通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
2 |
37 |
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1757-1758 |
C |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
小編成でしっとりの第3楽章。音色の変化 |
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1 |
C |
Presto |
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2 |
C |
Menuet |
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3 |
c |
Andante |
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4 |
C |
Presto |
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2010年11月26日 ディビス盤を聴取。
ドラティ盤と同様に、楽器編成はtrp.とtimp.が入っていない。Allegloの楽章は比較的ゆったり。展開部と再現部は繰り返しあり。cmb.はドラティ盤と同じ様に目立つ。第1番でも同様であったが、中央の奥に位置。第3楽章のAndanteはフィッシャー盤と同様にAndanteよりも、ややゆったり目。それに対して、最終楽章のPrestoはフィッシャーよりもゆっくり。また弦のsoloがない。やはりフィッシャーを採りたい。
なお井上 太郎 著「ハイドン106の交響曲を聴く」によると、作曲年代は1757-1759と記載。1758年の筆写譜から確定されたとのこと。そうなると、エルテルハージ候より前のモルツィン時代の作品となる。
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2013年1月18日 追記。ホグウッド盤を聴取。ディビス盤と違ってNo.32の次に収録。CDだと3枚目。trp.とtimp.が入っていないので、室内楽の雰囲気で楽しめる。古楽器のスタイルなので、hob-No.-1と同様に弦楽器の音色の変化に好みが分かれるところ。
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2015年2月17日 ゴバーマン盤を聴取。Trp.とtimp.が入っているが、控えめ。第1楽章の第1主題は、ハイドンの特徴の一つでも、ある、単一動機からなるもの。各パート特に、第2vn.が細かく聴こえる分この動機が変形あるいは再現されながら、いたるところで、プレストのテンポで散りばめられる。プレストのテンポ指定ではあるが。ゴバーマン盤では、それほど速いテンポを取らず細かく聴かせる。
第3楽章のAndanteは、陰影深くテンポをやや落として演奏。finaleは、やはり、ややゆっくり目。管楽器が控えめな分ob.のユニゾンなどの効果は余り期待できず。
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2019年2月10日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 37番を聴取。打楽器群のtrp.とtimp.は、やや右側に入る。録音状況はNo.1と大きくはない雰囲気。弦の奏者の数は中規模程度と推定。No.1と異なり第2楽章ではあるがMenuetが入る。Menuet及びtrioはテンポが遅め。特にTrioは短調の調性とも相まって、かなりテンポを落とし音量はそれほど差がない。第3楽章のAndante。後半の展開部と再現部の繰り返しはなし。Finaleは遅めのテンポ。後半の繰り返しは採用。再現部T72でhr.と第2vn.が入る箇所がある。提示部の類似箇所は、この部分はhr.は入っていない。第1vn.の動機を受けて エコーがかかったような部分になると思う。弱奏が続く部分でhr.と第2vn.は弱奏を引き継ぐように、旨く演奏していると思った。
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2019年8月5日 37番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。ブリュールの追加で聴取していく中で2枚目。1枚目はNo.32-34だったが、今回はCD14番目で、 No.37-40の4曲が収録されている。No.37は、これらの4曲の中では、もっとも最初期のひとつの曲。ひとつ前の30番代では、cmb.が最初から緩叙楽章を含め全て入っている。cmb.は中央に位置。
C調はNo.32.33にも共通している。No.37の方は、同じC調でも打楽器群は、少し控えめ。第4楽章のFinaleでメルツェンドルファーの場合、trp.がやや遅れてエコーがかかっている独特な雰囲気を記載した。(下記のブログ) ブリュールの場合は通常通り。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1077.html
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2020年10月26日B スピルナー Heidelberger Sinfoniker No.37を聴取。私の作曲順番だと通し番号の2番目。モルツイン侯時代の初期の頃の作品の一つ。打楽器群が入る演奏と打楽器群が入ららない2種類の演奏がNo.38と同様にある。スピルナーは打楽器群が入らない方を演奏。
No.38と同様に打楽器群が入らない分、柔らかい雰囲気。また弦楽器が主体なので、各パートが鮮明に聞えるのもNo.63.38と同様、第3楽章の緩叙楽章は、この頃の特徴の一つかもしれないがvn.は弱音器を使用していない。テンポはAndanteだがモダン楽器のためか、cmb.を含めて、他の奏者よりも音量が平均的に大きい雰囲気。
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2024年9月14日 ドラティ盤 No.37を聴取。モルツィン時代の曲のひとつ。ホーボーケン番号で並んで聞いていると、この後はNo.38で副楽長時代。一つ前のNo.36はモルツィン時代ではない。したがってNo.37はどうしても作曲年代が下ってしまう。No.36から通して聴くと、どうしても作曲スタイルが、古い形式に戻ってしまうので、聴き所が少なくなってしまう。
モルツィン時代からハイドンは、2つのvn.パートは適宜、分けて書いている。この曲も同様。2つのvn.は、同じ音程の旋律のユニゾンで弾くこともあれば、分かれる箇所もある。この違いを聞き分けるのも聴き所の一つになる。これを満たすためには、ある意味、対向配置だとよくわかる。全ての曲が対向配置でよいのかどうかは、ある意味、難しい。 しかしこのNo.37に関しては、分かれる箇所が多いので、こちらの方に軍配が上がると思う。しかし通常配置なので残念。たとえば第1楽章のT25の部分。第1vn.が最初に入り、その後、第2vn.が16分音符でついていくように動き回る。このあたりも対向配置であったらよくわかるが残念。モルツィン時代は、ドラティ盤は打楽器群が入っていないことが多い、この曲も同様。その分、各パートの動きがよくわかる。
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