音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.92   hob-No90   
2023年8月16日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
92 90 1788 4 -  -  - - (1) B オーソドックスな構成が中心であり、入門の作品としても推薦。
       1 AdagioーAlleglo assai
       2 Andante
       3 Menuet & trio
4 Finale、Alleglo assqi
No. 90-92は、3曲のセットとして作曲。パリセットと同じ依頼者である、ドーニ伯爵のから。パリ交響曲の依頼者は、この方であるが、パリシリーズの続編と考えても良いと思う。
 第1楽章は序奏付きの大規模ソナタ形式。序奏の中で、第1主題の旋律が取り入れられたのは、初めての例。提示部の2つの主題は、明確な対比で親しみやすい。No. 89と異なり、主題の平凡な雰囲気は個人的には余り持たない。No. 89と同じように、管の扱い方も重視をされる。(やはりNo. 88までの曲と明らかに発展がある。)第2主題でも管がsoloで提示され、提示部と再現部で楽器が異なる。その後の弦との掛け合いでも、提示部と再現部で楽器を変えている。ユニゾンの違いも楽しめる。フィッシャー盤では、第1楽章のcoda始め部分で、vn.がテンポを一瞬落とす。この一瞬のテンポが変わることで逆に、うまい具合に「きりり」と引き締まって終わるのが良い効果である。
 第2楽章は、2つの主題による変奏曲。変奏を重ねるに当たり、管楽器が替わりながら旋律を受け持つ。編成が少なめのフィッシャー盤では、管と弦との細かい音色の対比が聴けて良い。2つの主題が調性が対比をされている。この時代の作品と言うよりも、19世紀に入ったロマン派の音楽の雰囲気に似ている。第3変奏では、各弦のsoloもある。
 Menuetの主部は、通常の長さであるが、trioは思ったより長い小節数。Finaleは、例によって、明るく流れる様に終始。フィッシャー盤だけではないと思うが、trp.とtimp.は入っているものの、あくまで音の補強が中心で、控えめな役割。曲によっては、かなり補強以上に目立つ場合もある。しかしこの曲の様に、Finaleの一部は多少に活躍があるが、それ以外は押さえ気味。これは「理」にかなっていると思う。かなり長いcodaがあり全体的にもフィッシャー盤は例によって、管、ここではob.のsoloと各弦のsoloが対比。
 第1楽章の序奏には特徴はあるが、全体的には分かりやすく、安心して聴かれることを重視した作品。特に第1楽章は、ソナタ形式が明白で分かりやすい。第1主題が最初に再現された後、属調 の再度の再現はない。しかし第2主題の提示部から終結部なども、はっきりとしていて分かりやすい。ハイドンを、まず入門的に知っていただくにも、最適な作品の一つとして推薦したい。
 ベーム指揮ウイーンフィル(LP)をかつて、聴いていた点との比較。全体的には、ゆったりとしたテンポで通す。フィッシャー盤では第1楽章のcodaの部分で、vn.がテンポを一瞬落とす。ベーム盤では、テンポの変化は余りなかったと思う。
 ドラティ盤は、フィッシャーよりも編成の大きさが、かなり目立つ。trp.とtimp.もかなり大きな音で録音されている。大きな編成で楽しむ交響曲と思う。迫力のある音を好みならドラティ盤も推薦したい。第2楽章の終わりの部分では、vc.はsoloであったが、それ以外の弦はsoloでない。ベーム盤も同様だったと思う。  

(2020年1月13日追記 タグとして2010年2月22日とする)
2010年5月12日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 32回」 を聴取。ラトル指揮 ベルリンフィル。最初の解説から第2楽章の途中までは聞き逃す。ライブ録音であることが最後の方で分かる。編制は現代の通常のオーケストラと同じ様に大きい。第3楽章のMenuetとtrioでは、繰り返しを忠実に守っているが、2回目の時は、装飾音を加えている。この手法はFinaleでも同様。大衆受けを狙っていたのか、Finaleで一旦、終了し、拍手が入る。
 しかし、実際には繰り返しがあったため、一段落してもう一度、展開部から再現部までが繰り返して演奏される。このときも、先ほどとは装飾音などが加わり、2回目としても楽しめる様な面白みがある。最初の解説を聞き逃しているので、何とも判断がしにくい点がある。自分なりには、Finaleの一番最後で、主和音で終始をする。しかし、まだ、続きがありそうな終わり方。これを楽しむために、わざと作曲者が逆にユーモアで持って楽しんでいるのかも。
 最新名曲解説全集では、ロンドンで何度も初演をされた曲の中の記述で、興味深いものがある。人気のある楽章は、アンコールで演奏された。作曲者からコンサートの参加者へのサービス精神の駆け引きがあった。この様な演奏会だったら、このFinaleの様に何回か拍手を誘う手段も考えられる。入門的な曲としても最適としているが、このラトルの演奏は、誰にでも楽しめる雰囲気を旨く演奏していると思った。


2014年2月2日 追記。 ネットで検索をしてみたら、Zauberfloete 通信 (下記のアドレス)に、このラトルの演奏について、記載がある。演奏者自身のライナーノートによると、「聴衆は譜面に書き込まれたこの偽りの終結部に(繰り返しがあるので二回聴くことになります)、必ずつかまります。一回ならず二回欺かれたと知ったときの聴衆の反応も、それ自体この音楽の一部であり、必要不可欠と言えるものです。一回ならず二回欺かれたと知ったときの聴衆の反応も、それ自体この音楽の一部であり、必要不可欠と言えるものです。」これに引き続いて、現代の聴衆を対象に、携帯電話がもし、ハイドンが知っていたら、楽器を含めたに違いないとの考察も面白い。
 デイビス盤は、ライブ録音であるが、繰り返しは、後半の繰り返しがない。再現部の直前に4小節の空白があり、しかも本来の主調(C)とは、かけ離れた変ニ長調へ転調する。転調の意外さも当時の聴衆は、察していたに違いない。

http://zauberfloete.at.webry.info/201111/article_6.html
2014年1月27日  デイビス盤を聴取。ラトル盤はライブ録音であったが、デイビス盤もライブ録音。イギリスで人気があったと思う、装飾音が適宜入っている。No.87から引き続いて聴くと、もはや、パリセットの様な雰囲気はがらりと変わり、この後に続くロンドンセットと同じ雰囲気。fg.が随所で活躍するが、デイビス盤では、管楽器の音が引き立つので、特に第1楽章で随所にはっきりと聴こえる。
 石多著「交響曲の生涯」では、No.90はのFinaleは、「再現部の後、全く違う調性で再現し、さぞかし聴衆をびっくりさせたに違いない」記述がある。終わりそうで、終わらない不思議な雰囲気を持つ、このfinale。再現部の冒頭は、主調でなく、はっきりしない。その分、後半の繰り返しがあれば、ラトル盤の様に面白みが楽しめる。しかしながらライブ録音のデイビス盤は、後半の繰り返しはなし。やはり、ラル盤のライブ録音を取りたい。
 2014年11月15日 ヴァイル盤を聴取。出だしから、fg.を中心に管楽器のsoloが至るところで活躍する。その分、弦楽器との対比が面白いが、弦楽器の編成数が、演奏スタイルにも影響する。ヴァイル盤は、古楽器のの管楽器と弦楽器のバランスが、今まで聞いた中で、一番バランスが取れていると思った。
 たとえば、第2楽章は2つの主題を伴った交互に登場する変奏曲であるがT83の当たり。第1vn.場がffでfl.、ob.と伴って旋律をを演奏する。すぐに、管楽器や休みT84で、弦はpに減じる。その後、ppに移り、T88で今度は、pの状態で、第1vn.が、ob.のsoloに引き継がれる。細かいニュアンスは、この演奏で、初めて分かった。
 Finaleの後半の繰り返しは、採用なし。ラトル盤と違って、終わらそうで、終わらない雰囲気はない。第2vn.の対向配置の効果は、No.89と比較して余り目立たない分、管楽器のバランスは、再度、認識をした印象。
2016年2月22日 クイケン ラ・プティト・バンドのNo.90を聴取。No.88.89は、第1楽章の後半の繰り返しは採用しない。しかしNo.90は第1楽章で後半の繰り返しを始めて採用。Finaleの繰り返しの面白さを意識したためか? 古楽器での管楽器で、特にfl.は独特の音色。No.88.89と異なり、パリセットと同様に木管楽器のsoloが多い曲。弦の編成数は多くないと思われるが、管楽器と弦との対比が特にfl.との対比が効果的。 一方、Finaleは、後半の繰り返しはなし。作曲者の繰り返しによる、聴衆への意外な発見は、聞かれず。
2016年5月4日 S.ラトルベルリンフィル No.90を聴取。No.89から、さらにtrp.とtimp.が加わる。No.88と異なり、全ての楽器の各パートは、細かい動きがさらに目立つ。たとえば第1楽章 T133-136、T169-172の2つのvn.の掛け合いなど。
 終わりそうで終わらないFinaleが一番の聴き所。下記のアドレスに、このCDのラトル自身が2007年に書いたライナーノートの和訳がある。(交響曲の聴取記よりの再掲)
http://zauberfloete.at.webry.info/201111/article_6.html
ライブ録音のFinaleが、最初の方にあり付録?として、聴衆のいない通常のFinaleが、この後に収録されている。ライブの録音の方が断然、面白い。Codaの最初の部分のt167で一旦終始する部分。ここでもしラトル自身が指揮棒を一旦、下ろしていたのなら、なおさら聴衆の拍手を受けたであろう。繰り返しの部分では、例によって各パートで微妙な装飾を加えて飽きさせない。実際ライブで聴いてみたい一つだと、改めて痛感する。
2016年7月28日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No90を聴取。第1楽章の後半の繰り返しを珍しく採用。Menuetのテンポがかなり遅い、それ対してTrioのテンポがかなり速く、それぞれMenutetとTrioの共通した動機が、全く異なる雰囲気が対照的。
Finaleの展開部からCodaまでの後半部分の繰り返しは採用せず。第1楽章の後半を繰り返したので、期待をしたのだが、何度も終わるようで終わらない仕掛けは、繰り返しがないため、楽しめず。
 
2017年3月26日T.ファイ No.90を聴取。ファイ盤の手元には、パリセットのみしか現在入手していない。また最近、初期から中期当たりの曲を聴いてきたこともあり、一気に後期の交響曲に飛ぶ。Micha クラシックとリュートの楽しみ(以下のアドレス)に、詳細はレビューがあるが、こちらは後になるので追体験。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-1435.html

レビューには主に第1楽章のことを中心に書いてあるが、このCDでポイントを上げて行きたい場合、私も同様に第1楽章を取り上げたい。一番のインパクトは第2主題のT51-65の比較的ゆったりしたテンポから、T66以降に提示部以上に加速させて半終始をする部分。(第1主題の部分よりもテンポをさらに速めているのが特徴)このテンポの差がとても印象的。中期までの曲を最近聴いてきたこともあり、提示部の拡大された第2主題の存在が多くなかったので対照的。奏者の数も初期から中期と比較してかなり多いようだ。曲のスタイルからして奏者が多いことは好ましい。T76あたりから、弦の全てのパートがユニゾンで引く個所などは、スケールが大きいこともあり迫力ある。


 さらに加えて、timp.の即興が効果的。特に第1楽章の最後の部分。繰り返しの前はスコアどおり通常の演奏で。一方繰り返しの部分は、timp.が先行してT225当たり。この部分は、本来timpは記載されていない。しかし、クレッシェンドをかけながら、この楽章を締めくくるのにとても効果を上げている。
 なお、timpが即興?の解釈で演奏する部分は他の楽章にもいたるところにある。特に第3楽章 Trioの最後の1小節もbassのみの旋律にtimpが加わる。Menuetが回帰してくる部分の予兆の雰囲気。元々このMenuetとTrioは、共通する旋律があり違和感がない。
 ハイドンの交響曲ある程度、聴き込んでいる聴取者にとっては他の交響曲との比較もあり、Finaleの終わりそうで終わらない仕掛け。ブリュッヘンの様に展開部と再現部の繰り返しを採用していないと、この醍醐味は半減する。それに対してファイ盤は忠実に繰り返しを採用。90番の各指揮者を過去に聴いてきたがラトルのライブ盤が一番面白いと思う。しかしこのファイ盤もそれに匹敵すると思った。

2018年5月5日 90番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1957年の録音であるが、No.86と同様に、ダイナミックレンジは広い方で、モノラル録音であるが、かなり聴きやすい。今までにも共通していることが多いが、最初の楽章と最後の楽章は、テンポはやや速め、緩叙楽章は、それに対してやや、遅めのテンポは、この曲でも共通している。
 緩叙楽章で、管楽器等のsoloの箇所がある。パリセットでは、このsoloあるいは、弦楽器群とのユニゾンが余りはっきりと聞き取れなかった。しかし、No.85と比較して、かなりはっきりと聴こえてモノラル録音でありながらも良く分かる。冒頭のfg.は、最初は、余りはっきりしない。しかしその後、t39からのただし第1変奏。ここからt46でfl.が入ってくるが、この部分から弦とfl.とのユニゾンが心地よい。一方第2変奏の、T98からのvc.のsoloはそれほど管楽器と比べて目立たず。この楽章の終わりに向けて、僅かではあるが、テンポを僅かではあるが、さらにゆっくりrit.で終わるようになる部分が特に印象的。
  全体的に通して聞いた中では、以前 K ベームの演奏を聞いたが、これに共通した印象。テンポこそ少しベームよりは速めであるが誇張を避け、やや枯れた雰囲気を特徴。ラトルの様に、テンポを微妙に変えての装飾は殆どない。なおFinaleは、繰り返しがないので、終わりそうで終わらない部分は余り体験できない。打楽器群のtimp,とtrp.は余り目立たず。しかしその分、緩叙楽章でのゆっくり目のテンポを相まって、かえって、打楽器群が目立たない分が効果的になると思った。
2018年6月1日 ラトル ロンドンフィル 90番 第4楽章を聴取。No.45とは異なり、作曲年代は1788-89頃に下がる。コンサートの最後を飾る最後の楽章。同じ指揮者でバーミンガムとベルリンフィルの2種類のCDも発売されている。偽終始と繰り返しに惑わされる聴衆にとって、雰囲気を味わうにはライブ盤が勝っていると思う。今回もライブ盤。Codaの途中で偽終始がある部分。最初の指揮者の実際の仕草を見て見たい。会場内の拍手である程度、雰囲気は分かるが。
 しかし、こればかりは実際の会場で指揮者の振舞う姿を見るのが一番。このCDはどの楽章も視覚効果の高い曲。ひとつ前で笛時計のための三重曲集も演奏されたが、こちらも複数の楽器が会場の左右に広がって奥行き感がある録音がすばらしい。
まだ録音されて1年も経過していない。即興的とは言え、この様に臨場感あふれる演奏が、僅か1年足らずで入手できるのはありがたい。実際に日本でこの様なプログラムが演奏されることを期待したい。
2018年7月5日 90番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。


下記ブログにもレビューが記載されている。レビューでは 古楽器と記述がある。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-636.html

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-155.html


管楽器は古楽器だと思うが、弦楽器はモダン楽器の様に、私には聞こえる。No.90は、trp.とtimp.が入らない(打楽器群が欠けている)ので、その分hr.を中心とした柔らかい雰囲気。cmb.はやや右側に位置しているか? 指揮者がcmb.を演奏しながら指揮をしていると、奏者の全体が見渡せる位置にcmb.を演奏する必要がある。そうなると、cmb.の配置も限定されるかもしれないので、録音に工夫が必要かもしれない。ライナーノートによると、ピッチはA=430と記載されている。
第2楽章の途中でvc.のsoloが入るが、右側であるものの、soloの音が余り目立たない。
 第3楽章Menuetは、通常だとT7の部分で、hr.が埋もれてしまうが。しかし打楽器群が入らないので、hr.が目立ち、柔らかい雰囲気。
 FianleでT24から、hr.を含む打楽器群が通常の演奏ではこの楽章で初めて登場する。この動機は、冒頭からは登場しないが、最後まで随所に現れるが、主に打楽器群が受け持っている。グッドマンの演奏は、打楽器群が入らずhr.のみが受け持つので、この部分がhr.となり柔らかい雰囲気。提示部と展開部の繰り返しの採用がない。Menuet再現部を含めて忠実に繰り返しを守る。終わるようで終わらない雰囲気を味わえないのが残念。レビューにも記載があったように、録音は分離間が私にとっては、不足気味なのでインパクトが今ひとつの印象。



2018年10月1日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.90を聴取。No.64、84と異なり打楽器群が3曲目に入る。Tuittiでの音の厚みが、それまでの2曲と異なる。奏者の数は、やや少ない様だ。第2楽章でNo.89のときに、中間部でvc.のsoloについて記載をした。ここでもsoloとして活躍はするが、インパクトはやや少なめ。Finaleで展開部と再現部の繰り返しはなし。終わりそうで終わらない雰囲気は一度だけ。
2019年5月14日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 90番を聴取。No.88~90にかけては、No.89にも少し記載したが、soloを含む対位法的な箇所が多く、視覚効果もどちらかといえば高い曲。聴取の方法も、視覚効果が前提となる。音源はあくまでCDの聴覚しか入ってこない。しかし実際は、もし指揮者を含む奏者が、前にいたらどのように演奏するのか? これが楽しみになる。BGM的な要素はかなり排除される分、音の奥行き感、分離感、などもよいことが前提になると思っている。
 No.88-89にかけては、録音がかなり悪く推薦には価しないと記載をした。一方、こちらのNo.90のほうは、冒頭からダイナミックレンジも広く録音もかなり良好。No.89で見られた、hr.の極端なせり出しのような雰囲気は皆無。
 第2楽章は少しテンポを落として、管楽器のfg.を中心に活躍する。No.89の様に、分かりやすさを前面には押し出さず、何度か聴き直すと微妙な良さが出てくる楽章のひとつ。No.88と違って、こちらの方ではvc.のsiloも自然で中央、少し右側に位置し、vc.やbass.の他の溶け合いも自然。vc.のsolo奏者は、No.88ではクレジットでは記載されたが、この No.90では記載がない。(fl.などのsolo の奏者の記載もNo.6-8 以降ここまでは記載がない)楽章の終わりに行くに従い、大概の指揮者はテンポを落とす。メルツェンドルファーの場合も同様だが、元々、やや遅めのテンポをさらに落として効果的。次に続く第3楽章 Menuet で打楽器群を含むTuittiで始まるのと効果的。
 第3楽章のMenuetでも管楽器のsoloの箇所がある。特にfg.が効果的で奏者の数を増やしながら、次第に音量を上げていく効果。この部分でもダイナミックレンジがそれほど広くない割りには、旨く表現していると思う。
 Finaleでの展開部+再現部の繰り返しは採用せず。後半に行くに目立つ歪も、この曲では問題ない。録音も比較的良い。
023年8月17日 90番 K ベーム ウィーンフィル を聴取。No.89から引き続く。No.89に関しては、「おざなり」の記述が多かった。しかしこの曲に関しては、No.89から引き続くと、明らかに丁寧に作曲されている。No.88と比較して管楽器のsoloの箇所も多い。録音は前の2曲から1年後のこともある。指揮者の指示か、あるいは録音技師の判断かは分からないが、菅楽器のsoloの部分は比較的目立ちやすい。また弱奏あるいは弱奏でない部分でも、弦楽器の音量を比較的落として、菅楽器の独自の旋律が割合によくわかる。序奏のT3の部分からfg.が随所で活躍する。提示部T22の部分でもfg.の音量が前に出て、伴奏側になるような右側のva.の音色。

第2楽章など、菅楽器のsoloの箇所が多い。調性と音量を組みあわせて、作曲者はfg.ob.fl.の各楽器をうまく組み合わせている。再現する部分でも同じようにならないように、楽器の登場の順番を変えるなど、中期から後期にかけてのよく用いられる手法をここでも採用。スコアを見ると、このあたりはよくわかる。
Finaleの終わりそうでない仕掛けを楽しむのはライヴが適すると過去からレビューをしていた。ライヴで楽しむのは、視聴と聴取が一緒になるの。視覚効果が入るので、CDのみで聴取する場合も、楽器の定位間あるいは奥行き感がより一層、大切になってくる。その分、録音にも左右されることが大きい。同じ録音会場ではあるが、こちらの方は、やや残響を抑えているようだ。しかし音のとらえ方は、ホールの前方の席から聴くような雰囲気。管楽器の奥行き感は多少わかるが、あくまでホールトーンを重視した録音。 
 Finaleの展開部と再現部の繰り返しの採用がない。このため、終わり方は通常通り。スコアでは繰り返しがある。ライヴとしての仕掛けを楽しむ雰囲気は皆無で、ある意味教科書的な演奏にも感じる。3曲を聴き通してみて、やはり最初のNo.88の折り目正しいが、弦の厚みを生かした中庸のテンポを生かした好演が一番の印象。