音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.68 hob-No.62   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
68 62 1779 D 4 -  -  - - (1) D 同じ調性に終始し、長いFinaleによる散漫なイメージ。
       1 D Alleglo
       2 D Allegretto
       3 D Menuet&trio :Allegretto
4 D Finale、Alleglo

これもエステルハーザ宮オペラ劇場の火災で、この頃に急遽、編曲して作曲したパステッチオ(継ぎはぎ)交響曲の一つらしい。第1楽章は、No.53の第2b稿のFinaleの転用。No.53Finaleの第1主題とは全く異なるが、経過部から、第2主題移行は同じ構成になっている。展開部も同じのため、No.53Finale主題がどの様に扱っているかと興味はもたれる。しかし第2主題を中心に扱われ、展開部自体が短いため違和感は余りない。逆にNo.53Finaleの姉妹版と解釈すれば合点は行く。
 第2楽章はソナタ形式だが比較的単純な主題で、展開の余りない方MenuetTrioは、fg.soloがある。全休を通してテンポは各楽章が異なる表示にはあっている。しかし実際には、かなり4つの楽章のテンポは近い。全て同じ調性で終始することは辛い。 各楽章は、それなりの特徴はあるが、全体を聴き通すと長いFinaleをも相まって散漫な印象。
 ドラティ盤は比較的テンポがゆっくり。第2楽章はソナタ形式であるが、提示部の繰り返しがない。Finale719もある。Finaleの後半(展開部と再現部)の繰り返しがもしあったら優に10分はかかってしまい、最後まで聞き通すと辛い。
202011日追記 タグとして2011128日とする)

20131013日 デイビス盤を聴取。第1楽章は、hob-No.-53Finale 第2版の姉妹版と解釈すれば良いが。如何せん通常は緩徐楽章でも、主調から外れる慣例からも外れて同じ調性。その緩徐楽章も転調やテンポの変化も余りない。
 Menuetは、デイビス盤では思ったより速いテンポ。vc.bass.の分離は随所にあるが、余りこの特徴も生かしていないと思う。Finaleはデイビス盤では、やや速めのテンポで、飽きさせないことを重視しているのか?デイビス盤でも後半の繰り返しはなし。 丁寧に作曲した雰囲気には感じることはないのは同様。デイビス盤でも同様。

2016225日 ホグウッドNo.62を聴取。第2楽章は、Allegrettoの指定ではあるが比較的速いテンポ。ドラティ盤ではFinale後半の繰り返しがない場合719。 一方ホグウッドではFinaleは、全て前半と後半の繰り返しを行っても702のタイム。ドラティ盤よりも短く、テンポはAllegroよりも速め。冒頭T1からの主題が、T2ですぐにpvc..に引き継がれる。この旋律はT7vc.を含むbass.で登場。弦の細か動きが良く分かる。しかし如何せん全体的に丁寧に書かれていないせいか、散漫な印象は変わりない。


2019420日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 62番を聴取。つぎはぎ交響曲のひとつで、第1楽章はNo.53 Finale B 版の一部を改作 転用。No.53Finaleは、415日の聴取記録でレビューした。この部分とNo.63の第1楽章は類似しているが、テンポがこちらの方はかなり速い。Finaleの改作というよりは、やや短めの交響曲の序曲の様な雰囲気。提示部の繰り返しはあるが展開部と再現部の繰り返しがないこと影響があるかも。
 Finaleの冒頭はモーツァルト No.36 のFinaleに、それとなく似ている雰囲気だと思う。 リンツ交響曲は1783年の作曲なので、ハイドンの方がこれより数年前になる。展開部の後半で第1vn.soloではないが、単独で休止を挟む手法などは、ハイドンならではの特徴だと思う。随所のvc.bass.の分離などの特徴も合わせて、Finaleの様々な手法などがメルツェンドルファーの演奏では良く分かる。録音も比較的良好。
20191020日 62  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。つぎはぎ交響曲の典型で、全集のひとつとして聞いていく場合、どうしても、曲の面白さが減っていしまう曲の一つ。No.53 Finale 改作によす姉妹版として、全集の一つとして聞くことで割り切る必要もある。(当時としては、少しずつ各社から、時期的に何度も版を変えて、出版されているので、それほど問題はなかたと思うが)
曲全体を通して聴いていく中で、比較的長いFinaleが面白い。マロン盤では、この頃の作曲でも 一つ前の No.106、 107 と同様にcmb.が結構、大きめに入っている。緩叙楽章では通常、通奏低音としてのcmb.は割合に目立つ箇所が多い。
 この演奏ではFinaleでも、vc.bass.と対等に再現部 冒頭のT123でもかなり大きな音量で入っている。この時期の曲としては、かなりの音量のcmb.は私には違和感がある。

ウェブ アニメータ61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団 

2022年7月16日 61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。現時点(2022年7月16日現在)では、最新の第12集。最初にNo.61の後、No.66.+No.69などが収録されている。例によって収録順に聴取。

表紙のタイトルはフランス語?で LES jeux LES PLAISIRS となっている。最後の単語の PLAISIRS は喜びなどを意味するようだが、今回は輸入盤で邦訳が入っていないので詳細は分からない。 ライナーノートの中ほどには英文で「PERDENDOSI THE EOMOTIONN OF EMPTINESS」のタイトルがある。消えるような、空虚 など 表紙のタイトルとはニュアンスが異なるようだ。No.69の第2楽章の一部に PERDENDOSI の記載があり、 H C Robbins Landon のコメントの一部が掲載されている。このCDのテーマは緩徐楽章の音量を中心がポイントになると思う。

  最初のNo.61は、最も多い調性のD‐dur 。レビューを最初、記載した頃は、もっとも多い調性の曲の一つ。冒頭の最初の動機が比較的、長い、固まりのような印象で、楽章の間で様々な動機が登場し、強弱や音色の変化がありながらも、少し散漫な印象だと記述をした。
 疾風怒涛期などの他の時期の曲や、その他の演奏を聴き比べてみると、今は少しこの印象は変わっている。最初の頃は確かに、この第1楽章の散漫な印象は感じる。それに対して今では、強弱や音色の対比が古楽器を中心に比較をしてきたこともあり、よくわかると自分なりに思っている。

奏者数は以下の通り

5:5:4:3:2

上記のテーマは最後の収録曲のNo.69の第2楽章から引用されている。これ以外のNo.66も含めた3曲に共通する点は、vn.を中心とした32分音符の動機が、多用されている点がある。また、2つのvn.は全て、弱音器を使用。緩徐楽章で提示部の繰り返しは共通しているが、展開部と再現部の後半は繰り返しがあるパターンとないパターンの2種類がある。2種類の違いはあるが、いずれにしても、冒頭の動機は32分音符を含まない箇所が多い。しかし途中から32分音符の動機が入り、至るところで活躍する。No.61には、提示部の終わりが消えるように終わる。3曲ともに、このスタイルは共通していると思うが、この動きが興味深い。No.61の第2楽章は、32分の動機は第2vn.が主に担う

第2楽章の冒頭もNo.64のように、微妙なニュアンスについて記載をした。(下記の T ファイ のレビューに譜例あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-713.html

 アントニーニもこの音量に違いはよくわかる。多くの指揮者にも共通するように、提示部の繰り返しのときは、さらに音量を落とす。アントニーニの場合は、 vc.とbass.はsoloで弾いているような、さらに音量を落とす。No.64にも共通するが、2名のhr.奏者は、かなり低い音域を受け持つ箇所も多い。左側にいる2名のhr.奏者の違いもよく分かる。