音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.75 hob-No.73 
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
75 73 La chasse 1779 4 -  -  - - (1) A 管の役割が上がり、後期につながる明るいFinale。
       1 AdagioーAlleglo
       2 Andante
       3 Menuet&trio、allegretto
4 La Chasse、Presto
序奏を伴うが、最初の部分から弦のピチカートを伴う。この交響曲からの初めての手法かもしれない。ちょうどベートーベンのNo.1交響曲の第1楽章に類似。序奏は主部とは直接関係はないようだが、主調を確保しながらも、微妙に単調にも転ずる。提示部の第2主題は、第1主題と類似している。展開部は、両主題、経過部動機等が多彩に扱われる。再現部では、展開部では余り扱われなかった第2主題が、旋律と音色を変えて登場。この手法は、今後も多用される。フィッシャー盤では、展開部以降にhr.がかなり強調されて演奏されているが聴いてみて、ダイナミックな雰囲気に寄与している。
 Andanteの変奏曲は、主題は親しみやすく、各楽器を含めて展開。Menuetでは、soloの扱いが目立つ。trioは木管アンサンブルが主体となるが、fgが、かなりの旋律を担う。
 Finaleは、通称名の由来となった「狩」の主題。通称名は作曲者自身が付けている。オペラ「報いられたまこと」j序曲からの転用。狩風の主題が、hr.とob.で提示。hr.は2本であるがフィッシャー盤では、かなりの音量でhr.を際立たせる。編成は第4楽章のみtrp.とtimp.が加わる。かなり長いcodaが続くが消えるように終わるのは意外。
 名曲解説全集では、No.63以降で久々に登場。これによると、1781年はロシア四重奏曲を完成させた年にあり、古典派ソナタ形式を樹立した記念すべき年に当たる。この交響曲も節目に当たると記載してある。実際、今まで聴いて来た中での総決算と一区切りがある。No.53頃を転機として、さらに飛躍をした感じ。フィッシャー盤では初期の頃からhr.を中心に、特定の楽器を際立たせていて、小編成ながらの強奏でのダイナミックさが、曲によっては聴かれる。しばらくこの様な雰囲気の曲や演奏が途切れていたが、久々登場した感じ。
 ドラティは編成が大きく、soloの箇所が少ない。特に、第1楽章の展開部から再現部にかけてのhr.の扱いは余り目立たない。1-3楽章とから第4楽章で楽器編成が加わった差も余り聞き取れない。このためフィッシャー盤を断然推したい。なお、ドラティ盤は第1楽章の展開部と提示部を繰り返しているのでフィッシャーよりも演奏時間が長くなっている.(10:03と6:57)

(2010年1月3日追記 タグとして2010年2月5日とする)
 2010年(平成22年)1月9日  NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 20」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中で、Alleglo 第1主題が モーツァルトやベートーベンの印象的な主題の、先駆けになった点について、触れている。同じ旋律を各楽器が変えながら進行していく点で、斬新さがある点は合点が行く。Allegloは比較的速いテンポ。展開部と再現部の繰り返しがドラティ盤と同様にあるが、演奏時間は比較的短い。注目のFinaleは、hr.が余り目立たない。新たに、timp.とtrp.も加わるが、やや迫力不足。経過部を中心としたテンポの微妙な変化は面白い。楽器の配置は、通常に聴かれる様に、第2vn.は左側に位置する。やはりフィッシャーを取りたい。
 2010年(平成22年)1月9日  NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 20」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中で、Alleglo 第1主題が モーツァルトやベートーベンの印象的な主題の、先駆けになった点について、触れている。同じ旋律を各楽器が変えながら進行していく点で、斬新さがある点は合点が行く。Allegloは比較的速いテンポ。展開部と再現部の繰り返しがドラティ盤と同様にあるが、演奏時間は比較的短い。注目のFinaleは、hr.が余り目立たない。新たに、timp.とtrp.も加わるが、やや迫力不足。経過部を中心としたテンポの微妙な変化は面白い。楽器の配置は、通常に聴かれる様に、第2vn.は左側に位置する。やはりフィッシャーを取りたい。
 2010年(平成22年)1月9日  NHK FM番組 「吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 No. 20」の番組で、オルフェウス室内管絃楽団の演奏を聴取。聴取に先立ち、この曲の紹介の中で、Alleglo 第1主題が モーツァルトやベートーベンの印象的な主題の、先駆けになった点について、触れている。同じ旋律を各楽器が変えながら進行していく点で、斬新さがある点は合点が行く。Allegloは比較的速いテンポ。展開部と再現部の繰り返しがドラティ盤と同様にあるが、演奏時間は比較的短い。注目のFinaleは、hr.が余り目立たない。新たに、timp.とtrp.も加わるが、やや迫力不足。経過部を中心としたテンポの微妙な変化は面白い。楽器の配置は、通常に聴かれる様に、第2vn.は左側に位置する。やはりフィッシャーを取りたい。
 2014年1月3日 デイビス盤を聴取。cmb.が元々入っているが、緩徐楽章では後期の交響曲では装飾が比較的、目立たなかったのが、ここでは割合に引き立つ。各パートが鮮明に聴きやすいが、ここでも、vc.を中心に、細かいところが聴き所。しかしながらテンポが比較的ゆっくり目で、テンポの変化が比較的少ない。終楽章のhr.も、やや迫力に欠けている。しかしその分、思ったよりテンポと強弱に差を付けている。ライブ録音のためかFinaleの繰り返しを懸念したのか、終わった直後、聴衆の拍手が直ぐに入らず。No.71や、No.76〜78と同様に、テンポを速めてフィッシャー盤を薦める。
 2016年3月16日 ホグウッドNo.73を聴取。第3楽章 Menutet のテンポは、やや遅めで、pの個所が多い。Finaleに続く直前も、p で終わるようだ。それに対してFinaleは、冒頭からTuttiでfから始まる。ホグウッドは、trp.とTimp.は使用せず、この音色が対照的。(楽章と楽章との間が、少し間があるようだ) Finale展開部のT148-156 三連符の16分音符で弦のTuttiの個所。次第にT157からは弦の全てのパートで32分音符。その後、T161からは、64分音符でエネルギッシュに進む部分が一番の聴き所。ホグウッドでは、編成は少ないが、この部分は打楽器群がなくても違和感なし。最後は消えるように終わるので、聴き応えのあるFinaleの中で、編成が少ない中の特徴をよく表現している。
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 2017年10月22日 T ファイ No.73を聴取。第1楽章 序奏 Adagioのテンポは、今まで聴いてきた演奏では一番遅い。序奏だけでなくこの後に続く部分とも共通するが、スッタカートとスッタカートでない部分を忠実に分けている。序奏は一度聴いただけでは余り特徴がないと思われる。しかし何度か聞いてみると、この8分音符の動機は提示部でも使用されていて共通点がある。(たとえば後述のT47のva.の箇所など)
名曲解説全集にも記述がされているが、T26から始まる第1主題は主張D-durの下属和音から開始される斬新的な試み。展開部で第2主題は扱われない分、再現部では短調を交えて展開されるなど、様々な展開がある。あたかも既に数年先を目指した先取りを行くような雰囲気。T26第1主題のスッタカートは、忠実だが、その後T38 第一vn.の音程こそ違うが同じ動機は、スッタカートでない。T26とT38の主題に違いを明確に対比させている。また、対向配置のvn.も効果的。T26の動機が、第2vn.T27で少し遅れて引いていく部分。8分音符の動機は、いたるところではないが(この当たりは No.88の第1楽章とは対照的)第2主題の共通した動機とも一致しているので重要。第2vn.が左側に位置しているので明確に聴き取れる。ハイドンには珍しく、この楽章ではva.も独自のパートを持っている箇所がある。(va.は左側のやや奥側に位置)
 Finaleは冒頭から打楽器群が突如入るので、演奏を聴いた聴衆はもし初演であったらびっくりしたに違いない。シンコペーションのリズムはハイドンが得意としているが、この楽章でも十分に生かされている。冒頭の8小節からなる最初の主題は、通常の指揮者と同じPrestoのテンポ。一方ファイの演奏は、その後に続く第2主題の同じシンコペーションの第2主題は、テンポをかなり落とす。この対比が印象的。展開部の後半でTuttiで畳み掛けていく盛り上がりはファイでは余り聴かれず。しかし違和感はない。ひとつ前のNo.70と比較して、ファイらしい特徴が良く出ていると思った。
このfinaleはオペラ序曲からの転用であるが、No.53のB版のFinaleにも類似していると思った。シンコペーションなどのリズムはないが、Tuttiで華やかな動機が楽章行き渡っている雰囲気が共通していると思う。しかしNo.73のFinaleは消えるように終わるので、No.53とは対照的。
 ウイーンで最初に出版された最初の交響曲である自身の表れだと、井上著の本にも書いてある。特に第1楽章は、何度聞いても和声に変化があり。聞き飽きさせない。パリセットと同じように、もう少し演奏会でも取り上げてほしい曲のひとつだが。残念ながら、今の時代では機会が少ないようだ。打楽器群は、最後の楽章だけに登場する。オーケストラのフルメンバーは最初から登場しないのも原因のひとつかもしれない。No.88も打楽器群が入るが第2楽章から入ってくる。第1楽章は打楽器群がないのと共通している。No.88も余り取り上げられないのも同様の理由かもしれない。
 2019年4月27日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 73番を聴取。打楽器群は、再度のFinaleのみ登場。第1〜3楽章までは打楽器群は入らない。中期以降の交響曲の典型で、管楽器のsoloも随所にある。最初の3つ楽章では、主に管楽器の中のfl.に力点を置いていると思う。第1楽章のT56の部分。ここでもfl.が第2vn. va.とともに、ユニゾンに近い旋律で吹いている。この部分でもかなりfl.が低音域ではあるが、明白に聴こえている。
 Finale最初から打楽器を含むTuittiで開始する。得てして打楽器を含むエネルギッシュな展開部の盛り上がりを含め、強弱の対比がポイントの一つ。1〜3楽章でfl.についても記述したが。このFinaleでもfl.が活躍する。T29の第2主題の狩の旋律は、hr.とob.のみで、fl.は入らない。それに対してその後に続くT41から、flは第1vn.va.とともにユニゾンでスラーで入っている。第2主題の狩のリズムとは異なり、この箇所は柔らかい雰囲気になるのでfl.の音色は効果的。
 全曲を通して、fl.の柔らかい音色が強弱の対比に合わせて効果的に書かれている。メルツェンドルファーの演奏では、このfl.がob.の奏者2名に対して1名ではあるが、かなりクローズアップされている。しかし初期から中期にかけてのob.の様な、極端なほどではない。
 第1〜3楽章とFinaleとの間で、録音レベルの差が感じる。第3楽章までの同じ音量だと、Finaleでレベルが少し下がってしまう。打楽器群が入ることもあり、少なくとも音量レベルは同じにしてほしい。初めて聴取すると音量の差に違和感がある。音量を上げても、内周歪などは特に問題ない。各楽章での録レベルの点では少し不満。
 2019年6月15日 73番 N マリナー を聴取。名曲の楽しみの番組の中で、第1楽章の第1主題が、同一の動機でありながら、展開していく点はベートベンなどにも通じる点を記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-861.html
元々ハイドンの交響曲は各パートの分離感、定位感、ユニゾン、Tuittiなど、動機を旋律が、展開していく点に面白さの真髄があると思う。必要に応じて、特殊奏法、Tuittiとsoloの対比など視覚効果の高い曲も多い。録音にも左右されることも大きく、ライブで楽しみたい曲もある。マリナーの場合モダン楽器の小編成であるが、1977年の録音でありながらも各パートがかなり鮮明。
 たとえば管楽器のひとつfl.のケース。ザロモンセットでは、全ての曲にfl.が入っているが、この作曲の時期は、全て入っているとは限らない。fl.は、soloの箇所もあれば、弦とのユニゾンの箇所など様々。第1楽章の提示部T57からの部分。ここではfl.が、かなり低い音域で弦と演奏しているが、旋律は類似しているものの音程が異なっている。低音域のfl.も弦に埋もれることなく、鮮明に聴き取れるのはマリナーならではの特徴のひとつだと思った。(最後の交響曲 No.104の第1楽章にも類似箇所がある)
 SoloとTuittiとの対比では、必要に応じて、soloの部分もある。初期、中期の頃は、スコアにはsoloの箇所は明示していると思う。しかしこの頃の時期になると弦のsoloは随所でない箇所が多い。ついつい、そのままsoloの箇所が気にならない部分も多い。しかし第2楽章の中間部T37からの部分。ここでは第1 2 vn.とva.はsoloになっている。その後のT43の部分も同様。強弱に合わせて、適宜、弦でsoloの箇所を適宜、 フィッシャーは採用している。マリナーの場合は、フィッシャーよりも前の録音であるが、同じ解釈かもしれない。
 第2楽章の終わりの方で、弦楽器が音色を変えている。No.97 第2楽章の後半部分で聴こえた、スル・ポンティチェロ(sul ponticello)で引いているかもしれない。スコアには記載していないが効果的。(下記はNo.97に関するブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-953.html

 第3楽章でテンポを比較的落とし、f の箇所も 余り強調しないのは、ホッグウッドにも見られた。マリナーの場合も同様。第4楽章の冒頭から打楽器群がTuittiで派手に入る前の対比として効果的と記載したが、この理由かもしれない。
 元々、この曲は、どの部分をとっても聴き所が多く、ランクが高い曲として記載をしてきた。マリナーの演奏は、過去に聞いて来たNo.73の中でも各パートの対比が目白押し。ザロモンセットの先駆をなす曲でもあり、マリナーの推薦したい曲。
 2019年12月28日 73番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。過去にこの奏者のCDを数枚、聴取してきた。新譜では手に入りにくく中古を探しているが、なかなか集まらない。グッドマンは全集は完結していないが初期から後期まで結構、録音数が多い。古楽器で小編成ながら、録音が鮮明で好みにあっている。今回はNo.73〜75を入手。改めてライナーノートを見てみると古楽器でピッチはA=430。No.1〜92までは、cmb.を指揮しながら演奏。またvn.は左右に分けていたとの解釈。これに基づいて本人はcmb.を受け持ちながら指揮者を兼任。このため録音もcmb.が中央の前の方になっている。ドラティの全集は、cmb.は大半が入っていたが、あくまで各パートの1名として指揮者としては兼任なし。配置は概して右側の奥の方になっている。
これに対してグッドマンの演奏は、中央で明白に位置。しかもbass.パートにとらわれなく、必要に応じて装飾はもちろんbass.とは離れた主旋律も演奏する箇所も多い。各パートの奏者の配置もよく分かる。
No.73は人気のある曲の一つで録音数も多い。大半の録音はFinaleに打楽器群が入ったものが多い。しかしこのCDは打楽器群が最後まで全く入っていない。打楽器群がFinaleで入る演奏のときを考える。 第3楽章のMenuet も、やや柔らかい雰囲気で終わり突如、Tuittiで打楽器を含む音量の大きさに圧倒される。1〜3楽章まで打楽器群は入らないかった分、Finaleの冒頭から全速力という雰囲気。
一方、打楽器群が入らない場合、奏者は同じのため今ひとつの印象かもしれない。このFinaleは展開部と再現部の繰り返しがなく、消えるように終わっている独特な雰囲気の曲でもある。Finaleの独特な構造のため、一番盛り上がるところは展開部の最後にあると思う。グッドマンでは、展開部の最後では打楽器群は入らないが、他の指揮者と同様にエネルギッシュに終わる。興味あるのは、この後の再現部の冒頭。T166からの部分。譜面のスコアは打楽器群があるが。グッドマンはT165までは入っていない。T166からtimp.の代わり?に、低弦が竿でたたく コル・レーニョ 奏法 になっているようだ。timp.のパートの部分の一部に、この後、随時、演奏しているようだ。曲の最後は消えるように終わってしまう。繰り返しがないので、Finaleはこの部分は一度しかない。打楽器群があえてなくても、この特殊奏法による音色の追加で興味のある演奏の印象。
 2020年10月12日 73番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを聴取。冒頭の序奏から同じ音程の旋律が続く。アーノンクール独特の強弱のあるレガートが豊富に聞き取れる特徴から始まる。冒頭の序奏は繰り返しがないので最初から注意深く聞く必要がある。
他の曲ではhr.は左側が多かったがこの曲に関してはhr.は右側になっている。Finaleだけに打楽器群が入りこれらは中央に配置。打楽器群とあえて分けるためにhr.を右側の方に配置したか? このFinaleは様々な指揮者で聴取してきた。第1〜3楽章まで通して聞くと冒頭から打楽器のTuittiで始まる。初演の頃あるいは初演から間もない頃に、この曲を聞いた当時の聴衆は、どの様に期待していたのか? ハイドンの公式での出版は、この交響曲が最初と聞いている。当時の紙は高価で印刷されたスコアも一部の人しか情報が入らない。オーケストラの公開演奏などは、さらに限られた聴取しか情報が入らない。
 出版物のスコアを事前に見て、様々な指揮者の聴き比べることができる現代では、この曲の面白さは事前にわかっている。たとえばこのFinaleに関しても、最後に打楽器が入るので、最初の第1〜3楽章は全て出番がないこと。第4楽章のfinaleの冒頭かTuittiで打楽器群が突如入ることも承知をしている。実際の演奏会を聴く場合でも、打楽器が入るインパクトが少ないかもしれない。
 一方、初演当時あるいは、初演の後まだレコードなどの記録媒体のない19世紀の末頃まではどうか?スコアではある程度、この曲の編成や構成なりを知ることはできるだろう。しかし実際の演奏会で、この曲を知ることは当時は限られた人たち。その限られた中でも、演奏会の曲目を聞いてFinaleで突如、打楽器がTuittiで入る光景を見ると、やはり現代よりもインパクトがあったと思う。
 なぜこの様に思ったのか? 同じ調性で少し前の交響曲でNo.53を聴取した。アーノンクールはFinaleはA版だった。No.53には数種のfinaleがあり、B版はオペラの序曲の様に華やかに開始する。同じD調で、雰囲気がこのNo.73の様に、似ている雰囲気の箇所が多いと自分なりに思っている。No.73のFinaleはオペラの序曲からの改作。No.53 B版のFinaleもハイドン自身の何らなのオペラの序曲からの可能性の説があり。両者は共通しているのも同じ雰囲気になる根拠の一つかもしれない。
 アーノンクールの演奏を聞いてみて、少し前にNo.53 Finale A 版を聞いたことから、この関連について思い出した。No53のB版は、曲の最後は華やかに強奏で締めくくる。しかし一方、No.73の方は、後半部分の繰り返しも省略され弱奏で終わっている。Finaleの冒頭で打楽器を含むTuittiの強奏とは対照的。強弱の対比が大きいアーノンクールの特徴の一つでこの曲を締めくくるように感じた。
 ウェブ アニメータウェブ アニメータ2023年5月6日 73番 鈴木秀美 OLCを聴取。鈴木秀美 OLSはライヴ録音のため、できるだけ、CDを1枚の状態で収録順に通して聴取するように心かけている。このCDは収録時間が長いために、2枚組になっている。第1曲目が モーツァルトの交響曲 39番。2曲めが ピアノ協奏曲 No.20。3曲目がハイドンのNo.73・アンコールが珍しく収録され、No.62の第2楽章 Allegretto が最後となる。2曲目に、モーツァルトのピアノ協奏曲をメインに持ってくるような企画にも感じられる(ライナーノートにも記載されているが、現代のピアノとは違い5オクターブのフォルテピアノ) 最後の交響曲は、プログラムの最後を飾るように位置している。No.73は打楽器群がFinaleのみに登場する。得てしてNo.73は、第1〜3楽章までは比較的、打楽器群が入っていないこともあり、柔らかい音色が中心となる。
 下記ブログに第1楽章が、柔らかい音色の印象ついて記載あった。

https://blog.goo.ne.jp/romani1988/e/b4e3e882a17db7a7f6a3a9ff4d56f822

 確かに、柔らかい音色の印象が強い。冒頭から弦のピチカートで登場する手法は、初期や中期の交響曲でも余り使用されない。主部の第1主題も柔らかく登場する。展開部の最後の方で、盛り上がる部分。指揮者によっては、T102の箇所でhr.を大きく、目立たせる演奏もある。しかしこの指揮者ではあくまで柔らかい演奏。
 オペラ時代の中で、この時期はある意味、寄せ集めの交響曲も多かった。第2楽章の歌曲からの転用。Finaleのオペラ序曲らの転用はその例のひとつとなっている。第1と第3楽章はオリジナルの交響曲かもしれない。No.62と異なりNo.73は、比較的、丁寧に書かれていると思う。序奏からして、ピチカートを含む意外な音色の開始。柔らかい雰囲気は少し前にも記載した。さらに加えて、休止符の効果もあると思う。休符の手法は、いたるところに効果的にあると思う。
  ただ、装丁に関しては、過去に何度も表紙ワンパターンついては苦言を書いた。今回はフォルテピアノの写真はある。しかしアップの掲載がないため、この楽器の特徴が外見では分かり難い。ライナーノートは Finaleのトランペット主席奏者が当時のマウスピースのコピーを使用したこと。ファンファーレの部分は楽器を高く上げ、ベルの中に手を入れていないなどの記述がある。シリーズとして少しずつCDを購入していく私にとって、このような光景を写真で見たかった。