音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.90   hob-No.88   
2023年8月16日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
90 88 1787 G 4 -  -  - - (1) B 第1楽章のロマン的な雰囲気を排除。それに対して、ユーモアな終楽章。
       1 G AdagioーAlleglo
       2 D Largo
       3 G Menuet & trio Allegretto
4 G Finale:Alleglo con spirito
最新名曲解説全集は、パリセットで残念ながらhob-No.87は掲載されていないが、これに続くNo. 88は、掲載がされている。通称名のVあるいはV字は、楽譜出版社の通し番号から由来する。しかし通称名については、余り深く考えなくて良い。しかし通称名がついているためもあるのか、その価値は高い。特に、両端の第1,4楽章は、何度聴いても、味が深く飽きない。
 第1楽章の序奏は、主調の確保に終始。あくまで主部を引き立てるための役目。それに対して、主部は、単一主題の頂点と表現しても良い。ソナタ形式は踏襲しているが、第2主題は、一応あるものの、hob‐No. 85と同様に、存在感は、かなり薄く第1主題によって、この楽章は支配がされている。しかも、この主題は全くロマン的な要素はない。標題音楽的な雰囲気は皆無である。単純な旋律を巧妙までに、提示、展開に終始をしている。名曲解説全集では、ベートーベンの第5交響曲の第1楽章にも共通すると記載がしてある。この表現は、実際、的を得ていると思う。
 hob‐No. 85に共通した面もありつつ、展開部は転調が目まぐるしく、提示部の各種動機が、くまなく用いられている。再現部も 演奏時間は短いが、無駄な音符はひとつもない。このあたりが、この曲の最大の特徴ではないかと思う。
 それに対して、第2、第3楽章は、普遍的。1楽章では、全く登場しなかったtimp.とtrp.が第2楽章で、初めて登場するのに、聴衆がもし聴いていたら、とてもびっくりするに違いない。第3楽章は、trio.のドローン風の怪しげな雰囲気が面白い。finaleは流れる様な雰囲気に終始するが、fg.の音色と、これに伴うユニゾンの楽しさが一番の聴き所。第1楽章は、絶対的でロマン的というか、かしこまって聴いてきた雰囲気が、最後は、ユーモア的な響きで終わるのが、この曲の特徴でもある。
 フィッシャー盤では、速めのテンポで、きびきびと流れる様に進むので気持ちが良い。第3楽章 trioでのやや不気味な雰囲気も、興味深く再現されている。それに対して、ドラティ盤はフィッシャーよりも思ったより、各楽器の音色が聴き取れる。しかしこの楽章は、ロマン的な叙情の雰囲気は第1楽章では、排除されなくてはならない。そうするとドラティ盤では、やや、やさしくゆったりとして雰囲気が残る。このため、やはり、フィッシャー盤を取りたい。なお、だいぶ以前になるが、LP盤で、ベーム指揮のウィーンフィル盤を所持し、聴いたことがある。全ての箇所までの記憶はなし。しかし少なくとも、第1楽章に関しては、ゆったりとしたテンポで絶対的な音楽の雰囲気の記憶はない。やはりフィッシャーが未だに良いと思っている。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月20日とする)
2010年5月1日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 31回」 を聴取。サイモン ラトル指揮 ベルリンフィルの演奏。V字を含めた呼称の由来の仕方に言及。
 序奏は意外にも早いテンポ。それに対して、主部はゆっくり。昔のベームの演奏を思い出す。展開部の転調の目まぐるしい雰囲気は、余り目立たない。編成は大きく、現代のオーケストラとほぼ同じ。標題音楽が排除され、絶対音楽の主題は展開に関しての解説がなかったのは、ある意味では残念である。第2楽章の中間部で初めてtrp.とtimp.が登場するが、音色の対比がフィッシャー盤等と比較して目立たない。なおtimp.はFinaleでも、かなり目立って活躍されている録音となっている。
 第3楽章のtrioでは、各弦のパートがsoloとなっていて、ドローン風のやや不気味な雰囲気と言うか、音色の対比が旨くなされている。Menuet主部ではtimp.を含めた細かい音色が編成の大きい割には聴き取れる。しかし聴き通してみて、やはりフィッシャー盤を推薦したい。
2010年5月1日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 31回」 を聴取。サイモン ラトル指揮 ベルリンフィルの演奏。V字を含めた呼称の由来の仕方に言及。
 序奏は意外にも早いテンポ。それに対して、主部はゆっくり。昔のベームの演奏を思い出す。展開部の転調の目まぐるしい雰囲気は、余り目立たない。編成は大きく、現代のオーケストラとほぼ同じ。標題音楽が排除され、絶対音楽の主題は展開に関しての解説がなかったのは、ある意味では残念である。第2楽章の中間部で初めてtrp.とtimp.が登場するが、音色の対比がフィッシャー盤等と比較して目立たない。なおtimp.はFinaleでも、かなり目立って活躍されている録音となっている。
 第3楽章のtrioでは、各弦のパートがsoloとなっていて、ドローン風のやや不気味な雰囲気と言うか、音色の対比が旨くなされている。Menuet主部ではtimp.を含めた細かい音色が編成の大きい割には聴き取れる。しかし聴き通してみて、やはりフィッシャー盤を推薦したい。
2014年(平成26年)9月6日  B.ヴァイル盤を聴取。パリセットよりも、弦の編成が多いかもしれない。第1楽章は、弦主体のためか、管が控えめ。hob-No.-28(E-dur)と同様に、わずか1小節単位の主題から構成され、これが、楽章全体に散りばめられている。
 実際の演奏をもし聴いたら、打楽器とtrpが、第1楽章で全く登場しないのに、聴衆は、びっくりしたに違いない。第2楽章の途中から、強弱の対比をともなって登場。 Finaleは、やや速めのテンポ。結構timp,とTrp,が結構活躍して、ヴァイル盤でも聴き所は多い。
  

2015年(平成27年)2月6日 .G.セル盤を聴取。録音が古く1954年のモノラル。私の聴取環境では、ダイナミックレンジが狭く、細かい音が聞き取れない。きびきびして、きりりとした雰囲気を通した第1楽章であるが、T130の再現部の冒頭で、fl.のsoloが柔らかく、少しテンポを落として登場するのが印象的。
 第2楽章の中途まで、金管楽器と打楽器が登場しない。この部分でのfsのインパクトで、響かせる部分がポイントではあるが、録音が古いこともあって不足。
 第3楽章のTrio のT63で、 fsの指定の部分。ここでは、ランドン版ではtrp.とtimp.の記載はない。しかし。セルは、この部分で、trp.とtimpを合わせて演奏している。ダイナミックレンジが低い演奏ではあった中でも明瞭に聴き取れるのは意外。


2015年12月1日  バースタイン ニューヨークフィル 1963年盤を聴取。後年ウイーンフィルのライブ盤も録音をしているが、こちらはライブ録音でない。No.82のパリセットは2012年に聴取記録を書いていたが、しばらく途絶えている。第1楽章の主部は、比較的ゆっくりしたテンポ。第2楽章での途中で、初めて打楽器群が登場する。ノリントンのfとpの微妙な対比に刷り込まれている後のためか、インパクトが薄い。第3章 trio のfg. 低音の持続音も目立たず。演奏スタイルは、パリセットと大きな違いはない雰囲気。


2016年2月20日 クイケン ラ・プティト・バンドのNo.88を聴取。古楽器による演奏は、前のパリセットからも周知をしていたが同様。前半の2楽章より、後半の2楽章が面白い。打楽器もtimpがp指定が効果的。第3楽章 MenuetのT41の部分。ここでは、僅か1小節であるが、p の柔らかい音色が印象的。一方それに続くTrioでT48のfg.,T60のhr.はfの指定が独自にある。この部分をきっちり目立たせている。
Finaleは、ゆっくめのテンポに終始。冒頭の主題を僅かではあるが、頭の出だしを少し、間を置いての演奏。他の指揮者の表現をは微妙に違う。中間部のT108からvn..低弦とが半小節遅れて、掛け合う部分が、今まで聴いた演奏の中で、少しずれている分、面白みが増している。
 

2016年5月3日 S.ラトルベルリンフィル No.88を聴取。オケの編成は大きく、弦の厚みがある。第1楽章のホグウッドNo100を聴取。第1楽章の T17からのAllegloのテンポは、やや ゆっくり目。強弱を微妙に変えている。第1楽章は、timp..が入っていないので、柔らかい雰囲気。第2vn.は右側の対向配置と推定。
このtimp.とtrp.の使い方が面白い。ホグウッドのNo.96でも第3楽章のMenuetの繰り返しで、旋律を変えていると記載した。このラトル盤でも同様に、Menuetの繰り返しの部分で、timp.が繰り返される後半部分は、前半部分と旋律が異なる。hr.も同様に変えている様だ。旋律の扱い方が、ホグウッドと同様に、主題の前打音を重視していると思う。ただし、ホグウッドと異なり、Trioの後に登場するMeuetの繰り返しは採用せず。
 Finaleのtimp.も独自の動きがある。今まで、timp.の動きに、余り注意を払っていなかった。ラトル盤を聴いて、意外な発見となった。
2016年7月22日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No88を聴取。FinaleのT191から最後の部分。普段は、2つのvn.パートが、分かれて聞こえ勝ち。しかし最後まで、2つのパートがだが、同じ旋律を引いて、締めくくるのが良く分かる。
2019年5月12日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 88番を聴取。冒頭の序奏はTuittiの強奏で始まるが、ダイナミックレンジが狭く歪が大きい。第1楽章の提示部で、一瞬ではあるが音の途切れあり。録音レベルも低い。第2楽章の中間部で初めて、打楽器群が入るがコントラストも不明瞭。vc.のsoloも極端に右側に位置し、Tuittiとの溶け合いも不自然。No.6~8での録音の様な雰囲気。極端に録音が悪いところが多く印象が殆どない。
2019年11月4日 88番 オットー・クレンペラー ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を聴取。以前、No.100のCDを聴取したが分売だった。この度セットで3枚組を購入。No.100と101はすでに済んでいるので、No.88以降の残りが6曲がある。最初にNo.88から聴取。No.100に関しては、以下にLP録音のレビューがある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1445.html

 No.88は1965年の録音。CDのNo.88のレビューは下記のブログにもある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-322.html

ここでは強奏部分の弦のボウイングの迫力などについてのコメントあり。序奏の後、第1楽章の冒頭は弱音で始まる。短い動機の典型的な主題だが、T24までは、低減が大きな音量で加わっていない。T24で初めて、対旋律の動機の様に初めて加わる。この部分では、打楽器群はないがTuittiで低減を含めたTuittiの厚みが十分。ライブもし、この演奏を聴いた場合、No.100と同様に打楽器群がいつ、登場するのか気になるところ。
第1楽章は、まったく出番はない。しかし当時の聴衆にとって、いつ出番があるのかは、初演当時は気になったに違いない。第1楽章の序奏の後の短い動機は、対旋律とともに、様々な箇所で登場、変形、転調などを繰り返えす。ときには各パートに分かれたり、Tuittiになったり大きな変化がある。名曲解説全集にも書かれているが、この第1楽章は、抒情的な要素は全くない。T24の低弦の動機は、最初にインパクトにもあたり、うまく表現。打楽器群はこの楽章はないが、あたかも打楽器が入ったような雰囲気。Vn.は対向配置。一方va.以下の低弦は、中よりで左右に広がっていない。この録音のためか、さらに低弦が中央よりに厚みのある響きになっているかもしれない。
 第2楽章の途中で打楽器群が登場する。Trp.は右側、一方tmp.は左側になる。打楽器群が分かれているのがよくわかる。曲全体を通して、録音のレンジが狭い。最近だと、古楽器のエンリコ・オノフリNo.44で、少人数の奏者ながら、vn.の重音が印象的だった。大編成のセッション録音。(有名なロンドンのAbbey Road No.1 Studio)セッション録音なら、もう少し鮮度のある録音がよかったと思う。
2019年11月23日 88番 フリッツ・ライナー(Fritz Reiner)指揮シカゴ交響楽団を聴取。ハイドン音盤倉庫にも、レビューが記載されている。


https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-254.html

これによると、秀演をキーワードとしたような好演なコメント。タワーレコードからの再発版であると思うが、こちらはNo.88のみで、他の2曲はモーツァルトのNo.39,40がカップリングされている。No.88の方は同じ録音日になっている。(1日のみ)1960年2月6日 で録音場所はOrchestra hall Chicagoと記載されている。詳しい録音会場は分からないが、1960年の録音とは思えないほど、かなりレンジが広い録音。
 少し前にクレンペラーの録音と比較していまう。クレンペラーの方は、テンポがゆったりとした典型。また録音のレンジが少し狭い。一方 F ライナーの方は、レンジは広い方で低音の厚みも十分。ただし管楽器、打楽器群の奥行き感は余りないようだ。しかしその分、弦の厚みを生かしてモダン楽器の大編成が特徴。vn.はクレンペラーと違って対向配置でない。クレンペラーの場合は、第1楽章の第1主題から、中央よりの低弦の厚みが印象的だった。(下記のレビューを参照 譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1257.html

ライナーの方もva.以下の低弦に関しては、かなり厚みがあり右側に位置。速いテンポで、ぜい肉をできるだけ落とした様な切れ味がある進み方。ドラティのような楷書の演奏ではないが。
 第2楽章の途中から登場する打楽器群は比較的、おとなしい方かも。変奏の終わりに近いT96の部分。ここでの第2ob.のsoloをどのように演奏するかは興味深い。音盤倉庫では、少し遅れてこの部分が入ってくる洒落た雰囲気の記述があった。確かに少しタイミングが遅れて、音量を落としている。指揮者によっては、このob.をかなり目立たせることもある。しかしこの演奏は、あくまで控えめ。 Finaleもテンポは速め。
 録音では近接音が多め。中央よりに、楽器以外の音が入っている。指揮者の声か? 録音データによると録音は2月6日としか記載されていない。セッション録音ではあるが、ライブのような雰囲気。このNo.88はCDでは3曲目にあたる。最初のモーツァルトNo.39.40は同じ指揮者とオケで1955年4月23日と4月25日。こちらはモノラル録音。レンジも狭くて、音の低位感は余りよくない。5年しか経過していないが、モノラルとステレオの違いを改めて認識した。
2019年12月24日 88番 ヘルマン・アーベントロート ライプツィヒ放送交響楽団 を聴取。奏者の経歴、録音などに関してはハイドン音盤倉庫にも好演を含めての記述がある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-406.html


概して全体的には速めのテンポ。第2楽章T41で、打楽器群が初めて登場する。この部分では、打楽器群の迫力ある表現を期待したいところ。元々モノラル録音で、ダイナミックレンジが狭いこともあり、この部分の迫力は目立たないのが残念。


 概して速めのテンポだが、第3楽章のTrioでは、かなりテンポを落として対比させ、緩急の緩急の差がよく分かる。一番の聴き所はFinale。冒頭からかなり速いテンポ。このテンポを最初から最後まで通す予感が最初に立つ。しかしT24の推移の部分では、冒頭と異なり、p の指定を守りながらテンポを僅かに落とす変化。強弱とテンポのタイミングが心地よい。繰り返しがないロンドソナタ形式で、注意深く聞かないと一気に終わってしまう。再現部の直前のテンポの微妙に落とす加減などは、とても良い。特にFinaleはとてもつもない加速であるが聞きごたえがある。
 しかし、やはり録音の点でモノラルでのレンジの狭さと広がり不足(モノラルでも中央寄りに集中し過ぎて、左右の広がり感が殆どない)のために今ひとつの印象。なお、他のレビューにもよると、ランドン版ではなく旧版で演奏してあると記述があった。この違いが私には良くわからなかった。
 2019年12月26日 88番  ブルーノ・ワルター コロンビア交響楽団 を聴取。 SONY Classical シリーズでNo.100とカップリングされている。No.100はのワルターは以前、別なレビューで記載をしたが楽団が異なる。こちらは初めて。録音は1961年で今から約60年近くも前になるがステレオ録音。
 テンポは概して遅め。かつてK ベームを思い出させるほど。ただしベームほどFinaleのテンポは遅くない。先日、アーベントロートのモノラル録音の速いテンポを聴取したいたのとは対照的。こちらはステレオ録音だが冒頭からテンポは遅め。
遅め目のテンポの流れを概して通している中、強弱のニュアンスをかなりつけている雰囲気。第1楽章は、ほとんど単一動機で譜面の一部を取り出しても、どの箇所かはわかりずらい点があるかもしれない。遅めのテンポなので、主部T17からの第1主題も、休符を挟んでいる「ひと固まり」の動機として意識しやすい。(逆にテンポが速すぎると、休符の意識が少なく流れが前面に出てしまう)
推移のT31の部分(最初に低弦から登場した16分音符の対旋律が2つのvn.で受け渡される直前の部分) この箇所では通常の指揮者は、音量が大きいまま流れていことが多い。ワルターの場合は、ここで僅かだが音量を落として、T32の対旋律を引き立たせる。このような手法は、この楽章でも適宜、用いているようだ。微妙な強弱で楽全体にニュアンスをつけていると思う。第1楽章は打楽器群が入らないので、打楽器群を除いた中で、強弱をつけるうまく工夫をしていると思った。
 第2楽章の冒頭は得てして、vc.のsoloとob.が目立つことが多い。主旋律を受け持つので、目立つのが当然だが。管楽器のfg.hr.のパートの音もよく聞こえる。モダン楽器で奏者の数が多い。ステレオ間の広がりや奥行き感も十分。各パートの配置もよく分かる。とても60年近く前の録音とは思えない好演。
下記のブログ 「偉大なる ブルーのワルターー」のブログに、このCDのレビューがある。
https://brunowalter.at.webry.info/200910/article_2.html


上記によると、このオリジナルの音源に関しても、CDとして発売するときに録音が、かなり左右されると記載があった。ライナーノートにもこのDSDマスタリングの特徴が詳しく記載されている。これによると、CDのプレス成型工程も注意が払っているようだ。この演奏は名演の一つとされてきた。実際、録音の良さも相まって名演の一つと思った。
2022年5月2日 88番 ヴイルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Wilhelm Furtwängler, Berliner Philharmoniker を聴取。下記のブログにレビューがある。1951年の録音でモノラル。さすがに音源が古いため弦楽器の音にひずみの影響は大きいと私は感じる。第2楽章で初めて、打楽器群が登場する箇所。ここで、この楽章で初めて強奏となり、音色の対比が興味深い。打楽器群の音は比較的明瞭に入るが、弦楽器の刻む様な音のひずみで、印象が今一つ。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-439.html

 音色の変化で第3楽章のTrioの部分。T45のfg.+va.のドローン風の持続音が入る箇所。この部分でも、各パートの音色の対比が聴き所なのだが、いかんせん、モノラルとレンジが狭いためによく分からない。ランドン版でないためか、Trioの後半のT66~67にかけて、繰り返しを含めて、この部分では弱奏でtimp.が入っている。(過去の他の指揮者でも同じようにかったかもしれないが) なお、No.88に関しては、この録音で下記のブログにもレビューがある。

http://karajan2.blog101.fc2.com/blog-entry-1922.html

上記のブログでは最後に、もっとアッチェルランドをして欲しい記述があった。確かに、この雰囲気に期待をしていたが、今一つ。上記のレビューにもあるが、録音による影響が大きいと思った。

2023年8月15日 88番 K ベーム ウィーンフィル を聴取。ハイドン音盤倉庫にも好演のレビューがある。LPを過去に所有していたとき、ベームのこの曲を所有していたが、殆どLPは処分をしてしまった。LPの時は、録音時間の関係から2曲のみを収録していると思う。その後、最近、中古でCDを入手。このCDでは、No.88,89,90の3曲が収録されている。いつものように収録順番にレビューする。


https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

 上記の音盤倉庫では中庸なテンポでオケの厚みを生かした演奏と記述がある。確かにこのレビューはポイントを得ていると思う。No.88は、第1楽章は、打楽器群が全く登場しない。第1楽章は弦楽器が登場しない分、tuitti の f の箇所でも、弦楽器のみで表現することになる。一方、第2楽章以降は打楽器群が登場する。テンポが比較的似ている。第1楽章と第4楽章のtuitti の強奏部分の対比が聴き所となっている。 
録音データによると、ムジークフェラインホールとなっている。このCDの録音年月日は1972年9月でGrammophon レーヴェルになっている。アナログ時代で、録音会場のせいか残響がかなり多く、菅楽器の奥行き感が少し分かり難い。打楽器を含まない第1楽章の終わりの部分T252あたりから終結に向かって テンポは余り上げない。多い奏者の弦の厚みを生かして、va.+低弦+fg.の第1主題の対旋律の響きも厚みがある。残響が長いためか、終わりの部分も残響を含めた柔らかいニュアンス。
 同じ録音会場で指揮者と奏者は異なるが、佐藤裕 トーンキュンストラー管弦楽団 No.6~8を以前、聴取した。2016年のライヴ録音。この演奏は、残響は多いが、菅楽器を含む各パートがよくわかる。それに対してベームの録音はライヴではなく、残響はこちらの方が、やや多い雰囲気。No.6~8と異なり、これらの3曲はsoloの箇所は余り多くない。しかし随所で管楽器を含むsoloの箇所がある。私自身、tuittiの箇所を含めた、各パートの定位間、奥行き、掛け合いなどを聴取のポイントとしている。録音がもう少し、鮮明でパートの分離感が欲しいと感じた。