通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
68 |
62 |
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1779 |
D |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
同じ調性に終始し、長いFinaleによる散漫なイメージ。 |
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1 |
D |
Alleglo |
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2 |
D |
Allegretto |
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3 |
D |
Menuet&trio :Allegretto |
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4 |
D |
Finale、Alleglo |
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2019年4月20日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 62番を聴取。つぎはぎ交響曲のひとつで、第1楽章はNo.53 Finale B 版の一部を改作 転用。No.53のFinaleは、4月15日の聴取記録でレビューした。この部分とNo.63の第1楽章は類似しているが、テンポがこちらの方はかなり速い。Finaleの改作というよりは、やや短めの交響曲の序曲の様な雰囲気。提示部の繰り返しはあるが展開部と再現部の繰り返しがないこと影響があるかも。
Finaleの冒頭はモーツァルト No.36 のFinaleに、それとなく似ている雰囲気だと思う。 リンツ交響曲は1783年の作曲なので、ハイドンの方がこれより数年前になる。展開部の後半で第1vn.がsoloではないが、単独で休止を挟む手法などは、ハイドンならではの特徴だと思う。随所のvc.とbass.の分離などの特徴も合わせて、Finaleの様々な手法などがメルツェンドルファーの演奏では良く分かる。録音も比較的良好。 |
2019年10月20日 62番 Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。つぎはぎ交響曲の典型で、全集のひとつとして聞いていく場合、どうしても、曲の面白さが減っていしまう曲の一つ。No.53 Finale 改作によす姉妹版として、全集の一つとして聞くことで割り切る必要もある。(当時としては、少しずつ各社から、時期的に何度も版を変えて、出版されているので、それほど問題はなかたと思うが)
曲全体を通して聴いていく中で、比較的長いFinaleが面白い。マロン盤では、この頃の作曲でも 一つ前の No.106、 107 と同様にcmb.が結構、大きめに入っている。緩叙楽章では通常、通奏低音としてのcmb.は割合に目立つ箇所が多い。
この演奏ではFinaleでも、vc.やbass.と対等に再現部 冒頭のT123でもかなり大きな音量で入っている。この時期の曲としては、かなりの音量のcmb.は私には違和感がある。
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61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団
2022年7月16日 61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。現時点(2022年7月16日現在)では、最新の第12集。最初にNo.61の後、No.66.+No.69などが収録されている。例によって収録順に聴取。
表紙のタイトルはフランス語?で LES jeux LES PLAISIRS となっている。最後の単語の PLAISIRS は喜びなどを意味するようだが、今回は輸入盤で邦訳が入っていないので詳細は分からない。 ライナーノートの中ほどには英文で「PERDENDOSI THE EOMOTIONN OF EMPTINESS」のタイトルがある。消えるような、空虚 など 表紙のタイトルとはニュアンスが異なるようだ。No.69の第2楽章の一部に PERDENDOSI の記載があり、 H C Robbins Landon のコメントの一部が掲載されている。このCDのテーマは緩徐楽章の音量を中心がポイントになると思う。
最初のNo.61は、最も多い調性のD‐dur 。レビューを最初、記載した頃は、もっとも多い調性の曲の一つ。冒頭の最初の動機が比較的、長い、固まりのような印象で、楽章の間で様々な動機が登場し、強弱や音色の変化がありながらも、少し散漫な印象だと記述をした。
疾風怒涛期などの他の時期の曲や、その他の演奏を聴き比べてみると、今は少しこの印象は変わっている。最初の頃は確かに、この第1楽章の散漫な印象は感じる。それに対して今では、強弱や音色の対比が古楽器を中心に比較をしてきたこともあり、よくわかると自分なりに思っている。
奏者数は以下の通り
5:5:4:3:2
上記のテーマは最後の収録曲のNo.69の第2楽章から引用されている。これ以外のNo.66も含めた3曲に共通する点は、vn.を中心とした32分音符の動機が、多用されている点がある。また、2つのvn.は全て、弱音器を使用。緩徐楽章で提示部の繰り返しは共通しているが、展開部と再現部の後半は繰り返しがあるパターンとないパターンの2種類がある。2種類の違いはあるが、いずれにしても、冒頭の動機は32分音符を含まない箇所が多い。しかし途中から32分音符の動機が入り、至るところで活躍する。No.61には、提示部の終わりが消えるように終わる。3曲ともに、このスタイルは共通していると思うが、この動きが興味深い。No.61の第2楽章は、32分の動機は第2vn.が主に担う
第2楽章の冒頭もNo.64のように、微妙なニュアンスについて記載をした。(下記の T ファイ のレビューに譜例あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-713.html
アントニーニもこの音量に違いはよくわかる。多くの指揮者にも共通するように、提示部の繰り返しのときは、さらに音量を落とす。アントニーニの場合は、 vc.とbass.はsoloで弾いているような、さらに音量を落とす。No.64にも共通するが、2名のhr.奏者は、かなり低い音域を受け持つ箇所も多い。左側にいる2名のhr.奏者の違いもよく分かる。
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