音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.45 hob-No.-42


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
45 42  1770-72 D 4 -  -  - - (1) B Moderato e maestosoの表示通り堂々とした大規模なソナタ形式。
       1 D Moderato e maestoso
       2 G Andanntino e cantabile
       3 D Menuet&trio, allegretto
4 D Finale,Scherzando e Presto
初めて聴く人に、中後期の交響曲のひとつと勧めても遜色はない。No.41と比較して協奏曲風のsoloの活躍は余りないが、その分、第1楽章から大規模に近いソナタ形式で、たっぷりと交響曲として堪能できる。提示部では第1主題と第2主題との調性は元より旋律の対比がある。提示部の終わりにかけて長い経過部から終結部にかけての締まり具合。展開部では第2主題も含めた数多くの動機が扱われた展開。再現部では短いながらもcodaがある。展開部から再現部の繰り返しがないが、演奏時間も長くcodaを伴い規模が大きい。(その後、スコアで確認してみたら、提示部と展開部から再現部での2箇所は繰り返しに指定があった)ModeratoでAllegloよりもゆっくりとしたテンポとmaestosoの様に堂々と、しかもたっぷりと聴かせてくれる。 
 Andanteでは、弱音器つきのvn.と、この頃には珍しく管楽器が入っている。第1楽章と比較しての調やテンポ、音色の対比がある。各楽器(vaを含む)の細かい動きが対位法的な旋律が多く、これをひとつとっても注目に値する。
 Menuetのtrioでは、管は休みで各弦のsoloがあり。主部との対比がある。Finaleは、ロンド風の変奏曲。テンポと調性は、ほぼ同じだが、主旋律が各楽器にも受け渡されている。またfg.がsoloに近い旋律としても活躍する。主題や構成がNo.55のFinaleにも類似。ネーミングがあれば、もっと人気があったかもしれない。No.38と別な意味で、この頃のベストの1曲としたい。
 ドラティ盤は、テンポがゆっくり。音の強弱や楽器の扱い方などNo.38と同様に、フィッシャー盤の方を勧める。
 2011年1月10日 ディビス盤を聴取。
演奏時間は、約34分にもおよび今まで一番、長い演奏となる。今回はスコアを見ながら聴取。第1楽章は、スコアでは展開部と再現部は繰り返しの指示がある。今ままでこのディビス盤を含めて、3者を聴取したが、この後半の繰り返しはなし。提示部と展開部がかなり長いため、後半の繰り返しがもしあった場合、やや冗長になる可能性はあり。それでも演奏時間はディビス盤では長い。
 cmb.が入っているのは従来通りであるが展開部で驚くほど、独自の動きがある。第1主題の擬似再現の後、第2vn.以外の弦は、94小節から持続音に終始する。第2vn.のみ4分音符の動機があるが、ここではむしろcmb.を独壇場で、独自の動きが13小節にも渡ってある。フィッシャー盤では、もともとcmb.がないので、この様な特徴はない。
 また、注意深く聴いてみないと分からなかったがvc.とcb.の分離がいたるところにある。音量で小さい箇所はcb.を離しているところも分かる。va.は、まだ独自の旋律は余りないが、所々、かなり高い音域まで演奏している箇所もある。maestosoの堂々とした雰囲気は、この楽章のみを取ると、ディビス盤の方を推薦したい。
 第2楽章は、テンポがフィッシャー盤以上にかなり遅くなる。特に展開部に入ってからは、引きずるような雰囲気。展開部と再現部の繰り返しあり。弦楽器が中心であるが、所々に管が目立つように入っているので、効果的。Hob−No.の一つ前の41と調性は異なるが、雰囲気は似ている。ただ、No.41の方は、古典的な典型と思うが、こちらの方は、ややユーモアに富んだ、雰囲気の箇所が多いと思う。スコアでは、fg.のパートは第3楽章までは特に指定はない。しかし、Finaleの最初に近い箇所で、vc,の段に敢えて、fg.の明示がある。このfg.の影響も大きい。
 エステルハージ楽団のための時代から、大衆へ広めていくための交響曲をどのあたりから、目指していたのかが、一番の命題であると私なりに思っている。この交響曲のFinaleを聴いてみて、繰り返しがありながらも変奏曲が、布石の一つになっていると思う。
  2011年6月5日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。vc.とbass.の分離は至るところにあると記載をした。第1楽章の冒頭から早くも、分離の箇所があるのは、びっくりする。No.57も同様に同じD調。序奏はないが、vn.はNo.57と同様に余り、高音域には到達していない様だ。
 一つ前のNo.41とこの当時の代表曲の双璧をなすと記載をした。古典的な様式は、ほぼ同じであるが、転調の妙味を堪能できる。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」にも、この転調の妙味の記載があった。小結尾部から展開部にかけての、擬似再現を含む目を離さない転調は印象的。
 Menuetのtrio.はスコアでは弦soloの指定はないが、フィッシャー盤は、各soloが心地よい。 Finaleはロンドと変奏曲の両者を取り入れた形式を初めて採用していると思うが後年のNo.55のFinaleを予測される。

 ドラティ盤のテンポがゆっくり目であることは前記した。第1楽章のテンポが特にフィッシャー盤と対照的で、Moderato のテンポを忠実に守りAlegloとは異なるゆっくりとしたテンポ。大規模なソナタ形式の要因は、提示部と再現部の長さにあろう。展開部はそれほど長くはないが。それに対して、再現部はかなり拡大されて展開されている。
 低弦の独自の動きがあるが、第1楽章は元より第2楽章でも対旋律がある。この曲や一つ前のNo.41の曲を含めて、モーツァルトの交響曲と伝えても、それほど違和感は余りないと思う。(ただしFinaleは、モーツァルトとは全く対照的なので除く。)第2楽章の管と弦のユニゾンの音色の変化もNo.41と同様に聴き所。(提示部では、弦のみだが、T48で管楽器が加わる、再現部ではob.が加わる。)
(その3)2012年2月23日追記、この第2楽章は、作曲番号順から聴き始めると、この後のhob‐No-43と同様に弱音器を付けたvn.が定番となっている。しかし対旋律の美しさなどはランクをBとしている点は、注目に値すると記載をしてきた。
 井上著の本では、「現存する自筆楽譜には、ハイドンが一度書いて消してしたところに、「これはあまりにも特別な耳のためのものだ」と書いてあるという。ハイドンはプロの耳と一般大衆との耳の違いを考えて作曲していたのである。 この記述には合点はいく。交響曲の分水嶺と共に、興味深い記載である。
(その4)初め聴く交響曲としても遜色はないと冒頭に記載をした。これはFInaleにも当てはまる。fg.を含めた流れるような雰囲気は、もはや中期以降の交響曲と変わりない。
(その5)石多著「交響曲の生涯」にも、この第2楽章に関しては、記述がある。「これは、訓練された耳の持ち主のためのだった」  この箇所は始めは複雑な転調をする3小節を置いたという。どの箇所だったか、興味があるところだ。
 2013年6月2日 追記。ホグウッド盤を聴取。ランクを高く評価していた、No.42は、通しNo.からすると、hob-No.ー43よりも前になる。しかし通称名をつけるなら、むしろNo.42の方が、ふさわしいと記載をしたように、No.42の後から聴取をする。
 ホグウッド盤では、第1楽章のテンポはAllegloに近い速いもの。じっくり聴かせてくれない分、流れるような点を重視。弦楽器の特に、vc.がいたるところで、bassと分離して独自のパートを受け持っているが特徴。この演奏では、早くもその細かい動きが聴き取れるが圧巻はT9の部分。ここでは、vc.とbassとが一緒の旋律となり、g.がbass.と一緒の音程で参加。今まで聴き通してきた中で、fg.のパートが目立っていなかったので、びっくりする。(fgはfinaleで,少しであるが、独自の旋律を受け持つのも注目)
 第2楽章も思ったより速いテンポ。No.43と同様に、弦楽器が主体。再現部で、管楽器がsoliを受け持ち、提示部と違う音色を聴かせてくれる手法は、後半の交響曲でも、しばしば採用される手法。交響曲の分水嶺について前記したが、この部分についても当てはまる。明るいD調で、流れるように、転調を適宜繰り返しながらの雰囲気の高い評価は、ホグウッド盤でも変わらず。もう少し、注目されても良いと、あらためて思った。
 2013年9月24日 追記。 ヴァイル指揮のターフェルムジークの演奏を聴取。編成でcmb.は入っていない模様。(これまで4曲を聴いてきたが、それまでは、他の楽器に気をとられて、cmb,の有無まで、気が回らず。デイビス盤で展開部の真ん中辺りで、独自の動きがあったので、この有無が気になっていた)No.42と比較して、緩徐楽章が管楽器の使用一つをひとつをとっても、細かくなっている。通して聴くとこの違いがよくわかる。古楽器を使用しているわりには、ホグウッド盤と比較して、細かい音の掛け合いが、やや分かりにくい。
 2016年6月28日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No42を聴取。No.52に類似して、交響曲の分水嶺に位置する曲。No.38から引き続いて聴くと、その特徴が良く分かる。第1楽章はAlleglo maestosoの指示で、重厚な演奏を聴かせるところがポイントになる。trp.とtimp.は入っていないが、その分hr.が厚みを加える。T77の小結尾の旋律が最後は、T19からhrが高々に占めくくる部分が印象的。
 

2017年1月1日T ピノック No.42を聴取。No.41よりも作曲年代が数年ぐらい空く。井上著にも記載してあったがNo.41は、古典派の交響曲として典型的な曲なので、ハイドンの自由な転調や意外な旋律などは影を潜めている。一方。こちらの方は、自由な転調や仕掛けがあり、かなり楽しめる曲のひとつ。
 共通コメントにも少し触れたが生前に出版された曲の内、この時代で早くも何度も出版されているのが第41番。分かりやすい曲のひとつ。一方、その次のNo.42は出版数からして、少しランクが落ちるかもしれないが、何度か聴いていく中では注目に価する曲の一つ。
第2楽章の再現部で第2主題が再登場する部分のT147。提示部では、この旋律は管楽器では全く登場しない。一方この部分から、ob.を中心に管楽器が第2主題を受け持つ。この楽章で一番の聴き所の部分。ピノックの演奏は、弱音器をつけた第1vn.のはob.より1オクターブ下の旋律となっている。2つのvn.パートは、極力、音量を落としてob.の旋律を生かしているのが印象的。
 

2017年3月3日T.ファイ No.42を聴取。本CDの3曲目。第1楽章のModerato e maestoso 指定の通り、堂々たる雰囲気をどの様に表出させるかが、ポイントのひとつ。冒頭から左側に位置するvc.の旋律が明白に聴こえる。展開部T93からの部分。デイビス盤では、ここからT100までcmb.が第1主題の旋律を装飾しながら演奏する。ファイ盤はcmb.がアルページョ風に登場。提示部及び展開部―再現部の後半は忠実に繰り返しを採用する。第1楽章だけで13分余りの長い時間であるが、くり返しの部分は過去の同様に装飾を加えるなど飽きさせない。

井上著や下記のkanzaki サイトにもこの第2楽章について、自筆楽譜にハイドン自身が「あまりにも訓練された耳のため」だとして削除した部分もある。

http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-42

この時期当たりから緩除楽章では第1.2vn.は弱音器の使用が増えてくる。この曲もその一つであるが、冒頭からファイの演奏は主旋律 ユニゾンの第1,2vn.の音量をやや落としva.と低弦も同様に音量を上げている。va.と低弦は、vn.と違って弱音器を使用していない。この編成で演奏すると弱音器をつけているvn.はva.と低弦に負けてしまう。このため今までの演奏は、冒頭から主旋律を目立たせるため、va.と低弦の音を落とすことが多い。
 一方 ファイの演奏では、va.と低弦は同じ様な音量で演奏している。va.と低弦は冒頭では、余り旋律の大きな動きはない。しかしその後、対旋律としての役割を次第に持つなど重要な役割を持つ。例:展開部T85当たりから独自の動きなど。
削除をした部分は、このT100当たりではないかと私は思う。ファイの演奏は、第1vn.が次第にテンポと音量を落とし悲壮感を強めている。この当たりの部分ではva.と低弦もvn.と同じように音量を落とす。しかしこの当たりの個所でva.と低弦を含めた楽器のバランスの音量が良い。第1楽章と同じ様に13分余りの演奏時間を要し、全ての繰り返しを採用。No.42はこの時代の作曲された曲の中では、生前から出版され人気にあった曲のひとつ。
同じD調で少し後のNo.57と比較してみると興味深い。この緩除楽章は G調で弱音器を使用。しかし曲の雰囲気は明るい個所が多く、聴取者にも分かりさを重視している雰囲気。これに対してこのNo.42の緩除楽章は転調の個所も多く、細かいところまで丁寧に作曲されていると思う。ファイの演奏は、この微妙なニュアンスまでも旨く表現していると思った
 

2017年1月1日T ピノック No.42を聴取。No.41よりも作曲年代が数年ぐらい空く。井上著にも記載してあったがNo.41は、古典派の交響曲として典型的な曲なので、ハイドンの自由な転調や意外な旋律などは影を潜めている。一方。こちらの方は、自由な転調や仕掛けがあり、かなり楽しめる曲のひとつ。
 共通コメントにも少し触れたが生前に出版された曲の内、この時代で早くも何度も出版されているのが第41番。分かりやすい曲のひとつ。一方、その次のNo.42は出版数からして、少しランクが落ちるかもしれないが、何度か聴いていく中では注目に価する曲の一つ。
第2楽章の再現部で第2主題が再登場する部分のT147。提示部では、この旋律は管楽器では全く登場しない。一方この部分から、ob.を中心に管楽器が第2主題を受け持つ。この楽章で一番の聴き所の部分。ピノックの演奏は、弱音器をつけた第1vn.のはob.より1オクターブ下の旋律となっている。2つのvn.パートは、極力、音量を落としてob.の旋律を生かしているのが印象的。
 

2017年3月3日T.ファイ No.42を聴取。本CDの3曲目。第1楽章のModerato e maestoso 指定の通り、堂々たる雰囲気をどの様に表出させるかが、ポイントのひとつ。冒頭から左側に位置するvc.の旋律が明白に聴こえる。展開部T93からの部分。デイビス盤では、ここからT100までcmb.が第1主題の旋律を装飾しながら演奏する。ファイ盤はcmb.がアルページョ風に登場。提示部及び展開部―再現部の後半は忠実に繰り返しを採用する。第1楽章だけで13分余りの長い時間であるが、くり返しの部分は過去の同様に装飾を加えるなど飽きさせない。

井上著や下記のkanzaki サイトにもこの第2楽章について、自筆楽譜にハイドン自身が「あまりにも訓練された耳のため」だとして削除した部分もある。

http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-42

この時期当たりから緩除楽章では第1.2vn.は弱音器の使用が増えてくる。この曲もその一つであるが、冒頭からファイの演奏は主旋律 ユニゾンの第1,2vn.の音量をやや落としva.と低弦も同様に音量を上げている。va.と低弦は、vn.と違って弱音器を使用していない。この編成で演奏すると弱音器をつけているvn.はva.と低弦に負けてしまう。このため今までの演奏は、冒頭から主旋律を目立たせるため、va.と低弦の音を落とすことが多い。
 一方 ファイの演奏では、va.と低弦は同じ様な音量で演奏している。va.と低弦は冒頭では、余り旋律の大きな動きはない。しかしその後、対旋律としての役割を次第に持つなど重要な役割を持つ。例:展開部T85当たりから独自の動きなど。
削除をした部分は、このT100当たりではないかと私は思う。ファイの演奏は、第1vn.が次第にテンポと音量を落とし悲壮感を強めている。この当たりの部分ではva.と低弦もvn.と同じように音量を落とす。しかしこの当たりの個所でva.と低弦を含めた楽器のバランスの音量が良い。第1楽章と同じ様に13分余りの演奏時間を要し、全ての繰り返しを採用。No.42はこの時代の作曲された曲の中では、生前から出版され人気にあった曲のひとつ。
同じD調で少し後のNo.57と比較してみると興味深い。この緩除楽章は G調で弱音器を使用。しかし曲の雰囲気は明るい個所が多く、聴取者にも分かりさを重視している雰囲気。これに対してこのNo.42の緩除楽章は転調の個所も多く、細かいところまで丁寧に作曲されていると思う。ファイの演奏は、この微妙なニュアンスまでも旨く表現していると思った
  2018年7月3日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア42番を聴取。 このCDからは、初期の頃と比較して、cmb.が入っていない。第1楽章の展開部の最初の方で、デイビス盤などが通奏低音とは異なり独自の動きがあるが、ガロワ盤ではcmb.がないので通常通り。 レガート、スタッカートとなどを微妙なニュアンスで表現しているのが、ガロワ盤の特徴のひとつ。
この曲は、早い段階から出版された人気の高い曲のひとつ。第1楽章の堂々とした、かっちりとした構成。第2楽章の弱音器のvn.を使用した微妙なニュアンスまでの表現。(No.65第2楽章にも似たような雰囲気は共通しているかもしれないが) 第3楽章の活発明朗な雰囲気。Finaleのロンド形式など。
第3楽章 Menuetの冒頭。井上著には、イタリアのオペラ・ブッファを思わせる明朗闊達なもの」とある。スコアでは4小節までの間に、スラー、通常(ノンレガート?) スッタカートの3種類の表記がある。得てして、この違いは余り重視をしないかもしれない。ガロワでは特に黄色で囲ったT2の ノンレガートの部分が丁寧に表現されている。
自前の楽団を抱えて、限られた聴衆を対象に、作曲された名曲のひとつ。この曲を表現するためには、奏者はスコアから垣間見れる、細かい楽譜を背後まで読み取り、聴取者に示す必要がある。一方、CDを聴取する側でも、指揮者、奏者の意図を汲み取るために、ある程度の知識や素材などが必要となろう。そのひとつはスコアである。スコアを読み取る知識はある程度、必要だと思う。ガロワ盤のこの3曲を聴き通してみて、ハイドンの交響曲で特に、初期から中期の交響曲を理解していく上での道筋が少し見えてきたような気がする。
 
2019年3月24日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 42番を聴取。ひとつ前のNo.41から数年間の作曲年の開きがある。しかし作曲スタイルが明らかに冒頭から変わっているのが分かる。No.41では、fg.の存在が余り分からず、目立たなかった。冒頭からのvc.とbass.の分離にあわせて、fg.が明らかに入っているのがこの録音でも分かる。
 展開部の擬似再現の後、T111で2つのvn.は冒頭の動機を転調して演奏する。Ob.は持続音で同じ音程で支えるが、この箇所でもob.は弦とのバランスが良い。しかもob.同士がパートで分かれているのが良く分かる。


 第2楽章も、かなり丁寧に作曲されている。No.28の第2楽章と比較してみると興味深い。調性は異なるがvn.は弱音器を使用。冒頭から比較的低音域から始まり低い音量での音色を押し出しているのは共通している。No.42の方は、楽器編成は弦楽器でなく管楽器も入る。リズムやテンポ、管楽器の役割が多い。の後の疾風怒濤期の緩叙楽章を予感させる。再現部でのT147でピノックでは、vn.は音量を落として、管楽器が再現する主題を目立たせる点を記載した。(以下のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-658.html

メルツェンドルファーでは、必要な箇所ではob.を強調するが、意外にもパートが対等に近い。緩叙楽章は概して遅めのテンポが多いが、この楽章はむしろ速め。しかし違和感はない。録音は他の楽章でも良い。特にfg.が入り低弦の分離感も良好で、ダイナミックレンジも広い方。No.41と比較して、好録音にも恵まれて推薦したい曲のひとつ。