通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
92 |
90 |
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1788 |
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4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
B |
オーソドックスな構成が中心であり、入門の作品としても推薦。 |
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1 |
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AdagioーAlleglo assai |
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2 |
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Andante |
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3 |
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Menuet & trio |
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4 |
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Finale、Alleglo assqi |
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2010年5月12日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 32回」 を聴取。ラトル指揮 ベルリンフィル。最初の解説から第2楽章の途中までは聞き逃す。ライブ録音であることが最後の方で分かる。編制は現代の通常のオーケストラと同じ様に大きい。第3楽章のMenuetとtrioでは、繰り返しを忠実に守っているが、2回目の時は、装飾音を加えている。この手法はFinaleでも同様。大衆受けを狙っていたのか、Finaleで一旦、終了し、拍手が入る。
しかし、実際には繰り返しがあったため、一段落してもう一度、展開部から再現部までが繰り返して演奏される。このときも、先ほどとは装飾音などが加わり、2回目としても楽しめる様な面白みがある。最初の解説を聞き逃しているので、何とも判断がしにくい点がある。自分なりには、Finaleの一番最後で、主和音で終始をする。しかし、まだ、続きがありそうな終わり方。これを楽しむために、わざと作曲者が逆にユーモアで持って楽しんでいるのかも。
最新名曲解説全集では、ロンドンで何度も初演をされた曲の中の記述で、興味深いものがある。人気のある楽章は、アンコールで演奏された。作曲者からコンサートの参加者へのサービス精神の駆け引きがあった。この様な演奏会だったら、このFinaleの様に何回か拍手を誘う手段も考えられる。入門的な曲としても最適としているが、このラトルの演奏は、誰にでも楽しめる雰囲気を旨く演奏していると思った。
2014年2月2日 追記。 ネットで検索をしてみたら、Zauberfloete 通信 (下記のアドレス)に、このラトルの演奏について、記載がある。演奏者自身のライナーノートによると、「聴衆は譜面に書き込まれたこの偽りの終結部に(繰り返しがあるので二回聴くことになります)、必ずつかまります。一回ならず二回欺かれたと知ったときの聴衆の反応も、それ自体この音楽の一部であり、必要不可欠と言えるものです。一回ならず二回欺かれたと知ったときの聴衆の反応も、それ自体この音楽の一部であり、必要不可欠と言えるものです。」これに引き続いて、現代の聴衆を対象に、携帯電話がもし、ハイドンが知っていたら、楽器を含めたに違いないとの考察も面白い。
デイビス盤は、ライブ録音であるが、繰り返しは、後半の繰り返しがない。再現部の直前に4小節の空白があり、しかも本来の主調(C)とは、かけ離れた変ニ長調へ転調する。転調の意外さも当時の聴衆は、察していたに違いない。
http://zauberfloete.at.webry.info/201111/article_6.html
2024年1117日 追記 アドレス変更
https://zauberfloete.seesaa.net/article/201504article_6.html |
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2014年11月15日 ヴァイル盤を聴取。出だしから、fg.を中心に管楽器のsoloが至るところで活躍する。その分、弦楽器との対比が面白いが、弦楽器の編成数が、演奏スタイルにも影響する。ヴァイル盤は、古楽器のの管楽器と弦楽器のバランスが、今まで聞いた中で、一番バランスが取れていると思った。
たとえば、第2楽章は2つの主題を伴った交互に登場する変奏曲であるがT83の当たり。第1vn.場がffでfl.、ob.と伴って旋律をを演奏する。すぐに、管楽器や休みT84で、弦はpに減じる。その後、ppに移り、T88で今度は、pの状態で、第1vn.が、ob.のsoloに引き継がれる。細かいニュアンスは、この演奏で、初めて分かった。
Finaleの後半の繰り返しは、採用なし。ラトル盤と違って、終わらそうで、終わらない雰囲気はない。第2vn.の対向配置の効果は、No.89と比較して余り目立たない分、管楽器のバランスは、再度、認識をした印象。 |
2015年12月1日 バーンスタイン ニューヨークフィル 1963年盤を聴取。後年ウイーンフィルのライブ盤も録音をしているが、こちらはライブ録音でない。No.82のパリセットは2012年に聴取記録を書いていたが、しばらく途絶えている。第1楽章の主部は、比較的ゆっくりしたテンポ。第2楽章での途中で、初めて打楽器群が登場する。ノリントンのfとpの微妙な対比に刷り込まれている後のためか、インパクトが薄い。第3章 trio のfg. 低音の持続音も目立たず。演奏スタイルは、パリセットと大きな違いはない雰囲気。
(タグとして2015年12月1日とする) |
2016年2月22日 クイケン ラ・プティト・バンドのNo.90を聴取。No.88.89は、第1楽章の後半の繰り返しは採用しない。しかしNo.90は第1楽章で後半の繰り返しを始めて採用。Finaleの繰り返しの面白さを意識したためか? 古楽器での管楽器で、特にfl.は独特の音色。No.88.89と異なり、パリセットと同様に木管楽器のsoloが多い曲。弦の編成数は多くないと思われるが、管楽器と弦との対比が特にfl.との対比が効果的。 一方、Finaleは、後半の繰り返しはなし。作曲者の繰り返しによる、聴衆への意外な発見は、聞かれず。
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2016年5月4日 S.ラトルベルリンフィル No.90を聴取。No.89から、さらにtrp.とtimp.が加わる。No.88と異なり、全ての楽器の各パートは、細かい動きがさらに目立つ。たとえば第1楽章 T133-136、T169-172の2つのvn.の掛け合いなど。
終わりそうで終わらないFinaleが一番の聴き所。下記のアドレスに、このCDのラトル自身が2007年に書いたライナーノートの和訳がある。(交響曲の聴取記よりの再掲)
http://zauberfloete.at.webry.info/201111/article_6.html
ライブ録音のFinaleが、最初の方にあり付録?として、聴衆のいない通常のFinaleが、この後に収録されている。ライブの録音の方が断然、面白い。Codaの最初の部分のt167で一旦終始する部分。ここでもしラトル自身が指揮棒を一旦、下ろしていたのなら、なおさら聴衆の拍手を受けたであろう。繰り返しの部分では、例によって各パートで微妙な装飾を加えて飽きさせない。実際ライブで聴いてみたい一つだと、改めて痛感する。 |
2016年7月28日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment No90を聴取。第1楽章の後半の繰り返しを珍しく採用。Menuetのテンポがかなり遅い、それ対してTrioのテンポがかなり速く、それぞれMenutetとTrioの共通した動機が、全く異なる雰囲気が対照的。
Finaleの展開部からCodaまでの後半部分の繰り返しは採用せず。第1楽章の後半を繰り返したので、期待をしたのだが、何度も終わるようで終わらない仕掛けは、繰り返しがないため、楽しめず。 |
2017年3月26日T.ファイ No.90を聴取。ファイ盤の手元には、パリセットのみしか現在入手していない。また最近、初期から中期当たりの曲を聴いてきたこともあり、一気に後期の交響曲に飛ぶ。Micha クラシックとリュートの楽しみ(以下のアドレス)に、詳細はレビューがあるが、こちらは後になるので追体験。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-1435.html
レビューには主に第1楽章のことを中心に書いてあるが、このCDでポイントを上げて行きたい場合、私も同様に第1楽章を取り上げたい。一番のインパクトは第2主題のT51-65の比較的ゆったりしたテンポから、T66以降に提示部以上に加速させて半終始をする部分。(第1主題の部分よりもテンポをさらに速めているのが特徴)このテンポの差がとても印象的。中期までの曲を最近聴いてきたこともあり、提示部の拡大された第2主題の存在が多くなかったので対照的。奏者の数も初期から中期と比較してかなり多いようだ。曲のスタイルからして奏者が多いことは好ましい。T76あたりから、弦の全てのパートがユニゾンで引く個所などは、スケールが大きいこともあり迫力ある。
さらに加えて、timp.の即興が効果的。特に第1楽章の最後の部分。繰り返しの前はスコアどおり通常の演奏で。一方繰り返しの部分は、timp.が先行してT225当たり。この部分は、本来timpは記載されていない。しかし、クレッシェンドをかけながら、この楽章を締めくくるのにとても効果を上げている。
なお、timpが即興?の解釈で演奏する部分は他の楽章にもいたるところにある。特に第3楽章 Trioの最後の1小節もbassのみの旋律にtimpが加わる。Menuetが回帰してくる部分の予兆の雰囲気。元々このMenuetとTrioは、共通する旋律があり違和感がない。
ハイドンの交響曲ある程度、聴き込んでいる聴取者にとっては他の交響曲との比較もあり、Finaleの終わりそうで終わらない仕掛け。ブリュッヘンの様に展開部と再現部の繰り返しを採用していないと、この醍醐味は半減する。それに対してファイ盤は忠実に繰り返しを採用。90番の各指揮者を過去に聴いてきたがラトルのライブ盤が一番面白いと思う。しかしこのファイ盤もそれに匹敵すると思った。 |
2018年5月5日 90番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1957年の録音であるが、No.86と同様に、ダイナミックレンジは広い方で、モノラル録音であるが、かなり聴きやすい。今までにも共通していることが多いが、最初の楽章と最後の楽章は、テンポはやや速め、緩叙楽章は、それに対してやや、遅めのテンポは、この曲でも共通している。
緩叙楽章で、管楽器等のsoloの箇所がある。パリセットでは、このsoloあるいは、弦楽器群とのユニゾンが余りはっきりと聞き取れなかった。しかし、No.85と比較して、かなりはっきりと聴こえてモノラル録音でありながらも良く分かる。冒頭のfg.は、最初は、余りはっきりしない。しかしその後、t39からのただし第1変奏。ここからt46でfl.が入ってくるが、この部分から弦とfl.とのユニゾンが心地よい。一方第2変奏の、T98からのvc.のsoloはそれほど管楽器と比べて目立たず。この楽章の終わりに向けて、僅かではあるが、テンポを僅かではあるが、さらにゆっくりrit.で終わるようになる部分が特に印象的。
全体的に通して聞いた中では、以前 K ベームの演奏を聞いたが、これに共通した印象。テンポこそ少しベームよりは速めであるが誇張を避け、やや枯れた雰囲気を特徴。ラトルの様に、テンポを微妙に変えての装飾は殆どない。なおFinaleは、繰り返しがないので、終わりそうで終わらない部分は余り体験できない。打楽器群のtimp,とtrp.は余り目立たず。しかしその分、緩叙楽章でのゆっくり目のテンポを相まって、かえって、打楽器群が目立たない分が効果的になると思った。 |
2018年6月1日 ラトル ロンドンフィル 90番 第4楽章を聴取。No.45とは異なり、作曲年代は1788-89頃に下がる。コンサートの最後を飾る最後の楽章。同じ指揮者でバーミンガムとベルリンフィルの2種類のCDも発売されている。偽終始と繰り返しに惑わされる聴衆にとって、雰囲気を味わうにはライブ盤が勝っていると思う。今回もライブ盤。Codaの途中で偽終始がある部分。最初の指揮者の実際の仕草を見て見たい。会場内の拍手である程度、雰囲気は分かるが。
しかし、こればかりは実際の会場で指揮者の振舞う姿を見るのが一番。このCDはどの楽章も視覚効果の高い曲。ひとつ前で笛時計のための三重曲集も演奏されたが、こちらも複数の楽器が会場の左右に広がって奥行き感がある録音がすばらしい。
まだ録音されて1年も経過していない。即興的とは言え、この様に臨場感あふれる演奏が、僅か1年足らずで入手できるのはありがたい。実際に日本でこの様なプログラムが演奏されることを期待したい。 |
2018年7月5日 90番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。
下記ブログにもレビューが記載されている。レビューでは 古楽器と記述がある。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-636.html
http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-155.html
管楽器は古楽器だと思うが、弦楽器はモダン楽器の様に、私には聞こえる。No.90は、trp.とtimp.が入らない(打楽器群が欠けている)ので、その分hr.を中心とした柔らかい雰囲気。cmb.はやや右側に位置しているか? 指揮者がcmb.を演奏しながら指揮をしていると、奏者の全体が見渡せる位置にcmb.を演奏する必要がある。そうなると、cmb.の配置も限定されるかもしれないので、録音に工夫が必要かもしれない。ライナーノートによると、ピッチはA=430と記載されている。
第2楽章の途中でvc.のsoloが入るが、右側であるものの、soloの音が余り目立たない。
第3楽章Menuetは、通常だとT7の部分で、hr.が埋もれてしまうが。しかし打楽器群が入らないので、hr.が目立ち、柔らかい雰囲気。
FianleでT24から、hr.を含む打楽器群が通常の演奏ではこの楽章で初めて登場する。この動機は、冒頭からは登場しないが、最後まで随所に現れるが、主に打楽器群が受け持っている。グッドマンの演奏は、打楽器群が入らずhr.のみが受け持つので、この部分がhr.となり柔らかい雰囲気。提示部と展開部の繰り返しの採用がない。Menuet再現部を含めて忠実に繰り返しを守る。終わるようで終わらない雰囲気を味わえないのが残念。レビューにも記載があったように、録音は分離間が私にとっては、不足気味なのでインパクトが今ひとつの印象。
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2018年10月1日 ベーラ・ドラホシュ ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.90を聴取。No.64、84と異なり打楽器群が3曲目に入る。Tuittiでの音の厚みが、それまでの2曲と異なる。奏者の数は、やや少ない様だ。第2楽章でNo.89のときに、中間部でvc.のsoloについて記載をした。ここでもsoloとして活躍はするが、インパクトはやや少なめ。Finaleで展開部と再現部の繰り返しはなし。終わりそうで終わらない雰囲気は一度だけ。 |
2019年5月14日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 90番を聴取。No.88~90にかけては、No.89にも少し記載したが、soloを含む対位法的な箇所が多く、視覚効果もどちらかといえば高い曲。聴取の方法も、視覚効果が前提となる。音源はあくまでCDの聴覚しか入ってこない。しかし実際は、もし指揮者を含む奏者が、前にいたらどのように演奏するのか? これが楽しみになる。BGM的な要素はかなり排除される分、音の奥行き感、分離感、などもよいことが前提になると思っている。
No.88-89にかけては、録音がかなり悪く推薦には価しないと記載をした。一方、こちらのNo.90のほうは、冒頭からダイナミックレンジも広く録音もかなり良好。No.89で見られた、hr.の極端なせり出しのような雰囲気は皆無。
第2楽章は少しテンポを落として、管楽器のfg.を中心に活躍する。No.89の様に、分かりやすさを前面には押し出さず、何度か聴き直すと微妙な良さが出てくる楽章のひとつ。No.88と違って、こちらの方ではvc.のsiloも自然で中央、少し右側に位置し、vc.やbass.の他の溶け合いも自然。vc.のsolo奏者は、No.88ではクレジットでは記載されたが、この No.90では記載がない。(fl.などのsolo の奏者の記載もNo.6-8 以降ここまでは記載がない)楽章の終わりに行くに従い、大概の指揮者はテンポを落とす。メルツェンドルファーの場合も同様だが、元々、やや遅めのテンポをさらに落として効果的。次に続く第3楽章 Menuet で打楽器群を含むTuittiで始まるのと効果的。
第3楽章のMenuetでも管楽器のsoloの箇所がある。特にfg.が効果的で奏者の数を増やしながら、次第に音量を上げていく効果。この部分でもダイナミックレンジがそれほど広くない割りには、旨く表現していると思う。
Finaleでの展開部+再現部の繰り返しは採用せず。後半に行くに目立つ歪も、この曲では問題ない。録音も比較的良い。 |
023年8月17日 90番 K ベーム ウィーンフィル を聴取。No.89から引き続く。No.89に関しては、「おざなり」の記述が多かった。しかしこの曲に関しては、No.89から引き続くと、明らかに丁寧に作曲されている。No.88と比較して管楽器のsoloの箇所も多い。録音は前の2曲から1年後のこともある。指揮者の指示か、あるいは録音技師の判断かは分からないが、菅楽器のsoloの部分は比較的目立ちやすい。また弱奏あるいは弱奏でない部分でも、弦楽器の音量を比較的落として、菅楽器の独自の旋律が割合によくわかる。序奏のT3の部分からfg.が随所で活躍する。提示部T22の部分でもfg.の音量が前に出て、伴奏側になるような右側のva.の音色。
第2楽章など、菅楽器のsoloの箇所が多い。調性と音量を組みあわせて、作曲者はfg.ob.fl.の各楽器をうまく組み合わせている。再現する部分でも同じようにならないように、楽器の登場の順番を変えるなど、中期から後期にかけてのよく用いられる手法をここでも採用。スコアを見ると、このあたりはよくわかる。
Finaleの終わりそうでない仕掛けを楽しむのはライヴが適すると過去からレビューをしていた。ライヴで楽しむのは、視聴と聴取が一緒になるの。視覚効果が入るので、CDのみで聴取する場合も、楽器の定位間あるいは奥行き感がより一層、大切になってくる。その分、録音にも左右されることが大きい。同じ録音会場ではあるが、こちらの方は、やや残響を抑えているようだ。しかし音のとらえ方は、ホールの前方の席から聴くような雰囲気。管楽器の奥行き感は多少わかるが、あくまでホールトーンを重視した録音。
Finaleの展開部と再現部の繰り返しの採用がない。このため、終わり方は通常通り。スコアでは繰り返しがある。ライヴとしての仕掛けを楽しむ雰囲気は皆無で、ある意味教科書的な演奏にも感じる。3曲を聴き通してみて、やはり最初のNo.88の折り目正しいが、弦の厚みを生かした中庸のテンポを生かした好演が一番の印象。
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2024年11月17日 No.90 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団 を聴取。No.94から引き続く。CDは既に約3週間前に入手済。一応、一通り聴取をしていたが各曲をレビューとしてまとめるのに時間がかかってしまった。
テーマのTHE SURPRISE に関しては、No.90はFinaleの終わりそうで終わらない仕掛けがメインかもしれない。しかし音量の強弱の対比もあると思う。第1楽章の序奏は繰り返しがない。全曲を通して最後まで聴き通してしまうと、最初の方になるので、どうしても記憶が遠くなる可能性もある。しかし序奏から、音量の強弱はアントニーニの演奏を聴いてみて特徴の一つだと思う。1曲目のNo.94の序奏は弱音から始まりある。No.73、No.92にも似たような雰囲気。
No.90の序奏は16小節と比較的短い。主調から短調に転調する雰囲気も少ない。序奏の動機が第1主題の動機と明らかな関連性があるので、初めて初演を聴く聴衆にも分かりやすい曲から始まるこをとハイドンは意図していると思う。しかし16小節の序奏は調性の対比を抑えた音量の変化が随所にある。序奏の後の2つの主題や経過の動機なども、音量の変化が随所にある。ザロモンセットを含む他の交響曲でも類似の箇所は多い。私としては、No.90は特に、序奏を含む音量の対比がポイントと思う。音量の対比は、第2楽章の2つの主題による変奏曲も同様。
過去のレビューでアントニーニのNo.82の部分でいきなりtuittiの大音量で開始することにびっくりしたと記載した。下記のレビューにリンクあり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2633.html
No.90は3曲目の収録で、過去の2曲からアンプの音量の調節もある程度、予測ができる。コンサート会場で1曲目にこの序奏の大音量を聴いたら、さぞかしすぐ後の2小節めの p の音量でfg.を含む 弱音の音に引き付けられると思う。実際、fg.は随所に活躍する。アントニーニの演奏は、強弱の対比が効果的、T8からのhr.の2名の音もよくわかる。
HAYDIN2032のサイトによると、第16集の収録順番は、実際には、No.90が最初になっている。 2曲目にNo.98。ロッシーニの序曲を挟んで、最後にNo.94の順番になっている。CDの録音は2021年 10月 バーゼルのDON BOSCO 教会となっている。一連の公開演奏の方は、その後の2022年1月下旬頃から 大聖堂を含む4箇所の会場で演奏されている。録音や演奏の時期は、まだコロナが蔓延していた頃なので公開演奏を含め気になる所。第13集でNo.31を含む2020年10月頃は、大聖堂の演奏会は中止となっている。中止となった約1年余りの後の録音時期になるため。
No.88~92の4曲は、パリセットの委嘱元でもあったドーニ伯爵からの作品なので、パリセットとザロモンセットの橋渡し的に位置する。4曲の最後のNo.92は、私としてはハイドンの交響曲の中で全く無駄な箇所が見られない、洗練された曲の一つだと思っている。それに対して、No.90、91は、No.92と比較すると、どうしてもやや無駄な箇所が見受けられるのは歪めない。無駄という表現はやや短絡的なニュアンスかもしれないが、音楽の中の休符、あるいは空白がその一つに相当する。No.90のFinaleは、終りそうで終わらない仕掛けが、5小節の休符を含む仕掛けの意味合いの一つにもなっている。CDを聴取する場合、演奏会場とは異なって視覚情報が入らない。自分の好きな場所、あるいは好きな時に聴くことが可能である。聴覚からの情報が中心となりある意味集中的に聞ける。合わせて視覚情報からもスコアを一緒に見ながらも聴取が可能。このため作曲者や演奏者の意図する表現がスコアというシナリオをもとに、自分の過去の経験も含めてレビューが可能となる。
それに対して、ライヴの演奏会はどのような位置づけになるのか? 演奏会に行くためには何度か過去にも触れてきたが、会場に行くためには自分からチケットを手配し、会場に合わせた時間や場所を自分から計画し実施していくことになる。メインの演奏会に行くために準備が必要なことはもちろん、主催者の都合に合わせて自分が行動することになる。会場に実際に行った場合、他の観客と一緒に、視覚を含めた情報を共有することになる。
音楽大学の学生や指揮者などが自分の知識を深めるために、演奏会場でスコアを見ながら聴くことは一部あるかもしれない。しかし大半の観客は視覚からの情報を含めた演奏会を聴くことがメインになる。一般には、演奏会を聴きながら座席でライヴの会場でスコアを見ることはまず皆無の光景であると思う。ライヴとライヴでない違いは、その情報が記録媒体として残るか残らないかの違いになる。ライヴは一瞬で終わってしまうので、時間の巻き戻しができない。DVDなどの公開収録では、映像として再生することは可能ではあるが。DVDはカメラなどの1か所あるいは複数の撮影機材からの編集をしたものになってしまう。ライヴの一種に多少は似ているが、DVDもライヴにはかなわない。
No.90のFinaleは、ハイドン自身、終りそうで終わらない聴衆からの受けを狙って最初から作曲されたと思う。聴衆がいる前提なので録音機材がない当時は、ライヴの概念で作曲されたと思う。初演あるいは再演後に、印刷楽譜として出版された。しかし時間の経過が後になって出版されたので、ライヴの時期よりも後になる。また室内楽版の編曲版としての出版されたケースも多い。ライヴを聴いたごく一部の聴衆がその当時、どのような曲だったのかを振り返るには時間がかかってから知る。ライヴに参加できなかった多くの音楽に関心のある聴衆は、なおさらこの曲を知ることは、後になってから少しずつ知ることになる。編曲版としての印刷楽譜も価格が高い。楽譜だけでは曲についてのことが分からないから、楽器も必要となる。楽器を購入あるいは借りる手間や価格もかかる。当時のライヴとしての価値を経験できるのは、ごく一部の人たちだけであったと思う。
ありがたいことに、CDという音源は、ライヴの雰囲気は味わうことは不十分かもしれないが、繰り返しベストな状態で、自分のTPOにあわせて聴取が可能となる。聴覚だけの情報だが、スコアを見ながらのレビューもできるのはありがたい。
最後に例によって、CDの表装について。Magnum Photo に所属する Jean Gaumy の写真家による。Magnum Photo のサイトを少し見てみたが、1948年生まれのフランス人。冒頭の城壁あるいは門の様な出展先はよく分からなかった。2枚目の城のような建物を建設あるいは解体する写真がある。この建物に関連するものか。2枚目のこの建物の写真は興味深い。下記のサイトのアドレス
https://www.haydn2032.com/en/projects/no16-the-surprise?
register=tab3&cHash=f0f3af5c7c59525df0cecb60804ae75a
大型重機で吊り上げるあるいは、吊り下げているシーンだが、写真のサイズが小さいこともあり、吊り下げているワイヤーが見えないのでびっくりする。
7枚目の犬を抱いている白黒写真は下記のアドレスに出展先が記載されている。
https://www.magnumphotos.com/photographer/jean-gaumy/
4枚目のカラー写真の海、あるいは湖のそばの光景。手前の標識と遠方の女性との同じような色がある共通点が面白い。
Jean Gaumy という人は、映画にも関わっていたようで、上記の解説によれば 犬の城くそ写真の撮影地はフランス アキテーヌ地方となっている。原子力潜水艦、北極探検、刑務所、漁船など様々な体験があるようだ。フランスでも多くの受賞を受けているようで、CDの中のわずか10枚の写真をみるだけでも テーマのTHE SURPRISE との関連が感じられる。
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