音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.69 hob-No.66   
2024年10月26日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
69 66 1779 B 4 -  -  - - (1) B vc.とcbの分離。fg.を中心とした終楽章の確立。
       1 B Alleglo con brio
       2 F Adagio
       3 B Menuet
4 B Scherzando e presto

Allegloは中規模のソナタ形式だが、この楽章を含む随所に、弦楽器のvc.cb.が分離をしている。このため音域が広がり音色の豊かさがある。(今までは、分離はなかったか?)展開部は比較的短いが。しかしそれに対して、第1主題の再現部が短いものの、その後の経過部からの展開が見事で、終結までの盛り上がりが良い。
 Adagioは旋律の展開よりも、この頃に見られるピチカートを含む音色の変化が中心。Menuettrioからfg.を含む管楽器のsoloが活躍する。fg.2人の奏者であるが、vn.と同じ旋律をたどることが多く、かなりの重要な役割を担う。Finaleはロンド形式と変奏形式を組み合わせたもの。ここでもfg.が、かなり旋律を受け持ちながら、随所で聴かれる。特に後半では2本のfg.を含む管楽器全体のsoloが随所にある。prestoのテンポ表示ではあるが、フィッシャーでは、ややゆっくりしたテンポでsoloの楽器が活躍する。Finaleの雰囲気がとても、暖かくしかもユーモアのある雰囲気。この点は後期にも通じる。この交響曲を転機に始まったのではないかと思った。俗称はないが、何回か聴き直すと面白い発見がある。お勧めの交響曲としたい。
 ドラティ盤は例によってsoloが目立たず。初期の頃は当然のことの様にあったが、中期になって見られなくなった、第1楽章の展開部と再現部の繰り返しがある。このため演奏時間が長くなっている。vc.cb.の分離による影響と、楽器編成がフィッシャーより多いこともあり、ダイナミックさに関してはドラティ盤も引けを取らない。
202011日追記 タグとして2011129日とする)

20131018日 デイビスを聴取。元々、デイビス盤はfg.を中心に、管楽器の扱い方が上手い。今回も弦の奏者数はホグウッド盤よりも当然多いが、それに負けじと、管楽器の音も引き立つ。とりわけ第1楽章は、fg.の活躍が至るところにある。vc.の単独の箇所の聴かせ所とも相まってfg.の音が堪能できる。Finaleも同様で2人のfg.奏者の違いまでよく分かる。4者の中ではデイビス盤を一番に推薦したい。
 

2016226日 ホグウッドNo.66を聴取。打楽器群が入っていなく、Bという調もあり落ち着いた雰囲気に終始。弦の各パートの明瞭間がホグウッドの特徴であるがAlleglo con brioの冒頭からvc.の切れのよい音に支えられて登場。比較的短い展開部を挟んだ後で、再現部がかなり長く続く。ホグウッドは、後半を繰り返ししているので、この長い再現部をもう一度楽しむことができる。
 後半の2楽章はfg.が大活躍。Finaleは fg. はbass.どころかvn.とも1オクターブ低い音程で張り合うがこの音色が独特。中間部でフェルマータの指示がある部分で、ホグウッドは微妙にテンポを変えていて面白い。No.62と比較して、何度か繰り返して聴くと面白みが増してくる典型的な交響曲。

2019421日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 66を聴取。66-68は3曲セットで1779年にまとめて出版されたと井上著には記載がある。ひとつ前のNo.65以前と同じ様にsoloの箇所も随所にある。さらに強弱や楽器の音色の対比などにより重点をおき、分かりやすさも交えた曲にシフトした感じを受ける。vc.bass.の分離はもちろんあるが、fg.とのユニゾンや独自の動きなども聴き所のひとつ。
 第1楽章の冒頭の部分。ここでも既にvc.bass.は分離しているが、vc.の刻むようで、しかも p による表現は注目に価する。展開部のはじめの当たりに、類似箇所のT65で ff でes-dur? で再度、登場する。t84までは p の落ち着いた表現から突如、雰囲気が変わる部分。T65ではvc.bassの分離がなく冒頭よりも高い音域で演奏する。この音色と音程の対比が印象的。

 展開部の後半T71当たりから。各弦で動機が受け渡されていく部分。fg.が低弦を一緒に動く箇所も多々あるが、T74fg.の2名の奏者が独自の動きを受け持つ。細かいところではあるが、後年、fg.が低弦とは独自の動きを担っていく先駆けだと思う。
井上著では、第2楽章は16分音符が多く使われていてvn.スッタカートで6連音を描くところは特別美しいと記載がある。T25からの部分だと思うが確かに、スッタカートから音程が微妙に変わっている。T31からはスッタカートが外れ、T34は、第1vn.のみであるがvn.の最低音 G のピチカートがある。T35からは、第2vn.がスラーで寄り添うなど微妙な表現。珍しく、緩叙楽章でもメルツェンドルファーは提示部を繰り返している。元々、緩叙楽章のテンポは概して遅め。提示部の繰り返しもあり、836の演奏時間になるが飽きさせない。
 Finalefg。を中心に掛け合いが多く、対位法に長けていてユーモア感覚が十分。メルツェンドルファーの演奏は、ゆっくりとしたテンポの緩叙楽章が得意かもしれないが。Finaleでやや遅めのテンポを生かした明るい雰囲気を旨く表現している。録音も、緩叙楽章では、少しスコラッチノイズが目立つものの、全体的には低弦の厚みが十分で不満はない。

2019917日 66  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。Naxos 盤では6668がセットになっている。分売の方も同じ組み合わせ。No.31からの聴取となるが、同じオケで録音時期も大差ない。中期の交響曲になるのか、最初からcmb.は入っていない。No.31からだと、作曲時期もさらに後になり、雰囲気もがらりと変わる。No.31ほどではないが、fg.を中心にsoloの箇所はある。しかしどちらかといえば、聴衆へのわかりやすさと楽器の音色の対比などを重視へシフト。このため、No.31のように派手なsoloで聞かせてくれる点は大きく後退。最近の聴取記録だとメルツエンドルファーで(下記のブログに譜面あり)最近記述した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1150.html

3
曲ともの共通している特徴かもしれないが、vn.のやや特殊な奏法を含めた、音色や技巧の対比などを必要に応じて目立たせている。Soloの箇所もあるが、ユニゾンの箇所で弦楽器と管楽器との音色の対比なども興味深い。ドラホシュの場合は、弦の奏者がやや少なめなのか、管楽器が少し目立つ。しかしユニゾンでの弦楽器と管楽器との音の溶け合いが自然。
 Finale Sherzand e Puresto のテンポは、ややゆっくり目。管楽器と弦楽器のsolo ユニゾンが交互に入れ替わる。冒頭から各パートも対位法的に動く箇所も多い。流れるように進むのが基本だが、要所はテンポも変えている。T97当たりでは、フェルマーターの手前で、リタルランドでテンポを落としている。




66番 ジョヴァンニ・アントニーニ ?Basel室内管弦楽団 

2022年7月17日 66番 ジョヴァンニ・アントニーニ Basel室内管弦楽団を聴取。No.66〜68は3曲セットで出版され、共通点も多いと思う。
 第1楽章の冒頭からvc.とbass.の分離がある。疾風怒涛期でも多少、低弦の分離はあるが頻度は少ない。それに対して、No.66の冒頭では低弦の分離から、vc.の高音域の音色と、音量の差をうまく使い分けている。この時期から晩年に至るまでの交響曲は、この手法がしばしば採用されている。
疾風怒涛期の一つ、No.43の緩徐楽章とこの曲と比較してみると興味深い。中野博詩氏 著「ハイドン交響曲」にオペラ時代の交響曲は「親しみやすい主題に色彩豊かな楽器法で緩徐楽章を繰り広げる」と記述がある。No.43の緩徐楽章は、vn.の弱音器の使用は共通しているが管楽器は、あくまで補完的な雰囲気。小さな動機を細かく変奏、音量、などを替えながら展開している。一方、No.66は同じ弱音器を使用しても、管楽器の扱いが補完的ではなく、音量の大きさの工夫も含めて、書かれていると思う。
 第12集のテーマの一つでもある、強弱などの音量の変化でも、疾風怒濤期と重複する部分もあるが、管楽器を含めた音色の変化も興味深い。第2楽章の展開部でT49まで音量を極度の落とし、T50で突如、「ff」で休止符を挟みながら大きな音量で旋律が変わる箇所などは、その一つの例。「ff」 の指定なので、この楽章で一番、音量の大きい箇所となっている。再現部のT88で一瞬、「f」の短い箇所があるが、T50よりも音量を落としている。T50から終結まで音量を次第に落としながら、消えるようにこの楽章が終わるのも印象的。
 2024年10月7日 66番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。 No.62から引き続く。No.62から作曲年代が下がる。「ハイドン106の交響曲を聴く」によるとNo.66、67、68は3曲セットで1779年に出版された。この頃から3曲単位で出版されていたので、どちらかと言えばNo.66はNo.67、No.68とセットで聴取したい。しかし既に他の曲は、既に前回の第31集に録音されている。できれば前回の録音のリシーズと一緒に発売して欲しかった。録音会場や奏者は第32集と全て同じ。収録日などが異なっているのみ。
 No.67、68と作曲スタイルは同じような雰囲気。第1楽章の冒頭の第1主題。一つ前のNo.62の第1楽章に関連したNo.53のFinale B版に類似した雰囲気。しかbass.と分離したvc.が入っている。以下メルツェルドルファーのレビューに譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2501.html

クランプ弦楽器の奏者は以下の通り。

5:5:2:2:1。vc.は2名で中央寄りにやや左側に位置している。vc.は2名しか奏者はいない。弦楽器のsoloの箇所は、No.66にはないが。冒頭のではvc.はbass.とfg.とは分かれているのがよくわかる。このような出だしの雰囲気は、No.81にも似たような雰囲気。T32から第1、第2vn.はは16分音符が続く。1小節単位で、スタッカートとスラーが交互に登場する。わずか1小節単位だが、同じ音量で2つのvn.が上手く対比。ここまでやや速めのテンポを通している中、同じテンポではあるが流れるように進むのも心地よい。アントニーニの古楽器に対して、クランプはモダン楽器。vn.は対向配置だがva.は左側に位置していて、アントニーニとは異なる。3名のva.奏者も第2vn.の音量に消されることもなくよくわかる。
第2楽章の展開部のT52の部分。ここで調性が変わり、強奏となって雰囲気ががらりと変わる。下記のアントニーニのレビューに譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2503.html


アントニーニのレビューでは、この箇所で音色の対比を記載した。クランプの場合も同様だが、第2楽章の冒頭から2つのvn.は弱音器を使用しているので、低弦の厚みがアントニーニ以上によくわかる。
 第3楽章の Menuetto  T22の部分。通常の Menuetto に聞き流すと分かり難い箇所。第1vn.は次第に音色を落として行きややテンポを落としている。Trioの後も、No.62と同様に、 Menuetto は全て繰り返しを採用しているので、全体的に短い小節数の Menuetto でも聞き応えあり。
No.66〜68は3曲セットで出版されたが、No.68は緩徐楽章が第3楽章に位置している。同じ様な旋律が執拗に続いて、No.66と比較して冗長気味なのはランクが下がっているとかねてから思っていた。それに対してNo.66はNo.67にも共通している手法の様に、弦楽器の音色に変化を持たしていて飽きさせないのは共通。


ロンド形式のFinaleは、他の指揮者よりもかなり速めのテンポ。T96から音量を落とし、テンポを少しずつではあるが遅くする。どの指揮者も大体テンポを落とす。特に T ファイなどは、恐らくこの箇所をかなり落として演奏していたかもしれない。 ファイのテンポの変化を含む解釈は、どちらかといえばドラティの楷書的な演奏を元に、従来の自分以外の演奏についてリセットした後、「ストレート」に分かりやすく訴えてくる面があると思う。テンポ自体は、クランプも同様かもしれない。奏者のメンバーや録音などは大差がなかったかもしれないが。クランプの場合はアントニーニとも違って、他の指揮者などの演奏スタイルを比較することをベースとしていない雰囲気。作曲者が意図した「スコアのみ」をできるだけ着目して、自分なりの「筋の通った」手法があると感じる。具体的にこの「筋の通った手法」とはなにか?

 簡単には表現できないかもしれない。一つ前のシリーズの第28集から第32集までは、4枚組で15曲が収録されている。今回の第32〜35集も合計11曲が収録。8枚のCDを合わせると合計26曲にあたる。これはハイドンの全ての交響曲106曲(deestを入れると107曲になるかも)の中の約25%、パリセット以降は既にT ファイが録音済なので、打楽器が全て入るザロモンセットの12曲は既にファイにより録音済。打楽器の編成のみで、交響曲全体を俯瞰してみると、106−12=94曲。ザロモンセットよりも前にも、打楽器群は入る曲もあるが。交響曲の残りを完成させた26曲にのみ注目した場合。94曲の内の26曲を今回、完成させた。
その内、打楽器が入る交響曲を補完したのは、わずかdeestの1曲のみ。第28集から第35集までは、殆ど打楽器が入っていない交響曲となる。打楽器が入らない交響曲で音量の対比を表現するには、各楽器のどのパートをうまくバランスを取って、特にtuittiの箇所でどう表現するのか? Tuittiとtuittiでない箇所の対比。この当たりがポイントになってくると思う。
 No.66は第2楽章の中間部や Menuetto のT22の部分。ロンド形式のFinaleのT96の部分の弱奏での対比を記載した。一般に打楽器群が入ると、派手についついtuittiの音量について注目する。しかし打楽器群が入らないでも、あたかも打楽器が入っているような雰囲気が聞こえるような気がする。vc.は2名。Bass.は何と1名しかいない。適宜 fg.も合流する。vc. bass. Fg. の3種類の楽器しかいないが、打楽器があるように聞こえてくるような感じがする。打楽器を含まないでも弱奏から強奏までの演奏スタイルに独特な解釈があり、これが筋の通った手法の一つかもしれないと思った。