ページカウンタsince2011年8月15日
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
21 |
36 |
|
1762 |
Es |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
C |
第1楽章の展開部の素材が豊富 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第1楽章の提示部は比較的短いがその分、展開部が,かなり長い。また提示部の様々な動機を用いて展開されていて転調も多い。→「2012年1月15日 追記」 石田著「交響曲の生涯」によると、第8章 多彩な表現力を求めて 1700年代後半ー1800年代に、この交響曲の記述がある。全曲の主調は長調ながら、短調の効果的使用とし、この展開部についての記述がある。この手法は、ハイドンだけではないが長調の曲中の中で、短調を効果的に使用している。第1楽章の提示部では、具体的に調性が記載されている。それによると以下の通り。
第1主題 Es→経過部→経過的部分 Bーdur(T29以下)→b-mol(T37以下)→第2主題 B−dur(T46以下)
この様に、提示部の中でも転調がある。中期から後期にかけては、長調、短調を問わず、あらゆる箇所で転調が見受けられるが、早くもこの段階からある例は注目に値する。
Vivaceは統一感があり、聴き応えがある。Adagioの第2楽章は2部形式、あるいは展開部を欠いたソナタ形式か? →スコアで再度確認をすると、リトルネロ形式が妥当であろう。vn.とvc.のsoloが美しい。Allegloの提示部でvn.が急に弱音でほんの一瞬、ピチカートを引くので音の対比がある。va.とvc.は常に同じ旋律が多く、fl.を欠き調性がEsということもあり、比較的落ち着いた雰囲気が漂う。No.6-8の頃よりも少し前の作曲にも聴こえる。
ドラティ盤は例によって、Adagioのsoloは控えめ。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月11日とする)
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2010年3月11日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 Vivaceの展開部はかなり長いと思ったところ、提示部60小節に対して、展開部は同じ60小節であった。展開部では第1主題は元より、経過部、第2主題などの素材も扱われている。展開部が提示部と同じ長さは、めったにない。
Andanteは3部形式かもと当初思った。スコアを見ると繰り返しの指定箇所がない。vn.とvc.の2つのsoloが掛け合う。また、solo以外の楽器は、主旋律を受け持つ箇所は余りない。リトルネロ形式が妥当であろう。
Menuetは、主調から微妙に調が揺れ動いている様だ。(楽典を詳しく習得していないので、調性については自信がないが)
フィッシャー盤の最初に書いた事項で、Finale Allegloの提示部でvn.が一瞬、ピチカートを引いていると記載をした。ドラティ盤やディビス盤ではこの箇所は普通に引いている。フィッシャー盤のみがピチカートの演奏(T14-15)スコアでは、通常に引く指定であったので、指揮者の解釈によると思った。音色の対比が効果的なのは変わりない。
またフィッシャー盤では強弱が割合に大きい。スコアではそれほど、細かい指定はない。しかし「f」箇所の少し手前で、「p」 に近い採用をしていて旨く表現をしていると思った。低弦もva.がFinaleでは独自の動きがある。何度か聴き直してみると、意外な発見がある曲。ランクはCで良い。
井上著の記述では、作曲年代が1761年あるいは1769年までの幅があり確定がしにくいと記載あり。ゲルラッハによる1996年のデータによると、1761年後半から1762年の初頭となっている。3通して聴いてみると、1762年頃でHob-No-6〜8シリーズの直後当たりだと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月18日 ディビス盤を聴取。第1楽章は、展開部と再現部の繰り返しがある。Hob−No.-6〜8シリーズの頃と大差はない時期で作曲されたことは分かる。
第2楽章でvn.とvc. のsoloがある以外は、soloの扱いはない。しかし第2楽章は、かなりvn.とvc.の細かい、やり取りがあって、一番の聴き所。管楽器が休んで弦楽器のみでの編成である。演奏時間が短いにも関わらず特徴あり。ランクはCのまま。
2013年2月23日 追記。ホグウッド盤を聴取。ランクはCとしているが、一番、興味深い楽章は、Finale。強弱や音色の対比が面白い。フィッシャー盤では、弱音の部分で弦がピチカートの箇所があると記載をした。ホグウッド盤ではピチカートで通している。音色の対比を楽しめる。
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|
1 |
Vivace |
Es |
無 |
|
2 |
Adagio |
B |
無 |
|
3 |
Menuetto |
Es |
無 |
|
4 |
Alleglo |
Es |
有 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
22 |
33 |
|
1762 |
C |
4 |
|
(1) |
2 |
2 |
2 |
必要 |
D |
No.38との対比。5年の開き。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第1.3,4楽章はtrp.とtimp.が入っているのに対して、第2楽章Andanteは弦のみで演奏は対照的。この主題の持続音が長く、同じ調性のNo.38の第2楽章の主題にも類似。(作曲年代は1767とあり、約5年の開きがある。それに対してNo.38はすばらしい) しかし、ここでは全楽章でob.のsoloはなし。祝典的な調で楽器編成はtimp.とtrp.とが加わるものの、主題の特徴、展開の仕方などは注目する点は少ないと思った。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月13日とする)
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2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Vivaceは丁度50小節あるが、第1主題こそ明白であるものの、その後の経過部、第2主題などが余り特徴がない。それに対して展開部は53小節と長いが一部の動機をつなぎ合わせたような感じで、こちらも特徴が少ない。
Andanteは、この頃の特徴でもある弦のみの編成で、soloはない。最初の感想の中でNo.38の第2楽章と主題が類似していると記載をしたが、雰囲気はあっていると思う。
スコアで見て一番面白いのはFinale。楽章を通して、1小節単位で「pp」 〜「f」までの強弱の指定が細かくある。スタッカートが続いたと思うと、スラーの記号がその後も続いたりの記述がある。提示部の終わりは、「pp」で終わる。それに対してFinaleの最後では、「f」 で終わるなど作曲者の遊び心が見え隠れしている。
聴き所のポイントでNo.38と比較をした。こちらは、調、編成、楽章数は同じ。各楽章のしっかりした構成、楽章間の対比、楽器の扱い方などが優れている。これと比較すると、やはり約5年の開きがあると思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月20日 ディビス盤を聴取.
第1楽章のVivaceは、展開部では擬似再現を含めて、かなり長い。第2楽章は管楽器は休み。短調の調性とも相まって他の3楽章と対比あり。
2013年2月24日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴き通してみると、やはり面白いのはFinale。強弱のの対比、弦の奏法の細かい違いなどがホグウッド盤ではより楽しめる。井上著ではFinale提示部の終わりで、hr.の弱音で「ちらり」聴かせる面白さが記載してあった。それまでは、hr.は殆ど活躍をしていないがここでは僅かな箇所とは言え、光る。通してのひとつ前No.36と同様に、このFinaleは、この後に続く楽しさ意外な面白さの前兆を感じさせる。
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2019年3月2日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 33番を聴取。調性こそ違うがNo.36と似た様な雰囲気の曲。打楽器群が入るが元々、この曲のランクを比較的低く評価していたこともあり、第1楽章は祝典的な雰囲気とはいえ特徴が少ないと思う曲。 強弱と音色の対比が面白いFinale。展開部のはじめT51で調整を変えて登場する主題が登場。 弦のパートのみで P を挟んでT55からvn.が16分音符でトレモロで緊張感を高めていく部分。2つのvn.はもちろん目立つが低弦も比較的強調される。従来、obが目立ちすぎていた箇所が多いが、この曲に関しては、ob.はあくまで旋律の補強的な雰囲気。しかし全般的に録音のダイナミックレンジが狭く歪が目立つ。
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|
1 |
Vivace |
C |
無 |
|
2 |
Andante |
c |
無 |
|
3 |
Menuet&trio |
C |
無 |
|
4 |
Finale、Alleglo |
C |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
23 |
9 |
|
1762 |
C |
3 |
2 |
(1) |
2 |
|
|
可 |
C |
持ち替えfl.のユニゾン。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
C調は従来trp.とtimp.が入り祝典的な雰囲気が多いが、今回は殆ど聴かれないのは珍しい。第1と第3楽章は、ob.2本だが中間の第2楽章Andanteは持ち替えのfl.2本。
モーツァルトの初期の交響曲の雰囲気に似ている。緩徐楽章では、弦と2本のfl.のユニゾンの音色が美しく、両端楽章の調性とテンポの対比があり際立つ。
→「2012年1月20日 追記」 その1 石田著「交響曲の生涯」の第5章 ドイツ ・オーストリアの役割1740〜50年代の記述の中に、fl.に関しての記述がある。この章では、シンフォーニアで使われた楽器 ハーモニーと音階で、ob.などと違って、fl.が定位置を占めることは後の事である。
当時はob.奏者がfl.と兼ねるのが一般的であった。この典型がno9のこの交響曲であると記載されている。第1,3楽章では、ob.2本とhr.2本が加わるが、第2楽章は休む。第2楽章では、fl.本 2本は、楽章全部に渡って第1、2vn.とユニゾンで演奏する。音量が比較的弱くてすむ第2楽章だから、持ち替えが可能だった点が言及されている。
第3楽章はAllegrettoの表示だが実質Menuet。フィッシャー盤のジャケットには、Menuetの記載がない。ドラティ盤には記載がある。Menuetで終わることや、codaがないこともあり、今ひとつ物足りなさがある。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月20日 ディビス盤を聴取.
第1楽章Vivaceではsoloではないが意外にhr.が活躍。フィッシャー盤と違って、弦のsoloはなし。第3楽章は、Finale:Menuetto Allegretto と記載あり。通し番号順番に聴くと、C調が続いてしまう。第2楽章のAndanteは展開部と再現部の繰り返しがあり。
3楽章のゆったりとしたテンポで終わることもあり物足りなさはある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。第1楽章は、ob.2本。それに対してfl.が2本でob.が休みであるから、明らかにob.奏者がfl.に持ち替えていることが分かる。fl.は常に、第1vn.の1オクターブ上の旋律を殆ど常に吹いている。(中間部の一部で同じ音程の箇所がある)vn.は常にfl.のオブリガートに徹している。fl.2人は、常に同じ旋律かとも思えるが、微妙に音程が違う箇所もある。あくまでfl.の演奏を引き立たせることが、この楽章の特徴であろう。
ディビス盤の弦は時折soloの箇所があるようだが、Alleglo moltoの34、T36当たりでsoloの箇所が割合に、はっきりしている。Menuetのtrioの部分で管楽器のfg.がsoloで活躍するのは、この後にも良く用いられる手法である。早くもその用法があるのは注目に値する。
なお井上著では、第3楽章のTrioではbass.がfg.のパートのみになっているとのこと。現在の私の聴取環境ではまだ、その区別は分かり難い。→その後、フィッシャー、ドラティ、ディビス盤いずれも、fg.のsoloがあることが判明する。
2013年2月25日 追記。ホグウッド盤を聴取。
聴き所のポイントで第2楽章のfl,の持ち替えユニゾンの点は変わらず。古楽器のためfl.の音量が小さめのため、逆に各パート、この場合は弦楽器の音色が聴き所となる。今までの3者演奏では、弦の伴奏は聞きのがしていた。しかしホグウッドの演奏では、この伴奏での方が反って聴き所となる。
特にva.のパートは細かく聴いてみると、独自の動きがある。このあたりは注意深く、聴いてみないと聞きのがすところ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
|
1 |
Alleglo molto |
C |
有 |
|
2 |
Andante |
G |
無 |
|
3 |
Alegretto |
C |
有 |
|
|
|
|
|
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
24 |
107 |
B |
1762 |
B |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
D |
習作風の4楽章。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
Menuettoがある4楽章だが全般的に演奏時間が短い。通しNo.では24番目に位置し、1762年頃の年代になっている。習作というか簡単に書いた様な感じが強く、聴き通してみると、もっとも初期の頃の作品に近い雰囲気。Menuettoのtrioでは、fg.のsoloあり。フィッシャー盤では、このtrioでvn.soloとなっている。Andanteは2部形式の小カノン風。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月21日 ディビス盤を聴取。Alleglo molto のテンポは、ややゆったり目。Adannteのテンポは、かなりゆったり。管楽器が休み弦のみで演奏。音量もかなりフィッシャー、ドラティ盤以上に落としている。その分g−mol の調性とも相まって独特な雰囲気。他の楽章は主調のBであるのと対照的。第3楽章だけをとったら、Cランクとしたいが全体を通すと、Dランクのまま。
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2010年3月14日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。演奏時間が短いのは、前にも記載をした。スコアをもう一度チェックをしてみたら下記の通り。小節数だけで曲の評価を論じる訳には短絡すぎるが参考までに記す。
第1楽章:48小節
第2楽章:56小節
第3楽章:35小節
第4楽章:96小節
これまでの作品と比較しても、演奏時間が短いのは拭えない。fg.とob.のsoloの箇所は適宜あるが習作風に書いた印象に終始。
フィッシャー盤ではMenuetのtrioの部分は、必ずと言ってよい程.soloの箇所がある。スコアの指定は管楽器のみであるが、フィッシャー盤では弦のsoloを伴う。この点は前から納得をしている。この曲に関しては、第1、第2vn.がスコアでは同じ旋律になっていた。
注意深く聞いてみると、第1vn.のみがsoloで演奏していると思った。(演奏者の配置より)同じ旋律のケースの場合、vn.の演奏者は一人と決めているのかもしれない。(それに対して、va.とvc.はsolo。(これまでは、第1、2vn,までの区別はできなかった)
一方、ディビス盤では、弦のsoloはないが、cmb.が第1vnの対旋律で添えている。ランクはDで良い。
2013年3月2日 追記。ホグウッド盤を聴取。Menuettoのtrioでは、fg.のsoloがある。ここでは繰り返しは、装飾音の奏法となっている。一方、少ない弦の編成のためか、伴奏の低弦の音が沿うような感じ。
第3楽章は独特な」雰囲気で、カノン風に進んで行く。最初は第2vn.で提示されているのは、No.11と同じ。ここと同様に各弦の動きも味がある方だと思うが。しかし如何せん35小節と短すぎる。元々ランクを低く自分なりにしていることもあり、記述する点は少ない。
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|
|
1 |
Alleglo molto |
B |
無 |
|
2 |
Menuettoーalegretto |
B |
無 |
|
3 |
Andante |
g |
有 |
|
4 |
Presto |
B |
有 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
25 |
14 |
|
1762 |
A |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
C |
Andanteでのvn.vc.の終始ユニゾン。Finaleの対位法的な手法 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
Alleglo moltoの第1楽章はA調の明るさを生かした親しみやすい主題。(モーツァルト交響曲No.33の第3楽章に似ている) Andanteでは、soloとして活躍はないがvc. がvn.の旋律を常にユニゾンで引くのは、初めての試み。各弦のパートが細かく聴き取れる。管楽器が全て休むので、弦楽器が如何に聴かせてくるかがポイント。注意深く聴いてみると、va.と低弦とは常に同じ旋律で引いている。
Allegloでは第4楽章の主題のフーガ風にパートを変えながら進行する。fl.が一部でも入っていたらさらに聴き応えがあったと思う。
ドラティ盤ではAndanteでのcmb.の装飾音が目立つ。Menuettoのテンポが遅く、Andanteに近い。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月22日 ディビス盤を聴取。聴き通して久々のシャープ系の長調が登場。第2楽章のAndanteは、vc.とvn.のユニゾンが聴き所であるが、管楽器が休みの中それほど目立たず。cmb.はドラティ盤ほど装飾音もなし。
一番の聴き所はFinaleで低弦との対比法的な動きは目を見張る。聴き所のポイントでは第2楽章のAndanteとしたが、FinaleのAllgloの対位法的な手法が一番であると訂正したい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月16日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 Allegloは提示部が42小節に対して展開部は22小節しかない。すぐに再現部が始まり、いきなり転調するのにはビックリする。
Andanteはフィッシャー盤では、vc.がsoloでオブリガートに徹して引いている。1オクターブ低い旋律で旋律もほぼ同じ。記譜されている音域の記号も、低弦記号でなく高い音域が多い点によると思う。
trioではob.のsoloがある。第1楽章でob.のsoloの箇所は多少あった。Hob-No-38の様にFinaleはあたかもob.協奏曲のような期待もされるが、この曲では活躍はなし。
Finaleは繰り返しを採用しても演奏時間は約3分で66小節。フーガの様に各弦が動き回る。何度か聴いてみると対旋律がしっかりと寄り添い対位法が十分。一つ前のHob-No-Bと比べるとFinaleの聴き応えは、こちらが断然上になる。全体的に、さらりと流れる様な感じが多いがFinaleはかなり念入りに書かれていると思う。
ディビス盤のAndanteは、vc.はsoloであるがbass.とcmb.の音が大きい分soloが目立ちにくい。trioの繰り返しでsoloのob.は旋律に変化を加えている。シャープ系の調でもあり、もしfl.が少しでも入ったら、さらにランクが上がると思った印象は変わらず。
2013年3月3日 追記。ホグウッド盤を聴取。
Andanteのsolo vc.は、思ったより目立たない。Finaleの対位法も、小編成のためかよく聴き取れる。
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|
1 |
Alleglo molto |
A |
有 |
|
2 |
Andante |
D |
無 |
|
3 |
Menuetto alegretto |
A |
無 |
|
4 |
Alleglo |
A |
有 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
26 |
40 |
|
1763 |
F |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
B |
fuga形式の終楽章と盛り上がったcoda。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
跳躍のある伸び伸びとしたAllegloの第1主題。Andanteは弦のみ。小節数も 短く旋律の変化も余りない。管楽器が全て休むので弦楽器が如何に、聴かせてくるかがポイント。注意深く聴いてみるとva.と低弦とは、常に同じ旋律で引いている。Menuetのtrioは、管のsoloが目立つ。第4楽章はfugaで各パートが終始、対位法的に動く。
fugaは珍しいと思うが一番の聴き所。再現部の後半当たりから、低弦が持続音を響かせながらcodaに向かう。その流れで大いに盛り上がりがあって一気に終わる。ユーモアの雰囲気が中後期では多いが、finaleのfugaは全く対照的。No.3の終楽章の雰囲気にも似ているが、よりダイナミック。第4楽章だけを取り上げたらAの評価にしたい。
ドラティ盤は、Allegloのテンポが遅めでゆったりとした雰囲気。跳躍のある伸び伸びとした雰囲気を味わうならフィッシャー盤を取る。Andanteはcmb.の装飾音が心地良い。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月15日とする)
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2010年12月22日 ディビス盤を聴取。ドラティ盤では、Andante でcmb.の装飾音が心地よいがディビス盤では装飾音は休み。
Menuetでは、ob.がユニゾンで引く箇所が多い。ユニゾンとユニゾンでない箇所では音量の差も聴き所の一つであるが、フィッシャー、ドラティ盤などと比較し、ユニゾンの対比が目立ちやすい。trioでは、同じob.のユニゾンがあるがvn.が控えめに演奏している。
ライブ録音のためFinaleの最後には拍手が入っている。拍手を除くと演奏時間は3分弱。楽器編成もob.hr.fgと数は少ない。しかし少ない編成でありながらも、.堂々と華々しく終わるのは、やはり魅力的に尽きる。
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2011年3月19日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。ob.は弦とのユニゾンの箇所が多いが、2本がそれぞれ別に受け持っている箇所が多い。
Andanteでは管楽器は全て休むため弦のみの演奏になる。この頃の特徴として、弦の細かい各パートの動きが聴き所である。しかしこの曲に限っては各パートは、ほぼ同じ旋律に終始して印象は少ない。フィッシャー盤では、全てcmb.を採用していないが、Andanteはcmb.がない分より一層少ない印象を伴う。
第4楽章のFinaleは聴き応えがある点は前にも記載をした。スコアにもFinale−Fugaと明記してある。楽器の編成は一般的。最初は主旋律が敢えて第2vn,から登場。(第1vn.ではない)しかし低弦が対旋律を伴う。主題と対旋律は、各パートで細かくつなげられている。
ob.でも分かれて書いてある箇所は第1楽章でも記載をした。ここでも、ユニゾンの箇所もあれば、2本が分かれて演奏をしているのは、スコアを見て初めて分かる。低弦の役割も大きいが、中間部ではvc.とcb.とが分かれて記載をしてある箇所もある。(後年は少し採用している例はあるが、この頃では珍しい)4分音符の速いパッセージもありながら管や弦の持続音が続く箇所もある。
このFinaleは全部で198小節もある。この頃のFinaleとしては、かなり長い。楽章全体の演奏時間は15分から20分。展開部と再現部の繰り返しの指定がスコアには記載してある。しかし2者(フィッシャーとドラティ)の演奏は全て、繰り返しは採用なし)仮に忠実に繰り返しを採用しても、全体でも約20分余りであろう。ディビス盤は全て繰り返しを採用しているため、約23分の演奏時間。
その中で、Finaleの占める時間は僅か3分程度。単純に計算するとFinaleの時間は短い。しかし曲のクライマックスは、フーガ形式のFinaleと思う。
また圧巻的に終わる理由の一つに、持続音があると思う。173小節目(終わる26小節前)から低弦が9小節にも渡って持続音を引く。この箇所で、作曲者が「tenuto」の指示がしてある。スコア全体には強弱記号は余り記載をしていない。しかしどの指揮者も、旋律や曲想に応じて、旨く強弱をつけてある。さらに今までの3楽章までは繰り返しがあった。しかしFinaleは繰り返しの箇所が全くない。盛り上がって一気に終わるのも、クライマックスの一つである。
主題そのものは一つで、形式的には割合に簡単であろう。しかし、細かく聴いてみればみるほどに、聴き応えがある。後年のFinaleで、ユーモアが少し漂った柔らかな雰囲気は微塵も感じさせない。Finaleだけを取ったら、文句なしにAランク。
ドラティ盤では、Andanteでcmb.が低弦の旋律とは別に装飾する。ディビス盤は繰り返しを忠実に守っている。第3楽章までの繰り返しを、辛抱して聴いていて、最後に心地よい気分になる。hr.ob.の細かい音も聴き易く、臨場感があふれるのが特徴。フィッシャー盤と同等としたい。モーツァルトのNo.41のFinaleは、調性こそ違うとは言え明らかに、起源となるFugaだと思う。もう少し注目されて欲しいと願っている曲の一つ。
2013年3月7日 追記。ホグウッド盤を聴取。一番の聴き所のFinale fugaは、小編成とはいえども、対旋律の動きを含めて細かい音まで聴き取れる。それに加えて、codaに向けてのダイナミックな盛り上がりは、ホグウッド盤でも十分に聴き取れる。
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|
|
1 |
Alleglo |
F |
有 |
|
2 |
Andante piu tosto alegretto |
B |
無 |
|
3 |
Menuet |
F |
無 |
|
4 |
Finale-fuga、allegro |
F |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
27 |
12 |
|
1763 |
E |
3 |
|
(1) |
2 |
|
|
可 |
D |
小規模のソナタ形式で全楽章が終始 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
Eの調性は少ない。主調がE調であるのは唯一の曲。小規模のソナタ形式で全楽章が終始する。第2楽章のAdagio(e調)の主題は、 モーツァルトのfl.四重奏曲第2楽章に類似。弦のみで演奏。楽器の使い方や音色には工夫は余りなし。第2楽章は展開部と再現部が繰り返し演奏される。フィッシャー盤では、再度の繰り返しのときに、vn.soloによる装飾音がある。
ドラティ盤はどの楽章も比較的ゆったりとしたテンポで、cmb.が目立つ。第2楽章の装飾音は合奏に留まる。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月16日とする)
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2010年12月23日 ディビス盤を聴取。ディビス盤のテンポは、フィッシャー盤とドラティの中間。ただし第2楽章のAdagioは、かなり遅い。作曲年代からすると、もっと初期の作品に相当すると推測。第2楽章は、展開部と再現の繰り返しがない。フィッシャー盤で繰り返しのときに、vn.のsoloによる装飾があると聴き飽きさせない。その分、同じ繰り返しだと飽きてしまう。ランクはDのまま。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月20日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでは繰り返しの後半はcodaで短いvn.のsoloがある。リズムからしてシチリアーノ風。通しNo.で聴き通してみると、同じ作曲年代でありながら、一つ前のモルティン候時代の作品にやや近い雰囲気。保守的で聴き応えがない。ドラティ盤は、繰り返しを忠実に守っている。ただしAdagioの後半の繰り返しはなし。
2013年3月9日 追記。ホグウッド盤を聴取。第2楽章 Adagioは、弦のみで、細かい動きと強弱の対比が聴き所。古楽器のためか細かいところまで聴き取れる。しかし全体的に元々ランクが低いために、ホグウッド盤としての、コメントはなし。
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|
|
1 |
Alegretto |
E |
有 |
|
2 |
Adagio |
e |
有 |
|
3 |
Presto |
E |
有 |
|
|
|
|
|
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
28 |
16 |
|
1763 |
B |
3 |
|
(1) |
2 |
|
|
必要 |
C |
随所にvc.の活躍 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
Allegloの第1主題が最初はvc.から提示されその後、vn.へ移る。クレッシェンド的な盛り上がりや、半音階の主題などは注目に値する。Andanteは、vc.のsoloが弱音器付きvn.ユニゾンで.主旋律を提示。vn.の弱音器の効果は、ようやくはっきりと効果が目立つ最初の曲だと思った。個人的には、vc.のsoloをもっと聴かせて欲しい。
ドラティ盤は全般的にテンポが速く、あっさりと聴こえる。vc.のsoloが殆ど、目立たない。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月17日とする)
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2010年12月23日 ディビス盤を聴取。聴取環境がヘッドホンのため、かなり細かいところまでは、楽器の配置等で分かり難いところはある。展開部の最初のところで、vn.のsoloがディビス盤でもあると推定。→その後スコアをみたがsoloの記述はなかった。しかし違和感は全くない。Allegloは低弦で提示されるのは、珍しい。全体的にややバロック風で作曲年代よりも前の雰囲気なのは、通しNo.27と同じ様な感じ。
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2011年3月21日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Allegloの第1主題は、クレッシェンド的な盛り上がりは前記した。スコアではこの表示はない。
Andanteのvc.のsoloは第1vn.と常に同じ旋律で1オクターブ下を引く。第1vn.と第2vn.は常に同じ旋律になっている。ドラティ盤は、やはりAllegloのテンポが速すぎて盛り上がりの壮大さなどが聴こえてこない。
ディビス盤は遅いテンポの分。細かいところまで聴き取れる。Andanteのvc.のsoloはドラティ盤と同様に目立ちにくいところもあるが臨場感はある。繰り返しを忠実に守っているので演奏時間が長い。(16:25)3者の中ではディビス盤を薦めたい。聴き所のポイントとしてvc.の活躍を記した。第2楽章のみがsoloであること。しかし常にvn.と同じ旋律を引いていることから、それほど大きく目立つほどではないと思う。ランクはCで良い。
2013年3月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。井上著でも第1楽章は、ややバロック風であると記載されているがホグウッド盤でも同様。ただし小編成のためか、各パートが細かく浮き出ている。今まで3者の演奏に関して第3楽章についてのコメントは、特に記載をしていなかった。
しかしながら通して聴いてみると、Prestoの速いテンポで一気に駆け抜けて終わるのは心地よい。井上著でも一番面白いのは第3楽章と記載してあったのは、うなずける。
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|
|
1 |
Alleglo |
B |
有 |
|
2 |
Andante |
Es |
有 |
|
3 |
Presto |
B |
無 |
|
|
|
|
|
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
29 |
34 |
|
1763 |
d |
4 |
|
(1) |
2 |
|
|
可能 |
A |
第1楽章から第2楽章にかけての調性と強弱の対比。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
第1楽章はdであるが、第2-4楽章は、Dであるので、実質Dの交響曲と捉えてみたい。dの調性のAdagioで終わるが、終結部に近くなる、テンポが多少遅くなり、しんみりと終わる。その後第2楽章が突如、明るくD調で強奏で開始される。この対比がすばらしい。この交響曲の白眉である。ちょうど、北陸新幹線で雪の多い新潟県から、太平洋側の群馬県へ抜けた青空の雰囲気。
Allegloは小ソナタであるが、展開部が短いながらも管と弦との掛け合いがある。再現部の後半では、vn.のアコーギクがあり小編成ならでは即興的で細かい音色が聴き取れる。
Menuetのtrioでは、管のsoloと弦のピチカートの伴奏があり後の様式の芽生え。Prestoはソナタ形式でないが、無窮動に近い主題ながら根底には、何かユーモアも感じさせる。中間部では弦のsoloもあったり、短いながらもcodaがあって盛り上がりがある。
ドラティ盤はAdagioのテンポが、かなりゆっくり。Allegloの出だしが、ややゆっくりで強奏でない。フィッシャー盤と比較して対比が余りない。フィッシャー盤の方を断然、勧めたい。
同じ調性dで順番通りに聴きそびれ当初はNo.26(通しNo. 42)を聴いていた。No.26は「ラメンタチオーネ」の俗称があり名曲解説全集にも掲載がされている。No.26よりも前の作曲になるが、断然こちらの方が聴き応えがある。俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
全体を通して聴いてみて、第1楽章はd-molであるが単に、第1と第2楽章と通常の楽章の順番と組み替えただけでも、これほど違うのかとビックリする。主調はD-durの交響曲として聴いていても遜色はなし。
今後の作曲では、第1楽章に緩徐楽章を持ってその後、速いテンポでの楽章が入るパターンはまだある。しかし最初に短調を持ってくる方法は、もやは殆ど見られない。副楽長へ就任し様々な交響曲のパターンを試行錯誤している作曲者の姿が想像される1曲。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月18日とする)
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2010年12月24日 ディビス盤を聴取。Adagioのテンポは、ドラティ盤と同じ様な感じ。 楽器編成は変わらないが第1楽章は弦楽器のみで演奏。それに対して第2楽章の明るいD調の調性と、弱音から一気に大きな音に変わった対比の見事さはフィッシャー、ドラティ盤と同じ。
第2楽章ではob.が2本であることが良く分かる。同じ旋律が多いが音程が異なる。フィッシャー盤でもこの違いは分かるが、ディビス盤ではこの違いがさらにはっきりする。ライブ録音による影響かもしれない。
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2011年3月21日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでの楽器の使い方では、殆ど管楽器は登場しない。強弱の指定箇所がかなり多く、1小節内にも細かい指定箇所もある。フィッシャー盤はvnの奏法が独特であると思った。この曲にも限らないが、最初の第1主題は「p」の指定であるが、第1vn.は「pp」の様に途切れるように引いている。
第2楽章はそれに対して、はつらつとして明るい音色。1小節内の細かい強弱の指定は第1楽章でも記載をした。第2楽章でも同じ様な箇所がある。T32−22と、T87、88はフィッシャー盤では独特な音色。前記ではアコオーギクと記述をしたが、やはり音色に工夫をした奏法になっていると推定。ob.のsoliの箇所が多く弦との掛け合いも多い。
Menuetのtrioでフィッシャー盤はピチカートと記載をした。しかしスコアではピチカートの指定はない。(スタカートの指定のみで通常の弓で弾く)しかし管のsoloを引き立てており理に適っていると思う。ob.の旋律が目立ち気味であるが、hr.が1/4拍子遅れて入ってくるのが興味深い。
Finaleは、聴き初めてのロンド形式が登場。単一主題で、繰り返しをしながら、Dとd調の対比がある。強弱の対比が大きな聴き所の一つである。特にFinaleは、弱奏の部分でsoloを巧みに採用していて、この対比がすばらしい。断然フィッシャー盤を薦めたい。
それに対してドラティ盤は、Adagioの繰り返しを忠実に守っているため、演奏時間が10:59にもなっている。
ディビス盤はAdagioの繰り返しあり。Finaleは全て繰り返しの指定が全てある。しかし3者の演奏は、最後の部分の繰り返しは採用していないが、これも理に適っていると思う。この頃の隠れた名曲としての作品でランクは、やはりAとしたい。
2015年3月8日 追記。ゴバーマンを聴取。Adagioはテンポをやや、遅めに落として弦楽器のしかも第1vn.を中心に動く。しかしときではあるが、第2vn.が独自の動きを絡める。冒頭の主題から第2vn.は、対旋律の様にk刻む部分も印象的。管楽器はあくまで伴奏に徹している分、弦楽器に厚みのあるゴバーマンの特徴を活かした楽章。
第2楽章のめまぐるしく動く旋律の中で、T32の第1,2vn.のアコオーギクは、フィッシャー盤ほど目立たず。Finaleは管楽器のユニゾンを重視していない曲だと思う。その分、弦楽器のTuittiがメインとなり、弦楽器で配置に特徴のある特徴を活かした名演。
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2017年2月14日 T.ファイ No.34を聴取。No.40から引き続いて聴取する最初の短調の曲。第1楽章はAdagioの遅いテンポ。No。40から引き続いて2曲目にあなるが緩除楽章の中では、あまりテンポを微妙に変えていないようだ。
一方、第2楽章の冒頭の第1主題。ここでも上行して行く旋律が登場。No.40の第1楽章と同様に1小節の4分音符の動機の中でもクレッシェンドを加えている。この動機の扱い方はこの楽章では共通して採用。
第3楽章ManuetのTrioの部分。ob.から半小節遅れてhr.が登場する。この微妙に遅れは、弦楽器の音量が大きいと聴き取り取り難い。フィッシャー盤と同様にファイ盤も、弦楽器の音量を落としているので、管楽器の音色の違いがよく分かる。Trioの繰り返しで弦楽器のパートの一部はピチカートで引いている。この解釈はフィッシャー盤でも採用していたが、理にかなっている。
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2018年6月11日 34番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。ホグウッド盤は、大半は聴取しているが、2〜3曲 未聴取が残っていた。その中の1曲のひとつ。
ホグウッドの奏者数は、下記の「毎日クラッシック」 ハイドン106の交響曲をつぶやく でNo.20の部分で記載がある。それによると弦に関しては、以下の通り。
4:4:1:1:1
古楽器はもちろんであるが、弦に関しては、va.以下は全て1名。このため弦はvn.を中心として、他のパートはsoloとなりクリアに聴こえる。ただし初期の頃はこの人数で良いかもしれないが。No.75までにこのCDは入っているので、中期から後期に関しては、奏者数が多くなっていると思う。
http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/12/10620-3902.html
ところで、No.34は、まだ初期の頃なので恐らくvn.は4名体制だったと推定。この曲の聴き所のひとつは、Adagioで短調のゆっくりしたテンポとその後に続く、速いテンポで長調との対比。No.25にも共通している部分はある。しかしNo.25は長い序奏。一方、No.34は、あくまで第1楽章は教会ソナタ風の形式で短調の独立した楽章になっている。
第1楽章 Adagioは、2つのvn.パートが中心となり、va.以下は殆ど伴奏になっている。裏を返せば、vn.を中心とした聴き所になる。第1楽章以外を、ここでは記載したい。Finale Puresto assai は、単一主題による、ロンド形式で繰り返しが全てある。 T29から中間部で短調となある。冒頭からfで快活に飛ばしてきた雰囲気から、一旦、がらりと暗い雰囲気が一瞬変わる。この変わる対比が効果的。第1vn.が高音域を担当し、他のパートは伴奏に徹しているので、vn.が引き立つ。弦の各パートが小編成のため分離感が良く、この時期の頃の演奏スタイルを踏襲している典型だと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2019年3月8日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 34番を聴取。聴き始めて、主調が短調で始まる最初の曲。第2楽章以後は、全てD-Durなので、第1楽章は、d-molの長い序奏と行く解釈で自分なりにして来た。指揮者によっては、第1楽章の繰り返しを忠実に守るが、メルツェンドルファーでは繰り返しはない(それでも7:11のタイムになっているので、テンポは遅い方だと思う) 時折テープヒス音が目立つ。第2,3楽章も同様。Fianleは、作曲順番に聴き始めて、ロンド形式が始めてとなる。ダイナミックレンジレンジが狭く時折、歪がある。ヒス音もかなりあり、録音の点でかなり悪い。このため全体的な印象が余りなし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2019年8月4日 34番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団を聴取。d-molの緩叙楽章から始まるが、実質、D-durの交響曲の位置づけと考える。第1楽章から第1楽章の、テンポと音色の対比が一番の聴き所。第2楽章 T24から16分音符のトレモロになる箇所がある。 元々この第2楽章の冒頭から、16分音符の刻む様な旋律は最初からあったが、この箇所から、高音域で第1,2vn.で、エネリュギッシュに展開、盛り上がっていく。ここまでは冒頭からの緩叙楽章をの雰囲気が中心だったので対照的。T32から1オクターブ下降する装飾音を含む旋律。フィッシャー盤では、この箇所をポルタティメント風に引いていた。ブリュール盤は、他の指揮者と同様に通常通り。
|
|
1 |
Adagio |
d |
無 |
|
2 |
Alleglo |
D |
有 |
|
3 |
Menuet Moderate |
D |
無 |
|
4 |
Presto assai |
D |
無 |
|
通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽章数 |
楽器編成 |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
fl |
fg |
hr |
trp |
timp |
cemb |
30 |
72 |
|
1763 |
D |
4 |
1 |
1 |
4 |
|
有 |
可能 |
A |
4本のhr.は様々な活躍。 |
|
楽章の構成 |
調性 |
リ*1 |
4本のhr.による初めての曲。当初は72番に分類されていた様に、かなり後に分類されていた模様。約2年先の31番(ホルン信号)と比べると、楽器の編成、扱い方、音色、楽章構成などと比較すると、こちらの方がもう少し新しい作品に聴こえる。実際、当初の70番台の交響曲と比較しても全く遜色はない。70番台の遜色がないため、当初からNo.72とされて来たのか? もう中後期のシリーズと大差がない。
No.31と同様に4本のhr.を生かしているが、solo(バスも含む)が随所に聴かれ、楽器や音色が終始楽しめる。フィッシャー盤は、hr.の配置が幅は広がっていて、各パートの掛け合いがおもしろい。特にMenuetのtrioでは、エコーの様な効果がある。楽器編成のもうひとつの特徴として、D調で初めてtimpを入れている。timpも随所で、独自の動きが目立つ。hr.は木管のsoloとしても活躍するが、強奏ではtrp.の代わりとしても活躍。hr,の活躍は様々である。
圧巻はFinaleの6曲の変奏曲。聴き始めてのFinaleの変奏曲が登場。各楽器のsoloが楽しめる。(bass.のsoloもあり)変奏は、やや形式的ではあるがその分、楽器の音色で十分にカバーしている。個人的には、通しNo.
29(hob No.34)よりも評価を高くしたい。
ドラティ盤は、cmb.が入る。楽器編成はフィッシャー盤よりも大きいが、hr.の配置が狭く聴こえる。Finaleも各パートを聴かせるためか全般的にゆったりとしたテンポ。様々なhr.の活躍堪能するならフィッシャー盤を取りたい。No.34と同様に俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月19日とする)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2010年12月25日 ディビス盤を聴取。D調でもtimp.が入っている例はあるが、4本のhr.がメインのためか控えめ。ディビス盤では、hrの位置はドラティ盤と同じ左側。2本と4本の違いは、フィッシャー盤ほどの差がない。
第2楽章はfl.の独断場に近いが、展開部を中心に、vn.のsoloがある。(このあたりは、しっかり聴かないと見落としやすい。) hr.が休み、その分fl.以外は管楽器は休みのため、あたかもfl.協奏曲にも匹敵。
Finaleは変奏曲のためAndanteのテンポで終始。ライブ録音のためか、cb.のsoloでは、かなりvn.の音量とテンポを落として引き立たせている。ライブ録音では、やや苦しい所かもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月22日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 スコアを見て楽器編成で一番の興味を持った。第1楽章では、全くfl.は登場しない。このため、ob.の持ち替えで可能かと通常は思う。第2楽章はfl.の独断場であり、弦とfl.以外はない。このため、ついついob.が持ち替えで演奏しているかと思ってしまう。第3楽章も第1楽章と同様にfl.の登場はなし。しかし、Finaleで全ての楽器が登場し持ち替えは不可能。
もう少しスコアをチェックしてみたら、第1楽章の最初の箇所で、fl.のパートが「休み」の記載があった。持ち替えの指定ではなく、fl.は第1楽章は休みの記述である。楽器の使い方でもFinaleでは、後半には全ての楽器
(ob.とfl.が一緒に演奏)の登場もある。
元々、この交響曲は、初めて4人のhr.奏者を必要としていた。これ一つをとっても、大がかりな編成であったのであろう。それに加えて、fl.も単独で必要とした点は見逃せない。(聴き通してみて、持ち替えでないのが、初めてのケースであったと思う)
No.6-8(朝、昼、晩)のシリーズは、協奏交響曲のスタイルであった。この交響曲も同様であろう。作曲順番に聴き通してみて協奏交響曲のスタイルにFinaleで変奏曲の形式を採用したのは、初めての手法である。 No.6-8では、各奏者の見せ所はそれなりに取り入れている。しかしそれ以上に、奏者の腕の見せ所をアピールするには、この変奏曲がぴったりであったろう。これを初めて取り入れた曲と解釈したい。
フィッシャー盤はAllegloのテンポを忠実に守っているが、hr.奏者が速いテンポの中でも卒なくこなしている。奏者の技量には感服する。
ドラティ盤は元々フィッシャー盤と比較してテンポが遅い。全体的にゆったりとしたテンポは前記した。4人のhr奏者の力量には影響しないと思うが、このテンポの差は著しい。Finaleも同様。
ディビス盤はドラティ盤とフィッシャー盤の中間のテンポ。Finaleのcb.のsolo.は前記した様に、かなりこの部分だけテンポを落としているが、(スコアにはテンポの変化の指定はなし)じっくりと聴かせてくれる。その後に第5変奏では、2人のob.の登場となる。ライブ録音も手伝ってか、ob.の独壇場が満喫できる。
もし作曲順番でなく通常の通しNo.の順番で聴いてみたら、約15年前の作曲と言うこともあり、古いスタイルで異様に感じてしまうと思う。No.70番台の曲では4人のhr.奏者は必要とする曲はない。しかし作曲順番で聴いてみると、様々な発見がありこの後にも大きな影響を持っている。(fl.の単独使用、Finaleの変奏曲など) 70番台の曲ではなく、1760年代前半に作曲されたと解釈して欲しい。この点からもAランクは変わらず。
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2018年6月12日 72番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。4人の奏者のhr.は左右に2名ずつ離れて配置しステレオ的な広がりが十分。No.34で弦の奏者の数について記載をした。恐らくこの曲でもva.以下の奏者は一人ずつではないかと思った。
Finaleでhr.を含むva.以外のsoloの箇所がある。第2変奏でvc.が主旋律を変奏するが、この部分ではbassは音量を落として伴奏に回る。伴奏でのbassはsoloの様に聴こえる。一方、続く第3変奏は、bassがsoloになる。この部分では、vc.がbassよりも低い音域で伴奏に徹する。ここでは伴奏のvc.がsoloの様に聴こえるようだ。 この曲はNo.6〜8シリーズの様に、協奏曲風で随所にsoloがある。特にFinaleは、va.以外のsoloのsoloの箇所がある。最後は速いPrestoのテンポで終わるものの、最初のAndanteのテーマからは、この演奏ではゆっくり目のテンポは理にかなっていると思った。
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2018年6月14日 72番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。この指揮者は初めて聴取。モダン楽器で第2vn.は右側に位置。この曲以外にNo.10と71が収録されている。作曲順番によりNo.72から聴取。緩叙楽章も含めてcmb.が入るが、低弦と同じ旋律も一部はあるが、Menuetなどは装飾で独自の動きがあるようだ。
4人のhr.の奏者は2名ずつ左右に位置。先日、聴取したホッグウッドも左右に分かれていたが、こちらの方がさらに4名の細かい配置まで分かる。録音のダイナミックレンジが広い。第1楽章の最後で、4人のhr.奏者の中で、第2hr.の低音域まで明白に聴き取れる。第1楽章の繰り返しで、展開部と再現部の繰り返しはホッグウッドと異なり採用せず。緩叙楽章での提示部は繰り返しの後半で旋律の一部に装飾あり。 Finaleのテンポはホッグウッドと同様に、ややゆっくり目。Bassを含む各パートの分離感などが鮮明。録音の良さもあって、お勧めとしたい。
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2019年3月9日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 72番を聴取。4人のhr.初めて入る曲。第2楽章以降は、fl.の独奏が入るが第1楽章は休み。(第3楽章以降はob.と一緒に演奏する箇所があり、fl.はob.との持ち替えはできない) 4人のhr.の入りは全て右側。殆ど離れていない。Timp.は最初から入っているが余り目立たず。第1楽章の最後の部分(T134)で4人のhrが分かれて演奏するが、手持ちのスコアとは異なる。timp.の旋律に近い雰囲気。No.31に類似するが、Fianleの最後は盛り上がってし終わる。No.31は第1楽章の冒頭でhr.の主題が回帰するように締めくくった。元々スコアにはfinaleの最後ではこの冒頭の主題は回帰しない。しかし第1楽章の終わりと同じように回帰をさせるためにあえて、この部分を変えた可能性もある。(調性は同じ) 第2楽章は、soloのbass.とfl.の独壇場。fl.の奏者が、CDのケースに懐かしい 氏名が掲載されている。「Wolfgang Schulz」 No.6〜8もfl.がsoloが楽器として登場するが、flの奏者の記載はない。この楽章のテンポはかなり遅い方になる。録音のNo.6〜8にも共通するが、solo楽器のfl.は、極端に強調され(息継ぎ音が、かなり聴こえる)、vn.のsoloよりも近い位置に聞こえる。音源が不自然な感じ。 Fianleは聴き始めて変奏曲の形式が始めて登場。テンポは他の指揮者と同様に遅め。各変奏曲で登場する楽器は、簡単にまとめてみた。
第1変奏:fl. 第2変奏:vc. 第3変奏:vn. 第4変奏:bass. 第5変奏:ob.+2hr. 第6変奏:Tuitti 以下 coda
第1変奏のfl.は、第2楽章と同様に極端の音源が近い。第2変奏のvc.は、bass.の位置とは異なり、かなり右側に位置。一方、第4変奏のbass.は中央やや右側に位置。SoloとTuittiでの対比が悪い。この曲はNo.6〜8と同様に、各楽器のsoloとTuittiとの対比。協奏交響曲風に、溶け合いがポイントの一つになる。良い録音が必要とされると思う。しかしメルツェンドルファーの場合は録音が、かなり悪いので印象が低くなる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2019年10月5日 72番 B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。を聴取。このCDはNo.93.95と一緒にカップリングされ第1曲目になっている。作曲年代は1763年とされ、No.31などと同じ頃に4本のhr.を使用。同じCDの中で3曲がセットになっていると、作曲年代が大きく異なる。他の2曲とも作曲のスタイルなども大きく異なることが予測される。全集の中でこのカップリングだと、いささか違和感あり。No.31と同様のスタイルなので、この作曲時期と一緒に聴取すると逆に違和感がない。 No.31の時は、4人のhr.奏者は左側に分かれていないものの、自然な雰囲気の録音でよい印象な点を記載した。(下記のブログ) http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1236.html
この演奏も同様で、4名のhr.は左側。No.31と同様にhr.はある程度、固まって配置はされているようだが。第1楽章のAllegroはかなりテンポが速め。第1〜4人までの奏者は、中央から左側に割合に分かれてうまく聞こえる。特に第3楽章のMenuetの部分。第2楽章ではhr.は全く登場しないが、第3楽章の冒頭から他の交響曲と同様に、Tuittiでhr.が加わる。T3で第3-4hr.がsoliとなる。その後、同じ旋律が第1-2hr.にT4で引き継がれる。この部分でもT4の第1-2奏者は、位置が異なっていること。しかもT4でさらに音量を落として、エコー効果をかけている。この手法は他の指揮者でもしばしば見られる手法。ドラホシュの場合も同様。 Finaleの変奏曲は第1楽章の速めのテンポに対して、ややゆっくり目。第4変奏のbass.のsoloも、No.31のFinaleと同様に右側の端で、自然な音量と雰囲気。各変奏の間で、必要に応じて適宜な間合いが入る。このタイミングもうまいと思った。R グッドマンの演奏も、良い演奏のひとつだと思うが。ドラホシュも場合もこれに匹敵すると思った。
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|
1 |
Alleglo |
D |
有 |
|
2 |
Andante |
G |
無 |
|
3 |
Menuet Moderate |
D |
無 |
|
4 |
Finale:Andante c VariazionーPresto |
D |
無 |
|
|