23.旋律、動機、ことばとの関係
2024 年4月3日 更新




 
 
1.旋律、動機、ことば との関係 1 2019年11月21日

最近、岡田 暁生 著 「音楽の聴き方」を読んだ。音楽の中で自分はどんな聞き方をしていくのか?そのヒントになったのがこの本だ。古典派のハイドンの交響曲を聴取していく中で今まで、旋律、動機、などについて興味を持ってきた。この本の中では、旋律、動機などに加えて、ことば を含めた記述が興味深い。
 ことば を主なキーワードにしていくと、焦点がずれるかもしれないが、この本では、ことば 特に 日本語と外国語との対比も色々と書かれている。
 この中の第3章「音楽を読む」の部分で音楽・言語の文節規則の部分に興味を持った。音楽はジャンルを問わず、音楽を聴くときには無意識に「音楽を正しく読む」と記述がある。たとえばベートーヴェンの「運命」冒頭を「ダダ・ダダーン」を区切って聞く(弾く)人など、まずいないであろう。こんな聞き方をしたのでは、ややこしくて仕方がない。このように普段からなじんでいる音楽について、私たちは正しい文節が何となく分かると記述があった。

 2.旋律、動機、ことば との関係 2 2019年11月22日
ベートーベンの交響曲No.5は、抒情的な雰囲気や旋律が殆どない。逆に動機から構成された交響曲の典型の一つであると思う(同じベートーベンの第2交響曲 第2楽章の抒情的な冒頭の主題などは、逆に同じ作曲家で同じジャンルの交響曲とは思えないほどの旋律や雰囲気とは対照的) 
有名な冒頭の動機をスコアを通して改めて見てみる。打楽器群は入らないが、すべての弦のパートとcl.のTuitti しかもユニゾンで冒頭から登場するのは、やはり印象的。冒頭から2小節の中でフェルマーターを挟み、8分音符の休止符を挟む。その後、T3で同じような動機が音程を変えて再度、登場する。 5小節の間に同じような動機が2回、登場する。通常、大半の人は、この本に書かれたように2小節単位で一区切りを意識と思う。しかもT1とT3の8分音符の動機(3連符ではない)は、まとまって、大半の人が意識をする。この「まとまって」の意識が大きなポイントになり、8分休符を挟むことで8分音符が3回続き、まとまりを意識付けているようだ。(図2を参照)
ベートーベンの交響曲のスコアは、最近は余り見なかったが改めてスコアをみると、この楽章の拍子は3/4ではなく2/4になっている。拍子は冒頭から8分休符があるため、3拍子の様に聞えるかもしれない。拍子が3拍子でないのは興味深い。通常、休符がなければ得てして3拍子で始まっている意識が、最初に意識付けれられる可能性もある。


3.旋律、動機、ことば との関係 3 2019年11月23日
もう少し、この動機と拍子の関係を見てみる。T6から確保?が始まり推移?あるいは展開していく。もっとも、T1からT5までは序奏でT6以降が主題という、考えもあるかもしれない(池辺著  ベートーベンの音符たち)ではT5までは序奏と記載されていた。
 その後T19では、8分音符が3回続いた後、T20では4分音符になり、短く区切られた動機になっている。冒頭の動機が、ここでさらに短くなってしまう。冒頭からT19までの間だけでも、細かい変化がある。(ここまでは、音符の長さと拍子の関係を中心とした。他にも音程、強弱など、様々な観点があると思う。しかし、論点を絞るために、あえて、音符の長さを中心に記載をした)冒頭の動機は、T19で少し短くなったことになる。冒頭はフェルマータを伴った特徴的な動機は、T19でさらに、コンパクトに変わったことになる。第1楽章の最初の方の部分だけでも、動機としてもまとまりが、細か変わっていくのが、スコアを見るとよくわかる。

 4.旋律、動機、ことば との関係 4 2019年11月24日

拍子と動機の関係について、さらに進めていく。第3楽章は序奏の後、hr.による主題はが登場する。この主題はおそらく、誰もが冒頭の旋律と類似していると感じる部分であろう。この主題で興味深いのは、3拍子から構成される点だ。第1楽章は4分の2拍子で冒頭は2小節単位でのまとまり。一方、第3楽章は2小節のまとまり。テンポも第1楽章と第3楽章で異なる。3連続の音符の長さも8分音符と4分音符で異なる。また、第1楽章は8分休符が最初にあった。一方、第3楽章は休符がない。
このため第1楽章の冒頭の動機は、耳の上で聞いた中では、あまり違いが、すぐには分かり難いかしれない。しかしスコアで比較をしてみると、拍子やテンポの表示の違い。休符の有無による差が見えてくる。T19のhr.の最初の動機の後、1小節遅れて、すべての弦が第1拍めの4分音符のf の表示で刻むようになっている。第1楽章と違って、T19の動機は3拍子の第1拍めから強調される。3拍子の楽章であることを最初から意識付けているようにも感じる。(第1の冒頭は、8分休符を挟むためか、4分の2拍子が分かり難いのと対照的)
 5.旋律、動機、ことば との関係 5 2019年11月25日

なぜ、ここまで拍子と動機の点について記載してきたのか。ハイドンのNo.28の第1楽章の冒頭との関係を調べてみたいからだ。調性はEでベートーベンを異なる。



第3楽章の冒頭と比較してみる。ベートーベンの第5交響曲で第3楽章の動機。おそらく誰もが、第1楽章の動機に圧倒されたことを受けてこの第3楽章の動機も、2小節単位のまとまりで音楽を聴くと思う。



 一方ハイドンのNo.28 第1楽章の冒頭の主題は、どの様に感じるのか? ハイドンの交響曲は、生前中から出版はされたと思う。しかし大半は、後期以降の交響曲で、No.28のような初期に近い交響曲は、出版はされたかもしれないが、知名度はどうしても低いと思う。19世紀半ば以降、ベートーベンの様に、崇拝された作曲家とは異なる。このため、No.28の交響曲はベートーベン No.5の交響曲と、比較される機会も過去から、ほとんどなかったと思う。このため比較の機会が少ない中、音楽としての両者のまとまりが異なっていると考える。

 改めて、No.28の冒頭の旋律を見てみる。ベートーベンNo.5の第3楽章と同じように、4分の3拍子。8分の音符が3回連続して続く。しかしハイドンの場合は、図1のの様に、動機の最初に付点4分連符が入る。


 次に、仮に冒頭に付点4分休符が入って、3回続き8音符から始まった場合、図7の様になる。ベートーベンの第3楽章は同じ音程が続く。一方、ハイドンの場合は音程が異なるので、その違いは分かり難いかもしれない。あくまで音程の差は考えない。図2とベートーベンのNo5 第3楽章の動機と比較をすると類似している。3連符でなければ、ハイドンはもとより、他の作曲家も引用している行進曲風のファンファーレにも類似している。
 6.旋律、動機、ことば との関係 6 2019年11月26日

前回の図6で、休符を挟めばベートーベンの第3楽章と多少は似ている雰囲気を記載した。しかし、やはり根本的に異なる点があると思う。図6で第1vn.は8分音符の3回続いた後、付点4分音符で伸ばす動機とセットになっている。後半の伸ばす動機が単独で目立つと、ベートーベンの様に近い雰囲気かもしれない。


しかし第2vn.以下の低弦は、常に8分音符で常に伴奏する対旋律の様に、支えている。第1vn.持続音であるが、他のパートは8分音符の動き回るようなユニゾンではないが類似した動機と一緒になっている。
 そもそもの冒頭に第1小節目から、第2vn.以下は常に8分音符で支えている。同じ音程で持続する部分は、ほとんどない。また休符が、ところどころ適宜入っていて、ある意味「せわしい」ような雰囲気もある。T9では1拍半(ちょうど、4分の3拍子の真ん中)で、アクセントが入っている。1小節の中でもアクセントの入り方が微妙に冒頭から変わっている典型のひとつ。提示部一つをとってみても、図9のように小結尾部のT52では第2vn.とva.はシンコペーションの動機が登場するなど、起伏に富んでいる。

井上著「ハイドン106の交響曲を聞く」の前書きのところで、「岩城宏之 著 楽譜の風景」について記述があった。この部分で、気軽に聞いてみれば、どれも単純明快で、テンポの変化もないし、始まればそのまま、一気呵成に終わってしまうように思える。しかしちょっと調べてみると、フレーズの入りくみ方など、モーツァルトやベートーベンよりはるかに複雑だし、第1アンサンブルの難しさは、後のロマン派の作品の比ではない」と記載してあった。レビューでスコアを何度も取り上げているが、この楽章もの、その典型のひとつであろう。一方、ベートーベンの第3楽章は、ユニゾンの箇所が多く対旋律が余りないようだ。ユニゾン、対旋律、各パートをどの様に聞かせるかによって、このように、音楽の「まとまり」の違いが変わってくると思った。
 7.旋律、動機、ことば との関係 7 2020年2月6日

 少し話題はそれるが、音楽の切れ目について書いてみたい。かなり以前は携帯電話の普及はなく、電話の着信音はベル音で決まったもの。電話を保留状態にするときは、ある程度のパターンはあったが機種によって決まっていた。このため自分で選択できる余地はほとんどなかった。
 それが今の時代、電話は各自で多くの人が最低1台は保有し、どのようなときにも身につけている。携帯電話の着信音も自分で選択することができる。本人がいれば、最終的には電話にでるため、着信音は自ら切る操作となる決まりになる。着信音は冒頭からの旋律であっても、所詮、途中で切られてしまう「はかなさ」がある。始まった旋律が途中で切れてしまうこと。しかも自らが切ってしまう。
 着信音の選択は個人の好みにも左右される。メーカーの事前設定のリストに、クラッシック音楽の旋律はあるのか? 確かにあると思うが全体に占める割合からすると、少ない方ではあると思う。 この理由は何か? クラッシック音楽のジャンルは多岐にわたると思うが、古典派の作曲家の交響曲で考えた場合、冒頭からの演奏を聴き始めたとき。聞き手はすぐに、この録音された音を切る操作ができるか? 私にはすぐにはできない。たとえ冒頭から期待外れだった演奏なり音源だっても、最低限一つの区切りである、最初の楽章までは聞き通したい。少なくとも最初の楽章をきくまでは、作曲者は望んでいるからだ。
 本当は最後のFinaleまで聞いて欲しい願望もあるだろう。あまりにも悪い録音や演奏だったら、Finaleまで聞き通すのもつらいが。幸いにことにオペラなどと違って、ハイドンの交響曲は、せいぜい最大でも20分前後。これぐらいの時間なら、なんとか辛抱して聞き通すこともできるだろう。
 一方、着信音の場合はどうか? あくまで短い時間でしかも短い「単位=この場合、旋律に似た様な動機」からなる。ロマン派のシューマンの第3交響曲(ライン)の冒頭。この主題は、とても長い。仮にこの主題が着信音になったら?。聞き手はさぞかし、中途半端な気持ちで切らざるを得ないであろう。この主題は、ハイドンやベートーベンなどと違って長い。しかも旋律の区切りもはっきりしなく、流れるように変化しながら進んでいく。着信音の対象にはなりにくいであろう。
 一方、着信音の対象に逆になりやすいのは? 歌謡曲などは割合に短い旋律から構成されることもある。それに最後まで聞き通すことは前提としていないと私は思う。よく歌われている曲であっても1番の歌詞は歌えても2番の歌詞は歌えないことも多いのが、私にはその理由にもなる。この様に考えみると、少なくともクラッシック音楽で、長い主題の旋律は着信音には向かないと思った。
.旋律、動機、ことば との関係 2021年1月10日
2019年11月に、この項目の6について記載をした。2020年2月は、その7として、曲の途中の終始について記載をした。今回は元に戻りその8として日本語の歌詞を旋律などについて、記載をしてみる。かなり以前の記憶だったと思うがウイーン少年合唱団が来日し、その中継が放送された。ライブだったか録音だったかは不明だが。その曲目のひとつとして、日本の童謡が披露された。曲名までは覚えていないが、誰でも一度は聞いたことがある懐かしい曲だったと思う。たとえば、「ふるさと」などがその一つになった可能性がある。
 音色はもちろん男性の少年合唱なので、聞いた「音色」は印象に残った。しかしあくまでその時の「音色」でしか印象がなかった。音色としては恐らく印象には残ったのだが、日本語の歌詞を含めた「音」あるいは「曲としての印象」には違和感があった。というのも歌詞にともなう発音が、やはり日本語のアクセントとは微妙に異なるからだ。母国語となる歌と母国語でない歌とでは基本的に、どうしても異なる点があると昔から感じていた。
 クラッシック以外の分野でも、これはあてはまると思う。テレビ番組などで外国人が歌う日本語の歌謡曲がある。歌い手が上手い人はさすがに、日本人の歌とも区別は付きにくい箇所も多い。しかし大半は日本人の歌い手とは、やはり微妙に異なる点があると思う。音楽の分野は問わず、「ことば」と「音楽」を一体化で考えると、この当たりには「音色=ねいろ」 「音=おと」 「ことば→この場合の ことば とは抑揚やアクセントなどは伴わない視点」では色々と差があるように思える。

旋律、動機、ことばとの関係 9 2021年1月11日


 その1で掲載した「音楽の聴き方」の記述の中で、歌詞、音楽、ことば、旋律などについての記述は、やはり興味深い。この中の一部に今は亡き指揮者の K ベームが、R シュトラウスの 歌劇の中アリアの一つを披露した。その演奏での演目の歌詞は、ドイツ語でもオーストリアの言語になっていた。歌った女性歌手は、オーストリアの言語でとてもうまく披露し、指揮者のベームは絶賛した。その後、ベームは歌手に向かって「オーストリア訛りのドイツ語で(もちろんK ベームはオーストリア出身なのでドイツ語でも訛りのある言葉で)」歌手に向かって絶賛の趣旨?を含めた質問をした。しかしこの時の女性歌手は、ベームの質問の意味が全く分からなかったという。歌としての歌詞はオーストリア訛りのドイツ語で歌えても、会話としては全く通じない事情だったという。つまり歌手は、歌手としての技量は備わっていたが、一般の市中の人としての会話の能力は持っていなかったのだ。
 ハイドンの音楽をスコアとして知ることはできる。作曲された年代は250年以上も前の事だ。作曲された当時の音源は録音技術がないため、現代では知ることはできない。250年前の音は実際には、どのような音だったのか? ドイツの中の小さな田舎町、アイゼンシュタットはどのような音なのか? 建物は当時のまま、あるいは当時を忠実に再現されている箇所もある。建物としての構造あるいはもっと広い意味でのハード面では、ある程度、現代でも復元ができているかもしれない。しかし当時の実際の音はどのようなものなのか?その時にしゃべっていたドイツの人たちの「ことば=発音」は、どのようだったのか? 
 一方、その頃の日本のことば(発音)や音色、旋律はどのようなものだったのか? 約250年前の頃は江戸時代の中期から後期にあたる。海外とはオランダと中国以外は鎖国政策をとっていたので、海外からの情報は限られていた。日本語、音、楽器や音色はどの様になっていたのか。
 私的な経験になるが、1922年の生まれの小野田寛郎氏。戦時中はフィリピンのルバング島で過ごす。1974年の直属の上司からの命令で日本に戻る。1974年の帰還された当時、本人のインタビューの記憶が私には残っている。1945年から1974年までの29年間、日本としての本国との情報は入らずコトバが変わっているのではないか? 当時のコトバのままでインタビューで会見するのか? しかしその時の会話は、現代のコトバと殆ど同じだった。
日本語には口語分と文語文の2種類がある。文書として残るのは文語文も多い。特に戦前までの文書は文語文が多い。このため文語文の会話の可能性があったからだ。しかし文語文ではなかった。もう少し見方を変えて身内の会話を考えてみる。既に亡くなった父方や母方の祖父母は、明治の後半生まれ。故 小野田氏は1922年生まれだから、私の祖父母より若かった。祖父母でも1974年の当時、口語文で会話をしていた。祖父母は戦後から29年間、私と一緒に過ごす機会もあり会話もあった。日本国内で戦後から生きてきたのでルバング島のようなケースとは事情は異なるかもしれない。しかしコトバに関しては、口語文は同じだった可能性もある。
既に祖父母は他界した。祖父母がまだ幼かった頃、明治時代の後半、1900年頃は、どの様に、日本人同士で会話をしていたのか? 書物としては、文語文を中心に1900年頃の記録はある。音源はまだレコードがない時代だったので詳細は分からない。しかし、もし祖父母が存命したいたなら、ある程度この当たりの実際の会話や「音」「音楽」などについては知ることは可能と思う。
 

旋律、動機、ことばとの関係 10 2012年1月13日


1900年頃の日本語の発音に関して。下記のサイトに、発音としての日本語の変遷の記述がある。

http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2005/groupeF_jp.htm

これによると、明治時代には、教育とも関連して「東京語」が普通語として普及しているようだ。明治時代より前は、外来語はかなり少なかった。解体新書の翻訳に関して、今の医学用語の元にもなっている「神経」などもこのときに名付けられたと記憶している。約250年前の頃の江戸時代。日本語の文書は、文字としては残っている。しかし文語体で漢字が多く、まれにカタカナとひらがなが混じっているようだ。この通りに当時は、発音していたのか? 文語体とは違って口語体の文書もあるようだ。当時の人たちの日本語としての発音はどのようだったのか?
ハイドンの作曲したオペラなども、実際に、当時と同じような音が今でも続いているのか? 少し時代は経過するが、チマローザの「宮廷楽士長」のレビューを書いた。作曲年代はハイドンと同じ頃。曲自体も、とても面白い。スコアもあるが、これによるとイタリア語で書かれている。この歌詞は現代の発音と同じなのか? チマローザに限らず、ハイドンやモーツァルトのイタリアオペラも同様に当てはまると思う。250年前のドイツ語は、文語体と口語体との2種類があるのか? 中野博詩 著「ハイドン交響曲」の中でエステルハージ侯爵の契約書の写真があった。副楽長の就任にあたっての契約書の全てではないかもしれないが、ドイツ語のようなアルファベットの柔らかい形の文字の書体で書かれている。この文字は、今のドイツ語の口語体として読めるのか。日本語は文語体と口語体の2種類の文字があるのとは対照的だ。
NHKのラジオ深夜便を時折聴いている。12月中旬頃に放送された「日本の音」の中で、バンド演奏家「坂田 明」氏のコメントが面白かった。「ずばり日本の音とは何か?」の質問に対して「日本の風土」の一言で端的な回答だった。この質問の前後には、北海道のアイヌの話や沖縄からの入ってきた南方系の日本語なども論点になっていた。これらも加味すると風土の一つには、「日本語」が当てはまる。日本の民謡だけに限らないが、音として聞く限り、我々日本人は母国語としての日本語としての理解とセットになっている論点だ。
音楽の聴き方の中でも、ドイツ語と日本語の違い、音楽の捉え方の中の文節、区切りなどについての記述がある。文節や区切りは特に関係が深い。ヨーロッパの言語のな中で単語には、不定冠詞がついている。一方日本語は不定冠詞を伴なわないことが多い。不定冠詞が入ることで、コトバのアクセントや抑揚で、強弱が日本語と異なる。ここが一番の差になるポイントではないか?
旋律、動機、ことばとの関係 11  2021年1月14日

音楽の聴き方の中で日本の童謡「赤とんぼ」の例が記載されていた。本では、譜面は記載されていない。著作権のこともあって、つい最近までは楽譜が簡単に掲載できなかったようだ。しかしネットで検索してみたら、2016年に楽譜が解禁され、掲載が可能になったようだ。この譜例に日本語の歌詞をつけてみる。原曲はヘ長調らしいが、歌いやすくするために変ホ長調の記載も多いらしい。
この旋律は3拍子であるが1小節単位に歌詞もまとまっている。しかし仮に前置詞が入ったコトバとしてこの歌を聞いた場合、まったく日本語としては意味が分からないことになる。この本では、前置詞が入る例としてシューベルトの歌曲からの引用もある。前置詞が入ることで、特にドイツ語は、最初に弱から始まるケースが多いこと。日本語はそれに対して、余りない。
旋律、動機、ことばとの関係 12    2021年1月15日




赤とんぼの譜面の例は3拍子になっていた。3拍子と言えば、ハイドンの交響曲のMenuet の楽章にも当てはまる。全てのMenuet には当てはまらないこともあるが、前拍として最初に出だしの1拍めから、入ることも多い。
以下の譜面 No.53とNo.104の例。同じD調で楽器編成も同じ。2曲には前拍が入り、8小節単位な点は共通。No.53とNo.104は旋律としては、かなり類似していると思う。全拍の上昇する8分音符の短い動機。たまたまD調という同じ調性ではあるが、出だしから1小節前までは全く同じ旋律。Menuet の共通するように、8小節単位でうまくまとまっている。いずれに共通していることは、この場合、前拍から開始することだ。この前拍の概念は、日本人には、なじみにくいと思う。前拍がある原因は、その10にも記載した、前置詞が関与すると思う。前拍が前置詞に相当し、この箇所は弱い音に相当する。日本語には余りない手法だ。
以上、長々と、あちこちに飛びながら記載をしてきた。音楽の聴き方にも記載がしているが、音楽を聴くことと文字を含むコトバとはセットで認識をしていること。コトバの差が生じることにより、音楽の聴き方は、母国語によっても左右されることもあると思った。
 旋律、動機、ことばとの関係 13 「字幕と演奏」
NHKラジオ深夜便を不定期で聴取することが多い。早朝、4時代のコーナーで、映画字幕の翻訳で有名な戸田奈津子さんの放送があった。「日本の音」のコーナーで映画の字幕の作り方、映像と文字からの情報が主体の字幕との関係などについてのコメントなどがあった。外国映画を原語の音声(この番組では英語)を見ながら、日本語の字幕を見る場合のシーン。字幕で表示する時間と文字数には、適度な制限がある。俳優がしゃべっているセリフをすべて、逐語訳的に訳して表示することは不適とのこと。実際、字幕を見る場合、一定の時間で観客は字幕とスクリーンの文字を同時に見る。文字の表示が多すぎると、文字を追うことばかりにとらわれて、映像のシーンまでの理解が難しい。
 このため一定の制限の中で逐語訳でなくある意味、意訳をしながら字幕を作成していく必要がある。逐語訳でないので、意訳をするには登場する人物(性差、年齢など)はもちろん、その数も影響する。複数の人物がしゃべっている場合、どの人物をメインの字幕とするか? シーンに応じての日本語の使い分け(敬語など)も工夫がいる。しゃべっていないシーンでも、英語の文字の表現がキーワードになり、セリフでなくてもの字幕として表示をする場合もある。AIが発達していく可能性はあるが、感情表現も人間のベースにあるので、すべてが字幕の分野ではAIに任せられない話などもあった。
  ハイドンの自筆楽譜などは、テンポや奏法などあまり細かい指示の記載がされていない。何度かこのホームページも記載をしているが、スコアは作曲者のシナリオのようなもの。現代に生きる我々は演奏を通して、その作曲者の意図を知る。このため指揮者、奏者などが、楽器の種類、奏法、録音方法などを含めて、さまざまな解釈と表現がある。ハイドンの生きていた時代で特に、初期から中期にかけては、自前の楽団での演奏を主体としていた。このため楽譜に細かい記述がなくても、自前の奏者は、ハイドンの意図がそれなりに分かっていると思う。専属の写譜家もいることもあり、楽譜は必要最小限の記述でよかったと思われる。
 時代が下がって19世紀の後半などは、これとは対照的になる。作曲者は楽譜に細かい指示の記載が増えてくる。指揮者としてのマーラーなその典型で、過去の作品のスコアを自分なりに演奏の解釈を加えて、加筆をしているケースもある。
 話は元に戻って、この番組を聞いてみて、字幕を作成する作業が、これらの作業の逆になっていると感じた。すなわち映画を見ている観客にとって、字幕は作品を日本語として理解をする手段となる。字幕の役割は、限られた情報の中で的確に行う表現の一つになる。これはデータや表現の凝縮に一種になる。それに対して、当時の作曲の譜面から演奏するのは、データや表現の拡大となり、対照的な関係になると思った。
 
旋律 動機 ことば 14 「こどもの歌の拍子」 2022年12月23日

NHKラジオ深夜便は折をみてライヴ、あるいは聞き逃し聴取をしている。このコーナーで日本の音について興味深いコーナーが適宜、紹介されている。下記は 日本の風土と日本語に関する 私にとっては母国語の日本語と文節、区切りなどについて、レビューをした経緯がある。(以下のリンク)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1382.html

このレビューでは、不定冠詞を含むコトバのアクセントなどについて、コメントをした。ハイドンの交響曲をCDで聴き比べをレビューしている中、旋律とコトバ(日本を含むヨーロッパなどの250年前頃の当時のコトバ =文語体ではではなく当時の会話をしていた口語体としてのコトバ)については、興味を未だに持っている。
 ハイドンは、民謡から引用をあったようだが、当時の民謡についての記録は余り残っていないかもしれない。民謡があったのか、あるいは当時のハイドンの人気作品から編曲されて流通した歌曲はかなりあるようだ。詳細は分からないが、最近では交響曲 第53番の第2楽章を歌曲にハープなどに編曲しているレビューを記載したこともある。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1453.html

ハイドンの晩年は、イギリス滞在中にスコットランド民謡の編曲なども手掛けていた。交響曲からも民謡からの引用する旋律も多数あるようだ。
 民謡といえば、日本にも昔からある。私の経験から外観するに、得てして250年前頃の江戸時代(ハイドンの活躍している時期)についつい対比させていることも多い。一方、民謡と同じように童謡や文部省の唱歌などもある。
民謡、童謡、唱歌などのジャンルについて詳しいことは分からないが、歌詞があるかないかについては、かねてから興味を持っている。童謡や唱歌は、明治時代の頃からその名の通り歌詞を伴う。歌詞をともなうことは、すなわち、歌詞と旋律とは一体となっていたことにつながる。今のポピュラーな音楽は歌謡曲を中心に歌詞を伴う曲が多いのもうなずける。
 それに対して、明治前の頃の民謡あるいは童謡は歌詞を伴っていたのか? 歌詞がないと、原則、楽器のみなどのインストメンタルが基本となる。この場合、楽器たとえば三味線などを通じて代々、子弟制度などで、受け継がれていたかもれない。録音機材がない時代、正確に引き継がれていたのか? 日本の古い古典の雅楽は当時の音源を保っているとも聞いている。
文部省唱歌(作曲あるいは歌詞 不詳なども含む)は、今でも歌われているがインストメンタルとしてではなく、歌詞と一緒に受け継がれている。最近、気になっている。
歌詞と旋律に関して記載をしたのは、ラジオ深夜便で2022年12月20日 早朝に、 山本直純 氏のことに関して、放送があったのかが関連する。
2022年で没後 20周年。この放送では 同氏のある意味、自由奔放な家族しての裏話なども聴けて興味深い。亡父をレビューする息子山本祐之介氏のインタビューが中心ではあったが、小学5年生のたとえなども端的な表現の印象は今でも持っている。
 僅か約45分程度の短い時間ではあるが、私にとっては、色々な視点からレビューを自分なりに書いてみたい。しかし記憶の新鮮なうちに、ハイドンなどのクラッシックジャンルに関してブログとして記述した点を最初に書きたい。それは旋律、動機、コトバ としてのレビューだ。以前にも童謡の赤とんぼの3拍子のリズムに関して日本語のとしてのアクセントと区切りなどについてレビューをした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1383.html


ここでは 前置詞などを含めてレビューをした。 息子の山本祐之介 氏の話で、亡父のプライベートな生活なども含めて色々と話があった。有名な作曲家でもあり、童謡からクラッシックの現代曲や編曲(この場合は変曲の方が該当することが多い)、オーケストラがやってきた のテレビ番組など、多岐にわたっての話があった。この中で 子ども向けの歌で「1年生になったら」の例があった。
楽譜をそのまま記載するのは著作権のことがあるので、詳細はアップできないが。歌詞 まど みちお 作曲:山本直純 となっている。作詞と作曲は異なるが。今でも比較的知られている歌曲(かなり前なので、若い世代には童謡のように聞こえるかもしれない)作詞と作曲が異なるので、最初どの順番でこの曲ができたかは、私は分からない。しかし恐らく作詞が最初にあって、作曲がその後になったと思う。この番組の冒頭でも映画、「男はつらいよ」のテーマ音楽で作詞 は 星野哲郎、作曲は 山本直純の話があった。このとき、作詞が最初にあり、(ド ドイツ 調)のコトバの区切りなども含めて、興味深い話だった。
 この流れで行くと、一年生になったら の曲も作詞が最初にあり、その後、作曲がされたと感じたからだ。作曲にあたり息子の祐之介 氏は、もし この歌詞に大人が歌ったら、単に、同じ音符の流れになってしまう。一方、小学校に入学する直前の1年生にとっては、歌うことが想定されて作曲した。1年生が歌えるような、拍子で作曲したとある。大人と小学1年生の歌い方の違いについて、下記の様な雰囲気で歌詞と拍子についてのコメントだった。(下記の音符の 書き写しの図を参照)



大人の場合は、リズムが一定な状態。(4分音符と2分音符のみ)。一方、小学1年生
の場合は、付点が入るリズムとなる。一定のリズムと付点が入るリズムの違いにについて、大人と子どもの違いがある。こどもにとって、一定のリズムではなく、この歌詞の様に、楽しい雰囲気が表にある曲などは付点が効果的とあった。確かに付点があるかどうかで、わずか1小節単位の中でも歌の雰囲気ががらりと変わる。
 この放送の最後には「唄え バンバン」の放送があった。作詞は阪田寛夫 となっている。この曲も こども向けではあるが、歌詞と作曲とがうまくマッチしていると感じた。冒頭の童謡についての話に戻るが、少なくとも日本に関しては、童謡は歌詞が伴うことが多いこと。(このため童謡のインストメンタルは少ないのがその例)童謡は歌詞だけでなく、作曲あるいは歌と伴うことから、子どもにとっての歌いやすさに対しての工夫が、作曲の中の根底にあると感じた。
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 旋律 動機 ことば 15 「標題音楽と再生方法」 2022年12月25日

先ほどの「こどもの歌の拍子」の中で、1小節単位の拍子の中でこどもと大人の違いについて記載をした。これを受けてコトバから派生する標題音楽について考えてみたい。ハイドンの活躍した約250年前の頃の音楽は、様々にあったと考えるが現在、楽譜として残っているのは、宮廷音楽などのプライベートな演奏、あるいは公開演奏などで披露された曲。当時は多くの曲があったかもしれないが、演奏機会が少ない場合、印刷、出版もされないと淘汰されてしまう。実際に当時、どれほど多くの演奏された曲があったかは推定される個所も多いと考える。今でこそ、現代でも著名なハイドン以外のモーツァルトなどの作曲家は、少しずつではあるが、紹介され、その作品もCDなどで音源として登場されつつある。しかし数十年前などは、このような曲の録音は皆無に近く、知ることもできなかった。
 ハイドンの交響曲の一つをとっても、初期の頃の曲は、宮廷内では演奏されたことは確実だと思うが、自筆楽譜、あるいは筆写譜は限られた場所で保管され、生前に出版されることも殆どなかった。これを裏付ける一つの理由として、宮廷内の火事があげられる。エステルハーザで火事があり、このときに多くの自筆楽譜あるいは筆写譜が消失した。このために、当時の作品の詳細が分からない。火事から免れた作品から推定されて復元されているものもある。これは裏を返せば、当時から出版前の楽譜は限られた箇所でした保管、流通をしていなかった証のひとつになる。
 D ソロロモンス のNo.48の交響曲で、ライナーノートの武石みどり氏著の中で、エステルハーザから数マイル離れた候がキットゼー城で開いた祝祭行事が関連すると記述がある。 以下のリンク

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1499.html

以前から、No.48 はマリア テレジア との標題はあったが、現代ではNo.50の交響曲とされている。その代わりとなっていたNo.48は果たして、どのために作曲れたのかは興味を持っていたが、この記述興味深い。マリアテレジアの標題音楽は当時として知られていたのか、どうかは分からない。それより前のNo.6,7,8シリーズついては、ハイドン自身あるいは、雇用主であるエステルハージ侯爵が名付けた記述もあるようだ。交響曲ひとつをとっても、No.70のラウドンのような例を除いて、作曲者自身が命名する例は余りないように思われる。
 標題音楽は、タイトルとして、当然、コトバあるいは、コトバに伴う描写の情景などが根本になっている。庶民の識字率にも関与するが、身分の高い人を除いて当時は、文字が余り関係が少ないようだ。石井著 反音楽史のレビューで当時の一般の人の音楽に関する権威? あるいは識字率などについて記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-270.html

一般の人たちにとっては、音楽はめったにない機会として、18世紀の半ばあたりまでは君主の権威の象徴としての役割もあった。記録媒体がないためにその音源も伝承としては、口述筆記、楽譜、版画、絵画などに限られる。
ニール ザスラウ モーツァルトのシンフォニーの書籍の中で、モーツァルトの交響曲が同時どのように演奏されていたのか記述がある。この中の絵画などでイタリア 宮廷劇場などの絵画の写真があった。類似するような書籍やライナーノートなどで、私の知る限り目立って、新たな写真をみることは余りない。裏を返せば、当時の記録としての絵画あるいは版画のひとつをとってみても、後世に残るような数が残されていないと考える。

  標題音楽のイメージを文字として考えても、当時の作曲されていた時代は、たとえばNo.6の「朝」を例に挙げてみる。朝の単語は、ドイツ語では分からないがS クリイケンの CDのように、フランス語で輸入盤は記載されている。当時のエステルハージ候は、フランスに訪問もし、当時の貴族の公用語はドイツでさえフランス語が使用されていたことからもフランス語で記載をされていても不自然ではない。
 どのような言語であれ、「朝」としての標題音楽が、もし当時から命名されていても、「朝」のイメージはTPO(時間、場所、場合)などで大きく異なる。1760年代の朝といえば、映像としての記録媒体は限られ、紙は貴重で楽器も少なかった。筆写譜も含めた楽譜も限られている。標題音楽としての当時の保管方法は、「朝」の単語だけで象徴とした場合、一文字の単語でコトバを中心としてイメージが作られていったと考える。

なぜ、ここまで、長々と標題音楽について記載をしたのか? 前の記事では、山本直純 作曲「一年生になったなら」のリズムと拍子について記載をした。この番組の中で、大河ドラマの武田信玄についてのコメントがあった。氏は大河ドラマを2曲受け持った。その内の1曲は武田信玄のテーマ音楽と指揮を担当している。
NHK大河ドラマはテーマ音楽は昔は、クラッシック関係で著名な作曲家自ら指揮者として演奏していることが多い。(今は多少ことなることも多いが)このドラマ主人公は武田信玄で、ドラマの名称も武田信玄となっている。番組の冒頭でもタイトルロゴとして、武田信玄の4文字の漢字が登場する。
 原作が新田次郎のこともあり、「風林火山」もベースになっている。テーマ音楽も武田信玄というよりは「風林火山」をイメージさせこのコトバの順番を踏襲するかのように、風→林→火→山 の順番で音楽も構成されている。標題音楽としての一面もあり、風林火山の映像と音楽とは混然と一体感がある。音楽と映像の一体感を持つ要因は、初演当時はドラマの画面として映像と音楽とが一体になったことが決めてとなっていると思う。過去の大河ドラマは自分でも気に入っていて、ビデオテープに今でも保管しているが、約50回継続する画面は、シーズンの前半と後半で変わらないものの、ドラマの切り出しとして続いてみても飽きがこない。これは今でも同じ気持ちになっている。
 初演のときは、NHKの大河ドラマとしての生放送なので、当時は、映像として披露されその後、DVDや、テーマ音楽 CDなどもその後に発売された。しかし最初はテレビの映像としてのイメージが先行する。風林火山の標題としてのイメージは映像と音楽とが一体になっている。初演当時、映像としではなく、音楽のみが先行して紹介され、その後、ドラマとして登場した場合。音楽はどのように私なりにイメージをしていたのか? コンサートのプログラムで世界の初演でプログラムのタイトルのみが記載され、コンサート会場で初めて、この曲を聴いた場合。自分なりにイメージした標題あるいはタイトルから、作曲者の過去の作品プロフィールなどをもとに、初演の曲に対してのイメージを持つ。このイメージをもとに、コンサート会場に出むき、初演の曲を聴いて「自分と同じイメージだった あるいは 異なった」などの感想を持つ。
 それに対して、初演当時、映像だった場合、音楽は先行していない。このため自分なりに音楽を初演で映像として聴くか、音としてのみ聴くかによって、音楽に対しての感じ方も異なる。この番組の中で、山本直純が作曲している途中に、息子に演奏あるいは作曲方法について質疑応答があった。風をイメージする奏法について、vc.を演奏する息子に、ハーミニックスの提案があった。過去に膨大にこのテーマ音楽は聴いた記憶があり、各弦楽器のハーモニクスは第2部の林の部分で登場することは承知をしていた。ところが、この番組では第1部の風の部分にも、弱音ではあるが、ハーモニックスの部分が先行して登場する紹介があった。何度も冒頭から聞いていた音楽だが、冒頭から注意深く聞いてみると僅かではあるが、弦楽器のハーモニックスが登場している。
しかし、今までこのことに気づかなかった。注意深く聞いていなかったが原因かもしれない。風のイメージは第2弾に続く、柔らかい雰囲気の音+騎馬として登場しない馬のみと林の中に差し込む光 などがある。このイメージがメインとなり、ハーモニックスの風の音は、第2弾のみと思っていた。第1弾からすでに風の旋律が入っていた解説を聞いて、弱い音量だった
ハーモニックスは第2弾で、大きく花開くことにもつながる。時代を経て、しかもラジオとしての音源でこのことを知った。逆にもし、この放送が映像としてこのテーマ音楽が再放送で登場した場合、ここまでの第1弾のハーモニックスのことまではイメージしにくい。音声としての放送は時間を経ることで、音声と映像としての関連を考えさせられた。
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旋律 動機 ことば 16 「標題音楽と再生方法 続き」

山本直純氏の続き。ラジオ深夜便の「男はつらいよ」のテーマ音楽で、ド ドイツの歌詞から作曲。このときに、日本語の歌詞をベースとしているので、音程も日本語で用いられている音階などの話もあった。男はつらいよ では、音階と歌詞の話が中心でリズムについては余りコメントはなかった。
 
 私のレビューで「男はつらいよ」の作曲に関して、作詞が最初にあり、その後、作曲が続いたと記載をした。確かに下記のブログによると、この順番は正しいようだ。このはステージのそばで一気に書き上げたとある。ただ、その後、作曲した旋律が少し長くなり歌詞を合わないことから、歌詞の一部に繰り返しがあっとある。
詞が最初にありながらも、作曲がその後に続き最後は、作詞がまた補完してできあがったことになる。作詞が最初にありながらも、最後は作詞と作曲が一緒に出来上がった経緯が分かる。


https://history-of-music.com/naozumi-yamamoto


私のレビューのように、リズムについては、本人はとてもリズム感があったとの記事もある。前のレビューで大河ドラマの武田信玄についても当てはまる。起承転結の4つの場面で構成され、冒頭から行進曲のような短調のマーチから開始。最後は、山の場面で合唱を伴ってダイナミックに終了する。大河ドラマの演奏時間は、当初は時間が短かったが、その後カラー放送となり、このあたりからテーマ音楽の時間も長くなる。作曲者にとって、極端に短い時間の場合「池辺晋一郎」も以前、大河ドラマのテーマ音楽に関して、「もう少し、長い時間が欲しい」とのコメントもあった。その後、時間も長くなり、作曲家にとっては、長い持ち時間を生かして、色々と工夫ができる。

リズムと音階などについての記事は興味深い。 ぶらあぼ の記事を参照


https://ebravo.jp/archives/122358

上記の記事では作曲家の兄を含めた二人の息子たちの写真があるが、父親の面影を顔写真から、忍べる雰囲気が漂っている。マグマ大使にも子どもが泣けるコードが入っているなど、人が喜ぶ感性を重視していた。深夜便の放送でも、亡父が生前息子の指揮?に関して、「どのようなコンサート?」だったのか感想を尋ねる部分があった。息子の方は、てっきり指揮あるいは奏者だったか?としての でき、 不出来などについての感想について、回答した。そうすると、父 直純は「聴衆に対してのでき 不出来。コンサートが楽しかったのか。そうでなかったのか?」を聞きたかった回答だった。それほど、本人は、聴衆に対しての反応を重視していた証にひとつとして話があった。
 音楽、すなわち「音を楽しむ」 「日本のバーンスタイン」などに象徴されるように、生きていた印象と合点する。以上、旋律、動機、ことば と、少し離れた感想に終わりそうだが一区切りとしたい。
 旋律、動機、コトバ  16(拍子とテンポ 日本の昔話などから) 2023年2月13日 アップ

コトバの流れから拍子とテンポについて記載をしたい。今回も例によって、ラジオ深夜便の2023年2月9日 の放送の中から、口承文芸学者 小澤俊夫 氏。指揮者 小沢征爾 氏の実兄。現在92歳だが、昔話と旋律などについての点を中心に記載する。昔晴らしを伝承する方法の一つとして昔は「いろりばた」があった。ラジオなどのメディアがないので、語る方法は伝承のみ。日本を含む海外でも録音媒体のない状況は同じ。伝承の場面では聴き手と語り手の両者がいるのは共通。語り手にはリズムなどがある。
昔話の伝承は文字としては残るが楽譜としては存在していない。リズム、音程の記録はあるか? リズムあるいは、スピードなどは、文字として記載ができるかもしれない。しかし楽譜のように音程までの記録が日本ではないと思う。(日本の仏教の「お経」には、休符、抑揚、などの記号があるが、これは後世につけられたものか?)
 音楽あるいは音源としてのコトバとの関連を考えた場合。ことば自体は楽譜としての存在がない。録音媒体がないと当時の会話あるいは文字の記録で音程、休符、強弱、拍子などの記録が困難になる。その結果、当時の昔話は口述伝承になる。
口述伝承の大家である著者の視点から今回は記す。 文字としての本から語り口を語るとは違い、語るの視点。(昔話の再話=
さいわがキーワード)

 語りの中での旋律とテンポの中で、モーツァルトのk331第1楽章のピアノソナタの冒頭の主題、シューベルトの子守歌などが例にあった。生の声の魅力が根底にある。昔話で同じ場面の場合、同じコトバが繰り返すのは共通。音楽でも繰り返しがある場合と共通している。語りと拍子についての中で、ピアノソナタと子守歌の拍子あるいはリズムが類似。雰囲気はもちろん似ているが、日本の遊び「けん けん ぱ」「赤ちゃんを とんとん たたいて→ 落ち着かせる動作」と共通しているコメントがあった。
旋律などを書き写してみるとたしかに類似している。ピアノソナタは歌曲ではないので、歌詞がつかない。子守歌の方は、原曲はドイツ語の歌詞があるが日本語でも歌われていて、旋律の切れ目などを含めて、うまく和訳されていると思う。(このあたりは以前、旋律、動機、コトバなどに関連したポイントの一つにも共通する) ケン ケン パ についても雰囲気は似ている。 
ところがこの時には、放送にふれることがなかったが、テンポも重要になると思う。ピアノソナタ、子守歌、けんけん ぱ では、いずれもゆっくりとしたテンポ。しかし けん けん ぱ のリズムがもっと速いテンポだった場合は雰囲気が異なる。類似した拍子に 3 3 7 拍子がある。日本の中ではネットで調べたら 大正10年 1921年の 発祥らしい。応援歌としては1921年だが、それ以前に使用されていた可能性もある。日本の農耕社会の伝承との関係などにも下記にブログに触れられている。

https://goonies.site/3292.html

また、頭打ち、裏打ち、何拍子かは、民族によって決まっているらしい。休符をはさむのは共通している。
 休符の有無、裏打ち、頭打ちで変わる。テンポによってもコトバのまとまりが異なる。
旋律、動機、コトバも、テンポを含めて考えることが必要と感じた。
 旋律、動機、コトバ 17 「ファンファーレと音楽の切れ目の関係」

以前、ハイドンの交響曲と携帯電話の着信音の関係について、レビューした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1300.html

 ここでは、ハイドンが作曲していた交響曲の時代、エステルハージ侯、あるいは、パリやロンドンの聴衆に対しては、初演に近い交響曲を通して聴いていたこと。これにともない、曲を途中で聞き通せない。これに対して現代のわれわれは、色々なジャンルの曲が好きなところで再生できる環境にある。これにともない携帯電話の着信音は、途中で閉じられてしまうことが前提になる。ハイドンの交響曲を含むクラッシック音楽は、最後まで聴き通すことに対して着信音のジャンルはポピュラー音楽、歌謡曲などが適するのではないかと記載した。
 NHKのラジオ深夜便は機会があれば聞いている。7月8日の未明の番組、「にっぽんの歌こころのうた 熱闘ブラバンアルプス甲子園」を聴取した。この放送は、高校野球の甲子園球場のブラスバンドの応援歌の特集番組だった。このジャンルについては私は余り詳しいことは分からない。対戦相手同士が、応援歌が重なってはいけないのが原則のようで、攻撃側のときのみに演奏すること。(それに対して、プロ野球では攻撃側でないとこも多少は演奏するかもしれないが)高校野球のブラスバンドのルーツは東京の6大学野球とのこと。私にとっては新しい知識を得た。
 午前3時台は もともとにっぽんの歌がテーマになっているので、ブラスバンドの音楽としての話になる。もちろん、アナウンサーのコメントの間にファンファーレをふくむブラスバンドによる演奏が放送される。攻撃側なので攻めて行く側のチャンスがテーマとなることが多い。番組のエンディングはコンバットマートだった。
上記のブログの中で応援歌のルールについての記載がある。(以下 一部引用)「当時の応援スタイルは、ブラスバンドの伴奏で校歌や応援歌を歌い、拍手と声援で盛り上げる手法が主体でした。応援歌は数多くあり、そのひとつひとつに長々とした歌詞がついており、テンポは比較的ゆっくりとした行進曲調のものがほとんどでした」

 それに対してこの応援歌を含むブラスバンドのファンファーレのスタイルに代わると、様々な曲が登場した。下記のホームページのように、アニメなどを含む様々なジャンルからのアレンジなどが販売されている。

https://www.universal-music.co.jp/braban-koshien/products/uicz-4642/

私は、このCDを購入していないが、曲目からして原曲をもとに、様々なジャンルがある。収録の曲数などを考慮すると、1曲あたりの時間は比較的、短い。応援歌は攻撃側からスタートする。ピッチャーの投球練習などもこの間に多少は入るので、攻撃側から開始する応援歌は、一定時間、区切りの良い所まで演奏が終了すると考えられる。
しかし一方では、攻撃側の得点が負けていて、チャンスになった場合もある。しばしばあるのは、ヒットなどで走者が塁にでて、期待ができる打者が登場。チャンスとなった打者への応援歌が登場するケース。ここでたとえば No. 37 の狙い撃うち などが適するかもしれない。CDでは全曲がこの曲で収録されている。打者の攻撃がある程度、粘って打席が長い場合は全曲を通しての演奏になる可能性もある。長い場合は繰り返しが続くかもしれない。しかし攻撃が長い場合とは限らない。打者が登場し1球目で凡打に終わってしまうケースもある。その場合は、応援歌はすぐに中断されてしまう。これはあたかも携帯電話の着信音を途中で切るような雰囲気にも似ている。
 過去の自分のレビューで着信音として採用されるジャンルとして記載をした。この時はポピュラー音楽などがその例の一つと記載した。このような応援歌などは、ある意味、途中で終了してしまうのが前提で編曲されていると思う。応援歌がベースになっているので、テーマとなる原曲はもちろんあるが、行進曲風の付点を伴うリズムなどが随所に登場するのは、甲子園とは限らないがブラスバンドではよく登場するのは共通した手法であると思う。曲が途中で中断することも前提で応援歌を編曲者が作曲していると思った。

 岡田 暁生 著 「音楽の聴き方」は興味深い記述が多い。日本の歌謡曲、ポピュラー音楽とクラシック、日本の雅楽などの対比もその一つになる。クラシック音楽の古典派からロマン派初期の音楽が作曲されたのは、1770年頃から1820年の最初の頃。今から約200年余りの前。日本では江戸時代の後半から終わり頃にあたる。当時は録音媒体がなかったので、どのような音楽が音として実際に存在していたのかは、正確には分からない可能性もある。音楽の聴き方は様々に考えるかもしれない。この著書の中で、聴き方の一つに「内なる図書館」のキーワードがある。

音楽の聴き方では、「内なる図書館」がキーワードの一つになっている。音楽だけではなく、芸術鑑賞の分野では波長があうことが必要になる。自分の感じている受信機の中に、あらかじめセットされていない周波数に対しては人は殆ど反応できない。新しい音楽の出会いとは、これまで知らなかった自分との出会いになる。これまでどうゆう音楽に囲まれてきたか。どのような価値観をそこから植え付けられてきたか。それについて、どういう体験から、どうゆうことを吹き込まれてきたか。一見、生理的とも見える「相性」は実は人の「内なる図書館」の履歴によって規定される。内なる図書館とは私たちがその中で育ってきた環境そのもの。
芸術談義における相性の問題は、時として多大の皮膚を傷つけるような摩擦を起こす、反対にぴったりあったときは、うれしくなる。たかだ相性。されど相性。相性の良し悪しは私たち一人ひとりのこれまでの実勢そのものに関わってくる問題ともいえる。

(タグとして 2024年3月5日とする)
 小澤征爾、武満徹の「音楽」 新潮社 の本の中に、ピアニストの演奏の仕方についての記載があった。ピアノのコンクールが典型的な一つだと思うが。ある聴衆の一人が、ピアノコンクールの演奏に関して、音色や解釈などを比較することがある。聴衆は同じ会場で、奏者は代わる代わる連続して同じ課題曲を弾く例を想定する。その場合、聴衆している場所やピアノはすべて同じ。このため、聞こえてくる音色は、演奏するピアニストのみの差になってくる。ピアニストの音の違いを聞きわけることが可能になる。
 海外を含めた著名なピアニストの音色を聞き分けたいこともある。この場合は、著名なピアニストはおそらく、同じ会場で同じピアノ、同じ曲を弾くことはまず考えられない。著名なピアニストは聴衆からチケット代を支払ってでも、会場に参列する。ピアニストの演奏が目玉だから、複数のピアニストは通常は余り、一緒には出場しない。曲目が同じ可能性があるかもしれない。しかし聴取する会場が異なるかもしれないし、聴取する人そのもの時間や体調なども変わっている。ピアンコンクールのように著名なピアニストの音色の変化を聞き分けることには、ある意味、制限があることが多い。
 幸いにも、この本の中で著名なピアニストの2名の音色の変化についての体験談があった。 約50年前の出版なので、2名のピアニスト( R ゼルキン、M ポリーニ)は、まだ若い頃だった。ある会場で2名のピアニスト以外に、小澤征爾、武満徹を含む国内のピアニストなどを含めての会場。その会場では同じピアノを使用し同じ曲を2名が弾く。弾いた曲は武満徹が作曲した曲のひとつ。その場所に参列した聴衆は、まったく同じ条件、すなわち曲、ピアノ、演奏会場に差がない。それでも2名のピアニストの音色に大きな差があったという。今では贅沢な演奏会だと思うが、当時から著名な日本の指揮者と作曲家の2名が一緒に遭遇していたので、このような企画が実現したのではないかと思う。


(タグとして 2024年3月6日とする)
 旋律・動機・コトバ 21  指揮者と舞台監督 1


この著者(音楽)ではピアノの音色に関連して、小沢自身の過去の体験、指揮者としての考え方に触れられている。指揮者はスコアから聴衆へ演奏というライヴの会場で音として伝える役目がある。スコアと演奏との関連から昔の体験の話がある。まだ小澤自身が学生になる前の若い頃の東京にいたとき。学校の教諭から夏目漱石の「坊ちゃん」の読書感想文を提出する課題があった。感想文を文書で提出したのか口頭で発表したのかは不明だが。教諭は「書籍」としての小説を読むように指示があった。しかし小澤は一応、書籍は購入するものの、感想文の提出が面倒だった。たまたま都内の映画館で「坊ちゃん」を題材にした映画が上映されていた。仲間と一緒に、書籍を読む代わりに、映画を見れば、簡単に済むと思って鑑賞した。
 感想文の発表のときに、教諭が小澤を指名する。教諭は小説の中の主人公の赤シャツについての人物像を質問する。赤シャツの柄とか主人公の身長とか。小沢を含む、複数の発表者にこれらの質問をしたところ、まったく同じ回答があった。教諭は不審に思い「映画を見たものは正直に挙手をしろ」という。すぐさま小沢を含む数人の生徒が挙手をした。これを受けて教諭が説教する。「映画は映像と音声で作られたもの。原作の本から監督がイメージして作りあげたもの。主人公の赤シャツの身長や柄などは監督が考えたもの。なぜ、原作の本を読むように指示したのか。それは文字としての文書から、各自がそれぞれのイメージでもって赤シャツの身長や柄などを考えることが大切だから」

(タグとして 2024年3月7日とする)
 旋律・動機・コトバ 22  指揮者と舞台監督 2

文字として存在するだけでは、読者は過去の知識、経験などをもとに、主人公や内容を自分なりに考えていく必要がある。この方法が読むことには大切なことにつながるエピソードだった。これを受けて、スコアと演奏家あるいは指揮者についての類似性があると思った。自筆楽譜あるいは印刷物としての出版物としてのスコアは存在する。スコアを現代人でも見ることは可能である。スコアはパート譜と異なり、曲の流れが全体としてわかる。しかしあくまで文字としての存在で、音としては存在していない。作曲家は演奏されることを想定してスコアを書くが、聴衆は演奏を通して初めて、曲を音として知り、その面白さがわかる。交響曲の場合の例では指揮者は奏者が一人、あるいは複数いるのか。どの楽器の種類(古楽器、モダン楽器の違いなど)、各パートの奏者数、ステージでの配置などの環境的な配慮。スコアに書いてある指示をどこまで細かく、あるいは場合によっては省略しながら、テンポや楽器の音色を変えていく。環境面や演奏する方法などを含めて聴衆に聞こえるように伝える役目もある。
 指揮者はある意味、映画、舞台監督とも同じような立場にある。映画はほぼ永久的に記録、再現ができる。これはCDやDVDでも同じ。ところがライヴの演奏会場と録音ができない舞台ではどうか。これらは記録ができないのである意味、一発勝負となる。ライヴならではの緊張感が目玉となる。ライヴをとるのか、CDやDVDのどちらをとるのかは、聴衆の各自の考え方、TPOによる影響など様々なパターンがあり一概に決められない。いずれにしても指揮者と監督とは、共通した面があると考える。指揮者はスコアからの演出。舞台監督は原作あるいは台本からの演出。指揮者も舞台監督も参列者へ視覚を含めた情報を提供する役目があるからだ。


(タグとして 2024年3月8日とする)
 
ハイドン 67番 第2楽章の最後の部分に弦楽器の奏法でコル・レーニョ・デラルコ=弓の反対側の木の部分で叩くこと の箇所がある。指揮者がこの奏法を記述している。この奏法をどのように指揮者が指示するのか?
 p の指示ではあるが、指示通りに p で演奏すると弦の弓で弾くことよりも、どうしても音量が小さいので聞こえにくい。(第2楽章の冒頭は第1vn.が主題を演奏するが p の指定。しかも弱音器を最初からつけている)コル・レーニョ・デラルコの指示の部分は聞こえにくくても、音量を抑えて奏者に指揮者は指示をするのか? さらに音量を抑えるために、弦の奏者を最大の人数から奏者の数を減らすのか? 弓をどの部分の位置を使用して音色や音量を調整するのか? これらひとつをとってみても指揮者の判断にゆだねられる。
交響曲を単にスコアを見ないで聞き流している場合、この指示の箇所は余り目立たない。弱奏が多く比較的長い第2楽章の最後の部分。次の第3楽章に備えて「ようやく終わりになりそうだ」と思う安心感あるいは安堵感などが入る可能性もあり、目立たない部分の一つにもなりがち。
しかしスコアを見ると、意外な仕掛けがある部分の一つになる。約104曲ある交響曲の中でも普段は後期の92番あたりからの演奏の機会が多い。No.67などは演奏の機会も少ない。日頃、聞く機会も少ないため、演奏家の違いによる比較も余りない。それでもスコアという印刷物を通して、作曲家のイメージを我々は、少しでも知ることができる。最低限スコアを読むためには、和音、イタリア語などの音楽用語は最低限でも、理解をしないと判断が難しい。音楽は国境を越えた言語といわれることがある。しかし少なくともハイドンの交響曲を理解するには、最低限のことばを含めた知識が必要となると例の一つの箇所と感じる。

(タグとして 2024年3月9日とする)

No.67の交響曲 クランプのレビューにも再掲する
旋律・動機・コトバ 23   
岡田暁生著 「音楽の聴き方」には興味深い記述が多い。日本の歌謡曲、ポピュラー音楽とクラシック、日本の雅楽などの対比もその一つになる。クラシック音楽の古典派からロマン派初期の音楽が作曲されたのは、1770年頃から1820年の最初の頃。今から約200年余りの前。日本では江戸時代の後半から終わり頃にあたる。当時は録音媒体がなかったので、どのような音楽が音として実際に存在していたのかは、正確には分からない可能性もある。音楽の聴き方は様々に考えるかもしれない。この著書の中で、聴き方の一つに「内なる図書館」のキーワードがある。
 有名なベートーベンの第5交響曲 日本では「運命」の副題としても知られている。恐らく大半の人はこの動機の冒頭は知っていると思う。学校の音楽の時間でのクラシック音楽の有名な曲の一つとしても知られている。学校の授業以外に、テレビやCMなどの音としても知られている。その冒頭の動機は下記の通り。交響曲としては、全ての楽器が音程は異なるが、1オクターブなど離れているが、動機としては全て同じ音を鳴らす。意外に知られていないかもしれないが、この楽章の主題の一部ではあるが、冒頭の部分はこの後に登場する動機の序奏に近い役割。冒頭の動機は主題の一つではある。第1楽章全体が、この冒頭の動機やこの後に登場する動機の主題とも相まって形を作る。

(タグとして2024年3月13日とする。)
 旋律・動機・コトバ 24 

クラッシック音楽、特に交響曲などの長い曲については、聴き方に一定の基準があると思う。その基準のひとつに聞き方の順番と切れ目のないという法則があるからだ。ベートーベンの登場する前の1780年頃までは、交響曲は一部の宮廷の中で演奏される機会が多かった。
交響曲の父と今ではされているハイドン(1732生〜1807歿)は100曲以上の交響曲を作曲した。しかし1780年頃までは、現代のサラリーマンのように、会社員だった。(会社員といっても就任当初から管理者だったが) 作曲した交響曲は社内のエステルハージ侯爵の中での演奏が主になっていた。それでも一部の手書きの筆写譜など貴族の間で流通していた。しかし印刷物としての出版はまだ余り数がなかった。銅板印刷などで出版も少しずつではある流通はしていたようだ。しかし材料となる紙も高価だった。欧州では識字率も低いこともあって、印刷物として庶民は見ることが難しい。その分、一部の裕福な貴族が所有する手書きの筆写譜は、ある意味ステータスのような価値をもっていた。
1780年頃からハイドンは出版社と契約し、印刷楽譜としてその交響曲が少しずつ知られてくる。オーストリアからフランス、イギリスなど他の国にも楽譜と共に、演奏される機会が増えていく。また宮廷という貴族を中心とした限られた人々だけでなく、少しずつではあるが音楽に興味のある市民にも知られていく。

(タグとして2024年3月14日とする。)
 旋律・動機・コトバ 26
ところで1780年頃までの西洋音楽は、交響曲は主に演奏される機会はあった。しかし当時はイタリアなどが代表とされるように声楽を含めたオペラなどがメインとなっていた。奏者の少ない室内楽は、宮廷内の少人数で限られた人だけの作曲が多かった。
交響曲の歴史を調べてみると、複数の楽章を伴った器楽のみで演奏する交響曲は少しずつ広がっていた。しかし多楽章とは言え演奏の中で各楽章が初めから通して演奏されることは余りなかった。典型的な例の一つとして、モーツァルトの生きていた演奏会のプログラムで4楽章の交響曲の演奏がある。演奏会の開始直後に、最初の3楽章が通して演奏された。しかしその後に続く曲は、同じ作曲家、あるいは他の作曲家の声楽曲、協奏曲、合唱などが入ってくる。最後の締めくくりに、御開きのような位置づけで、最初の交響曲の最後の楽章が終わるプログラムがある。
コンサートでは交響曲の中心とはならなかった。交響曲は、絵画で例えると絵画の中の外側にある額縁のイメージの一つとされていた。交響曲は通して聴く存在ではなかった。絵画の額縁の役割のように、ある意味、オペラや声楽曲よりも低い位置づけになっていた。
(タグとして2024年3月15 日とする。)

2024年3月17日 追記。 画像ファイルを追加。

 旋律・動機・コトバ 25
ところで1780年頃までの西洋音楽は、交響曲は主に演奏される機会はあった。しかし当時はイタリアなどが代表とされるように声楽を含めたオペラなどがメインとなっていた。奏者の少ない室内楽は、宮廷内の少人数で限られた人だけの作曲が多かった。
交響曲の歴史を調べてみると、複数の楽章を伴った器楽のみで演奏する交響曲は少しずつ広がっていた。しかし多楽章とは言え演奏の中で各楽章が初めから通して演奏されることは余りなかった。典型的な例の一つとして、モーツァルトの生きていた演奏会のプログラムで4楽章の交響曲の演奏がある。演奏会の開始直後に、最初の3楽章が通して演奏された。しかしその後に続く曲は、同じ作曲家、あるいは他の作曲家の声楽曲、協奏曲、合唱などが入ってくる。最後の締めくくりに、御開きのような位置づけで、最初の交響曲の最後の楽章が終わるプログラムがある。
コンサートでは交響曲の中心とはならなかった。交響曲は、絵画で例えると絵画の中の外側にある額縁のイメージの一つとされていた。交響曲は通して聴く存在ではなかった。絵画の額縁の役割のように、ある意味、オペラや声楽曲よりも低い位置づけになっていた。
(タグとして2024年3月17 日とする。)

2024年3月17日 画像ファイルを追加
 旋律・動機・コトバ 27 
通して聴くというのは、音に対する考え方あるいは、価値観にも関係する。過去の固定電話は、着信音が変えられないので、出先などの電話は同じ種類の音だった。しかし携帯電話などが普及すると、着信音が各自の好みで設定できる。外線から内線へ切り替えている保留の音も電話の設定で変えられる。着信音や保留音は所詮、途中で切られてしまうルールがある。
クラッシック音楽の旋律がこれに当てはまるか? 昔から知られているポピュラーな曲(ベートーベンのピアノの小品「エリーゼのために」 ビバルディ 四季の中のワンフレーズ など)を私は思いつく。しかし他のジャンルの曲と比較すると着信音しては使用されていないと考える。その理由は、途中で切断されるためと思うからだ。着信音や保留音は、所詮切られてしまうルールの雰囲気にあった曲が適している。裏を返せばクラッシックの交響曲のように、最後まで通して聴く旋律は適さない。

タグとして2024年3月17日とする。)
 旋律・動機・コトバ 28
音楽は国境を越えた言語という、昔?からのことわざがある。ことばの異なる外国人が演奏しても、日本人にはその「音楽」という共通な言語として理解ができるか? この音が共通な言語としてたとえられるのか? しかし音楽を共通するルールとして聴き方があると思う。
 またベートーベンの第5交響曲の話に戻る。有名な冒頭の動機。この聴き方をどのように、人は聴きとるのか? 恐らく黄色い枠のような4分音符3つとその後のフェルマータの表示になる長い旋律で音としての塊をイメージする。仮に、4分音符の一部を区切って、二つの動機をイメージしたら? ややこしくて、混乱するばかりになってしまう。黄色い枠の1つのイメージの2つが続くことになる。短い動機が2回の繰り返しがある第1楽章は、この動機を中心に展開されていく。動機自体は歌うような旋律とは無縁。一般的にはテンポがゆっくりで切れ目が少なく、流れ行くような長い旋律が、謡うようにイメージをされるであろう。
それに対してベートーベンのこの動機は、テンポが速く短く刻むような短い単位となっている。この動機をもとに、展開された第1楽章。冒頭から黄色い枠を誰もがイメージしてこの楽章をイメージする。ソナタ形式では第1主題と第2主題の2つが提示部で登場する。得てして第1主題と第2主題が、調性、テンポ、旋律などが異なることもある。しかしこの楽章では第1主題は、はっきりしない。あたかも第1楽章は単一の第1主題で終始する。
 さらに加えて、第3楽章の冒頭の主題は、第1楽章の動機に類似し、リズムを変えているもの。第3〜第4楽章の切れ目のブリッジの部分で、第3楽章の冒頭の主題が一部、回帰する。交響曲を通して聴いてみると、あたかも第1楽章の動機を中心に、展開していると恐らく誰もがイメージする。楽章の間を切れ目なく通して聴くこと。第3楽章と第4楽章の間にブリッジのように、第3楽章の動機が回帰してくる手法。Finalの最後の締めくくりは大きな音量で長調の明るい調性も加わり、ハッピーエンドのような雰囲気で終わる。多くの人は、この交響曲を最後まで「通して」演奏することに満足する。


(タグとして2024年3月18日とする。)
 旋律・動機・コトバ 29
 以上、主に切れ面のない音楽の観点からクラッシック音楽の位置付けについて記載をしてきた。NHKだけに限らず民放を含めてラジオを聴取する機会も多い。日本の良く聞かれる歌謡曲はリクエストに上がり、しばしば聞く機会も多い。しかし最初の部分までの放送で曲が途切れるケースも多い。自分の好みにある歌手あるいは作詞、作曲家であれば、出だしだけでなく最後まで通して視聴あるいは聴取する機会もある。
しかし多くに人々にとっては、聞き方も様々。歌手や作詞・作曲家も人によって興味は好みが違う。個人の記憶の範囲もある程度、限られるだろう。好みの歌などを最後まで聞く機会がないことも余りない。合わせて最後まで好みの歌を記憶することにも限界がある。また歌手が表に出ていることが多く、背後にありがちな作詞・作曲家は余り目立つ存在とは言い難い。歌手の「美空ひばり」が歌ってヒットした「川のながれのように」この歌をテレビで見るなりラジオで聞く機会があるだろう。この歌の作詞・作曲家は誰か? 回答できる人が少ないと思う。
 かつて、民放の歌謡曲のコンテストのような番組で最後まで間違えなく唄ったら優勝あるいは、賞金がでる番組もあった。歌謡曲は作詞・作曲家と切り離されているイメージも多い。(自作自演のシンガーソングライターは別になるが)このような事情などから歌謡曲は一般に、最後まで聞きとおす曲には適さない可能性があると思う。その分、携帯電話の着信音のように、途中で切られてもある程度、構わない歌の一つだと私は思う。

(タグとして2024年3月19日とする。)
 旋律・動機・コトバ 30
音楽の聴き方の中で「内なる図書館」、あるいは 「波長の合う受信機」の用語が出てくる。どちらも同じような意味でジャンルを問わない音楽の中で自分に波長の合う音楽のたとえとしての用語になる。この説明の中で日本の雅楽や現代音楽が分かり難いなどの話もある。聴き方に関しては、人間の五感の中の聴覚がメインとなる。ライヴでは視覚を含めた、人間の五感が入ってくる。五感を含めて、この用語の成り立ちを考えると複雑になると思う。このため、聴覚を中心としたこの用語について考えて見たい。
 人間は生まれてから最初は視覚からの情報が少なく、聴覚の方が入りやすいと考える。実際、誕生直後はよく見えない。聴覚からの情報は、誕生直後は言語を含めた社会的な情報は、誰もが入らない。ある意味、どのような母国語の環境であっても、誰しも同じような情報で処理をされていると思う。しかしながら人間は、社会関係の中で育てられていくので、周囲の人からの関わりが誕生直後から入ってくる。この情報の入り方は様々かもしれないが、言語を伴うことも多い。赤ちゃんをあやす時も、体を動かしながらも 目を見つめながらコトバをかけることもその一面となる。
絵本の読み聞かせも視覚からの情報もあるが、聴覚からの情報もはいる。聴覚の情報の処理の仕方はどのようにされるのか? 

(タグとして2024年3月20日とする。)
 旋律・動機・コトバ 31
聴覚を論じる中で調性に関しては外せない。たまたま以下のサイトでハイドンの交響曲 No.67の第1楽章の例があった。

PTNA ピアノ 弾く、聴く、学ぶ 耳をひらく
グローバル時代 聴力。
第4章。 推察力&発想力

https://www.piano.or.jp/report/04ess/livereport/2017/07/24_23287.html

上記の部分ではどこまで遠くへ転調するか? 展開部はどの調性から開始し、最も遠隔長はどれかを記入するテストのようなものだった。私は調性のことは詳しく分からない。ハイドンの作品の多くは、中期以降に疑似再現を含む、様々な調性が展開されている。この第1楽章も同様に、恐らく主調の F‐dur が展開部では激しく転調していく作品だと思う。パリセット以降は、分かりやすいさがかなり目立ってくるので、展開部での激しい転調は控え目になっている。しかしオペラ時代のNo.67は、弦楽器特殊な奏法以外に、第1楽章は転調が多い作品の一つだと思う。このためこの作品が登場したのではないか。ハイドンとベートーベンの比較ではあるが、ピアノソナタ、交響曲を含めて、No.67を含む作品は全てF‐dur であるので比較がしやすい。ちなみにこのシリーズの中で最後の6番目はベートーベンの第6交響曲だった。


(タグとして2024年3月21日とする。)
 旋律・動機・コトバ 32
聴覚の処理が人間の発達と関連してどのように例えてよいのか。自分なりの一つの方法として、下記の図1のような2つの処理方法を思いついた。まず図1は人間が誕生した直後の状態。一方、図2は人間が成長していく状態。聴覚としての情報が上から入ってくる。図2の部分の上にはレンズがある。このレンズは、言語を含む聴覚の情報処理をする入口の部分。図1の誕生直後は、このレンズは未経験で学習をしていない。このためレンズは透明。
それに対して、図2は情報処理のレンズに変わる。成長とともに、人は五感を含む様々な経験が入る。経験の中にはコトバを含む学習もそのひとつ。聴覚に対しての情報処理の仕方についても司る。母国語の言語理解の方法は大きなポイントとなる。音を母国語として結び付けるための機能にもなる。
レンズの下にはフィルターがある。フィルターは情報処理をする部分。最終的に情報の大半は、音は消えて下に流れていく。しかしその一部は時間の経過とともに、フィルターの部分にデータ処理の機能として残る。このフィルターが「内なる図書館」あるいは「波長合わせの受信機」の役目を持つ。



(タグとして2024年3月22日とする。)
 旋律・動機・コトバ 33
内なる図書館は、言語などの処理を含むレンズを通して機能する。音楽はコトバのない言語とあるが、私はこれには異論をもつ。確かに音としての音楽をとらえた場合、上から流れてくる聴覚の音源はレンズの上では同じかもしれない。しかし内なる図書館は、レンズと通して、フィルターの中での情報処理をした上での各自の考え方に影響される。
 また、聴覚から入ってくる情報は、時間によっても影響を受ける。音は一瞬で消えてしまうが、内なる図書館の中では、何らかのシステム?により、記憶の中にとどまる。過去に聞いたデータもあれば、つい最近まで聞いたデータなど様々ンなものが存在する。各データは各自の考え方により違うことも多いと推定される。人間の記憶力はある程度、一定の限度があるかもしれない。このシステムは時間や加齢、考え方などにより変化していくこともあろう。(図3を参照)

(タグとして2024年3月23日とする。)
 旋律・動機・コトバ 34


内なる図書館とライヴとの関連を考えてみる。ライヴは聴覚以外の五感も入るが、ここでは五感を敢えて触れずに聴覚のみで例えてみる。ライヴに参加する人々の中では内なる図書館は様々にある。クラッシックのコンサートなら、儀礼上の付き合いでない限り、当日の演奏に興味が集中する。図書館の大きさ、フィルターのそれぞれの中身などは様々。しかしクラッシックのコンサートでは、チケット料金を払っての参加が前提となるので、大半の人はこの中には共通点がある。それは、例えば当日演奏される曲について。当日演奏する演奏者の過去の演奏など。曲目については、他の奏者のライヴあるいはCDなどに入っているフィルターの中のデータを持っている。このデータの一部は、参加者には共通することがあるかもしれない。
ライヴ会場では、この共通するデータは限られた場所と時間ではあるが、共有することになる。しかし演奏会が終了すると時間ともに音が消えていく。ライヴが終わり、コンサートが終わった直後は、この共通したデータ(緑色)を持っているとき。各参加者が、ライヴ会場の周囲の緑色の枠とともに交わることとなる。あたかも、演奏直後、コンサート会場に帰りながらの一時であるが、緑色の共通した内なる図書館のイメージを共有し、語り合う場にもなる。

(タグとして2024年3月24日とする。)