通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
7 |
10 |
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1757頃 |
D |
3 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
合奏協奏曲の形式が初めて登場 |
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1 |
D |
Alleglo |
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2 |
G |
Andante |
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3 |
D |
Presto |
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2010年11月27日:旧の番号では、6-8番 朝、昼、夕べよりも後になっているが、実際の作曲順は6-8番の3部作よりも前になっている。今回、合奏協奏曲風では初めての登場となる。3部作と比べて楽器の種類が少ないこともあり、soloの部分は第1.3楽章のみに留まる。
最初に通し番号1番から44番までを概観するに、この中でも大まかに3つの時代に大別されるのではないかと思った。真ん中の第2期に旧7‐9番の3部作が入り、大まかには3部作が一応メインとなる。その前は、3部作にいたるまでの道程。それ以降は3部作を受けての、さらなる発展と解釈する考え方である。その意味で最初の合奏協奏曲とし取り入れた点を最大のポイントとしたい。
ドラティ盤はAllegloのsoloの扱いが控えめ。合奏協奏曲のスタイルが聞えにくい点から、フィッシャー盤を勧めたい。
(2019年12月27日追記 タグとして2010年11月27日とする)2010年11月27日
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2010年11月30日 ディビス盤を聴取。第1楽章のAllegloは、テンポでは、かなり遅め。ドラティと同じぐらい。
また合奏協奏曲あるいは、協奏交響曲の先駆けであると、フィッシャー盤では記載をしたsoloの扱いも期待をしていた。しかしsoloの扱いは全くないので少々、落胆する。全体的にイタリア風の様式で、初期のモーツァルトの初期から中期の音楽の雰囲気の点は、この後のNo.20とも類似。
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2011年1月22日、スコアを見ながら、再度、フィッシャー盤を聴取。聴き所ポイントを合奏協奏曲の形式が初めて登場と記載をした。しかし手持ちのスコアでは、各弦のsoloの扱いが記載されていない。
合奏協奏曲、協奏交響曲と交響曲との違いを、分けることは実際には難しいと思う。指揮者(演奏家)の解釈の近いにもよるかもしれないが。ドラティ、フィッシャー盤では、soloの扱いがない。このため合奏協奏曲と断定するのは、早計かもしれない。
スコアでフィッシャー盤の各弦のsoloの箇所を見てみると、原則として強弱の「p」の箇所が多い。しかし全てがその箇所とも当てはまらない。しかしながら、個人的にはフィッシャー盤でのsoloの登場はとても的を、得ていると思う。特に第1楽章の提示部では、第1主題の提示の後、経過部の所で、soloが始めて登場するが実にスムーズの印象。この後に続くHob−No.-6〜8シリーズに共通する点がある。これ一つをとってみても、先駆的に作曲をしたのではないかと、再度、認識した次第。
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2013年2月1日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の経過部の部分では、soloで引いていないので、合奏協奏曲の雰囲気は感じられない。第1楽章の第1と第2vn.のパートを見ていると、同じ箇所で、4つの音程がある。単純に考えれば、それぞれ最低各パートは4人の奏者が必要だったのか?
Andanteは弦楽器のみの編成であるが、各パートは思ったほど細かい動き。ついつい第1vn.ばかりに耳が入ってしまうが、第2vn.とva.も適宜、同じ旋律だったり、音程を少し変えての演奏などがある。今までの3者の演奏よりも、細かく聴き取れる。
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2015年2月20日 ゴバーマン盤を聴取。通し番号順で聴いてきた中で、各パート、特に、第2vn.の細かい旋律と対比が際立った聴き所に初めて遭遇。
第1楽章の合奏協奏曲風の掛け合いは、フィッシャー盤の様なものは余り楽しめない。第2楽章Andanteは、弦楽器のみの編成。冒頭の旋律は、第2vn.とva.がT6まで、同じ旋律を演奏。このときに、va.が第2vn.よりも1オクターブ低く演奏するがvn.とva.の対比が良く分かる。T7で初めて、第1vn.が、持続音から、旋律を引き始めるタイミングが絶妙。緩除楽章でのゴバーマンの良さが、初めて開花した様な雰囲気を保っている
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2017年5月27日 T ファイ No.10を聴取。ひとつ前のNo.5で、コンチェルトグロッソ風の特徴を記載した。フィッシャーの演奏では第1楽章の第2主題の部分で、soloの部分が入り、この特徴につながっている。しかしファイの演奏は、No.5と同様に、soloの部分でない。
ファイの特徴はいろいろあるが、その中のひとつに各パートの分離感と「きびきび」としたリズムの切れがある。リズムの切れとしての例として、冒頭の第1主題。T23までの第2主題が登場するまで、4分音符を中心とした「きびきび」としたリズム感が続く。T1の第2vn.のスッタカートからのリズム感がT2の低弦に引き継がれながら、ダイナミックに進んでいく。
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2017年12月23日 G Herbig No.10を聴取。No.4にも記載をしたが、弦楽器を中心とした録音で管楽器は聞き取り難くい。この録音も同様で、第1楽章の冒頭の第1主題もob.とhr.の音が分かり難い。しかし展開部の冒頭のT38の部分。ここでは、この楽章で唯一といって言いと思うが、ob.が目立たせている。
Finale Presto も、2本のob.は、各パートで分かれている旋律も受け持つ箇所がある。しかしユニゾンの箇所を含めて余り目立たない。
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2018年6月17日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 10番を聴取。このCDはNo.9−12の4曲が収録されている。2018年 2月にもNo.1〜5を聴取しているが、その続きに当たる。ハイドン 音盤倉庫にも、お勧めCDとして掲載(下記のアドレス)
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1610.html
レガートの柔らかさが特徴のひとつと以前、記載をした。ここでも同様。たとえば 第2楽章 Andante冒頭の部分。ここでは、主に、第2vn.とvaで主題が提示される。第1vn.は旋律を引かないので伴奏に徹する。このため主題は、第2vn.とva.が引き立て役になるが、左側の第2vn.と右側 やや奥のvaとが、旨く適度に広がっている。この楽章は弦楽器とcmb.のみなので、逆に弦のパートの分離感と一体感がポイントになる。中期頃以降に緩叙楽章で用いられる弱音器が、この部分ではない分、音色が聴き所となる。さらに注目するところは、cmb.の部分で、bassパートとは別にアルペジョ風に引いているが、違和感がないのが良い。Cmb.は随所で華やかに伴奏に徹する。特に、提示部の最後の部分T41では、冒頭の主題とのブリッジする部分が美しい。左右のvn.が、時にはTuittiで同じ旋律を引くとき、広がり感が心地よい。この楽章で展開部と再現部の繰り返しがないのが、少し残念。
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2019年2月15日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 10番を聴取。No.6〜8に類似した協奏交響曲に類似した手法で第1楽章は書いてある。フィッシャー盤など一部の箇所で、この特徴を生かしsoloで引くことがある。しかしフィッシャー以外は今のところ、soloでなく通常で引いていることが多い。メルツェンドルファーも同様。No.27でob.録音に関して目立ち過ぎる点を記載した。この曲では、No.27ほどではないが。しかしNo.1などと比較して、かなり目立っている。
第2楽章では冒頭からP ガロワ 盤では繰り返しを採用しないが、ここでも同様。テープのヒス音のような短い雑音が時折入る。録音の点でも少し残念。 |
2023年9月12日 10番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。9〜12の4曲が収録。ライナーノートで作曲順番に沿ってNo.10から書かれている。このため、ライナーノートに沿って、作曲順番のNo.10から聴取。モルツィン時代の頃の作曲なる。
Vn.は対向配置。冒頭からの掛け合いがよくわかる。古楽器ではあるが、弦の切れは T ファイのようでない、柔らかさがある。以下のT ファイのレビューに譜例あり
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-724.html
緩徐楽章は、今までと同様に中央で前面に位置し、かなり大き目に入っている。弦楽器のみを使用。2つのvn.の中でvn.の扱い方は興味深い。冒頭は第2vn.+va.で登場。その後、第2vn.は音量をやや上げる部分は、第1*第2vn.が同じ音程のユニオンで演奏する。展開部の類似個所も同様。
全体的を通して、グッドマンとしての特徴的な印象は少ないイメージ
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2024年7月30日 ドラティ盤 No.10を聴取
ブログを立ち上げた当初の頃は、ドラティ以外に、フィッシャー、 D R ディビスの3者を聴き比べていた。その中のフィッシャーは、第1楽章の弱奏の部分を適宜 solo で
弾いていたので、合奏協奏曲を先取りするとも記載をした。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1876.html
しかしその後、様々な演奏を聴取していく中で、フィッシャーの様な適宜、soloのスタイルで演奏しているのは、その後、聞いていない。恐らくフィッシャー自身の判断で、tuittiの箇所でもsoloを弾くように指示していたと思う。ドラティの演奏はフィッシャーよりも前の録音。全集を最初に録音したので、他の指揮者はこのドラティの演奏を元に、色々と自分なりの解釈を増やしていくことになったと思う。いわば金字塔にも相当する。
第2楽章は、弦楽器のみで弱音器を使用しない。管楽器が休むので、弦楽器のみのパートで音量や音色の変化などがポイントになる。一般に第1楽章は出だしからtuittiの強奏。第2楽章から一転、調性が変わるのはもちろん、第2vn.とva.から第1主題が提示され、第1vn.は伴奏側に回る。弦の各パートは、比較的均等に扱われている。このあたりは緩徐楽章なられでは聴き所となる。ドラティの録音は、概して緩徐楽章でも、弦楽器の音量は比較的大き目。残念ながら第2楽章の提示部と展開部の後半の繰り返しはない。当日はLPとしての発売だった。全ての繰り返しを忠実に守ると、どうしても片面の収録時間に制限を受ける場合がある。この兼ね合いがあったかもしれないが、できれば繰り返しをして欲しかった。
この曲だけとは限らないが、tuittiの箇所での弦楽器と菅楽器のバランスがうまいと感じる。弦の奏者が多く、tuittiでは概して、弦楽器が主体。しかし管楽器も、音量はやや聞こえにくいが、2名の配置まで含めて音がよくわかる。モダン楽器でも奏者が多い、あるいは、残響が多くて音の定位感が不明瞭だとこのあたりはよく分からない可能性がある。しかしドラティの場合は、録音スタイルが統一されていることを含めて聴きやすい。(ただし T ファイのように、パートによっては、hr.を強烈に吹かすところは余りないが)この録音も1972年となっていて、今からもう52年も前になる。しかし今でも録音状態は鮮明。できれば緩徐楽章では、もう少し音量を落として欲しい気落ちはあるがその分、各パートの音量の差などが分かり難くなる可能性もある。
J アントニーニは2032年に向けて、ハイドン交響曲の全集を目指している。2024年7月の時点で、まだNo.10は着手していない。アントニーニは、ライヴの映像を見てみると、弱音器を使用しない緩徐楽章でも、あたかも弱音器を使用しているように弓の扱い方などを工夫していた。もしアントニーニが録音した場合、繰り返しは当然守ると思うが、vn.の弓の扱い方で弱奏の音量に上手く工夫をして演奏すると思った。
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