音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.○ hob-No.-○


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
   1761  1761 D 4 1  -  - - (1)  A
       1 D Adagio ーAlleglo
       2 Adagio -Alleglo -Adagio
       3 Menuet
4 D Alleglo
 音楽の友社 名曲解説全集の第1巻 交響曲の中で、ハイドンの記述を見ると交響曲の初期の作品の中では、旧第1番の次に、この第6-8番シリーズが来る。(補巻を含む) この本に掲載されてる様に、昔から初期の作品の中では知名度が高い。これによると、自筆楽譜には第7番の「昼」のみだったらしいが、朝 、昼、晩の3部作として、この第6番も知られていたらしい。フランス語で”Le Matin"と記載がされている。 フランス語の表記のように、ディベルティメントやセレナード風の貴族的な雰囲気もある。交響曲というようりも、ビバルディの四季の様に、合奏協奏曲に近い。
 「朝」、「昼」「晩」の命名については、最新名曲解説全集によると、エステルハージ侯爵自身の指示により、ハイドン自身が命名。通称名の交響曲はあるが、ハイドン自身が命名した交響曲は数が少ない。しかしこれは作曲者自身が命名したことは明らかな一つ。副楽長を就任した折に、最初の頃に作曲者自身が楽団員と侯爵の両者に華やかに売り込みを図った、3セットの交響曲との位置づけと考える。
 Dの調性で終始、華やかに終始する。コントラバス?(通してからの聴き始めで最初の登場)を含む、全ての楽器のsoloがある。(名曲解説全集ではvc.と記載があるがcb.ではないかと思う)特に第3楽章trioでは、fg.とvc.のsoloが珍しい。フィッシャー盤は随所にsoloがあり、Tuittiとの対比が良い。特に、初のAdagioの部分で、soloから始まりながら、クレッシェンドしていく部分はいかにも、「朝」の名称の様に、日の出の様な雰囲気である。 
 名曲解説全集では、第1楽章のAleglo第1主題の楽器については、単にfl.による提示と書いてある。井上著の本でも同様であるが、fl.が単独で第1主題を提示するのは、極めてまれな例であると思う。正確な記憶はないが、これに似た手法としては、晩年のHob−No.-101 の第1楽章 第1主題ぐらいではないか? 早くも後の手法に結びつく点が登場する。
 それに対して、ドラティ盤は、soloの対比が少なく、ステレオ間の広がりが、やや少ない。その分、Tuittiでは、ダイナミックに聴こえる。この6-8番シリーズは、他にも録音が多いと思うが、敢えてこの2種にとどめる。
 2010年12月14日 ディビス盤を聴取。 聴き始めて、fl.が登場。Adagioの序奏は、フィッシャー、ドラティ盤以上に特に、最初がゆっくり。Allegoloでの提示部と展開部ー再現部の繰り返しがない。もともと楽器編成からして、solo.の箇所は多い。しかし繰り返しのない分、協奏交響曲のスタイルにより一層近い雰囲気になる。
 第2楽章のvn.のsoloでは、装飾音を多く取り入れている。特に、Menuetのtrioでは、cb.のsoloがfg.とともに目だっている。(録音の場所からして、かなり右端に位置する。cb.と推測)
 Finaleもcmb.が通奏低音としての楽器ではなく、装飾音を交えながら、華やかにsolo.に近く、活躍をしている。エステルハージ候の自前のオーケストラの団員に、各soloをアピールするために、副楽長就任の最初の頃としての名曲の一つ。フランス語の「朝」と言う明るい雰囲気はあるが、あくまで全曲の中で明るい雰囲気の一つの交響曲の様な位置づけ。録音は弦のプルト数は多いと思うが、ライブ録音とあってか管楽器のsoloがフィッシャー盤以上に目だっている。目立つ分フィッシャー盤と同等の聴き応えのあるランクとしたい。
2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。エステルハージ楽団のsoloの活躍を取り上げるための交響曲が明白に感じられる。作曲順番で聴いて来た場合、fl.が初めて登場。
 第2楽章は、緩徐楽章で13小節のAndanteの序奏の後、88小節のAndanteの主部。主部では、vn.とvc.のsoloがあり、提示部と展開部〜再現部へ続く。12小節のAdagioの終結部で終わっている。
 第3楽章のMenuetのtrio。の部分は、cb.を中心としたsoloがある。フィッシャー盤では、fg.とcb.のsoloを引き立てるために、他の弦楽器は、ピチカートでしかも、かなり弱く伴奏に徹している。
 ドラティ盤では、演奏者の欄で、vn.とvc.のパート名が記載されているが、cb.の演奏者は記載されていない。(No.7,8には記載されているのとは対象的) フィッシャー盤と違って常時cmb.が入っている。第1楽章の展開部では独自の動き。
 協奏交響曲の視点が大きいのは、楽器の音色でsoloあるいは、soli同士が重なる点も大きい。初期から後期にかけて、楽器のsoloやsoliの箇所は、この前後も時折あるが、各楽器同士が重なることは、余りない。協奏交響曲では、しばしば用いられると思う手法である。No.6-8シリーズもこの点に当てはまる。
2013年2月15日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴き通してみて、初めて、fl.が登場。古楽器のため、音量がやや小さい分、弦とのバランスがよいと思う。各弦パートで、soloとして初めて登場。ディベルティメントやセレナード風の位置づけとしての記述をした。この例として、第2楽章がある。最初のAdagioでは、vn.soloが小手調べ風に、soloを開始してから、主部に入る点などは、今までになかった手法。
 Menueのtrioでは、va.のsoloもある。ここではsolo指定となっていることから、va.奏者は2人以上だったのか?この疑問は、vc.やcb.にも当てはまるが。ホグウッド盤では、今まで3者の演奏を聴いてきた中で、テンポは大差がない。ただ音色の点で、細かい音がが聴きやすい分、ダイナミックの差は不足と感じる。今後は、曲自体の規模が大きくなり、楽器編成も増えて来ることが多い。この点についての、気になるところ。
2015年2月22日  ゴバーマン盤を聴取。作曲順から聞き通して、初めてfl.が入る。協奏交響曲のスタイルで、soloがいたるところに活躍することを重視してか、録音が、従来と全く異なり、管楽器がやや近めに、しかも広い配置となっている。特に、fl.はかなり左側。第2楽章から初めてsolo vn.が登場するが、こちらもかなり左側に位置。T23からのvc.もかなり右側に位置。単独あるいは、スポットでこの曲を聴くのなら、それほど違和感がないかもしれない。しかし聴き通してみる方法では、録音がが不自然で、曲や解釈の仕方に抵抗をを少し持つ。
 
2016年11月17日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.6を聴取。ハイドン音盤倉庫で月間ベストに登壇していることもあり今回入手。演奏者については、下記のブログに少し触れられている。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1481.html
失礼ながら、私は、この指揮者については、このCDより少し前に最近、知った。地上波 TV  NHKの 鶴瓶の家族に乾杯 10月3日放送 「鶴瓶地元へSP 指揮者・佐渡裕と西宮市ぶっつけ本番旅」から。この番組は数年前から視聴をしているが、このときに指揮者、音楽家であることを始めて知った。指揮者としての過去の活動もこの番組は知らなかった。その後、このCDが発売されて、ライナーノートから、国内外での活躍には、びっくりした。
 さて、今回も作曲順とされる順番通りNo.6から聴取していく。ウィーンのムジークフェラインでのライヴ録音。ニューイヤーコンサートの会場にもなっているので、毎年1回は、このホールをテレビではあるが、見る機会は多い。しかしライブ録音でのCDの聴取の機会は、私には余りないと思った。冒頭から、弦のノンビブラート気味の音色に、最初から引き込まれてしまう。2015年10月、2016年5月の最新録音というこもとあり、ライブ録音で観客周囲のノイズは皆無であるものの、あたかもホールの上等席で聴いているような雰囲気。音の溶け合い、広がり感、分離感が高く、しかもバランスが良いのが見事。この3曲は殆どの楽器がsoloで活躍するので、録音の影響が大きい。バランスの良い録音で、最初のNo.6を聴き通してみて、圧倒される。
音色の対比の例として、第3楽章のtrioの部分。ここでは、d-molで管楽器はfgのsoloのみ。しかもbassのsolo。短調とも相まって独特の雰囲気が漂う。Trioが終始したあと、突然、元のMenuetに帰ってくる。忠実な繰り返しであるが、fl.ob.の楽器がユニゾンでD-durで回帰してくる部分の音色が美しい。今までもこの曲を何度か聴いてきたが、これほど、この雰囲気が対比されているのは、初めての経験。T67、71, 74 当たりのsolo vn.の重音などもクリアに聴こえる。
 表紙の裏側にある写真。録音のときの写真かもしれないが、高い後方の位置から、正面のオケを写している。観客はオケの背後まで全て埋まっている。第2vn.は左側に位置。この写真では、bass.は右側でなく中央に位置している。Trioのbass.のsoloではva.と同じように右側に位置。
ジャケットの写真で、ステージからかなり離れた2階の席の観客。1階席ほど、料金は高くはないと思うが、演奏を見るには、かなり横を向いて身を乗り出すようにする姿勢には、少し大変そうな雰囲気が垣間見れる。またライナーノートには、3曲ごとに、それぞれsolo奏者の楽器と写真が掲載されている。よく見てみると、soloの奏者が少しずつ違っている。fl.は金属管ではないようだ。ハイドンの交響曲を今まで聴いてきた中で、これほど細かい様子まで、掲載してもらうので有難い。
 

2017年3月20日T.ファイ No.6を聴取。ハイドン音盤倉庫でも、ファイの印象がやや肩透かしであったことを記載。(下記のアドレス)
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/page-1.html

一方、Micha クラシックとリュートの楽しみ では、ファイの演奏を期待しすぎると物足りないの記述もある。(下記のアドレス)
http://micha072.blog.fc2.com/page-1.html

上記のコメントも参考にしながら聴取する。No.6〜8 は協奏交響曲風の作曲が頂点の特徴。コンチェルトグロッソ風にSolo楽器と通常のパートとの対比が一番のポイント。このため各パートの分離と対比が重要にもなる。少し前に聴取した佐藤裕 トーンキュンストラー管 のライブ録音で、残響がやや多めながら、とろけるような録音に感化されていることもあり、この対比とがポイントの一つとなる。今回は、主に、弦楽器のピチカートについて書いてみたい。

初期の頃は、弦楽器ではあまりピチカートは用いられていないが、要所では少しずつ登場する。自分なりの通し番号No.6(hob-No.27)の第2楽章でも聴き所の一つに第2楽章のピチカートの効果について取り上げた。この楽章でも随所にある。第2楽章がメインになるが、その前の第1楽章のT77-80でも弦のパートがピチカートで演奏する。前段の予兆を受けて、第2楽章に入るが、冒頭からリュート(中央やや置くに位置するのが効果的)が印象的。Vn.とvc.が随所に登場する中、T14から弦の伴奏パートはスッタカートで演奏。Soloパートがスラーを伴い如何にも技巧的に演奏するので、この伴奏のスッタカートの旋律は大切なポイントのひとつ。撥弦楽器のリュートの効果も相まって、T14からのスッタカートの切れが印象的。提示部が再度繰り返すが、T14からの部分は各弦のパートはピチカートで引いている。繰り返しの部分では微妙な装飾を加えたりする部分はファイだけの特徴ではないが、奏法でしかも長い個所で演奏している部分は、とても効果的。

その後繰り返しを挟んで、緩除楽章では珍しくcodaがある。Codaに入る前のT103のフェルマータの休止がある。ここでは、かなり間を空けていて、一瞬、この楽章が終始したかの印象。長い休止を挟んで、codaに入る。Codaのテンポはかなり遅い。冒頭T1に類似した動機が2つのvn.パートで再現する。一方、va.以下の低弦は、音域が低いもののカンタービレ風に演奏される。スコアでは各パートユニゾンで演奏するが、この部分が印象的。
とくにこの楽章は、管楽器が一切登場しない。その分、soloを含む弦楽器の各パートが聴き所になっている。ピチカートの効果とともに、各パートのカンタービレ風な謡う様な旋律が聴き所。第1.3.4楽章ではそれほど大きな印象は私としては余りなかった。
しかし、この第2楽章だけは、録音の良さも相まって評価を高くしたい。もしライブ演奏ならこれほどの長い休止とかなり遅いテンポに聴衆は困ったかもしれない。一方この録音はライブではなく、CDによる聴取。スコアを見ながらじっくりと聴くにはふさわしい解釈のひとつだと思った
 
 2017年6月13日 ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツの指揮によるフライブルク・バロック・オーケストラのNo.6を聴取。harmonia mundiからの分売盤を入手。No.6. 7とモーツアルト No.31がカップリングされている。ライナーノートが付属していないので、指揮者はオケの詳細は不明であるが、以下のブログに略歴等が記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-760.html

楽器は古楽器。編成は小さい方で2001年の録音。録音が鮮明で近接音がやや大きく、各パートの分離感がはっきり分かる。第2vn.は現代オケと同じ左側に位置。管楽器でfl.とfg.の位置が通常とは反対。すなわちfl.は右側でfg.は左側。冒頭の第1楽章の第1主題でfl.の独奏があるが、右側から聴こえてくるため、右側のvn.パートと対比されてステレオ感が広がる。一方fg.は左側に位置するため、第3楽章 trioの部分では独奏のbass離れて広がって聞こえる。また、vn.とvc.のsoloがいたるところで登場するが、soloの位置が近めに聴こえる。
 テンポは概して中庸で、繰り返しを全て採用。佐藤裕指揮のムジークフェラインザールの現代オケとホールの録音と対照的。前者はモダン楽器で編成もかなり大きく残響が多い。一方こちらの方は編成が少なく、各パートが鮮明で音の分離感が高い。vn.のsoloパートは、あたかも、すぐ前で聞いている雰囲気。第4楽章で展開部の冒頭、A-durで冒頭主題がvn.soloで登場し、その後、T62から、あたかもvn.協奏曲のように、長い部分で展開される。この箇所でもsoloの重音が鮮明に聞こえる。


ファイの演奏の様な独特の解釈が、一度聴いただけでは分かり難い。各パートが近めに聴こえることが相まって、あたかも、実際に小ホールの近い位置で聞いている雰囲気。各楽器のsolo箇所が多いので、もともと視覚効果が高い曲と思うが、この録音を聞いてみると、古楽器で実際に聞いてみたい印象が高くなる。
2017年7月5日  鈴木秀美 盤 No.6を聴取。ライブ録音だが、拍手はカットされていて、ライブ録音を感じさせない。No.43と違ってvn.パートは全て左側。ライナーノートの写真に、当日と思われる写真が掲載されている。写真によると、低弦でva.は中央やや右側、vc.は、左側に位置している。
ほとんど全ての楽器にsoloがあるが、木管楽器のオリジナル楽器について、ライナーノートに記載がある、オリジナル楽器は、音域による音の差が大きいので、音の高低の距離感を強く感じるが、それが音型の滑稽さや色合いの楽しさを生み出すとある。第1楽章t7からのfl.が第1主題を演奏する部分はその典型で、5度下降する旋律がオリジナル楽器ならではの微妙な音色を示している。
FinaleのT62当たりからの第1vn.のsoloの部分。ゴルツ盤では、重音が明白に聴こえ近接音が近くて、あたかも目の前で演奏していることを記載した。鈴木盤では、vn.のsoloはやや遠くに位置しているためか、重音で切れのある迫力さは余り聞き取れない。
ワンポイントと思う録音のためか、各パートの定位感は分かりにくいが、その分、全体の音の溶け合いが自然。ただ、左右の広がり間が少なく、ファイの耳に聞きなれているためか、Tuittiで左右いっぱいに広がった迫力ある印象とは対照的。
2018年5月28日 ラトル ロンドンフィル 6番 第3楽章を聴取。No.64から引き続き。No.65は緩叙楽章のゆっくりしたテンポから、一転して中間的な雰囲気のMenuetになる。Menuetもハイドンの交響曲の中で数多くある中、今回はNo.6を採用。ここでの特徴は、Trioのsoloの部分、cb.va.fg.のそれぞれのsoloがある。ここの暗い雰囲気は、No.6他の部分の楽章の大半は明るい長調なので対照的。
 ラトルは、繰り返しを忠実に守り繰り返しの後半、微妙な装飾を加えているのは定番通りで違和感は全くない。数多くのMenuetの中で、この曲を選択したのも理解ができる。スコアによっては、Trioの部分でvc.のsoloがあるかもしれないが、私の聞いた限りでは、この部分はva.のみ。また、cb.はやや左側に位置しているようだ。ライナーノートの最後には、奏者の氏名が記載されている。それによると、弦楽器の数は下記の通り。8:8:6:5:3

2019年1月25日 6番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。パリセットの一部等はレビューすみ、。過去にLPで名前付きの交響曲選集でセットで発売された記憶もある。その後CDの発売されていたが、ようやく入手。既にモダン楽器である程度の特徴は推測ができていた。今回、1996年に発売された 25曲セットを入手。その内、2曲は R レッパード。作曲順番にマリナーの分からNo.6より開始をする。
  モダン楽器でcmb.がほぼ常時、装飾を含めて入っている。(右側でかなりの音量)。vn.は通常配置。元々マリナーの演奏は、Tuittiでも各パートの分離感を重視する。Tuittiでの音の溶け合いを少なめに抑え、その分、soloを含めた各パートを目立たせるのが大きな特徴。No.6-8はその特徴を現す典型で期待できる。
 予想通り冒頭から各楽器のsoloパートが鮮明。 強奏の部分でも、soloの部分が負けることがない。この当たりは過去に聴取した『佐藤 裕 ウイーン トーンキュンストラー管』とは大きく異なる。第3楽章 Menuet Trio でハイドンには珍しく、va.のsoloの箇所がある。このTrio 自体が 短調で、とても異色な雰囲気の部分になる。唯一のva.のsolo も  fg.やvc.に対等に張り合って聴き応えがある。その他の箇所でもvn. vc.などの各soloの随所に存分に聞ける。cmb.は常時入っている。soloほどの活躍はないが、微妙な装飾が、逆に、旨く溶け込んでいる雰囲気。パリセット以降の後期では、cmb.は入っていない。初期の頃はcmb.が入る解釈と思う。期待通りの演奏で満足。
2019年2月26日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 6番を聴取。ハイドンの協奏交響曲スタイルで頂点となる3部作。Soloの箇所がふんだんにありTuittiとsoloの対比、聴き通して初めてfl.が入るなど、様々な点で興味があるところ。
 CD収納ジャケット裏面の奏者に関して。2名のvn.奏者以外に、cmb. vc. Bass. の記載がある。fl.とfg.の記載はない。序奏のT3からのfl.中央寄り。他の管楽器のob.fg.との分離感が他の曲と比べて分かり難い。序奏の後、管楽器のみで提示される主題も近接音に近く、あえて少し管楽器群の音を手前に少し引き寄せたような録音。Cmb.は第2楽章の序奏の後T14から入る。主にbass.の旋律が中心だが微妙な装飾もある。
第3楽章、Menuet trioの部分でfg. va. bass. それぞれのsoloの箇所がある。調性が、がらりと変わり音量もかなり落ちることから、この対比が聴き所のひとつ。残念なことにbass.のsoloが極端に強調されすぎ、しかもとても近い位置から聞こえて不自然に聴こえる。vn.とvc.のsoloも手前には位置しているが、soloの箇所では必要に応じて、音源を調整している雰囲気。テープヒス音も時折、目立つ。 以前、「佐藤 裕」 トーンキュンストラー管 のCDを聴取した。ライブ録音で新しいが残響が多いものの自然な録音であった。この様な録音とはかなり異なる。特にこの曲の聴き所は、冒頭にも記載した様に録音による影響が大きい。聴き通してみて録音による不自然さが目立つ。