音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.32 hob-No.-23


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
32 23  1763 G 4 -  -  - - (1) D Prestoでピチカート終了の意外さ。
       1 G Alleglo
       2 G Andante
       3 G Menuetto
4 G Presto assai
Allegloは中規模のソナタ形式で、展開部がかなり入念に書いてある。Menuetのtrioで弦のsoloがある。しかしそれ以外はsoloは余りない。Menuetとtrioは、vn.とob.のユニゾンを低弦が遅れてカノン風に常に追っている。Prestoは短く、あっさりとピアニッシモのピチカートで終わってしまう。遊び心か? 全曲を聴き通していて、主題や曲想の印象が少ない。
 2010年12月26日 ディビス盤を聴取。Menuettoでは、vn.とob.(常に常にユニゾン)と低弦が、はっきりと役割分担で分かれ常にカノン風に保っている。ob.のユニゾンが目立つ。この手法は、通しNo.42(Hob−No.-38)の第2楽章にも、この後、用いられる手法。その先駆けであるかもしれない。
 作曲者自身は、エステルハージ侯爵のお抱え楽団に所属しているとは言え、自分のスタイルで作曲ができる。この時期は以前の作曲家の作風を自分なりに取り入れ工夫をしていった。このスタイルも終楽章の終わり方一つにも現れていると思う。
 2011年3月23日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Allegloは展開部と再現部の繰り返しの指定がある。後半では弦のsoloが入ってのアクセント。2本のob.が割合に同時に動くがsoliの指定はない。
 Andanteは、この頃の時期に見られるように管は休み。Allegloと同様に繰り返しのsoloを採用。vnと低弦との掛け合いを重視した雰囲気。この掛け合いはMenuetにも続く。.3者のFinaleは後半の繰り返しがない。スコアには繰り返しの指定がある。もし繰り返しがあったなら冗長になっていただろう。 
 2013年2月23日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章のob.の各パートの動きが面白いと記載をした。小編成のためか、この細かい動きが聴き取れる。ob.は第3楽章楽章では常にユニゾンでになっているが、ホグウッドでは、かなり目立たせている。
 Finaleは後半の繰り返しを採用。ピチカートで終了しているが、同じ終わり方なので、何か「仕掛け」なりが欲しいところと思った。
 2015年3月11 日 追記。ゴバーマン盤を聴取.
第1楽章は管楽器のob.が随所で活躍する。従来までの録音は、比較的余り目立たないと思ったが、この録音ではかなり大きく入っていてユニゾンの効果も他の曲と比べて高い。T4で登場する短い動機がいたるところで活躍する。T24からの第2vn.の下降する旋律。比較的長い展開部のT65から2つのvn.との掛け合いなども良く分かる。
  一方、第2楽章 Andante は管楽器は全て休み。弦楽器のみで低弦楽器との掛け合いがポイント。ここでも va.を含む各パートが良く分かれて聴き取れる。普段はva.の独自の動きは少ないが、ここでは比較的、役割が高い。
 続く第3楽章は、ob.ユニゾンと低弦楽器などの掛け合いがポイントだが、ここでも思ったよりユニゾンでよく分かる。最後のFinaleは流れるように強弱との音量の対比がポイント。後半の繰り返しは採用。各楽章でそれぞれに異なる聴き所を持つ曲であることを、このゴバーマンを聴いて再認識。ランクは元々Dとしていたが何回か、じっくりと聴き直すと味のある作品。一度や二度を聴いただけでは、この
 2019年3月11日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 23番を聴取。この曲から通常の編成になる。No.21〜24は自筆楽譜が存在し、1764年に集中的に作曲されているようだ。4曲それぞれ異なった雰囲気だと思う。最初のNo.23は、どちらかといえば、実験的に書かれているようでva.以下の低弦が独自の動きの箇所も多い。
 第1楽章はob.が必要に応じて活躍する。指揮者によってはob.の特徴を、どこまで出すかが興味のあるところ。意外にもメルツェンドルファーでは、ob.は余り前面には出ていない。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」のなかで、このNo.23の第1楽章は「ハイドンの技法の熟達が見られる」と記述がある。時折、一瞬ではあるが調性を変え強弱の対比などがあり、何度か聴いていく中で面白みが分かってくる曲のひとつ。
第2楽章は弦のみだが低弦が活躍する。音の分離感は不明瞭なことが多いが、va.は左側でもvc.より中央に位置しやや奥側になる。提示部以外に展開部と再現部の繰り返しを採用。Finaleはピチカートで終わる。展開部と再現部の繰り返しを採用するが、小休止の後に、展開部の冒頭に戻ってくる。後年の終わらないような仕掛けはないので、いささか物足りないのは、どの指揮者も共通。