2025年5月24日 鈴木秀美 OLC 75番 を聴取。CDは既に約1か月前に購入すみで、数回、聴取済。このCDはNo.75の前に ヴァンハル e-mol の交響曲。No.75の後、モーツァルトの k504 D-durが収録されている。1枚のCDの中でハイドンは真ん中のNo.75のみ。ハイドンの交響曲を中心にレビューをすると1曲のみ。最後の曲はモーツァルトになる。1曲目の楽器編成は .ヴァンハルは 打楽器群は含まず。2曲目と3曲目は同じ調性で打楽器群は入る。ライナーノートにも記載がされているが、3曲目は弦楽器のパートが全て1名ずつ追加となる。ライヴ録音ということもあり、メインはモーツァルトの交響曲に持ってきている雰囲気。

No.75の第1楽章の序奏は、恐らくハイドンの交響曲では最も遅いテンポの Glave。序奏の後に、提示部、展開部、再現部は繰り返しになっているが、この序奏は繰り返しがないので、注意深く聴取する必要がある。 T15からのvc.とbass.の分離も、右側の低弦がそれぞれ分かれて配置されている。bass.の持続音がよくわかる。ライナーノートの写真を見ても、中央のやや右側のvc.の間に第1vn.の奏者が1名、間に入っている。ただし、ライナーノートの写真は、vn.の各奏者が5名。ヴァンハルとハイドンは各4名の演奏だったので、この間の奏者がいなかった可能性もある。(k504でbass.を除いた1名ずつの追加で入った奏者が、どの位置になるのかは、写真でしかデータがないので分からない。この当たりは、実際に観客として当日、見ることに意義があると思う。どの指揮者にも共通していると思うが、Grave の遅いテンポと 速いPreuto のテンポの対比をどのように演奏するかがポイント。例によって、鈴木の場合も速いテンポとの対比は印象的。

No.75は、昔から好きな曲のひとつ。ライナーノートにも記載があるが、少なくとも表向きではエステルハーズィに留められていた時代の最後の交響曲となる。スコアを概観するに、60番代の頃のオペラ時代とパリセット頃の以降の間に位置をする。No.67のように、弦楽器の特殊な奏法などは登場しないが、初期からの様にsolo の箇所も随所にある。第2楽章はNo.88に類似しているような動機。だがNo.88と比較するとやや冗長になるような箇所があると私には感じる。作曲年代からして、過渡期の様な雰囲気からも頷ける。
CDを通して聴取すると、No.75はモーツァルトのK504より前になる。解説文にも記載されているが、K504の曲の成立や作曲年代の流れなどもあり、No.75がプラハの初演などを含む関連を含めて、曲目が選択されているようだ。なお3曲を通して聴取すると、bass.を除く弦楽器のパートが1名ずつ増えただけなのに、K504のオケの音量の厚みがあるのがよくわかる。ライナーノートには記載がなかったが、No.75の第1主題は、モーツァルトも書き留めている。またK425のように類似している箇所も多い。
No.75のFinaleで最後の部分はD‐Durの和音で終わる。K504の序奏の最初は同じD-durの和音。No.75は 管楽器のfl.とvn.は高い D 音になっている。それに対して、K504の序奏の最初の和音は同じtuittiでも低い方のD音。単純に比較すると、高い音の方が聴覚的には大きく聞こえると思う。しかし圧倒的にK504の方が、音が大きく迫力がある。アンプの音量は変えていない。実際に指揮者の判断で、序奏の出だしの音量を大きくしたのか? 序奏から主部に入っても、レンジの広い録音とも相まって迫力のある音量が続いている。CDの編集で多少、K504の音量レベルを少しあげたのか? ライヴ録音なので敢えて録音レベルを調整しないのが自然な解釈と思う。もちろん同じ会場で同じ奏者。ライナーノート 飯森豊水の「あとがき」の部分で「K504は、響きは厚みを増し、強弱の幅も広まって、従来の演奏会より華やかで力強い印象を与えることになった」と記載がある。この表現は的を得ていると思う。
CDを通して聴くと、プラハのキーワードを元にボヘミヤ地方の作曲家の ヴァンハルとの関係。ヴァンハルの交響曲にも、ハイドンなどが随所で引用しているシンコペーションにリズム。第1楽章の下行2度の8分音符の動機はモーツァルトNo.40の第1楽章の第1主題にも類似。K501の第1楽章の対旋律がシンコペーションの動機。第1曲目と第1曲目は調性こそ異なるが、類似点を持つ。このような仕掛けを指揮者は楽しんでいるような選曲だと私は思う。No.75を最後に持ってこない分、メインはモーツァルトとなっているのは、ある意味、指揮者のコンセプトでもあると感じた。
(2025年5月26日追記 タグとして2025年5月24日 とする)
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