音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo. 85   hob-No.83 
2023年12月31日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
85 83 めんどり 1786 g 4 -  -  - - (1) A 第1楽章の第1主題と経過部での低弦vc.とbassが分離
       1 Allegoro spiritoso
       2 G Andante
       3 Menuet e Trio: Allegretto
4 Vivace
パリ交響曲の第2番目で、唯一の短調の交響曲。通称名の「めんどり」は、第1楽章の第2主題から由来し、後世に付けられた。パリ交響曲では、作曲の経緯、自筆楽譜と筆写譜の違いなどを中心に、中野著の本では詳細に記載がされている。また第1楽章は、巻末に参考として自筆楽譜が掲載されている。 楽譜がなくても、気づくのはある程度分かってはいたが、一番の聴き所は、第1楽章の第1主題と経過部での低弦vc.とbassが分離している点にある。特に楽譜が手元を参照できるので、音程の違いが明瞭に把握できる。第1楽章は、g-molの主調ではあるが、第2主題を中心に長調に転ずる箇所が多く、明るい感じに終始する。転調の箇所も楽譜からは、きちんと読み取れる。低弦の動きは、第1主題やその経過部ばかりでなく全体に渡って、主題の展開に独自の受け持っているのが分かる。
 第2主題は、由来のあった箇所でもあり、繊細な雰囲気がポイントとなる。ひとつ前の交響曲No. 82と同様に、第1vn.が主旋律を受け持っている中、管とのユニゾンが興味を引く。楽譜では提示部では、第2主題の最初の部分は、ob.のsoloがユニゾンとして受け持つ。ここでは、ob.に「staccato」の表記で注釈が明記されてる。この注釈のためもあり「めんどり」の鳴き声が引き立っている。再現部では、ob.に加えてfl.のsoloが追加となる。音色の変化に伴い、提示部と再現部でユニゾンによる音色の違いが楽しめる。なお自筆楽譜では、展開部と再現部の繰り返しがあるように表記されているが、フィッシャー盤では、繰り返しがない。もし繰り返しがあった場合は、冗長な雰囲気にはいたらないが、「なし」で良いと思った。
 Menuettoは明るく、trioは、ロココ風。当時のスタイルを踏襲していて、楽器編成も管に主題を渡しながら、フィッシャー盤では各弦はsoloの扱い。第4楽章のcodaに近い箇所では、かなりテンポを落とすことで、最の盛り上がりに花を添えている。
 ドラティ盤は弦の編成が大きいことに伴い、フィッシャー盤よりは、ダイナミックに聴こえる。しかしその反面、第1楽章の第2主題でのob.のsoloの細かい音色がやや、き取りにくい。
 カラヤン指揮ベルリンフィルのCD。大きい編成。No. 82と同様に、フィッシャーを取りたい。


(2010年1月4日追記 タグとして2010年2月15日とする)
2010年4月3日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドン その生涯と音楽 28回」 フランツ・ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ の演奏を聴取。聴取に先立ち、今回から、パリ交響曲の紹介がある。この曲では、gの調性ながら、この調性は、第1楽章のみで、Gの調性が主導を握っていること。
  演奏している楽器は、古楽器。第1-3楽章までは、フィッシャー盤と推したい。ただし、Finaleに関しては、管楽器の暖かい音色が特徴で、ユーモアのある雰囲気が心地よい。

2012年(平成24年)久々の更新で12月3日 バーンスタイン盤を聴取。録音年月日は、かなり前であるが、定位感は十分。大編成のオーケストラであるのは、以前から把握していた通り。第1楽章は、速めのテンポで一気に駆け抜ける。展開部と再現部の繰り返しはない。
 第2楽章の雰囲気も、バーンスタインの持ち味である、ロマン的な雰囲気で、最後のcodaの終わり方が消えるように終わりながらも余韻を残す。第3楽章のtrioでは、弦はsoloのパートの模様。
 全体を聴き通してみて、インパクトのある印象ではないが、安心して聴ける点はポイントとしたい。
2014年1月24日 デイビス盤を聴取。割合にテンポの微妙な変化がある。特に、展開部の最後の部分では、極端に遅くなり、再現部との対比が目立つ。第2主題で、前打音のスタッカートで登場する箇所。提示部はob.で、再現部は、fl.と音色を変えて登場するが、この音色の対比が聴きやすい。
 デイビス盤では、ここまで全てのパートにcmb.が入っている。緩徐楽章では、適度な装飾音になっているのが特徴であるが、最初の第1小節めで、装飾音になっている。
 圧巻は、finaleの最後の部分。T81あたりから、次第にテンポを緩めて行き、T84、85、68の3箇所にフェルマータがある。この3箇所のフェルマータの長さがそれぞれ異なる。また、この間のテンポがそれぞれ異なる。特にT87の部分は、今まで聴いたことの無いほどの空白時間がある。「一瞬、これで、演奏が終わるのかと思うほど」。その後、冒頭のテンポに戻るのだが、この遅いテンポとフェルマータが効果的。丁度、パリセットの後に hob.-No.-90と同じ様な受けを狙った雰囲気。ライブ録音とも相まって、聴き応えがある。デイビス盤推薦したい。
2014年(平成26年)7月2日 B.ヴァイル盤をNo.82に引き続いて聴取。楽器編成では、Timp.とTrp,が入っていないため、やや、こじんまりとした雰囲気。Finaleでフルートと弦のユニゾンが一番印象に残る。しかし、一つ前に聴取したNo.82と比較すると、印象は少なめ。デイビス盤のfinaleで、ゆったりとしたテンポと特徴のある終わり方が印象に残っている。このため、デイビス盤を推薦したい。
 2015年(平成27年)5月4日  R.ノリントン  チューリッヒ室内管弦楽団 を聴取。No.85から引き続いて聴取。中野著などからすると、パリセット6曲の中でも、3番目に位置するので、作曲順番に遵守していると思う。レガート処理などの特徴は、3曲目になるので承知をしているが、微妙な陰影の付け方が独特で、音の立体感が特徴の一つ。2曲目までは聴取環境の違いか、vn.の対向配置が不明瞭であったが、ここでは、明白に対向配置であることが分かる。
 冒頭の第1主題のTuttiで、弦の各パートが良く分かる。T45から、雌鳥の由来となる第2主題が登場するが、ここでは、第2vn.の8分音符のスタッカートの旋律が伴う。再現部のT157では、2つのvn.パートは同じ旋律で引き、8分音符はvc.が受け持つ。このT157からT161の部分は、調性も再現部はもちろん異なる。ここでは提示部と異なり、左右に広がった独特の立体感がある。この曲の聴き所では、第1楽章の低弦で、vc.とbass,の分離を上げていた。ノリントンの演奏は、もちろんこの分離は良く分かる。しかしそれ以上に、溶け合う音を活かした音の立体感がすばらしい。ライブで実際に聴いてみたい。
 音の透明感は、第2楽章の冒頭の低弦。ついつい第1vn.の冒頭主題に聴き取られがち。しかし、4分音符で、最初に登場してから、少し間をおいて、第vn.が開始する。この冒頭の低弦がくっきりと、陰影をつけたかの様に聴こえる。
 Finaleは、繰り返しを採用。No.87 第3楽章のTrioので、後半ではob.が2回目の繰り返しで装飾をしていた。こちらのFinaleでは、装飾はなさそうだ。しかし後半では、2回の後半の方で微妙にテンポなどを変えている。
 2015年7月19日 No.85に引き続きNo.83を クイケン盤を聴取。solo指定が少ないのか、あるいは、演奏スタイルのよるのか、心持ち、編成が大きくなるように聴こえる。Tuttiの部分が多く、各パート独自の動きがやや少なめかもしれない。それでも、第1楽章のいたるところで、クイケンの演奏は、弦楽器をpの部分を中心のsoloで弾いているようにも聴こえる。(T120.からとT157からのvc. T164の第2vn.)ノリントンのノンレガートと微妙なテンポや拍子の変化とは対照的。これは好みにもよるが、意外な面での発見がある。(第1楽章の後半の繰り返しがないので、注意が必要。)
第2楽章の冒頭の低弦の8分音符の出だしが、明瞭にノリントン盤では聴こえる。このクイケン盤も同様。Finaleの後半は、ノリントン盤では、テンポを微妙に変化させたフェルマータなどとは対照的にオーソドックス。
2016年7月16日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No83を聴取。中期の交響曲から、一気に後半へ突入。ライナーノートによると、パリセットはライブレコーディングで、録音場所もそれぞれ異なるようだ。中期までの録音と違って、音の鮮明さが増す。弦の各パートの数も多いようだ。中期までは、第2vn.の右側の位置が明白でなく、左右の分離感が余り聴こえなかった。 一方この録音はノリントンと同様に、vn.パートが左右に、きれいに分かれていて、細かい音まで良く聴き取れる。
ノリントンのようなノンレガートの奏法は全くないが、強弱の解釈仕方に共通点が多い。第1楽章の冒頭の主題も、Tuttiでも決して粗野にはならず、柔らかい雰囲気が少し漂う。経過部のT12からの部分で、大半の指揮者はT12とT13のそれぞれfの指定を守っている。しかしブリュッヘンは、T12はp、T13はfと少しずつ、上昇するように強弱をつけている。最後のT176のcodaに向かって、登るような雰囲気。ただし、ノリントンと異なり、反復は忠実に守っていないのが大きく異なる。
  弦楽器が主体で特に第2vn.の微妙な掛け合いとvn.パートのユニゾンの効果。ブリュッヘンの演奏では見事に再現。ノリントンとは解釈が異なる点もあるが、バースタインの大規模なオケで濃厚な解釈とは、対照的。今までブリュッヘンの演奏を聴いてきた中で、一番、印象に残る。

2017年2月22日 T.ファイ No.83を聴取。第1楽章の冒頭主題のアクセントを微妙に付けるのは、ファイの特徴のひとつ。ここでもhr.のパンチのある音色を爆発させて本領を発揮。No.85はfg.が管楽器の中でかなり活躍するが、こちらの方はfl.やob.の方も活躍する場面が多いのこの曲のひとつの特徴。
 強弱を微妙に付ける方法は、No.85 第2楽章の 第3変奏でAllegretto のテンポを極度に落とすことを前回は載した。この曲では、No.85ほど、テンポの変化はあまりない。しかし Finaleの流れるように進む中でも箇所によっては、微妙にテンポを変えている。終わりに近いT83の部分。T84のフェルマータの終始に向けてテンポをT83から次第に落としていくのは、これまでもよく見られた。この部分は第1vn.パートのみの部分で他の楽器は休むが、soloで演奏している。T83の4分音符までTuttiの第1vn.がテンポを緩めながらsoloに一瞬変わっていく部分でT84に向けてスムーズに流れていく。この対比が印象に残る。フィッシャー盤でもMenuetのTrioの部分などで弦楽器のsoloを採用している部分はあるがFinaleでは、このような解釈はないとおもった。
 展開部と再現部は繰り返しを採用するが、この部分でsoloから通常のパートにもどることやテンポを守ることはない。ちなみにフィッシャー盤を改めて、この楽章を聴き直してみた。録音にもよるがファイ盤よりも残響が多く、各楽器の分離感がやや不明瞭。テンポはやや遅く、T84の部分はsoloでない。
2018年5月3日 83番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。No.52でも記載をしたが、ユニゾンやTuittiでの箇所が特徴のひとつと記載をした。パリセットに入ることもあり、各楽器のsoloの箇所が時折入ること。ユニゾンの箇所でも、楽器の種類が増えることもあり、楽器の音色の差と溶け合いもポイントとなってくる。しかし録音の関係もあり、ユニゾンでの音色の差と音の溶け合いが不明瞭。たとえば、第1楽章の第2主題で、提示部ではob.で再現部はfl.によるユニゾンの部分。この楽器の差が聞き取り難い。なお録音は1952年と一連ものより少し遡るが、私にはそれほ、差は感じられない。

2018年6月6日 83番 トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団 
を聴取。第1楽章のAllegro spritosoのテンポは、指揮者によって差があるが、コープマンのテンポはかなり速い。雌鳥の由来となる第2主題の部分。ここでは鳴き声の部分で、第1vn.の主題をどの様に表現するかが、ポイントの一つになる。コープマンの演奏は、オリジナル楽器でありながらも、切れ目が鋭いのが特徴。T52からのob.の旋律も同様。
 この第2主題は、展開部で調性、音程を変えながら様々に展開するが柔らかい雰囲気が多いので対照的。再現部は提示部と違って、少し柔らかい表現となり、T164のob.と違ってfl.の旋律がアクセントを添えている。一転して第2楽章 Andanteは、ゆっくりしたテンポ。
 Menuetはそれに対して、やや速めのテンポ。第12楽章でも一部の箇所で、過去の指揮者とは異なる、tr.の部分がある。
特に後半の2楽章はfl.が活躍する。打楽器群が入らない編成で、柔らかい雰囲気の曲のひとつ。オリジナル楽器のfl.の音色を生かして、ユニゾンの箇所でもfl.が飛び跳ねるように動きが回る雰囲気が魅力的。このCDでは、他にNo.84.と85が収録されている。他の2曲をまだ視聴していないが、fl.の音色を特徴とした表現は、大きな表現が特徴のひとつと思った。
2018年8月11日 No.87から引き続き87番 バレンボイム イギリス室内管弦楽 を聴取。第1楽章は速めのテンポ。それに対して、第2楽章は、ゆっくり目。Finaleのfl.は、余り大きくは目立たない。しかしob.を含むたの管楽器と旨く溶け合う。比較的多い奏者の弦楽器と管楽器とのバランスは良好。

2018年11月6日 83番 バリー・ワーズワース カペラ・イストロポリタナ を聴取。モの94.1021とのカップリング。モダン楽器と思われる。vn.は通常配置。テンポは概して中庸。第1楽章の展開部、最後の方でT120のvc.の旋律。スコアではsoloとなっていないが、この演奏ではsoloとなっている。再現部T157からもvc.の8分音符のパートはsolo.これ以外の箇所でvc.のsoloはないようだ。


2019年5月8日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 83番を聴取。No.81で「ハイドンらしさ」に関して、曲の出だしの冒頭の動機のインパクトについて記載をした。この曲は序奏がなく、冒頭からの主題からにかかる。録音が比較的良く切れ目のある演奏。第2主題のスッタカートのリズムも冒頭の切れ目のあるスタッカートの動機を引き継ぐ感じ。第2主題は、冒頭の2小節目の短い動機と関連あるが、元々かなり速いテンポとも相まって、この演奏では関連性がよく分かる。
 メルツェンドルファーのスタッカートの切れ目のある解釈は、第2楽章の冒頭の主題にも反映。一般に大半の指揮者は、冒頭から第1vn.の8分音符のスラーの記号を重視し、柔らかく演奏するケースが多いと思う。T2からの第2vn.以下のパートも同様。メルツェンドルファーの演奏はスラーではなく、アクセントの強いスタッカートで通している。T6では第2vn.以下のスタッカートに対して、第1vn.のスラーの柔らかい16分の旋律が見事に対比。冒頭から基調はあくまでスタッカートの切れ目のある旋律で通している。

展開部でT59からの fで 盛り上がる部分。ここでも32分音符の全ての弦のパートのトレモロ。ここも鋭い雰囲気。その後T61とT62の2つのvn. 16分音符のづらーの動機とも対比が効果的。テンポは中庸だと思うが。元々第1楽章もかなり速いテンポ。これに引き続いて、第2楽章も切れ目のある旋律で通しているので、前半の2楽章を通して独特な雰囲気。
後半の2楽章も、fl.を含めた管楽器と弦楽器のバランスも良好。録音も一部は目立つはあるものの、比較的良好。第2楽章の解釈が印象的。このため推薦盤としたい。
2019年6月17日 83番 N マリナー を聴取。今まで聴き通してきた中で、強弱の微妙なニュアンス、一部ではあるが適宜、弦楽器のsoloなど様々な特徴をこの曲でも継承。今回は旋律でのスラー採用でない表現とテンポについて記載したい。第1楽章の小結尾の部分。T63からの箇所。
8分音符(ただし3連符)の動機は、スコアではスラーで表示してある。マリナーの場合は、スラーではなく通常の旋律で、スタッカート気味にやや「小刻み」に切れるように表現している。スコアの版の違いかもしれないが、過去に聴取して来た中で、この表現は、類似で聞いた記憶もある。スラーの旋律だと、ひとつ前のT62の4分音譜のスラーの旋律の延長になる雰囲気。提示部を半終始する際は、柔らかい雰囲気が続くことになる。それに倒して、T63からスラーでない旋律だと、柔らかい雰囲気は続かない。この楽章はNo.82と異なり、様々な旋律が登場しない分、冒頭からT4までの間の旋律の中、短い動機で終始、展開されていく。T52からの第2主題の経過部分も、元々、冒頭のT2から派生している。このため、楽章内で、短い動機が様々に随所で展開していく。このため、数種類の動機が、各パートなどで、どの様に展開していくかが興味深い。マリナーの演奏は、この中でスコアとは違う表現なのは興味深い。なお、この手法は、再現部での終わりの部分でも同様な表現。
次にテンポについて。第4楽章の終わりに近い部分。No.90のFinaleの様に、この楽章も終わりそうで終わらない雰囲気が、フェルマーターが続いている。T85のフェルマータで一旦、終始する手前。T84の時点でリタルランドで少しずつテンポを落としている。この手法もマリナーだけとは限らないが。T83までは少し速めのテンポで、変化を殆ど変えなかったのとは対照的。その後、T85とT86のフェルマータの部分でも同様な解釈。微妙なテンポの表現はマリナーの特徴のひとつと思う。
2019年12月5日 83番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス を聴取。一つ前のNo.83にも少しふれたが、指揮者の息使いは最初から爆裂の雰囲気。冒頭から他の曲の緩叙楽章と同様に、よく聞き取れる。
一つ前のNo.84で、弦の奏者について触れた。第1楽章の展開部の最後の方で、「p」の部分がある。再弦部の冒頭の「ff」に対して、弱音で繊細な聴き所のひとつ。T120でvc.の旋律で独自の動きがある。この部分でvc.はsoloで引いているかの様に、弱音の世界。他のパートもhr.を含めてよくわかる。なおこの部分で自筆楽譜は、vc.とbass.は9段の五線紙の中で同じ部分になっている。しかしT120ではvc.表記が明記されている。
 Finaleはあたかもfl.の独壇場の印象。この手法は過去にNo.38にも同じob.で行った手法に類似していると思う。古楽器のため僅かだがob.のパートと同様に、キーの動きが聞こえる。
 この録音会場は ウイーンの Mozuartsaal konzerthaus となっている。モーツァルトホールなので中ホールの704席。録音の時、観客はいないと思うがホームページの写真を見ると指揮者の傍で聞いた印象が伝わってくる雰囲気。
2021年1月1日 H V  カラヤン ベルリンフィル 83番を聴取
H V  カラヤン ベルリンフィル 83番。パリセットのCDは、このブログを立ち上げる前から購入済。主にNo.86を中心に時々聞いていたが。このブログを書き始めてからは、まったく聴かない状態が続いていた。別に避けていたわけではないのだが、最初に聞いたカラヤンとの比較が先行してしまい、その分、原点というか元の曲を聴く機会がなかったためであった。このたび、もう一度レビューを書くにあたって再度、聴取を開始する。ザロモンセットも加えて入手はしているが今回はパリセットの6曲から開始する。
それにしても、約20年ぶりの久々の聴取となる。1981年の録音だが、こころなしか自分の聴覚の衰えもあるのか、同じ音源であっても弦楽器、特にvn.の高音域のつやのある音色が少し、聞きにくくなっている。モダン楽器で奏者の多い大編成なのはもちろんの特徴だ。提示部は繰り返しているが、繰り返しの後半は特に、装飾やテンポの変化などがないのも、今の時代、聞き比べで色々な解釈を知っている中では残念。

 各パートの独自の動きも聴き所の一つである。fl.奏者が1名にも関わらず、随所で後半を中心にfl.が活躍する。fl.のsoloやユニゾンの箇所は、そこそこ聞こえる。しかしhr.を中心とした他のパートは余り目立たない。例えば第2楽章の終わりの部分。ここではhr.が低音域で和音でありながらも、低弦の中で目立たせたい箇所。指揮者によっては、この低い音域も聴き所であるが、この演奏では殆ど目立たない。録音も残響が多めで各パートが分かり難くいのも拍車をかけていると思った。
2023年1月2日 83番 Vktor Tretyakov State chamber Orchestra of the USSR を聴取。No.45から引き続く。録音レベルが全体的に高く、No.45と同じようなボリュームで妻再生すると困るような状況。CD1枚に2曲だけでトータル52:25の収録も不満。
2曲しか収録していないが、1曲目と2曲めの録音レベルの差が大きいのも困る。録音方法は同じような感じ。残響が多く管楽器の奥行き感が少ない。Tuittiの強奏のとき、ユニゾンでよりそうob. fl.の音も分かり難い。
ホールの天井から見下ろすような感じで聴いている録音。ワンポイントの録音を主体で収録したかもしれないが、会場のノイズも大きすぎるのも困るのはNo.45と同様。このレーベルの詳細は分からないが、装丁といい録音データの詳細が分からないなどは、困った印象に終始。
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2023年1月1日 45番 Vktor Tretyakov State chamber Orchestra of the USSR を聴取。 vn.は通常配置のモダン楽器で奏者の数は多いようだ。冒頭からテンポは中庸。残響が多く管楽器の音量が小さい。ライブ録音のためか、第2楽章では会場の音が結構、入っている。(第1楽章までは、会場の音が殆ど聞こえなかったのと対照的)第1楽章の弱奏部分でも、それなり会場の音が入ってもよさそうだが。第1楽章と第2楽章の全体的な音量を比較すると第2楽章は、そこそこ大きい音量。第2楽章は奏者の音を拾うために、録音レベルを上げた可能性が大きいようだ。
 輸入盤だが発売元は韓国の様だ。解説の最初も韓国語で記載。ライナーノートの原本も元は韓国の様だ。Finale Adagioの後半で奏者が減るのは分かる。録音のせいか、soloの音源がやや大きく、無理に音源を拾うような録音。会場での奏者の退席などもないようだ。
第2楽章からかなり会場の音(特に セキ の音)がかなり大きい。ライヴとはいえ、ここまでかなりの音だと、違和感がある。録音年月日の記載はあるが、録音会場などのデータの記載がない。指揮者はもともと、vn.の独奏者として有名だが、指揮者としての経歴はよく分からない。輸入盤とは言え、ライブとしての録音ならびにCDの装丁などに不満がある。

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 2023年7月31日 83番 カラヤン ベルリンフィル EMI盤 を聴取。3曲が順番ではNo.101、No.83、No.104の順番で収録されている。本来なら最近は、収録順に聴取することが最近は多い。この3曲は、作曲年代の早いパリセットが2曲目になるため、No.83から聴取する。
 このCDのライナーノートには2名の解説者がいる。後半の故 門馬直美 氏のカラヤンの演奏についてのレビューがある。今まで、自分なりにイメージしていた。この自分イメージを端的にまとめていると思う。解説文は1989年4月発売のcdより転載。約11cm×11cmサイズのライナーで、約4枚に渡り書かれている。その前半は、カラヤンの生誕から戦前、戦後直後の演奏スタイルの概観。戦後
1960年当たりから、感情を込めた、しかも流用さを尊重してきたものに変わり、これが円熟にもつながる。1963年にベルリンフィルのホールが完成してからは、再録音を開始。ホールの音響交換と録音成果をカラヤン自身が高く評価していると同時に、かつてのレコード以上のきめの細かさや、完全の仕上げといったものを意識。これらの記述に続いて、その後のカラヤンの演奏解釈について、要点をうまくまとめているので列挙してみる。
(1)音の美感を大切についている。オケだけによるバランスを作るときも同様。
(2)各楽章、各部分のもつ意味をまことにあざやかに伝える。いたるところで音楽の輪郭が鮮やかになり、どれと同時に幅広い表現がおかれている。緩やかなテンポのときは、カラヤンン独特のたっぷりとしたてテヌート。温かみをも耐えるのでより一段と音楽が充実する。
(3)オペラの指揮の手腕を生かして、劇的効果を高めると同時に抒情性の発露とも関係。歌わせ方にうまみがある。それでいて、音楽の一面だけを強調するのではなく、対比性ということも無視していない。音楽に肉づきが豊かになる。
(4)曲の流れを大きな意思で方向づけていると同時に緊張と弛緩の配分の知性的な考慮。計算と設計が上手く思わず引き付ける。この計算は決して過度に感じさせない。3132099no300.jpg
 当時の執筆は1989年頃なので、今(現時点で2023年)よりも34年も前のことになる。カラヤンは1989年に81歳で病没しているので、このCDが発売された頃は、没後前後の頃になる。1971年がNo.83とNo.101が2曲セットで当初は発売されたようだ。ネットで調べたら、当時のLPはで、レーヴェル面に金地に~スタンプニッパーの記述がある。当時は優秀録音だったらしい。
 No.83は、既に  gramophon、 の再録音の方をレビューすみ。(1981年のベルリンフィル)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1373.html

こちらの方は、1971年で同じベルリンフィルでも録音会場が異なる。ハイドンの交響曲ではないが オラトリオ 四季に関して、録音会場のレビューがある。

http://karajan2.blog101.fc2.com/blog-date-20210106.html

上記のレビューによると、スイスの避暑地で、ベルリンフィルの小編成で、録音をした記述がある。1971年は、同じ録音会場でモーツァルトの協奏曲なども録音されEMIから発売されていたようだ。
上記の録音レビューに関して、少人数で清涼感のある録音の記載がある。

https://www.karajan-bpo.com/karajan_villa.htm

 サンモリッツでは、当初は教会ではなく別会場だったようだ。フランス教会(下記のブログではバート
サンモリッツにあるフランス・プロテスタントの教会)と記載がある。


http://www.karajan.info/concolor/1957/Jouhou2.html#1971Aug

上記のブログからの録音データによると、1971年はモーツァルトも協奏曲なども録音。
ハイドンの交響曲は2曲のみ1971年の8月に録音されている。発売当時はLPだったと思うので、2曲のみが1枚で発売されたのかもしれない。

 カラヤンの没後以降、様々な指揮者が登場し、古楽器の奏者も多くなり、演奏解釈も多様になった。ハイドンの交響曲でもsolo奏者ばかりで構成される室内楽の編成の録音も登場するなど、色々なものが 堪能できる。
 一方、1971年頃の録音当時は、古楽器の演奏は、殆どなく、初期や中期の交響曲の録音もかなり少なかった。このため、交響曲のレビューを書くには、情報が不足していた状態だったと思う。当時としては、カラヤン流の解釈が、ある意味、メインになっていたかもしれない。古楽器でなく、弦の厚みを生かした音色。Tuittiでは、弦楽器の音量が中心になる。
1981年の録音はベルリンフィルでも奏者の数が多いようだ。それに対して、こちらの方は、奏者の数は、録音レビューにあるように、やや少ない雰囲気。ただし残響はやや多めのため、各パートの分離が余りよく分からない。弦の奏者を少な目にしているのか、弦楽器と管楽器のバランスは思ったより良い雰囲気。門馬氏のレビューにも関係するが、(1)の音の美観を大切にしているのがよくわかる。第1楽章の最初の方で、ニックネームとなった 第2主題の部分。「めんどり」の由来になっている部分だが、 T52の部分でob.が入ってくる。この部分では、音色がob.ということもあり、スッタカートを利かして子気味の良い音色。この動機は、CDなどの解説書なども記載があると思うが、第1楽章の冒頭、第1主題のt2の部分で既に一部が登場。T11あたりから、数が多くなる。T52は第2主題の部分の経過的な箇所だと思うが、第1楽章の動機が一部、登場することで、2つの主題の共通点にもなっている。
 再現部のT164の部分。調性が変わり、菅楽器はfl.が受け持つ。音色がfl.ということもあり、やや、柔らかい音色になる。提示部の繰り返しがないことも相まって、ob.とfl.の音色の対比が印象的。モダン楽器だが、小編成に近いためか、菅楽器の音色がよくわかる。概して、この後の録音になる gramomophon 盤よりも、録音が鮮明。各パートの音色がよくわかる。(1981年の方は、高音の弦Bの伸びが、やや不足気味に聞こえる) 10年ほどの開きしかないが、旧録音の方が良い印象。
 Finaleの終わりの方でフェルマータの部分。T ファイ、 その師のアーノンクールなど、様々な指揮者がテンポを微妙に変えている。繰り返しがあるかないかでこのテンポの扱いも興味深い。収録時間の関係、あるいは当時のスタイルから、後半の繰り返しは採用していない。門馬氏の(2)のコメントの通り、単刀直入に誰もが聞いても、カラヤンスタイルで、この微妙なテンポの揺れと終わりそうで終わらない雰囲気が楽しめる。Finaleの後半を繰り返すかがどうかによって、この部分の解釈が興味が深い。No.90のFinaleと同じように、聴衆に対して、だますような仕掛けがあるからだ。

 2023年11月7日 83番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。第1楽章は、概してテンポが速め。これはこれまで聴取して来た交響曲と同様。

下記の H V カラヤン ベルリンフィル のレビューに譜例あり。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1373.html

 カラヤン盤(EMI盤ではない)では、hr.のパートが弦に音に押されて、殆ど聞こえなかった。それに対してグッドマンの場合は、過去のレビューと同様に明白に聞こえる。
 小編成の各パートの音が明瞭なのは今まで通り。