ハイドン探求  サブメニュー

1.聴取記録を書くきっかけ 氷山の一角

オーストリア古典派の作曲家の一人、ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は生涯に渡り100曲以上の交響曲を作曲した。小中学校の音楽の教科書では「交響曲の父」などと称されている。また、ニックネームのついた曲も、いくつかは知られている。しかし、大半は最後の12曲、通称「ザロモンセット」が、知られているにすぎないと思う。ハイドンは108曲(諸説によっては多少、数は前後する)を作曲した。しかし上記ザロモンセット12曲、約1割程度しか、主に知られていない。残りの曲は最近ではCDで、再発売も含めて知られつつある。しかしザロモンセットに比べると、まだ知られていない方であろう。

 交響曲の父と称される所以は、色々と考えがある。ザロモンセットに至るまで、余り注目されていない残りの約95曲は、氷山の1角に例えられるかもしれない。しかしその氷山の海面下にある約95曲も、それなりに価値はあるのではないか? 約200年余り前の当時は、作曲者がまだ活動している時期から、数多くの出版社から多数の版として出回っていた事実がある。
 しかし当時から人気があった交響曲も今、余り注目をされていない。「交響曲の父」としてハイドンは、交響曲を少しずつ育てて来た過程があろう。交響曲に取りかかった頃の最初期(1760年前後)と、晩年に近いザロモンセット(1791-1795)の頃とは、約30年余りの開きがある。年齢では28歳頃から作曲に取りかかり、63歳頃の交響曲の作曲を終わるまでの約35年余りに相当する。この間に彼はどの様にして交響曲を完成させたか? CDの聴取記を自分なりに記載することを通して、交響曲の父の生い立ちを洗い出しながら、知られていない名曲や、聴きどころなどを紹介して行きたいと思う。



 中野博詞による創作時代の分類
第1期 1757頃〜1765頃 交響曲様式への模索
第2期 1766頃〜1773頃 バロック様式の同化
第3期 1774頃〜1784頃 聴衆への迎合と実験
第4期 1785頃〜1789 古典的完成
第5期 1791〜1795 円熟