音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.97  hob-No.95
2023年12月31日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
97 95 1788 c 4 -  -  - - (1) D ロンドソナタ形式とフーガを加えた独自の様式
       1 c Alleglo moderato
       2 Es Andante
       3 c Menuet & trio
4 C Finale:Vivace
ロンドンセットで唯一の短調の交響曲。第1楽章は序奏なしで登場。主調から直ぐに長調に転じて、第2主題に続く。前のNo.94と同様に、再現部では、第1主題がかなり展開されて登場する。Andanteは、vc.のsoloを伴う変奏曲。
 Menuetではtrioでもvc.のsoloが活躍。特に、幅広い音域が楽しめる。Finaleは、No.94と同様に、ロンドソナタ形式と思う。フーガの様式も加わる。4楽章と通して、一番の聴き所だと思った。元々、全体的に聴き通してみて、No.75が同じ調性であり、この交響曲を踏襲していると思った。しかしNo.75と比較すると、斬新な印象は少ない。他の交響曲と比べると評価は低くなってしまう。ドラティ盤は思ったよりもsoloの箇所が引き立ち、ダイナミックな雰囲気。ドラティ盤の方を勧めたい。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年3月7日とする)
2010年9月4日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 第43回」 を聴取。T. ピノック ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団による演奏。古楽器の演奏ではないが、演奏スタイルは、解説者の通り当時を踏襲。第3楽章のMenuetは、早めで音量豊かな店舗。それに対して、Trioは、 vc.のsoloが活躍。この音色の対比が印象的。しかし全体的に、フィッシャーの演奏が勝ると思った。--------------------------------------------------------------------
2011年4月10日 セル指揮 クリーブランドオーケストラのCDをNo.97に引き続いて聴取。No.97でもテンポは中庸だと記載をしたが、これも同様。soloは主に、vc.が活躍するが、ステレオ間の広がりのためか、かなり右側に位置する。録音状態によるかもしれないが、soloを引き立たせようとするばかりに、全体のまとまりが、やや悪い感じにも受ける。(1971年録音) 
  No.97と比較して、弦の統一感がやや不足気味。No.97では、弦楽器がsooだろうが、Tuittiだろうが、それほど区別がなく、楽器の音色に関して透明感があった。しかし、この曲に関しては、余り透明感がない。逆にアンサンブルの乱れが多少あるように聴こえる。ただし、この曲自体、元々、私自身がランクを低くしているので全体の印象は、どうしても低くなってしまう。
2014年12月6日 デイビス盤を聴取。元々、遅めnテンポだが、第3楽章のは、かなり速いテンポ。一番の聞きどころのfinaleは、かっちり、まとめた感じ。
2015年1月3日 2015年1月4日 G.ヘルヴィッヒを聴取。第1楽章は比較的、速いテンポ。第2楽章T38の低弦がfのトリルで入る。再現部のvn.soloのT80と対照的。刻むようなリズムが中心の中で、長音符のトリルが目立つ。
2015年7月29日 C.デイビス ACO No.95 を聴取。No.96と違って、vc.のsoloが活躍。第2楽章の冒頭の主題が、かなり目立ち、他の主題は、余り目立たない。しかしT6~7のvc.(solo指定でなし)の旋律は、時折ではあるが、重要な役割を果たす。(その後のT20.26など) また、第3楽章のtrioでもsoloのvcが活躍。デイビス盤では、比較的右端に位置する。
2015年10月31日  ノリントン ロンドンセット ライブ盤 No.95を聴取。12曲の一連の中で序奏が唯一なく冒頭の主題が登場。冒頭の主題のインパクトが唯一堪能できる中で、このノリントンのノンレガート奏法が存分に、冒頭から魅力的。2小節からなるスッタカートをからめるこの主題が、ノンレガートと対比されている。ハイドンの魅力は、モーツァルトと異なり旋律の美しさとは無縁に近いところが多い。この冒頭の主題は、いたるところで転調、楽器に受け渡される音色の変化は当然のことであるが。
 この楽章の大半は、スッタカートを伴っている中で、展開部のT104の箇所。ここでは、唯一かもしれないが、スッタカートが伴わない。ノリントンの奏法では、開花したように、この部分で冒頭の主題の姿が異なっている対比が心地よい。再現部T129からの第2主題で、少しテンポを落として明るさを引き立てるなど、テンポの味付けも興味深い。
 第2楽章では、従来まで気づかなかったが、cmb.が効果的に入っている。Finaleも盛りあがりがすばらしい。今まで、様々な演奏を聴いてきた中で、No.95に関しては、曲自体がいまひとつの印象であった。しかしながら、聴き通してみると、ノリントンの演奏で評価が高まったと思う。
 2015年12月20日  バースタイン ニューヨークフィル No.95を聴取。No.94と同様に、全体的に遅めのテンポ。大編成の割りには、金管、打楽器群が割合に目立っている。FinaleのT54からのhr.で登場する旋律。この動機が初めて登場するが、最後までこの楽章を支配するように活躍。バーンスタインのこの旋律は、今まで聴いてきた他の指揮者と異なり、目立たせている。他の楽器のパートは、この動機は、殆ど登場しないので、逆に最後の締めくくりで良い盛り上がり。
2015年12月29日 Georg Solti London Philharmonic Orchestra DECCA盤を聴取。2011年にNo.93は聴取したが、その後は、途絶えていた。バースタインからの引き続き聴取なので、テンポの差に戸惑う。概してテンポは、やや速め。C、デイビスとバースタインの中間。 バースタインと違って、音の厚みがやや少なく、自然な雰囲気。第1楽章は、比較的速めのテンポで流れるように進む。第2楽章 T16のtimp.を伴う強打も通常。
2016年8月9日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No96を聴取。Fとpの微妙な強弱を付けるのは、どの指揮者でも共通しているが、ブリュッヘンでも同様。第1楽章終わりの方のT191から194にかけて。大半の指揮者は、fの指定をそのまま通してcodaに向かう。ブリュッヘンは、僅か1小節であるが、真ん中のT192をfではなく、少し弱めて演奏している。
2016年10月15日 E ヨッフム ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 No.95を聴取。No.93のcodaに向けての盛り上がり一番のポイントであるが。No.93と同様に強弱に微妙なニュアンスを加えている。通常の演奏では、T181の第1vn.は、fのまま、その後のt182の4本の管楽器のsoloに引き継ぐ。この部分の音色の対比が聴き所のひとつ。
 ヨッフムの演奏は、T181当たりから、テンポと音量を少しずつ落とす。その後T182の管楽器との対比が目だって、その後のcodaに向けての盛り上がり。No.93と同様に、Finaleが一番面白く、曲全体を締めくくるにあたり、独特な解釈がある。

2017年7月29日 N. アーノンクール  Royal Concertgebouw  Orchestra No.95を聴取。No.96で、スッタカートではなくスラーの解釈で、曲全体の面白さを記載した。No.95に関しては、細かい音符を変える箇所は、殆ど私には見出せない。
 第2楽章の冒頭でAndanteの指定だが、一般の他の指揮者よりは、ややテンポが速め。
Finaleでt54からhr.とtrp.から登場する8分音符の短い動機は、その後、timp.に受け渡せられ、codaに向かって盛り上がりに寄与する。Timp.を含むこの動機は、余り目立たず、弦のTuittiを重視している解釈。全体的には、アーノンクール独特の印象は少ない。
2018年3月17日 (Pablo Casals)指揮のマールボロ音楽祭管弦楽団No.95を聴取。No.45から引き続き聴取する。録音年月日が少し下がり1967年7月8日 マールボロでのライブ。録音はダイナミックレンジがNo.45と比較して少し広くなるが、奥行き感は、やはり不足気味。楽器などが手前の方で聞こえている。
 もともとの音源によると思うが、最終楽章Finaleで、音のゆらぎ、歪が目立つ。 ライブならではの迫力のある雰囲気が伝えわって来るが、録音が余りよくないので、印象が少ない。
 
2018年5月7日 95番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。ゆっくりしたテンポの緩叙楽章でvc.のsoloの箇所が多い。No.90では、vc.のsoloが余り目立たないと記した。一方こちらの方は音域が高い箇所が多いためか、vc.のsoloが十分に聴き取れる。終わりの方で、T64からhr.が持続音で支える箇所がある。この部分は案外、目立たない部分ではあるが。ロスバウトの演奏では何とか、少しは聴こえるが、ダイナミックレンジとモノラル録音のため不明瞭。もし、ファイなどの演奏だったら聴き応えがあるが。 Finaleは弦楽器が主体で動き、各パートが独自の動きの箇所も多い。モノラル録音のため、この各パートの動きが聴こえないのが残念。
2018年7月20日  T ファイ No.95を聴取。ザロモンセットで、以前、購入していた残りの曲のひとつ。必要に応じてhr.を中心に豪快に吹く箇所が ファイの『特徴のひとつ。ここでも第1楽章 終結に近い t155から、hr.とfg.が、低音域で豪快に鳴らす。
 しかし、全体的に通して聞くと、繰り返しの後半の装飾の箇所もなく、余りファイらしい特徴は見出せない方だと思った。









2018年9月12日 レナード・スラットキン フィルハーモニア管弦楽団 No.95を聴取。No.94から引き続く。No.93.94ではvn.は対向配置ではなかたっと思うが。この曲では、対向配置になっている。
 
T ファイで、第1楽章T155当たりから、でfg.とhr.の長い持続音が印象的と記載をした。(下記のブログ)  スラットキンのl場合は、この当たりは余りはっきりとは聴こえ難い。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-955.html

 第2、第3楽章のvc.の独奏部分は、No.93.94と比較して、他のパートに埋もれることもなく、明白、かつ自然な雰囲気。Tuittiでも根本的には多少抑えている解釈は同じで、Finaleの盛り上がりもある程度、節度ある雰囲気。
2018年10月3日   ロイ・グッドマン ハノーヴァーバンド 95番を聴取。第2楽章の前半からvc.のsoloが入るが、右側端のかなり手前に位置。va.がその分、右側中央のやや奥側にあるかもしれない。第3楽章trioでもvc.のsoloが高音域で活躍するが、スッタカートの部分は、ピチカートで引いているかもしれない。左右にかなり広がった録音。演奏の解釈としては、No.94と同様に、素直な雰囲気に終始。
2018年12月25日 クイケン ラ・プティト・ バンド No.94を聴取。名曲解説全集では、ザロモンセット唯一の短調の交響曲に関連して、新しい様式の展開を感じさせるよりは、過去のものとなっていた手馴なれた1980年代初期の語法の繰り返しの印象を与えると記載してある。根拠のひとつとして、第1楽章ではソナタ形式のそれぞれが半独立的で、楽章の内的関連に乏しく、和声的なふくらみにも欠けている。確かに他の曲に比べたら、その考えもありかもしれない。しかし、私には、序奏こそないものの、それなりの魅力の箇所があると思う。 
第1楽章の冒頭 Tuitti の短調の主題。これに続き、T21の経過部から長調 (C-dur?) に転じる部分。 調性が、がらりと変わり多くの指揮者は f の記載から8分音符(3連符)低弦も、鋭く演奏するかもしれない。しかし クイケン の演奏では、この低弦の旋律が、少し柔らかく演奏している。その分、小結尾や展開部での類似箇所で、低弦の旋律が力強く演奏されるので、旨く対比されていると思う。


Finaleは、形式的な明快さを欠き、ホモホニックな主題とフーガ部分が交互に現れる。T55でtimp.から登場する動機は、codaに向かって主たるリズムのひとつになる。バーンスタインの演奏では、T55でのhr.の、この動機の登場を旨く強調させたと記載した。クイケンの場合はそれほど目立たず。
2019年5月16日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 92番を聴取。No.92は、パリセット以降のNo.86を除くと、かなりレビューを多く書いている(12) その分、様々な奏者(録音を含む)で比較する楽しみがある。対位法の箇所が多いのは、大体この時期は共通している。それに加えて、低弦、高音域の間の内声部の旋律もポイントになると思う。たとえば、序奏の後T21から第1vn.が主題を開始しその後、直ぐにT22で第1vn.に16分音符の動機がある。短い動機だが、この楽章の随所で登場する。各パートの掛け合いのひとつにもなるが、T25は第2vn.。T26は第1vn.、T27は第2vn.とvn.同士でも分かれ、旋律も異なっている。


提示部を経過した後、展開部ではこの動機は、様々に変わっていく。たとえばT110では第1+2vn.ユニゾンで16分音符を引く。それに対して、vn.以外の全てのパート(timp.は除く)は、4分音符を含むリズムになり、16分音符は含んでいない。vn.は管楽器の高音域と低弦との間に挟まれいる。このため、中音域を受け持つ。低音から中音、高音までの各音域で明瞭に聴こえて欲しいのがハイドンの面白みであると思う。この各音域での明瞭な録音を期待したい。しかしメルツェンドルファーの演奏では不十分。このため、録音の点で不満になる。
2019年10月11日 95番  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。CD27枚目で3曲目に位置。録音や編成はNo.93と大差はない雰囲気。No.93にも記載を少し記載をしたが、低弦を中心に柔らかい雰囲気が随所にある。
 第1楽章のT21の部分。ここまで3連符の動機が登場しなかったが、T21で低弦で最初に入ってくる。T ファイなど 低弦の音色の切れを生かして、このパートを強調したい部分。ドラホシュの場合は、あくまで柔らかく演奏。
 第3楽章 Menuetの途中から登場する timp.の行進曲風の旋律。Finaleの途中から随所に再度登場する。この旋律もさほど協調させない。最初の短調がベースとなる調性でありながらも、長調の箇所が頻繁になっている部分をうまく表現。ドラホシュの演奏をここまで一通り聞いてきた。初期から中期の交響曲は、少ない奏者で各パートの分離間も良好、後期のザロモンセットも、少ない方の奏者ではないかもしれない。しかし各パートの分離間も、初期から中期の交響曲の同様に好演だと思った。
 2019年11月6日 95番 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を聴取。No.98は1960年の録音だが、こちらは1970年と10年の開きがある。録音レベルはNo.88以上に高く、ダイナミックレンジも広くて録音がかなり鮮明。もともとクレンペラーのテンポは概して遅め。
 序奏がないザロモンセットで唯一の交響曲。冒頭からTuittiのユニゾンで始まるので、最初の音量の出だしが気になるところ。冒頭からかなりの大きい音量でしかもテンポは遅め。しかしこの遅めのテンポが功を相して、厚みで重みのある雰囲気が魅力的。No.98では第1楽章の提示部で繰り返しがなかった。しかしこちらの方は、繰り返しがあるのもありがたい。T28から長調で第2主題が、柔らかい雰囲気で登場する。この直前にT27で第1vn. va. fl. 旋律がある。手持ちのスコアではすべてスラーになっている。しかしクレンペラーの場合は、一部をスタッカートで演奏してアクセントをつけている雰囲気。
 第2楽章でT11からvc.のsoloが入る部分。vc.は中央のやや左側に位置。第2楽章の冒頭からテンポは第1楽章以上にテンポは遅い。T31からの短調からの中間部は、さらにテンポが落ちているが違和感は全くない。






クイケン ラ・プティト・ バンド で第3楽章の一部の動機が、Finaleに転用されている点を記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1049.html

もともと、どの交響曲にも各楽章間で動機を共有し統一感を与える手法はある。遅いテンポで初めて気づいたのかもしれないが、第2楽章の終わりに近い部分。8分音符の短い動機が終わり頃にT66でfg.から登場する。T15の第1変奏の部分で似たような旋律があるが、codaまではそれほど目立たない。T66からT70の最後まで登場する。
 この動機がそのまま、第3楽章の動機につなっがっている雰囲気。第2-3楽章も統一感を持たせているのかもしれない。Trioのvc.のsoloも第2楽章以上に音量がアップされている雰囲気。しかしこれがこの指揮者の特徴でもあると思う。クレンペラーの演奏は、過去分を含めて録音の不鮮明さも相まって、いまひとつの印象だった。しかしこの曲に関しては、ゆったりとしたテンポ、録音がよいこともあって好印象に思った。
 

2020年12月16日  T ビーチャム ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 No.94 を聴取。3曲目となると、何となくこの指揮者のコツを少しは、つかめたような気がしてくる。「ジェントルで高雅な雰囲気」がフレーズになっている中、1曲ごとにFinaleの終結を如何に占めるか、聞かせてくれるのかがポイントになると思った。特にザロモンセットの交響曲は規模が大きく、少し前に聴取した初期のNo.23の交響曲などと異なり、全てTuittiで多数の聴衆を意識したように、聴き所を押さえた様に締めくくる。No.93と94には共通している点が、Finaleの終わり方だと思った。このNo.95も同様でFinaleの最初は少しテンポを押さえての開始。T32からのフーガ風に入る箇所から音量を上げて、テンポを速める転換の気持ち良さ。
スコアの版による違いがあるかもしれないが、終わりの方のT182~184の管楽器のパート。スコアではスラーの表示になっているが、この演奏ではスラーを採用していない。この箇所だけに限らず、他の楽章や他の曲でも一部ではあるが、スラーではなくスタッカートを採用している部分もあった。スラーを採用しないことでt184からの第1vn.のスラーの旋律と対照的。第3楽章の打楽器の動機の一部が、第4楽章に転用されることは余り目立たない。モノラルでレンジが狭い録音ではあるが、打楽器群特にtimp.のこの動機が、この指揮者では、かなり大きく取り上げていると思う。
何せ1957から58年の録音。録音箇所は2箇所の様で一つはパリ。もう一つはロンドンの有名なAbbey road no.1 Studio でEMIからの発売が最初。モノラルでも、そこそこのレンジの広さはある。各パートの分離を堪能するにはステレオ録音なら、もっと印象が深くなると思った。EMIのレーベルでいつ頃から、物からステレオで変わったのか? 時代からすると、過渡期の頃のようかもしれない。
 
2022年8月12日 J テイト イギリス室内管弦楽団 Jeffrey Tate English Chamber Orchestra 95番 を聴取。No.94から引き続く。このCDは日本版でライナーノートに 渡辺学而の解説が掲載されている。(1994年12月発売のCDより転載)その中の一部にオーケストラでは演奏される機会がハイドンの交響曲は少ないこと。その原因のひとつに、「オーケストラの音が隅々までに洗練されていないと、ハイドン特有の明解な音楽を作り出すことができない」と記述がある。これに関連して「この演奏は、各楽章のテンポの設定が非常に良いこと。現代の傾向としてハイドンをかなりダイナミックで変化に富む音楽に表現として、急緩のテンポの差をかなり大きくとり、大ホール用ともいえる演奏をすることが多い。それ対してこの演奏はむしろ、その逆の方法をとっている。テンポの適格な設定が、音楽の明解な表現を生む要素となっている。」この記述は、ぴったりと当てはまる。
 第1楽章の終わりに近い部分。冒頭のc-durの調性とは全く異なり、長調で明るく締めくくる部分の一部。全ての楽器が登場しT153からは第1vn.の4分音符。第2vn.以下の主旋律。hr.を含む、低音の持続音。これらが、T153で一体となる中、低弦の持続音も明白に聞こえる。
 一方、第2、3楽章のvn.とvc.の独奏の部分。Soloとしての音色が強調はされていないが、自然な雰囲気。

 2023年7月10日 95番 フリッツ・ライナー(Fritz Reiner)指揮 交響楽団を聴取。

下記の2つの分ブログに異なったレビューが記載されている。No.88は既に聴取済だが、このときの収録曲はNo.88の1曲のみ。モーツァルトなどの別な曲が収録されていた。今回はNo.88を含むNo.95、No.101が収録されている。収録順ではNo.101からになっているが、既にNo.88を聴取済のため、作曲順番のNo.95からとする。 日本語のライナーノートには晩年の2曲の収録経緯について、かなり詳細に記載されている。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-254.html

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-602.html

 冒頭からかなり遅いテンポ。もったりしたような雰囲気。指揮者の考えもあるのか、T27の最初の部分はスラーではなくスタッカートのように演奏している。(クレンペラーの演奏も同様の解釈だった)下記の自分のブログ(クレンペラー)に譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html

 レンジがやや狭く、各パートの分離がやや分かり難い。特にtimp.の音がtuittiの箇所では埋もれてしまう。Finaleの動機は既に第3楽章の一部に登場し、作曲者の仕掛けが楽しめる。しかしこの録音では、timp.が目立たない。


下記の S クイケンのレビューと譜面あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1049.html

この No.95は好みの分かれるところになるかもしれない。下記のレビューは不滅の名盤の記述がある。ライナーノートにも記載のあるような vc.のsolo の箇所は、コンサートマスターが メトからシュタルケルを引き抜いて来た記述もある。

https://suisse.exblog.jp/13858612/

この時の録音は1963年。いわゆる 覆面オケが 1週間の間に僅か4日間で、一気に録音した経緯がある。弦の編成も 8:8:6:6:4 当時としては小編成であると思う。しかし現代ではこのクラスの奏者となると、これでも低弦の奏者は多い方だと思う。しかし、思ったより各パートの掛け合いが分かり難い。私としては、余り好みには合わない印象。


 2023年11月20日 95番 A フィッシャー デンマーク室内管弦楽団 を聴取。 No.93とNo.94で スコアには記載をしていないsoloの箇所に触れた。第1楽章のT37の部分。スコアにはfg.の記載があるが、第2vn.には記載がない。しかしこの部分ではsoloになっているようだ。再現部の類似箇所でfg.とともに、第1vn.の高音部でのsoloの箇所がある。これに呼応して、提示部でも第2vn.をsolo にしたかもしれない。


 打楽器のtimp.も、必要に応じて、少し装飾を加えているようだ。第3楽章の T42の部分。Tuittiで全てのパートは、同じ位置で本来終始する。しかしtimp.のみ、わずかだが遅れるように終わっている。timp.は第3楽章で既にFinaleの動機が登場する。timp.の役割を目立たそうとしたのかも。なお No.94と同様に第3楽章  Menuetto  のtrio の部分も、Soloの vc.に対して、伴奏する他の弦楽器のパートもsoloで弾いている。
 これまで3曲を聴取した。全体的に流れるような速いテンポは共通した特徴。しかしNo.94のFinaleの終結のように必要に応じては、わずかにテンポを緩めたり変えたりすることで微妙なニュアンスをうまく表現している。過去のクラッシック追っかけ日記で、アイゼンシュタットの ハイドンザール で全集の録音についての記述があった。この中でハイドンザールは、冷暖房の設備がないので、真冬は寒くて録音ができないこと。併設のワイン工場の音で録音が中断したこと。客席が満席の時は残響が適度。しかし録音のときは、観客がいないので残響が長すぎた。このため机などを立てたりして残響を抑えたりした苦労話などがあったと思う。この録音に関しては、奏者は異なるが録音状況は良好。ただし、できればもう少し奏者に対してもう少し接近した録音が良いと感じている。下記のサイト(好録音探求)でも、楽器の質感が弱めの記述がある。


https://dominant7th.blog.fc2.com/blog-entry-2458.html


私としては、 T ファイ→今は同じ奏者で J Klummp、 J アントニーニのような楽器に対して、近接音がかなり入っている音源の方を好む。しかしそれほど、質感が弱すぎるとは感じない。弦の各パートの奏者までは、さすがに Klummp ほどの存在感までは分かり難い。しかし管楽器、打楽器の奥行き感、広がり感は十分に魅力を感じる。

 2023年12月17日 95番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。なぜかこの曲のみ録音状態が悪い。初期のCDで時折見られた、音飛び近いひずみがある。とくに強奏の部分で目立つ。No.93、No.94と比較してやや低く、レンジが少し狭い。第1楽章からこのひずみが多少あったが、第2楽章以降は特に目立つ。 
 以前2018年にレビューしたNo.94と同様に、かつて、同じ奏者で別な録音の日との差は比較ができなかった。元々の音源の不良なの、あるいはこの入手したCDだけが原因なのかは不明。
 3曲目の最後のレビューになるので、路音データ例によってみる。やはり3曲が1992年9月21,22,23日に連続して3日間で収録されている。
 95番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band 追記1
R グッドマン レビューの総括 

 2023年12月17日でNo.95と聴取したことで、手持ちのCDでグッドマンのものは、今回で一応、終了となった。No.44とNo.45は録音状態がよくなく、ひずみがあるとレビューした。かなり前に発売されたシリーズで新譜としては扱っていない。このため必然的に、中古での入手となる。No.95のひずみを今回記載した。元々の新品での音源にひずみがあったのかどうかは、私には分からない。
 グッドマンは、全てcmb.あるいは、フォルテピアノで通奏低音を演奏しながら、なおかつ指揮をしている。過去に何度か触れたが通奏低音を演奏しながら、なおかつ指揮もしている。通奏低音の箇所は、単にvc.やbass.の旋律と同じ箇所はない。緩徐楽章を中心に装飾も適宜ある。 Menuetto の繰り返しも反復を徹底する。
 ハイドンの雇用されたエステルハージの宮廷楽団は、交響曲ではcmb.の奏者はいなかった。しかしいったん宮廷を離れ、筆写譜などで他の宮廷会場などで演奏される場合、cmb.が入って演奏された可能性もある。パリ交響曲など、市民のための比較的大きな会場では、様々な奏者で、色々な会場で演奏された。通奏低音が全くこの時入っていなかっとは限らない。通奏低音と指揮者が兼ねることが不自然は解釈でもない。
 ましてやザロモンセットでは初演当時のイメージを重んじ、cmb.ではなくフォルテピアノを使用している。また全ての楽器のピッチも430HZと現代よりもやや半音低い。初演の頃を含めた演奏の再現を試みている。過去のアーノンクール、ホグウッドや最近ではアントニーニなどが古楽器を使用している。しかしこれらの演奏は通奏低音が入っていることもあるが、指揮者はかねていない。それに対して通奏低音と指揮者がかねている演奏はある意味、貴重でもある。
 古楽器の元々の音量は、モダン楽器と比較すると小さいかもしれない。管楽器はキーの数も少ないので音程によっては、微妙にモダン楽器などを異なることもある。hr.はどちらかといえば、かなり鮮明にとらえられている。得てしてhr.の低音の音域は分かり難いが、グッドマンの場合やかなりよくわかる。
 一方、fl.は、低音域は余りよく分かり難い。Fg,は他の木管楽器と比較して、キーを操作する音が、やや大きく聞こえる箇所もあるが、不自然なほどではない。弦の奏者が余り多くないと思うが、vc.とbass.の厚みも結構ある。室内楽団などの規模なので、各パートの音もよくわかる。ファイやアントニーニのように、各奏者が目の前で演奏している録音ではない。1951年生まれのグッドマンは、ハイドンの交響曲は途中で終わっている。ザロモンセットのNo.103はまだ抜けている状態。60番台の交響曲などもない。残りの交響曲を録音して欲しいと思う。
  T ファイ を引き継いだ J クランプ の全集シリーズが20223年2月に一挙にまとめて発売され、全集が完結するようだ。古楽器の全集でしかも指揮者と通奏低音がかねているのは、恐らくグッドマンしか適えられないと思う。