通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
99 |
97 |
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1792 |
C |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
A |
ロンドソナタ形式で迫力のあるFinale |
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1 |
C |
Adagioーvivace |
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2 |
F |
Adagio ma non troppo |
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3 |
C |
Menuet & trio Allegretto |
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4 |
C |
Finale:Presto assai |
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通称名はないが、C調の最後を締めくくるにふさわしい。序奏は、短調に転じることは、ないが、適度な長さで音の強弱、楽器の使い分けなど、変化に富んでいる。主和音から構成される第1主題は、長さがかなり長いがこの主題の中でも変化に富んでいる。(最初は、弦のみであるが、管がユニゾンで加わって行く第2主題は明白に対比される。展開部は3つの部分から構成され、第1主題を中心に、動機が展開される。再現部は、この当時に見られる、拡大した部分を伴う。
第2楽章は、変奏曲。Menuetのtrioでは、vn.のsoloがある。finaleはロンドソナタ形式。主題自体は、スラー記号を伴い、流れる様に進む。しかし途中に休止をしばしば挟み、管を中心に旋律が変わる。codaは短いが、圧倒的に終わる雰囲気も魅力的。曲全体では、Finaleを一番に推したい。
全体を通して、C調の特徴は備えているが、初期、中期の祝典の雰囲気で華やかさなどは、影を潜める。逆に、単純、明快な調性を一番の特徴として、聴衆にも分かりやすい点をベースにしていると思う。
かつてLPでジョージ・セル指揮の演奏で聴いたことがある。 当時は、ハイドンの他の交響曲をそれほど聴取していなかった。また、セル指揮の他の交響曲の演奏も余り聴いたこともなかった。編成がかなり大きいのにも関わらず、あたかもsoloに近い透明な響きは、今でも印象に残っている。大編成のオーケストラでも、「ここまで、細かい音が再現できるのか」という感銘は、今でも忘れられない。同じカップリングでNo.98もあった。しかしNo.98と比較して、調性や曲の雰囲気が元々、迫力があるにも関わらず、この透明感が勝っていた。この様な手法は今のフィッシャーでも敵わない。 もしCDで再度、同じ演奏を聴取できたら、セル指揮クリーブランド管絃楽団の演奏を推したい。
(2020年1月13日追記 タグとして2010年3月9日とする) |
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2011年4月8日 セル指揮 クリーブランドオーケストラのCDを聴取。以前、LPでの聴取記録を前記した。その後、CDでも発売されてかもしれないが、入手をしないまま、かなりの年月が経過していた。このたび、SONYより限定版が発売されるとのことなので、HMVより入手をする。CD4枚組みで、トータルタイムは4:23:54にも渡っている。Hob-No-97を含むシリーズは2枚目に収録され、96.97.98の3曲が1枚になっている。
録音は1969年。セルでは、晩年に近い。No.97はトータルタイムでは、約29分にも渡る。音源は、以前聴取したLPと同じ。Tuittiでの透明感は変わらず。特に、第2楽章の変奏曲で、管と弦との対比がある。この部分でも全楽器が、かなり響く中、あくまで、弦は大きな編成を意識させない。Finaleのcodaの部分で、弦のピチカートが一瞬がある。この部分でも、solo楽器で引いているような雰囲気。
また、かなり以前の録音ではあるば、ステレオ間の広がりがある。残念ながら、自分の聴覚の衰えを感じてしまう。同じ音源ではあるが、vn.の音の艶が減ってしまっている。聴取環境(今はヘッドホン)の違いはあるが、高音域が聞きにくくなってしまった。この点は残念。しかし透明な音色は、変わらず。ランクはAのままとしたい。 |
2015年2月7日 G.セル盤の1957年の録音。No.88.104と違って、こちらはステレオ録音。上記で約4年前に聴取記録を記載したものよりは、一昔前の録音となる。演奏スタイルは基本的に大きな違いはなさそうだが、録音が、こちらの方は、やや不鮮明。第2楽章の終わりの方でT128から、cantabileの表記がある。セルの録音は、No.88や104と同様に、ここでは、ずっとテンポを落とす。これは一つ後の録音とは差があるかもしれない。Menuet T36のtimp.のsolo箇所などは、もっと切れよく目立って欲しいが、後の録音の方が私にも好みに合う。 |
2012年1月7日 ショルティ指揮LSOのCDを聴取。hob-No93では、意外にもオーソドックスな演奏の雰囲気を記載した。この交響曲に関しては、異なる。出だしの序奏こそ、平均的なテンポだが、主部に入ると、恐ろしいほどの速さ。Vivaceの指定であるが、あたかもPrestoあるいは、それ以上のテンポ。弦楽器でも低弦の楽器でもこのテンポについて行くのは大変な感じ。第3楽章trioのvn.のsoloは目立たず。Fialeのテンポは平均的は速さ。
(追記)2015年12月30日 Georg Solti London盤 の No.97を聴取。序奏は通常のテンポイだが、主部に入ると、恐ろしく速いテンポ。今まで、これほど速く聴いたことがない。速度指定はPresto 以上かもしれない。No.93から96までは余り意識はしていなかったが、hr.とtrip.は左右対称に広がって位置。Tuttiでは、左右全体に広がり、録音の良さもあって心地よい。
このhr,とtrp.の両端の配置は、FinaleのT16でよく分かる。T16では、hr.が他の楽器を押しのけてfで登場。その後、T24ではtrp.が単独で登場。T32でTuttiとなりオケ全体に広がる。 |
2014年12月21日 デイビス盤を聴取。全般的に遅めのテンポの中で、第1楽章の序奏は少し速め。しかし、全体的に、遅めのテンポの分、スコアを見ながら、、じっくりと曲の細かい面白さを堪能するには、最適な演奏。第3楽章のMenuet & trioは、スコアでは繰り返しのない形で、書かれている。この違いがどこにあるのか。soloのtimp.の表示記号があるなど、ゆっくりとしたテンポでないと、わかりにくい。fg. が、大きめな音量で入っているので、soloの掛け合いなども良くわかる。 |
2015年1月10日 G.ヘルヴィッヒを聴取。スコアをみながら、音符を追っていくと、作曲者の細かい意図が少しは見えて来るような第1楽章。T14での第1主題の提示では、Tuitti Vivaceは、音符の長さが全音符から8分音符までで構成。しかしスッタカートやスラーの指示記号がない。しかしT23でスッタカートの指示記号の後、ob.のsoloでレガートがT24に入る対比。T63では、1小節の中に、弦がスラーの直後に、スッタカートが混じるなど、細かい指示記号がある。井上著の冒頭で、ハイドンの演奏の難しさの指摘で、僅か1小節の中でも、各パートの出だしや変化が微妙に異なる岩城宏之氏の引用があった。まさに、この楽章ではないかと思う。
ヘルヴィッヒの演奏は、概してテンポは中庸であるが、T76の第2主題の提示で、僅かにテンポをを落としているのが印象的。第3楽章は、Menuet の繰り返し記号を省略し、続く部分を微妙に旋律を変えている。第2楽章も同じような共通点があると思う。(これまでの曲は繰り返し記号による反復が多い) |
2015年8月11日 C.デイビス ACO No.97を聴取。大編成のモダンオケでありながら、意外に、弦の各パートを細かく聴かせてくれるデイビス盤。T20-22でvcが独自のパートで旋律を引く。この独自のvc.のパートは今までも、気づいていた。この動機は、その後の各変奏されていく部分でも、類似して登場する重要なもの。T22で、vc.が後半は休み、bassのみが受け継いで旋律を受け継ぐ。この音色と音程の差がある意味、聴き所であると思う。デイビスの演奏では、この対比が意外にうまく引き出せていると思った。
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2015年11月1日 ノリントン ロンドンセット ライブ盤 No.97を聴取。No.95の印象をそのままNo.97に再現した雰囲気。Menuet のTrioの部分は、vn.のsolo指定がある。No.96にも共通しているかもしれないが、solo指定でない部分も弦楽器はsoloで弾いている箇所があるようだ。一番面白いのはFinale。こちらも、No.95と同様に、前半は繰り返しがあるか、後半は繰り返しがなく、一騎に流れるように進む。ついつい全体の音色に集中してしまう。しかしながら、各楽器の細かい強弱の指定があり。ノリントンはこの微妙な細かい強弱の指定を忠実に守っている。
たとえば、finaleの最初の方のT17の部分。ここでは一般に弦のpの指定に合わせて、hr.のfの指定が余り目立たない。しかしノリントンの演奏では、このhr.の音を大きく忠実に再現。少し後のT24のtrp.も同様のf指定を守っている。 |
2015年12月21日 バースタイン ニューヨークフィル No.97を聴取。緩除楽章では、比較的テンポはゆっくり目だが、この曲ではそれほど目立たない。中間部当たりのT93からは、弦の各パートがsoloで引いている。この箇所は、今まで余りsoloの扱いには注意をしていなかったが、バーンスタインの演奏では、T114当たりまで、弦のsoloがほぼ続いている。ちなみにノリントンの演奏では、vn.パートはsoloであるが、他のパートがsoloであるかどうかが、分かり難い。
Menuetの遅めのテンポでは、ここでは、じっくりと大音量の編成の特徴を発揮。テンポを微妙に変えながら、特に旋律が終わる部分では、さらにテンポを落として、音色に変化を与えている。トータルの単純な比較はできないが、ノリントンのこの楽章は3:52。それに対して、バーンスタイン盤は、4:30にもなる。この楽章でMenuetは繰り返し記号がない。Trioの後、他の曲と異なり、最初の部分が同じ様に繰り返される。時間も通常より長くなり、この楽章だけを聴いても、他の曲と比較して迫力がある。 |
2016年8月10日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment No97を聴取。
No.96のホグウッドから引き続いて聴取するが、trp.とHr.の位置が余り離れていないので、Tuttiで各パートの分離感が今ひとつ。
Finale coda T307のフェルマータの部分。ここで第1vn.の即興の旋律が入る。ここまで聴き通してきた中で、即興の旋律がなかったので、意外な感じ。 |
2016年10月17日 E ヨッフム ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 No.97を聴取。各楽章で低弦のvc.が随所で活躍するのが特徴のひとつ。演奏では、低弦含めた各パートは編成が大きいこともあって分離感が少ない。第3楽章のTiroのvn.のsoloも目立たず。
Finaleの長いcodaに向かう部分のt260の弦のピチカート。ここの部分は過去に聴いてきた指揮者と同じようなテンポとfに近い音量。その後、T265の2箇所目ピチカートでは、音程が下がることも加わり、音量をT268まで落とす。その後のff指定の音色と対照的。従来まで聴いてきたヨッフムと同じ解釈。 |
97番 アーノンクール
2017年8月6日 N. アーノンクールRoyal Concertgebouw Orchestra No.97を聴取。第4楽章のFialeの第1主題。第1vn.はスラーを伴い柔らかい旋律から始まるが、T6から4分音符の下降旋律、スッタカートになっている。アーノンクールはスッタカートでなく、通常通りに引いていて、T1からT7まで聴き通すと、第1主題が柔らかい雰囲気。繰り返しをはさんで、T17からは、弦のユニゾンは、スッタカートではない。一方、f指示のtrp.はスコア通りにスッタカートで演奏。弦のパートの音量を押さえていることもあり、trp.が引き立つ。冒頭の主題は、時にはスッタカートに必要に応じて演奏され、適宜、緊迫感を増して盛り上がる。
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2018年1月3日 T ファイ No.97を聴取。序奏の冒頭から、Tuittiで打楽器群を含む音量に圧倒され、切れのあるリズム感。この第1楽章では、やはり第2vn.を含めた分離感を推薦したい。モダン楽器での第2vn.が右側に位置している演奏をこれまで余り聴取していない。このため、vn.の各パート間での掛け合い、及び2つのvn.のユニゾンなどが聴き所としたが、余り満足できない箇所もあった。ファイの演奏では、この点では十分に満足がいく。
何度も聴いて来た曲であるが、この第1楽章は、3拍子であることは今まで余り意識していなかった。4拍子でのシンコペーションの箇所は、初期の頃から時折見かけるが、3拍子で、シンコペーションに近いリズムは、第1楽章では余り意識をしていなかった。
(第3楽章の3拍子のMenuetでは時々見られる場合はあるが)
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2018年1月9日 T ビーチャム ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 No.97を聴取。1957-58年のモノラル録音。第2楽章のテンポは、かなり遅く、足を引きずるような演奏。
第3楽章のMenuetでTrioから回帰してくる部分。繰り返し記号がないMenuetの主部は、最初と同じ長さが多い。しかし、ビーチャムの演奏では、短縮され半分ずつしか演奏されないのは珍しい。出版の違いなのか、スッタカートやスラーなどの記号の私事が、今まで聴いてきた中とは異なる箇所がある。
ファイの個性ある演奏の後に聞いた後だけに、取り立てての印象は少ない。第1楽章の、提示部と後半の繰り返しはなし。他の楽章も繰り返しのない箇所が多い。第2楽章の中間部では、テンポの変化は余りないが、ことさら強調した音量を採用しないのは意外
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2018年5月9日 97番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。ハイドン音盤倉庫に、この第2楽章の「しなやか」な起伏の表現という点で記述がある。この緩叙楽章も、その典型で、まずはいつもの様にゆっくりしたテンポで始まる。中間部の短調の部分は、もちろん柔らかい雰囲気は皆無。両端の柔らかいフレーズは随所にある。一番印象に残るのは、Codaの部分でT137当たりから。この当たりからT149の終結に向けて管楽器を中心としたsoloが活躍し、消えるように終わる。No.90も同じような雰囲気で共通している。T137からは得てしてfl.とob.のsoloの旋律が目立っていて、弦の他のパートはそれに対して目立たない。この部分では、vn.を含む全ての弦楽器が音量は低いが、常に柔らかいニュアンスで引いている。この箇所ひとつをとっても、細かいニュアンスとフレージングを重視した解釈が良く分かる。 |
2018年7月18日 97番 トン・コープマン アムステルダム・バロック管弦楽団を聴取。下記のハイドン音盤倉庫にも、高い評価で記載されている。最近、当たり外れが少しある中、これは良いCDに出会う。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-214.html
古楽器で、コープマンがcmb.と指揮を担当。日本語解説書はないが5ページ目に、奏者のクレジットが掲載されている。弦の奏者は下記の通り。
5:4:2:2:1
第2vn.は左側に位置。Va.以下の低弦の奏者が少ないこともあり、そのぶん、vn.が中央よりも右側まで少し広がっている雰囲気。個人的には対向配置を好むが、低弦の奏者の配置が明瞭に聴こえるのが良い。
上記のブログにも記載されているが、柔らかい表現が一番の特徴。1991年にNHKのモーツァルト没後200年記念で、全曲演奏のライブ録音を聴取した記憶がある。特に初期の交響曲は、柔らかい表現が特徴で、今でも記憶の隅にある。序奏のT1からのTuittiから、まずは打楽器群を含めてそれなりの迫力。T1で直ぐに、第2vn.以下のpの柔らかい表現との対比。T4でbassから分離したvc.の柔らかい表現が特徴。(ここでは2名のvc.奏者がsoloでないのが明白に聞き取れるのが良い)
T14からの第1主題。Tuittiで開始されるが、T17で少し音量を落とす。音量を落とすことで、T21以降に続くその後の動機との対比が良い。終わりのcodaになると、timp.が独自で活躍するのも、ファイなどで少し聞いたが、ここまでの表現は初めて。
第2楽章は、テンポは中庸だが、管楽器群と弦との対比が良い。冒頭の第1主題は、弦楽器のみで演奏されるが、T5から管楽器スタッカートで入ってくる部分。T1からT5までは弦楽器のスラーを中心とした柔らかい表現とは対照的。この音色の対比が良い。
第3変奏 T54からのvn.による スル・ポンティチェロ(sul ponticello)の部分。ここでも弦の奏者が少ない分、少し、くすんだ音色が良く分かる。スコアではT84からこの指定になっている。しかし、コープマンの演奏では、T93からこの奏法をしている様に聴こえる。
圧巻は、その後に続く、微妙な強弱を含めた表現。T100当たりから、奏者の数を減らしいるようだと思う。その後、少しずつ音量を微妙に落としていく表現がすばらしい。
第3楽章は、Menuetの指示だが、テンポがかなり速く、あたかもスケルツオのような雰囲気。元々、繰り返しの記号が入っていない。強弱の対比が激しく、速いテンポの表現とも相まって、前のゆったりした楽章とは対照的。Finaleも第1楽章と同様に、codaではtimp.の独自の動きで締めくくる。全曲を聴き通してみて、第2楽章の微妙な表現が一番の印象。cmb.は入っていないように思える。
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2018年8月29日 クイケン ラ・プティト・バンドのNo.97を聴取。No.96 第1楽章 第1主題で小節間にまたぐ、スラーの微妙な強弱について記載をした。この曲では、概して、余り目立たない。
第2楽章の第3変奏 T54からのvn.による スル・ポンティチェロ(sul ponticello)の部分。前回聴取したコープマンの演奏では、このくすんだ音色が良く分かった。しかし、クイケンの場合は余り差が聞き取れない。
第3楽章のMenuetは、繰り返し記号を持たない点でユニーク。多くの指揮者はTrioの終わりの部分で、Menuetに回帰する直前、テンポを緩めて終始する。クイケンも同様だが、他の指揮者以上に、このテンポの緩めを目立たせている。その分、回帰してくるMenuetの冒頭の強弱、音色の対比が良く分かる。余り目立たないが、フォルテピアノあるいはcmb.が解除楽章以外なbass.パートで入っているので、Trioのsoloのvn.を含む柔らかい雰囲気が対照的。 |
2018年9月14日 レナード・スラットキン フィルハーモニア管弦楽団 No.97を聴取。序奏の後、第1主題は、ff のTuittiとなっているが、少し音量を落として、柔らかい雰囲気。第2楽章の中間部で、第3変奏 T92からのvn.による スル・ポンティチェロ(sul ponticello)の部分。先日、聴取したクイケンのときは、奏法の差が余り分からなかった。スラットキンの方は、この奏法の違いが良く分かる。 |
2019年5月21日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 97番を聴取。No.83のときもふれたが、この第2楽章で、スタッカートの切れの良いリズムについて記載をした。このときは、切れとスラーの対比が良かった点。この曲の冒頭の序奏も同じような箇所がある。メルツェンドルファーの演奏は、No.83の時と同様に第2vn.から4分音符でスタッカートの指示がある。 T2からは第2vn.、vc.+bass.が受け持つ。第1vn.のスラーのある旋律と対照的。このリズムはT13の序奏の最後まで通している。主部からのTuittiとの対比も効果的。
以前 T コープマンのレビューで、この箇所については全く対照的。(譜面あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-953.html
Tコープマンの場合は、スタッカートではなくスラーで引いていた。全く両者は違う解釈であるが、メルツェンドルファーならではの解釈でよいと思う。
第2楽章の中間部で sul ponticelloが 第12vn.の指示になっている。スコアではT54からの開始となっている。今までの演奏では、この奏法が、わかり難い部分が多かった。メルツェンドルファーの場合は、T54から明らかに、この奏法になっているのが良く分かる。T54からの f と T91からの p との対比が良い。T91からの部分は、vn.はsoloで引くケースもあるが、メルツェンドルファーの場合は、soloではないようだ。また、vn.以外にva.やvc.も同じ様な奏法でしている雰囲気。この奏法で強弱を含めて、旨く対比させていると思った。
Finaleでの歪も比較的少ない。全体的に録音も比較的良いのに合わせて推薦したい。 |
2019年12月25日 97番 ヘルマン・アーベントロート ベルリン放送交響楽団 を聴取。下記のブログに、No.97のレビューが記載されている。
こんなCDを買った!聴いた! 宇野功芳さんの訃報と、アーベントロート
https://blog.goo.ne.jp/mikotomochi58/e/8d4072ba89454550696723699c320510
上記のレビューによれば、「テンポはかなり動かしていると自然さがある」と記載がある。No.88では4つの楽章で、それぞれの特徴、特にテンポの対比が面白さと記載した。テンポはかなり動かしているが自然なキーワードに関して、ある意味うなずける点もある。No.88のFinaleの部分にもふれたが、一瞬の間とその後に続く聴取者への期待がポイントになっていた。
この曲にも当てはまる。例えば第2楽章。速いテンポの第1楽章から急に、遅いテンポの第2楽章に入っていく。このテンポの対比そのものも、No.88と同じ印象。T66でいったん、柔らかく半終始をする。その後、短調にはいる部分。ここでは一瞬であるが間が入る。このタイミングが心地よい。
しかしレンジが狭いためか、この後に続く sul ponticello の奏法による音色の変化は、ほとんど分からない。モノラル録音で中央に一点して音源が集中していれば、まだ聞きやすい。しかし時折、左右にふらつくような低位感が悪いところもある。なお、この演奏はランドン版か旧盤かは、私にはわからない。 |
2022年8月13日 J テイト イギリス室内管弦楽団 Jeffrey Tate English Chamber Orchestra 97番 を聴取。比較的テンポを一定としている解釈は同じ。ハイドンの交響曲の魅力は第1主題の出だしで決まるときもある。第1主題は、短い動機から構成されることもあれば、(2つ前のレビューのNo.94の第1主題は典型的な一つで、1小節単位の中に、さらに細かいモチーフがある)それに対して、No.95やNo.97の第1主題のように、比較的長い旋律から構成されるものと大別されると思う。No.97の第1楽章は序奏が終わり、提示部の中でも様々な動機が登場する。No.48やNo.82の第1楽章のように、種類の多い動機が、目まぐるしく登場するパターンもある。しかしNo.97のように動機の数はそこそこだが、提示部の中でも複数の動機が、様々なパターンで転調、装飾、展開などがあるパターンもある。
この演奏は、テンポが一定なので、俯瞰して曲自体の魅力が分かりやすい。第1主題が提示、推移と確保、第2主題が登場するまでの間の経過的部分。T63あたりで短い箇所だが、調性が大きく変わり、少し、暗い雰囲気になる部分がある。 1小節の中でも fz の細かい指定があり、この音量をどのように表現するかも、指揮者によって様々。この演奏では、T68の弦楽器の音量は抑え、管楽器の音量を強調している。Tuittiを生かして、全ての楽器を強調させるのとは対照的。 Soloの扱いは、No.95と同様に、それほど目立たないが違和感はない。
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2023年11月24日 97番 A フィッシャー デンマーク室内管弦楽団 を聴取。第1集からとなると5曲目になる。5曲目となると、今回の新録音での フィッシャーの演奏スタイロもある程度、見通しが立ってきた。No.97は、第2楽章の変奏で、 sul ponticello がvn.の指示があるスッタカートの跳ね弓の奏法はNo.93から承知をしていた。それに対して、 sul ponticello の奏法がここで初めて登場するので、この対比が一番の興味となる。
T コープマンのレビューでは T93の当たりからすでにこの奏法を行っていたこと。また、その後、T100あたりから奏者を減らして微妙な強弱の表現を記載した。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-953.html
フィッシャーの場合はスコアの指示通り、T90からこの奏法で行っている。その後T126あたりまで、この奏法を続けている雰囲気。また音量の対比が大きく、繰り返しがなく流れていく変奏曲の中でも効果的。
少し戻るが第2楽章のT20~T21の部分。 確か C デイビス盤でもvc.により特徴のある拍の違いが興味深いと記載した。(下記の譜例)
フィッシャーの場合も、第1vn.の旋律の後、呼応するかのように、vc.がこの旋律を受け持っている。全集の録音では、この箇所はどのように演奏していたのか記憶はないが。新録音に関して、フィッシャーは今回、新たな視点から見直したとコメントをしている。この例の一つかもしれない。
第3楽章は T ビーチャムのように、 Menuetto の回帰されてくる部分がカットされている演奏もある。恐らくランドン版ではなく、旧版の演奏では繰り返しがない指示だったのかもしれない。フィッシャーの場合は、ランドン版のためか通常通りの演奏。 ハイドンの書籍の中で、 この交響曲は、 Menuetto の繰り返しを忠実に守るために、あえて反復記号を省いて記載をしていたことを思い出す。注意深く聴かないとこの違いは分かり難い。ハイドン自身、初演あるいは再演に際して複数のリハーサルを頼んだりした。初演当時の聴衆に対しても、聴衆に対してのアピールを意識したことが垣間見える。ランドン版でのスコアは忠実にこの指定を守っているようだ。
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