音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNO.21から
アクセスカウンターページカウンタsince2011年8月15日

No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
21 36 1762 Es 4 (1) 2 必要 C 第1楽章の展開部の素材が豊富
楽章の構成 調性 リ*1 第1楽章の提示部は比較的短いがその分、展開部が,かなり長い。また提示部の様々な動機を用いて展開されていて転調も多い。→「2012年1月15日 追記」 石田著「交響曲の生涯」によると、第8章 多彩な表現力を求めて 1700年代後半ー1800年代に、この交響曲の記述がある。全曲の主調は長調ながら、短調の効果的使用とし、この展開部についての記述がある。この手法は、ハイドンだけではないが長調の曲中の中で、短調を効果的に使用している。第1楽章の提示部では、具体的に調性が記載されている。それによると以下の通り。
第1主題 Es→経過部→経過的部分 Bーdur(T29以下)→b-mol(T37以下)→第2主題 B−dur(T46以下)
この様に、提示部の中でも転調がある。中期から後期にかけては、長調、短調を問わず、あらゆる箇所で転調が見受けられるが、早くもこの段階からある例は注目に値する。 
 Vivaceは統一感があり、聴き応えがある。Adagioの第2楽章は2部形式、あるいは展開部を欠いたソナタ形式か? →スコアで再度確認をすると、リトルネロ形式が妥当であろう。vn.とvc.のsoloが美しい。Allegloの提示部でvn.が急に弱音でほんの一瞬、ピチカートを引くので音の対比がある。va.とvc.は常に同じ旋律が多く、fl.を欠き調性がEsということもあり、比較的落ち着いた雰囲気が漂う。No.6-8の頃よりも少し前の作曲にも聴こえる。
 ドラティ盤は例によって、Adagioのsoloは控えめ。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月11日とする)
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2010年3月11日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 Vivaceの展開部はかなり長いと思ったところ、提示部60小節に対して、展開部は同じ60小節であった。展開部では第1主題は元より、経過部、第2主題などの素材も扱われている。展開部が提示部と同じ長さは、めったにない。
 Andanteは3部形式かもと当初思った。スコアを見ると繰り返しの指定箇所がない。vn.とvc.の2つのsoloが掛け合う。また、solo以外の楽器は、主旋律を受け持つ箇所は余りない。リトルネロ形式が妥当であろう。
 Menuetは、主調から微妙に調が揺れ動いている様だ。(楽典を詳しく習得していないので、調性については自信がないが)
 フィッシャー盤の最初に書いた事項で、Finale Allegloの提示部でvn.が一瞬、ピチカートを引いていると記載をした。ドラティ盤やディビス盤ではこの箇所は普通に引いている。フィッシャー盤のみがピチカートの演奏(T14-15)スコアでは、通常に引く指定であったので、指揮者の解釈によると思った。音色の対比が効果的なのは変わりない。
 またフィッシャー盤では強弱が割合に大きい。スコアではそれほど、細かい指定はない。しかし「f」箇所の少し手前で、「p」 に近い採用をしていて旨く表現をしていると思った。低弦もva.がFinaleでは独自の動きがある。何度か聴き直してみると、意外な発見がある曲。ランクはCで良い。
 井上著の記述では、作曲年代が1761年あるいは1769年までの幅があり確定がしにくいと記載あり。ゲルラッハによる1996年のデータによると、1761年後半から1762年の初頭となっている。3通して聴いてみると、1762年頃でHob-No-6〜8シリーズの直後当たりだと思う。
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2010年12月18日 ディビス盤を聴取。第1楽章は、展開部と再現部の繰り返しがある。Hob−No.-6〜8シリーズの頃と大差はない時期で作曲されたことは分かる。
 第2楽章でvn.とvc. のsoloがある以外は、soloの扱いはない。しかし第2楽章は、かなりvn.とvc.の細かい、やり取りがあって、一番の聴き所。管楽器が休んで弦楽器のみでの編成である。演奏時間が短いにも関わらず特徴あり。ランクはCのまま。
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2013年2月23日 追記。ホグウッド盤を聴取。ランクはCとしているが、一番、興味深い楽章は、Finale。強弱や音色の対比が面白い。フィッシャー盤では、弱音の部分で弦がピチカートの箇所があると記載をした。ホグウッド盤ではピチカートで通している。音色の対比を楽しめる。
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2017年6月22日 T ファイ盤 No.36を聴取。No.25から引き続き聴取をするが、楽章がひとつ増え、演奏時間が少し長くなる。楽器編成は打楽器群がなく同じ。第2楽章に、vn.とvc.のsoloの箇所があるが全体的には管楽器のsiloが少ないのはNo.25と共通した特徴。
 第1楽章はかなり長く、提示部の中にも微妙な転調があることなどが、「交響曲の生涯」でも記載されている。展開部も提示部の各動機から引用されて、この時期としては充実。No.25のfinaleでは、2つのvn.パートの旋律の対比を中心に記載をした。
 ここでも同様に、弦楽器の各パートの対比が特徴のひとつ。第1楽章は弦楽器全体のユニゾンの箇所が少ない。その分裏を返せば弦の各パートが独自に様々な旋律を受け持つことになる。
 冒頭の主題から2つのvn.パートは、最初だけは同じ旋律を1小節のみユニゾンで引くが、その後は分かれてしまう。この方法は最初期の交響曲No.1の第1楽章冒頭でもあった。また低弦は、vn.とは違って8分音符を支える様に刻む。ファイの演奏は、この低弦のアクセントが特徴のひとつでありvn.パートと対等なのが特徴。T2から2つのvn.パートが分かれていくが、対向配置のため左右に広がって、異なる音程で広がるのがよく分かる。楽章の中で弦の各パートが転調、カノン風に掛け合うような部分などが、いたるところにある。楽器の配置を生かしてリズム感のあるファイらしい演奏が出ていると思った。
  Finale T14-15の部分でフィッシャーとホグウッドは弦をピチカートで引いていると記載をした。ファイ盤は通常とおり弓で弾いている。

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2018年4月11日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.36を聴取。このCDは、これ以外にNo.13、協奏交響曲が収録されている。日本語解説の帯の部分の記述によると、ハイドン作曲「ジュピター交響曲??」と記載がされている。これはNo.13のFinaleの主題がジュピターのFinale主題に類似しているから。それよりも3曲の選曲が面白い。最後の協奏交響曲をメインに持ってくるに伴い、その前に初期の交響曲を2曲持ってきたこと。この2曲は緩叙楽章でいずれも弦楽器のsoloが随所に登場すること。他にも初期の交響曲で類似のもあるが、今回は何故かこの2曲になっている。No.6〜8は3曲のセットでCD発売されることも多いので、これ以外にこの2曲を持ってきたのかもしれない。下記のブログにも、No.36を含めてレビューがある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-707.html

4楽章の中で、私なりの聴き所では「第1楽章の展開部の素材が豊富」を記載した。この時代としては、珍しく提示部と展開部の長さが全く同じ。(60小節)再現部は64小節なので提示部よりも、少し縮小されている。長い提示部でも短調の箇所が随所にあり、石多著「交響曲の生涯」でもこの特徴に記載がされている。
 ミュラーの演奏では長い提示部の中で、強弱を中心に微妙にスタイルを変えている。提示部は繰り返しをしているが、提示部の繰り返しの部分で装飾などは特に行っていない。長い展開部で提示部からの素材が殆ど随所に採用されているのが、この曲の特徴ではある。展開部でも、強弱を自然な雰囲気であるが微妙に変えている。ただし第2vn.は右側に位置していない。Vn.同士の掛け合いの箇所が、Finaleを中心に多いがこのあたりが聴こえないのが私としては残念。
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2019年3月1日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 36番を聴取。作曲年代はNo.6〜8と大差ないと思う。vn.とvc.の独奏が入る.CDの裏面にも奏者の記載あり。No.6〜8にも記載したが、ここでもやはりob.の音量がかなり目立つ。第2楽章で2名のsoloが入る。No.7、8と違ってvn.のsoloは1名のみ。第2vn.は登場しないのである意味安心がある。
Vivace Es
2 Adagio B
3 Menuetto Es
4 Alleglo Es


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
22 33 1762 C 4 (1) 2 2 2 必要 D No.38との対比。5年の開き。
楽章の構成 調性 リ*1 第1.3,4楽章はtrp.とtimp.が入っているのに対して、第2楽章Andanteは弦のみで演奏は対照的。この主題の持続音が長く、同じ調性のNo.38の第2楽章の主題にも類似。(作曲年代は1767とあり、約5年の開きがある。それに対してNo.38はすばらしい) しかし、ここでは全楽章でob.のsoloはなし。祝典的な調で楽器編成はtimp.とtrp.とが加わるものの、主題の特徴、展開の仕方などは注目する点は少ないと思った。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月13日とする)
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2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Vivaceは丁度50小節あるが、第1主題こそ明白であるものの、その後の経過部、第2主題などが余り特徴がない。それに対して展開部は53小節と長いが一部の動機をつなぎ合わせたような感じで、こちらも特徴が少ない。
 Andanteは、この頃の特徴でもある弦のみの編成で、soloはない。最初の感想の中でNo.38の第2楽章と主題が類似していると記載をしたが、雰囲気はあっていると思う。
 スコアで見て一番面白いのはFinale。楽章を通して、1小節単位で「pp」 〜「f」までの強弱の指定が細かくある。スタッカートが続いたと思うと、スラーの記号がその後も続いたりの記述がある。提示部の終わりは、「pp」で終わる。それに対してFinaleの最後では、「f」 で終わるなど作曲者の遊び心が見え隠れしている。
 聴き所のポイントでNo.38と比較をした。こちらは、調、編成、楽章数は同じ。各楽章のしっかりした構成、楽章間の対比、楽器の扱い方などが優れている。これと比較すると、やはり約5年の開きがあると思った。
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2010年12月20日 ディビス盤を聴取.
第1楽章のVivaceは、展開部では擬似再現を含めて、かなり長い。第2楽章は管楽器は休み。短調の調性とも相まって他の3楽章と対比あり。
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2013年2月24日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴き通してみると、やはり面白いのはFinale。強弱のの対比、弦の奏法の細かい違いなどがホグウッド盤ではより楽しめる。井上著ではFinale提示部の終わりで、hr.の弱音で「ちらり」聴かせる面白さが記載してあった。それまでは、hr.は殆ど活躍をしていないがここでは僅かな箇所とは言え、光る。通してのひとつ前No.36と同様に、このFinaleは、この後に続く楽しさ意外な面白さの前兆を感じさせる。

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2019年3月2日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 33番を聴取。調性こそ違うがNo.36と似た様な雰囲気の曲。打楽器群が入るが元々、この曲のランクを比較的低く評価していたこともあり、第1楽章は祝典的な雰囲気とはいえ特徴が少ないと思う曲。
 強弱と音色の対比が面白いFinale。展開部のはじめT51で調整を変えて登場する主題が登場。 弦のパートのみで P を挟んでT55からvn.が16分音符でトレモロで緊張感を高めていく部分。2つのvn.はもちろん目立つが低弦も比較的強調される。従来、obが目立ちすぎていた箇所が多いが、この曲に関しては、ob.はあくまで旋律の補強的な雰囲気。しかし全般的に録音のダイナミックレンジが狭く歪が目立つ。
Vivace C
2 Andante
3 Menuet&trio C
4 Finale、Alleglo C



No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl  fg hr trp timp cemb
23 9 1762 C 3 2 (1) 2 C 持ち替えfl.のユニゾン。
楽章の構成 調性 リ*1 C調は従来trp.とtimp.が入り祝典的な雰囲気が多いが、今回は殆ど聴かれないのは珍しい。第1と第3楽章は、ob.2本だが中間の第2楽章Andanteは持ち替えのfl.2本。 モーツァルトの初期の交響曲の雰囲気に似ている。緩徐楽章では、弦と2本のfl.のユニゾンの音色が美しく、両端楽章の調性とテンポの対比があり際立つ。
→「2012年1月20日 追記」 その1 石田著「交響曲の生涯」の第5章  ドイツ ・オーストリアの役割1740〜50年代の記述の中に、fl.に関しての記述がある。この章では、シンフォーニアで使われた楽器 ハーモニーと音階で、ob.などと違って、fl.が定位置を占めることは後の事である。
 当時はob.奏者がfl.と兼ねるのが一般的であった。この典型がno9のこの交響曲であると記載されている。第1,3楽章では、ob.2本とhr.2本が加わるが、第2楽章は休む。第2楽章では、fl.本 2本は、楽章全部に渡って第1、2vn.とユニゾンで演奏する。音量が比較的弱くてすむ第2楽章だから、持ち替えが可能だった点が言及されている。
 第3楽章はAllegrettoの表示だが実質Menuet。フィッシャー盤のジャケットには、Menuetの記載がない。ドラティ盤には記載がある。Menuetで終わることや、codaがないこともあり、今ひとつ物足りなさがある。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月20日 ディビス盤を聴取.
第1楽章Vivaceではsoloではないが意外にhr.が活躍。フィッシャー盤と違って、弦のsoloはなし。第3楽章は、Finale:Menuetto Allegretto と記載あり。通し番号順番に聴くと、C調が続いてしまう。第2楽章のAndanteは展開部と再現部の繰り返しがあり。
 3楽章のゆったりとしたテンポで終わることもあり物足りなさはある。
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2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。第1楽章は、ob.2本。それに対してfl.が2本でob.が休みであるから、明らかにob.奏者がfl.に持ち替えていることが分かる。fl.は常に、第1vn.の1オクターブ上の旋律を殆ど常に吹いている。(中間部の一部で同じ音程の箇所がある)vn.は常にfl.のオブリガートに徹している。fl.2人は、常に同じ旋律かとも思えるが、微妙に音程が違う箇所もある。あくまでfl.の演奏を引き立たせることが、この楽章の特徴であろう。
 ディビス盤の弦は時折soloの箇所があるようだが、Alleglo moltoの34、T36当たりでsoloの箇所が割合に、はっきりしている。Menuetのtrioの部分で管楽器のfg.がsoloで活躍するのは、この後にも良く用いられる手法である。早くもその用法があるのは注目に値する。
なお井上著では、第3楽章のTrioではbass.がfg.のパートのみになっているとのこと。現在の私の聴取環境ではまだ、その区別は分かり難い。→その後、フィッシャー、ドラティ、ディビス盤いずれも、fg.のsoloがあることが判明する。

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2013年2月25日 追記。ホグウッド盤を聴取。
聴き所のポイントで第2楽章のfl,の持ち替えユニゾンの点は変わらず。古楽器のためfl.の音量が小さめのため、逆に各パート、この場合は弦楽器の音色が聴き所となる。今までの3者演奏では、弦の伴奏は聞きのがしていた。しかしホグウッドの演奏では、この伴奏での方が反って聴き所となる。
 特にva.のパートは細かく聴いてみると、独自の動きがある。このあたりは注意深く、聴いてみないと聞きのがすところ。
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2015年2月28日  ゴバーマン盤を聴取。第1楽章のテンポは、速めで駆け抜ける。2つのvn.は、同じ音程あるいは音程を変えても同じ旋律でほぼ終始。展開部の中ほどのT76で第1vn.が唯一に近く、主旋律を演奏するのがこのゴバーマンの特徴か。
 第2楽章のfl.も弦楽器の編成が大きいのかfl.が浮き立たず。第1,2楽章は珍しく通して繰り返しを守っている。

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2017年12月24日 G Herbig No.9を聴取。Andanteの2本のfl.の持ち替えでは、fl.がそれほど目立たず。ホグウッド盤で、この楽章でva.の独自の動きがあると記載した。ヘリビッヒでは、それほど目立たず。
 Finale Trioの部分では、ob.fg.のsoloは引き立ち、弦のパートは伴奏に徹している。この当たりは、No.10にも少し記載をした。ここでも同様。
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2018年6月19日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 9番を聴取。このCDは4曲収録されているが、収録順はhob No.と同じ順番なので最初になる。第1楽章 Allegro mltoは Tuittiで開始されるので、正に井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」でも記載のあったように序曲風。最初にこのCDから聞き始めるとまさに序曲の様に聴こえる。
 この楽章は得てしてTuittiで駆け抜けるように終わり、各パートの独自の動きが少ない箇所が多い。しかし展開部の後半T76で提示部の動機が、ppで第1vn.が登場する。第2vn. va.もpで添える。この強弱の対比が印象的。



ガロワの演奏は、繰り返しの後半は他の指揮者と同様に装飾がある。Finaleの部分も同様。Menuetの回帰では、曲の最後を締めくくることもあり、さらに最初の部分と比較して装飾が多いのも印象的。

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2019年3月3日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 9番を聴取。C調だが打楽器群が入らない曲のひとつ。冒頭から、Tuittiで派手さはないが駆け抜けるように終わる雰囲気。(下記のP ガロワのレビューに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-938.html

 この楽章は速めのテンポの方が第2楽章の柔らかい雰囲気と対比させて面白い。大半の指揮者は Alleglo molto の指示よりも速めが多いがメルツェンドルファーも同様。冒頭の主題はva以下の低弦以外はTuittiで重音で引いている。T2からは重音でない。重音と重音でない箇所の対比を楽しむのも興味のひとつ。展開部の終わりの方T83で、2つのvn.が重音でオクターブを重ねて引く箇所がある。この後の管楽器との音色の対比を含めた掛け合いも良い。
Finaleが通常のMenuet。他の交響曲と比べると、3楽章で切れてしまう雰囲気。第2楽章の持ち替えで、柔らかいfl.を含めた音色の変化。第3楽章 Trioの管楽器を主体とした雰囲気。できればこの曲に関しては追加のFinaleが欲しいと思う曲。なおメルツェンドルファーの演奏では、Menuetの一部にスコアには fで書いてあるT22とT23の2小節、。vn.以外の他のパートも含めて 音量を落としている。Menuetで回帰してくる部分も同様。最後に盛り上がる前のアクセントになっているので自然な解釈と思った。録音も良好。


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2020年4月15 9番 ジョヴァンニ・アントニーニ カンマ―オーケストラバーゼルを聴取。No.65ら引き続く。こちらも他の2曲と同様に、Youtubeでの映像がある。これら3曲のデータ(日時など)は分からないが同じ会場の様だ。

https://www.youtube.com/watch?v=xyVaLxwvVFM

CDと映像の方は、音質の差はあるが、演奏自体は余り区別はないと私は思う。ライナーノートでは、管楽器でfl.1名が記載されている。ハイドンの初期の交響曲では、管楽器のfl.とob.の持ち替えが多い。この曲に関しても同様で、第2楽章はfl.1名が入る。ライナーノートではfl.が担当している。もう一人のfl.奏者の記載がない。
 一方、映像の方では、首席ob.奏者がfl.の第2パートに持ち替えて演奏をしている。ハイドンの時代なら、管楽器の奏者が複数、楽器を持ち替えて演奏するのはしばしばあったと思う。この演奏会では、持ち替えでob.奏者が担当しているシーンは興味深い。第2楽章が終わって、短い合間ん、ob.奏者がfl.から元の横に置いていたob.を取り換えるシーンなどはライブならではの面白さがある。fl.の奏者(女性)は2名のob.の間に座っている。奏者の配置も面白い。

今回のMagnumu Photoの写真も興味深い。下記のアドレスに日本語のホームページがある。現代でも戦争がある中、実績のある写真家なことがよく分かる。

https://www.magnumphotos.co.jp/page.php?navigationid=156

 なお、前回のNo.5のレビューで、首席奏者(コンサートミストレス)は記載がないとあった。その後、再度、写真を見ていると右のやや端の方に写っていた。集合写真で中央に位置していないこと。髪型を変えていたことで、すぐにわからなかった。
 
Alleglo molto C
2 Andante G
3 Alegretto C


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
24 107 B 1762 B 4 (1) 2 必要 D 習作風の4楽章。
楽章の構成 調性 リ*1 Menuettoがある4楽章だが全般的に演奏時間が短い。通しNo.では24番目に位置し、1762年頃の年代になっている。習作というか簡単に書いた様な感じが強く、聴き通してみると、もっとも初期の頃の作品に近い雰囲気。Menuettoのtrioでは、fg.のsoloあり。フィッシャー盤では、このtrioでvn.soloとなっている。Andanteは2部形式の小カノン風。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月21日 ディビス盤を聴取。Alleglo molto のテンポは、ややゆったり目。Adannteのテンポは、かなりゆったり。管楽器が休み弦のみで演奏。音量もかなりフィッシャー、ドラティ盤以上に落としている。その分g−mol の調性とも相まって独特な雰囲気。他の楽章は主調のBであるのと対照的。第3楽章だけをとったら、Cランクとしたいが全体を通すと、Dランクのまま。
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2010年3月14日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。演奏時間が短いのは、前にも記載をした。スコアをもう一度チェックをしてみたら下記の通り。小節数だけで曲の評価を論じる訳には短絡すぎるが参考までに記す。
第1楽章:48小節
第2楽章:56小節
第3楽章:35小節
第4楽章:96小節
これまでの作品と比較しても、演奏時間が短いのは拭えない。fg.とob.のsoloの箇所は適宜あるが習作風に書いた印象に終始。
 フィッシャー盤ではMenuetのtrioの部分は、必ずと言ってよい程.soloの箇所がある。スコアの指定は管楽器のみであるが、フィッシャー盤では弦のsoloを伴う。この点は前から納得をしている。この曲に関しては、第1、第2vn.がスコアでは同じ旋律になっていた。
 注意深く聞いてみると、第1vn.のみがsoloで演奏していると思った。(演奏者の配置より)同じ旋律のケースの場合、vn.の演奏者は一人と決めているのかもしれない。(それに対して、va.とvc.はsolo。(これまでは、第1、2vn,までの区別はできなかった) 
 一方、ディビス盤では、弦のsoloはないが、cmb.が第1vnの対旋律で添えている。ランクはDで良い。

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2013年3月2日 追記。ホグウッド盤を聴取。Menuettoのtrioでは、fg.のsoloがある。ここでは繰り返しは、装飾音の奏法となっている。一方、少ない弦の編成のためか、伴奏の低弦の音が沿うような感じ。
 第3楽章は独特な」雰囲気で、カノン風に進んで行く。最初は第2vn.で提示されているのは、No.11と同じ。ここと同様に各弦の動きも味がある方だと思うが。しかし如何せん35小節と短すぎる。元々ランクを低く自分なりにしていることもあり、記述する点は少ない。
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2015年3月1日  ゴバーマン盤を聴取。ゴバーマンは、全集の録音に至っていない。補完的な、当初の104曲には含まれなかったAとBの2曲は、14枚目のNo.98に引き続いて収録され最後になっている。
 第2楽章 Menuetto のTrioの部分では、独自の旋律で装飾。第3楽章 Andanteは、テンポをかなり落として、第2vn.から始まる冒頭の旋律が引き立つ。僅か35小節しかない緩除楽章であるが、対旋律で浮き立つゴバーマンの演奏は、遅いテンポととも相まって全集盤の3人(フィッシャー、ドラティ、デイビス)やホグウッドなどと比較して一番と推薦したい。
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2019年3月4日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 107番B を聴取。 ハイドン音盤倉庫で下記のブログで、緩叙楽章での弱音の美しさについての記載がある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1747.html

 今まで聴いて来た中で確かに緩叙楽章は、どちらかといえば遅めのテンポでvn.を中心に旋律を引き立たせるのが特徴と思う。通し番号20番台は、1762年ごろから1764年頃。1761年のNo.6〜8シリーズとNo.31 「ホルン信号」の間に大体位置している。疾風怒濤期の前であるが、どちらかといえば曲自体に特徴が余りにないものが自分なりに感じていて、聴取記録を書くには少し苦しい時期にあたると思う。
 この曲も元々、自分なりにランクを低くしていて、それほど特徴はどの指揮者も余りないように記載をしてきた。Menuetが第2楽章になり、緩叙楽章がFinaleのひとつ前の第3楽章になる。この頃の特徴のひとつとして緩叙楽章は全て弦楽器のみ。 d-mol で弦の各パートがカノン風に進んでいく。テンポはかなりゆっくり。珍しく展開部と再現部の繰り返しも採用。メルツェンドルファーの演奏だと6:58にも渡る。緩叙楽章の消えるように終わる終始から、Tuittiで明るい雰囲気に対比されるところはどの曲にも共通している。特にこの曲はmenuetを挟まないので対比が目立つ。録音は普通。第2楽章trioでfg.のsoloがある。この部分で他の曲と同様に、soloに近い箇所で管楽器が登場する部分は多少の違和感がある。SoloとTuittiでの溶け合い感は余りなく、平面的な音響。
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2019年10月16日 107番 B  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。No.106 A から引き続き聴取すると同じB-Durが続くことになる。作曲年代がNo.6〜8シリーズの少し後の 1762年頃で No.106より数年後となる。このためか、fg.を含めて、soloの箇所が多く入り低弦などの独自の動き対位法的な箇所も多い。このため、No.106と比べて各パートの独自の動きを含めて、聴き所が増えてくる。 繰り返しは忠実に採用。テンポもややゆっく目なのは同様。


2019年10月22日 追記
 このCDと同じ音源かは不明だが、Youtube に 第4楽章の動画がアップされていた。


https://www.youtube.com/watch?v=fwWty4SYilk

これによると弦の奏者は、以下の通りか?
4:4:2:2:1

弦の総数は13名。fgは1名でcmb.は右側に位置。楽器は古楽器なのが分かる。この奏者だとホグウッドなどと同じような規模になる。ob.は左端に位置。録音ではob.は通常のオケと同様に中央よりになっている。

Alleglo molto B
2 Menuettoーalegretto B
3 Andante
4 Presto B


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
25 14 1762 A 4 (1) 2 必要 C Andanteでのvn.vc.の終始ユニゾン。UPFinaleの対位法的な手法
楽章の構成 調性 リ*1 Alleglo moltoの第1楽章はA調の明るさを生かした親しみやすい主題。(モーツァルト交響曲No.33の第3楽章に似ている) Andanteでは、soloとして活躍はないがvc. がvn.の旋律を常にユニゾンで引くのは、初めての試み。各弦のパートが細かく聴き取れる。管楽器が全て休むので、弦楽器が如何に聴かせてくるかがポイント。注意深く聴いてみると、va.と低弦とは常に同じ旋律で引いている。
 Allegloでは第4楽章の主題のフーガ風にパートを変えながら進行する。fl.が一部でも入っていたらさらに聴き応えがあったと思う。
 ドラティ盤ではAndanteでのcmb.の装飾音が目立つ。Menuettoのテンポが遅く、Andanteに近い。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月22日 ディビス盤を聴取。聴き通して久々のシャープ系の長調が登場。第2楽章のAndanteは、vc.とvn.のユニゾンが聴き所であるが、管楽器が休みの中それほど目立たず。cmb.はドラティ盤ほど装飾音もなし。
 一番の聴き所はFinaleで低弦との対比法的な動きは目を見張る。聴き所のポイントでは第2楽章のAndanteとしたが、FinaleのAllgloの対位法的な手法が一番であると訂正したい。
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2011年3月16日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 Allegloは提示部が42小節に対して展開部は22小節しかない。すぐに再現部が始まり、いきなり転調するのにはビックリする。
 Andanteはフィッシャー盤では、vc.がsoloでオブリガートに徹して引いている。1オクターブ低い旋律で旋律もほぼ同じ。記譜されている音域の記号も、低弦記号でなく高い音域が多い点によると思う。
 trioではob.のsoloがある。第1楽章でob.のsoloの箇所は多少あった。Hob-No-38の様にFinaleはあたかもob.協奏曲のような期待もされるが、この曲では活躍はなし。
 Finaleは繰り返しを採用しても演奏時間は約3分で66小節。フーガの様に各弦が動き回る。何度か聴いてみると対旋律がしっかりと寄り添い対位法が十分。一つ前のHob-No-Bと比べるとFinaleの聴き応えは、こちらが断然上になる。全体的に、さらりと流れる様な感じが多いがFinaleはかなり念入りに書かれていると思う。
 ディビス盤のAndanteは、vc.はsoloであるがbass.とcmb.の音が大きい分soloが目立ちにくい。trioの繰り返しでsoloのob.は旋律に変化を加えている。シャープ系の調でもあり、もしfl.が少しでも入ったら、さらにランクが上がると思った印象は変わらず。
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2013年3月3日 追記。ホグウッド盤を聴取。
Andanteのsolo vc.は、思ったより目立たない。Finaleの対位法も、小編成のためかよく聴き取れる。
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2015年3月2日  ゴバーマン盤を聴取。第2楽章のAndanteで、vc.のSoloは、それほど目立たず。聴き応えのあるFinaleは第2vn.を含む、各パートが良く聴き取れる。
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2019年3月5日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 14番を聴取。第1楽章の冒頭の第1主題は調性こそ違うが、モーツァルト交響曲No.33 K319 第3楽章 Menuetの主題に類似していると思う。曲の後半  Menuet (Trioを含む) Fianle は概してテンポは遅め。それに対して冒頭の第1楽章は、速めのテンポが多い。この曲も同様に速め。第2楽章 vc.のsolo(オブリガート)も、余り目立たせていないのも自然な雰囲気。
 第3楽章 Menuetで、通常ならTuittiの箇所などでob.の目立つ箇所が多い。しかしこの楽章に関しては全く違和感なし。Trioでob.のsoloの部分もテンポをさらに落とすが、伴奏に回る弦楽器分との対比も良好。FianleはNo.3のFinaleにも少し雰囲気は出だしが中心に類似しているかも。しかしこのNo.17の方は、弦を中心とした各パートの動きはフーガの様に展開して行くが、16分音符のスラーの旋律が入るなど明るく流れるような雰囲気を重視。No.3のような力強さとは対照的。
 曲を聴き通ししていく中で、第1楽章は概してどの曲もTuittiの箇所にob.が目立ちすぎる。しかし後半に従ってTuittiの箇所はob.が控えめに回り、それほど問題がない。Fianleは概して遅めのテンポで、ハイドンらしい軽い雰囲気で終わるのを表に出すのがメルツェンドルファーでの解釈なのかも。

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2019年10月21日 14番  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。全集のCDでは5枚目でNo.14〜17までの4曲がセットでhob番号順に収録されている。Hob番号の順番だと作曲年代は多少、異なるがここではあえて収録順番とした。No.62からだと、作曲年代が遡ることになる。No.107 B の頃になるため、随所に管楽器を含めたsoloの箇所もある。No.107と同じような雰囲気。第2楽章の vc.のsolo は他の指揮者と同様にそれほど目立たず。
今までの演奏では繰り返しをすべて採用。第3楽章 MenuetでTrioの後、Menuetも忠実に繰り返しを採用。Trioと同様に、繰り返しの後半では微妙な装飾がある。
 Finaleは概して遅めのテンポを予想していた。しかし思ったより速め。冒頭の第1,2vn.主題。ここではvn.のみで他のパートは演奏しないが、16分音符を含む細かい旋律がある。展開部のT32の部分。Tuittiの後、低弦が16分音符で対位法的に独自の動きがある。ここでもスラーの表記のように柔らかく表現。古楽器で小編成ながら各パートの動きはよくわかる。
Alleglo molto A
2 Andante D
3 Menuetto alegretto A
4 Alleglo A


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
26 40 1763 F 4 (1) 2 必要 B fuga形式の終楽章と盛り上がったcoda。
楽章の構成 調性 リ*1 跳躍のある伸び伸びとしたAllegloの第1主題。Andanteは弦のみ。小節数も 短く旋律の変化も余りない。管楽器が全て休むので弦楽器が如何に、聴かせてくるかがポイント。注意深く聴いてみるとva.と低弦とは、常に同じ旋律で引いている。Menuetのtrioは、管のsoloが目立つ。第4楽章はfugaで各パートが終始、対位法的に動く。
 fugaは珍しいと思うが一番の聴き所。再現部の後半当たりから、低弦が持続音を響かせながらcodaに向かう。その流れで大いに盛り上がりがあって一気に終わる。ユーモアの雰囲気が中後期では多いが、finaleのfugaは全く対照的。No.3の終楽章の雰囲気にも似ているが、よりダイナミック。第4楽章だけを取り上げたらAの評価にしたい。
 ドラティ盤は、Allegloのテンポが遅めでゆったりとした雰囲気。跳躍のある伸び伸びとした雰囲気を味わうならフィッシャー盤を取る。Andanteはcmb.の装飾音が心地良い。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月15日とする)
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2010年12月22日 ディビス盤を聴取。ドラティ盤では、Andante でcmb.の装飾音が心地よいがディビス盤では装飾音は休み。
 Menuetでは、ob.がユニゾンで引く箇所が多い。ユニゾンとユニゾンでない箇所では音量の差も聴き所の一つであるが、フィッシャー、ドラティ盤などと比較し、ユニゾンの対比が目立ちやすい。trioでは、同じob.のユニゾンがあるがvn.が控えめに演奏している。
 ライブ録音のためFinaleの最後には拍手が入っている。拍手を除くと演奏時間は3分弱。楽器編成もob.hr.fgと数は少ない。しかし少ない編成でありながらも、.堂々と華々しく終わるのは、やはり魅力的に尽きる。
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2011年3月19日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。ob.は弦とのユニゾンの箇所が多いが、2本がそれぞれ別に受け持っている箇所が多い。 
 Andanteでは管楽器は全て休むため弦のみの演奏になる。この頃の特徴として、弦の細かい各パートの動きが聴き所である。しかしこの曲に限っては各パートは、ほぼ同じ旋律に終始して印象は少ない。フィッシャー盤では、全てcmb.を採用していないが、Andanteはcmb.がない分より一層少ない印象を伴う。
 第4楽章のFinaleは聴き応えがある点は前にも記載をした。スコアにもFinale−Fugaと明記してある。楽器の編成は一般的。最初は主旋律が敢えて第2vn,から登場。(第1vn.ではない)しかし低弦が対旋律を伴う。主題と対旋律は、各パートで細かくつなげられている。
 ob.でも分かれて書いてある箇所は第1楽章でも記載をした。ここでも、ユニゾンの箇所もあれば、2本が分かれて演奏をしているのは、スコアを見て初めて分かる。低弦の役割も大きいが、中間部ではvc.とcb.とが分かれて記載をしてある箇所もある。(後年は少し採用している例はあるが、この頃では珍しい)4分音符の速いパッセージもありながら管や弦の持続音が続く箇所もある。
 このFinaleは全部で198小節もある。この頃のFinaleとしては、かなり長い。楽章全体の演奏時間は15分から20分。展開部と再現部の繰り返しの指定がスコアには記載してある。しかし2者(フィッシャーとドラティ)の演奏は全て、繰り返しは採用なし)仮に忠実に繰り返しを採用しても、全体でも約20分余りであろう。ディビス盤は全て繰り返しを採用しているため、約23分の演奏時間。
 その中で、Finaleの占める時間は僅か3分程度。単純に計算するとFinaleの時間は短い。しかし曲のクライマックスは、フーガ形式のFinaleと思う。
 また圧巻的に終わる理由の一つに、持続音があると思う。173小節目(終わる26小節前)から低弦が9小節にも渡って持続音を引く。この箇所で、作曲者が「tenuto」の指示がしてある。スコア全体には強弱記号は余り記載をしていない。しかしどの指揮者も、旋律や曲想に応じて、旨く強弱をつけてある。さらに今までの3楽章までは繰り返しがあった。しかしFinaleは繰り返しの箇所が全くない。盛り上がって一気に終わるのも、クライマックスの一つである。
 主題そのものは一つで、形式的には割合に簡単であろう。しかし、細かく聴いてみればみるほどに、聴き応えがある。後年のFinaleで、ユーモアが少し漂った柔らかな雰囲気は微塵も感じさせない。Finaleだけを取ったら、文句なしにAランク。
 ドラティ盤では、Andanteでcmb.が低弦の旋律とは別に装飾する。ディビス盤は繰り返しを忠実に守っている。第3楽章までの繰り返しを、辛抱して聴いていて、最後に心地よい気分になる。hr.ob.の細かい音も聴き易く、臨場感があふれるのが特徴。フィッシャー盤と同等としたい。モーツァルトのNo.41のFinaleは、調性こそ違うとは言え明らかに、起源となるFugaだと思う。もう少し注目されて欲しいと願っている曲の一つ。
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2013年3月7日 追記。ホグウッド盤を聴取。一番の聴き所のFinale fugaは、小編成とはいえども、対旋律の動きを含めて細かい音まで聴き取れる。それに加えて、codaに向けてのダイナミックな盛り上がりは、ホグウッド盤でも十分に聴き取れる。

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2015年3月2日  ゴバーマン盤を聴取。第1楽章の冒頭のの主題の中のT4の動機がいたるところで活躍する。比較的長い展開部の中で、T83から、第2vn.が転調を繰り返しながら、この動機が登場するところが、良く分かる。
 第2楽章は繰り返しを採用せず。かなり速いテンポとも相まって一気にに終わる。管楽器が全くない中、テンポがゆっくり目で対旋律も含めた聴かせどころが多い一つ前のhob-No.-14とは対照的。 MenuetのTrioは管楽器を目立たせて、逆に弦は控えめ。fgはsoloで入っている。
 Finale-fuga のT54から、第1vn.が8分音符で経過的主題が登場するが、T56で第2vn.が5度?下げて呼応する。これが2回繰り返されるが、この呼応が良く分かる。この部分の旋律は、後半ではT147から第2vn.より登場し、前半と比べて多い4回も登場する。その後、低弦のTenutoに支えながら終わる。ゴバーマンの演奏は弦楽器が主体の演奏のためか、この盛り上がりがすばらしい。
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2017年2月12日 T.ファイ No.40を聴取。ピノック盤を視聴後、他の指揮者のCDも数枚手元にある。近いうちにファイ盤の新譜が出る。予約をしているが、それまでにファイ盤は聴いたことがない。手始めに過去に発売されいるものから入手して、新譜と比較してみることにした。手始めに最近、廉価盤となった?No.40からスタートする。
ファイ盤の特徴のひとつとしては、テンポと強弱の微妙なニュアンスのアクセントがある。これを念頭におくのがまずはポイントのひとつ。

今回のCDは39.34、40、50の順番で収録されている。このうち短調が2曲ある。自分なりの過去の経緯や経験を踏まえて、最初はNo.40からとする。この曲はランクはBとし、特にFinaleのfugaの締めくくりを特徴としていた。Finaleに向けて、以下に盛り上がりを作っているかがポイントの一つ。
 強弱の典型的な例としては第1楽章冒頭の第1主題。冒頭からf指定の勢いのある動機が2つのvn.で現れる。大半の指揮者はこの最初の上行していく旋律をクレッシェンドとしていない。一方ファイ盤は、わずか1小節の4分音符だが、クレッシェンドを僅かに掛けている。この微妙なニュアンスひとつをとっても、作曲者はこのクレッシェンドは書いていないが、細かい表現をすることでファイの解釈に対する面白さがある。

 一方、テンポの微妙な変化について。冒頭から細かいテンポは1小節よりも細かく変えている個所が多い。また1小節単位ではなく数小節単位でも変えている個所もある。たとえばT37から第2主題が登場する前の経過部分。T32から冒頭の主題と同様にp指定を守りながらも、デクレッシェンド。さらにT36から2小節に渡るppの部分。ここでは、さらにテンポを落としている。T37からfで登場する第2主題と対照的。第1楽章の冒頭2箇所をとっても、ファイの強弱とテンポを堪能できる。
 Finaleのテンポはやや遅い。T52から第1vn.から登場する8分音符の動機。2つのvn.で掛け合うが、この動機も微妙に強弱を加えている。Codaに向かってのT173からのTenutoも迫力十分。T190から全てのパートで冒頭の旋律をTuittiで締めくくる盛り上がりは、このファイ盤でも満喫できる。
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2019年3月6日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 40番を聴取。作曲順番でNo.14から続けて聴取するとFinaleのフーガ形式の違いが対比されて面白い。No.40は、T ファイ盤で初めて聴取を開始した曲。第1楽章 冒頭の第1主題で、クレッショエンドで提示していることが印象にあると記載した。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-674.html

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-675.html

 第2楽章は弦楽器のみで管楽器や休む。デイビス盤では確かcmb.がアルペジョ風に独自の動きをしていた。メルツェンドルファーでは、ここまで聴いて来た中で必要に応じて、緩叙楽章でcmb.が入っていた。しかしこの楽章では入っていない。弦楽器のみなので、各弦のパートの動きがポイントになる。
この楽章は2つのvn.が同じ音程のユニゾン。vn.以下の低弦は、オクターブ離れてユニゾンで対比をさせている。vn.と他の弦との対比が需要になる。対向配置でないことを逆に生かして、va.以下の低弦も均等に引き立てたる。冒頭から第1楽章と同様に、4分音符の対旋律の様に低弦がvn.と対等に聴こえているのが印象的。
 第3楽章。Menuet  trio の部分で、それまで余り目立った動きのなかったhr.も旨く、自然に前に出すように演奏。音色も自然に近い雰囲気。
 第4楽章のFianleは繰り返しの記号が全くない。作曲順番でひとつ前のNo.33と比較して持続音の箇所が多く、No.3のFianleを拡大した感じ。No.33のような明るく流れる雰囲気とは大きく異なる。テンポは少し遅めだがその分、他の指揮者と同様、繰り返しがなく注意深く聴く必要もあわせて、この演奏も聴き応えがある。
 通して聞くと、どの楽章もそれぞれ特徴があり、最後はフーガ形式で繰り返し記号を挟まないで一気に終わるなど充実した曲である。メルツェンドルファーでは、各楽章の特徴を全てツボを得ているかのように旨く演奏していると思った。録音の方は音量のバランスやダイナミックレンジは余り問題ないが、一部ノイズの様は箇所がある。ノイズの箇所がなければ、とてもランクを上げたい曲と思った。メルツェンドルファーの演奏は録音による差が大きいが、ノイズがなければ今で聴取してきた中で一番良いものだと思った。
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2019年8月7日 40番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。HOB番号順で通して聞くと、No.37-40の中で、最後の曲になる。No.37は最初期の頃の曲のひとつ。自筆楽譜が存在し1763年の年代が確定。No.37と比較すると数年の開きがある。打楽器群はないが、Finaleにフーガ形式を採用するなど、この頃の時期としては聴き応えがある曲のひとつ。
 この曲の出だしは、指揮者によって大いに異なる。最近だと T ファイの 強烈なクレッシェンドのある切れの良い印象を記載した。また、最近聴き通してきたメルツェンドルファーの方でも 冒頭からの低弦の8分音符の刻む様な動機を終始、通していると記載した。(下記のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1101.html

ブリュールの場合は、これに対して、各パートはメルツェンドルファーと同様に均等になっている。第1vn.の冒頭の動機は、やや控えてめで柔らかく演奏。T ファイの様な、強烈な上昇していく雰囲気は皆無。楽章全体を通して、8分音符の動機は、殆どの箇所で支配をしている。第1vn.の冒頭の主題が、柔らかい分、8分音符の刻む様な緊張感が、前面に押し出さされている雰囲気。8分音符の動機は、この楽章で大半が活躍する。しかし提示部と再現部のごく一部の箇所で、この動機が休み静まる箇所がある。T32からの部分になる。ここでは8分音符の動機は全て休み、スラーの短い休止期間に相当する。冒頭から忙しかった雰囲気が一瞬ではあるが途切れる。この対比が印象的。
 Finaleのfugaは、やはり自分の好みとしては、各弦のパートの掛け合いを含む対向配置を好む。モダン楽器だが、奏者の多く対向配置のT ファイ盤に やはり軍配を上げたい。

Alleglo F
2 Andante piu tosto alegretto   B
3 Menuet F
4 Finale-fuga、allegro F



No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
27 12 1763 E 3 (1) 2 D 小規模のソナタ形式で全楽章が終始
楽章の構成 調性 リ*1 Eの調性は少ない。主調がE調であるのは唯一の曲。小規模のソナタ形式で全楽章が終始する。第2楽章のAdagio(e調)の主題は、 モーツァルトのfl.四重奏曲第2楽章に類似。弦のみで演奏。楽器の使い方や音色には工夫は余りなし。第2楽章は展開部と再現部が繰り返し演奏される。フィッシャー盤では、再度の繰り返しのときに、vn.soloによる装飾音がある。
 ドラティ盤はどの楽章も比較的ゆったりとしたテンポで、cmb.が目立つ。第2楽章の装飾音は合奏に留まる。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月16日とする)
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2010年12月23日 ディビス盤を聴取。ディビス盤のテンポは、フィッシャー盤とドラティの中間。ただし第2楽章のAdagioは、かなり遅い。作曲年代からすると、もっと初期の作品に相当すると推測。第2楽章は、展開部と再現の繰り返しがない。フィッシャー盤で繰り返しのときに、vn.のsoloによる装飾があると聴き飽きさせない。その分、同じ繰り返しだと飽きてしまう。ランクはDのまま。
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2011年3月20日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでは繰り返しの後半はcodaで短いvn.のsoloがある。リズムからしてシチリアーノ風。通しNo.で聴き通してみると、同じ作曲年代でありながら、一つ前のモルティン候時代の作品にやや近い雰囲気。保守的で聴き応えがない。ドラティ盤は、繰り返しを忠実に守っている。ただしAdagioの後半の繰り返しはなし。
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2013年3月9日 追記。ホグウッド盤を聴取。第2楽章 Adagioは、弦のみで、細かい動きと強弱の対比が聴き所。古楽器のためか細かいところまで聴き取れる。しかし全体的に元々ランクが低いために、ホグウッド盤としての、コメントはなし。
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2015年3月4日  ゴバーマン盤を聴取。Alegrettoでは2つのvn.は、ほぼ同じ動きをすることもありゴバーマンの特徴が出ない。第2楽章は展開部と再現の繰り返しがない。しかし全体的に元々ランクが低いために、ゴバーマン盤としてのコメントの追加が特になし。
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2018年4月29日 ハンス・ロスバウト指揮のバーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団のNo.12を聴取。2曲目となるためか録音の音源にも少し慣れる。1961年6月の録音。
No.19でも気になっていたが、ダイナミックレンジが少ない中ではあるが緩叙楽章での音源の対比が特徴のひとつであるが思った。No.19と同様に第2楽章は弦楽器のみ。
 管楽器は休むために弦楽器のみの中、各パートの音の分離、Tuittiで強弱がポイントの一つになってくる。音の分離に関してはモノラルの音源のため、どうしても、この演奏では不足してしまう。しかし強弱に関してはモノラルの音源は余り関係がない。第2楽章にシチリアーノ風の主題は、最初に第1vn.のみでpで提示される。その後T2の後半で f で悲壮感を伴うように強調。この当たりの第1vn.のみではあるが強弱が比較的目立つ。Tuittiの箇所では、T24からの小終結部当たりがその例。T24では第1、2vn.のみが主旋律引く。その後、T25で全ての弦のパート f のユニゾンとなる。ユニゾンでの強弱の対比が古い録音ではあるが逆に、この演奏の特徴であると思った。この類似の箇所は、2楽章の最後でも、同様で悲壮感を漂わして、f で占めくくるのも印象的。2曲聴いたのみであるが、モノラル録音ならではの、ある意味ユニゾンを含めた強弱を生かした演奏が印象のひとつと思った。

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2018年6月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 12番を聴取。4曲のシリーズで最後になる。最近ロスバウトの曲を聴いたが、ガロワは録音が新しいことは有利。(下記のブログを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-893.html

冒頭の主題は例によって短い動機で構成される。T1から弦の各パートはスラーの表示のユニゾンとなる。しかしT9からスッタカートで切れ目のあるアクセントとなり展開していく。この音色の対比が明白。またその後に続く経過部も、スラーとスッタカートと明確に分けている。スラーとスッタカートでない部分は、ノリントンのようにノンレガートの様な音色。
 初期の交響曲では楽器の数は限られ、この楽章でも管楽器のsoloの箇所は殆どなく、弦楽器が中心になっている。しかし随所で1小節の中でも、細かい指示がある。自前の楽団があってこそ、この様な細かい演奏が可能であったと思う。
井上著の最初の部分でも少し触れられているが「岩城 宏之 楽譜の風景」で「フレーズの入り方などモーツアルトやベートーベンを比べて、はるかに複雑」とある。この第1楽章などはその典型ではないかと思った。ガロワの演奏は細かい部分が良く分かる。
  
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2019年3月7日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 7番を聴取。作曲順番から通して聞くとNo.40に続くことになる。No.40と比較してMenuetを各3楽章・楽器編成は同じだが、こちらは流れを重視した、小規模な室内楽的な雰囲気。 第1楽章でp ガロワ は、冒頭の柔らかいスラーを伴う第1主題とT9からのスタッカートを伴い対比について記載をした。メルツェンドルファーの場合は明確な対比は余りない。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

第2楽章は弦楽器のみだが、No.40と比較して、第1vn.が主体となって動き、他の弦のパートの対比が余りない。シチリアーノ風の主題だが強弱の対比があるものの、元々ランクを低くしていたこともあり印象は余りなし。録音は普通。

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2020年1月31日 12番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。初期の交響曲のmjwskf一つだが、冒頭から短い動機の中でスラーとスタッカートの微妙なニュアンスが随所にある。下記の自分のブログで P ガロワ でも(第1楽章の冒頭の譜面あり)微妙な表現に記載をした

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

アントニーニの場合は、古楽器のためもあるいかもしれないが、弦楽器のキレ味の良さがさらに明白になった感じ。最後の楽章のFinaleもスラーを伴う8部音符が中心の短い動機。No.60.No.70と違って最初からcmb.が通奏低音の様に控えめに入っている( R グッドマンの様に、中央寄りで大きめに入っていないのとは対照的)
提示部の途中 T44の部分で第2vn.から16分音符のトレモロになっていく。この切れ味もスラーとは対照的。3つしかなく比較的短い曲でありながら、曲の随所で旋律が微妙に変わっていく。うまく表現していると思った。

Alegretto E
2 Adagio e
3 Presto E


No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
28 16 1763 B 3 (1) 2 必要 C 随所にvc.の活躍
楽章の構成 調性 リ*1 Allegloの第1主題が最初はvc.から提示されその後、vn.へ移る。クレッシェンド的な盛り上がりや、半音階の主題などは注目に値する。Andanteは、vc.のsoloが弱音器付きvn.ユニゾンで.主旋律を提示。vn.の弱音器の効果は、ようやくはっきりと効果が目立つ最初の曲だと思った。個人的には、vc.のsoloをもっと聴かせて欲しい。
 ドラティ盤は全般的にテンポが速く、あっさりと聴こえる。vc.のsoloが殆ど、目立たない。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月17日とする)
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2010年12月23日 ディビス盤を聴取。聴取環境がヘッドホンのため、かなり細かいところまでは、楽器の配置等で分かり難いところはある。展開部の最初のところで、vn.のsoloがディビス盤でもあると推定。→その後スコアをみたがsoloの記述はなかった。しかし違和感は全くない。Allegloは低弦で提示されるのは、珍しい。全体的にややバロック風で作曲年代よりも前の雰囲気なのは、通しNo.27と同じ様な感じ。
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2011年3月21日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Allegloの第1主題は、クレッシェンド的な盛り上がりは前記した。スコアではこの表示はない。
 Andanteのvc.のsoloは第1vn.と常に同じ旋律で1オクターブ下を引く。第1vn.と第2vn.は常に同じ旋律になっている。ドラティ盤は、やはりAllegloのテンポが速すぎて盛り上がりの壮大さなどが聴こえてこない。
 ディビス盤は遅いテンポの分。細かいところまで聴き取れる。Andanteのvc.のsoloはドラティ盤と同様に目立ちにくいところもあるが臨場感はある。繰り返しを忠実に守っているので演奏時間が長い。(16:25)3者の中ではディビス盤を薦めたい。聴き所のポイントとしてvc.の活躍を記した。第2楽章のみがsoloであること。しかし常にvn.と同じ旋律を引いていることから、それほど大きく目立つほどではないと思う。ランクはCで良い。
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2013年3月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。井上著でも第1楽章は、ややバロック風であると記載されているがホグウッド盤でも同様。ただし小編成のためか、各パートが細かく浮き出ている。今まで3者の演奏に関して第3楽章についてのコメントは、特に記載をしていなかった。
 しかしながら通して聴いてみると、Prestoの速いテンポで一気に駆け抜けて終わるのは心地よい。井上著でも一番面白いのは第3楽章と記載してあったのは、うなずける。
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2015年3月4日  ゴバーマン盤を聴取。第1楽章から低弦が活躍するが、一番の聴き所はFinale。低弦独自の動きは、弦が厚いゴバーマンの演奏にもマッチ。

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2019年3月25日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 16番を聴取。1763年の作曲年代ともされている。しかしスタイルからして少し前の雰囲気。第1楽章の冒頭で、低弦低弦の主題を比較的目立たせている。第1,3楽章でのob.はそれほど目立たず。第2楽章のvc.のsoloもそれほど目立たない。録音は良い方。曲自体の特徴が少ないこともあり、全体をとしての印象が少ない。


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2019年10月23日 16番  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。Gerlach の校訂では、1763年 初頭でNo.6〜8シリーズよりは約2年後になる。しかしsoloの箇所も第2楽章のvc.以外はほとんどなく古風な雰囲気が多い。
井上著でも第3楽章のFinaleが一番面白いと記載がある。確かに8分の6拍子で生き生きとした主題が走りまわるとある。短い動機であるが、冒頭からTuittiでの開始。展開部の冒頭T33は、一方 f ではなく p で開始となる。ここでは音色の対比はもちろんあるが、第1vn.のみで動機が登場。第2 vn.とva.も寄り添うように表現。ここまでほとんどTuittiに近く、低弦を含む各パートの厚みのある響きだった。T300で一転して、低弦が急遽抜け、柔らかく雰囲気が対照的でうまく表現していると思った。
Alleglo B
2 Andante Es
3 Presto B



No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
29 34 1763 d 4 (1) 2 可能 A 第1楽章から第2楽章にかけての調性と強弱の対比。
楽章の構成 調性 リ*1 第1楽章はdであるが、第2-4楽章は、Dであるので、実質Dの交響曲と捉えてみたい。dの調性のAdagioで終わるが、終結部に近くなる、テンポが多少遅くなり、しんみりと終わる。その後第2楽章が突如、明るくD調で強奏で開始される。この対比がすばらしい。この交響曲の白眉である。ちょうど、北陸新幹線で雪の多い新潟県から、太平洋側の群馬県へ抜けた青空の雰囲気。
 Allegloは小ソナタであるが、展開部が短いながらも管と弦との掛け合いがある。再現部の後半では、vn.のアコーギクがあり小編成ならでは即興的で細かい音色が聴き取れる。
 Menuetのtrioでは、管のsoloと弦のピチカートの伴奏があり後の様式の芽生え。Prestoはソナタ形式でないが、無窮動に近い主題ながら根底には、何かユーモアも感じさせる。中間部では弦のsoloもあったり、短いながらもcodaがあって盛り上がりがある。
 ドラティ盤はAdagioのテンポが、かなりゆっくり。Allegloの出だしが、ややゆっくりで強奏でない。フィッシャー盤と比較して対比が余りない。フィッシャー盤の方を断然、勧めたい。
 同じ調性dで順番通りに聴きそびれ当初はNo.26(通しNo. 42)を聴いていた。No.26は「ラメンタチオーネ」の俗称があり名曲解説全集にも掲載がされている。No.26よりも前の作曲になるが、断然こちらの方が聴き応えがある。俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
 全体を通して聴いてみて、第1楽章はd-molであるが単に、第1と第2楽章と通常の楽章の順番と組み替えただけでも、これほど違うのかとビックリする。主調はD-durの交響曲として聴いていても遜色はなし。
 今後の作曲では、第1楽章に緩徐楽章を持ってその後、速いテンポでの楽章が入るパターンはまだある。しかし最初に短調を持ってくる方法は、もやは殆ど見られない。副楽長へ就任し様々な交響曲のパターンを試行錯誤している作曲者の姿が想像される1曲。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月18日とする)
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2010年12月24日 ディビス盤を聴取。Adagioのテンポは、ドラティ盤と同じ様な感じ。 楽器編成は変わらないが第1楽章は弦楽器のみで演奏。それに対して第2楽章の明るいD調の調性と、弱音から一気に大きな音に変わった対比の見事さはフィッシャー、ドラティ盤と同じ。
 第2楽章ではob.が2本であることが良く分かる。同じ旋律が多いが音程が異なる。フィッシャー盤でもこの違いは分かるが、ディビス盤ではこの違いがさらにはっきりする。ライブ録音による影響かもしれない。
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2011年3月21日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでの楽器の使い方では、殆ど管楽器は登場しない。強弱の指定箇所がかなり多く、1小節内にも細かい指定箇所もある。フィッシャー盤はvnの奏法が独特であると思った。この曲にも限らないが、最初の第1主題は「p」の指定であるが、第1vn.は「pp」の様に途切れるように引いている。
 第2楽章はそれに対して、はつらつとして明るい音色。1小節内の細かい強弱の指定は第1楽章でも記載をした。第2楽章でも同じ様な箇所がある。T32−22と、T87、88はフィッシャー盤では独特な音色。前記ではアコオーギクと記述をしたが、やはり音色に工夫をした奏法になっていると推定。ob.のsoliの箇所が多く弦との掛け合いも多い。
 Menuetのtrioでフィッシャー盤はピチカートと記載をした。しかしスコアではピチカートの指定はない。(スタカートの指定のみで通常の弓で弾く)しかし管のsoloを引き立てており理に適っていると思う。ob.の旋律が目立ち気味であるが、hr.が1/4拍子遅れて入ってくるのが興味深い。
  Finaleは、聴き初めてのロンド形式が登場。単一主題で、繰り返しをしながら、Dとd調の対比がある。強弱の対比が大きな聴き所の一つである。特にFinaleは、弱奏の部分でsoloを巧みに採用していて、この対比がすばらしい。断然フィッシャー盤を薦めたい。
 それに対してドラティ盤は、Adagioの繰り返しを忠実に守っているため、演奏時間が10:59にもなっている。
 ディビス盤はAdagioの繰り返しあり。Finaleは全て繰り返しの指定が全てある。しかし3者の演奏は、最後の部分の繰り返しは採用していないが、これも理に適っていると思う。この頃の隠れた名曲としての作品でランクは、やはりAとしたい。
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2015年3月8日 追記。ゴバーマンを聴取。Adagioはテンポをやや、遅めに落として弦楽器のしかも第1vn.を中心に動く。しかしときではあるが、第2vn.が独自の動きを絡める。冒頭の主題から第2vn.は、対旋律の様にk刻む部分も印象的。管楽器はあくまで伴奏に徹している分、弦楽器に厚みのあるゴバーマンの特徴を活かした楽章。
 第2楽章のめまぐるしく動く旋律の中で、T32の第1,2vn.のアコオーギクは、フィッシャー盤ほど目立たず。Finaleは管楽器のユニゾンを重視していない曲だと思う。その分、弦楽器のTuittiがメインとなり、弦楽器で配置に特徴のある特徴を活かした名演。
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2017年2月14日 T.ファイ No.34を聴取。No.40から引き続いて聴取する最初の短調の曲。第1楽章はAdagioの遅いテンポ。No。40から引き続いて2曲目にあなるが緩除楽章の中では、あまりテンポを微妙に変えていないようだ。
 一方、第2楽章の冒頭の第1主題。ここでも上行して行く旋律が登場。No.40の第1楽章と同様に1小節の4分音符の動機の中でもクレッシェンドを加えている。この動機の扱い方はこの楽章では共通して採用。
第3楽章ManuetのTrioの部分。ob.から半小節遅れてhr.が登場する。この微妙に遅れは、弦楽器の音量が大きいと聴き取り取り難い。フィッシャー盤と同様にファイ盤も、弦楽器の音量を落としているので、管楽器の音色の違いがよく分かる。Trioの繰り返しで弦楽器のパートの一部はピチカートで引いている。この解釈はフィッシャー盤でも採用していたが、理にかなっている。

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2018年6月11日 34番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。ホグウッド盤は、大半は聴取しているが、2〜3曲 未聴取が残っていた。その中の1曲のひとつ。
ホグウッドの奏者数は、下記の「毎日クラッシック」 ハイドン106の交響曲をつぶやく でNo.20の部分で記載がある。それによると弦に関しては、以下の通り。
4:4:1:1:1

古楽器はもちろんであるが、弦に関しては、va.以下は全て1名。このため弦はvn.を中心として、他のパートはsoloとなりクリアに聴こえる。ただし初期の頃はこの人数で良いかもしれないが。No.75までにこのCDは入っているので、中期から後期に関しては、奏者数が多くなっていると思う。


http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/12/10620-3902.html

ところで、No.34は、まだ初期の頃なので恐らくvn.は4名体制だったと推定。この曲の聴き所のひとつは、Adagioで短調のゆっくりしたテンポとその後に続く、速いテンポで長調との対比。No.25にも共通している部分はある。しかしNo.25は長い序奏。一方、No.34は、あくまで第1楽章は教会ソナタ風の形式で短調の独立した楽章になっている。
 第1楽章 Adagioは、2つのvn.パートが中心となり、va.以下は殆ど伴奏になっている。裏を返せば、vn.を中心とした聴き所になる。第1楽章以外を、ここでは記載したい。Finale  Puresto assai は、単一主題による、ロンド形式で繰り返しが全てある。
 T29から中間部で短調となある。冒頭からfで快活に飛ばしてきた雰囲気から、一旦、がらりと暗い雰囲気が一瞬変わる。この変わる対比が効果的。第1vn.が高音域を担当し、他のパートは伴奏に徹しているので、vn.が引き立つ。弦の各パートが小編成のため分離感が良く、この時期の頃の演奏スタイルを踏襲している典型だと思う。
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2019年3月8日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 34番を聴取。聴き始めて、主調が短調で始まる最初の曲。第2楽章以後は、全てD-Durなので、第1楽章は、d-molの長い序奏と行く解釈で自分なりにして来た。指揮者によっては、第1楽章の繰り返しを忠実に守るが、メルツェンドルファーでは繰り返しはない(それでも7:11のタイムになっているので、テンポは遅い方だと思う)
 時折テープヒス音が目立つ。第2,3楽章も同様。Fianleは、作曲順番に聴き始めて、ロンド形式が始めてとなる。ダイナミックレンジレンジが狭く時折、歪がある。ヒス音もかなりあり、録音の点でかなり悪い。このため全体的な印象が余りなし。

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2019年8月4日 34番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団を聴取。d-molの緩叙楽章から始まるが、実質、D-durの交響曲の位置づけと考える。第1楽章から第1楽章の、テンポと音色の対比が一番の聴き所。第2楽章 T24から16分音符のトレモロになる箇所がある。 元々この第2楽章の冒頭から、16分音符の刻む様な旋律は最初からあったが、この箇所から、高音域で第1,2vn.で、エネリュギッシュに展開、盛り上がっていく。ここまでは冒頭からの緩叙楽章をの雰囲気が中心だったので対照的。T32から1オクターブ下降する装飾音を含む旋律。フィッシャー盤では、この箇所をポルタティメント風に引いていた。ブリュール盤は、他の指揮者と同様に通常通り。
Adagio
2 Alleglo D
3 Menuet Moderate D
4 Presto assai D



No
Hob.
No.
通称名 作曲年 調性 楽章数 楽器編成 ランク 聴きどころ、ポイント
fl fg hr trp timp cemb
30 72 1763 D 4 1 1 4 可能 A 4本のhr.は様々な活躍。
楽章の構成 調性 リ*1 4本のhr.による初めての曲。当初は72番に分類されていた様に、かなり後に分類されていた模様。約2年先の31番(ホルン信号)と比べると、楽器の編成、扱い方、音色、楽章構成などと比較すると、こちらの方がもう少し新しい作品に聴こえる。実際、当初の70番台の交響曲と比較しても全く遜色はない。70番台の遜色がないため、当初からNo.72とされて来たのか? もう中後期のシリーズと大差がない。
 No.31と同様に4本のhr.を生かしているが、solo(バスも含む)が随所に聴かれ、楽器や音色が終始楽しめる。フィッシャー盤は、hr.の配置が幅は広がっていて、各パートの掛け合いがおもしろい。特にMenuetのtrioでは、エコーの様な効果がある。楽器編成のもうひとつの特徴として、D調で初めてtimpを入れている。timpも随所で、独自の動きが目立つ。hr.は木管のsoloとしても活躍するが、強奏ではtrp.の代わりとしても活躍。hr,の活躍は様々である。
 圧巻はFinaleの6曲の変奏曲。聴き始めてのFinaleの変奏曲が登場。各楽器のsoloが楽しめる。(bass.のsoloもあり)変奏は、やや形式的ではあるがその分、楽器の音色で十分にカバーしている。個人的には、通しNo. 29(hob No.34)よりも評価を高くしたい。
 ドラティ盤は、cmb.が入る。楽器編成はフィッシャー盤よりも大きいが、hr.の配置が狭く聴こえる。Finaleも各パートを聴かせるためか全般的にゆったりとしたテンポ。様々なhr.の活躍堪能するならフィッシャー盤を取りたい。No.34と同様に俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月19日とする)
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2010年12月25日 ディビス盤を聴取。D調でもtimp.が入っている例はあるが、4本のhr.がメインのためか控えめ。ディビス盤では、hrの位置はドラティ盤と同じ左側。2本と4本の違いは、フィッシャー盤ほどの差がない。 
 第2楽章はfl.の独断場に近いが、展開部を中心に、vn.のsoloがある。(このあたりは、しっかり聴かないと見落としやすい。) hr.が休み、その分fl.以外は管楽器は休みのため、あたかもfl.協奏曲にも匹敵。
 Finaleは変奏曲のためAndanteのテンポで終始。ライブ録音のためか、cb.のsoloでは、かなりvn.の音量とテンポを落として引き立たせている。ライブ録音では、やや苦しい所かもしれない。
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2011年3月22日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 スコアを見て楽器編成で一番の興味を持った。第1楽章では、全くfl.は登場しない。このため、ob.の持ち替えで可能かと通常は思う。第2楽章はfl.の独断場であり、弦とfl.以外はない。このため、ついついob.が持ち替えで演奏しているかと思ってしまう。第3楽章も第1楽章と同様にfl.の登場はなし。しかし、Finaleで全ての楽器が登場し持ち替えは不可能。
 もう少しスコアをチェックしてみたら、第1楽章の最初の箇所で、fl.のパートが「休み」の記載があった。持ち替えの指定ではなく、fl.は第1楽章は休みの記述である。楽器の使い方でもFinaleでは、後半には全ての楽器 (ob.とfl.が一緒に演奏)の登場もある。
 元々、この交響曲は、初めて4人のhr.奏者を必要としていた。これ一つをとっても、大がかりな編成であったのであろう。それに加えて、fl.も単独で必要とした点は見逃せない。(聴き通してみて、持ち替えでないのが、初めてのケースであったと思う)
 No.6-8(朝、昼、晩)のシリーズは、協奏交響曲のスタイルであった。この交響曲も同様であろう。作曲順番に聴き通してみて協奏交響曲のスタイルにFinaleで変奏曲の形式を採用したのは、初めての手法である。 No.6-8では、各奏者の見せ所はそれなりに取り入れている。しかしそれ以上に、奏者の腕の見せ所をアピールするには、この変奏曲がぴったりであったろう。これを初めて取り入れた曲と解釈したい。
 フィッシャー盤はAllegloのテンポを忠実に守っているが、hr.奏者が速いテンポの中でも卒なくこなしている。奏者の技量には感服する。
 ドラティ盤は元々フィッシャー盤と比較してテンポが遅い。全体的にゆったりとしたテンポは前記した。4人のhr奏者の力量には影響しないと思うが、このテンポの差は著しい。Finaleも同様。
 ディビス盤はドラティ盤とフィッシャー盤の中間のテンポ。Finaleのcb.のsolo.は前記した様に、かなりこの部分だけテンポを落としているが、(スコアにはテンポの変化の指定はなし)じっくりと聴かせてくれる。その後に第5変奏では、2人のob.の登場となる。ライブ録音も手伝ってか、ob.の独壇場が満喫できる。
 もし作曲順番でなく通常の通しNo.の順番で聴いてみたら、約15年前の作曲と言うこともあり、古いスタイルで異様に感じてしまうと思う。No.70番台の曲では4人のhr.奏者は必要とする曲はない。しかし作曲順番で聴いてみると、様々な発見がありこの後にも大きな影響を持っている。(fl.の単独使用、Finaleの変奏曲など) 70番台の曲ではなく、1760年代前半に作曲されたと解釈して欲しい。この点からもAランクは変わらず。
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2018年6月12日 72番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。4人の奏者のhr.は左右に2名ずつ離れて配置しステレオ的な広がりが十分。No.34で弦の奏者の数について記載をした。恐らくこの曲でもva.以下の奏者は一人ずつではないかと思った。
 Finaleでhr.を含むva.以外のsoloの箇所がある。第2変奏でvc.が主旋律を変奏するが、この部分ではbassは音量を落として伴奏に回る。伴奏でのbassはsoloの様に聴こえる。一方、続く第3変奏は、bassがsoloになる。この部分では、vc.がbassよりも低い音域で伴奏に徹する。ここでは伴奏のvc.がsoloの様に聴こえるようだ。 この曲はNo.6〜8シリーズの様に、協奏曲風で随所にsoloがある。特にFinaleは、va.以外のsoloのsoloの箇所がある。最後は速いPrestoのテンポで終わるものの、最初のAndanteのテーマからは、この演奏ではゆっくり目のテンポは理にかなっていると思った。
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2018年6月14日 72番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。この指揮者は初めて聴取。モダン楽器で第2vn.は右側に位置。この曲以外にNo.10と71が収録されている。作曲順番によりNo.72から聴取。緩叙楽章も含めてcmb.が入るが、低弦と同じ旋律も一部はあるが、Menuetなどは装飾で独自の動きがあるようだ。
 4人のhr.の奏者は2名ずつ左右に位置。先日、聴取したホッグウッドも左右に分かれていたが、こちらの方がさらに4名の細かい配置まで分かる。録音のダイナミックレンジが広い。第1楽章の最後で、4人のhr.奏者の中で、第2hr.の低音域まで明白に聴き取れる。第1楽章の繰り返しで、展開部と再現部の繰り返しはホッグウッドと異なり採用せず。緩叙楽章での提示部は繰り返しの後半で旋律の一部に装飾あり。 Finaleのテンポはホッグウッドと同様に、ややゆっくり目。Bassを含む各パートの分離感などが鮮明。録音の良さもあって、お勧めとしたい。

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2019年3月9日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 72番を聴取。4人のhr.初めて入る曲。第2楽章以降は、fl.の独奏が入るが第1楽章は休み。(第3楽章以降はob.と一緒に演奏する箇所があり、fl.はob.との持ち替えはできない)
4人のhr.の入りは全て右側。殆ど離れていない。Timp.は最初から入っているが余り目立たず。第1楽章の最後の部分(T134)で4人のhrが分かれて演奏するが、手持ちのスコアとは異なる。timp.の旋律に近い雰囲気。No.31に類似するが、Fianleの最後は盛り上がってし終わる。No.31は第1楽章の冒頭でhr.の主題が回帰するように締めくくった。元々スコアにはfinaleの最後ではこの冒頭の主題は回帰しない。しかし第1楽章の終わりと同じように回帰をさせるためにあえて、この部分を変えた可能性もある。(調性は同じ)
 第2楽章は、soloのbass.とfl.の独壇場。fl.の奏者が、CDのケースに懐かしい 氏名が掲載されている。「Wolfgang Schulz」 No.6〜8もfl.がsoloが楽器として登場するが、flの奏者の記載はない。この楽章のテンポはかなり遅い方になる。録音のNo.6〜8にも共通するが、solo楽器のfl.は、極端に強調され(息継ぎ音が、かなり聴こえる)、vn.のsoloよりも近い位置に聞こえる。音源が不自然な感じ。
 Fianleは聴き始めて変奏曲の形式が始めて登場。テンポは他の指揮者と同様に遅め。各変奏曲で登場する楽器は、簡単にまとめてみた。

第1変奏:fl.
第2変奏:vc.
第3変奏:vn.
第4変奏:bass.
第5変奏:ob.+2hr.
第6変奏:Tuitti
以下 coda


第1変奏のfl.は、第2楽章と同様に極端の音源が近い。第2変奏のvc.は、bass.の位置とは異なり、かなり右側に位置。一方、第4変奏のbass.は中央やや右側に位置。SoloとTuittiでの対比が悪い。この曲はNo.6〜8と同様に、各楽器のsoloとTuittiとの対比。協奏交響曲風に、溶け合いがポイントの一つになる。良い録音が必要とされると思う。しかしメルツェンドルファーの場合は録音が、かなり悪いので印象が低くなる。
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2019年10月5日 72番 B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。を聴取。このCDはNo.93.95と一緒にカップリングされ第1曲目になっている。作曲年代は1763年とされ、No.31などと同じ頃に4本のhr.を使用。同じCDの中で3曲がセットになっていると、作曲年代が大きく異なる。他の2曲とも作曲のスタイルなども大きく異なることが予測される。全集の中でこのカップリングだと、いささか違和感あり。No.31と同様のスタイルなので、この作曲時期と一緒に聴取すると逆に違和感がない。
 No.31の時は、4人のhr.奏者は左側に分かれていないものの、自然な雰囲気の録音でよい印象な点を記載した。(下記のブログ)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1236.html

この演奏も同様で、4名のhr.は左側。No.31と同様にhr.はある程度、固まって配置はされているようだが。第1楽章のAllegroはかなりテンポが速め。第1〜4人までの奏者は、中央から左側に割合に分かれてうまく聞こえる。特に第3楽章のMenuetの部分。第2楽章ではhr.は全く登場しないが、第3楽章の冒頭から他の交響曲と同様に、Tuittiでhr.が加わる。T3で第3-4hr.がsoliとなる。その後、同じ旋律が第1-2hr.にT4で引き継がれる。この部分でもT4の第1-2奏者は、位置が異なっていること。しかもT4でさらに音量を落として、エコー効果をかけている。この手法は他の指揮者でもしばしば見られる手法。ドラホシュの場合も同様。
 Finaleの変奏曲は第1楽章の速めのテンポに対して、ややゆっくり目。第4変奏のbass.のsoloも、No.31のFinaleと同様に右側の端で、自然な音量と雰囲気。各変奏の間で、必要に応じて適宜な間合いが入る。このタイミングもうまいと思った。R グッドマンの演奏も、良い演奏のひとつだと思うが。ドラホシュも場合もこれに匹敵すると思った。

Alleglo D
2 Andante G
3 Menuet Moderate D
4 Finale:Andante c VariazionーPresto D