音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.88    hob-No.86   
2023年12月31日 更新 
ファイル名 haydon88-hob86-1
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
86 1786 D 4 -  -  - - (1) A 聴取記のポイントでした様に、完成された交響曲の頂点
     1 D Largo-Alleglo spiritoso
     2 A Capriccio:Largo
     3 D Menuet e trio Allegretto
4 D Finale:Alleglo con spirito
パリ交響曲シリーズで、個人的にも前から、しばしば聴いていた曲。Largのゆったりした序奏と主部のAlleglo spiritioso とのテンポの対比の気持ち良さ。クラリネットが楽器編成で登場するが、それほど目立たない。しかしクラリネット以外の各楽器(trp.とtimp.を含む)が随所で、soloを含む旋律と音色は魅力的。。特に第1楽章の構成が、一連の交響曲で、この時点で到達したと個人的には思う。このホームページの最初で、聴取記録の中の聴取記のポイントにも一部を記載している。このポイントが全てを、集約、完成されたと思う。

(1)第1楽章では序奏が場合によってはある。序奏は主部とは、関係がないが、途中で短調に変わる箇所があるが、最後は主調に戻る。
(2)主部は、主調で登場する。経過部を挟みながらも、属調 で再度、第1主題が提示される。
(3)第2主題が属調 で、第1主題と明確に対比する。
(4)比較的、長い展開部。両主題や経過部などから様々な旋律が登場、展開される。時には、第1または第2主題が、擬似再現を挟む。
(5)第2楽章は、3部形式や変奏形式など、様々な形式。第1楽章以上に、管を中心とした独自の旋律、時には、soloがある。
(6)第3楽章は、Menuet。主部は、小節数は、明確に近く決まっている。主部やtrioでは、第2楽章と同様に、管楽器が活躍。特に、trioは、弦よりも管を中心とした活躍が多い。
(7)Finaleは、3部、ロンド、ソナタ形式が中心。(それまでの変奏曲の形式は衰退する。)快活で、流れるように進むこと。fg.を中心とした、明るい雰囲気が時には、あること。

 この交響曲では、全てが、上記の(1)~(7)点について網羅をされている。通して聴くと、ひとつ前のNo. 85も当てはまる箇所は多いが、(3)は該当しない。→その分、私なりにはランクを下げている。
 第1楽章の展開部では、経過部の展開された旋律が、たたみかける様にめまぐるしく動くところは、作曲者の腕の見せ所。第2楽章ははLargoの指定であるが、今回の3人の演奏は指定よりも、やや速めのテンポを採用していると思うが、このテンポがすっきりして気持ち良い。
 Menuetとtrioは、フィッシャーでは、vn..とfg.のsolo。これに、ob.とfl.の管楽器が後半は絡んでくる。Finaleで一番、印象的なのは主旋律で、低弦が明確に聴かせてくれる。vc.とbass.が分離か?(手持ちにスコアがないので、詳細は不明だが。)
 フィッシャー盤では、Finaleが第1楽章以上に、この低弦がvn.以上に明確に聴こえていて、とても迫力がある。この点は、hob. No. 82「熊」 と共通している手法。ソナタ形式だが、展開部は両主題とも、各調で短いながらも扱われる。再現部は、提示部以上に拡大されて、trp.とtimp.が曲を締めくくる様に活躍。codaがかなり長く、迫力ある終わり方。終わる直前でフィッシャーでは、vn.のsoloが一瞬入り、その後、全奏者で終わる。この当たりは実際の演奏で見てみたい。
 ドラティ盤は、楽器編成は、やや大きいが、迫力さが足りない雰囲気。(trp.とtimp.がやや迫力不足。)フィッシャー盤Finaleの様な低弦を中心の旋律が余り明確に聴かれない。
 カラヤン盤は、第1楽章~第3楽章の全て、楽器編成の迫力を、あらゆる箇所を発揮。第1楽章が単にAllegloだけでなく spiritioso が追加になっている。敢えて、この付記があることで、カラヤンも堂々と楽器編成の大きさを活かして、ゴージャスに聴かせてくれる。ただしFinaleに関しては、フィッシャー盤の方が、低弦の独自の動きが見える点は軍配が上がる。しかし、それ以外に関しては、カラヤン盤を推薦したい。

(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月18日とする)
2012年7月9日 追加(その1) 下記のブログでNo.86の録音を含めた比較の記事がある。この交響曲では、「弦の人数が揃っているし、明快に弾いているので、内声もよく聴こえ、特に終楽章で多声的絡みが聴こえてきて、巧みに書かれた」との記載がある。 私の聴取環境では、ここまでの録音の差はわかりにくい。しかし。カラヤン盤は、ベストと推薦しているが、コメントでも共通点が多い。
Micha Lute ブログⅡ
http://micha072.blog.fc2.com/
24年)12月16日 バーンスタイン聴取。第1楽章は、今まで、ゆっくりとしたテンポが多かったのとは、対照的に、速めの終始。しかし、一部の箇所では、テンポを急に落としたりという点は、カラヤン盤にも共通。
 第2、3楽章は、ゆっくりめのテンポ。 全体を聴き通してみて、第2楽章カラヤン盤にテンポが割合に類似。
最後に録音に関して。録音が1968年であるが、さすがカラヤン盤と比べて、定位感あるものの奥行き感はやや不足。録音に関しては、やや劣ると思った。
2014年1月30日 デイビス盤を聴取.。今まで聴いてきたと同様に序奏のテンポはやや速め。その分、主部に入ると、ややゆっくりなのは、同じパターンとなっている。第1、4楽章はtimp.が、かなり活躍するが、このデイビス盤では、それほど目立たない。
2014年(平成26年)7月27日  B.ヴァイル盤を聴取。Finaleで、Timp.とtrp.が活躍するところが聴き所のひとつ。しかし、ヴァイル盤では、古楽器のためか、余り活躍が期待できず。第2ヴァイオリンの細かいパートは、対向配置の効果はあるが、最近、聴いてきた他のパリセット比較しても余り目立たない。
2015年5月20日 R.ノリントン盤を聴取。序奏の後、第1楽章の主題の冒頭から、1小節内の中にも、細かい音符の指定がある。T25からの短い動機は、全楽章、至る所で活躍する。この動機は、16分音符のスラーと8分音符のスタッカートからなる。ノリントンの演奏は、この違いを旨く表現している。フォルテとピアノの微妙なニュアンスもカラヤン盤の様な、ゴージャスな雰囲気とは全く対照的。打楽器群が入る残りの2曲の最初になる。MenuetのTrioは、過去の4曲と同じ解釈の様に弦楽器はsoloを採用。Finaleは、思ったより、timp,が活躍しないのは意外。
気になる点として、自筆楽譜を元に演奏者がどの様に解釈する点。フランス国立図書館で、作曲者の自筆楽譜がネットでも見られるのは、聴取記録の共通ポイント 18でも記載をした。その中で、ハイドン自身は、訂正箇所が殆どなく、サラサラと流れるような雰囲気で書いた。この微妙な音符のニュアンス、スラーやスタッカートとの区別なども記載している。私自身、この自筆楽譜を細かいところまで十分に見ていないが、この音符の記譜は、全曲を通して、全ての箇所とパートで、丁寧に記載をされていたか。余りにもスラスラを流れるように書いているので、一部が省略をされているのではないか? 主要旋律を受け持つ第1vn.は、もちろん、丁寧に記載されている。それに対して、低弦や管楽器群などは、Tuttiの箇所を中心に、細かいところが省略されている箇所がある。
中野著 ハイドンでもNo.83の第2楽章の冒頭主題で、記譜法が自筆楽譜から、印刷楽譜へ経過していく中で、記譜の省略について言及されている。スラーやスタッカートなどの指示が時間を経るに連れて、変わって行き出版物によって、旋律が微妙に変わっている。自筆楽譜が存在するので、印刷楽譜から他の印刷楽譜などへ、変わっていっても、元があるので、大きな懸念はない。
 自筆楽譜そのものが、スラスラと書いていることより、類似した旋律が提示部から展開部、再現部を経て繰り返して登場する。繰り返しに伴い、各パートの旋律も微妙に異なる箇所も多い。そうなると作曲者自身が、一部とはいえ、省略などをしてしまう可能性がある。エステルハージの初期から中期の前半当たりは、邸内での演奏のみであったので、打楽器群が余り入っていない。一方、中期の後半当たりから、葉自身が打楽器群を追加で書くことがある。パリセット6曲のうち、この86と83は、打楽器群が後から追加された。
 特に、このNo.86の自筆楽譜は、打楽器群が、別ページに後から、追加の形で残っている。一旦、打楽器群がない形でハイドンは書き上げた。追加ページになっているので、後から、この打楽器群のパートを作曲者自身が書き加えた。このときに、恐らく、最初の方のページにある自分の自筆楽譜あるいは、手元にあった写譜家による楽譜などを参照しながら、書いたのであろう。最初にスラスラと書いた打楽器群が入っていない自筆楽譜あるいは、写譜パートを元に、時間が経過してから書いた。このときに、打楽器群の微妙な記譜が、少し異なるかもしれない。打楽器群は2段の旋律で記譜されている。ハイドン自身は、身近に居る写譜家にも、校正を入れることもあると思う。打楽器群が入った自筆楽譜が、完璧に当初の通りに、完成しているか? この各パートは2段に分かれて書いている。ネットのp76~79ページの自筆楽譜は、打楽器群が常時登場しない箇所も多い。p76までの打楽器群がない記載と比較すると追加の3ページは、一層、サラサラと流れるように書いてある。
 指揮者や音楽の研究者は、この当たりについて、自分の知識、経験から、微妙な誤記を見つけ、自分なりの解釈を入れるだろう。指揮者は、この解釈を独自あるいは他の演奏者などと比較しながら演奏する。これが指揮者や演奏者が生み出す醍醐味である。これを受けて、本来の私のようなCDを聴く聴取者はその解釈を楽しむ。
 ノリントンの演奏を聴いてみて、今まで以上に、微妙な記譜法の解釈について興味を持った。それが長じて、作曲者自身の書いたイメージを指揮者はどの様に解釈し、楽しんでいる。18世紀とは異なり、約250年も経過した現代で特権の一つであると思う。

2014年5月22日 追記。ノリントンのノンビブラート奏法や演奏解釈について、下記のホームページに、少し前の記事であるが興味深い。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-haydn2000.html
最初の上記のサイトは、2000年ザルツブルク音楽祭で、「ハイドンのパリ交響曲を語る」から、2002年5月11日 BS2で放送された番組から、ノリントンのレクチャー部分の訳出。ここでは、交響曲の紹介が中心となっているが当時の交響曲の演奏スタイルについて。優秀なオーケストラであれば、リハーサルは1回が通常であったこと。(これは、私のサイトの中の音楽史の中のハイドンでもしばしば、触れている)
  これに関連して、18世紀の音楽家たちは、音よりも形、すなわちフレーズに、こだわったこと。良い音符と悪い音符、言い換えれば、言葉として他のものより協調すべき音符はどれかというのを最初に教わる。小節の中で常に強い音符はどれで、弱い音符はどれか。上行音階や繰り返しでは段々大きく長く、そしてスラーやフレーズ、下降音階、休符ではソフトに。ある小節全体が他の小節に比べてより重要なこともあるが。しかし上拍は軽く、下拍はアクセントをつけること。聴衆は本能的にフレーズ、すなわち音楽のパラグラフの文を知っており、その意味を明確に理解していた。

 また、サイトの著者とノリントンとのオリジナルインタビューの下記のサイトでは、2004年11月23日、東京にて、記載がされている。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-interview2004.html
ここでは、ノンビブラートについて、ノリントン自身のコメントがある。合わせて、提示部と再現部の微妙な書き方についての質問回答。基本的には作曲者も、うっかり雑に書いたりするとこもあり、その場合は、必要最小限の修正は行うこともあるとコメントをしている。
 私は、楽器奏法、特に弦楽器などのボウイングについては、詳しくは分からない。しかしながら、ノンビブラートにからむレガートなどの解釈を含めて、ノリントン自身が当時の演奏を重視していることが、このサイトからも伺える。今回のCDに同封されている本人が記述したライナーノートにも、これに類似した趣旨が記載されているようだ。ノリントン自身、2000年のザルツブルク音楽祭の上記の訳の様に、当時の演奏スタイルでモダン楽器を用いながらも、音の透明性を通して表現をしている解釈だと思う。
 ハイドン交響曲 86番 ヴァイル盤
2014年(平成26年)7月27日  B.ヴァイル盤を視聴。Finaleで、Timp.とtrp.が活躍するところが聴き所のひとつ。しかし、ヴァイル盤では、古楽器のためか、余り活躍が期待できず。第2ヴァイオリンの細かいパートは、対向配置の効果はあるが、最近、聴いてきた、他のパリセット比較しても余り目立たない。
 2015年7月23日 クイケンをNo.85から引き続いて聴取。No.85のES調と違って、D調の明るい響きで対照的。ノリントンの細かいニュアンスとは異なり、流れるような演奏。各弦の細かい音まで聴き取れる。特にFinaleは、ノリントンと違って、打楽器が余り活躍はしない。しかし低弦の細かいニュアンス、特にvc.とbassの区別が良く分かる。たとえばt13,5.17の低弦の独自の動きなどは、他のパートに埋もれないのが印象的。
2016年7月20日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No86を聴取。84ど同じ録音会場。やや録音レベルが低く、分離感が不足気味。パリセットを聴き通して、初めて打楽器群が入る最初の曲。第1楽章の冒頭の序奏は、ややゆっくり目。主部に入ってからも、テンポは比較的落とし、従来の解釈の通り、微妙に強弱の陰影を付けている。Trp.とtimp.は、比較的控えめ。ノリントンの様に随所でsoloの様に活躍する部分は目立たない。打楽器群は、あくまで補強の役割。


2017年2月24日 T.ファイ No.86を聴取。6曲の残り2曲は打楽器群が入る。今までの4曲と比較して、私の聴取環境では、録音レベルがやや低いように感じる。このため、ボリュームを少し上げて聴取する。序奏T8から打楽器群が入るが、やや控えめな感じ。T26からの短い動機は迫力が少ないほう。一方Finaleは、冒頭から打楽器群が活躍し、メリハリが聴いている。
 第1楽章T64からの第2主題。T64-66の最初の旋律は、従来まで聴いたものと同じ装飾なし。T67-69は装飾を加えている。同じ様な旋律が続くので、提示部から装飾を加えて短い第2主題の存在のアクセントを高めているか? 展開部、再現部でこの主題は変形等して登場するが、装飾を加える方法は同じ。
圧巻は、第3楽章のMenuetの部分。Trioの繰り返しの部分の微妙な装飾は、従来からもあったがこの曲も同様。Menuetが回帰してくる部分は、軽微な装飾音ばかりでなく、至る所に変化がある。緩除楽章の変奏曲ほどでもないが、bass旋律を中心に、冒頭にあったMenuetとはかなり違った印象。

ハイドン音盤倉庫にもこの曲のレビューがある。このレビューには、第3楽章のMenuetの装飾にも言及。No.87と比較した場合、私も、やはりNo.87の方を取り上げたい。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-158.html

2017年6月5日 ラトル  City of Birmingham Symphony Orchestra  No.86 を聴取。Micha クラシックとリュートの楽しみ の下記のブログにも、レビューが記載されている。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-271.html

 一つ前のNo.70でダイナミックレンジの広さについての特徴を記載した。上記のブログにも、第2楽章は、強弱の対比がありながらも自然な解釈が特徴。余り用いられないLargoのテンポで、しかもCapriccioの指示がある。作曲者は、この楽章では今までにない、Adagioよりもさらに遅いテンポで、奏者によって自由な解釈で演奏する背景があったと思う。この楽章全体を通じて、反復記号がないのもその証のひとつ。
 ラトルの解釈は、モダン楽器を用いながら、pとfの対比を引き立てることが。そのひとつにあたる。冒頭の第1主題主題から、pの指定で、4小節の第1主題が、少しずつ、調や楽器、強弱、テンポなどを変えながら、流れていく。特に強弱のpの箇所では、かなり音量を落として、その後に続く f との対比を引き立てる。今までの演奏でもこの特徴はあった。ラトルの場合は、対比は重視しながらも、極端に意識をさせない自然な流れが特徴。
 たとえば、終わりに近い部分のT83からT84にかけて。T84に続く弦のfで登場するTuittiの旋律を引き立てる。この直前のT83の第1vn.とfl.の旋律は、p で演奏するのが一般的。ラトルも同じようにp で演奏しているが、テンポを敢て、微妙に変えていない。このあたりは、ファイなどは違う解釈。しかしかえって、自然な流れを重視した解釈が良い。
 No.26から引き続き聴取してきたが、ようやく、ラトルの特徴が分かってきた。No.86はハイドンの全交響曲の中でも気に入っている中のひとつ。その中でも良い演奏の一つとして推薦したい。

2018年8月14日 86番 バレンボイム イギリス室内管弦楽団 を聴取。パリセットの5曲目で、打楽器群が始めて入る。打楽器群は、それほど目立たない。ハイドンはシンコペーションの旋律をしばしば使用する。第1楽章と共に、Finaleも同様、。
 T22から第1と2vn.でシンコペーションの旋律が登場する。ここで、もう少し引き立てたいところ。バレンボイムの演奏では、それほど目立たず。Finaleも適宜、TIMP.が活躍したいところだが、この演奏では、それほど目立たないのが少し残念。
2018年9月8日 86番 N.マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。モダン楽器で中規模の編成。パリセットの中で、緩叙楽章を除けば、一番、比較する価値の高い曲と思っている。第1楽章は、速いテンポ。各パートは明瞭に聴こえるが、その例の一つ。
No.101の冒頭の序奏でもflの活躍を記載した。ここでも少し記載をしたい。短い動機から構成され、展開部での様々な転調など聴き応えが多い楽章。  第1楽章の動機が主調から属調で展開しながら、第2主題に入る前の部分。ここまでは、主に第1vn.が華やかしく活躍する。しかし所によっては、他のパートも派手ではないが寄り添っている。T58で第1vn.が第1主題を演奏している中、他のパートはそれほど目立たないことが多い。ここでは第2vn.以下の低弦とともに、fl.がユニゾンで演奏している。このfl.のパートは、従来まではそれほど今まで注目されていなかった。マリナーの演奏では、このfl.の旋律が明白に聞こえる。va.以下のパートよりも音程が高い箇所ではあるが、それでも、得てして第1vn.の旋律に埋もれてしまいがち。
  再現部の類似箇所でも、主調で提示される。ここでもfl.は第2vn.以下のパートと共に目立っている。交響曲の生涯でも、記載があったが、管楽器とのユニゾンの箇所で、提示部と再現部で工夫をしている例があった。この交響曲ではなく、確かNo.97か98だと思ったが。クレッシェンド効果を高めたり、同じ旋律でも、ユニゾンで音色の変化を変えたりと微妙な表現がスコアにはある。ついつい、聞き流してしまうことが多いなか、指揮者の解釈によって、この当たりの面白さを知っていくのがハイドンの魅力のひとつではないかと思った。
  2018年9月25日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.86を聴取。一般に、もしNo.86と87が同じCDに収録する場合、順番からすると、番号順が多いと思う。このCDではNo.86が最後になっている。作曲順番だとNo.86の方が後になること。打楽器群が入ってくるので規模が大きくなるりある意味、曲の最後の方がこちらの方がよいかもしれない。
 ドラホシュは編成が少し少ない分、各パートの動きが良く分かるのが特徴のひとつである。第1楽章に関しては、少なくとも第1vn.のパートが、他の全てのパートに埋もれないことが、必要な箇所がある。T26からの短い動機がそのひとつであるが。作曲者はこの部分にffで記載をしている。他のパートはこの箇所では担当していない分、第1vn.が「しっかり」と受け持つ必要がある。ドラホシュの演奏は、この第1vn.の動機が余り目立たない。この動機は、この楽章にいたる所に登場し、パートを変えながが扱われる。最初にこの動機が目立たないのが残念。先日N マリナー盤では、この当たりは、しっかりと、目立ったので少し残念な印象。他の指揮者は余りないが、展開部と再現部の繰り返しを採用。繰り返しの後半で、装飾等は特になし。
 ハイドンの自筆楽譜では、打楽器群が後から、追加になっている。第1楽章でこの打楽器群を中心にスコアを見てみると提示部T36で独特のリズムがtimp.にある。このT36の動機は、展開部と再現部ではtrp.とも活躍する。しかし打楽器群以外のパートには、この旋律は担当しない。作曲の途中で打楽器群が追加になった。最初の構想には、この動機がなかったことになる。しかし追加になっても違和感がない。仮に、もし打楽器群がない演奏だったら、どの様な印象になるのか興味があるところ。
なお私の視聴環境、あるいは体調によりのかもしれないが前の2曲に対して、音の歪が目立つ。録音の点でも少し、ポイントを下げている。

2019年5月10日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 86番を聴取。(その1) 

No.86は6曲の中で一番好きで、指揮者別にレビューした記事は14名になる。各パートとTuittiでの掛け合いは、ハイドンの魅力のひとつではある。No.57の第1楽章の展開部で第1vn.と第1vn.以外の掛け合いが対等だった点を記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1145.html

 類似した箇所のNo.25では、管楽器の特にob.が負けてしまうことから書いたレビューも関連する。メルツェンドルファーに限らず、今まで聴取してきた指揮者の中で、この当たりをどの様に演奏しているのかは興味深い。N マリナー の場合などが典型例の一つで、モダン楽器ながらもTuittiと他の各パートを対等に演奏していると思う。
 No.86の第1主題の4小節の後半から登場する第1vn.の短い動機は、随所で登場する。直ぐに16分音符で第1vn.のみがこの動機を受け持つ箇所が多い。この部分と他のパートを対等に掛け合いながら表現することが、自分の好みに合っている。第1vn.が単独ながらも他のパートに負けない様な、音量と技量が必要になる。奏者の数も影響するし、録音でのオーケストラの配置、マイクやミキシングでの影響も受ける。ライブ録音など、なおさら、調整等に苦労が伴うと思う。
 この動機は、提示部はもとより展開部の最後のT109当たりから調を変えながら、飛び跳ねる様に展開していく。この部分など、この交響曲の一番の面白さを示す部分。メルツェンドルファーでは、第1vn.は比較的、対等に他のパートと掛け合っている。しかしTuittiでのダイナミックレンジが狭いために、対比が余り出ていない雰囲気。やはり録音による影響は大きい。


一方、No.86の方は自筆楽譜が存在し、追加で別ページで書かれている点から、打楽器を除くパートを作曲する途中で、追加をハイドンは考えのか? あるいは、一旦、打楽器群を書き上げて、後から追加で打楽器群だけを単独で思いついて書いたのか? 前者のケースだと仮に第1楽章から順番に書いて行った場合、楽章の途中や楽章の間で自筆楽譜の紙を変える作業になるかもしれない。冒頭から自筆楽譜は10段の五線譜で描かれ(一番上はfl. 最下段は低弦となっている。) 打楽器群を追加で書く。しかし空白部分の余裕がない。(もっとも五線譜を作曲者自身が、追加で書けるスペースはある)
当時は、紙は貴重なものであったと想像される。自筆楽譜の紙の無駄を避けることもあり、途中で五線譜の様式を10段以上(12段?)のものに変える必要がある。しかし自筆楽譜は、追加の打楽器分を含めて、全て10段の五線譜で済んでいる。このため自然な成り行きとしては、一旦、打楽器がなしで一通り書き上げ、後で打楽器のみ記載したのではないかと思う。
 さて、打楽器群の旋律はどの様に書かれているのか? 実際、序奏のT8から打楽器群は、他のパートと同じような感じで書かれているようだ。しかし注意深くスコアを追ってみると違う箇所が一部ある。第1楽章のT34のtimp.。 行進曲風の付点リズム。スコアをざっと、通してみると、この付点のリズムは大半は打楽器群が受け持っている。

上記のT34の箇所は、timp.のみがこのリズムを受け持っている。しかし展開部の終わりの方、T144では、tmp..以外にtrp.がユニゾンで入っている。しかし2小節のみでT146からは]trp.入っていない。それに対して第3、4楽章は、打楽器群は単独で入っていないようだ。



 それにしても追加として書かれた、やや違う行進曲風のリズム。これが入らない演奏は、ないかもしれない。しかし追加が入ったとは言え、現代の聴取者は、追加とは思えない自然な雰囲気がある。リズム自体が行進曲風の付点のリズムの影響かもしれない。しかしこのリズムが、一部始終、楽章全体で使用されることはない。(No.47の第1楽章などは、冒頭の第1主題として、終始、登場しているのとは対照的)
 補強したい箇所を、ピンポイントで旨く活用していると思う。すなわち、最初は打楽器群が入らないで一旦、完成させた。しかし演奏会場の仕様(パリのオケは打楽器群が常設していた?)、依頼元のひとりとされるドニイ伯爵からの要請? などから追加で書いたと思う。追加とは言え、6曲のパリ交響曲の終わりに近い部分を締めくくるにあたり、打楽器群が入っても違和感はないのは敬服するばかりである。
2019年12月6日 86番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス を聴取。残り2曲で打楽器群が入る最初の曲。No.73と、このNo.86を比較してみると面白い。No.73と同じ調で序奏がある。弦楽器はピチカートでpの開始、主部も、柔らかく登場する。fl.の低音域の独自の音色など。Nマリナーのモダン楽器でも、各パートの分離間がよく、fl.の低音の響きが印象的と記載した。アーノンクールの場合もよく分かる。
 一方、No.73と比較してNo.86の方は、第1楽章から打楽器群が入っている。Finaleも独立した雰囲気でなく、あくまでこの曲の最後を締めくくる雰囲気は異なるが。R ノリントンのこの曲の演奏で、レガート奏法について下記のブログに記載した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-482.html

アーノンクールの場合は、ボウイングはノリントンとは異なることもあるが、微妙な強弱とビブラートをかける解釈は一部、共通している点があると思う。
自筆楽譜でも打楽器群は追加で別ページに2段ごとにまとめて、書かれている。前にもレビューに書いたが、追加の打楽器群は僅かだが独自の動きがある。現代のスコアでみると、最初から打楽器群は入っているので、この独自の旋律は分かりにくい。しかし自筆楽譜では、打楽器のみ休止部分を含めて、最初から追加で書かれている。他のパートとは切り離されているので、timp.がT34の部分で付点を伴うリズムとして明記されている。アーノンクールの打楽器群はやや右側に位置。timp.も必要に応じて、強調されている。とくに、最初に登場するT33の部分はよくわかる。
 この曲は、残りのNo.82と比較して、対位法的は部分は少ないかもしれない。しかしNo.82と同様に打楽器群の効果が随所にあると思う。
2021年1月5日 H V  カラヤン ベルリンフィル 86番を聴取。パリセットの6曲は、パリのドーニ侯爵からの依頼で作曲されパリで初演された。6曲がまとめてセットで出版もされている。当時から出版も念頭も考慮されたこともあり、3曲または6曲単位が多い。パリセットは6曲であるが、全て調性が異なっている。同じ調が重ならいようにハイドンは事前に考えていたのか? 
 打楽器群がNo.82とNo.86は入る。No.86の自筆楽譜は、いったん打楽器群がない形で書かれ、残りのページ追加でだ打楽器群のみが追加で書かれている。出版に際しては、追加の点は考慮はされなかったかもしれない。No.82は最初から打楽器群が書かれている。当初は打楽器群が入らないで4曲が書かれているので、6曲セットといえども2つのグループに分けて考えた方が良いと思っている。
Hob番号順だと、一番最後に作曲したNo.82が最初に来るので、その後に打楽器群がないNo.83.84,85が続くと、作曲年代はさかのぼることになる。このため私としては、作曲順番に聞いた方が、楽器編成も追加となるので都合が良いと思う。
 パリセット6曲の中でD-durが初めてとなる。D-durは交響曲に限らず、最もよく登場する調性だ。一つ前のNo.84がES-durなので、No.84から引き続き聴取すると、調性の違いがよく分かる。モダン楽器であるものの、この演奏でも音色の変化は大きな違い。冒頭の主和音でTuittiの音色からして、堂々とした雰囲気は弦の厚みを生かした演奏。このブログを立ち上げる前から、パリセットのカラヤンのCDはすでに入手し時折、何度か聴取をしてきた。
モダン楽器で奏者が多く、作曲の規模もザロモンセットに劣らないことはすでに承知はしていた。ブログを立ち上げ、様々な指揮者のレビューを書いてきた。レビューの当初は、この曲に関しては「聴取記のポイントで記載した様に完成された交響曲の頂点」とまとめている。ポイントは様々ある中、今回はvn.の音量と動機について記載をしてみたい。No.86の第1楽章は序奏付きで、経過部を挟みながら、属調で再度、第1主題が登場すると記載した。この交響曲もその典型の一つだが、第1主題にも細かい動機があり、vn.がこの動機を受け継ぐのはポイントの一つ。T25からの短い動機は、すぐに第1vn.が単独で受け持つ。この動機は、さらに下降から上昇へ変えて、属調でさらにT49で華々しく受け持つ。第1のみが単独で受け持つ部分は何度聞いても印象に残る。奏者が多い特徴を生かした好演。第1主題の短い動機が展開部のT160で8分音符のみだ第1vn.のみで演奏する。この手法などは、ここでも共通している特徴だと思う。
 このような手法は、ハイドンには過去にも採用をしていると思う。余り気づかれないかもしれないがNo.57の第1楽章の第1主題。打楽器群は入らないが序奏付きで、同じD―durの調性。第1主題の短い動機が展開部のT160で8分音符のみだが第1vn.のみで演奏する。この手法などは、ここでも共通している特徴だと思う。
 第3楽章のMenuet も主部の小節数が多いのはザロモンセットにも共通する特徴。ソナタ形式のFinaleもtimp.を要所で効果的に使用している点も見逃せない。Tuittiでの弦の厚みを生かした好演と未だに思う。
 もしhobの順番にNo.86からNo.87に続いたら。No.86 Finaleの第1主題の動機は8分音符が5個単位で続く。No.87の第1主題は、冒頭からこの5個単位の動機が入っている。調性こそ違うがNo.87は序奏がない。Hob番号の順番で、もし続けてNo.87を聞いたら、この共通点に気づく可能性がありかも。


2023年12月2日 86番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。グッドマンの場合、奏者は少ないようだが、tuittiの打楽器群を含む箇所でも結構、音の厚みがある。また低弦もかなりの音の厚みを感じる。FinaleのT60、T61、T62の3箇所。低弦以外のパートは一瞬ではあるが、休止となる。この部分だけ低弦のみが演奏するが音の厚みがよくわかる。
 管楽器の各パートの掛け合いもよくわかる。しかしfl.の低音域となると、やや目立ちにくいようだ。かつて、 N マリナーの聴いた演奏では、それに対して fl.の低音域の音の厚みが印象的だった。