音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.93  hob-No.91   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
93 91 1788 C 4 -  -  - - (1) C 半音階と対位法の主題の典型
       1 C AdagioーAlleglo as
       2 G Andante
       3 C Menuet & trio
4 C Finale、Alleglo assqi
楽器編成は、trp.とtimpがなく、落着いた雰囲気で全体的に終始。序奏は、主調の確保に終始。Allegloの第1主題は、半音階と対位法の主題の典型。第1主題が、vn.と低弦とで対比されながら、それぞれ異なった旋律で登場するのは、過去にも何回かはあると思う。しかし、この交響曲で完成域になったかと思う。しかも、半音階が交えてあり、テンポがAllegloでも、割合にゆっくりと演奏されるためか、じっくりと聴かせてくれる。vn.群と低弦、管などの間で、対位的に異なる旋律を楽しむのに、うってつけ。両主題(第1主題の低弦の対旋律も含む)は、親しみ安くゆったりと聴ける。特に、再現部は、第1主題が低弦からの出だしで、これにvn.がからむのが美しい。再現部は、経過部が一部省略されているのに対して終結部が、かなり長くなっってcodaの代わりになる。
 第2楽章は変奏曲。fg.がsolo.に近く活躍。第1楽章では、それほど目立たなかったので印象的。各パートの細かい動きは、フィッシャー盤が一番、聴き取りやすい。特に、単一主題のソナタ形式のFinaleで第1主題が登場して、すぐの経過部では低弦が対位的に独自の動きをする部分がある。この扱いなどは、第1楽章と同様に、対位法の典型であると思う。
 全体的にNo. 90と同様に、入門的に聴くのも良い。楽器編成が強化されていないので、室内楽の様に落着いて聴ける。個人的には、この次のNo. 92よりも、分かりやすい点を推薦ポイントとしたい。もう少し、名度が上がっても良いと思うが、通称名がないためか残念。
 フィッシャー盤は、室内楽的な典型。ドラティ盤は、編成がやや大きい。ベーム盤は、ドラティ盤よりもやや編成が少なかったかも。Alleglo assaiのテンポよりも、もっとゆっくりでmoderatoぐらいのテンポだったと思う。フィッシャー盤を取りたい。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年2月23日とする)
2010年5月12日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 第32回」 を聴取。ブリュッヘン指揮18世紀オーケトラの演奏を聴取。使用する楽器が少ないためか、古楽器によるものを採用。Es調ということもあり、やはり、やや暗い調性だが、逆に落着いた雰囲気。半音と対位法が特徴の曲だが、楽器の対位法がよく聴き取れる。すなわち、第1楽章では、vn.が対向配置のため、細かい音が聴き取りやすい。第2楽章の変奏曲では、曲の間で少し間合いを取っていて、音色とテンポの変化に富んでいる。Menuetの主部のテンポは、過去に聴いた曲と同様に早い、逆に、trioでは、hr.が活躍。全体的に、フィッシャー以上に変化に富んでいて、聴き所が多い。ブリュッヘン盤を勧めたい。
2014年2月8日 デイビス盤を聴取。弦のプルト数は多いと思うが、fg.を中心に管楽器のパートが鮮明。対旋律が聴き所だと思うので、このデイビス盤は、各くパートが聴こえて、その特色を出していると思う。 第2楽章は、それに対して比較的テンポが速め。特に、fg.のsoloの部分が、かなり良く聴こえるので、ライブ録音とも相まってその威力を発揮。
 一番、各パートを発揮するのが、Menuetのtrioの部分。それまで、あまり目立たないhr.が「ここぞ」と言うばかりに威力を発揮。打楽器群がない分ここで活躍。打楽器が入っていない分、対旋律を含めた、各パートが聴き所が特徴。このデイビスは、旨く、表現していると思った。
2016年2月23日 クイケン ラ・プティト・バンドのNo.91を聴取。第1楽章の後半の繰り返しは、No.90と同様に採用。打楽器群が入っていないことで、柔らかい雰囲気が全体に終始。古楽器の弦のためか、ESの調性を生かしての落ち着いた雰囲気が特徴。第1楽章の主題は、いつものハイドンの特徴である、短い動機から構成される長い小節の主題。これが、対位法的にいたるところに、散りばめられる。Fl、の柔らかい音色とやや、くすんだ弦楽器の音色の微妙な対比が特色。[展開部のT130.や再現部のT218など]
2016年5月5日 S.ラトルベルリンフィル No.91を聴取。No.89と同様にtrp.とtimp,が入らない編成。対位法を駆使した旋律の美しさ、特に第1楽章の部分。編成の大きい弦の特徴を活かして、たっぷりと聴かせる。強弱の微妙なニュアンスを重視しているのは、同じ解釈。たとえばT180の部分で、通常の指揮者なら、f指定を通すが、ラトル盤では、この個所はpとしている。   
また、第2楽章では、弦の各パートの対比が特徴。たとえば、T118からは、第1.第2vn.の対旋律に対して、va.vc.bassが主題をユニゾンで演奏する。この部分も低弦の旋律が対旋律に負けないように、しっかりと聴かせてくれる。

2016年7月29日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No91を聴取。ES調で落ち着いた雰囲気が古楽器の特徴となるかもしれない。初期・中期のころと比較して、弦の編成が大きいこと。曲自体が、対旋律を重視(特に、第1、2楽章)していることもあってか、落ち着いた雰囲気の音色とは、やや異なる。No.90の第1楽章の後半は、繰り返しを採用していたが、この曲では採用なし。 管楽器のfg、が随所に活躍するが、録音のせいなのかsoloとしての音色が目立たない。

2017年3月30日 ルネ・ヤーコプス指揮のフライブルク・バロック・オーケストラの91番を聴取。ハイドン音盤倉庫の下記のアドレスにもレビューが記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-761.html

私は、この古楽器のオケは初めて聴取するが、ライナーノートによると弦の奏者数は下記の通り。
第1vn.:6 第2vn.:5 va.:4 vc.:3 bass:2
第2vn.の位置は右側。弦の各パートは、広がりがやや大きい。vn.の音量は、va.以下と比較してやや少なめ。Tuittiなどでは、低弦の方へやや音量をシフトしているようだと思うが違和感は全くない。
 第2楽章の変奏曲では繰り返しの個所が多いが、ファイ盤と同様に繰り返しの後半は、パートによっては、微妙な装飾を加えている。興味深いのは、soloが主旋律の場合、装飾を担当するのは、主旋律を演奏する学期が受け持つのは今までによくあるパターン。冒頭からの部分は、第1vn.のsoloの明記がない分ためか繰り返しの場合も、vn.が装飾することはない。しかしヤーコプス盤ではvn.がsoloとして装飾を受け持つ。(自然な解釈ではある)繰り返しの部分は、殆どvn.のsoloが目立っていて、全く別な旋律の様に聞えるが違和感がない。
 T24から変奏曲が展開していくが、旋律はfg.が受け持つので繰り返しの装飾もfg.が受け持つのは通常通りの範囲。しかしそれに加えて、もう一人のfg.が追加の奏者として伴奏の旋律を演奏しているようだ。fg.のパートは2名で演奏する場合がある。
この曲ではfg.が特に活躍するが、低弦とfg.との微妙な音色の違いにも注目をしたい。元々fg.は低弦のパートの補強としての楽器の役割が大きかった。ハイドン自身、確かある文献からの記述に書いてあった思うが。演奏するオケの人数に関して、「低弦では最低fg.1名はつけて欲しい」との記憶がある。この演奏ではfg.が2名のケースであるが、ユニゾンで低弦でfg.の追加の有無によって音色が、かなり異なるのが分かる。勿論、奏者が2名なことの影響があるかもしれないが。むしろ全て古楽器を使用していること。主旋律が低弦を受け持つこともあってかc幸い?にもva.も同じ音程のユニゾン。ただしbassは、スコアは表記は同じでも実音は1オクターブ低くなるが。それを考慮しても、T130からは、2つのvn.パートが音量を十分に落としていることも加わり、fg.を含めた低弦の温かみのある音色がよく聴き取れる。この個所は、これまでに演奏してきた中では殆ど気づくことがなかった。
 
2017年7月22日 K ベーム ウイーンフィル No.91を聴取。LP盤ではあるが、同じ音源で下記のブログにも記載されている。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-1283.html

1973年の録音。モダン楽器だが、編成は、やや少なめな雰囲気。チュリビダッケをその前に聞いていたので、同じ様な、ややゆっくり目のテンポ。少し前にヤーコプス指揮で同じ曲を聴いたが、こちらは奏者はあきらかに多い。距離感を少しとって、自然は雰囲気の録音。
 指揮者によっては、ファイの様にスコアの背後にある各パートの旋律を浮き上げる方法もある。第3楽章のtrioの後半の部分。指揮者によっては、f指定のhr.を引き立てる演奏もある。しかしベームの演奏は、あくまで主旋律の流れを重視。fg.と第1vn.の主旋律を表に柔らかく出させて、hr.は控えめ。ベーム自体の演奏の特徴はそれほど、一度聴いただけでは、見出せない。モーツアルトのような教科書的な解釈が基本なのかもしれない。打楽器群がないので、柔らかい雰囲気。fg.以外は木管楽器のsoloの箇所が少なく、弦を中心とした各パートが対位法的に散りばめられるような曲。一度聴いただけでは、この曲に魅力は分かり難い。色々な指揮者で何回か比較した上で、魅力が上がってくる典型。
2018年7月6日 91番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。No.90では、弦楽器は古楽器のような感じではないと記載をした。しかしよくよく聴いてみると、古楽器であることが分かる。ESと調性もあってか、No.90の明るい調性とは異なることで、音色の変化の違いが大きくなったかもしれない。
 打楽器群は元々、入っていないのでNo.90と比較して、さらに落ち着いた雰囲気が根底になる。最初からcmb.が入り、随所でbassとは違う動きに終始する。cmb.は中央やや右側で、少し奥まったところから聞こえることもあり違和感はない。
 第3楽章Manuet trio の後半で T51の部分でhr.が入る。K ベームのときにも記載をしたがファイ盤と違って、hr.は余り目立たないので、柔らかい雰囲気になっている。なおグッドマンはMenuetが回帰してくる部分で、前半と後半の繰り返しを忠実に守る。(下記の過去のブログを参照)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-744.html


 打楽器群が入らないので、Finaleも柔らかい箇所が多い。冒頭の第1主題から第1vn.はスラーを伴い柔らかい旋律となっているが、第2vn.は4分音符で刻むようにスタッカートになっている。T70では、第2vn.にハイドンがしばしば用いるシンコペーションのリズムが少し出る。この部分では余り目立たないが、展開部のt123からは、弦の各パートが拍を変えて演奏されるので、緊張感が増している。T77からの小結尾部で、一応、この動機は退散するが。
グッドマンの演奏では、各パートの分離がよくわかる。このFinaleは、グッドマンの演奏でも、展開部と再現部の後半の繰り返しを含めて6:58.もし後半の繰り返しがなかったら、ここまでの細かいところまでは気づき難い。ホッグウッドと同様に、繰り返しを忠実に守ることで、また意外な発見を見出すことができる曲のひとつだと思った。

2018年9月28日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.91を聴取。No.89から引き続き聴取すると、この2曲との対比が興味深い。No.89にも記載をしたが打楽器群は入らない共通点はあるが、こちらの方は流れるように、落ち着いた雰囲気で、対位法的に技巧に凝ったことを前面に出しているのが特徴。特に第1楽章の第1主題は、ハイドンには珍しく動機が長いのも珍しい。
  各パートの中で、fg.を含む低弦の動きが興味深い。小編成で録音の分離感がよいこともあり。第2楽章の中間部の短調の箇所。この最初の部分でT48からsoloでvc.が登場する。va.と同じ音域であるが、これまでvc.のsolo箇所が全くないまま、急に登場する仕掛けが面白い。ドラホシュの演奏は、vc.のsoloの箇所はそれほど目立たないが、同じ音域のva.とは明確に対比させている。第3楽章 Menuet trioの部分で、k ベームの演奏では、hr.の目立たせないことで、柔らかい雰囲気が特徴と記載した。(以下のブログ)このドラホシュでも同様。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-744.html
2019年5月15日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 91番を聴取。録音は全体的にダイナミックレンジはそこそこだが、平面的で奥行き感が不足。Finaleになると、左側を中心に、LPで経験したような回転数にあわせた「プチ」音が時折入る。曲の終わりに行くに従い歪も目立つ。
かつてLPをレコードプレーヤーで再生するとき、小さな埃のようなゴミが回転数に合わせて、左右に微妙に動きながら「プチ、プチ」と聴こえていた経験を思い出す。オリジナルテープが存在していないので、このCDはLPからの盤起こしになっている。盤起こしの点は理解はする。しかし、もしこの「プチ」音の原因がLPを再生する「チリ」あるいは「ホコリ」の類であったら、クリーニングで多少は、除去できることが可能と思う。もう少し、この当たりを考慮してCDを発売していただきたいと思った。
2022年8月31日 91番 オルフェウス室内管弦楽団 を聴取。No.60から引き続く。この奏者はvn.は対向配置でない。奏者の正確な数は、No.60にも記載したが、詳しくは分からないが、低弦は複数いる。No.60ではcmb.はほぼ常時はいっていたが、No.91は最初から入らない。No.89~91は3曲セットで出版され共通点がありながらも微妙に差がある。最後のNo.91は 打楽器群がはいらず、Es‐dur の調性ということもあり、全体的には落ちつた音色が中心。打楽器が入らない分、弦楽器と管楽器の掛け合いなどもさらに注目すべきポイントが大きくなる。
No.91に関して、過去のレビューでもfg.を中心に低弦のパートの魅力について記載をしてきた。旋律的に謡う箇所もあるが、対位法を駆使した手法が特徴のひとつと思う。一度聞いただけでは、特徴はある程度、概要はつかめる入門的な曲の一つかもしれないが、細かい所まで調べてみると対位法的な旋律の箇所の掛け合いも大きい。打楽器群がもし入っていったら各パートの音色が多くなり不明瞭になる可能性があるかもしれない。
 第3楽章のMenuet の中間部Trioの部分。fg.の独奏を中心に管楽器がはいるが、第1vn.はsoloで弾いているように音量を落としている。(soloかどうかは分かり難いが) 第4楽章のFinaleも第1楽章と同様に対旋律も伴い、しかも4分音符で刻むように続くために、ある意味せわしい雰囲気から始まる。一方、この旋律がいったん、中断し、柔らかい雰囲気になる箇所もあり、音量、音色の対比も大きい。(下記の グッドマンのレビューに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-946.html

 上記のグッドマンの場合は、常時、cmb.を弾きながら指揮をしている。vn.も対向配置なので、この奏者とは大きく異なる。しかしテンポを概して余り変えない点は共通している雰囲気。各楽章の繰り返しの後半はなし。繰り返しの採用については、作曲者の意図にもよるが、指揮者(この場合は指揮者はいないので奏者)の解釈にもよる。全ての曲について展開部と再現部の繰り返しを採用する必要はないかもしれない。
パリ交響曲のNo.83のFinaleのように、終わるようで終わらない仕掛けを繰り返しを採用して複数回、味わうか? No.90 のFinale S ラトル のようにライブ演奏で、聴衆の反応をみながら映像ともに、味わうのかどうか? CDという媒体を通して聴取する場合、聴き手側の再生環境にもよる。聞き手側のその時にTPOにも左右される。 私にとってNo.91のFinaleに関しては、後半の繰り返しは採用しないでよいと思った。