音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.37 hob-No.-31


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
37 31 ホルン信号  1765 D 4 -  -  - - (1) A 4本のhr.の掛け合いと第4楽章の最後に冒頭の曲想が登場。
       1 D Alleglo
       2 G Adagio
       3 D Menuet
4 D Mederato molto Presto
4本のhr.各パートに分かれていて活躍する。最新名曲解説全集では、Hob−No.6〜8シリーズに続いて漸く登場する曲。フィッシャー盤はhr.が適宜、左右に分かれて配置されている。強奏ではhr.が全体に鳴り響き迫力がある。展開部は第2主題を含む様々な動機が扱われ転調が見事。第2楽章は、hr.は 元よりvn、vc.の独奏あり。管楽器がhr,以外は休みなので、hr.は一層引き立つ。
 第4楽章は変奏曲だが、今までの楽器(コントラバスを含む)のsoloにより展開。調性は同じだが楽器の音色の違いが楽しめる。第7変奏のコントラバスは、普段は右端に配置されているのだが、なぜかこの交響曲は中央に配置。(コントラバスではなく、ヴィオローネか?)曲の最後はPrestoにテンポを上げ、第1楽章の冒頭のリズムによりhr.が締めくくる。楽章構成や編成はNo.72に類似するが、どちらも甲乙を付けがたい。No.72は、どちらかというと合奏協奏曲風に近いがこちらは、やや交響曲風に近いと思う。中後期に向けて楽器や音色の扱い方の工夫は元より、展開部の扱い方なども入念になっている。その分、演奏時間も全体的に長くなる。以前からネーミングがされ人気がある理由は理解できる。
 ドラティ盤は、hr.が右側に位置する。各パートの動きもフィッシャー以上に良く分かる。その他のsoloの楽器も、他の交響曲と比べて目立つ様にとらえられている。曲の全体の大きな雰囲気での盛り上がりが特徴のためもあり、こちらの方を推薦する。
 2010年12月28日 ディビス盤を聴取。今まで聴いて来た中で、演奏時間が一番長い曲。この演奏でも29分余りになっている。4本のhr.特徴であるが、この配置は左右2人ずつに分かれているようだ。(聴取環境が余り良くないので、はっきりとは判断できにくい)
 解説全集によると自筆楽譜が現存し1765年で確定。1763年8月から12月までと、1765年5月から1766年2月までの期間、4人のhr奏者が勤務していたからとのこと。
 第3楽章のMenuetではob.が久々登場。(第2楽章では、管楽器はhr.のみだった)調性が同じ長調とは言え、がらりと変わること音量が一気に明るくなることで華やかさが他の2人の演奏とは、かなり対照的。
 最終楽章、主題と7つの変奏曲であるが調性は殆ど変わらなく、旋律自体は繰り返しを伴い余り変化はない。しかし多くのパートにsoloの活躍があり、どの箇所の変奏をとっても飽きさせない。vc.の位置は現代配置で右側であるがva.よりも前方に位置しているか?(中央よりもやや右側にある?)solo.の活躍が聴き所なので、しっかりした聴取環境で楽器の配置を中心に聴いてみたい。Hob−No.-72と甲乙はつけがたいと最初に記述をした。Finaleで最初の第1楽章の主題のひとつ、ファンファーレが回帰して終わるのは、すがすがしい。No.72は最初の部分が回帰をして来ない分、どちらかを選択するとすればNo.31の方を取りたい。
 2011年3月30日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。聴き通してきた中で一番長い曲になる。4人のhr.奏者についつい、気を取られがちであるがva.以外に全ての独奏がある。Allegloの展開部ではvc.とbass.の分離がある。再現部は冒頭の動機が省略されている。しかしその分、一番最後に冒頭の動機でで締めくくるのは効果的。
 Adagioでは管楽器が普段はob.が登場するケースもあるが、ここではその代わりに4人のhr.となる。
 まさにhr.奏者の活躍の場にふさわしい。特に中間部の始めに4人のhr.のsoliがある。この部分で第1hr.は、かなり高い音域を吹くが第2hr.は低音域へ下降して行く。この音域の対比が美しい。vn.とvc.のsoloについつい聴き取られてしまうが他の弦楽器の伴奏がピチカートの奏法であるのも見逃せない。
  演奏時間が長い原因としてMenuetの小節数にもよる。主部は31小節、trio.は36小節。合計67小節にも渡る。この頃の他の曲と比較してかなり長い。
 フィッシャー盤では最初の聴取記録で、vc.の位置が通常より右側に位置すると記載をした。実際、録音でもvc.の位置がかなり右側になる。第2楽章のvc.のsoloの部分でも、va.の位置に相当する。一方bass.は右端の方ではなく中央やや右より。Finaleの第7変奏でbass.のsoloがある。この部分でも中央やや右より。フィッシャー盤は、「p」 の箇所は、弦のsoloを採用していない。各楽器でsoloパートがある点から、弦のsolo箇所は避けたのかもしれない。
 ドラティ盤はAllegloのテンポがやや遅め。hr.はフィッシャー盤は左側だがドラティ盤は右側。第3-4hr.は中央寄り。
 ディビス盤はフィッシャー盤とドラティ盤の中間のテンポが多い。Finaleでは、hr.はもちろんob.fl.などの管楽器の音が目だっている。soloはもちろん、Tuittiでも管楽器の迫力がある。
  Finaleの第7変奏のテンポを落としているのは前記した。bass.のsoloを引き立たせるの原因かもしれない。しかし第6変奏の当たりからテンポを既に落としていること。Prestoの前までより一層テンポを落としている点。Prestoのテンポを対比させるために敢えてテンポを、第6変奏を含めて第7変奏もテンポを落としているのかもしれない。
 2013年4月7日 追記。ホグウッド盤を聴取。少し前のNo.72は、同じ4人のhr.奏者が左右に分かれていた。一方こちらの方は、4人の奏者は全て左側に位置する。No.72と違ってホグウッド盤盤での掛け合いが、聞き取れないのが残念。 このこともあってか、ついついNo.72と比較してしまう。No.72の方も、同じ主調はD。ただしこちらの方はテンポは全て3拍子になっていた。調性は同じでも、テンポが少し異なっていたのは、意外に思った。しかしFinaleで冒頭の部分が回帰してくるのは売りとしたい。
 ホグウッド盤では最後の部分でfl.のパートはトリルで演奏していたようで、古楽器にしては華やかを維持。
 
2018年9月2日 チャールズ・マッケラス セントルークス管弦楽団 No.31を聴取。録音はライナーノートによると1988年になっている。同じカップリングでNo.45も収録されている。Cmb.はbass.と類似して入っているが、繰り返しの後半などは微妙な装飾があるようだが余り目立たない。
 この曲はNo.45などと同様に視覚効果の高い曲で、随所に各パートのsoloがある。
 テンポは概して中庸で、余り変化がなく流れるように進んでいる。4人のhr.奏者は、左右に二人ずつ分かれているようだ。
 Finale は7つの変奏曲を含む楽章。テンポはModerato を忠実に守り、No.5変奏(vn.soloまで)は通常通りのテンポ。第6変奏になってさらにテンポを落とす。第7変奏(bass.のsolo)まで同じように、ゆっくりとしたテンポを保っている。通常はこの楽章はcodaまではテンポが同じことが多いのとは対照的。繰り返しは忠実に守っている。(Menuet 回帰の部分も繰り返しあり) なお、モダン楽器の様に聞こえる。奏者は少なくもなく、多くもない中ほどのような感じ。
 2018年10月1日   ロイ・グッドマン ハノーヴァーバンド 31番を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-625.html

 No.72も以前聴取したが、古楽器でvn.の対向配置を生かした好演だと記載をした。No.72では4人のhr.が左右に分かれていると記載した。こちらの方は4人が全て左側に位置している。またcmb.も常時、入っている。繰り返しの後半では装飾が適宜入っているのは同様な解釈。冒頭から4人のhr.の奏者が登場しそれなりの迫力ある
 得てして他の交響曲の特徴として4人のhr奏者を中心に考えるが。ここでは微妙な強弱の変化と楽器の奏法について取り上げたい。第2楽章の提示部の最後の部分。なお再現部でも同様にvc.は弱音器を使用しているようだ。Soloのvc.は、T20から登場するがT25で一旦、tuittiで合流する。6小節の休みでsoloが再登場するので弱音器を取り付ける余裕はあったと思う。第2楽章は、第1楽章と異なり展開部と再現部の繰り返しは採用してない。その分この楽章は消えるように終わるので効果的。もし繰り返しを採用していたら、soloのvc.奏者は再度、展開部の冒頭で弱音器を取り付けたのか? 展開部の冒頭は直ぐにvc.のパートが始まり時間が足りないので、しばらく休んでいたに違いない。
 





 
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2019年1月30日31番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。No.6−8に共通する協奏交響曲 4本のhr,がメイン。左右のhr.が2名ずつ分かれて、旨く録音されている。第2楽章で2名のうち片方は調性が変わる。きれいに分かれて録音されているので、調性の対比が分かりやすい。
 比較的、テンポは速い方が多いマリナーの演奏だが。FinaleはModerato molto の指定でゆっくり目のテンポ。弦楽器はもとよりbass.や4人のhr.の独奏もあるので、テンポは緩めに必然的になる。他の指揮者と同様に変奏を受け持つパートの楽器を目立たせる。最後の7番目の変奏bass.でのsolo。 ここでもNo.8と同様に右側端に位置するのbass.が目立つように、他の楽器は伴奏に徹している。低弦楽器の特徴を生かして、bassの音程の跳躍もうまく表現されていると思った。ここまで聴き通していく中で協奏交響曲のような、soloの特徴を生かす曲に関してはマリナーは、録音も相まってぴったりと自分の好みに合っている。
 2019年3月16日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 31番を聴取。4人のhr.が入りNo.72にも類似。Finaleに変奏曲が入るのも類似点の一つ。録音もNo.72と同じ雰囲気。4人のhr.はやや右側にやや固まって配置はされているが、第3,4hr.は、第1、2hr.と異なり、やや中央寄りに位置している感じ。Ob. fl.が中央寄り分離感が余り分からないこともあり、全体的には各パートの配置が不明瞭。変奏曲でのsoloの音量が差がありすぎて、不自然な雰囲気はNo.72やNo.6〜8などとも同様。   
Finaleのテンポは微妙に変えている。第4変奏の4人のhr.のときは、16分音符の動機もあり、テンポが速いと奏者が苦しいところ。しかしこの箇所では少しテンポを落としている。続く第5変奏のvn.のsoloでは、逆に少しテンポを速めている。第7変奏のbass.のsoloも第5変奏と同様に少しテンポを落としている。この変奏まで繰り返しは、完全に遵守をしていない。しかし第7変奏では元々の旋律が短いためか、前半と後半を忠実に繰り返しているのも良い。
この曲は4人のhr.が中心ではあるが、hr.のパートが微妙に受け継がれ強弱の対比もあり、ある意味録音に大きく左右される。Finaleの微妙なテンポの変化は、メルツェンドルファーの解釈では旨くかなっていると思う。しかし録音の点で大きなマイナスになっている。