通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
76 |
74 |
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1780 |
Es |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
休止と音色の変化を重視。Finaleの流れるような印象と対照的。 |
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1 |
Es |
Vivacs assai |
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2 |
B |
Adagio cantabile |
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3 |
Es |
Menuet&trio、allegretto |
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4 |
Es |
Finale、Alleglo assai |
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2013年12月17日 デイビス盤を聴取。第1楽章の展開部が、かなり長いと思ってスコアをチェック。提示部65小節に対して、展開部が61小節とほぼ同じ。休止が小美第1楽章だと記載をしたが、再現部の直前などに、微妙な転調が続くなど、じっくりとスコアを見ると、思わぬ仕掛けがある箇所が多い。爽快に流れるフィッシャー盤を勧める。 |
2016年4月2日 ホグウッドNo.74を聴取。演奏会でも余り取り上げられないと思う曲の一つ。過去の聴取記録でも「通好みで意外な発見のあるのが特徴」と記載をした。第1楽章は、強弱、休止符、各パートの旋律の受け渡しなど、様々な仕掛けがある。T3からのbass.と分離しvc.が単独で登場する箇所。だいぶ前のhob-No.-42の第1楽章にも同じような仕掛けがある。調はお互いに異なるが、vc.の扱い方などは共通点がある。
No.42の方は、強弱や各パートの旋律の受け渡しなどは、同じ楽器編成でもNo.74に類似をしている部分が多い。しかしNo.72の方が、冒頭主題だけでなく、32音符から全音符までの様々な長さを伴った、細かい旋律がいたるところに登場する。しかもこれらの旋律が、長い展開部で自在に動く。年代を経るに従って、作曲スタイルが変わっていくことが分かる例。
ホグウッドでは、このvc.を含めた弦の各パートの動きがよく分かる。一度聴いただけでは、このvc.を含めた各パートの動きが分かり難い。展開部から再現部の後半部分も忠実に繰り返すことで再度、聴取者には、落ちのないように聞かせてくれる。打楽器群が入っていない曲だが、改めて、通好みの演奏を堪能できると思った。 |
2019年4月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 74番を聴取。緩叙楽章を中心に録音が全体的に悪い。レンジが狭く、管楽器が強調され過ぎ。スクラッチノイズが一定のリズムで入り(丁度LPの回転数に合わせている周期)、左右の音のふらつきみ時折入る。録音がかなり悪い方の印象が先行し、演奏としての評価は余りない。(ひとつ前のNo.73では管楽器と弦楽器とバランスが比較的良かったのと対照的) |
2019年8月8日 74番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。井上著 ハイドン 106の交響曲を聴く」の中でこの曲は絶妙なオーケルトレションが伺える傑作と記述がある。ブリュールの演奏で、残りを聴いていく中で、No.40からの続きになる。作曲年代では、かなり間が空くことやfl.が入ることもあり、No.40から通して聴くと、オーケストレーションの絶妙さは、確かにNo.40と比較すると差があるのはわかる。
しかし、この後の交響曲と比較して同じ旋律や雰囲気が続く箇所が多く、自分なりには、少し冗長な点が耳に付く。このため、曲自体のランクも高く上げていなかった。流れを重視し、テンポの変化が余りない。このためさらに、この冗長な点が目立ってくる。ブリュールの場合は、概して少し遅めのテンポ。これも相まって特徴は余り見出せない。
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2019年12月29日 74番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。このCDは73.74.75の3曲がセットとなっている。作曲年代も近接しているが、それぞれに個性があるように思える。一つ前のNo.73は、打楽器群は入らないが、弦の特殊奏法を生かした独特な解釈。 No.75はこの後になるとして、No.74の方の特徴は? No.73から引き続くと、No.60番台の頃に少し戻るような雰囲気。打楽器群は入らないのは共通。形式や旋律は比較的保守的。それに対して、楽器を変えることによる音色の変化などを重視している雰囲気。
第1楽章にも随所で短い旋律や動機をが各パートに受け渡しながら、音色や強弱に微妙な変化を加えている。第2楽章の冒頭も同様。冒頭の弱音器のvn.を生かした微妙な音色。スコアではvc.のsoloしか記載していない。ここでは指揮者自身がcmb.のストップ音?の効果で寄り添っている雰囲気。vn.(第2vn.のみも含む)、低弦、弦楽器、管楽器のsoloなど各パートの受け渡しの箇所が多い。奏者が少ない分、細かいところまで聞ける。
Finaleはこの後の作曲になるNo.91にも少し似た雰囲気。しかしこちらの方が各パートの受け渡す箇所が多く、室内楽的な雰囲気。もともとこの曲自体が大人数の奏者で想定したいないと思う。グッドマンはこの特徴を生かしていると思った。 |
2024年10月9日 74番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。クランプの演奏に関して、録音のレンジの広さがある。強弱の音量の対比がレンジに関連する。第1楽章の提示部は64小節ある。2つの主題の調性や音量の対比がある中、推移、経過的な部分も含めて音量の対比で多くの箇所がある。レンジが広い録音の演奏でないと、この当たりが分かり難い。(かつてのLP起こしのメルツェルドルファーのレビューがその例のひとつ。下記のアドレス)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2565.html
No.66にも共通するかもしれないが、スタッカートとスラーの対比も印象的。No.66の場合は1小節単位だったが、T62,63では、1小節の中でも全てのパートがユニゾンでスラーとスタッカートの2つが混在。この当たりのひとつをとっても絶妙なオーケストレーションであるとこがスコアを見ても分かる。
しかし逆に、この絶妙なオーケストレーションは、当時の聴衆にとっては難易度が高かったかもしれない。初期や中期の頃の様なsoloの箇所は殆どないが、音量の強弱、同じ旋律でも弦楽器、菅楽器を組み合わせることで音色の変化。さらに頻繁な転調。再生装置のない当時、初演あるいは、再演でこの曲を聴いた場合、手持ちにスコアもない。ある意味、曲を聴くことが初めての体験となる。初めての体験でこのようなオーケストレーションのある曲を聴いた場合、曲自体の印象はNo.71と同様に曲としての印象が伝わり難いと思った。No.71と同様に、人気の少ない曲の一つになったと思う。
また、全体を通して聴くと、しゃれた雰囲気は根底にありながらも、やや冗長的になる箇所があると思う。(特に第2楽章)No.92の緩徐楽章と比較するとこの当たりはよくわかる。No.92は、演奏時間はそれほど長くはない。しかしやや執拗な雰囲気の旋律などは殆ど皆無と思うのとは対照的。
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