その1) 2012年3月18日追記 参考文献を新たに紹介。著者は、音楽学者なので、やや専門的な記述もあるが、専門用語は、できるだけ少なくなっている。「はじめに」の部分で、この本の特徴が2点書いてある。1点めは、多くの類書にあるような、作曲家や交響曲を年代順に記載をしていない。交響曲そのものを様々な観点から捉えている。 第2点目は、解説や、実際の音楽が出来る限り結びつくように独自の分析表を使用している。譜例が豊富に表示されており、この分析表を用いて、理解を助けている。 (その2)FinaleのFugaについて。このFugaに偉大さには、過去にも記載をした。(hob‐No。3.14.40など) 当初は、このハイドンがFugaの技法を広めた一人だと、私なりに考えていた。 しかしこの本によると、そもそもフランス風の序曲では、Fugaが使われることが原則だった。これにともない、その影響を受けた交響曲も多くあった。音楽様式の主流がホモホニックなっていく18世紀中葉から後半に、その独特な効果を狙ってFugaが用いられた交響曲は多数ある。 (その3)ウィーン前古典派のヴァーゲンザイルは、1746年以前に、採用していた記述がある。これを参考にすると既にFuga形式は、ハイドンが最初ではないかもしれない。しかし聴き通して行く中、初めてのFuga形式には敬服するばかりである。この頃の最も有名なfuga形式は、やはりモーツァルトの最後の交響曲No.41の第4楽章であろうが。 (その4)第8章多彩な表現力を求めての中では、ハイドンの模範となった部分の記述がある。1749年(ハイドン17歳)では、この時点で鍵盤音楽についてだが「C.P.Eバッハ」から非常に多くのことを学んだと記載されている。C.P.E.バッハは 大バッハの次男。1714-1788に生存。ハイドンが活躍していた頃は、まだ、生存していた。 (その5) ただ1749年の頃はまだ、交響曲は作曲はされていない頃の様だ。モーツァルト、ベートーベンも、このC.P.E.バッハから学んだとされている。学んだ特長としては、以下の通り。 ・強弱の激しい変化 ・突然の休符・ ・シンコペーションの多用 ・多彩な調の構成 確かに、この特徴は、ハイドンからも学んだかもしれない。 (その6)一方、この本では、1740年から50年代のドイツ・オーストリアの役割として、マンハイム学派の特徴も記載されている。その特徴は、以下の点になっている。 1.強弱法。特にクレッシェンドとデクレッシェンド。クレッシェンドを支えるトレモロ。 2.曲冒頭のフォルテの連打 3.単なる主題の並列ではなく、各主題相互に意味のあるコントラストをつけること。 4.旋律の民謡的特徴。歌曲(リート)の原則に従って形成される主題。 5.唐突な全休符。 6.Menuet楽章のtrioで、フランス起源の管楽アンサンブル。 7.マンハイムのため息(2度下降の掛留) 8・エコー 9.弦楽器群のボーイングの統一 (その7) このうち、もっとも有名だったのは、やはり、クレッシェンドとデクレッシェンドの効果で、聴衆からも圧倒的に受けたという。この特徴によれば、初期から中期の交響曲に関しては、かなり当てはまる点が多い。たとえば、最初の第1番とされる冒頭も、この効果が現れている。(名曲解説全集でも、マンハイムの特徴にも言及) (その8) hob-No.1では、この本の第6章にて譜例を含めて紹介がされている。第1主題の冒頭のクレッシェンドは、マンハイムの特徴の一つとして記載がされている。また、クレシェンドを支えるトレモロも同様。 (その9)C.P.E.バッハについての追記(その5の部分に関して)本書では、ト長調の譜例が掲載されている。この第1楽章では、第1主題の中から第2主題までの間に、共通した短い動機が、至るところにある点がポイントとなっている。胸中のあらゆる部分で主題を様々に変化させ、処理をする技法は、父親のJ.S.バッハから受け継いだものかもしれない。しかし、当時のイタリアや南ドイツの作曲家たちにとっては、まだ、なじみの薄いものであった。ハイドンにも、この楽章と同じ様に、第1主題と第2主題を同じ素材から作る単一主題体制、あるいは、第1主題を重視し、その動機を全曲で使った例は多い。 (その10)ソナタ形式を取りながらも、第2主題を第1主題から発展的に作り、全楽章を1つの主題に基づくものという印象を与える単一主題の楽章も書かれるようになる。本書では、既に、No.17第2楽章で既に例として掲載されている。これ以外の例にはこの箇所では触れられていないが、Finaleを中心に、単一主題で形成をされている箇所は多い。 |