通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
80 |
78 |
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1782 |
c |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
第2楽章の前打音を含む主題と丁寧、かつ、しっとりとした雰囲気。 |
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1 |
d |
Vivace |
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2 |
B |
Adagio |
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3 |
d |
Menuet&trio |
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4 |
d |
Finale,Presto |
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2010年(平成22年)2月6日 NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 23」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中では、長い間エステルハージ公爵のための作曲を続けてきた中で、最後に近い部類の1曲であることに触れられている。
編成はフィッシャーよりも大きいよう。第1楽章では、展開部を中心とした、めまぐるしい転調やテンポの変化が聴き所と思っている。フィッシャー盤よりも大きな起伏が見られない。その他の楽章についても、これといった特徴がないと思った。 |
2014年1月3日 デイビス盤を聴取。全体的にテンポが遅めの分、両端楽章は、短調の緊張感が、今までの2人と比べて、少ないと思う。聴き所のポイントとして、第1楽章の展開部を上げた。緊張感からすれば、一つ前のNo.77の方が、短いながらも、3曲を通して聴くと、むしろ、こちらを取りたい。Finaleの最後では、長調に転じて管楽器を含めて華やかに終わる。この辺りも、イギリス向けの聴衆を意識したした表れと思う。
この3日間でデイビス盤を3曲通して聴取をした。真ん中の77番が、親しみやすさを一番のポイントとすることもあり、3曲の中のランクでは、Cに下げるか?
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2016年5月16日 ダントーネ/アッカデーミア・ビザンティーナNo.78を聴取。単発で先行発売はされているが、DECCAからの古楽器による初のハイドン全集のセットとして、今回は購入。このセットは、ホグウッドは、過去の聴取記で書いている。F.ブリュッヘンのCDは、まだ私は持っていなかったので今後、少しずつ書いていきたい。
この演奏についての感想は、ハイドン音盤倉庫に、DECCAの全集企画の宣伝方法も含めて、やり取りがされている。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1402.html#cm
小編成だが、近接音が比較的多く、分離感が良く分かる録音。第2vn.は右側に位置。第1楽章は、初めてこの音源を聴くこともあって、特徴が良く分からない。しかし2楽章以降、va. vc.. bass.がユニゾンで、vn.のパートに対抗するように分離感がよく分かる。たとえばT21‐24の部分など。一方、木管楽器は、第1楽章では、soloの部分も少ないこともあって、それほど目立たなかった。第2楽章では対照的に、木管楽器でのsoloの部分は丁寧に目立たせている。T48からva.とユニゾンでfg.が入るが。ここでは、va.は控えめになり、fg.が活躍。Hr.も、場合によっては、f指定を忠実に守り随所で和音で支えている。
後半のMenuetでは、繰り返しを忠実に守る。ラトルの演奏でも随所にあったが、繰り返しの部分は、各パートで随所に装飾があって、飽きさせない。Menuetの再現部で、後半の最後に近い部分のフェルマータのT24個所。ここではvn.の即興が入っている。ホグウッドは、ここまでの即興はなかったと思う。
Finaleは調性の異なった単一主題の変奏曲と私は解釈している。単一の主題が、流れるように、飽きさせないで行くかがポイントになると思う。各パート、特に弦のvc.が、bass.と分離して、細かく支えているところなどは、じっくり聴いてみるとよく分かる。」このため飽きさせない。演奏スタイルは、ホグウッドに類似しているかもしれない。ホグウッド以上にテンポと強弱を微妙に変えているところは、独自のスタイルと思った。少しこの音源に慣れないと、この曲の良さが分からないかもしれない。元々、この曲のランクはBとしてが、この演奏でも評価はこのままとしたい。 |
2019年5月2日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 78番を聴取。一般にハイドンの短調の交響曲は対位法の箇所が多く、休符を適宜活用している。No.76-7は長調の曲で、流れるような雰囲気もある。この2曲とは対照的な点もあるが。同じ調性で疾風怒濤期のNo.52は、fl.を欠いている。Finaleも短調の箇所が多い。それに対してNo.78の方は、後年のNo.95と同様にfl.が入り長調の箇所も多い。Finaleの最後も長調で締めくくる。同じ指揮者と奏者で作曲順から聴き通していることもあり、過去の同じ調性の交響曲とも比較する面白さがある。No.52では低弦のvc.とbass.の分離について効果的と記載をした。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1142.html
この効果的なコメントは、この交響曲に限らずNo.76-77にもある。No.78にも当てはまる。No.76-77ほど低弦の分離の箇所は余りない。しかし過去の手法と同様に弱音の部分を中心に、vc.の高音域の音色をTuittiとは対比させているのが効果的。Finaleの下記のt96-97の箇所など。
No.52はFinaleに進むに従い、内周歪のためか次第にレンジ狭く、歪が大きくなる点を記載した。一方、こちらの方は録音は良好。ここまで聴き通していく中、録音による影響はもちろん大きいと思う。Soloの箇所で音源の不安定、違和感などがなければ、緩叙楽章の微妙なニュアンスなどがメルツェンドルファーの特徴だと思っている。 |
2023年11月4日 78番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。No.76、No.77と比較して、強弱の音量の差の箇所がやや少ないような曲なのか? 音量のレンジを生かした特徴は、No.78の方は余り目立たないと感じる。
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2024年1月8オルフェウズ室内管弦楽団 No.78を聴取。No.45から引き続く。疾風怒涛期の頃の作曲スタイルと異なるので、楽器の音色や強弱の対比に加わる。様々な仕掛けは共通するが、ある意味、分かりやすさも表にある。ライナーノート「ハンスギュンタ・、磯山 雅 訳」記載があるが、「美しく華やかでさほど長すぎない」のコメントも記載あり。管楽器の各パートの定位感
割合によくわかる。しかしhr.の音が余り前面に出てこない。第1楽章 T37からの和音も不明瞭。少し前のNo.81も記載たが、vn.は対向配置でない。No.81同様、2つのvn.パート
殆ど同じ音を弾かない。その分、vn.の掛け合うのが不明瞭になる。
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2024年10月14日 78番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取.No.77の方は、レンジの広い録音でも、強弱の対比が少なかった印象を記載した。3曲目のNo.78の方は、調性の関係もあるのか、強弱の対比はNo.76と同様によくわかる。C-molの調性は、この後の作品はNo.95のみ。過去の作品のc-molはNo.52のみ。107曲の中で3曲しかない。No.52は疾風怒涛期の一つ。ライナーノートの中では英文で冒頭の第1楽章の動機はモーツァルトのピアノ協奏曲 の同じ調性のK491との類似性の指摘がある。ハイドン106の交響曲を聴く の中でもモーツァルトはNo.78の筆写譜を所有していたと記述がある。確かに雰囲気は似ているようであるが、私にはNo.44の方が、むしろ似ていると感じる。
第1楽章 提示部 T37の部分。(下記のオルフェウスのレビューに譜例あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3272.html
オルフェウスのレビューではhr.の和音が目立たない。クランプの場合も同様。前任者のファイは要所でhr.を強調させていたのと対照的。2024年10月14日 78番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取.No.77の方は、レンジの広い録音でも、強弱の対比が少なかった印象を記載した。3曲目のNo.78の方は、調性の関係もあるのか、強弱の対比はNo.76と同様によくわかる。C-molの調性は、この後の作品はNo.95のみ。過去の作品のc-molはNo.52のみ。107曲の中で3曲しかない。No.52は疾風怒涛期の一つ。ライナーノートの中では英文で冒頭の第1楽章の動機はモーツァルトのピアノ協奏曲 の同じ調性のK491との類似性の指摘がある。ハイドン106の交響曲を聴く の中でもモーツァルトはNo.78の筆写譜を所有していたと記述がある。確かに雰囲気は似ているようであるが、私にはNo.44の方が、むしろ似ていると感じる。
第1楽章 提示部 T37の部分。(下記のオルフェウスのレビューに譜例あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3272.html
オルフェウスのレビューではhr.の和音が目立たない。クランプの場合も同様。前任者のファイは要所でhr.を強調させていたのと対照的。
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