音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNO.71から
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No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
71 67 1779 F 4 2 2 不要 A CDの聴取よりも楽器の演奏を実際に見てみたい曲。
楽章の構成 調性 リ*1 曲全体の中で楽章の構成がユニークで、最初にFinaleの様な旋律と雰囲気のPrestoが来る。Prestoは大規模なソナタ形式で、第1主題は比較的短くて単純であるが、一度聴いたら覚える魅力的な旋律。展開部は、各動機を扱いながら展開し長い。再現部のcodaでは弦のsoloが入る。Adagioは、vn.に特殊な奏法がある模様。
 圧巻は、Menuetのtorio部分。2本のvn.のみで演奏。vn.の開放弦の調弦が通常より異なり新鮮な音となる。Finaleは3部形式だが1,3部はソナタ形式。第1部は繰り返しがある。中間部は全く違った旋律とAdagioのテンポ。その後、第1部が再現されcodaの部分でsoloを挟んで終わる。親しみやすい旋律と楽器の扱いや音色に随所に工夫が見られる。特にMenuetのtrioは、恐らくソリストがvn.を持ち替えての演奏と推定。CDで聴取をするよりも、楽器の演奏を実際に見てみたい曲として推薦したい。この頃の曲としては、ベストのものとして推薦したい。当時は人気のある曲であったと推定。俗称名がないのが不思議。
 ドラティ盤は例に寄って随所のsoloが少ない。Menuetでのtrioの2本のvn.の扱いもやや、目立たないので細かい音が分かりにくい。第1楽章のPrestoは、展開部と再現部の繰り返しがあり、その分、演奏時間が長くなっている。初期の頃と異なり、再現部は提示部と異なって短いながらもcodaがある。このため繰り返しがない方が、すっきりと聴こえる。
「追記」ハイドン106曲の交響曲を聴くの著作 井上太郎著より。Menuetのtrioで、vn.演奏について。私なりには、第1vn.では調弦を換えた一人のソリストが2つのvn.を持ち替えて演奏していたと思っていた。しかし、この本によると第1vn.は弱音器をつけたE線で弾き、第2vn.は弱音器をつけたD線とG線で弾くとなっている。G線は1音下げたFで弾くという指定となっていた。調弦を換える点では予想通りであった。しかし奏者が2人であったこと。それも調弦を換えるのは、第2vn.であったことは予想とは外れていた。
 しかしながら第2vn.のソリストは、Menuetで演奏をしていなければ話は別であるが、調弦を換えた2本のvn.を持ち替えての演奏をしたと思う。その場合は、持ち替えての演奏が期待を出来る。この点からも、やはり実際の演奏を見たい曲の価値としては変わりない。またランクもAを維持していると思った。実際、この本でもハイドンの独創性が存分に発揮された傑作と書いてある。

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月1日とする)

2012年3月10日追記 MenuetのTrioの部分のsoloは初めて聞くと、意外な音色も含めた聴き所と記載をした。井上著でもG線を一音下げたFの音程で引くと記載してある。vn.の第1弦の開放弦は、本来G音であるから、それよりもさらに1音低い音程となる。
 スコアを見ると本来、vn.では出せない音域が記載をしてあり、あらためてびっくりする。あわせて、もし実際の演奏を考えた場合、正確に1音低い音程が出せるのか。気になるところである。
だいぶ以前になるが、マーラー交響曲No.4の生演奏を見に行ったとき、第2楽章にも共通する点がある。すなわち、この楽章では半音高いvn.奏者のsoloがある。それに対してTrioでは、通常の調弦をしたvn.のsoloがある。この2つの楽器をコンサートマスターは、使い分けていた。
また、ソリストの傍らにもうひとつのvn.を置いていた。このNo.67番でもソリストは、このTrioのときだけ事前に調弦した別な楽器に差し替えていたに違いない。実際の演奏を見たいものである。



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2013年11月3日 デイビスを聴取。元々、この頃の作曲で一番好きな曲だったので、デイビス盤なりの表現方法を期待して聴取。cmb.が入っているが違和感はなし。プレストの一貫したテンポを通してる中、旋律の細かい動き(調生は元より、各楽器の旋律の受け渡し、ピチカート、スラーとスッッタカートの微妙な対比)が、楽章の間でいたるところで、記載されスコアを見ると音符が跳ね回っている雰囲気。
 一転してAdagioは、デイビス盤にしては、思ったより速めでAndannte並みのテンポ。しかしながら、これも違和感なし。Menuetのtrioは思ったより第2vn.の低音域が目立たず。Finaleの中間部で、テンポ、拍子、楽器編成、強弱が、がらりと変わった中間部に入る。このあたりの変化など、聴きどころに記載をした実際に聴取してみたい部分のひとつである。デイビス盤では、ライブ録音とも相まって臨場感が抜群。4者の中では、この臨場感を重視したこともありこの盤を推薦したい。
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2016年2月27日 ホグウッドNo.67をNo.68から引き続いて聴取。8分音符の僅か1小節しか構成されない動機がいたるところで展開される第1楽章。この動機がスッタカートだったりスラーだったり変形されながら、各パートで引き継がれる。T18でvc.の長い音色が特徴。ホグウッドの演奏は、小編成で8分音符の第1vnのパートと対比がすばらしい。T57のフェルマータで一段落する休止がある。ここでは長めの休止となる。
 Finale T78からの中間部分。弦3パートのsokoの開始の直前は、Tuttiで終わるのと対照的な雰囲気。この続きのT98からp指定で全てのパートがTuttiでからみあう部分が美しい。この中間部分は旋律的で、モーツァルトの様な、オペラブッファの中間部の様に聴こえる。ハイドンにしては珍しい。同じ頃に作曲されたNo.66.や68と比較して、この様に念入りに特徴的に作曲できるのか?楽器編成は少ないがホグウッド盤ではTuttiでの柔らかい音色とも相まって、フィッシャー、ドラティ、デイビス盤などとは独特。もしゴバーマンが録音していたら、モダン楽器でvn.の左右に広がった音色で聞いてみたい。
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2018年10月17日 67番  ニコラス・マギーガン  フィルハーモニア・バロック管弦楽団 を聴取。No.57と比較して作曲年代は1〜2年しか経過していない。しかし自由奔放に作曲した雰囲気はNo.57とは大差がある。打楽器こそないが管楽器を含めてsoloの箇所が多い。
 第1楽章の出だしの旋律から、スタッカートとスラーが混じり、第1vn.から次第に音量を上げて、盛り上がっていくTuittiまでの部分をとっても、弦の各パートがとても統率が取れている。T24から管楽器が加わり盛り上がるが、古楽器とはいえ迫力がある。No.57ではhr.はそれほど目立たなかったが、ここでは炸裂。8分音符の冒頭の動機は、後半から16分音符に変わっていく。ここでも統率が取れている。
  第3楽章のtrioで2つのvn.のsoloがある。いずれも弱音器をつけ、第2vn.は通常よりも半音低く調弦する。このため第2vn.のsolo奏者はMenuetでは演奏せず、trioのみ演奏していたのか? 2つのvn.は第2楽章の終わりまで通常に使用していたのか?この当たりは、実際の演奏を見たい視覚効果の高い曲だと記載をした。Finaleの中間部で、弦楽3人によるsoloの箇所がある。この後半では、3人のsolo奏者がT98でTuittiで取り囲まれる。Soloの奏者が一体となって溶け込む様子は実際に見てみたい。No93の第2楽章の冒頭でも、4人の弦楽器のsoloの奏者からスタートし、その後、Tuittiで合流する類似箇所がある。しかし、こちらの方は切れ目なく、柔らかい雰囲気で溶け込むような箇所だと思う。今まで何度も聴取して来た中で、弦楽器のsoloとTuittiの関係の中、実際の音の構造(周波数、倍音など)について、どの様な違いがあるのか? 楽器ごとの周波数解析データは少しみたことがあるが、soloとTuittiの関係の詳 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2019年1月4日 67番 ニコラス・クレーマー(Nicholas Kraemer)指揮のBBCフィルハーモニック(BBC Philharmonic)を聴取。砂川しげひさ氏「ハイドン交響曲全曲完聴記の弁」で、この曲のランクが高く「エステルハーザの虫」のたとえがあった。(リンクが切れているようだ) 冒頭からのせわしく動き回る動機で展開していく様子の「たとえ」だったかもしれない。また自分なりに、実際ライブで見たい交響曲のひとつと何度も記載をしていた。最近ではマギーガンの Finale で3人のsoloがTuittiで溶け込む雰囲気を記載した。Menuet のtrio の部分で、第2vn.のsioloが 半音 低く調弦するのに、いつの時点で行うのか? この当たりも実際に、見てみたいポイントなどを記載した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1023.html


Tiroの部分で、第1vn.と第2vn.は弱音器をつけるようになっている。Menuet の主部では、弱音器の部分はない。またMenuetが終わり、Trioに入るまで、休止の部分が殆どない。短い時間で2名のvn.のsolo 奏者が弱音器をつける時間は取れないと思う。このためMenuetの主部で2名のvn. ソリストたちが演奏していたのかどうかも、実際に見てみたい光景のポイントのひとつと思う。
  ライブ録音の演奏。映像がないのでこの当たりは分からない。しかしライブの雰囲気でなんとなく、想像力を高めてくれる。



No26でも記載をしたが、テンポの変化と強弱の対比は印象的。この演奏でもいたる所にあるが。たとえば第1楽章で第2主題が登場する前の部分。(第1vn.パートのみ記載) 柔らかい第2主題がT56から登場する。その直前まで、クレッシェンドで次第に盛り上げていく部分は臨場感もありすばらしい。何度、聴いても意外は発見がある曲。特に、冒頭から印象的な短い動機が様々に展開していく方法は、作曲者が楽しみながら書いた雰囲気だと思う。
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2019年4月23日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 67番を聴取。No.66から68は3曲のセットで出版されている。当時、3曲セットの場合、その内1曲は短調になるケースも考えられる。しかし、この3曲は全て長調。しかも ♭ フラット 系ばかりだが違う調性。3曲を通しての最後の曲になるが、3曲それぞれ共通点もあれば違う点も多々ある。
 過去のレビューでこの曲に関しては、当初から視覚効果の高い曲のひとつと記載した。弦楽器のsoloはもちろん、特殊奏法、solo とTuittiとの対比などが、魅力になる。視覚効果を発揮するには、どうしてもある程度、録音が鮮明でないと難しい。最近だと、N クレーマー T45で第1vn.が16分音符で刻むように、クレッシェンドで盛り上がる緊張感(下記のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1059.html

 あるいはFinaleの中間部分。N マギーガンでは、ライブとは思えない、古楽器の特徴を生かして、各パートの鮮明さとTuittiの溶け合いの良さなどを記載した。(下記のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1059.html


元々メルツェンドルファーの録音は、オリジナルテープがなくLPからの「盤起こし」のため、ぞれぞれの交響曲自体のばらつきはもちろん、同じ交響曲でも楽章によっても差が目立つところが多い。この曲も同様で歪が少し目立ちレンジも狭い。Finaleの中間部で3人の弦のsoloは、それほど違和感がない。しかしその後に続く他の弦とのTuittiでは、soloの音が未だに残っていてTuittiとしての音色が不明瞭。

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2019年9月22日 67番  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」で冒頭で「ハイドンの独創性が存分に発揮された傑作」と記述がある。自分のCDレビューにも ドラティ盤から始って7枚の記録を書いてきた。弦楽器の特殊な奏法、FinaleのsoloとTuittiの対比など、随所に聴き所があり視覚効果の高い曲とも記載をしてきた。また、No.28の時も少しふれたが、冒頭から短い動機で構成され、旋律、楽器を変えながら展開していく面白さもある。
 この曲も冒頭から、第1vn.のみで提示される。この時は、スタッカートが中心。(譜例 第1vn.で薄い□で囲んでいる部分。)T3から第2vn.のピチカートによる伴奏。T6から第2vn.確保的に追加。T8から2つのvn.はスラーに変化。(譜例では濃い色の□で囲っている部分)T18から第2vn.とvc.が持続音に変化。T25でob.を除くTuittiに突入。わずか25小節の間だけでも、これだけの変化がある。
 ドラホシュはモダン楽器のようだが、弦の奏者が比較的少ない分、対向配置でないものの、弦のパートの分離間と溶け合いが自然。特にピチカートの音色は、違和感がないので聞きやすい。
 第3楽章で、第2vn.の半音下げた調弦も、音色の変化が対比的。Finale中間部で3人の弦楽器のsoloからTuittiへの溶け合いも自然。打楽器群は入らない。しかし限られた種類の楽器の中、これほどまでに奏法等を変えての音の変化が生まれる。視覚効果の高い曲はもちろんある。それに加えてハイドンの没後、楽器が改良され種類も増える現代でも、この曲に関しては、以前として魅力を保っていると再認識。

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2020年4月13日 67番 ジョヴァンニ・アントニーニ カンマ―オーケストラバーゼル を聴取。ハイドン音盤倉庫にも弦のキレの良い名演とのレビューがある(下記のアドレス) このCD自体は、数か月前に購入し何度か聞いてきた。その後、同じ指揮者と奏者でYoutubeの画像をさらに見ることで、映像の面白さが加わることでレビューが中々かけなかった。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1755.html

冒頭からの弦のキレの良さはもちろんある。以前のドラホシュのレビュー(譜面あり)でスタッカートとスラーが25小節の間で、弦の各パートでも細かい対比があると記載した。(下記のアドレス)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1238.html


アントニーニの場合も同様。vn.の対向配置を生かして、弦の各パートの対比も明瞭。Youtubeの映像でも、この当たりはよくわかる。(下記のアドレス)

https://www.youtube.com/watch?v=fYNoLyEG2k8

映像では、この当たりの細かい奏法などがかなりわかる。特に第2楽章のcodaの部分で、すべての弦のパートがコル・レーニョ・デラルコにより、弱音で消えるように終わる。この奏法も、奏者と楽器のアップが短い時間ではあるが、とてもよく分かる。CDだと映像はないが、この部分は、さらにダイナミックレンジの広さもあって、音色の対比が印象的。
また同じ楽章の最初の方のT23の部分。テンポを落とし第1vn.のみとなる箇所。A フィッシャーなどは、モダン楽器で奏者は、平均的だが、この様な部分ではあえてsolo になるところ。アントニーニの場合は、あくまで、soloではない。vn.パートは6人だが、この箇所でもあたかもsoloで引いているように音量を落としているのが、映像でもよく分かる。

  第3楽章のTrioに入る直前。2名のvn.の奏者は、Trioの最初から弱音器をつける。さらに第2vn.は最低弦のG線をさらに半音下げ、不思議な音色に変化する。この変わっていく部分をどの様にするかは興味のあるところ。しかし映像ではこの部分がよく分からないのが残念。
元々、ブログの開設当初から、中期の傑作としてランクを上げていたこと。井上太郎著「ハイドン106の交響曲を聴く」でもハイドンが「次々と湧き出るアイデアに酔いながら筆を進めてハイドンの姿にを思わずにはいられない」と最後に記載があった。思うに、この曲は管楽器のfl.が入っていない。fl.がないと緩徐楽章を中心にやや明るさが減ってくる。元々の調性がFのフラット系。このためある意味、柔らかい雰囲気の箇所を作り難いかもしれない。
 しかし弦楽器の奏法を微妙に変えることで、恐ろしいほどに、楽器の音色を変えることやsoloとTuittiの対比などで、様々な手法が書かれている。19世紀の楽器の種類が増えているのとは対照的。少ない楽器でよくここまで表現できるとは。「湧き出るアイデア」の表現は、ぴったりだ。この演奏を通して改めて認識した。


Presto F
2 Adagio B
3 Menuet F
4 Finale、Alleglo di moltoーAdagio cantabileー Alleglo di molto  F


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
72 69 Laudon 1779 C 4 2 2 2 不要 B 親しみやすい旋律と通称名で当時からの人気作品。
楽章の構成 調性 リ*1 Vivaceの第1楽章は中規模のソナタ形式。C調で明快な主題はNo.48の主題に類似。通称名のLaudonは実在の人名で、トルコ軍を撃破したオーストリアの元帥のラウドン男爵を示すらしい。第1楽章の展開部は提示部の動機が扱われ、4つの部分から構成される。短いcodaがあるが曲の構成が明快で分かりやすく、一度聴いただけで覚えられる親しみのある楽章。特に第2主題は民謡風で明快。
 Adagioの第2楽章は、中規模のソナタ形式で演奏時間が比較的長い(フィッシャー盤で9:10)例によって弱音器vn.を主体とした第1主題。提示部は、それほど主だった特徴は余りないと思う。それに対して展開部は第1主題の始まりは同じ雰囲気だが、短調の表現が効果的に生かされていて、2つのvn.の対比が心地よい。再現部は管楽器が主体となり装飾が加わりながら提示部と大きく異なる。
 Menuetのtrioでは随所にsoloあり。Finaleは自由なロンド形式だが、フィッシャーでは随所に弦のsoloがある。明るい雰囲気でも、その底には、ユーモアをこっそりと楽しむ感じ。
 4つの楽章全体を通して聴くと、明快で分かりやすく親しみが沸く。通称名が付いている点からも、当時から人気にあった交響曲と推定される。No.67と比較して当時から人気がある作品と思った。何度も聴くとなると、No.67の方に軍配を上げたい。しかしこちらの方が、この後に続くパリ交響曲シリーズと遜色はないと思う価値あり。後年のモーツァルトやベートーベンなどは、この曲を見本として作曲したのではないかと思った。
 ドラティ盤は第2楽章のテンポがAdagioでなく、Andanteの様な速いテンポ。フィッシャー盤と比べると、さらりと流している。また提示部の繰り返しがないので、かなり演奏時間が短い。(5:03)作曲者の指示を重視すれば、フィッシャー盤のAdagioに近いテンポをとるべきか?各楽章でのsoloの活躍は殆どなし。各solo楽器の音色を楽しむ点からフィッシャー盤の方を取りたい。

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月2日とする)

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2013年11月2日 デイビスを聴取。元々デイビス盤はテンポが概して遅いが、この第1楽章は極端に遅めの印象。作曲者の指定はVivaceとなっており、これを遵守したのが、本来のテンポかもしれないが。今まで特にフィッシャー盤では、かなり速いテンポに慣れていたので、戸惑い気味。
 その分、各パートがホグウッド盤並に比較的細かく聴き取れる。T5で早くもVc.が単独で引く。これに引き続き、T15ではvc.に加えてbass.がユニゾンで引くが、この音域の広さにびっくりする。(それまで、低音域でbassが出現しなかったので印象的)デイビス盤はcmb.が入っているが、中期のhob−Np.−42の第1楽章の展開部でも同様だったが、独自の動きがある。概して展開部を中心に、ピアノの箇所で、ユニゾンで持続音をを長く引く箇所で、cmb.の装飾音でアクセントとしている様だが、No.42ほど目立たない。それ対して残りの3つの楽章は、比較的テンポは3者と同じ。各楽章でfg.が活躍するので、デイビス盤ではこの音色がよく聞こえる。
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2018年6月13日 69番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。ホッグウッドは繰り返しを忠実に守る。No.34や72から引き続き聴取すると打楽器群が追加となる。弦の奏者もさらに増えているようだ。
 緩叙楽章では、11:10で演奏時間では全体の約半分を占める。弱音器を使用したvn.が中心だをが低弦を含むパートも、bassとの分離が随所にあり引き立てていると思った。しかし全体的に聴き通してみると、ホグウッド自体の特徴は初期の頃と比較して、余り目立たない印象。
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2018年9月26日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.69を聴取。No.69.89.91の3曲を収録。全曲を通して分かりやすい曲のひとつであるが、パリセットと比較して、概して私には、「大味」の印象が根底にある。Finaleでvn.が中心でありながら中間部の短調を挟んで、流れるように進んでいく。2つのvn.パートとその他のパートとで掛け合い、対比などが様々に繰り返しがなく展開していく。流れを重視している自然な解釈だと思った。なお、No.86で音の歪に関して記載をした。アンプの調子がよくなかったのが原因だった。
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2019年4月24日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 24番を聴取。ニックネームが付いた曲のひとつで、当初から自分なりにランクを上げていた。No.66-68の3曲のセットから引き続いて聴取すると、No.69−71は、どちらかといえば、最近は、やや魅力にかけている感じを受ける。分かりやすさを前面に押し出しその分、何度か、指揮者や奏者を変えて、聴いてみても逆に余り曲から見えてくる特徴が分かり難い。平易に書かれている分、背後にある仕掛けなどが余りない方かと最近、感じている曲のひとつ。
 ハイドンの交響曲の面白さのひとつには、冒頭からの主題にインパクトにあると思う。インパクトという表現は、「どかん」や「迫力さ」とは違い、弱奏や強奏は問わず、主題の中の動機がポイントになると思っている。ひとつ前のNo.68 第1楽章の冒頭の8分音符の動機。僅か約1小節単位でしかないが、一度聴いただけで、直ぐに記憶に残る。この短い動機が展開、対比、受け渡されていく面白さ。この面白さが聴取記録に反映されていると思っている。
 一方、こちらの第1楽章の冒頭の動機は、主に2つのvn.とob.で演奏されるが、それとなく印象が余り残らない。


井上著でも、Finalは「冒頭の主題はリズミックで短調を含む転調が多く、管楽器のsol0が入るなど、全曲の中で一番面白い」と記述がある。Finaleの冒頭の動機は確かに、第1楽章の冒頭と異なり、リズミックはうなずける。それに加えて8小節中に、スラーを含む部分や対位法的な部分もある。T30からva.で長い持続音が入ってくる。この音程の開始のタイミングが少しずれながら、その後、ob.などの他の楽器い受け渡される。冒頭の8分音符の動機とは明らかに異なる雰囲気に展開していく。この当たりの起伏を含めた表現などは、何度か、聞き比べてみないと分かり難い。メルツェンドルファー自体での特徴は今回、余り見出せないが何度か聴き通していく中で、新たな点が分かった次第。録音は普通。




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2019年6月14日 69番 N マリナー を聴取。マリナー盤を収録順で聴取すると、No.60.63.69と、C調が同じ様に続いている。No.60.63はオペラ時代で、ツギハギの様な雰囲気が多いが、No.69は、作曲年代が下がり70番台のスタイルに近い。マリナーの録音はNo.60.63と同じ頃の1981年3月になっている。同じ指揮者と奏者と思うが、減の奏者がNo.60.63と比較して、やや多いような雰囲気。管楽器と打楽器群も交響曲の様に、随所に登場している。
 メルツェンドルファーの場合、Finaleの冒頭では2つのvn.の対位法的な雰囲気が余り目立たないと記載した。(下記のブログ) マリナーの場合は、2つのvn.パートは対等に演奏。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1155.html


Vivace C
2 Un poco adagio piu tosto andante F
3 Menuet C
4 Finale、Presto C


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
73 70 1779 D 4 1 1 2 2 不要 B Finaleの3つの主題によるフーガ。対旋律が全体を支配。
楽章の構成 調性 リ*1 第1楽章vivaceは中規模のソナタ形式。比較的単純な主題。規模は普通だが、さらりと書き上げたような雰囲気で特徴が余りない。Andanteは2つの主題による変奏曲。各所にsoloが入りながらも、旋律が豊かで対旋律が美しい。trioは、ob.と各弦のsolo。Menuetにcodaがあるのも珍しい。全体を通して聴くと、第2楽章で変奏を重ねながらも、対位法を重視した旋律の流れが印象に残る。
 Finaleは前奏の後、3つの主題によるフーガ。ロンド形式でなく、演奏時間はフィッシャー盤で僅か3:01. 対位法の使い方はフーガ形式とも相まって、この楽章で頂点となる。曲の終わりは、あっさりと終わってしまうが、途中の盛り上がりは聴き所。終わり方は異なるが、最初期のNo3の終楽章の雰囲気に近い。ここではさらに主題を増やし、より一層ダイナミックに仕上げた感じ。フーガ形式に加えて、ンド形式で、さらに演奏時間を増やしたら、もっと聴き応えがあると思う。その点は少し残念である。もしロンド形式だったら、 モーツァルトのNo.41の様な、ダイナミックなものになった可能性を秘めている。全体の楽章の中で、終楽章が突出しているので、全体的には、ランクはやや落ちる。聴衆受けを狙った雰囲気の曲とは、ほど遠く実験的要素がある「通好み」と思った。
 ドラティ盤は、Andanteでは、テンポを忠実に守っている。フィッシャーよりも各パートの音が細かく聴こえにくい。その分フィッシャーを勧める。

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月3日とする)

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2013年12月15日 デイビス盤を聴取。ひとつ前のNo.69と同様に、第1楽章はかなりゆったりとしたテンポ。Vivaceのテンポと言うよりは、モデラートの様な感じ。井上著では、この第1楽章は、「ゴツゴツした旋律が目立ち、いつものハイドン風の流れる印象は期待できない」と記載してある。テンポが、かなりゆっくり目なので、今まで3者の演奏を聴いてきた中では、それほどゴツゴツした印象は余りない。
 楽器の音色をの対比をどちらかといえば、重視をした作風がこの曲でも顕著。特に第2楽章は、vc.がかなり高い音域で第1vn.と掛け合うように活躍するところが随所にある。3つの主題のFugaは、一番の聴きどころであるが。bass.とvc.の分離が随所にあり、各パートの細かい動きが聴き取りやすい。最初期のNo.3と引き続いて、この曲を上げたらfuga形式の締めくくりが、同じ作曲者とは思えない感動を与えると思った。
 なお、デイビス盤は概して、作曲順番に収録されている。この交響曲は23枚目のあたる。この曲は、hob‐No. 61と53の3番目に位置している。いずれの3曲もD調。この23枚目のCDをもし続けて聴取したら、D調の3曲目にも辺り、やや食傷気味になる可能性あり。
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2016年2月28日 ホグウッドNo.70をNo.67から引き続いて聴取。No.68と比較して打楽器群が入り、ホグウッドでも編成が大きいようだ。FinaleでTuttiでpとfが対比されながフーガが展開していく。ホグウッドの編成は、他の指揮者よりもやや少ない分、迫力差が少し欠ける雰囲気。

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2017年6月4日 ラトル  City of Birmingham Symphony Orchestra  No.70 を聴取。No.60から引き続いて聴取する。ラトルの演奏で編成は打楽器群が入る。終楽章のAlleglo con brioでd-molから 交響曲に向かう直前の部分。Pで消えるように終わるがダイナミックレンジが広く、その後に続く冒頭の主題がD-DURでfで登場する部分と対比が印象的。しかし、No.60と同様、印象は少ない。
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2017年10月15日 T ファイ No.70を聴取。このCDは、この曲以外に71と75も収録されているが、作曲順番から最初にNo.70を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-1442.html

井上著に「第1楽章は、比較的長く、短く区切られて「ゴツゴツ」した印象でハイドンらしくない」と記述がある。私も同感で、特にこの第1楽章は、ハイドンとしては丁寧に書かれていない方だと思った。第1楽章は、もともと、「ゴツゴツ」した印象が最初にあるため、今ひとつ、ファイの演奏でも特徴は余り見出せない。
 第2楽章で2つの主題による変奏曲では、スコア通り繰り返しを採用。過去の解釈と同じ様に、繰り返しの後半では音量を少し落として微妙なニュアンスを加えている。
 一番の聴き所のfinale。「ゴツゴツ」した雰囲気は第1楽章に類似しているが、テンポや転調は複雑なので、こちらの方が曲としても聴き応えがある。ファイの演奏では、テンポを落とすところは十分に配慮をしている。Codaに近いD-durから転調して終結に向かう部分。第1vn.が高音部で4分音符を連続していきながら、他のパートは休む箇所。何回かこのパターンが繰り返していく中でテンポを次第に落としていく手法は、他の指揮者も同様だとは思うが、ファイではいっそう目立っている。このFinaleは最初期の交響曲No.3のフーガ形式も少し共通点があるかもしれない。打楽器群が入ることや、転調、強弱の対比などは、さすがにこちらの方に軍配が上がる。しかし全体的に聴きとおしてみて、ファイらしい特徴は余り見出せない方だと思った。
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2018年6月15日 70番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。No.72では、4人nohr.奏者は左右に分かれていたが、こちらは2名のため左側に位置。第1楽章はゴツゴツした主題もあり、聴き所としては余り期待できないと過去のログにも記載したが、この演奏でも同様。第2楽章は他の楽章よりもかなり長いか繰り返しを充実に採用。cmb.は常に入っているが、D デイビス盤と同様に、旋律によっては繰り返しの装飾などが入るが違和感なし。
 一番の聴き所のFinale Allegro con brio では、各パートがフーガで展開していく。モダン楽器で編成はそれほど多くないと思うが。短い冒頭の動機で、1小節単位で構成される4分音符。この4分音符をスッタカート風に刻む箇所と刻まない箇所を丁寧分けている。また低弦でvc.とbassが分離するする部分など、分離感と定位感が良く分かり、迫力がある演奏だと思った。
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2019年4月25日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 70番を聴取。No.69から引き続いて聴取。No.69にも記載をしたが、第1楽章の冒頭から、休符の多い細切れの主題。最初からインパクトが少ない曲のひとつ。最後のFinaleは異色。メルツェンドルファーの演奏でも僅か3:02で一機に終わってしまう。3重フーガでT120当たりはvc.とbass.が分離し、bass.の持続音が効果的。繰り返しがなく一気に終わってしまう。メルツェンドルファー自体での演奏は、No.70としては余り見出せない。録音は普通。

(下記のブログに譜面があり)

http://micha072.blog.fc2.com/?q=no.70

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2019年9月25日 70番  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。ハイドンには珍しく、冒頭の第1主題からゴツゴツした雰囲気。Finaleの3つの主題による2重フーガは、T25にスコアに記載がある。井上著では、 a3 soggetti contrapunto doppio とイタリア語?で記載されている。ドラホシュの演奏では、最初の主題の提示から、音量が少ない方のまま前半は終始。後半になると音量が上がる。しかしダイナミックレンジが広い楽章だが、レンジの広さが余り感じられない雰囲気。

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2020年1月30日 70番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコを聴取。第4集にあたる第2曲目で No.70を聴取。No.60 の全6楽章とユニークな構造とは、対照的に通常の4つの楽章。この曲は短いながらも最後のフーガ形のFinaleに向けて、集約されている感じ。ある第1楽章から、No.60と同様にオペラの劇音楽の様に「つぎはぎ」のように書かれている雰囲気もある。
序奏のない第1楽章の冒頭。ハイドンにしては珍しく一塊の動機がやや不明確で、しかも長さが長い。ゴツゴツした印象が大半と占めていることもあり、楽章全体に面白さがあまりない印象はこの演奏でも同様。
 Finaleのフーガはすべての楽器に主題が受けもち、聴き所が多い楽章。下記のブログにも、一部ではあるが譜面がある。

http://micha072.blog.fc2.com/?q=no.70

 この中で、特に弦楽器の中のva.のパートの音がアントニーニでは明瞭。2つのvn.のパートは対向配置で、前の方に、もちろん、明白に位置。しかし左側のva.も他の弦のパートと同様に明白に聞こえる。元々、va.は内声部の補強的な役割が多いかもしれない。音域もvc.と異なり。高音域まで上がることが少ない。モーツァルトの様に、va.のパートwを2声に分ける箇所もハ、ハイドンでは余りない。しかしこの楽章ではva.を含めて各パートがよく分かる。改めて、va.パートの内声部の厚みを認識した次第。
vivace con brio D
2 Specie dun canone in contrrapunto doppio、Andante
3 Menuet&trio、allegretto D
4 Finale、Alleglo con brio d


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
74 71 1779 F 4 1 1 2 不要 C 管の役割が上がり、後期につながる明るいFinale。
楽章の構成 調性 リ*1 第1楽章にAdagioの序奏が付く。主部のAllegloとは特に関係がなく、soloが入りながら曲全体の小手しらべの様な感じ。主部は大規模なソナタ形式だが、親しみのある主題と対旋律がNo.70と同様随所にある。特に第2主題は、カノン風に旋律が受け継がれて行く。展開部は、この頃の特徴のひとつとして第1主題の擬似再現がある。提示部、展開部を通じて、第1主題は前半の部分よりも、その後に続くコデッタ風の経過部が、重要な役割を担うようだ。
 No.53と同様に後から序奏が付加されたらしい。No.53の場合は、序奏がない場合、いきなり主部に来ると、少し拍子抜けの可能性がある。しかし、こちらのNo.71の方は、無理に序奏がなくても違和感はなさそう。
 Adagioは変奏曲。第1楽章では余り聴けなかった管の扱いが重視。この頃から、fl.とob.の持ち替えはなくなり、fl.とob.同士の掛け合いが多くなる。変奏曲であるが、ロンド風に主題の変化がなく帰ってくる箇所もあり。終わりの頃に変奏曲でありながらカデンツアがある。変奏自体に調性やテンポの変化は少ないが、各楽器の扱い方で音色の扱い方を中心に、聴かせてくれる。
 Finaleは大規模なソナタ形式。第2主題は管で提示されるが、提示部を中心に、管が主旋律を受け持つ箇所が目立つ。vc.とbass.の分離は見られないようだが、各弦の対位的な動きは、80-90番台と大きな隔たりはない。fg.を含む管の扱いが多く、明るく親しみのあるFinaleが、この曲の一番の特徴でないかと思った。曲全体が大衆にも分かりやすい雰囲気が伝わってくる。
 フィッシャーは随所にsoloが多くあり、soloの音が明快に聴こえる。それに対して、ドラティ盤はsoloの扱いが少ない。

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月4日とする)

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2013年12月17日 デイビス盤を聴取。いつものCDプレーヤーが不調で他の機種で聴取。音のバランスや音色等が異なり、トーンコントロールで調整するものの、聴き慣れない雰囲気がある。ひとつ前のNo.70と同様に、70番代の特徴と言うべきか、同じ旋律をでも楽器を変えながら、音色の変化を楽しむ典型的な曲。前の曲と同様に、第1楽章はやや、ゆっくりめのテンポで終始。
 特に第2楽章は、前曲とも異なり調の変化が少なく、その分、楽器の扱い方は音色を重視している。これは、この3者の演奏でも同様。デイビス盤では、弦楽器のvc.、bass.fg.それぞれの音色が明白なため一層引き立つ。全楽器の第3楽章 trioの2つのvn.のsoloなどもその典型。finaleの最後に近くなってから、それまで余り活躍していなかたhr.が華を添えているのが、デイビス盤では目立つ。テンポを速めて爽快に流れるフィッシャー盤を勧める。
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2016年3月13日 ホグウッドNo.71を聴取。vc.を含む楽器の音色の対比を重視した作品。ホグウッドでは弦楽器のパートがよく分かる。第1楽章のT43から第2主題がpで各楽器で受け渡しながら登場する。この部分でT49でvc.がbassと離れてかなり高い音域で演奏するが、古楽器のためか、独特な音色。
 第2楽章は、細かい音の典型。この楽章は、冒頭からvn.パートは弱音器を使用する。T41からの管楽器が受け持つ変奏の部分。管楽器はpの指示。弦の各パートは第2vn.以外はピチカート。第2vn.は32部音符の持続的な対旋律を伴う。この部分で、主旋律の p の管楽器に寄り添うように、第2vn.が鮮明に聴こえるのが印象的。この曲は、ハイドンとしては珍しく長い旋律で謡う様な個所が多く、しかも楽器の音色を随所で対比させている。古楽器で初めて聴くが、フラット系のB−durということもあり、全体的に落ち着いた雰囲気が堪能できる。
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2018年6月16日 71番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」ではこの曲の記述として「オーケストレーションの独創性が少なからず見出され、非常に興味深いものがある」とある。グッドマンの演奏は、繰り返しを忠実に守ることもあり、演奏時間が32:57にもなっている。この演奏時間だとザロモンセットと同じぐらいになる。
 さて、この第1楽章は様々な動機が登場するが、No.83にも少し雰囲気が似ていると思う。すなわちNo.83は序奏こそないが様々な動機が登場し、展開部で生かされていること。No.71も同様に第1楽章の提示部で様々な動機が登場する。T53からの第2主題の経過動機?でva.→第2vn.→第1vn.に移行していく部分。再現部のT180からはvc.→va.→第2vn.→第1vn. と順番と調性を変えている。
 この部分はFinale 展開部のT62で少し類似した箇所がある。この動機がT62で少し登場し、T70でさらに第1楽章と似たような雰囲気になる。この動機は再現部では登場しないようだ。一体感のあるFinale冒頭の主題が、展開部の中で「ぽつん」と存在しているように感じる。その分、逆に冒頭主題が引き立っていると思う。



No.70と72でも記載をしたが録音の良さも手伝って、各パートの旋律が良く分かる。グッドマンの演奏は初めて聴取したが、共通した特徴として分離感がよいこと。ハイドンの交響曲では、各パートの分離のよさがある。また第2vn.は右側に明快に位置しているので、Tuitiでvn.を中心とした音の厚みも良いのが特徴のひとつ。また繰り返しを忠実に守るのも良い。他の曲も聴いてみたいと思った。
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2019年4月26日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 71番を聴取。No.69、70と違って3番目になるNo.71は、オーケストレーションの独創性が見い出されると井上著にも記載されている。序奏の後の冒頭の動機から簡潔で、リズム感のある雰囲気。第1楽章だけに限らず様々な動機と旋律がsoloを含めていたる所に散りばられている雰囲気。指揮者や奏者によって、何度か比較しないと曲の面白さは分かり難い曲のひとつ。序奏ん最初からvc.とbass.の分離があるなど、オーケストラの手法に面白さが随所にある。
 疾風怒濤期のNo.47とこの第2楽章を比較してみると対比がしやすい。楽器編成もfl.が増える。低弦の分離も緩叙楽章こそないが、va.とvc.とは一体で動いていない。弦のピチカートの使用など、数年前のスタイルとはがらり変わる雰囲気。
 第3楽章 Menuet Trioの部分で、vn.の2名の奏者がsoloとなる。メルツェンドルファーの演奏では、No.6〜8のときは2名のsoloの奏者の位置ば不明瞭で、特に第2vn.の位置が右側に位置し、2つの弦のパートとの関係が離れていて不自然なことを記載した。しかしこの録音は2つのsoloは、やや離れた位置であるが左側に少し離れてバランスが良い。ピチカートで伴奏する2つのvn.パートとの溶け合いも良好。
Soloの箇所が多く、No.68と同様に視覚効果の高い曲だと思う。緩叙楽章こそ録音ではレンジが狭いが、他の楽章は録音も比較的良好。No.6〜8シリーズと違ってレンジも、ほどほど広く推薦したい。
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2019年10月3日 71番  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。一つ前のNo.70で、短いながらもFinaleの対位法的な圧倒的な締めくくりが印象に残る。第1〜3楽章まではFinaleに対して、全般的に対位法的な技巧が少なく、ゴツゴツした印象に終始。その分、最後のFinaleで一気に開花した曲からの印象で評価を上げた。
 同じ頃に作曲されたNo.71は井上著にも、「ハイドンのオーケストレーションの独創性が少なからず見いだせる」と記述がある。No.70と比較してsoloを含む弦の様々な音色、複数の管楽器の音色の対比など様々な聴き所がある。しかし一度、聞いただけではなかなかこの曲の面白みが分からない。全集以外だと、めったに取り上げられない曲の一つではあろう。
 序奏の後T8からの第1vn.の第1主題。スラーの下降する長い旋律と支える第2vn.以下の伴奏。8部音符のこの伴奏の動機は、わずかだが8部の休符がある。このずれが面白い。T8からT12までは弦のパートが分かれているが、T13では弦楽器(fg.を含む)の f でのTuittiとなる。Tuittiでの強弱の対比。T17での第1vn.のみでの動機の確保。T19での第1vn.の僅かな休符。T8からT19までの僅か11小節の間でも弦楽器だけで様々な工夫がある。一つ前のNo.70などとは比較にならないほど、弦楽器だけでも聴き所が散りばめられている。(少し前に記述したNo.67にも類似している)
以下のブログ

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1238.html

ドラホシュの演奏では各パートが鮮明。その後の経過部で、新たな動機が登場する。(下記のブログに譜面あり)こここでも記載をしたが、この楽章に関してはNo.83のように、様々な動機がいたるところで登場するのが特徴。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-933.html

この動機がFinaleの展開部で似たように登場する部分がある。この部分でもうまく表現。弦の奏者の数は少ないかもしれない。しかしR グッドマンのように vn.の対向配置を生かした表現の方に、さらに軍配を上げたい。R グッドマンの場合Finaleで展開部と再現部の繰り返しをしていた。一方、ドラホシュの場合は、繰り返しはなし。展開部T61からの第1楽章の類似箇所を再度聞けることも繰り返しがある分、少しマイナス材料と思った。


AdagioーAlleglo con brio B
2 Adagio F
3 Menuet B
4 Vivace B


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
75 73 La chasse 1781 D 4 1 2 2 不要 A hrを中心とした音色の変化とダイナミックさ
楽章の構成 調性 リ*1 序奏を伴うが、最初の部分から弦のピチカートを伴う。この交響曲からの初めての手法かもしれない。ちょうどベートーベンのNo.1交響曲の第1楽章に類似。序奏は主部とは直接関係はないようだが、主調を確保しながらも、微妙に単調にも転ずる。提示部の第2主題は、第1主題と類似している。展開部は、両主題、経過部動機等が多彩に扱われる。再現部では、展開部では余り扱われなかった第2主題が、旋律と音色を変えて登場。この手法は、今後も多用される。フィッシャー盤では、展開部以降にhr.がかなり強調されて演奏されているが聴いてみて、ダイナミックな雰囲気に寄与している。
 Andanteの変奏曲は、主題は親しみやすく、各楽器を含めて展開。Menuetでは、soloの扱いが目立つ。trioは木管アンサンブルが主体となるが、fgが、かなりの旋律を担う。
 Finaleは、通称名の由来となった「狩」の主題。通称名は作曲者自身が付けている。オペラ「報いられたまこと」j序曲からの転用。狩風の主題が、hr.とob.で提示。hr.は2本であるがフィッシャー盤では、かなりの音量でhr.を際立たせる。編成は第4楽章のみtrp.とtimp.が加わる。かなり長いcodaが続くが消えるように終わるのは意外。
 名曲解説全集では、No.63以降で久々に登場。これによると、1781年はロシア四重奏曲を完成させた年にあり、古典派ソナタ形式を樹立した記念すべき年に当たる。この交響曲も節目に当たると記載してある。実際、今まで聴いて来た中での総決算と一区切りがある。No.53頃を転機として、さらに飛躍をした感じ。フィッシャー盤では初期の頃からhr.を中心に、特定の楽器を際立たせていて、小編成ながらの強奏でのダイナミックさが、曲によっては聴かれる。しばらくこの様な雰囲気の曲や演奏が途切れていたが、久々登場した感じ。
 ドラティは編成が大きく、soloの箇所が少ない。特に、第1楽章の展開部から再現部にかけてのhr.の扱いは余り目立たない。1-3楽章とから第4楽章で楽器編成が加わった差も余り聞き取れない。このためフィッシャー盤を断然推したい。なお、ドラティ盤は第1楽章の展開部と提示部を繰り返しているのでフィッシャーよりも演奏時間が長くなっている.(10:03と6:57)

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月5日とする)

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2010年(平成22年)1月9日  NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 20」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中で、Alleglo 第1主題が モーツァルトやベートーベンの印象的な主題の、先駆けになった点について、触れている。同じ旋律を各楽器が変えながら進行していく点で、斬新さがある点は合点が行く。Allegloは比較的速いテンポ。展開部と再現部の繰り返しがドラティ盤と同様にあるが、演奏時間は比較的短い。注目のFinaleは、hr.が余り目立たない。新たに、timp.とtrp.も加わるが、やや迫力不足。経過部を中心としたテンポの微妙な変化は面白い。楽器の配置は、通常に聴かれる様に、第2vn.は左側に位置する。やはりフィッシャーを取りたい。
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2014年1月3日 デイビス盤を聴取。cmb.が元々入っているが、緩徐楽章では後期の交響曲では装飾が比較的、目立たなかったのが、ここでは割合に引き立つ。各パートが鮮明に聴きやすいが、ここでも、vc.を中心に、細かいところが聴き所。しかしながらテンポが比較的ゆっくり目で、テンポの変化が比較的少ない。終楽章のhr.も、やや迫力に欠けている。しかしその分、思ったよりテンポと強弱に差を付けている。ライブ録音のためかFinaleの繰り返しを懸念したのか、終わった直後、聴衆の拍手が直ぐに入らず。No.71や、No.76〜78と同様に、テンポを速めてフィッシャー盤を薦める。
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2016年3月16日 ホグウッドNo.73を聴取。第3楽章 Menutet のテンポは、やや遅めで、pの個所が多い。Finaleに続く直前も、p で終わるようだ。それに対してFinaleは、冒頭からTuttiでfから始まる。ホグウッドは、trp.とTimp.は使用せず、この音色が対照的。(楽章と楽章との間が、少し間があるようだ) Finale展開部のT148-156 三連符の16分音符で弦のTuttiの個所。次第にT157からは弦の全てのパートで32分音符。その後、T161からは、64分音符でエネルギッシュに進む部分が一番の聴き所。ホグウッドでは、編成は少ないが、この部分は打楽器群がなくても違和感なし。最後は消えるように終わるので、聴き応えのあるFinaleの中で、編成が少ない中の特徴をよく表現している。
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2017年10月22日 T ファイ No.73を聴取。第1楽章 序奏 Adagioのテンポは、今まで聴いてきた演奏では一番遅い。序奏だけでなくこの後に続く部分とも共通するが、スッタカートとスッタカートでない部分を忠実に分けている。序奏は一度聴いただけでは余り特徴がないと思われる。しかし何度か聞いてみると、この8分音符の動機は提示部でも使用されていて共通点がある。(たとえば後述のT47のva.の箇所など)
名曲解説全集にも記述がされているが、T26から始まる第1主題は主張D-durの下属和音から開始される斬新的な試み。展開部で第2主題は扱われない分、再現部では短調を交えて展開されるなど、様々な展開がある。あたかも既に数年先を目指した先取りを行くような雰囲気。T26第1主題のスッタカートは、忠実だが、その後T38 第一vn.の音程こそ違うが同じ動機は、スッタカートでない。T26とT38の主題に違いを明確に対比させている。また、対向配置のvn.も効果的。T26の動機が、第2vn.T27で少し遅れて引いていく部分。8分音符の動機は、いたるところではないが(この当たりは No.88の第1楽章とは対照的)第2主題の共通した動機とも一致しているので重要。第2vn.が左側に位置しているので明確に聴き取れる。ハイドンには珍しく、この楽章ではva.も独自のパートを持っている箇所がある。(va.は左側のやや奥側に位置)
 Finaleは冒頭から打楽器群が突如入るので、演奏を聴いた聴衆はもし初演であったらびっくりしたに違いない。シンコペーションのリズムはハイドンが得意としているが、この楽章でも十分に生かされている。冒頭の8小節からなる最初の主題は、通常の指揮者と同じPrestoのテンポ。一方ファイの演奏は、その後に続く第2主題の同じシンコペーションの第2主題は、テンポをかなり落とす。この対比が印象的。展開部の後半でTuttiで畳み掛けていく盛り上がりはファイでは余り聴かれず。しかし違和感はない。ひとつ前のNo.70と比較して、ファイらしい特徴が良く出ていると思った。
このfinaleはオペラ序曲からの転用であるが、No.53のB版のFinaleにも類似していると思った。シンコペーションなどのリズムはないが、Tuttiで華やかな動機が楽章行き渡っている雰囲気が共通していると思う。しかしNo.73のFinaleは消えるように終わるので、No.53とは対照的。
 ウイーンで最初に出版された最初の交響曲である自身の表れだと、井上著の本にも書いてある。特に第1楽章は、何度聞いても和声に変化があり。聞き飽きさせない。パリセットと同じように、もう少し演奏会でも取り上げてほしい曲のひとつだが。残念ながら、今の時代では機会が少ないようだ。打楽器群は、最後の楽章だけに登場する。オーケストラのフルメンバーは最初から登場しないのも原因のひとつかもしれない。No.88も打楽器群が入るが第2楽章から入ってくる。第1楽章は打楽器群がないのと共通している。No.88も余り取り上げられないのも同様の理由かもしれない。
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2019年4月27日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 73番を聴取。打楽器群は、再度のFinaleのみ登場。第1〜3楽章までは打楽器群は入らない。中期以降の交響曲の典型で、管楽器のsoloも随所にある。最初の3つ楽章では、主に管楽器の中のfl.に力点を置いていると思う。第1楽章のT56の部分。ここでもfl.が第2vn. va.とともに、ユニゾンに近い旋律で吹いている。この部分でもかなりfl.が低音域ではあるが、明白に聴こえている。
 Finale最初から打楽器を含むTuittiで開始する。得てして打楽器を含むエネルギッシュな展開部の盛り上がりを含め、強弱の対比がポイントの一つ。1〜3楽章でfl.についても記述したが。このFinaleでもfl.が活躍する。T29の第2主題の狩の旋律は、hr.とob.のみで、fl.は入らない。それに対してその後に続くT41から、flは第1vn.va.とともにユニゾンでスラーで入っている。第2主題の狩のリズムとは異なり、この箇所は、柔らかい雰囲気になるのでfl.の音色は効果的。
 全曲を通して、fl.の柔らかい音色が強弱の対比に合わせて効果的に書かれている。メルツェンドルファーの演奏では、このfl.がob.の奏者2名に対して1名ではあるが、かなりクローズアップされている。しかし初期から中期にかけてのob.の様な、極端なほどではない。
 第1〜3楽章とFinaleとの間で、録音レベルの差が感じる。第3楽章までの同じ音量だと、Finaleでレベルが少し下がってしまう。打楽器群が入ることもあり、少なくとも音量レベルは同じにしてほしい。初めて聴取すると音量の差に違和感がある。音量を上げても、内周歪などは特に問題ない。各楽章での録レベルの点では少し不満。
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2019年6月15日 73番 N マリナー を聴取。名曲の楽しみの番組の中で、第1楽章の第1主題が、同一の動機でありながら、展開していく点はベートベンなどにも通じる点を記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-861.html
元々ハイドンの交響曲は各パートの分離感、定位感、ユニゾン、Tuittiなど、動機を旋律が、展開していく点に面白さの真髄があると思う。必要に応じて、特殊奏法、Tuittiとsoloの対比など視覚効果の高い曲も多い。録音にも左右されることも大きく、ライブで楽しみたい曲もある。マリナーの場合モダン楽器の小編成であるが、1977年の録音でありながらも各パートがかなり鮮明。
 たとえば管楽器のひとつfl.のケース。ザロモンセットでは、全ての曲にfl.が入っているが、この作曲の時期は、全て入っているとは限らない。fl.は、soloの箇所もあれば、弦とのユニゾンの箇所など様々。第1楽章の提示部T57からの部分。ここではfl.がかなり低い音域で弦と演奏しているが、旋律は類似しているものの、音程が異なっている。低音域のfl.も弦に埋もれることなく、鮮明に聴き取れるのはマリナーならではの特徴のひとつだと思った。(最後の交響曲 No.104の第1楽章にも類似箇所がある)
 SoloとTuittiとの対比では、必要に応じて、soloの部分もある。初期、中期の頃は、スコアにはsoloの箇所は明示していると思う。しかしこの頃の時期になると弦のsoloは随所でない箇所が多い。ついつい、そのままsoloの箇所が気にならない部分も多い。しかし第2楽章の中間部T37からの部分。ここでは第12vn.とva.はsoloになっている。その後のT43の部分も同様。強弱に合わせて、適宜、弦でsoloの箇所を適宜、 フィッシャーは採用している。マリナーの場合は、フィッシャーよりも前の録音であるが、同じ解釈かもしれない。
 第2楽章の終わりの方で、弦楽器が音色を変えている。No.97 第2楽章の後半部分で聴こえた、スル・ポンティチェロ(sul ponticello)で引いているかもしれない。スコアには記載していないが効果的。(下記はNo.97に関するブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-953.html

 第3楽章でテンポを比較的落とし、f の箇所も 余り強調しないのは、ホッグウッドにも見られた。マリナーの場合も同様。第4楽章の冒頭から打楽器群がTuittiで派手に入る前の対比として効果的と記載したが、この理由かもしれない。
 元々、この曲は、どの部分をとっても聴き所が多く、ランクが高い曲として記載をしてきた。マリナーの演奏は、過去に聞いて来たNo.73の中でも各パートの対比が目白押し。ザロモンセットの先駆をなす曲でもあり、マリナーの推薦したい曲。

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2019年12月28日 73番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。過去にこの奏者のCDを数枚、聴取してきた。新譜では手に入りにくく中古を探しているが、なかなか集まらない。グッドマンは全集は完結していないが初期から後期まで結構、録音数が多い。古楽器で小編成ながら、録音が鮮明で好みにあっている。今回はNo.73〜75を入手。改めてライナーノートを見てみると古楽器でピッチはA=430。No.1〜92までは、cmb.を指揮しながら演奏。またvn.は左右に分けていたとの解釈。これに基づいて本人はcmb.を受け持ちながら指揮者を兼任。このため録音もcmb.が中央の前の方になっている。ドラティの全集は、cmb.は大半が入っていたが、あくまで各パートの1名として指揮者としては兼任なし。配置は概して右側の奥の方になっている。
これに対してグッドマンの演奏は、中央で明白に位置。しかもbass.パートにとらわれなく、必要に応じて装飾はもちろんbass.とは離れた主旋律も演奏する箇所も多い。各パートの奏者の配置もよく分かる。
No.73は人気のある曲の一つで録音数も多い。大半の録音はFinaleに打楽器群が入ったものが多い。しかしこのCDは打楽器群が最後まで全く入っていない。打楽器群がFinaleで入る演奏のときを考える。 第3楽章のMenuet も、やや柔らかい雰囲気で終わり突如、Tuittiで打楽器を含む音量の大きさに圧倒される。1〜3楽章まで打楽器群は入らないかった分、Finaleの冒頭から全速力という雰囲気。
一方、打楽器群が入らない場合、奏者は同じのため今ひとつの印象かもしれない。このFinaleは展開部と再現部の繰り返しがなく、消えるように終わっている独特な雰囲気の曲でもある。Finaleの独特な構造のため、一番盛り上がるところは展開部の最後にあると思う。グッドマンでは、展開部の最後では打楽器群は入らないが、他の指揮者と同様にエネルギッシュに終わる。興味あるのは、この後の再現部の冒頭。T166からの部分。譜面のスコアは打楽器群があるが。グッドマンはT165までは入っていない。T166からtimp.の代わり?に、低弦が竿でたたく コル・レーニョ 奏法 になっているようだ。timp.のパートの部分の一部に、この後、随時、演奏しているようだ。曲の最後は消えるように終わってしまう。繰り返しがないので、Finaleはこの部分は一度しかない。打楽器群があえてなくても、この特殊奏法による音色の追加で興味のある演奏の印象。

AdagioーAlleglo D (有)ドラティ盤)
2 Andante G
3 Menuet&trio、allegretto D
4 La Chasse、Presto D


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
76 74 1780 Es 4 1 2 2 不要 C 休止と音色の変化を重視。Finaleの流れるような印象と対照的。
楽章の構成 調性 リ*1 第1主題は主和音からなり、主題の中にも休止を挟む。第2主題も休止を挟む。休止を利用して、強弱のアクセントを付ける手法は、以前から採用されていたが、この交響曲では目立つ。しかし主題自体が比較的単純。展開部は両主題が扱われ、かなり長い。再現部でも第2主題が展開されながら休止箇所が多くなって提示部と異なる。第1主題は、後のNo.89に類似しているが、こちらの方は、楽章全体に渡って休止と音色を重視。
 Adagioは、vn.とvc(solo)で主題が続くのには、びっくりする。(後のNo.102の第2楽章もvc.のsoloによるオブリガートがあるが、その先駆をなしているのか?)その後、経過部に入って各楽器が登場し音色の変化を伴いながらの変奏曲。主題は2つある。調性は殆ど変化ないが、フィッシャー盤では、hr.の低音がかなり目立つ様に、演奏するのがアクセントとなる。またvc.とbass.の分離が所々あり、楽器の音色の工夫を重視している。Menuetのtorioでもvn.vc.fg.の掛け合いがあるが、fg.のみは珍しい。Finaleはソナタ形式で、流れるように明るい雰囲気になる。第1楽章の休止符が多いのとは対照的。調性がフラット系で、fl.とob.のsoloが殆どなく、vc.やfg.を重視している点から聴き通して見ると落ち着いた印象。
 ドラティ盤は、各楽器の扱いが目立たないが、ゆったりとオーソドックスに聴ける印象。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月6日とする)

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2013年12月17日 デイビス盤を聴取。第1楽章の展開部が、かなり長いと思ってスコアをチェック。提示部65小節に対して、展開部が61小節とほぼ同じ。休止が小美第1楽章だと記載をしたが、再現部の直前などに、微妙な転調が続くなど、じっくりとスコアを見ると、思わぬ仕掛けがある箇所が多い。爽快に流れるフィッシャー盤を勧める。
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2016年4月2日 ホグウッドNo.74を聴取。演奏会でも余り取り上げられないと思う曲の一つ。過去の聴取記録でも「通好みで意外な発見のあるのが特徴」と記載をした。第1楽章は、強弱、休止符、各パートの旋律の受け渡しなど、様々な仕掛けがある。T3からのbass.と分離しvc.が単独で登場する箇所。だいぶ前のhob-No.-42の第1楽章にも同じような仕掛けがある。調はお互いに異なるが、vc.の扱い方などは共通点がある。
No.42の方は、強弱や各パートの旋律の受け渡しなどは、同じ楽器編成でもNo.74に類似をしている部分が多い。しかしNo.72の方が、冒頭主題だけでなく、32音符から全音符までの様々な長さを伴った、細かい旋律がいたるところに登場する。しかもこれらの旋律が、長い展開部で自在に動く。年代を経るに従って、作曲スタイルが変わっていくことが分かる例。
ホグウッドでは、このvc.を含めた弦の各パートの動きがよく分かる。一度聴いただけでは、このvc.を含めた各パートの動きが分かり難い。展開部から再現部の後半部分も忠実に繰り返すことで再度、聴取者には、落ちのないように聞かせてくれる。打楽器群が入っていない曲だが、改めて、通好みの演奏を堪能できると思った。
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2019年4月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 74番を聴取。緩叙楽章を中心に録音が全体的に悪い。レンジが狭く、管楽器が強調され過ぎ。スクラッチノイズが一定のリズムで入り(丁度LPの回転数に合わせている周期)、左右の音のふらつきみ時折入る。録音がかなり悪い方の印象が先行し、演奏としての評価は余りない。(ひとつ前のNo.73では管楽器と弦楽器とバランスが比較的良かったのと対照的)

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2019年8月8日 74番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。井上著 ハイドン 106の交響曲を聴く」の中でこの曲は絶妙なオーケルトレションが伺える傑作と記述がある。ブリュールの演奏で、残りを聴いていく中で、No.40からの続きになる。作曲年代では、かなり間が空くことやfl.が入ることもあり、No.40から通して聴くと、オーケストレーションの絶妙さは、確かにNo.40と比較すると差があるのはわかる。
しかし、この後の交響曲と比較して同じ旋律や雰囲気が続く箇所が多く、自分なりには、少し冗長な点が耳に付く。このため、曲自体のランクも高く上げていなかった。流れを重視し、テンポの変化が余りない。このためさらに、この冗長な点が目立ってくる。ブリュールの場合は、概して少し遅めのテンポ。これも相まって特徴は余り見出せない。

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2019年12月29日 74番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。このCDは73.74.75の3曲がセットとなっている。作曲年代も近接しているが、それぞれに個性があるように思える。一つ前のNo.73は、打楽器群は入らないが、弦の特殊奏法を生かした独特な解釈。  No.75はこの後になるとして、No.74の方の特徴は? No.73から引き続くと、No.60番台の頃に少し戻るような雰囲気。打楽器群は入らないのは共通。形式や旋律は比較的保守的。それに対して、楽器を変えることによる音色の変化などを重視している雰囲気。
 第1楽章にも随所で短い旋律や動機をが各パートに受け渡しながら、音色や強弱に微妙な変化を加えている。第2楽章の冒頭も同様。冒頭の弱音器のvn.を生かした微妙な音色。スコアではvc.のsoloしか記載していない。ここでは指揮者自身がcmb.のストップ音?の効果で寄り添っている雰囲気。vn.(第2vn.のみも含む)、低弦、弦楽器、管楽器のsoloなど各パートの受け渡しの箇所が多い。奏者が少ない分、細かいところまで聞ける。
 Finaleはこの後の作曲になるNo.91にも少し似た雰囲気。しかしこちらの方が各パートの受け渡す箇所が多く、室内楽的な雰囲気。もともとこの曲自体が大人数の奏者で想定したいないと思う。グッドマンはこの特徴を生かしていると思った。
Vivacs assai Es
2 Adagio cantabile B
3 Menuet&trio、allegretto Es
4 Finale、Alleglo assai Es


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
77 75 1781 D 4 1 1 2 2 不要 B 第1楽章でのテンポの速い爽快感の流れ
楽章の構成 調性 リ*1 序奏のGraveと主部のPrestoの対比が印象的。序奏はかなり長く、主調から短調にも移る。第1主題は モーツァルトのオペラ序曲の主題にも類似。フィッシャー盤は、Prestoのテンポを忠実に守り、休止が少なく流れるような雰囲気を保っている。展開部は2つの主題を扱う。それに対して、再現部は第1主題の再現と経過部をを扱い第2主題の再現がない。その分、展開部から駆け抜ける様に一気に終わる。Prestoのテンポを生かした爽快感が特長。
 第2楽章は一つの主題による4つの変奏曲。変奏は調性の変化は余りないが、テンポは、妙に変わり、2つの vn.、vc.のsoloがある。最後の第4変奏は、vn.の細かい動きに合わせてcodaが付く。Finaleは第1楽章と違って、少しゆったりとしたテンポ。ロンド形式で対位法はもちろん、管楽器との掛け合いなどが随所にあり、流れる様な明るく軽快な雰囲気。
 調性こそ違うが、序奏のダイナミックさ(転調、強弱、テンポ)や、第1楽章の駆け抜ける雰囲気などは、 モーツァルトのリンツ交響曲(第1楽章の序奏とfinale)に類似。 モーツァルトが逆に、この交響曲を手本としたのかもしれない。この後に続くパリ交響曲シリーズに次ぐものとして、十分に推薦できるレベル。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月7日とする)

2013年12月22日追記。 井上著 ハイドン 交響曲では、この曲は、かなり高い評価をしているかも。ベートーベンやモーツァルトよりも低く評価をしている人に、まずは聴いてもらいたい曲として掲載。また、モーツァルトは、この第1楽章の主題を記録していると記載があった。実際、70番代の曲は、優劣をつけにくいものが多い。私としては一番に推薦したい。
 ドラティ盤は例によって、soloの部分が少ない。第1楽章のテンポは、PrestoよりもAlleglolに近い感じ。フィッシャーの様に駆け抜けてしまうことがなく、逆に細かい音までじっくり聴かせてくれる。終わった後の爽快感はフィッシャーほどはない。しかし初めて聴く場合は、曲の流れについて行きにくいと思う。ドラティ盤とフィッシャーの両者を推薦したい。

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2013年12月22日 デイビス盤を聴取。テンポは概して遅めだが、この曲もその典型的な例。最初のgraveの最も遅いテンポの指定だが、この演奏では、かなり速め。一方、主部に入るとPestoの指示よりも遅め。このため、序奏から主部へのへのテンポの対比が明確でない。再現部では、かなり圧縮されて一気のこの楽章が終わる。この駆け抜ける雰囲気が感じられず。フィッシャー盤を推薦。

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2016年4月9日 ホグウッドNo.75を聴取。No.74から少し間が開くが改めて、No.74との違いが、く分かる。交響曲の聞き始めた当初は、No.74よりのNo.75のほうが、好みに合っていた。しかしNo.74の意外な、通好みの個所を発見するに伴い、逆に意外な発見が、No.75の方は、ない印象。第1楽章の序奏のGlaveは、ハイドンの交響曲では唯一の指示だと思う、もっとも遅いテンポ。確かにどの指揮者も、このGlaveの遅いテンポを忠実に守りT24からのPrestoの主部との対比がすばらしい。ホグウッドも同様。

弦での細かい音の分離が特徴であるが、この曲では、第3楽章の ManuetのT2でbass.の部分。ここではbass.は他の楽器とは異なりf 指定でドローン風の持続音がある。今までの演奏では、この部分が余り分からなかった。ホグウッドでは、この部分が鮮明に聴こえる。
 意外な発見が少ないと思う原因の一つには、繰り返しの個所が多いからかも。第2、第4楽章は、両者とも変奏曲。殆ど繰り返しを採用。ホグウッドは繰り返しを忠実に守っている。調性こそ違うが、No.64の第2楽章と比較していみると良い。No.75よりも 約8年前の作曲であるが、作風スタイルが全く異なる。No.64は繰り返しは採用せず。大衆向けの分かりやすさは余りなく通好みのような楽章。テンポの変化、強弱、転調などは、No.75と異なりいかにも通好み。
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2017年11月5日 T ファイ No.75を聴取。通好みの作品と自分なりに評価をしていたが、最初に一度聞いただけでは、この曲のよさは分かり難いと思う。初演当時は録音機材がないので、聴衆は実演あるいは楽譜でこの醍醐味を知るしかなかった。井上著にも、ロンドンのコンサートプログラムで取り上げていたひとつと記載がされている。プログムに上がる以上、当時から人気にある曲だったに違いない。

 第1楽章の序奏から、ハイドンの交響曲で唯一?のGraveという最も遅いテンポで始まる、ファイの演奏はそれほど遅いテンポではない。しかしその後、主部に入ってからのPrestoの主題は、かなり速い。この曲は通好みと記載をしたが、第1主題の対旋律ひとつをとっても変化に富む。T25からの第1主題だけでなく、第2vn.va.vc.の8分い音符の刻む様な旋律も大切。T25では得てして第1vn.の旋律ばかりが目立ってしまうが、他のパートのリズムでせわしいような雰囲気を支えている。(再現部のt145からの部分では、第1主題は対旋律がないので柔らかい雰囲気を出している)ファイの演奏では、第1vn.だけでなく他のパートもしっかり目立たせる。その後の16分音符の速い動機やT45からの3連符のリズムなど多彩に展開する。(ただしT45のリズムは、展開部、再現部では登場しないのが残念)強弱の対比も聴き所のひとつ。ワンテンポ遅れてfl.が入ってくる部分も見逃せない。

展開部の後半のT104の部分。第1vn.が16分音符の動機(第2主題の一部)を展開する箇所。展開部でも第2主題が扱われるところで、この部分の対比がファイの演奏でも特徴的。まるでベートーベンの第3番交響曲を予兆させるような印象。
. 第2楽章は、繰り返しを忠実に採用するが、繰り返しの後半は装飾や即興を加えている。またpの部分では必要に応じて、スコアにはないsoloの扱いなどもあり。 Finaleでは終わる直前にテンポを次第に落として、最後に一気に終わる部分などは痛快。
 全体的に繰り返しの部分ではtimp.の即興を含む、繰り返しでの聴き飽きさせないのは、過去にも何度もあった。この曲では、初期から中期にかけての時期に関して、集大成をしたような結果だと思う。井上著にも、ハイドンをモーツアルトやベートーベンよりも低く評価する人に、まずは聞いて欲しい曲だと記述してあった。確かにハイドンの中でも、とてもランクは高い曲で、低く評価する人にも聞いてもらいたい。しかし1度聞いただけでは、この曲はなかなか分かり難い。特徴のあるファイで演奏では、なおさらだ。
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2019年4月29日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 75番を聴取。録音機能のない当時の聴衆は、作曲者からの意図を知るには、出版されたスコアや生演奏を聞くしか手段はなかった。演奏会でこの曲を実際に聴いた場合、分かりやすい曲のひとつかもしれない。各パートの微妙な旋律、音色や強弱の対比など様々な面白さがハイドンの曲にはある。この曲もそのひとつで、一度、聴いただけではこれらの醍醐味がわかり難い。 T ファイの演奏で、リズムや音色、強弱の対比などを旨く引き出せた好演を過去にアップした。(譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-816.html


 メルツェンドルファーの場合は、冒頭の序奏から録音の点で、No.74と同様にレンジが狭く、ノイズが多い点が不利になる。これはLP特有のスクラッチノイズが中心だと思うが、左右に均等ではなく、主に右側の方が大きいので左右のバランスが悪い。序奏の弱奏の部分などは特に目立つ。
展開部後半のT104の部分。 T ファイ では第1vn.が p で16分音符の動機(第2主題の一部)の強弱の対比を旨く表現していると記載をした。こちらの場合は、レンジが狭い分、対比が分かりにくい。
第2楽章は弦楽器のみで弱奏が中心となるが、他の楽章と同様に、弦楽器を含むsolo の箇所も多い。冒頭からの録音がよくないのは同様。第3変奏で第2vn.vc.のsoloが入る。Solo以外の他のパートはピチカートの伴奏に回る。この部分が極端にレンジが大きく変わり、soloから発生する音芸のいちが不自然。本来、第1と2vn.のsolや、やや中央寄りに多少お互いに離れいるのが理想である。しかしこの部分、第1vn.が右側の端に位置し、伴奏となる、2つのvn.パートの音源も不明確。続く第3楽章 Menuet Trioの部分で、第1vn.とfl.のsoloがそれぞれある。この部分でのvn.のsoloは、それほど違和感がない。演奏箇所で録音が極端に変化してしまう。過去に聴取したNo.6〜8シリーズと同じ現象。録音の点で大きくマイナスとなってしまう曲のひとつ。

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2019年8月9日 75番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。No.74から引き続いて聴取。No.40と同様に、Tファイの独特の解釈で、改めてこの曲も見直した経緯がある。(下記のブログを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-816.html

ハイドンで唯一?のもっとも遅いテンポの指示のGrave。この後の第1主題のテンポの速さの対比が聴き所のひとつ。ブリュールの場合は、冒頭から序奏のテンポは少し速め。一方、T24からの主部のテンポは少し遅め。このためテンポの対比が少ない。
 第2楽章も概してテンポは遅め。第2変奏のT37で、Tuittiで冒頭所なるリズムからスタートする。第2楽章の冒頭から、ったりと穏やかな気分から対照的になる部分。ここでは多くの指揮者が、f の指示を受けて、音量と音色の対比を生かしたTuittiになることが多い。しかしブリュールの場合は、あくまで柔らかく演奏。


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2019年12月30日 75番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。打楽器群が入る版もあるようだがグッドマンの演奏では入っていない。ライナーノートにも記載してあったがグッドマン自身、作曲した後に加筆された打楽器群は採用しないと記載している。
打楽器群が入らない場合、冒頭から始まって序奏のT10の部分。Tuittiでは通常は打楽器が入る迫力がある。ここでは入らない分、いささか力不足の雰囲気の印象。しかし曲全体を通して、どちらかといえばNo.75と同様に、柔らかい雰囲気で終始し強弱と音色の対比を重視。打楽器群はあくまで「強」の部分の補強的な役割のみ。この曲はザロモンによるロンドンコンサートでも上演されたので、この時に追加で打楽器が加わったのかもしれない。
 第2楽章の終わりの方の第4変奏。第3変奏は各パートはsoloだった。これに引き続いて第4変奏はsoloではない。しかし音量は全体的に控えめ。控えめな中でもさらに、32分音符の第2vn.の流れる旋律は音量をかなり落とす。その分、第1vn.以上にob.が主旋律を目立たせている微妙な匙加減など心憎い。
初演当初は打楽器群がないと思う。グッドマンの演奏を聞いてみて打楽器がない分、各パートの微妙な掛け合いがよく分かる。特に緩徐楽章が特徴的。No.73、74、75の3曲を通して聞いてきた中、緩徐楽章の微妙な表現が印象に残った。最近、聴取しているアントニーニのシリーズは全曲の録音を目指し、1枚のCDに対してテーマを持ち他の作曲家の作品も加えるなどユニークな企画。
グッドマンの場合は、1枚のCDのボーボーケン番号に準じて選曲している。作曲年代がその分、近接していることが多い。同じ頃の作曲年代で曲ごとに微妙な違いが、このCDを通してよく分かった。全曲の録音を期待したいが難しいと思う。
GraveーPresto D
2 Poco adagio(Andante con variazioni) G
3 Menuet&trio、allegretto D
4 Finale、vivace D


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
78 76 1781 Es 4 1 2 2 不要 C 第2楽章で2つの主題を均等に扱ったての展開と盛り上がり。
楽章の構成 調性 リ*1 序奏がなく第1主題がゴツゴツした感じで登場。その後も様々な主題が登場し、テンコモリの様な感じ。経過部を挟み第2主題が登場し、提示部を締めくくる。かなり長い展開部の後、再現部でも、第1主題がかなり変形されて登場する。
 第2楽章は、2つの主題による変奏曲でロンド風でもある。2つの主題は、旋律と調性も全く異なり、規模が大きくなっている。特に2つめの主題は、ダイナミックに扱われいて起伏が激しい。シューベルトの交響曲の展開部を思わせる。フィッシャー盤では、第1主題の変奏で随所にsolo楽器が登場しvn.のカデンツアを含めた、この対比が美しい。楽器編成は全て、trp.とtimp,は含まない。しかし第2楽章のダイナミックな部分を含めて、trp.とtimp.があったらより迫力がある印象だと思った。
 第4楽章は中規模のソナタ形式、フィッシャーでは、管の音色を軽快に演奏するように心がけているのか、常に明るい雰囲気に終始する。聴き通してもて、第2楽章の盛り上がりが一番印象に残った。
 ドラティ盤は、soloの部分が少ない。Finaleのテンポはma non tropo の指示を守っていて、フィッシャーよりもかなり遅めになっている。第2楽章のダイナミックさの対比などは、フィッシャーの方を推薦したい。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月8日とする)

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2014年1月1日 デイビス盤を聴取。今まで、この辺りの交響曲は、詳しくはチェックしていなかったが、これから後に続く3曲は、イギリス向けに作曲されたセットのもの。
 第1楽章は、各主題がテンコモリの様な感じと記載をした。スコアをチェックしてみたら、最初に第1主題が登場した後、第2主題が主調で、一度登場。その後、第1主題が続き、再度、第2主題が属調で、通常通りの登場、その後、普通に提示部を終了する形式。第1楽章だけでもかなり調と起伏に富んでいる構成なので、テンコモリの印象をもったのかもしれない。調性や構造など、独特な構造について「交響曲の生涯」でも記述があっても不思議ではないが。残念ながらない。デイビス盤では、fg.の音など各パートがよく聴き取れる。
 全体的に、同じ調性のこの後に続く No.91の様に、やや技巧に凝った雰囲気が見られる。全体的にテンポが遅めな分、Finaleの流れるような流れる雰囲気を含めてフィッシャー盤を推薦。
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2019年4月30日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 76番を聴取。No.76-78はセットで作曲されている。調性こそ違うが序奏のない第1楽章の冒頭の主題は、No.64にも雰囲気が似ていると思う。No.64は疾風怒濤期の頃なので、soloの箇所は余りなくfl.は入らないことが多い。冒頭から16分音符の、少しざわつつく様な独特のリズムと強弱の対比、第1楽章の中で覆うの動機が登場するなどは、それぞれ類似しているかもしれない。しかしNo.76の方は、fl.が入り、fg.を含むやや明るい音色、余り極端でない転調などもあり、作曲年代の差を感じさせる。
 No.73.74と違って、No.76の方は、それでもsoloの箇所が少ない。このため視覚効果の高い曲ではなく、オーソドックスな雰囲気で録音による影響は少ないほうのひとつと思う。
 メルツェンドルファーの演奏では、この曲に関しては、録音も比較的良好で、不自然さは余りない。緩叙楽章は概して少し遅めのテンポだが、この曲でも同様。弦楽器のみで提示される第1主題。弦の各パートの動きがポイントの一つになる。T5で第1主題の確保に入るが、bass.を含む弦の各パートが明白。レンジは広くない録音ではあるが、低弦の厚みが十分。T9でvc.とbass.の分離がある。ここでも第1vn.の謡うような旋律とvc.を含む他のパートの対比も良好。この部分を含む柔らかい表現が続き、T81の中間部の短調も持ち上がりとも旨く対比。第3楽章 Menuet やTrio のやや遅いテンポも効果的。全曲を通してメルツェンドルファーの演奏は、柔らかい表現を前面に押し出しながらも、流れるような「洒落た気軽」な雰囲気。録音も比較的良好で、この曲の特徴を旨く出していると思った。

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2019年8月10日 76番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。No.76-68はセットで作曲され、ロンドンに持っていく候補に挙がっていたとされている。当時は複数の交響曲がセットで販売されていたらしい。NAXOS盤は全集とは言え、複数の指揮者と楽団からのもの。No.76はブリュールだが、No.77、78は ニコラウス ウオード盤になっている。セットの3曲が同じ演奏家でないところは、苦しいところ。
 この第1楽章の冒頭は、ハイドンにしては、わかり難い雰囲気。すなわち短い動機が、強弱を伴って集中し、どこが主題なのか不明瞭。最近読んだ「池辺著 ハイドンの音符たち」でこの点について、「旋律形より その強弱のリアクションの構図」との記述があった。ハイドンの交響曲の良し悪しは、冒頭の動機に支配されると自分は思っている。No.29、67、88の様に、とても短い動機でありながらも、一度聞いただけで直ぐに記憶に残るものとは対照的。(とても短い動機だけが一番だとは思わないが)しかし、この記述で考えると、この冒頭の主題も、長さ、音程、強弱の違いの対比を散りばめたことを前面に出していると解釈をすれば、ある意味、納得がいくと思った。
 なお、この本には既にT7から第2主題の動機が第2vn.から出現し、第1、2主題は、共通した単一動機にも記載がある。しかしT7では余り目立たないので、2つの主題が共通していることは、余程、注意深く聴かないとわからない。(もっともザロモンセットのように、後期の曲になると一度聴いただけで、単一主題な点はわかりやすいかもしれないが)
 ブリュール自体の特徴は、この曲も余り目立たず。第3楽章のMenuet では概して、遅めのテンポは共通。緩叙楽章でもテンポは少し、ゆっくり目。強弱の対比も余りなし。第2楽章でT82からの中間部でTuittiの短調の盛り上がる部分がある。指揮者によっては、この箇所を強調し、スタッカートも生かして、冒頭の音色と対比させるところ。ブリュールの場合は余り目立たず。

Alleglo Es
2 Adagio、ma non troppo B
3 Menuet&trio、allegretto Es
4 Finale、Alleglo ma non tropo Es


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
79 77 1781 B 4 1 2 2 不要 B 親しみやすい旋律と明るい雰囲気で、第3期のシリーズで第1候補。
楽章の構成 調性 リ*1 序奏なしに第1主題が登場するが、親しみやすい旋律で明るい雰囲気。第2主題も同様。第2主題の提示を最初は、fg.で次に、fl.で提示するなど、ユニゾンを通して、音色の工夫が随所にある。展開部は長く、弦を中心とした対位法と、終わり頃に、第2主題が弦4部のsoloで登場するのが対照的。再現部も長く、codaはないが、提示部と比較してかなり展開されている。休止の箇所も多いが終始、流れるような明るい雰囲気が特徴。
 第2楽章は単一主題による変奏曲と3部形式が合わさったもの。調性の変化は余りないが、弱音器を含めた音色の変化が楽しめる。Finaleは中規模のソナタ形式。明るい雰囲気でcodaがつく。
全体を通して常に明るい雰囲気に終始し安心して聴ける。第3期 聴衆への迎合と実験としているが、シリーズの中でどれか1曲をなれば、第1候補として推薦したい。通称名はない、当時から人気があった曲と推定。ドラティは、展開部の中の第2主題の部分がsoloではない。しかし、の前の第1主題の展開部の対位的なダイナミックさは、フィッシャーよりも迫力あり。両者、甲乙、付けがたい。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月9日とする)

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2014年1月2日 デイビス盤を聴取。この第1楽章の充実した展開部については、前記をしたが、「交響曲の生涯」でも、「徹底した2小節単位の展開部で秀作」と記載されている。ここまでは、比較的流れるように、調性の変化がなかったのが、この箇所へきて、一気に緊張感を増すのは、見事と思う。フィッシャー、ドラティ盤と同等。
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2019年5月1日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 77番を聴取。No.76と同様に「洒落た気軽」な雰囲気の典型のひとつ。Finaleは、珍しく展開部と再現部の後半を繰り返している。提示部が98小節。展開部と再現部を合わせても丁度同じ98小節。展開部が比較的短いことの影響か? 繰り返しても違和感はない。終了少し前でT187から管楽器のみで提示される部分がある。この部分での強弱の扱い方には興味がある。Finaleの最後は、Tuittiでf で終了するので、指揮者によっては管楽器が柔らかく p で演奏するかもしれない。しかしメルツェンドルファーの場合は、この部分は f で演奏。元々、管楽器のパートは比較的強調されることが多い。この以外も、管楽器の音が極端に目立ってはいない。しかしT187−T191の部分だけは f で強調される。曲の盛り上がる終了を考慮するとこの解釈は自然。得てして、今まで管楽器と弦楽器のバランスの悪さを指摘したが、この部分を含めての、この曲や類似した曲にも共通するが、録音の良い場合は旨く表現していると思った。


vivace B
2 Andante sostenuto F
3 Menue&trio 、Alleglo B
4 Finale,Alleglo spiritoso B


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
80 78 1781 4 1 2 2 不要 B 第1楽章の展開部は、対位法を駆使した一番の充実。
楽章の構成 調性 リ*1 久々のc調の登場。第1主題はc調だが直ぐに長調に転じるなど明るい部分も多い。展開部は提示部の各動機が登場し展開する。提示部ほど長くはないが、各動機が調性とテンポを変えながら、目まぐるしい。対位法も提示部以上に扱われる。この展開部は、今まで聴いてきた中での一番の充実した内容だと思った。再現部は、各主題主調のcで登場するが一部を省略しながらcodaがなく一気に終わる。
 Adagioは中規模のソナタ形式で親しみやすい旋律。Menuetは、対位法を駆使しながら、管楽器の旋律と弦とのユニゾンも随所にある。Finaleはc調であるが中間部は、Menuetのtrioの様な明るい雰囲気を挟む。この形式は、ロンド形式、ロンドソナタ形式、2つの主題を持つ変奏曲など様々に考えられるが、分類はしにくい。Finaleの最後の方はC調に転じて、華やかに締めくくる。全体的に聴き通すと主調のcを両端楽章で通しているが、EsとC調が途中で入り、楽章に応じて曲の調性の変化が楽しめる。
 c調の交響曲はこの後、残すはNo. 95のみ。同じ調性であるが、No. 95の方は、ザロモンセットに中の1曲。No. 95よりも、楽章ごとに、対位法、調性、テンポ、展開部の扱い等、こちらの方に軍配を上げたい。フィッシャー盤は、Prestoの表示であるが、比較的ゆっくり。随所にsoloがあり。 ドラティ盤もFinaleは、ゆっくり。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月10日とする)

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2010年(平成22年)2月6日  NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 23」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中では、長い間エステルハージ公爵のための作曲を続けてきた中で、最後に近い部類の1曲であることに触れられている。
 編成はフィッシャーよりも大きいよう。第1楽章では、展開部を中心とした、めまぐるしい転調やテンポの変化が聴き所と思っている。フィッシャー盤よりも大きな起伏が見られない。その他の楽章についても、これといった特徴がないと思った。
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2014年1月3日 デイビス盤を聴取。全体的にテンポが遅めの分、両端楽章は、短調の緊張感が、今までの2人と比べて、少ないと思う。聴き所のポイントとして、第1楽章の展開部を上げた。緊張感からすれば、一つ前のNo.77の方が、短いながらも、3曲を通して聴くと、むしろ、こちらを取りたい。Finaleの最後では、長調に転じて管楽器を含めて華やかに終わる。この辺りも、イギリス向けの聴衆を意識したした表れと思う。
 この3日間でデイビス盤を3曲通して聴取をした。真ん中の77番が、親しみやすさを一番のポイントとすることもあり、3曲の中のランクでは、Cに下げるか?
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2016年5月16日 ダントーネ/アッカデーミア・ビザンティーナNo.78を聴取。単発で先行発売はされているが、DECCAからの古楽器による初のハイドン全集のセットとして、今回は購入。このセットは、ホグウッドは、過去の聴取記で書いている。F.ブリュッヘンのCDは、まだ私は持っていなかったので今後、少しずつ書いていきたい。
この演奏についての感想は、ハイドン音盤倉庫に、DECCAの全集企画の宣伝方法も含めて、やり取りがされている。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1402.html#cm
小編成だが、近接音が比較的多く、分離感が良く分かる録音。第2vn.は右側に位置。第1楽章は、初めてこの音源を聴くこともあって、特徴が良く分からない。しかし2楽章以降、va. vc.. bass.がユニゾンで、vn.のパートに対抗するように分離感がよく分かる。たとえばT21‐24の部分など。一方、木管楽器は、第1楽章では、soloの部分も少ないこともあって、それほど目立たなかった。第2楽章では対照的に、木管楽器でのsoloの部分は丁寧に目立たせている。T48からva.とユニゾンでfg.が入るが。ここでは、va.は控えめになり、fg.が活躍。Hr.も、場合によっては、f指定を忠実に守り随所で和音で支えている。
  後半のMenuetでは、繰り返しを忠実に守る。ラトルの演奏でも随所にあったが、繰り返しの部分は、各パートで随所に装飾があって、飽きさせない。Menuetの再現部で、後半の最後に近い部分のフェルマータのT24個所。ここではvn.の即興が入っている。ホグウッドは、ここまでの即興はなかったと思う。
Finaleは調性の異なった単一主題の変奏曲と私は解釈している。単一の主題が、流れるように、飽きさせないで行くかがポイントになると思う。各パート、特に弦のvc.が、bass.と分離して、細かく支えているところなどは、じっくり聴いてみるとよく分かる。」このため飽きさせない。演奏スタイルは、ホグウッドに類似しているかもしれない。ホグウッド以上にテンポと強弱を微妙に変えているところは、独自のスタイルと思った。少しこの音源に慣れないと、この曲の良さが分からないかもしれない。元々、この曲のランクはBとしてが、この演奏でも評価はこのままとしたい。

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2019年5月2日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 78番を聴取。一般にハイドンの短調の交響曲は対位法の箇所が多く、休符を適宜活用している。No.76-7は長調の曲で、流れるような雰囲気もある。この2曲とは対照的な点もあるが。同じ調性で疾風怒濤期のNo.52は、fl.を欠いている。Finaleも短調の箇所が多い。それに対してNo.78の方は、後年のNo.95と同様にfl.が入り長調の箇所も多い。Finaleの最後も長調で締めくくる。同じ指揮者と奏者で作曲順から聴き通していることもあり、過去の同じ調性の交響曲とも比較する面白さがある。No.52では低弦のvc.とbass.の分離について効果的と記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1142.html

この効果的なコメントは、この交響曲に限らずNo.76-77にもある。No.78にも当てはまる。No.76-77ほど低弦の分離の箇所は余りない。しかし過去の手法と同様に弱音の部分を中心に、vc.の高音域の音色をTuittiとは対比させているのが効果的。Finaleの下記のt96-97の箇所など。
 No.52はFinaleに進むに従い、内周歪のためか次第にレンジ狭く、歪が大きくなる点を記載した。一方、こちらの方は録音は良好。ここまで聴き通していく中、録音による影響はもちろん大きいと思う。Soloの箇所で音源の不安定、違和感などがなければ、緩叙楽章の微妙なニュアンスなどがメルツェンドルファーの特徴だと思っている。



Vivace c
2 Adagio Es
3 Menuet&trio、allegretto C
4 Finale、Presto c