音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.69 hob-No.66   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
69 66 1779 B 4 -  -  - - (1) B vc.とcbの分離。fg.を中心とした終楽章の確立。
       1 B Alleglo con brio
       2 F Adagio
       3 B Menuet
4 B Scherzando e presto

Allegloは中規模のソナタ形式だが、この楽章を含む随所に、弦楽器のvc.cb.が分離をしている。このため音域が広がり音色の豊かさがある。(今までは、分離はなかったか?)展開部は比較的短いが。しかしそれに対して、第1主題の再現部が短いものの、その後の経過部からの展開が見事で、終結までの盛り上がりが良い。
 Adagioは旋律の展開よりも、この頃に見られるピチカートを含む音色の変化が中心。Menuettrioからfg.を含む管楽器のsoloが活躍する。fg.2人の奏者であるが、vn.と同じ旋律をたどることが多く、かなりの重要な役割を担う。Finaleはロンド形式と変奏形式を組み合わせたもの。ここでもfg.が、かなり旋律を受け持ちながら、随所で聴かれる。特に後半では2本のfg.を含む管楽器全体のsoloが随所にある。prestoのテンポ表示ではあるが、フィッシャーでは、ややゆっくりしたテンポでsoloの楽器が活躍する。Finaleの雰囲気がとても、暖かくしかもユーモアのある雰囲気。この点は後期にも通じる。この交響曲を転機に始まったのではないかと思った。俗称はないが、何回か聴き直すと面白い発見がある。お勧めの交響曲としたい。
 ドラティ盤は例によってsoloが目立たず。初期の頃は当然のことの様にあったが、中期になって見られなくなった、第1楽章の展開部と再現部の繰り返しがある。このため演奏時間が長くなっている。vc.cb.の分離による影響と、楽器編成がフィッシャーより多いこともあり、ダイナミックさに関してはドラティ盤も引けを取らない。
202011日追記 タグとして2011129日とする)

20131018日 デイビスを聴取。元々、デイビス盤はfg.を中心に、管楽器の扱い方が上手い。今回も弦の奏者数はホグウッド盤よりも当然多いが、それに負けじと、管楽器の音も引き立つ。とりわけ第1楽章は、fg.の活躍が至るところにある。vc.の単独の箇所の聴かせ所とも相まってfg.の音が堪能できる。Finaleも同様で2人のfg.奏者の違いまでよく分かる。4者の中ではデイビス盤を一番に推薦したい。
 

2016226日 ホグウッドNo.66を聴取。打楽器群が入っていなく、Bという調もあり落ち着いた雰囲気に終始。弦の各パートの明瞭間がホグウッドの特徴であるがAlleglo con brioの冒頭からvc.の切れのよい音に支えられて登場。比較的短い展開部を挟んだ後で、再現部がかなり長く続く。ホグウッドは、後半を繰り返ししているので、この長い再現部をもう一度楽しむことができる。
 後半の2楽章はfg.が大活躍。Finaleは fg. はbass.どころかvn.とも1オクターブ低い音程で張り合うがこの音色が独特。中間部でフェルマータの指示がある部分で、ホグウッドは微妙にテンポを変えていて面白い。No.62と比較して、何度か繰り返して聴くと面白みが増してくる典型的な交響曲。

2019421日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 66を聴取。66-68は3曲セットで1779年にまとめて出版されたと井上著には記載がある。ひとつ前のNo.65以前と同じ様にsoloの箇所も随所にある。さらに強弱や楽器の音色の対比などにより重点をおき、分かりやすさも交えた曲にシフトした感じを受ける。vc.bass.の分離はもちろんあるが、fg.とのユニゾンや独自の動きなども聴き所のひとつ。
 第1楽章の冒頭の部分。ここでも既にvc.bass.は分離しているが、vc.の刻むようで、しかも p による表現は注目に価する。展開部のはじめの当たりに、類似箇所のT65で ff でes-dur? で再度、登場する。t84までは p の落ち着いた表現から突如、雰囲気が変わる部分。T65ではvc.bassの分離がなく冒頭よりも高い音域で演奏する。この音色と音程の対比が印象的。

 展開部の後半T71当たりから。各弦で動機が受け渡されていく部分。fg.が低弦を一緒に動く箇所も多々あるが、T74fg.の2名の奏者が独自の動きを受け持つ。細かいところではあるが、後年、fg.が低弦とは独自の動きを担っていく先駆けだと思う。
井上著では、第2楽章は16分音符が多く使われていてvn.スッタカートで6連音を描くところは特別美しいと記載がある。T25からの部分だと思うが確かに、スッタカートから音程が微妙に変わっている。T31からはスッタカートが外れ、T34は、第1vn.のみであるがvn.の最低音 G のピチカートがある。T35からは、第2vn.がスラーで寄り添うなど微妙な表現。珍しく、緩叙楽章でもメルツェンドルファーは提示部を繰り返している。元々、緩叙楽章のテンポは概して遅め。提示部の繰り返しもあり、836の演奏時間になるが飽きさせない。
 Finalefg。を中心に掛け合いが多く、対位法に長けていてユーモア感覚が十分。メルツェンドルファーの演奏は、ゆっくりとしたテンポの緩叙楽章が得意かもしれないが。Finaleでやや遅めのテンポを生かした明るい雰囲気を旨く表現している。録音も、緩叙楽章では、少しスコラッチノイズが目立つものの、全体的には低弦の厚みが十分で不満はない。

2019917日 66  B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。Naxos 盤では6668がセットになっている。分売の方も同じ組み合わせ。No.31からの聴取となるが、同じオケで録音時期も大差ない。中期の交響曲になるのか、最初からcmb.は入っていない。No.31からだと、作曲時期もさらに後になり、雰囲気もがらりと変わる。No.31ほどではないが、fg.を中心にsoloの箇所はある。しかしどちらかといえば、聴衆へのわかりやすさと楽器の音色の対比などを重視へシフト。このため、No.31のように派手なsoloで聞かせてくれる点は大きく後退。最近の聴取記録だとメルツエンドルファーで(下記のブログに譜面あり)最近記述した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1150.html

3
曲ともの共通している特徴かもしれないが、vn.のやや特殊な奏法を含めた、音色や技巧の対比などを必要に応じて目立たせている。Soloの箇所もあるが、ユニゾンの箇所で弦楽器と管楽器との音色の対比なども興味深い。ドラホシュの場合は、弦の奏者がやや少なめなのか、管楽器が少し目立つ。しかしユニゾンでの弦楽器と管楽器との音の溶け合いが自然。
 Finale Sherzand e Puresto のテンポは、ややゆっくり目。管楽器と弦楽器のsolo ユニゾンが交互に入れ替わる。冒頭から各パートも対位法的に動く箇所も多い。流れるように進むのが基本だが、要所はテンポも変えている。T97当たりでは、フェルマーターの手前で、リタルランドでテンポを落としている。




66番 ジョヴァンニ・アントニーニ ?Basel室内管弦楽団 

2022年7月17日 66番 ジョヴァンニ・アントニーニ Basel室内管弦楽団を聴取。No.66〜68は3曲セットで出版され、共通点も多いと思う。
 第1楽章の冒頭からvc.とbass.の分離がある。疾風怒涛期でも多少、低弦の分離はあるが頻度は少ない。それに対して、No.66の冒頭では低弦の分離から、vc.の高音域の音色と、音量の差をうまく使い分けている。この時期から晩年に至るまでの交響曲は、この手法がしばしば採用されている。
疾風怒涛期の一つ、No.43の緩徐楽章とこの曲と比較してみると興味深い。中野博詩氏 著「ハイドン交響曲」にオペラ時代の交響曲は「親しみやすい主題に色彩豊かな楽器法で緩徐楽章を繰り広げる」と記述がある。No.43の緩徐楽章は、vn.の弱音器の使用は共通しているが管楽器は、あくまで補完的な雰囲気。小さな動機を細かく変奏、音量、などを替えながら展開している。一方、No.66は同じ弱音器を使用しても、管楽器の扱いが補完的ではなく、音量の大きさの工夫も含めて、書かれていると思う。
 第12集のテーマの一つでもある、強弱などの音量の変化でも、疾風怒濤期と重複する部分もあるが、管楽器を含めた音色の変化も興味深い。第2楽章の展開部でT49まで音量を極度の落とし、T50で突如、「ff」で休止符を挟みながら大きな音量で旋律が変わる箇所などは、その一つの例。「ff」 の指定なので、この楽章で一番、音量の大きい箇所となっている。再現部のT88で一瞬、「f」の短い箇所があるが、T50よりも音量を落としている。T50から終結まで音量を次第に落としながら、消えるようにこの楽章が終わるのも印象的。