通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
2 |
41 |
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1757-59 |
C |
3 |
- |
1 |
- |
- |
(1) |
(1) |
D |
リピートなしの楽章あり。 |
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1 |
C |
Alleglo |
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2 |
G |
Andante |
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3 |
C |
Finale,Presto |
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第1楽章提示部のリピートがないのは珍しい。また展開部と再現部のリピートもなし。第2楽章は無窮動的な主題で展開も少ない。Prestoでは、va.以下の低弦楽器が独自の動きが目立つ。(これまでの3曲までは、独自の動きが目立たない方であった。) Cの調性は祝典的な方であり、初期の頃からもtrp.とtimp.を伴うケースが多いがこの曲はなし。このため、やや、こじんまりと聴こえる。 スコアを見ながらドラティ盤を再度の聴取。第1楽章の提示部のリピートはない以外に、どの楽章にも反復記号がない。(井上著にも記載)第1楽章の終わりに近いところでドラティ盤は、かなりの盛り上がりを見せるが、スコアでは特に強弱の指示はない。しかしエネルギッシュな終わり方。 |
2010年11月28日 ディビス盤を聴取。井上 太郎著「ハイドン106の交響曲を聴く」によると、各楽章の反復記号がない点などからバロック的と記載がされている。この表現は的を得ていると思う。Prestoは2つの調性の異なる主題が交互に現れている。後年になって2つの主題によるロンド形式などがあるが、その走りではないかと推測。前述の井上著の本にもこの点に言及。 |
もう少しこの箇所を(No.2第1楽章のcoda)中心にスコアでチェックしてみた。再現部の後、第1ー2主題が再現する。その後の結尾部では、提示部と異なり第1主題が再度、短いながらも回帰がされる部分に相当する。(強弱の指定はなし。)しかし楽章終始の6小節前で一旦、「p」の指定箇所がある。僅か3小節の「p」の箇所との対比が絶妙で、その後の「f」で第1楽章を締めくくる。エネルギッシュで終わる印象の背後には、作曲者にはなかった一部なかった強弱記号の箇所がある。しかしその背後には、拡大された短いながらのcodaの影響だと思った。ドラティはこの部分を旨く演奏に反映しているのではないか。 第2楽章は第1−2vn.が常に同じ音符で進行する。 第3楽章はロンド形式の走りであることが再度、認識する。フィッシャー、ディビス盤と比較してテンポがPresto以上に速い。しかし繰り返しがないロンドの流れる様な切れの良さを味わうのならこれ位、速い方が良いと思った。ドラティ盤を勧める。 |
2013年1月21日 追記。ホグウッド盤を聴取。今まで、cmb.はこの演奏で入っていないと思っていた。しかし注意深く聴いてみると緩徐楽章が2声で構成されることから、cmb.は不可欠であったと記述。cmb.は低減と同じ旋律で演奏しているようだ。中野著「ハイドン交響曲」では、Finale Prestoは、今まで聴いてきた中と同様に、かなり速い。 |
2015年2月18日 ゴバーマン盤を聴取。Alleglonoの指示であるが、テンポは、ゆくりめ。ドラティ盤では、codaにかけてエネルギッシュに終了するが、ゴバーマンでは通常に終わる。第2楽章のAndanteでは弦楽器のみ。cmb.が装飾音を一部伴い参加。 |
2018年2月17日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.2を聴取。ごく初期の交響曲のひとつで、全集以外だと、まずは注目されない曲のひとつ。井上著「ハイドン 106の交響曲を聴く」の中で、第1楽章はこの時期としては珍しく、反復記号がない記載がある。繰り返しがなくても193小節ある。通して聴くと旋律の中にも、調性の変化や強弱の変化が随所にある。繰り返しがないので注意深く聴く必要がある。 第1番で レガートをキーワードとして記載をしたが、この第1楽章はその典型。冒頭の第1主題も、スッタカートの記載があるが、ガロワは、余りアクセントをつけない。そもそもテンポ自体がかなりゆっくり目。4:12に対して、ホグウッドは3:08。小結尾に近いT55あたりで通常は、f の指定で、盛り上がりを見せるがガロワの場合は、 f でない。短い楽章であるが、対位法的な旋律が随所にある。特にT178当たりから、これまで登場していた各旋律が、終結に向かってエネルギッシュに向かう。ドラテイ、フィッシャー、ホグウッドを聞き比べてみたが、このT178当たりは、それほどエネルギッシュに向かわない。ガロワでも同様。もしT ファイがこの曲を指揮していたら、恐らく最後の方のT178からの弦のパートが異なる部分でバスパートを中心に f の盛り上がりを見せたに違いない。 |
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