音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.77 hob-No.75   
2025年5月25日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
77 75 1780 D 4 -  -  - - (1) B 第1楽章でのテンポの速い爽快感の流れ
       1 D GraveーPresto
       2 G Poco adagio(Andante con variazioni
       3 D Menuet&trio、allegretto
4 D Finale、vivace
序奏のGraveと主部のPrestoの対比が印象的。序奏はかなり長く、主調から短調にも移る。第1主題は モーツァルトのオペラ序曲の主題にも類似。フィッシャー盤は、Prestoのテンポを忠実に守り、休止が少なく流れるような雰囲気を保っている。展開部は2つの主題を扱う。それに対して、再現部は第1主題の再現と経過部をを扱い第2主題の再現がない。その分、展開部から駆け抜ける様に一気に終わる。Prestoのテンポを生かした爽快感が特長。
 第2楽章は一つの主題による4つの変奏曲。変奏は調性の変化は余りないが、テンポは、妙に変わり、2つの vn.、vc.のsoloがある。最後の第4変奏は、vn.の細かい動きに合わせてcodaが付く。Finaleは第1楽章と違って、少しゆったりとしたテンポ。ロンド形式で対位法はもちろん、管楽器との掛け合いなどが随所にあり、流れる様な明るく軽快な雰囲気。
 調性こそ違うが、序奏のダイナミックさ(転調、強弱、テンポ)や、第1楽章の駆け抜ける雰囲気などは、 モーツァルトのリンツ交響曲(第1楽章の序奏とfinale)に類似。 モーツァルトが逆に、この交響曲を手本としたのかもしれない。この後に続くパリ交響曲シリーズに次ぐものとして、十分に推薦できるレベル。
2013年12月22日追記。 井上著 ハイドン 交響曲では、この曲は、かなり高い評価をしているかも。ベートーベンやモーツァルトよりも低く評価をしている人に、まずは聴いてもらいたい曲として掲載。また、モーツァルトは、この第1楽章の主題を記録していると記載があった。実際、70番代の曲は、優劣をつけにくいものが多い。私としては一番に推薦したい。
 ドラティ盤は例によって、soloの部分が少ない。第1楽章のテンポは、PrestoよりもAlleglolに近い感じ。フィッシャーの様に駆け抜けてしまうことがなく、逆に細かい音までじっくり聴かせてくれる。終わった後の爽快感はフィッシャーほどはない。しかし初めて聴く場合は、曲の流れについて行きにくいと思う。ドラティ盤とフィッシャーの両者を推薦したい。
2013年12月22日 デイビス盤を聴取。テンポは概して遅めだが、この曲もその典型的な例。最初のgraveの最も遅いテンポの指定だが、この演奏では、かなり速め。一方、主部に入るとPestoの指示よりも遅め。このため、序奏から主部へのへのテンポの対比が明確でない。再現部では、かなり圧縮されて一気のこの楽章が終わる。この駆け抜ける雰囲気が感じられず。フィッシャー盤を推薦。
2016年4月9日 ホグウッドNo.75を聴取。No.74から少し間が開くが改めて、No.74との違いが、く分かる。交響曲の聞き始めた当初は、No.74よりのNo.75のほうが、好みに合っていた。しかしNo.74の意外な、通好みの個所を発見するに伴い、逆に意外な発見が、No.75の方は、ない印象。第1楽章の序奏のGlaveは、ハイドンの交響曲では唯一の指示だと思う、もっとも遅いテンポ。確かにどの指揮者も、このGlaveの遅いテンポを忠実に守りT24からのPrestoの主部との対比がすばらしい。ホグウッドも同様。

弦での細かい音の分離が特徴であるが、この曲では、第3楽章の ManuetのT2でbass.の部分。ここではbass.は他の楽器とは異なりf 指定でドローン風の持続音がある。今までの演奏では、この部分が余り分からなかった。ホグウッドでは、この部分が鮮明に聴こえる。
 意外な発見が少ないと思う原因の一つには、繰り返しの個所が多いからかも。第2、第4楽章は、両者とも変奏曲。殆ど繰り返しを採用。ホグウッドは繰り返しを忠実に守っている。調性こそ違うが、No.64の第2楽章と比較していみると良い。No.75よりも 約8年前の作曲であるが、作風スタイルが全く異なる。No.64は繰り返しは採用せず。大衆向けの分かりやすさは余りなく通好みのような楽章。テンポの変化、強弱、転調などは、No.75と異なりいかにも通好み。
2017年11月5日 T ファイ No.75を聴取。通好みの作品と自分なりに評価をしていたが、最初に一度聞いただけでは、この曲のよさは分かり難いと思う。初演当時は録音機材がないので、聴衆は実演あるいは楽譜でこの醍醐味を知るしかなかった。井上著にも、ロンドンのコンサートプログラムで取り上げていたひとつと記載がされている。プログムに上がる以上、当時から人気にある曲だったに違いない。

 第1楽章の序奏から、ハイドンの交響曲で唯一?のGraveという最も遅いテンポで始まる、ファイの演奏はそれほど遅いテンポではない。しかしその後、主部に入ってからのPrestoの主題は、かなり速い。この曲は通好みと記載をしたが、第1主題の対旋律ひとつをとっても変化に富む。T25からの第1主題だけでなく、第2vn.va.vc.の8分い音符の刻む様な旋律も大切。T25では得てして第1vn.の旋律ばかりが目立ってしまうが、他のパートのリズムでせわしいような雰囲気を支えている。(再現部のt145からの部分では、第1主題は対旋律がないので柔らかい雰囲気を出している)ファイの演奏では、第1vn.だけでなく他のパートもしっかり目立たせる。その後の16分音符の速い動機やT45からの3連符のリズムなど多彩に展開する。(ただしT45のリズムは、展開部、再現部では登場しないのが残念)強弱の対比も聴き所のひとつ。ワンテンポ遅れてfl.が入ってくる部分も見逃せない。

展開部の後半のT104の部分。第1vn.が16分音符の動機(第2主題の一部)を展開する箇所。展開部でも第2主題が扱われるところで、この部分の対比がファイの演奏でも特徴的。まるでベートーベンの第3番交響曲を予兆させるような印象。
. 第2楽章は、繰り返しを忠実に採用するが、繰り返しの後半は装飾や即興を加えている。またpの部分では必要に応じて、スコアにはないsoloの扱いなどもあり。 Finaleでは終わる直前にテンポを次第に落として、最後に一気に終わる部分などは痛快。
 全体的に繰り返しの部分ではtimp.の即興を含む、繰り返しでの聴き飽きさせないのは、過去にも何度もあった。この曲では、初期から中期にかけての時期に関して、集大成をしたような結果だと思う。井上著にも、ハイドンをモーツアルトやベートーベンよりも低く評価する人に、まずは聞いて欲しい曲だと記述してあった。確かにハイドンの中でも、とてもランクは高い曲で、低く評価する人にも聞いてもらいたい。しかし1度聞いただけでは、この曲はなかなか分かり難い。特徴のあるファイで演奏では、なおさらだ。
2019年4月29日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 75番を聴取。録音機能のない当時の聴衆は、作曲者からの意図を知るには、出版されたスコアや生演奏を聞くしか手段はなかった。演奏会でこの曲を実際に聴いた場合、分かりやすい曲のひとつかもしれない。各パートの微妙な旋律、音色や強弱の対比など様々な面白さがハイドンの曲にはある。この曲もそのひとつで、一度、聴いただけではこれらの醍醐味がわかり難い。 T ファイの演奏で、リズムや音色、強弱の対比などを旨く引き出せた好演を過去にアップした。(譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-816.html


 メルツェンドルファーの場合は、冒頭の序奏から録音の点で、No.74と同様にレンジが狭く、ノイズが多い点が不利になる。これはLP特有のスクラッチノイズが中心だと思うが、左右に均等ではなく、主に右側の方が大きいので左右のバランスが悪い。序奏の弱奏の部分などは特に目立つ。
展開部後半のT104の部分。 T ファイ では第1vn.が p で16分音符の動機(第2主題の一部)の強弱の対比を旨く表現していると記載をした。こちらの場合は、レンジが狭い分、対比が分かりにくい。
第2楽章は弦楽器のみで弱奏が中心となるが、他の楽章と同様に、弦楽器を含むsolo の箇所も多い。冒頭からの録音がよくないのは同様。第3変奏で第2vn.vc.のsoloが入る。Solo以外の他のパートはピチカートの伴奏に回る。この部分が極端にレンジが大きく変わり、soloから発生する音芸のいちが不自然。本来、第1と2vn.のsolや、やや中央寄りに多少お互いに離れいるのが理想である。しかしこの部分、第1vn.が右側の端に位置し、伴奏となる、2つのvn.パートの音源も不明確。続く第3楽章 Menuet Trioの部分で、第1vn.とfl.のsoloがそれぞれある。この部分でのvn.のsoloは、それほど違和感がない。演奏箇所で録音が極端に変化してしまう。過去に聴取したNo.6〜8シリーズと同じ現象。録音の点で大きくマイナスとなってしまう曲のひとつ。
 
2019年8月9日 75番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。No.74から引き続いて聴取。No.40と同様に、Tファイの独特の解釈で、改めてこの曲も見直した経緯がある。(下記のブログを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-816.html

ハイドンで唯一?のもっとも遅いテンポの指示のGrave。この後の第1主題のテンポの速さの対比が聴き所のひとつ。ブリュールの場合は、冒頭から序奏のテンポは少し速め。一方、T24からの主部のテンポは少し遅め。このためテンポの対比が少ない。
 第2楽章も概してテンポは遅め。第2変奏のT37で、Tuittiで冒頭所なるリズムからスタートする。第2楽章の冒頭から、ったりと穏やかな気分から対照的になる部分。ここでは多くの指揮者が、f の指示を受けて、音量と音色の対比を生かしたTuittiになることが多い。しかしブリュールの場合は、あくまで柔らかく演奏。
 2019年12月30日 75番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。打楽器群が入る版もあるようだがグッドマンの演奏では入っていない。ライナーノートにも記載してあったがグッドマン自身、作曲した後に加筆された打楽器群は採用しないと記載している。
打楽器群が入らない場合、冒頭から始まって序奏のT10の部分。Tuittiでは通常は打楽器が入る迫力がある。ここでは入らない分、いささか力不足の雰囲気の印象。しかし曲全体を通して、どちらかといえばNo.75と同様に、柔らかい雰囲気で終始し強弱と音色の対比を重視。打楽器群はあくまで「強」の部分の補強的な役割のみ。この曲はザロモンによるロンドンコンサートでも上演されたので、この時に追加で打楽器が加わったのかもしれない。
 第2楽章の終わりの方の第4変奏。第3変奏は各パートはsoloだった。これに引き続いて第4変奏はsoloではない。しかし音量は全体的に控えめ。控えめな中でもさらに、32分音符の第2vn.の流れる旋律は音量をかなり落とす。その分、第1vn.以上にob.が主旋律を目立たせている微妙な匙加減など心憎い。
初演当初は打楽器群がないと思う。グッドマンの演奏を聞いてみて打楽器がない分、各パートの微妙な掛け合いがよく分かる。特に緩徐楽章が特徴的。No.73、74、75の3曲を通して聞いてきた中、緩徐楽章の微妙な表現が印象に残った。最近、聴取しているアントニーニのシリーズは全曲の録音を目指し、1枚のCDに対してテーマを持ち他の作曲家の作品も加えるなどユニークな企画。
グッドマンの場合は、1枚のCDのボーボーケン番号に準じて選曲している。作曲年代がその分、近接していることが多い。同じ頃の作曲年代で曲ごとに微妙な違いが、このCDを通してよく分かった。全曲の録音を期待したいが難しいと思う。


(タグとして2019年12月30日とする)
(2024年5月17日追記 タグとして2024年5月17日 2  とする)
 

2025524日 鈴木秀美 OLC 75番 を聴取。CDは既に約1か月前に購入すみで、数回、聴取済。このCDNo.75の前に  ヴァンハル  e-mol の交響曲。No.75の後、モーツァルトの k504 D-durが収録されている。1枚のCDの中でハイドンは真ん中のNo.75のみ。ハイドンの交響曲を中心にレビューをすると1曲のみ。最後の曲はモーツァルトになる。1曲目の楽器編成は .ヴァンハルは 打楽器群は含まず。2曲目と3曲目は同じ調性で打楽器群は入る。ライナーノートにも記載がされているが、3曲目は弦楽器のパートが全て1名ずつ追加となる。ライヴ録音ということもあり、メインはモーツァルトの交響曲に持ってきている雰囲気。

No.75の第1楽章の序奏は、恐らくハイドンの交響曲では最も遅いテンポの Glave。序奏の後に、提示部、展開部、再現部は繰り返しになっているが、この序奏は繰り返しがないので、注意深く聴取する必要がある。 T15からのvc.bass.の分離も、右側の低弦がそれぞれ分かれて配置されている。bass.の持続音がよくわかる。ライナーノートの写真を見ても、中央のやや右側のvc.の間に第1vn.の奏者が1名、間に入っている。ただし、ライナーノートの写真は、vn.の各奏者が5名。ヴァンハルとハイドンは各4名の演奏だったので、この間の奏者がいなかった可能性もある。(k504bass.を除いた1名ずつの追加で入った奏者が、どの位置になるのかは、写真でしかデータがないので分からない。この当たりは、実際に観客として当日、見ることに意義があると思う。どの指揮者にも共通していると思うが、Grave の遅いテンポと 速いPreuto のテンポの対比をどのように演奏するかがポイント。例によって、鈴木の場合も速いテンポとの対比は印象的。

No.75は、昔から好きな曲のひとつ。ライナーノートにも記載があるが、少なくとも表向きではエステルハーズィに留められていた時代の最後の交響曲となる。スコアを概観するに、60番代の頃のオペラ時代とパリセット頃の以降の間に位置をする。No.67のように、弦楽器の特殊な奏法などは登場しないが、初期からの様にsolo の箇所も随所にある。第2楽章はNo.88に類似しているような動機。だがNo.88と比較するとやや冗長になるような箇所があると私には感じる。作曲年代からして、過渡期の様な雰囲気からも頷ける。

 

  

CDを通して聴取すると、No.75はモーツァルトのK504より前になる。解説文にも記載されているが、K504の曲の成立や作曲年代の流れなどもあり、No.75がプラハの初演などを含む関連を含めて、曲目が選択されているようだ。なお3曲を通して聴取すると、bass.を除く弦楽器のパートが1名ずつ増えただけなのに、K504のオケの音量の厚みがあるのがよくわかる。ライナーノートには記載がなかったが、No.75の第1主題は、モーツァルトも書き留めている。またK425のように類似している箇所も多い。

No.75Finaleで最後の部分はDDurの和音で終わる。K504の序奏の最初は同じD-durの和音。No.75は 管楽器のfl.vn.は高い D 音になっている。それに対して、K504の序奏の最初の和音は同じtuittiでも低い方のD音。単純に比較すると、高い音の方が聴覚的には大きく聞こえると思う。しかし圧倒的にK504の方が、音が大きく迫力がある。アンプの音量は変えていない。実際に指揮者の判断で、序奏の出だしの音量を大きくしたのか? 序奏から主部に入っても、レンジの広い録音とも相まって迫力のある音量が続いている。CDの編集で多少、K504の音量レベルを少しあげたのか? ライヴ録音なので敢えて録音レベルを調整しないのが自然な解釈と思う。もちろん同じ会場で同じ奏者。ライナーノート 飯森豊水の「あとがき」の部分で「K504は、響きは厚みを増し、強弱の幅も広まって、従来の演奏会より華やかで力強い印象を与えることになった」と記載がある。この表現は的を得ていると思う。

CDを通して聴くと、プラハのキーワードを元にボヘミヤ地方の作曲家の ヴァンハルとの関係。ヴァンハルの交響曲にも、ハイドンなどが随所で引用しているシンコペーションにリズム。第1楽章の下行2度の8分音符の動機はモーツァルトNo.40の第1楽章の第1主題にも類似。K501の第1楽章の対旋律がシンコペーションの動機。第1曲目と第1曲目は調性こそ異なるが、類似点を持つ。このような仕掛けを指揮者は楽しんでいるような選曲だと私は思う。No.75を最後に持ってこない分、メインはモーツァルトとなっているのは、ある意味、指揮者のコンセプトでもあると感じた。

(2025年5月26日追記 タグとして2025年5月24日  とする)