音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.20 hob-No.-8


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
 20 8  夜  1761 G 4 1  -  - - (1)  A
       1 G Alleglo molto
       2 G Andante
       3 G
4 G Presto
 3曲目の合奏協奏曲。soloの扱い方は、同じ様な感じ。Alleglo moltoの演奏時間は短い。提示部は簡潔であるが、第1主題が巧妙に扱われている。
 井上著では、moltoの主題は、1759年にウイーンで初演された、クリストフ・ヴァイリバルト・グルックのオペラコミック「大騒ぎ」で歌われる「たばこの歌」である。当時、この歌はポピュラーだったようで、ハイドンがユーモラスに味をつけていると記述がある。
 展開部はかなり長く音色が変わったり、擬似再現があったり。続く再現部も、管で第1主題が再現するなど聴き応えがある。ob,2本は通常の使用だが、持ち替えではなく、fl.が単独で追加になっている。ob.2本とfl.1本の3人の奏者によるsoloは聴こえないが、中後期での芽生えが感じる。
 Andanteでは、2vn.、vc.以外にfg.のsoloがあるが、前の2曲よりもfg.の扱いが増えている。Menuettoでは、第1主題がfl.と弦でユニソンで演奏するのは、今まで見られなかったと思う。trioはバスのsoloは、第7番よりも長い。(fg.のsoloなし)第4楽章の描写音楽の「嵐」 では、高音域のfl.が旋律を駆け巡り、あたかもfl.協奏曲に近い。
 3曲を通して聴いてみると、どうしても、合奏協奏曲としての面が表に出てしまい、楽器の扱い方や音色が中心になってしまう。これ以降に、交響曲として、この様なスタイルは、なくなってしまうのは、いささか残念である。
 2013年2月22日 追記。ホグウッド盤を聴取。この3部作共通するが、fl.の音色が軽やかで印象的。第2楽章のAndanteは、2人のvn.奏者となる。第2vn.は、第1vn.と比較して、左側ではあるが、中央寄り。第3楽章 trio.のcb.のsoloは、思ったより目立たない。元々、小編成で、cb.は1名のみだったのか?あるいは、使用する楽器のためか、元々、音量が小さいのか?
2015年2月23日  ゴバーマン盤を聴取。録音の方法は、No.6.7と同じ様だ。第2楽章では、管楽器はhr.のみので、fl.登場しない。しかも、消えるように終わっている。後半のMenuettoでは、fl.を含む、全ての楽器が、Tuittiで、冒頭の主題を演奏。この対比が、印象的。
2016年11月19日 佐藤裕 トーンキュンストラー管 No.8を聴取。ライナーノートに、第1楽章の第1主題でオペラからの引用について、解説がある。(井上著 ハイドン106の交響曲を聴く にもこのことは記載があった)1959年にモルツイン時代にオペラの上演を見ていた記載を始めて知る。
ライナーノーツの著者である、Michael Lorenz のブログの中には、ハイドンの妻についての考察もあるようだ。(英文の下記のアドレス)
http://michaelorenz.blogspot.jp/2014/09/joseph-haydns-real-wife_11.html
soloがいたるところで活躍するが、主に二人のvn.が聴き所。第2vn.のsoloが同じ旋律を音程を下げて演奏している個所が多い。第2楽章T16から、同じ旋律で寄り添うように行こうとするが、T19で離れてしまう部分。二人のvn.の駆け引きが、よい録音も相まって聴き取れる。
3曲を聴き通してみて、どれをベストとするかの話になったら、最初のNo.6を進めたい。パリセットのノリントンの最初の一撃と同じ様に、出だしからして、引き込まれてしまう。
2017年3月21日T.ファイ No.7を聴取。solo楽器がいたるところでコンチェルトグロッソ風に活躍するのがNo.6〜8の特徴であるが最後の曲も同様。Menuetのtrioでは、全てのbassにsoloがある。左側に位置するのが同じだが、伴奏する楽器の奏法も面白い。ランドン版のスコアでは、bassのsolo以外の弦のパートは全て、通常通りの弓を引いての演奏。過去の演奏でも同じ様になっていた。
 一方ファイの演奏は、va.も含むかもしれないが伴奏するvc.の旋律が駒の近くで奏法している様に聞こえる。(ピチカートでないようだ)この手法は面白い。Trioの後半の繰り返しで最後の2小節はfで終わり、回帰するMenuetに引き継ぐように締める。
第1楽章のT16からの下降する32分音符の旋律。この旋律が、Finaleにも再度、登場して引き締めているように思う。第1楽章では、弦のsoloは活躍をしない。一方Finaleは、弦を含む各soloが活躍。各パートがスッタカートのような刻む緊張感もある。一方では第1楽章で一部登場した32分音符の下降旋律。様々な旋律が要所で変形しながら各のパートでsoloやTuittiで登場し、しかも流れるように終わる。ファイの演奏では、流れを重視しながらも、各のパートが明確に引き立ち印象的。3曲を聴き通して来た中では、このFinaleが一番よかったと思う。
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2017年7月7日  鈴木秀美 盤 No.8を聴取。No.6と同様に、第1楽章で、随所でfl.のsoloが活躍。提示部では、それほど目立たないが、展開部からfl.が大きく入ってくる部分T104当たり。T104では、fl.の旋律は、冒頭と同じ様にスッタカートの指定は記載していないが、やや堅い雰囲気。T107からスラーを伴う16分音符のsoloが続く。1オクターブ高い音域の、高低差が、オリジナル楽器のためか、自然なやわらかさの雰囲気。
  拍子こそ違うが、第1楽章と第4楽章は共通点が多いと思う。冒頭の主題は、それぞれ、スッタカートを含む旋律。しかし提示部が進むに従って、スラー指定の流れるような16分音符の下降旋律がある。この対比が面白い。第1楽章と同様に、fl.のやわらかい雰囲気が堪能できる。
 展開部と再現部の繰り返しは、原則、どの曲も採用。Finaleで、ファイ他でも繰り返しの後半で装飾などを加えるが鈴木盤でも同様。T106で管楽器は、繰り返しの後半はトリルとなっている。短い一瞬ではあるが、このトリルにより、曲の締めくくりに向けて、華やかさを加えている。なお、曲の最後は拍手が入っている。No.6.7と違って、拍手が入ることによりライブ録音の良さが出ていると思った。
 2019年1月27日 7番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。No.6、7と同じ演奏スタイル。No.7の緩叙楽章では2本のfl.が入っていたが、ここではfl.はなく、その代わりに管楽器でfg.が活躍する。得てして高音域が多い vn.とvc.に聞き入ることが多いが、fg.も少ないが独自の動きがある。高音域が少ないので余り目立たない。しかしマリナーの演奏ではfg.の音色も重視。Manet trio.もbass.のsoloがNo.7と同様にある。bass.自体のsoloは繰り返しでの装飾は余りないと思うが、cmb.は独自の装飾を加えている。
 Ffinale.の最初の方で 主旋律のひとつ fl.が受け持つ部分がある。通常T15の部分は8分音符で通す。しかし珍しく 版によるのか、fl.がT15の1小節の部分だけ16分音符で吹いている。Prestoの速いテンポで同じ音程を16分音符で続けるのは珍しい。その後に続くT16からん「Tuittiでスラーで流れるような下降旋律と対照的。この旋律はNo.6 第1楽章、No.8の第1楽章にも類似箇所がある。冒頭の刻む様な16分音符の緊張感とは対照的。打楽器群は入らない少ない編成ではある。しかし微妙なリズム感の変化を通して、旨くまとめている楽章だと改めて認識した。
 2019年2月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 8番を聴取。第2vn.のsolo はNo.7と同様に左側に位置。第3楽章 Menuet trioでNo.6や7と同様にbass.のsoloが入る。やや奥側に位置し極端に前面ではないので自然な雰囲気。
 Finaleは今まで概して遅めのテンポが多かった。しかし過去に聴いて来た中で、とても速いテンポ。16分音符の下降する流れるような旋律。16分音符でトレモロの刻む様な鋭い緊張感との対比がポイントになる。速いテンポでありながらも、Tuitti とsolo の対比を旨く表現。すべての弦のパートでのユニゾンの箇所が多く、通常配置でも違和感は余りない。No.6や7と異なり特にFinaleは好演だと思った。