音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.89  hob-No.87   
2024年7月7日 更新 

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
89 87 1786 A 4 -  -  - - (1) A 久々の協奏交響曲風のスタイルで管楽器の音色が楽しみ
       1 A Vivace
       2 E Alleglo
       3 A Menuet e trio
4 S Finale:vivace
Hob(ホーボーケン)番号では、6曲のパリ交響曲で最後に位置する曲。ひとつ前のNo. 86よりも前に作曲され、楽器編成も少なくなっている。第1楽章のVivaceは、序奏がなく「たたみ」かける様な勢いで進む。同じA調でたたみかけるような雰囲気は、Hob No. 59(通しNo. 48)通称名 火事の出だしに似ている。しかし、第1楽章の構成ひとつをとっても、格段の聴き応えがある。
 No. 86(通しNo. 88)で記載をした(1)から(7)のポイントがある。序奏こそ第1楽章はないが、それ以外については、全てを満たしている。たとえばVivaceでは、提示部で第1主題が属調 で直ぐに提示されること。第2主題は、第1主題と一部は共通の素材を用いているものの、明確な対比がある点。Hob No. 85とは、大きく異なる。(逆に、No. 85は、 (1)から(7)のポイントを満たしていない点が多いと推定。)
 曲全体で一番のポイントはAdagioを推したい。展開部を欠くソナタ形式であるが、曲全体を通して管楽器が活躍。初期から中期の頃まで、頻繁なスタイルであった、協奏交響曲風の管楽器の様式が復活。弦は、殆ど伴奏に徹する箇所が多い。フィッシャー盤やドラティ盤でも、演奏時間は6分余り。再現部では、提示部以上に、装飾が施され、カデンツアが置かれている。通して聴くと、Adagioの演奏時間は長くはない。しかし、これから後の交響曲では、この様な協奏交響曲のスタイルは、既になくなってしまう。むしろ緩徐楽章は装飾音を中心としたスタイルに変わって行ってしまう。Finaleは、ユーモアはもちろんだが、流れる様な雰囲気に終始。形式は、分かりにくいが。流れる様な雰囲気を楽しめば良い。一度聴いただけではFinaleの構成が分かりにくい。何度か聴き直すと、再現部で、第1主題の前部が省略されている。その分、codaが長くなって、第1主題が再度、はっきりと登場するのは、以前にも何度か用いられた手法。Adagioと共に、Finaleでも、過去に用いられた手法が復活。一度聴いただけでは、この曲の良さは分かりにくいかもしれないが、何度聴いても、意外な発見があり、魅力は絶えない。
 フィッシャー盤は、Adagioの管楽器の細かい音色が心地よい。弦の音を抑えて、伴奏に徹している。codaの部分では、vn.のsoloの部分があり、室内楽的な繊細さが楽しめる。ドラティ盤は、フィッシャー盤ほど、細かい音が聴き取れない。カラヤン盤は、Vivaceの出だしの迫力は、大編成を生かして、とても迫力がある。しかし、この曲の白眉はAdagio。カラヤン盤は、繊細の雰囲気もあるが、如何せん、編成が大きすぎる。やはりフィッシャー盤を取りたい。
 なお、最新名曲解説全集には、掲載されていない。しかし、全体的に6曲の中でも遜色は全くない。通称名がないのは残念であるとともに、もっと周知がされている価値はあると思う。最初の感想で書いた、火事の上を行く曲として「大火事」と自分なりには命名したいと思っている。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月19日とする)
2014年1月26日 デイビス盤を聴取。第1楽章は、たたみかけるようなテンポが特徴であるが、デイビス盤は、ややゆっくり。ライブ録音も相まって第2楽章の管楽器が目立つ。提示部と再現部で、管楽器のみで演奏する箇所は、さぞかし、張り切っていたに違いない。パリセット6曲の中で、管楽器がが活躍する曲として、人気であると思うが。もはやこのスタイルは、最後の交響曲まで登場しないのが残念。その分、管楽器の活躍するこのデイビス盤は、注目に値する。
2014年(平成26年)8月13日  B.ヴァイル盤を聴取。第2楽章のT16とT23当たりに第2vn.が16分音符で、分散的な動きをするが、このヴァイル盤では、よく聞き聴き取れる。fl.をを中心に、管楽器がカデンツア風で随所に活躍するが、弦楽器とのバランスが旨くとれていて、聴きやすい。 
 Finaleは、後半の繰り返しを採用。フェルマータを挟んで、繰り返しがある。聴衆は終わったと思うかもしれないが、再度の繰り返しがあって、びっくりするかもしれない。(しかし当時は、繰り返しが一般的) この後のNo.90の様に、終わるようで終わらないのとは雰囲気は違うが、フェルマータの効果は意外性を伴う。大半の指揮者は、後半の繰り返しを採用しないので、この演奏は貴重な点のひとつ。
 2015年(平成27年)5月3日  R.ノリントン  チューリッヒ室内管弦楽団 を聴取。この3枚組みのCDは作曲順に収録されているのか、最初の1枚目の冒頭に、このNo.87が来る。編成も打楽器群がないので、柔らかい雰囲気が特徴。
 第1楽章の冒頭からノリントンの魅力に、はまってしまう。4分音符が5回連続して続くがレガートでない、柔らかい演奏が特徴。この動機は、T47では、レガートではなく、スッタカートの表記になる。音符の対比が見事。この5連続の音符は、2つの主題に共通したもの。また、微妙な強弱指定をノリントンは重視。今まで多くの演奏を聞いた中では、冒頭から、「f」指定が多く、強弱の差が余りない。しかし、この演奏では、この強弱のニュアンスが、かなり細かいところまである。
 第2楽章では、一転、管楽器が中心に活躍するところが多い。T86から管楽器を中心としたカデンツアの部分では、第1vn.が「p」 の指示指定を守り、soloで演奏。第3楽章のtrioでも弦の各パートがsoloで演奏しているようだ。
 finaleは、流れるように終始をするが、これほどテンポや強弱を微妙に動かしている演奏は初めての体験。
 打楽器群が登場しない分、柔らかいTuttiの「f」などの箇所でも、落ち着いた雰囲気が、この曲の特徴を旨く表している。大編成のオケである演奏だと、これほどのスタイルは、難しいかもしれない。ハイドンがパリの聴衆を意識した、大編成の演奏とはまったく違う雰囲気。今まで、この様な演奏スタイルを聴いたことは全くない。エステルハージ楽団の小編成を目指した演奏スタイルが垣間見れる。この演奏を聴くとパリセットより前の録音を聴いてみたい。ジャケットに同封されたライナライナーノート(ノリントンの執筆)によると、パリのオケよりも少ない総勢30名で演奏したと記述がある。ジャケットの終わりの方の写真でも、弦楽器が総勢18名程度。2管編成でもやはり30名程度となる。
 数日前まで、ゴバーマンの演奏を聞いていた。パリセットは録音をしていないが、全く違う解釈だと思う。
クイケンのNo.87を2015年7月16日に聴取。クイケンのパリセットは、エイジ・オブ・エンライトトゥルメント管弦楽団。古楽器で第2 vn.は左側に位置。チェンバロが入る。ノリントン盤との比較のため、パリセットをNo.87の作曲順番から聴取。楽器の編成数は多いようだと思うが、古楽器のためか、弦を含めた各パートの音が良く分かる。第1楽章の後半の繰り返しはなし。特にfl.は、柔らかい音色で第2楽章のsoloの部分は、弦楽器より対比されている。
 第2楽章の終わりの方のT92からの管楽器のカデンツアが展開するのが一番の聴き所。しかし、それより前のT74から、第1vn.がユニゾンで、最初はfl.その後はob.で冒頭の主題を演奏する。この部分で管楽器はもちろん、soloの指定はないが、T92からのカデンツアに向けての対比で心地よい。クイケンでの演奏は、このユニゾンの効果が良く出ている。
 Finale後半の繰り返しを採用。第1楽章は、後半の繰り返しがなかったので意外。曲の最後は、繰り返しし記号が書かれ、フェルマータで終わっている。元々、このFinaleの後半は流れるように進み、冒頭の主題がはっきりとしない。いつになったら、再現され終わるのか、どきどきする。 No.90と同じ様に、繰り返しの採用による、終わりのタイミングを計るかの様に作曲されている。クイケンの演奏は、第1楽章の後半の繰り返しがなかったことに伴い、意外性を発揮したと思う。
 A調で古楽器の明るい音色に支えられて、流れる雰囲気は堪能できる。ノリントンの強烈なノンレガートと微妙な拍子や陰影の後だと、いささかインパクトは減ってしまう。
2016年7月19日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No87を聴取。No.85ど同じ録音会場なのか、左右の広がり、分離感は良好。第1楽章は、概して弦楽器が中心で、管楽器は補強的。このため、弦楽器の各パートの細かい部分が聴き所。T37の第2vn.の独自の動きなどが良く分かる。第2楽章以降、CDの再生が旨くできず、途中で終了。
 
2017年2月18日 T.ファイ No.87を聴取。ファイ盤の2枚目として6曲のパリセットを購入。作曲順番に聞くためにNo.87から聴く。ファイ盤から聴きはじめて管楽器のfl.が初めて登場。中期の頃の録音と比較して、弦の編成数が少し多いようだ。

 第1楽章の冒頭の主題の扱い方。ノリントンのような、ノンレガートの手法を少し取り入れているように感じる。(ハイドン音盤倉庫 下記のアドレスでも、私と同じようなコメントがある)第2楽章の終わりに近い部分、T86からob.とfl.を中心にカデンツア風の箇所。ここでは第1vn.も参加するが、soloとなっているようだ。
 一番面白いのはFinale。単一主題に近く流れるようにこの雰囲気を楽しむのがポイントの一つ。このため流れる雰囲気と時折挟む切れ目、繰り返しの有無などに興味が高まる。提示部の終わりの方、T73当たりから半終止に向かっていく個所。第1vn.とfl.が少しずつ消えるように、テンポを落としながら演奏する。この後にすぐ続くT83からのf指示による Tuitti の部分と対照的。
展開部と再現部の繰り返しを作曲者は指示している。休止符を挟むフェルマータから繰り返すので、聴衆にとっては、最後に繰り返すかどうか、不安に思う個所。ファイの演奏では、このフェルマータを生かして、しばらく間を置いてから再度、後半部分を繰り返す。No.39のMenuetの後半の様に、繰り返しの部分の装飾は、今回は加えていない。(ラトルのNo.90のFinaleと対照的) 敢えて、繰り返しの部分で装飾を特に加えていなくても違和感はない。ハイドン音盤倉庫でも、このNo.87のFinaleは絶品と評価がされている。(下記のアドレス)
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-158.html
2018年5月4日 87番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。録音は、一つ前 No.82と大差はないが1952年。同じ録音会場であるが、こちらの録音は、録音レベルがNo.83よりも少し高いのか、モノラル録音ではあるが、ダイナミックレンジが一連のものより広く、各パートの音が良く分かる。第1楽章の冒頭から、少し早めのテンポであるが、Tuittiでの音の厚みが大きいのが印象的。繰り返しがないので、直ぐに、畳み掛けるように終わってしまうのが残念。
 第2楽章のT2からのsoloで入るhr.T9からのfl.も伴奏する弦楽器とのバランスが旨く取れている。No.52の第2楽章でも少し触れたが、提示部終わりの部分当たりのT31の部分。ここでは弦のユニゾンの箇所があるが、その後に続くT32の p の部分との対比が印象的。終わりに近いt91からの管楽器のfl.と2本のob.のカデンツアの箇所などは、各パートの分離感を聞きたいのが残念。Finaleのくりかえしの採用なし。直ぐに終わってしまうが、ユニゾンの箇所が多く、流れを重視している分、印象が深い。録音の差により、こちらの方は、名曲のひとつとして推薦したい。

2018年8月10日 パリセット6曲の2枚組みを入手。作曲順番からの87より聴取。録音は1973-1974年。モダン楽器で第2vn.は左側に位置。弦の奏者数は比較的多く。その分、管楽器は、やや奥の方。
 テンポは概して中庸で、各楽章の中でも、テンポの変化は少ない。最近ファイ盤で、、第4楽章の小結尾部 T87の箇所。ファイでは、第1vn.とfl.が消えるようにテンポを落としながら演奏する。一方、バレンボイム盤では、音量やテンポは通常通り。各パートの動機の動きの細やかさなどは、余り見出せない。
2018年9月7日 87番 N.マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。パリセットからの分売のひとつと思われる。No.86と87の2曲を収録。No.87から聴取。ザロモンセットと同じ解釈。ただしこちらの方は、打楽器群は入らない。No.101と同様にflがいたる所で活躍する。このCDには日本語解説が付いている。
 弦楽器ではva.の分離はここではない。それに対してザロモンセットと同様に、低弦の分離が多い。第1楽章の小結尾部t63当たり。ここでは弦のみが演奏するが、bass.は登場しない。vc.も高い音域で寄り添うが pp で一時終始する。この後の展開部入り口のTuittiとは対照的。
2018年9月24日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.87を聴取。No.53から引き続く。奏者の数は、No.53と大差はないようだ。第1楽章 提示部の終わりの部分。先日 N マリナー盤では、vc.bass.の分離を伴いながら、ppで柔らかく半終始をすることを記載した。(以下の自分のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-982.html

ドラホシュの場合も同じ解釈であるが。しかしその後に続く展開部の最初の部分はT69では、冒頭と同じでf指定。マリナーの場合は冒頭と同じ様なfであった。一方ドラホシュの場合は、少し音量を落として提示部からの流れが続く雰囲気。

緩叙楽章の部分に旨くこの柔らかい雰囲気を生かしている。たとえば31の部分。ロスバウト盤では、このfの対比が効果的と記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-899.html

それに対して、ドラホシュの場合は、あくまで柔らかい雰囲気。各パートの動きの中で右側に位置するhr.が、奥の方ではあるが、ポイントを抑えて、和音を支えているのが特徴的。中間

部T75では、かなり低い音域で2人の奏者が1オクターブは離れて演奏する。この部分は、通常は中々、聴かれない部分ではある。しかしドラホシュの場合は、明白に聴こえる。なお、このhr.は、第2楽章の最後の方でも活躍する。
2019年12月3日 87番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス を聴取。パリセットの3枚組で作曲順番から開始する。ロンドンセットも過去に聞いているが、パリセットは初めてになる。6曲をまとめて聞いていく場合、打楽器群が入るNo.82とNo.86は、他の4曲とは、かなりスタイルが異なると思う。このため、作曲順番の方が自分なりにあっていると思う。No.87に関しては、下記のブログに、 CDライナーノートの解説を含めて記載がある。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-1079.html

下記の「批評時間」のブログにハイドンのアーノンクールに関して、興味深い記述がある。

「アーノンクールのハイドンの特徴は、メトロノーム的な正確さをかき乱す強烈なアゴーギグにある。それはフルトヴェングラー的なアゴーギグとは正反対である。」


http://franzjoseph.blog134.fc2.com/blog-entry-26.html

私自身アーノンクールの独特なアコーギクに関して、様々なブログやレビューなどからある程度、知識を収集して来た。アーノンクールの独特な、ある意味「魅力」に一方的に、はまってしまうことは余りないかもしれない。しかし T ファイ の師でもある、存在感は大きいと思う。各楽章の大きな単位でのテンポの対比などは、その一つになる。第3楽章 Menuet で主部は、ややゆっくり目。一方、中間部のTrioはかな速めの対比の面白さ。この一つだけをとっても聴き所の一つにもなる。
 古楽器で当時の奏法を中心とした演奏。第2vn.は右側で対抗配置。すべてのパートを含めたパートは分離間が十分。残響がやや多いが、近接音もかなり入っている。管楽器のキーの動く音、特にfg.が僅かだが入っている。指揮者の息使い(提示部と展開部の繰り返しの休止の間など)も適宜入っていてライブ録音のような雰囲気。弦のパートは奏者の配置までわかるような録音。冒頭のVivaceからダイナミックに開始する。スコアを見ると、第2vn.は重音になっている。

うれしいことにパリセットの3曲はパリ国立図書館のホームページから直接、スコアを閲覧することができる。ドーニ伯爵が所有していた、青い段ボールの表装まで見られる。冒頭の部分は確かに第2vn.は重音になっている。Aの音なので、開放弦と非開放弦で分かれて演奏するのか? 冒頭から弦の重音が印象的。
 展開部T69の冒頭も印象的。ハイドンには珍しく、T69の冒頭からva.の分離がある。第1vn.冒頭と同じだが、第2vn.とva.は音程が冒頭と異なる。この違いもよく分かる。

ホッグウッドと同様に、展開部と再現部の繰り返しは忠実に採用。Finaleも同様に、繰り返す。パリセットを含めて終わりような締めくくりの仕掛けがあるので、繰り返しの有無はライブだと拍手のタイミングを含めて興味深い。この演奏ではフェルマーターが最後にあるので、繰り返しがあるのかどうか気になるところ。フェルマーがあるかどうかで、この終わるタイミングが左右される。自筆楽譜もすべてのパートに曲に最後に記載がしてあった。自筆楽譜を対比させながら、アーノンクールの演奏を堪能できた。
 2021年1月3日 H V  カラヤン ベルリンフィル 87番を聴取。打楽器群が入らないが、序奏のない分、冒頭からのTuittiが聴き所のひとつ。下記の自分のブログのレビューのアーノンクールの重音の良さについて記載をした。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1273.html

カラヤンの場合、モダン楽器を使用し奏者も多い。vn.も対向配置でない。冒頭の第2vn.の重音は、分からない。パリセットの一部は、パリの国立図書館のホームページで自筆楽譜が公開されている。No.87の第2vn.の重音について、アーノンクールのレビューにも記載されたが、カラヤン ベルリフィルの演奏で、vn.はどの様に演奏したのか。私はvn.の奏法の詳しいことについては、分からない。奏者が1名の場合、重音は基本的には違う音程で同じ「長さ」を演奏する場合、2本までしかできない記述を見たことがある。重音で4箇所に分かれた音程でも2個所の音程しか分かれないことになる。ベルリンフィルの奏者がもちろん多く。重音を演奏する場合、第2vn.はどのように分かれていたのか。
 自筆楽譜も譜面の例と同じ様に、Aの音が上の方向と下の方向の2個所に分かれている。自筆楽譜に数字は記載されていないが。写譜屋へすぐに渡せるように、訂正箇所も殆どなく、スラスラと薄いインクで書いている自筆楽譜。数字を書かなくても、写譜屋はAの音は開放弦と非開放弦で演奏するパートで書き写したと思う。非開放弦と開放弦の音色の違いは、28番のMenuet の様に数字で明記され、独特の音色になる。冒頭からこの音色がよく分かればありがたい。重音の箇所はこの楽章の中ではパリ交響曲の中でもとても多い。
 概して冒頭から8分音符が5~6個単位で構成され、ある意味ゴツゴツとした雰囲気が基本になる。もう少しスコアを見てみると、この楽章が終始、ゴツゴツとした雰囲気を通していない。提示部の中間部から音量を落として、シンコペーションの新たな旋律やスラーを交えた、柔らかい雰囲気の箇所もある。単に聞き流すだけだと、8分音符のくくられた特徴ある動機が、時折出たり、出なかったりの楽章しか聞こえないかもしれない。しかしスコアを見ると、作曲者の細かい指示により、楽章全体に細かい雰囲気を変えている様子がよく分かる。
 緩徐楽章でのhr.について、今まで記載をしてきた。No.87に関しては、冒頭からhr.の音色がとても和音の補強としてはっきり、入っている。No.83、84の2曲とは対照的に、hr.と他の管楽器とのバランスがうまく入っている。下記の譜面の終結部分。hr.は低音域となるが、ここでもあくまで和音を支えている持続音であるが印象的。伴奏側に回る弦楽器も、奏者が多いとは言え、soloに近いような音色は、いかにもカラヤンサウンドの雰囲気。
Menuet のTrioのob.のsolo。通常のob.の最高音になるEの音。古楽器などは、この最高音を出すのに苦労すると思う部分。モダン楽器であるが、柔らかい音色で余裕を持ったE音を出すのは、さすがのテクニックだと思った。
87番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団

2022年2月26日 82番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。No.82から引き続く。同じ奏者の数だが打楽器群は入っていない。この指揮者と奏者に過去から共通しているが、古楽器を使用した切れのある奏法は、特徴のひとつ。打楽器群がNo.82と比較して入っていないので、弦楽器と管楽器の音色がさらに比率が高まることになる。
  ハイドンの交響曲でパリセットは6曲セットで作曲されている。調性も全て異なるのが特徴。第1楽章の冒頭の第1主題で、聴取する毎に気になる点が過去からある。ハイドンの交響曲は、最後まで通して聴き通すかどうかは、冒頭(序奏を含む)にかかっていると私は、過去から思っている。106曲の全ての曲には、複数の楽章があり、全て、主要主題がある。主要主題は様々な動機から構成される。その動機は様々な分類方法がある。動機ごとに共通した特徴もありそうだ。いずれこのあたりも、取り組んでみたい。

 さて、このNo.87の冒頭の第1楽章に関して。第2vn.の奏法がいつも気になる。スコアでも記載がされている、冒頭のA-dur の和音。第2vn.は重音になっているが、2つのパートで開放弦と非開放弦を弾いているのか? 第1vn.はAが1オクターブ離れているので、2つのパートが分かれているのは理解ができる。一方、第2vn.は同じ音程なので、Aの音程を開放弦と非開放弦で分けたパートなのか。あるいは1名の奏者が2本の弦で同時に弓を当てて、開放弦と非開放弦で同時に引いているのか? 
 アントニーニの古楽器の奏法としても、この区別は分かり難い。このNo.87は自筆楽譜が存在し、ハイドン自身が第2vn.は2か所の上下の縦線が書いている。作曲者自身が指定しているのは明白。これを現代の指揮者あるいは奏者がどのように演奏するのか? この第1楽章のスコアを詳しくみてみたが、冒頭の部分以外は、Aの音は他にはなかった。もし映像で見ることが可能ならと気になる。対向配置なので、第2vn.の映像も手前になり、比較的、弓の動きも判明しやすいと思う。

87番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団 追記1

2022年12月27 日 87番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。前のレビューは第1楽章を中心に記載した。かつてのLP時代は、ハイドンでのザロモンセット以前の録音の曲数は少なく、奏者の比較も余りできなかった。幸いにも今はかなりの奏者で、しかも古楽器を含めて曲数も多くなり、比較する楽しみが増えている。
 特に、古楽器の演奏では管楽器のhr.は持ち替えが楽章間では必要となり、ライヴの演奏だとこの持ち替えの様子なども映像などがあれば、さらに興味の対象も増してくる。このNo.87でも第2楽章はAからDに持ち替える操作が入る。楽章間の録音の間合いも気になる。このCDでは少し長い程度の間合いだった。
 一つ前のレビューにも記載したが、打楽器群が入らないので、管楽器の役割がその分、大きくなる。第2楽章では管楽器のsoloの箇所も多い。弱奏の部分が多く、古楽器のためか、奏者のキーを動かす音も入っている。その例の一つとして、終わる直前のT96でのfg.のsoloの箇所など。
管楽器の中でhr.の旋律として箇所は余りない。しかし逆に音域が広く、低音の持続音として支えている箇所も聴き所。T99の最低音?(bass.より低い音か?)もよくわかる。
87番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団 追記2

2022年12月27 日 87番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。レビューの2つ前に音量の強弱について記載をした。第1楽章に休止符が適宜入る。Finaleも同様に休止の箇所が多い。No.90など、かなり長い休止符もあるので、終わりそうで終わらない仕掛けもNo.83などと同じように楽しめる。Finaleは3部形式だと思うが、仕掛けも興味深い。ソナタ形式での再現部だと、第1楽章と同様に再現部の冒頭が明白で、区切りが分かりやすい。
 それに対して、このFinaleは再現部が明白でなく、どの箇所から開始したのか分かり難い。過去にこのような手法はFinaleを中心に、ハイドンは時々用いている手法だと思う。このCDの3曲目にあたるNo.24の第1楽章も同様。これに関連しての布石のように、No.24を持ってきたような気もする。3部形式の展開部と再現部の繰り返しを採用している。このため、一旦、終了したかと思うようになりながらも、再度、繰り返しのある楽しみも味わえる。
 繰り返し以外にも、音量の対比も興味深い。第1楽章にも共通すると思うが、提示部と展開部のつなぎの対比が聴き所。共通した特徴は一旦、弱奏で柔らかく半終始をする。その後、強奏で展開部のから開始となる。この音量の対比が印象的。
 アントニーニは映像でも指揮棒を持たないで身体全体を使って、f の箇所などはかなり大きく動かしている。CDだと映像で分からない。No.82以上にこの曲では体を大きく動かしているのが、中央でしかも手前に位置する音が結構、大きい音で収録されている。視覚の情報は入らないが、強奏に入る直前の音などがよくわかる。管楽器のキー音と同じようにヴライヴに近い収録の様だ。CDを聞いている中でこの音は全く問題なく、むしろ何度、聴取しても飽きないと感じる。 No.87に関して珍しく3つに分けて記載をした。共通した感想としてライヴの映像を見てみたいのは、3つのレビューを通して同じ印象。


2024年6月3日 87番 ウルフ・ビョルリン カペラ・コロニエンシス を聴取。No.50から引き続く。なぜかこの曲のみ録音のレンジが狭く、モノラル録音。ステレオ感が全くないので不満。

(2024年7月7日追記 タグとして2024年7月7日 2  とする)