通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
83 |
81 |
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1782 |
G |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
ピチカートを中心に音色の変化を随所で聴かせてくれる箇所はあるが、散漫に終始。 |
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1 |
G |
Vivace |
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2 |
D |
Andante |
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3 |
G |
Menuet&trio、allegretto |
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4 |
G |
Finale、Alleglo、ma non troppo |
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2010年3月13日 NHK FM放送の番組「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 26回 」にて、オルフェウス室内管弦楽団の演奏を聴取。パリセットに先立ち、特に第1楽章の繊細さなどを中心とした聴き所の紹介。編成は、やはりドラティ盤とフィッシャー盤の中間。細かい音色などは、やはりフィッシャーが聴き取りやすく、フィッシャー盤を推薦したい。 |
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2016年5月29日 ダントーネ/アッカデーミア・ビザンティーナNo.81を聴取。第1楽章の長い旋律と、柔らかい音色を中心とした対比は、古楽器に良くあう。冒頭からbass,とvc.が分離して刻むような楽器の扱い方は、No.42にも類似している。しかしNo.81の方は、より一層、微妙な強弱と音色を重視している。T4からT12まで第1vn.の歌うような長い旋律は、ハイドンとは異なり、モーツァルトの様な雰囲気。長い展開部を挟んで、冒頭の旋律が再現部として登場しない。一番最後に、fl.を伴って消えるように終わるのは、興味ある趣向。繰り返しがあるので安心して聴ける。 緩除楽章のテンポの変化と微妙な装飾は、過去3曲から聴いてきたのと同じ解釈。変奏曲の形式で全ての部分で繰り返しを採用。例によって繰り返しの後半は、妙に変えていて飽きさせない。古楽器のfl.が効果的なのは、この楽章でも同様。冒頭からfl.がsoloに近い形でやさしく、柔らかい音色で終始。T26から転調して、fl.が休み、ob.がこの楽章で初めて登場して音色の対比があるのが印象的。 第3楽章のMenuetのTrio T76の部分から、第1vn.は、単の弦のパートと同じ様に、ピチカードで引いているようだ。本来は、fg.とのユニゾンだが、伴奏に徹しているのであろう。Finaleも弦を中心とした各パートの分離感がある。No.80と比較してhr.のアクセントが余りないが、その分、fl.を中心とした柔らかい音色との対比が効果的。ハイドン音盤倉庫でも、4曲の中で一番高い評価となっていた。確かに、順番通りに聴いていくと、この最後の曲が、一番リラックスして透明感を生かした特長であると思った。 |
2018年6月4日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.81を聴取。No.80から引き続く。No.80では、第2楽章の変奏曲では全て繰り返しの反復があり忠実に守る。繰り返しの後半で、装飾などは特にない。またNo.80 第2楽章では、一部vn.のsoloがあったが、ここでは特になし。 この曲自体を、もともと余りランクが高くない評価をしてきた。ハイドンの交響曲の魅力のひとつに、第1楽章の出だしの第1主題がある。この動機が魅力的かどうかにかかると自分なりに思う。この曲ではハイドンには珍しく主題が長い。演奏時間や小節数はそれほど他の曲とは大差がない。ほぼ同じ演奏時間の中で、長い主題が何回か転調、変奏されていく中で主題が長い分、変化の回数が制限される。何度も聞き返していく中で意外な発見があると思う。しかし変化の回数が少ない分、曲自体の魅力が少なくなるのが原因ではないかと思った。また冒頭からbassとvc.の分離を伴い、流れるように終わる雰囲気は、一風変わったスタイルも影響をしている。 |
2018年12月20日 81番 ニコラス・マギーガン フィルハーモニア・バロック管弦楽団 を聴取。序奏を伴わない比較的長い旋律の主題、楽器の音色の対比をどちらかといえば重視をする雰囲気はNo.79にも少し、類似した趣向だと思う。No.81も同様で、冒頭からTuittiのインパクトに対して、直ぐに、vc.の8分音符の音色の対比がその典型。対向配置を生かして第2vn.の旋律が引き立つ。第2楽章の後半の変奏の部分t49から第1vn.と木管の旋律がある部分。ここでは他の弦のパートはピチカートになるが、高い音域の第2vn.の音色が効果的。 音色の対比を重視した部分に関して。疾風怒濤期の頃の緩叙楽章と対比させてみると面白い。No.47にも少し記載をしたが、この第2楽章は楽器の受け渡しが余りない。どちらかといえば、各パートが同じ旋律を演奏する箇所が多い。一方No.81のほうは、冒頭からfl.と第1vn.とのユニゾンで柔らかい雰囲気。中間部の短調の部分ではfl.が休みob.が活躍。後半の変奏のt49から部分でもピチカートが入るなど、音色が多彩。小編成でありながらも、各パートの分離感が良い録音もあり、推薦としたい。 |
2020年3月27日 81番 ジョヴァンニ・アントニーニ カンマ―オーケストラバーゼル を聴取。ハイドンの交響曲を数々、色々な指揮者を通して聞いていく中、各交響曲のランクについても変化がある。ブログを開設した当初は、No.81のランクを「D」とした。そのコメントは「ピチカートを中心に音色の変化を随所で聴かせてくれる箇所はあるが、散漫に終始。」と記載をした、このピチカートの部分は第2楽章 変奏曲の第4変奏曲で最後の部分になる。ピチカートの効果は、この箇所以外は殆どないと思うので、効果は十分に高いと今でも思っている。 同じこの部分で、以前、N マギーガンのレビューで、第2vn.のピチカートが効果的なことを記載した。(下記のアドレス)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1046.html
この時は、vn.の対向配置を生かして、普段は伴奏側に回る第2vn.のピチカートが効果的な点を記載した。アントニーニの場合も同様だが、Youtubeで 同じ指揮者と奏者で、この当たりをさらに視覚を加えて楽しめるのが、ある意味大きい。No.80でも記載をしたが、指揮者や奏者の細かい奏法などがうまく映っている。低弦以外の弦楽器は、すべて立っているので、vn.も並んで写っている。カメラの位置が低いと、椅子に座っているときと異なり、各奏者の様子が分かり難い。 しかし幸いなことに、カメラの位置は、やや高めのポジションもあったりで各奏者の奏法がよく分かる。奏者の数は、6:5:4:3:2で小規模の通常の人数。第2vn.の奏者は5名だが、その内2名は、指揮者に近い方。残りの3名が後方に位置している。第2vn.の第2奏者の男性が体格が大きく、楽器が小さく見えるのが印象的。例によって、このピチカートの箇所では、カメラをアップに映している。さらに加えて主旋律を奏する、fl.と第1vn.はユニゾンで音量を落とし、第2vn.のピチカートを目立たせている雰囲気。映像でも、この趣旨を尊重してか、第2vn.の音をうまく拾っている。 Finaleの後半の繰り返しについて。CDでは後半の繰り返しはない。しかし映像の方は繰り返しを採用。どちらがよいのかわからないが。 最初にも記載をしたが、ランクをDとしたコメントの一つに「散漫な印象」を記述した。「散漫」の解釈は色々あると思うが。私は冒頭の第1主題の出だしに由来すると思っている。ハイドンの交響曲を最後まで聞き通すかどうかは、冒頭の主題の明白さ、特に短い動機が分かりやすく提示され、展開部、再現部でも様々な使われている統一感があると思う。動機の数や展開の仕方によっては、統一感をうまくまとめるのが難しいケースも想定される。
No.81の冒頭主題は、ハイドンにしては珍しく、主題のまとまりの単位が長い。(一つ前のNo.80の明白な上行していく動機などとは対照的) まとまりの単位が長い曲ではあるが、疾風怒濤期の頃と異なり、聴衆への分かりやすさが根底にある。「散漫」を記載をしたが、「ある意味 まとまり」 との対照的なニュアンスに相当すると思った。「散漫」自体のことばが、マイナスなイメージになるかもしれない。しかし曲自体は、まとまりが多少ゆるくなる分、曲自体は逆に面白さを増していると逆に思った。
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2023年5月28日 81番 チャールズ マッケラス オーストラリア室内管弦楽団を聴取。No.80から引き続く。繰り返しは全て採用。ハイドンの交響曲を聞き始めた当初は、この曲のランクをDとし散漫な印象もあると記載をした。確かに冒頭の第1楽章の主題からして、短くコンパクトな印象を与えるような動機ではない。初期ではNo.7の様に短い単位で動き回るような印象とは異なる。作曲年代が経過することと、パリセットに象徴されるように、聴衆への分かりやすさも前面にある。このため冒頭の長い旋律も、経過部を経て短い動機が入るなど微妙な変化がある。
展開部と再現部の違いが分かり難い分、第1楽章の最後で、第1主題が冒頭と同じように回帰してくる手法なども、過去にも何度か採用していた。今回もこの手法を採用している。一度、聞いてしまうだけでは、このあたりは意外に気づかないかもしれない。しかし過去から現在まで様々な演奏者を何度も聞いている中で、この違いも分かるようになってきた。ランクをDとしていたが、聴き方の視点を変えることで、評価の仕方も自分なりに変ってきたと感じている。
最近のレビューではこの曲に関して、アントニーニや N マギーガンがある。第2楽章の最後の第4変奏で.第2vn.のピチカートの効果を記載した。緩徐楽章で変奏曲を採用するのは、晩年の交響曲ではよく用いられている手法。この曲に関しては、vn.のピチカートの部分が
かなり少ないために、特にこの箇所の部分は効果的になる。 マギーガン、アントニーニの
場合は、第2vn.のピチカートを目立たせていることを記載した。このマッケラスの場合も
同様だが、主旋律が高い音域で管楽器になっている。伴奏する第1vn.の音量をかなり抑えている。fg.は曲全体で随所にsoloとして活躍するが、この箇所でもfg.は音量を抑えている。マッケラスの場合、緩徐楽章は特にテンポを落としているので、この部分を含めて、細かい点までよくわかる。 第3楽章のTrioの部分。ここでもfg.はsoloとしては活躍するが、tuittiで音量の大きな箇所は、fg.は入っていない。その分、音量を落とした箇所ではsoloとしてfg.が入っている。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1046.html
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