音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.14 hob-No.-5


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
 14 5    1760-61 A 4 (1)   -  - - (1) No.6-8の予兆、Hrのsolo
       1 A Adagio ma non troppo
       2 A Alleglo
       3 A Minuet
4 A Presto
 初めてhr.のパートsoloが随所(特に出だしの第1主題が印象的)で聴かれる作品。hr.のsoloは4本使用の後の作品もあるが今回は2本のみ。2本でも、それぞれパートが分かれていて、hr.同士の掛け合いも印象的。むしろ4本より聴きやすいかもしれない。
 第1楽章のテンポがゆったりとしたテンポと相まって、有名な45番の最終楽章Adagioのcodaの雰囲気にも似ている。調性は全てAであるが、全てテンポが異なりsoloが随所にあって、合奏協奏曲に近い。初期作品のNo.6-8をピークとすれば、この前段階や予兆を思わせる特徴を持つ通しNo. 7(hob. No.10)で初めて、合奏協奏曲が登場したと書いた。No.6-8に向けて、hob No. 10に向けての2番目の曲に位置していると思う。
 Prestoの演奏時間は短いが、早いテンポながらも、中期以降の少しユーモアや遊び心が漂う。この交響曲で初めて、はっきり聴き取れると思う。もう少しPresto演奏時間が長くなったら、さらにランクを上げたい。
なお、全体の楽章の並び方は第1楽章に、緩徐楽章が来ている。中期から後期では楽章の並び方が固定していく中、作曲者は、いろいろと先人の一つ前のNo.11と同様に、研究を重ねたに違いない。中野著や井上著では、この順番を教会ソナタ形式と表現をしている。
 ドラティ盤では、第2-4楽章のsoloの演奏はなし。フィッシャー盤との差は、余りないと思う。
 2010年12月7日 ディビス盤を聴取。Allegli ma non tropo の第1楽章は、2本のhr.が活躍するが、この演奏でも、かなり目立つ。この後に続くNo.6-8のシリーズの予感をさせる。
 ディビス盤では、soloの扱いはフィッシャー盤ほどはないが、細かく聴いてみると、Menuetの経過部でも「チラリ」とvn.のsoloが聴き取れたりする。trio.では初めて、管楽器を主体としたsolo.の音色(弦はピチカート奏法)の手法は、後年の先駆けとなっている。A調が続いても、何度聴いてもテンポの変化が全て異なるのも魅力は大きい。意外な発見がある点からもBランクは変わらず。
(追記)
 ディビス盤を再度に聴取。フィッシャー盤ほど、vn.のsoloの箇所は、やはり少ない。 しかしながら、全集版の収録順番に、再度、敬服した。というのも、作曲順番通りに、聴いていくと、この曲は、Hob-No-6〜8シリーズの後になる。しかし、私は、Hob-No-6〜8シリーズの前段にあったと、解釈したい。(1761年作曲以前)もし前段の作曲であれば、イタリア風の雰囲気をこの交響曲を通じて試していたのではないか?ここまで聴いてきた中で、イタリア風の跳躍し、休止、強弱のある雰囲気の作品はまだ接していない。前段として作曲したのであれば、理に適っていると思う。その点からも、作曲された順番に収録されているのも、納得がいく。また、作曲された順番に聴いて行く楽しみでもあると、再度思った。
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 その後スコアをみながら、ドラティ盤とフィッシャー盤を再度、聴取をする。フィッシャー盤は、随所に管楽器のsolo、soliの指定箇所は元より、第1、2vn.も必要に応じて、soloの箇所があることを再度確認する。Hob-No-10にも記載をしたが、この後のHob-No-6〜8シリーズの予見をさせる点では変わりなし。Hob-No-6〜8は、イタリア風の協奏交響曲を連想させる。ハイドンは、エルテルハージ候が当時はイタリア風に興味を持っていたことから、必要に応じて、イタリア風を作曲に取り入れていたらしい。
 そのためか、第2楽章の跳躍や休止を挟む快活な雰囲気は、いかにもイタリア風の雰囲気が漂っている。第2−4楽章にかけては、第1楽章以上にvn.のsoloが協奏交響曲の雰囲気を味わうには欲しい所。フィッシャー盤は見事に応えている。
 それに対して、ドラティ盤は、やはりvn.のsoloの箇所が物足りない。A調が続くのは心苦しい点もあるが、テンポの変化は見事。
2012年3月20日追記 ディビス盤を聴取。No.6-8の予兆を感じさせると記載をしたが、この根拠は、管楽器を中心としたsoloの活躍にある。ディビス
 2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。通しNo.順に聴きくと、No.11に続いて、共通するところと逆に違いが楽しめる。楽章数は同じで、最初に緩徐楽章が入っているのは同じ。ただし、調が異なることと、hr.が活躍する点は異なる。
 No.11の緩徐楽章は、hr.は、伴奏に徹していたが、ここではsoliの記述があるように、旋律楽器を受け持つ。ホグウッド盤では、高音域のhr.の音色が効果的。ob.は伴奏のみに徹している。フィッシャー盤では、第2楽章などは合奏協奏曲風に随所にsoloがあるが、ホグウッド盤ではなし。
 Menuetのtrioでは、第1楽章で活躍したhr.が、ここでも登場。ob.はsoloとなっていて実質、旋律楽器としては、2人のhr.と1人のob.で計3人。tiroの由来に当てはまる。短いFinaleは、わずか69小節。前半と後半の繰り返しがあっても、演奏時間はせいぜい、2分程度。しかしコンパクトにまとまっている。
 2015年2月22日 追記。ゴバーマンを聴取。緩除楽章から始まるのは、No.11とも共通だが、hr.が活躍。しかし弦楽器が中心でhr.はは余り目立たない。FinaleのPrestoの第2vn.の対旋律も良く聴き取れる。
 2017年5月27日 T ファイ No.5 を聴取。初期の交響曲から聞き始めると調がAに変わり4楽章の構成となる。No.14までは、hr.のsolo(2名なのでsoli)の活躍が入る。この曲の聴き所として、hr.の活躍を記載した。ファイの演奏では、思ったよりhr.は全体的に控えめ。また、自分なりのこの曲のひとつとしてコンチェルトグロッソの雰囲気でNo.6〜8の予兆と記載した。最初に聞き始めたフィッシャー盤で、第2楽章のT32からvn.をsoloで引いている。この部分を例にあげたが、ファイ盤では、soloではなく通常のvn.パート。このため、コンチェルトグロッソ風の雰囲気は余りない。



No.1,4に、何度もシンコペーションについて記載をしてきた。第2楽章のT9からも登場。この動機は、他の箇所でも登場し、冒頭の跳躍するようなテンポあるリズムの動機と対照的。
 4つの楽章が全てA調のため、楽章ごとの調性の変化は難しい。(このあたりは、hob-No.-22のも共通している)しかしテンポの変化は全て違うので飽きさせない。
 特にfinaleはくりかえしを含めてもわずか65小節でファイの演奏時間でも1:27.冒頭主題のvn.の対向配置を生かして、第2vn.の対旋律が生きる。Finaleは短いが、中期から後期に匹敵する、無駄を極端に省いたFinaleにより、短い曲でも充実感が一杯。
 
2018年2月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.5を聴取。今回のCDはNo.1から5まで収録されているが、作曲順番で聞いているため3番目にあたる。4楽章形式で初めて。テンポこそ変わるが全てがA調であるため、通して聴くと、少し辛い思いがある。第1楽章はAdagio ma non tropo のゆっくりしたテンポ。6小節目にhr.のsoliがある。この部分でhr.の実音が低い。恐らく1オクターブ低いのではないかと思った。今までの奏者はここでは、hr.の音がかなり高く目立っていた。ガロワの演奏では、実音が低いので、hr.が目立たないことはないが、落ちついた印象。キーワードの「レガート」にも通ずる雰囲気。この楽章は、全て、実音は低いままで通している。
一方、他の楽章でも、低い実音が続いていると思ったが異なるようだ。第3楽章 Menutet 中間部trioの部分。ob.とhr.が活躍する。冒頭の出だしの音程は、第1楽章のT6と同じ。ここでは、明らかに高い音。弦の伴奏を伴って、hr.が明るく目立つ。
59小節しかない短いfinale。対向配置で第2vn.の対旋律が効果的。
 
2019年2月22日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 5番を聴取。No.11から引き続いて聴取すると、同じ調性が4楽章連続して続く点は共通。第1楽章の冒頭のhr.は右側に並んで位置しそれほど目立たず。
なお、CD自体のソフトの影響かもしれないが、第3,4楽章で音飛びが一部あり、旨く再生できない箇所があった。