通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
81 |
79 |
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1782 |
F |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
大衆向けの分かりやすさを意識し過ぎて散漫な印象。 |
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1 |
F |
Alleglo con spiritio |
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2 |
B |
Adagio cantabileーun poco Alleglo |
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3 |
F |
Menuet&trio、allegretto |
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4 |
F |
Finale,vivace |
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2010年(平成22年)1月8日 NHK FM放送「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽でNo. 20」で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏聴取。番組内でこの曲の紹介に当たって、第1楽章が室内楽章の雰囲気の特徴に触れられている。No.
71に引き続いて聴取をしてみるが、編成は室内楽団の名称ではあるが、フィッシャーより多い様だ。さらりと流れる印象はフィッシャー盤と同じ。やはりフィッシャー盤を取りたい。 |
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2016年5月17日 ダントーネ/アッカデーミア・ビザンティーナNo.79を聴取。ダントーネの聴取は2曲目となる。この曲のランクを低くしている原因の一つには、第1楽章で、数多くの様々旋律が登場するのではないか。ハイドンは元々、短い動機からなる主題が、提示部、展開部で、様々に調やテンポなどを変えながら流れていく。19世紀の頃のロマン派の解釈とは対照的。楽器編成は少なく、演奏時間も短い方だが演奏者によって、解釈の仕方が異なる。これがハイドンの醍醐味でもあると思う。
この醍醐味とは、かけ離れているのがこの第1楽章。序奏がない冒頭の主題の長い旋律の提示。その後の経過部の動機や主題などが、この楽章を通して数が多く展開されていく。たとえが悪いかもしれないが、旋律を沢山並べた、テンコ盛りのような感じ。このために、自分としてはランクを低くしているのかもしれない。
しかし、テンコ盛りのようなこの楽章でも、ダントーネは、微妙な味付けをしている。従来までの演奏では、T34の経過部の動機。ここでは、2つのvn.パートはトリルの指定になっている。今までの演奏では、このトリルを忠実に守っていた。それに対してダントーネの演奏は、トリルを忠実に守らず、ごく僅かではあるが、前半はテヌートのようにトリルを用いていない。このため、この旋律が今までの演奏家と比べて、とても浮き出ている。しかもこのT34の旋律は、その後の展開部、再現部でも省略されることなく、微妙に形を変えながら登場する。細かい解釈の一つとして興味深い。 |
2018年12月7日 79番 ニコラス・マギーガン フィルハーモニア・バロック管弦楽団 を聴取。この団体では、過去に以下のブログに記載をした。このときの弦の奏者では、下記の様に記載をした。
第1+第2:17 va.:4 :vc.:5 basss:3
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1022.html
このCDのライナーノートによると、弦の奏者は減って9名になっている。(前のブログのデータが間違いか?)
今回の弦の配置は下記の通り
第1+第2vn. 9 va.3 vc. 2 bass 1
こちらは一方 va.は1名減って3名。ピッチは430hzと記載あり。この No.79以降は、fg,.が特に活躍する箇所が多い。No.88のfinaleなどはその典型。この曲に関しても、既にfg.のsolo自体の箇所は少ないが、弦とのユニゾンの箇所が多いのが聴き所のひとつ。
元々この曲を含めたNo.79-81 3曲セットは、自分なりにランクを下げていた。エステルハージ楽団以外の聴衆者を前提に作曲されたことを前提と出版ということもあり、分かりやすさが前面に押し出されていると思う。最初のNo.79の第1楽章は、その典型のひとつでもある。特に第1楽章はハイドンにしては珍しく、序奏を伴わない冒頭の主題が、動機が比較的長く、提示部ひとつをとっても、様々な動機が登場。これらの様々な動機を1楽章の間で、旨く統一できるように収めるのがある意味、作曲者の腕の見せ所だと思う。No.48 第1楽章などは、これを旨く収めていていると思う(もっとも、調性も異なるし打楽器群が入るので、雰囲気は違うかもしれないが) それに対して、No.79の方は、各パートの技巧を少し抑え気味にして、曲全体の分かりやすさを重視している。いわば余り、ひどく考えないで、流れを重視する始点が大切になってくるかもしれない。
それでも冒頭のかなり長い動機を伴い第1主題でも、出だしからのfg.のユニゾンが聴き所になる。マギーガンの録音は、上記のブログにも記載したように対向配置を採用し、vn.を含めて、各パートの位置が鮮明。管楽器は少し手前気味にあるように聞こえるが、その分、弦とのユニゾンでは一体感が増している。冒頭の第1主題のfg.も第1vn.とのユニゾンでありながらも存在感が高い。fg.はもちろんFinaleでも大いに活躍するが、冒頭から存在感を増している。流れを重視する曲のひとつかも知れないが、弦と管楽器とのユニゾンは、十分にハイドンは計算していると思う。提示部ではfg.だが、展開部ではob.が入り再現部の冒頭では、fg..+fl.になる。全く同じ様な再現にならないように旨く工夫をしていると思う。
再現部の後半 T123当たりで、第1主題の一部の動機が変形されて、2つのvn.パートが掛け合う部分がある。モーツァルトのNo.38 第1楽章の一部にも類似したようにも聴こえるが。対向配置を生かしたvn.の掛け合いが効果的。弦楽器で、vn.パートを中心に記載をしたが、va.以下の低弦のパートも奏者が少ない割りには、かなり厚く支えているようだ。Finaleは流れるような点が特徴と記載したが、fg.を中心として、リラックスして聞く雰囲気。このブログでは、『聴取』すなわち、「聞く」とは異なるなる表現を用いることが多い。しかし「聴く」とはある意味、聞き流すのではなく集中するレベルが必要となることがある。しかしこの曲を含めて、ハイドンの曲によっては、「聞く」ということも必要だと思う。元々ランクを低くしてはいるが、このマギーガンの鮮明で細かい演奏を通して、また別な聴き所を見出した様な気持ちになった。
なお第3楽章のMenuetのT7の部分。手持ちのスコアでは、T7の間の部分で、僅かであるが、左側よりスコアには記載されていない高い音が一瞬、入っている。編集ミスかとも思ったがMenuet の最初の繰り返しの部分や、回帰している部分でも同様に入っているので通常の演奏の音であると思う。Hr..あるいは、fl.などの他のパートが演奏しているのかもしれない。ライブ録音ではないと思うが、楽器とは異なる音が微妙に、これ以外にも入っているが違和感は全くない。
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2019年5月3日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 79番を聴取。パりセットの前の6曲は、3曲のセットで出版されている。パリセット以降のスタイルと少し異なる点もあるかもしれないが、管楽器でfg.のsoloの位置づけなどが既に先駆的に使用されている。No.73当たりからはパリセットに向けての試作のような印象も少し受ける。No.79−81はその3曲セットの後半に当たり、その内1曲は短調を挟むのは、No.76〜78との共通していると思う。こちらの方も、どちらかといえば、流れと洒落た雰囲気が表に立っていると思う。
このため、この曲もNo.76〜78に共通した特徴がある。第2楽章では、少し遅めのテンポで、適宜管楽器が主にユニゾンで現れるのは他の曲とも共通。この楽章は主に柔らかい雰囲気を重視してか、fl.が随所に活躍する。余り注目されないかもしれないが、fl.は第1vn.とユニゾンの箇所が多い。冒頭は第1vn.のみの提示であるが、T9から同じ旋律がfl.と共に登場する。ここではfl.第1vn.より1オクターブ高く、音量も増えて華やかさが増している。過去のハイドンの緩叙楽章で主題が登場し確保をしていく場面で、しばしば管楽器がその後にユニゾンで入り、楽想が変化していくことはよくあるパターン。
その後T21の部分では、第1vn.が高い旋律を受け持ち、fl.は、1オクターブ低くユニゾンで吹いている。この曲以外も1オクターブ低くfl.が、受け持つ箇所があるかもしれない。しかし今までは、それほど気が付かない箇所。得てして低い音域のfl.は、弦楽器に埋もれてしまうことが多い。しかしメルツェンドルファーの演奏では、fl.がユニゾンで旨く聴こえている。管楽器のsoloと弦楽器のユニゾンの箇所は、どこまで聞かせて バランスを取るのかが難しい。この部分でもvc.とbass.が分離しているのも注目。
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2019年12月22日 79番 ジョヴァンニ・アントニーニ(Giovani Antonini)指揮のバーゼル室内管弦楽団を聴取。アントニーニは、2032年の完結を目指してハイドン以外の関連作品を含めて録音を継続している。このCDはLAMENTATIONEのテーマで2曲目。No..30が2曲最後になっている。これまで2曲聴取してきたが、No.30を最後に持ってくるときに、もう1曲は入る余地はある。
指揮者や製作者として3曲目にどの曲を収録するのは悩ましいところではある。Lamentatione に関連した短調を中心としたやや、重い雰囲気の曲を3曲目にも配置した場合、このCDはすべて統一したテーマになる。しかしこの3曲めは、極端に近いような対照的でNo.3.26と異なる曲が入っている。過去の収録曲の選曲方法をみると、初期から晩年の曲まで、作曲年代を考慮しながらバランスよく行っているようだ。最後にNo.30を持ってくると、3曲目あたりに後期に近い作品が1曲入るのが妥当になろう。
後期あたりから1曲を選ぶとき、No.79になったのはある意味、清涼剤のようなアクセントになっていると思う。パリセット直前の3曲セットの中の1曲。3曲の中でも明るい雰囲気が中心で、わかりやすく流れを重視したような曲のひとつ。他の3曲とは大きくことなるが、うまく対比されていると思った。仮に一つ後に、No.80が収録されていたら? たまたま一つ前の第4集にNo.80は、すでに収録され発売されているが短調がメインになり、かなり重たい雰囲気になってしまう。
演奏については、No.3、26と同様に小編成をいかした好演。録音の関係かあるいは、指揮者の意図かはわからないが、No.3、26と比較して、vn.の左右の広がりが大きくなっている。全体の音量はNo.3.や26と差は感じられない。しかし左右の広がりを生かした対向配置が効果的。もともとこの曲は分かりやすさが全面に出て、聴き所が今一つの中、N マギーガンの好演でランクを上げた経緯がある。(下記のブログ)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1044.html
マギーガンでは管楽器がやや近めに聞こえて、奥行き感が今一つのことを記載した。アントニーニは奥行き感は自然。冒頭からfg。の掛け合いが多い。音量の小さい箇所で、vn.は音量をかなり落とし、あたかもsoloの様に寄り添っている雰囲気。なお第3楽章 Menuet T7 で マギーガン の演奏では、スコアにない違う音色が入っていると記載した。アントニーニの場合はこの音色は入っていない。
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2020年7月3日 79番 ジョヴァンニ・アントニーニ を聴取。CDのレビューは済み。
https://www.youtube.com/watch?v=Q6YHh_G8f-c
第2楽章は2部で構成され、速いテンポで終わる。強弱の対比も面白い。アントニーニは、弦ではキレの良さはもちろんだが、強弱の対比も印象的。この楽章でもt61からのun poco Alleglo で弦のTuittiから開始する。最初から、かなりすべての弦のパートの音量を落とす。この時にYoutubeの映像では、弓を小さく動かしているのがよく分かる。
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2024年10月20日 79番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。No.78から引き続く。CDの収録順番はNo.81、80、79となっている。残りはNo.91で最後となる。収録順番は、CD1枚の収録時間の調性もあると思うので、比較的演奏時間が長いNo.91を考慮して3枚目にNo.81が3枚目になっていると考える。ホーボーケン番号順に聴取したいので、No.79から開始する。
No.76〜78と同様に、No.79〜81も3曲セットでロンドンから出版されているのは共通な所。これまでクランプの特徴の一つとして、レンジの広さから強弱の対比について記載をした。第1楽章は序奏もなく冒頭から第1主題が第1vn.+fg.で登場する。ついつい聞き逃してしまうような旋律だが、第2vn.+va.の対旋律も休符を挟んだ短い動機。スコアをみると冒頭の主題は、T4で一応完結しているが、休符を挟んでいる。休符が適宜至る所に入っていて、聴衆を少し、はぐらかすような雰囲気。前の3曲と同様に短く、分かりやすいように一応作曲者は書いているようだが、少し調べてみると思わぬ仕掛けがあるような第1楽章。聴き所の展開部の最初の部分。小結尾から展開部へ入ってくるとき、半音ずつ上がっていく。その後T63で弱音となり休符となる箇所。音量の対比が効果的。
各パートの動きの中でも低弦は興味深い。冒頭からfg.のユニゾンによるsoloなどはもちろん。Fg.は通常のvc.+bass以外にva.とも掛け合う箇所がある。随所にvc.とbass。の分離がある。ハイドンは音量の小さいときに、vc.とbass.の分離はもちろん、va.よりも高い音域で弾く箇所もある。FinaleのT207の部分。珍しくvc.が2津のパートに分かれている。たまたま引用したスコアではT207の箇所は 第1vc.と第2vc.+bass.の表記となっている。vc.が高音域をsoloで演奏する。クランプの演奏は全て、vc.は2名でbassは1名。低音域のvc.とbass.は1名ずつ。2名に並んだvc.の奏者と中央寄りのbass.の音色もよくわかる。アントニーニの録音は、vc.は右側でbass.はさらに右側。fg.も右側なので、それぞれの楽器でfg.が加わると、やや右側になる。それに対して、クランプの演奏は、それぞれの3m津の楽器がやや離れている。合わせてva.も右側。このため、低弦を含めた各パートの掛け合いに好みにあう。
また、この曲に限っては、普段は目立ちにくいhr.が活躍。繰り返しの後半では装飾音としてトリルで演奏するなど細かい点であるが興味深い。アントニーニのNo.31のFinaleでhr.のパートをトリルで演奏している部分を思い越した。
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