通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
13 |
11 |
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ES |
4 |
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- |
- |
- |
(1) |
B |
cantabileは モーツアルトに類似 |
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1 |
ES |
Adagio cantabile |
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2 |
ES |
Presto |
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3 |
ES |
Menuet&trio |
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4 |
ES |
Finale、presto |
第1楽章での第1主題の歌う様な旋律。第2主題も同じ歌う様な旋律で第2vn.の伴奏。Adagioのテンポ表示でcantabileが付いているか、いないかで楽章の雰囲気が異なる。まさに、このcantabileのおかげだ。まるで
モーツァルトのK287 ディベルティメントの緩徐楽章を聴いている様だ。 井上太郎著「ハイドン106の交響曲を聴く」の著書によると、この第1楽章では、管楽器はob.が登場してない。hr.のみが使用されている。楽器の使い方でも、cantabileの効果があると思う。 第2-4楽章は第1楽章と比較すると、やや淡白に聴こえてしまう。全て調性がEsに統一しているので、やや聴き飽きる。 フィッシャー盤だと、テンポがゆっくりで、全体約20分の中で、第1楽章が、半分を占めている。それに対してドラティ盤は、Adagioのテンポがやや速め。 |
2010年12月7日 ディビス盤を聴取。第1楽章のAdagio cantabile は、ドラティ盤と同じ様に、ゆっくりめのテンポを採用。歌うようなこの雰囲気は、ドラティ盤以上にライブ録音も手伝ってか、すばらしい。その後スコアを見ながら再度、ディビス盤を聴取。第1楽章はcmb.が適宜、bass旋律以外に、装飾音を伴う。あくまでメインは第1、2vn.のcantabileの旋律が主体ではある。cmb.の装飾はvn.を引き立てる意味で聴き応えになっていると思った。 それ以外の第2-4楽章は、月並みになってしまう。あらためて3人の演奏を聴き通してみてディビス盤が一番のお勧めとしたい。 |
2012年12月31日 追記 昨日(2012年12月30日 日曜)名曲の楽しみの最終回を聴取した。その最後の方では、吉田秀和氏が愛していたモーツァルト の中で、若い頃の代表作で デベルティメント KV287 第4楽章の Adagio カラヤン指揮が放送された。このときにハイドン 交響曲でも同じ緩叙楽章の中で、同じ様な雰囲気である点を記載した。この交響曲は、どの曲であったのか、あらためて調べなおした。そうするとNo.11の第1楽章であった。奇しくも同じES調。(KV287は第1楽章は、B-durであるが、この楽章は、ES調のES-dur) モーツァルトの位置づけは、あくまでデベルティメントの中のひとつなので、室内楽か、あるいはもっと少ない編成で演奏されたであろう。それに対して、このNo.11の初期の交響曲での演奏者は、自前のエステルハージ楽団。人数的には、前期のモーツァルトのとは、大差はないであろう。この両者の小節数はもちろん異なる。モーツァルトの場合は、管楽器は一切、この楽章のみは入っていない。 ハイドンのこの楽章は、弦楽器が主体でも、他の楽器、特に第2vn.から最初に、第1主題が提示されること。他の弦楽器のパートも、それなりに、第1vn.以外にも受け持っている点などは、多少の違いはある。しかし、主旋律を引く、第1vn.に対して、細かく分散和音風に、ところどころ、寄り添うような第2vn.の動き。主旋律が抑揚と強弱のある第1vn.旋律。これらのみを注目しても、このNo.11の第1楽章は、あらためて共通点が多いと思った。 |
2013年2月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のためか、弦の調性による曲の雰囲気が、がらりと変わる。ES調は、ホグウッド盤では、聴き始めて、初めての登場。フラット系の調性では、通しNo.9のF調、通しNo.10のB調に続き、3回目。 デイビス盤では、Cantabileの第1楽章で、デイビス盤は、hr.がライブ録音ということもあって、効果があると思った。一方ホグウッドでは、hr.は、デイビス盤ほど目立たない音量であるが、逆に、これが効果的。すなわち、あくまでこの楽章では、hr.は、旋律楽器としてではなく、補強の役割を持つ。やわらかい音色が、ホグウッド盤では理に適っている。もうひとつの管楽器のob.が、全く登場していないので、なおさらhr.の役割が効果的。 それに対して第2楽章は、調は同じでもテンポが急に速くなり、がらりと変わる雰囲気。ひとつ前の序奏付きのNo.25と似ている。こちらの方は無論、別な楽章であるがob.が初めて登場して、雰囲気の対比はより効果的。 Menuetのtiroは弦楽器のみとなる。フィッシャー盤ではsoloとなっているが、ここでは合奏となる。ただ、編成が少ないためかsoloに近い雰囲気。しかし短いfinaleは、コンパクトにまとまっていて、中期以降に見られる大掛かりなものとは対照的に楽しめる。 ただし聴き通してみると、はやり同じES調が続くのは、テンポや曲想が変わるとは言え、やや苦しいところ。 |
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2019年2月21日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 11番を聴取。すべてES-durの同じ調性であるのは、続けて聞くと苦しいところ。No.22にも少し共通している。第1楽章は管楽器はhr.のみ。第2vn.から主題が提示されることもあり、この曲は弦楽器で特に第2vn.の存在が大きく、対向配置の効果が大きいと思う曲。 ob.が入らないのでNo.25のときと異なりTuitiiで違和感はない。hr.はあくまで伴奏に徹している。第2楽章もob.は控えめで通常通り。 Finaleはシンコペーションのリズムが印象的。下記の P ガロワ のブログにも、メルツェンドルファー の方も良好。シンコペーションの手法は、交響曲にすべて共通することではある。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-937.html
この曲に関しては、ひとつ前の第3楽章 Menuet trio の部分で、既にシンコペーションのリズムが登場している。Finaleへの予兆のような雰囲気。 ob.の目立つ録音は全くない。バランスなどは良い。ただし緩叙楽章を中心にテープヒス音のようなものが時折ある。 |
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