通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
3 |
18 |
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1757-59 |
G |
3 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
menuetの最後のコーダで締めくくり |
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1 |
G |
Andante Mmoderato |
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2 |
G |
Allegro molto |
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3 |
G |
Tempo di menuet |
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3楽章で構成される例は多いが、最後はメヌエットで終わるのは数が少ない。3楽章が全て同じGで終始のため調性の変化が少ない。最初のAndante moderatoは小ソナタ風かあるいは教会ソナタか? 中間の第2楽章がAllegloなので、第1楽章は時間の長い第2楽章の序曲風にも聞える。中期から後期がAllegroやPrestoで終わること。それに対してmenuetで3楽章で終わることもあり、全曲を聴き通しても物足りなさがある。menuetの最後に比較的長いコーダがあるので、最後に少しはすがすがしい気分に終わる。
ドラティ盤はcmb.の音が大きめなのは第37番と同様、ゆっくりとしたテンポでの第1楽章と第3楽章trioでは、cemb.は花を添えている。第1楽章はフィッシャー盤と比較してかなり長い。このため単一の第1楽章として楽しめる。 スコアを見ながらフィッシャー盤を聴き直す。スコアの版によるかもしれないが、第1と第2楽章が入れ替っている。Menuetの最後は、第1楽章の主題が回帰される手法は今後も時々、採用される。しかしこの頃よりテスト的かもしれないが、早くも試みているのは、いかにも若いハイドンの意気込みを感じさせる。 また第3楽章でsoloで演奏する箇所を確認。trioの部分では、初期・中期にかけては、かなりsoloを多用している。この点は了解はしているが。trioは一般に弱音の箇所が多いが、「f」の箇所でもsoloのまま。 |
2010年11月27日 ディビス盤を聴取。全てを聴き通してみて、各楽章のテンポが全て異なるものの同じGの調性で終始。各楽章の特徴も大きなものも余りないので、Cランクのままとしたい。ただ第3楽章のtrioは、短調なので、主調とは異なる。 Menuetの最後の部分のcodaは、第1楽章への回帰を思わせるのは、何回か聴いて判明。(第1楽章の主題とmenuetの主題との関連性は余りないと思うので)この手法は、後のHob−No.-32(ホルン信号)でも採用された。この手法の前段として、考えられたか?この点などは、何回か聴いてみないと見落としてしまう。 その後、手持ちのスコアをながらHob−No.-18第1楽章Andanteをチェック。フィッシャー盤ではcmb.が入っていないがディビス盤では入っている。第1‐2vn.を中心とした付点音符の独特のリズムがこの楽章の中心となるであろう。これを際立てるためには他の楽器は、できるだけ終始、目立たない役割を好む。これに伴い、cmb.は控えめの方が良いと思う。 一方、もう一度フィッシャー盤を再度、比較のため聴き直してみた。va.以下の低弦が弱奏の部分を中心に、ピチカートで演奏しているのではないかと思った。スコアの最初の1小節目の低弦はピチカートの指示の記載はなく、スタッカートのみの記載になっている。特にT7当たりではっきりと聴こえる。しかし、もしピチカートで引いていたらvn.との音色の対比にプラスになっていると思う。
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2013年1月19日 追記。ホグウッド盤を聴取。 No.1から聴き通している中での3曲め。(通し順番で聴いているため、CDの収録順番とは前後する)。3曲通している中で共通していることは、やはり細かいパートの音色。弦楽器と管楽器のバランスに違和感がない。もし古楽器でなかったら、管楽器の音色は負けてしまう。しかし少人数の弦楽器でも管楽器とのバランスが良い。当時の編成はおそらく、この演奏は大差がないと思うので、改めて各楽器の音のバランスの良さを認識した次第。 |
2019年2月11日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 18番を聴取。3曲目になるが、こちらは3楽章でFinale がtempo di Menuetto で第1楽章を少し回帰させる短いcodaがある。No.1と37では、どちらかといえば、Ob.のユニゾンが聞き取り難かった。しかしこちらの方は録音がさらに鮮明なのか、ob.のユニゾンの箇所が細かく分かり、管楽器と弦楽器のバランスが良い。 N マリナーの演奏でも少し触れたが、どの旋律を重視するかによって、曲の雰囲気や流れの理解が変わってくる。この曲はとても短く繰り返しの箇所が多いので、それほど、どの旋律を強調させるかは余り重要視されないかもしれない。ob.のユニゾンにも触れたように、主旋律とはかなり異なり対旋律でもない動機については、特に初期の交響曲では余り重視しなくてもよいと思う。その分、冒頭を中心とした主題と、その後に展開していく旋律を表に出し、必要に応じて伴奏となる旋律は控えめでよい。 メルツェンドルファー では、このスタイルをこの曲では、少なくとも通している。Finaleは少ない箇所ではあるが、管楽器にもsoloに近い動きがある。この部分では、しっかりと表に出し弦楽器は控えめになっている。この当たりのバランスは、作曲年代や、個人の好みもあって微妙なことではあるが。少なくともこの演奏を聴く限り、ob.のユニゾンの扱い方は、ゆっくり目のテンポも相まって自分の好みに合っている。 |
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