioは短調だが異様な雰囲気。主旋律が聴こえてこない。他のパートであったのが、削除されたのか? ドラティ盤も第2vn.をAndanteのみは右側に位置する。 |
2010年12月30日 ディビス盤を聴取。楽器編成が fl を欠いていること。第2楽章では、第2vn..は通常と同じ左側。vn.同士の掛け合いは余り目立たないが、低弦との対比はその分ある。
現代音楽作曲家福田陽のホームページ(リンクのページにアドレスを記載)によると、Menuetのtrioについて記述。パートがあったのを削除したと自分なりには記載をした。ここでも本来fl.のパートが主旋律を受け持っていたが、何らかの理由で解雇となり欠如したとのこと。Menuetの主部ではob.が活躍しており、fl.との持ち替えがtrioではできない。trioではハイドン自身がcmb.で指揮をとり、fl.の代用をしたのではないか?の記述。この方法は私なりにも納得できる。 |
2011年4月8日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。フィッシャー盤では、ディビス盤ほど、管楽器が目立たないためob.の音色は標準的。 しかしそれよりも、やはりAndanteの掛け合いが面白い。これは前記をしたように第1と第2vn.の掛け合いが特徴。フィッシャー盤では、やはり何度か、慎重に聴いてみたが、第2vn.は右側に位置している。この後の聴取記録 通しNo.41 Hob-No-39 「echo」 )のAndanteも同様に 第2vn.が右側に臨時的に配置をしている。掛け合いを重視する音色ではフィッシャー盤では、第2vn.を通常の左側の奥から、右側手前の当時の楽器の配置にしている。(対向配置) 掛け合いを重視する場合は理に適っていると思う。 ただし実際の演奏会をもし見た場合、第1楽章は通常通りに配置(第2vn.は左側奥)で聴いてみて第2楽章のみ、演奏者が急遽、移動することになる。第3楽章では、また元の第1楽章と同じ配置に戻る。この手間とか、雰囲気が変わるのは一長一短だと思うが。 それは別に置いても、この掛け合いは注目に値する。フィッシャー盤では、スコアでは指定がないようだが、codaに近い箇所では各パートのsoloの箇所がある。soloが所によってあるのは、やはり実際の演奏会に行ってみてこそ、分かる箇所が多く醍醐味があると思う。 楽器編成が縮小された第2楽章に対して、第3楽章Menuetは管楽器が復活。trioの異様な雰囲気は前記したとおりだが、福田氏のホームページの様にfl.の解雇問題は興味がある。ただし一点、少し気になる点がある。fl.奏者が、この曲の中でtrioのみの演奏箇所だったのかどうか? (2012年1月6日追記) 現代の演奏だと弦楽器の奏者は、エステルハージ楽団よりも多いのが一般的。聴きにくるために、観客は入場料を払って来る。楽章間でわざわざ弦楽器の一部のパートを、第2楽章だけのために変更するのは、余り価値がないと推定される。しかし初演の頃の小規模で私的な楽団だったら、楽章間の演奏配置の変更は、それなりのちょっとした面白みがあったかもしれない。 Menuetの主部でob.が活躍するために持ち替えは不可能。そうなると他のパートでもfl.の活躍があっても良いと思う。しかしこのtrio箇所以外は、fl.の活躍する部分はなさそう。元々、弦が主体の旋律が多く管楽器は付随的な箇所が多い。(第1楽章は活躍があるが soloの記載はなし) 今ひとつ、疑問が残るのが感想。 Finaleは第1,3楽章と同じ楽器編成。しかし殆ど弦のユニゾンが重視されている。全体的に聴き通してみて、やはり第2楽章の掛け合いが印象的。ドラティ盤は、フィッシャー盤よりもテンポが中庸。楽器の配置も通常通り。ディビス盤も同様。第2楽章の弦の掛け合いが一番の聴き所と思う点から、フィッシャー盤を一番に取りたい。
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2013年4月5日 追記。ホグウッド盤を聴取。Andanteでの2つのvn.の掛け合いが聴き所であるが配置は通常通り。 |
2018年10月7日 29番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。No.22から引き続く。No.29にも少し記載をしたが、総勢25名ではあるが、弦の配置人数がNo.22で記載したとおりだと、初演当時の宮廷の人数と殆ど同じ。(中野著 ハイドン交響曲では、この当時 vn.は4〜6人だが、va. vc. Bassは1名ずつ)
第2楽章の2つのvn.の掛け合いが聴き所のひとつしたが対向配置でないので残念。Finaleもtuittiの箇所では2つのvn.がユニゾンで引く箇所が多い。対向配置ならバランスが良いが。テンポが中庸だが流れるように心地よく進んでいく。モダン楽器と思うが演奏規模が適切で、初演当時の演奏をモダン楽器で再現されている好演と思った。 |
2019年3月18日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 29番を聴取。この曲からhr.は通常の2名。hr.はあくまで旋律の補強の役割が多い。第1楽章を中心に、一部ob.のsolo またはsoliに近い箇所がある。No.27にも記載をしたが、ここでもob.が目立つ。個人的にはユニゾンの箇所では、ob.はTuittiでの補強の役割。弦楽器に対しては、Tuittiでも控えの役割だと思う。しかし概してob.がTuittiでも弦を通り越して前面に出ている雰囲気。しかしそれでも再現部の冒頭での管楽器のユニゾンの箇所。提示部の類似箇所では、ob.のみだったがt108ではob.とhr.のユニゾンになっている。ハイドンはしばしば再現部でも提示部とは異なり、旋律、強弱、調性など様々に変えている。このT108の箇所では、ob.は控えめに周り、hr.を前に出している。
第2楽章は弦楽器のみ。Va.以下の低弦の旋律は、殆どユニゾンで同じ箇所が多い。それに対して、2つのvn.の掛け合いが興味深いが、通常配置のためか、掛け合いが余り目立たない。第2vn.は中央よりもやや、右側まで広い範囲で配置をしている感じ。2つのvn.が、かなり広い範囲であるのに伴い、va.以下の低弦が、vn.の押される可能性もある。しかしメルツェンドルファーの録音は、今までどの場合でも、大半は低弦の音量が押さえられることがない。この当たりは旨く録音で調整しているのかも。 Finaleは、今までの3つの楽章と比較して管楽器が持続音を受け持つ。管楽器は控えめに回りその分、弦楽器の細かい旋律が分かりやすい。各楽章の特徴に応じて録音の方法も、使い分けているのかも。 |
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