通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
19 |
7 |
昼 |
1761 |
C |
4 |
2 |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
A |
第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn.vc.の協奏交響曲 |
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1 |
C |
Adagio -Alleglo |
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2 |
G |
Recitativo:adagio |
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3 |
C |
Menuet |
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4 |
C |
Alleglo |
第6番と比較して、さらにsoloパートが多く合奏協奏曲かもしれないが、ディベルティメントやセレナードとして聴いた方が良い。特に第2楽章は、Recitativoの序奏がある。ここでのgの調性とその後のGの調性の対比が美しい。(名曲解説全集では、Recitativo(2部形式)を単独の楽章として、全部で5楽章として掲載してある。2種の全集は、Recitativoを第2楽章の序奏としてあり、続けて演奏されている。(全4楽章) 第6番と同様に殆どのパートでsoloがあるが、2本のfl.とvn.やvc.の扱いが第2楽章で目立つ。 モーツアルトの初期の交響曲のように、第1楽章はob.のみでfl.なしが、第2楽章ではob.なしの編成。ob.がないので、緩徐楽章では、やわらかい雰囲気が漂う。2本のfl.がそれぞれのパートを持ち、掛け合いがあって、soloの楽しさ。圧巻は再現部の最後のカデンツアでvn.とvc.が提示部や再現部であった旋律を元に、両者で披露する。第2楽章だけを聴くと、fl.2本、vn、vc.の協奏交響曲として聴いても差し支えない。 Menuettoのtrioでは、コントラバスのsoloがある。フィッシャーでは、この部分もvn.はsoloで引いており、コントラバスの音を引き立てている。それに対して、ドラティ盤は弦soloでない。しかし2種のいずれも、バスが編成の右端に位置して、ステレオでの配置が堪能できる。 楽器の扱い方をNo.6-7を中心に書いて来た。6-8番に共通していることは、展開部の主題の労作なども初期の作品として、この時期でも典型的なスタイルで扱われている。2種とも聴き通してみて、No.6とは違った意味で、こちらも楽しめる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
2010年12月15日 ディビス盤を聴取。Hob−No.-6と同様に、随所にイタリア風のビバルディの合奏協奏曲の雰囲気がある。特に、第2楽章は、この傾向が強い。fl.2本、vn.vc.のための協奏交響曲と記載したが、ディビス盤の演奏でも同じ様な雰囲気。ただし、cmb.がやや目立つ。Finaleは展開部と再現部の繰り返しがない。割合、速めのテンポが加わり、さらりとした流れを重視した感じ。ライブ演奏であることもあり、繰り返しがない方が、すっきりとした印象を受ける。 |
2011年3月9日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。楽章構成が一応5つあることもあり、規模からすると、6-8シリーズの中では一番大きいであろう。Recitativoは29小節あるが、中間部はAllegroにテンポを転じるなど、テンポの変化とともに展開が速い。その後のAdagioは、調性がG-Durと大きく変わること。ob.が全て休んで2本のfl.になり、柔らかなな音色を重視する対比が一番の聴き所であることは変わりなし。 特にフィッシャー盤では、編成が小さい分、細かい音まで聞き取りやすいのも良いポイントとして評価したい。fl.を2本としたのは正解だと思う。なお、fl奏者は2人専属ではなく、1人はob.の持ち替えではないかと推測。(それまでの楽章ではfl.は登場していないこと。Adagioの楽章はob.が休み。その後の第3楽章はfl.は休み。Finaleは、ob.2本とfl.本の通常の編成などから)Adagioの終わりに近い部分は、vn.とvc.の両者によるカデンツアが15小節にも渡る。このカデンツアは作曲者がオリジナルなもので、途中でAllegroからAdagioへのテンポの指定などもあり大規模。途中では、vc.がvn.以上の高い音域にいたる箇所もあり、vc.奏者にとっては腕の見せ所であったと思う。 第3楽章のMenuetでは、フィッシャー盤はなぜかcmb.が入っている。No.6では入っていないと思うが。No.7でもMenuetのみ入っているのは不明。trioでcb.を引き立てることもあり、cmb.は目立たないが。 Finaleは、今までの各楽章で登場した楽器が再度、総勢でsoloを含めて、締めくくる雰囲気。 No.6-8シリーズが協奏交響曲あるいは、セレナーデ風の様式に特化している理由として。井上著では、パウル・アントン候はビバルディが好みであったのも由来する可能性を指摘。特に、この第1楽章は、コンチェルトグロッソあるいは、リトネロ形式の様相が強い。一つ前のHob-No-5で、類似した形式を、このシリーズで開花させた印象が強い。特に、作曲順番に聴き通して行くと、「開花」の表現がぴったりであると思う。 なお、ディビス盤はFinaleで展開部と再現部の繰り返しがない。ライブ録音もあり、繰り返しがなくても良いであろう。 |
2013年2月16日 追記。ホグウッド盤を聴取。fl.が活躍するのは、前のhob-No.-6と同じであるが、今回は、2人となる。第2楽章のRecitativoでは、管楽器でob.2人がいる。その後のAdagioでは、ob.が休みで、fl.が2人となる。続けて演奏する考えとして、RecitativoをAdagioの序奏とし、全4楽章の考えもあろう。しかし、楽器編成からすると、恐らくob.奏者2人が、fl.に持ち替えていると、私なりには思う。編成が、がらりと変るので全5楽章と、私は解釈したい。モダン楽器と違って緩徐楽章での、fl.の音色の対比が印象的。 Menuettoのtrioでは、cb.のsoloがある。ホグウッド盤では、この音色が、他の楽器のバランスが良いためか、自然な感じで聴き取れる。 |
2015年2月22日 ゴバーマン盤を聴取。No.6から引き続いて聴取。No.6では、vn.のsoloは1人だったが、ここでは第2vn.のsoloの入る。当然、配置から、第2vn.は右側にやや離れて位置。vn.2名の奏者同士のsoloとなると、配置がやや離れすぎる観がある。 Adagioの最後のカデンツアで、vn.とvc.の掛け合いの部分も、指揮者を挟んで、かなり離れた位置で聴く雰囲気。 |
2016年11月18日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.7を聴取。楽器ではfl.が1本加わる。またvn.のsoloも2名となる。このためNo.6と比較してより一層、soloとTuttiの個所の対比が多くなる。第3楽章レスタティーヴォはh-mol で終わる。ここまではfl.が全く登場しない。その後、G-DurのAdagioの明るい2本のfl.が登場する部分。この対比が、No.6の第3楽章と同様に美しい。 第3楽章のvn.とVc.のカデンツアの部分で、vc.がvn.よりも高い音域で演奏する個所がある。この部分では、vn.の方は少し音量を落として、vc.を引き立たせている。 ライナーノートについて。No.6に登場したfl.奏者の男性(Whalter Schober)は、楽器を手に持っていない状態で撮影。No.7で登場したもう一人のfl.の男性(Bright Flhch)との対比がされていて、奏者のパートが分かりやすい心難い演出。なお、Soloの写真では、vc.の奏者がいない。No.6と違う奏者だが氏名は記載されている。写真では not shownになっている。できれば、顔をみたかった。 |
2017年7月6日 鈴木秀美 盤 No.7を聴取。No.6-8は、初期の交響曲としては、soloの活躍が多いので、視覚効果が高い部類。中期から後期の交響曲にも共通する。 佐藤裕 トーンキュンストラー管のようにライブ録音で楽しみたいひとつ。こちらの方は、ライブでも録音会場は東京の朝日浜離宮ホールで、大ホールだと収容人数は525人。人数からして観客席と演奏者との距離はそれほど遠くないと思うので、CDからでもライブで、すぐ前で聴いているような音源を期待したい。しかし、No.6にも記したように、私の視聴環境では、定位感と広がり間が不足気味で、ダイナミックレンジが私には狭いように聞こえるため、やや難しい。 第2楽章の短い短調のRecitativo は、木管楽器はob.のみで、fl.とfg.は登場しない。Recitativoが終わって第3楽章の明るいG-durの調性に切り替わる部分。この部分がこの曲の白眉だと思う。すなわち第3楽章は明るい調性に変わるのはもちろん、ob.ではなく、2本のfl.に変わる。しかも2本のfl.は、solo、Tuitti、音程を変えたsoliなど、弦楽器のsoloを合わせて華やかな役割となる。2本のfl.は、音域の広がりは余りないが、それでもT27の部分の様に、わずかではあるが、離れた音で演奏する部分がある。この箇所などが、オリジナル楽器の特色を生かして効果的。
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2019年1月26日 7番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。No.6から、soloにvn.が加わり、緩叙楽章ではfl.が2名になる。第2楽章の中途の部分で2本のfl.が随所に入る箇所(レスタチーボの序奏の後からだとT11の部分)ここでは、solo vn.からvc.が2本のfl.と絡んでくる。2名のfl.は、音色がはっきりと分かれ、vn.とvc.の対比が印象的。No.6にも少し記載をしたが、soloからTuitti あるいはTuittiからsoloに変わる部分。ここでは、自然な雰囲気とは少し異なり、あくまでsoloの定位感を重視した録音。特に弦楽器のsoloがTuittiで他のパートを重なっていく部分。ここはスタジオ録音のためか、soloがメインになっている。ワンポイント録音とは少し異なる雰囲気。(1980年の録音) 緩叙楽章を中心にcmb..が必要に応じて、装飾で随時入っている。スタジオ録音ではあるが、僅かに緩叙楽章を中心に楽器外の音が入っている。しかしその分、臨場感がある。No.6と異なりvc.はかなり高音域でvn.と掛け合う カデンツアの部分も録音が鮮明、距離感がかなり近く、会場の最前列で聞いている雰囲気。 第3楽章Mnuet trio でbass の soloがある箇所。ここでのbass.はあくまでsoloとして引き立て、他のパートはできるだけ音量を抑えている。テンポは概して少し速めで、繰り返しは最低限にととどめている。作風からして繰り返しを忠実に守らなくても違和感は少ない。 No.7は自筆楽譜がある。井上著 ハイドン106の交響曲を聴くにも、第1楽章の冒頭で10段の五線譜の写真がある。緩叙楽章のカデンツアの部分は、vn..とvc.の2名なので、五線譜は2段でよい。かなり長いカデンツアの部分は、五線譜のページ数を節約するために、1ページの中に詰めて書いたのかどうか? 当時は紙は貴重であったこともあり興味がある。 |
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