音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.91 hob-No.89   
2023年8月16日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
89 91 1788 F 4 -  -  - - (1) C 管の扱いがさらに増し細かい聴き所は多いが、如何せん主題が平凡。
       1 F Vivace
       2 C Andante con moto
       3 F Menuet & trio Allegretto
4 F Finale、Alleglo assqi
序奏がなく、いきなりVivaceの表示にあるような明るい主題で開始。主題そのものが、親しみはあるが単純明快過ぎで迫力に欠ける。(出だしが日本の良く聴く童謡の主題に類似) 提示部は第1主題の属調 による再現はないものの、かなり長い経過部がある。展開部は、両主題がめまぐるしく転調し長くて変化に富む。変化に富んだ再現部も注目に値する。第2、4楽章は、リラ協奏曲からの転用。親しみのある主題。第1楽章以上に管の扱いが大きくなっている。
 Menuetでは、フィッシャー盤では例によって、trioは弦と管のsoloがある。Finaleは単一主題によるロンド形式の一種。明るくて流れる様に安心して聴ける。フィッシャー盤では第1vn.で、一部のパッセージで、ポルタテイメント風に、軽やかに引いている。またcodaに近い部分で、vn.のsoko即興があるので心地よい。ユーモアと流れる雰囲気を堪能できる。全曲を通して一番の出来だと思う。全体的に モーツアルト風に管楽器の扱いがsoloこそは余りないものの、弦と対等に「からむ」箇所が多い。ひとつ前のNo. 88とは、大きな発展だと思う。しかし如何せん主題そのものが、平凡さが表に出てしまい、評価を下げてしまうと思った。しかし何回か聴き直してみると、意外な発見がある曲のひとつ。
 ドラティ盤は、No. 88と同様に、管の音が思ったよりはっきりと録音されている。第4楽章の終わりの部分では、vn soloによる即興はなし。
 No. 88と同様に、ベーム指揮、ウイーンフィル(LP)を聴いた記憶がある。細かいところまでは覚えていないが、かなりゆったりとしたテンポで朗々とした雰囲気だったと思う。フィッシャー、ドラティ、ベーム盤の3つの中では、やはりフィッシャーを取りたい。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年2月21 日とする)

(2020年1月13日追記 タグとして2010年2月21日
2010年5月1日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 31回」 を聴取。ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラの演奏を聴取。使用する楽器が少ないためか、古楽器によるものを採用。第3楽章Menuetのテンポの早さには、びっくりする。スケルツオ風の雰囲気。それに対してtrio.のゆったりとしたテンポは対照的。
 Finaleは管がかなり活躍するが、編成が小さいこともあり、細かい音が聴き取りやすい。2週間前に聞いたNo.84(通しNo. 86) Es調と比較して、明るいC調というので、聴きやすい。しかし全般的には、フィッシャー盤を取りたい。
2014年11月1日 ヴァイル盤を聴取。第1楽章は、序奏がなく、いきなり、日本の民謡 証城寺 -証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし):野口雨情作詞・中山晋平 の出だしがそっくり。もちろん、こちらの方はハイドンよりも後の作曲。 当初は、この旋律が、耳に残ってしまい、交響曲の1曲として楽しめないイメージであった。最近は自分なりに脱却したかもしれない。
 このヴァイル盤は、2つの ヴァイオリンが、対向配置になっている、第1楽章では、これを存分に活かしている。出だしこそ、第1ヴァイオリンが主体で動いているが。T20から3つのヴァイオリンパートが掛け合い、T26まで経過部が続く。この経過部分は、展開部でもT76から調を変えて登場する。再現部でもT122で、提示部と再現部とは調を変えて、再度登場し、大きな役割を果たす。ヴァイル盤は対向配置のため、第2ヴァイオリンのパートが明瞭に聞き取れ、意外な発見がある。 第2楽章以降は、それほど、の効果はないと思うが。Finaleも、第1楽章ほどではないが対向配置のメリットを活かしている。
 また両端楽章を中心に、弦と管とのバランスの微妙は響きが特徴。交響曲の生涯でも少し記述があったが、提示部と展開部での旋律を管楽器がソロあるいは、弦とのユニゾンで使い分けているのも目立つ。このヴァイル盤でも、楽器のバランスが旨く取れていると思う。ランクはCではあるがヴァイル盤で見直した機会。
2016年5月4日 S.ラトルベルリンフィル No.89を聴取。No.88から引き続いて聴取すると、解釈の共通点や違いが良く分かる。楽器編成は、No.89はtimp。が入っていない。No.88の第1楽章と同じ様にtimp。が入らないので第1楽章は調性こそ違うが少し似ている雰囲気。
  しかし、弦楽器の細かいパートの動きは、No.89の方がより一層、引き立つ。強弱の微妙な表現は、No.89の方が大きい。またvn.の2つのパートの独自の動きが多く、掛け合いが聴き所。(たとえば 第1楽章 T88-91)繰り返しでは、各楽器が、装飾を適宜演奏。特に第2楽章は、繰り返し個所が多いが装飾があるため、飽きさせない。今までこの曲に関しては、ランクを低くしていたが、ラトルの演奏で評価は上げたくなる。
2016年7月22日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No89を聴取。(従来までは、視聴の文言を使用していた。しかしCDを見るのではなく聴く観点から、聴取に変更する。以下、過去の視聴の文字についても、聴取に変換する。)
録音会場は、パリセットでも使用された1997年2月Vredenbrug,Utrecht,Netherland。 第3楽章のMenuetは、ノリントンと同じぐらい速いテンポ。それに対してTrioは、かなりゆっくめで対照的。
 Finaleが一番面白い部分の曲だが、T16のstrascinandoの部分。ブリュッヘンでは、それほど、足を引きずる様にの指定で演奏はしていない。しかし直前に、テンポを少し落として微妙なニュアンスをつけている。
この部分のついては、ブリュッヘンは書いていないが、フィッシャー、ベーム、ラトル、デイビスなどのこの奏法についての記述がある。

http://zauberfloete.at.webry.info/201502/article_4.html

中間部T92からの短調の部分は、第2vn.のパートが掛け合うように、緊張感を旨く出している。


2017年4月8日T.ファイ No.89を聴取。第1楽章の冒頭の第1主題。No.40の第1主題と同じ様に2つのvn.パートは重音で引いている。No.40と同様に、ファイの演奏は、重音を十分に聴かせ、高い音ばかりが目立たないのが特徴の一つ。No.40と違ってこちらは冒頭の主題は余り登場せず。
No.41,44,47のシリーズでは、繰り返しの後半では、装飾が殆どなかったが、こちらでは復活。MenuetのTrioの終わる直前の部分。過去にも類似の例があったが、vn.が回帰するMenuetに向けて「つなぎ」の旋律を演奏する。
Finaleの繰り返しの装飾は第1-3楽章と同様。後半は繰り返しがない。しかしT170のフェルマータの部分。vn.のかなり長いsoloがある。その後、さらにテンポを加速してエネルギッシュに終わる。各楽章を通して聴くと、聴き応えがある演奏。
2018年9月27日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.89を聴取。No.69と異なり管楽器を含む各パートのsoloの箇所が多い。この後に続く休止が少なく流れるような雰囲気とはNo.91とは異なり休止の箇所が多い。休止と休止でない部分の対比を楽しむのが、特に第1楽章が特徴のひとつ。
 ドラホシュのテンポは中庸。各パートで管楽器との掛け合いは自然。vn.は対向配置でないので、vn.同士の掛け合いが多い箇所があるが、対比が聴こえないのが残念。T16のstrascinandoの部分の箇所の部分。ここではブリュッヘンなどと同様に通常通りに引いている。
 2019年5月13日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 89番を聴取。No.88から引き続いて聴取する。録音の中で、hr.が極端に多く入っている。特に第1楽章は、木管楽器のfl.ob.fg.以上に入っている。今まで聴き通してきた中で、ここまでhr.は大きく入っていなかった。初期からの中期で見られたob.と同じ様に極端に強調された箇所が目立つ。
 第2楽章以降は、一点してhr.の出番は控えている。FinaleのT16のStrasciandoの奏法も目立たない。No.88と同様に、弦楽器の対位法的な箇所が、パリセット以上に多いと思う。対向配置でないのも残念。弦楽器の各パートの分離も不十分で、Finaleの終わりに近づくに連れて歪も目立つ。録音の点でも不満足で印象が少ない。
2023年8月16日 88番 K ベーム ウィーンフィル を聴取。このCDのライナーノートの曲目の解説者は 故 門馬直美氏となっている。3曲がセットになっている。2曲めがNo.89となっている。この後のNo.90がある。No.89はNo.88とNo.90の間に挟まれている。この録音の頃は、ハイドンの交響曲の収録の数は限られているようで、No.88は当時から、かなりの数の録音があった。しかしその次のNo.89となると、かなり少なかったようだ。No.88とNo.89などはセットで作曲、出版されていたようだ。ライナーノートでは、めったに録音されないNo.89の曲の紹介が、かなり詳しく書かれている。 No.88と比較してNo.89は丁寧に作曲していく時間のゆとりがなかった理由と、知名度の低い理由として以下の点が記載されている。

・第2楽章と第4楽章は前年の1786年ナポリ王のために作曲したリラ協奏曲の転用
・第1,3楽章が、ハイドンの他の交響曲と比べて、かなり「おざなり」に作曲されている。
・楽器編成も打楽器群がない。

 この内、上記3点目の打楽器群がないことは、単純に適応できないとは思わない。少し前のパリセットでも、6曲の内、4曲は打楽器がない。またあとの交響曲 No.91も打楽器群がない。
 他の作品からの転用では、ザロモンセットのNo.100の第2楽章でも類似した例がある。しかしながら、No.88と比較しても、「おざなり」に作曲されたことは、解説書の通りにうなずける。No.88は最新名曲解説全集でも、第1楽章の展開部は、長くて、かなり充実している記載がある。No.88の第1主題は、短い動機から構成され、第2主題の存在が薄い。しかしその分、一つの楽章で様々な動機を元に、細かく転調をしながら展開していく手法は、後のベートーヴェンが用いた手法を先駆していると感じる。(この楽章は、旋律的で感情を表現するような箇所がない。)

 
20世紀BOX K ベーム BOX にも、短い記述であるが、曲の解説がある。

http://mahdes.cafe.coocan.jp/myckb2b.htm

上記のブログには、曲についての解説の記載がない。No.88と比較してNo.89の第1楽章の展開部一つをとっても短く、変化に乏しい。vc.とbass.の分離は、中期から後期にかけてハイドンの得意とする手法である。しかしこの楽章では、分離もない。他の楽章も分離の箇所が少ない。
 日本人なら、どうしても「狸囃子」の旋律を最初に思い出してしまう出だし。初めて聞く人は、ついつい「狸囃子」が先行してしまうが。それを差し引いても、録音数が少ないのは、どうしても致し方がないと感じる。No.89は、No.63のように、転用しての失敗作となっているようだ。

 曲自体がどうしても、ランクが落ちるためか、聴き所が余りない。Finaleの Strascinando の指示の部分。ベームの演奏では、この指示を全て無視し、通常の奏法になっている。多くの指揮者がこのStrascinando をどのように演奏するかも興味の一つだが。通常の奏法なので残念。