音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.68 hob-No.62   
2024年6月11日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
68 62 1779 D 4 -  -  - - (1) D 同じ調性に終始し、長いFinaleによる散漫なイメージ。
       1 D Alleglo
       2 D Allegretto
       3 D Menuet&trio :Allegretto
4 D Finale、Alleglo

これもエステルハーザ宮オペラ劇場の火災で、この頃に急遽、編曲して作曲したパステッチオ(継ぎはぎ)交響曲の一つらしい。第1楽章は、No.53の第2b稿のFinaleの転用。No.53Finaleの第1主題とは全く異なるが、経過部から、第2主題移行は同じ構成になっている。展開部も同じのため、No.53Finale主題がどの様に扱っているかと興味はもたれる。しかし第2主題を中心に扱われ、展開部自体が短いため違和感は余りない。逆にNo.53Finaleの姉妹版と解釈すれば合点は行く。
 第2楽章はソナタ形式だが比較的単純な主題で、展開の余りない方MenuetTrioは、fg.soloがある。全休を通してテンポは各楽章が異なる表示にはあっている。しかし実際には、かなり4つの楽章のテンポは近い。全て同じ調性で終始することは辛い。 各楽章は、それなりの特徴はあるが、全体を聴き通すと長いFinaleをも相まって散漫な印象。
 ドラティ盤は比較的テンポがゆっくり。第2楽章はソナタ形式であるが、提示部の繰り返しがない。Finale719もある。Finaleの後半(展開部と再現部)の繰り返しがもしあったら優に10分はかかってしまい、最後まで聞き通すと辛い。
202011日追記 タグとして2011128日とする)

20131013日 デイビス盤を聴取。第1楽章は、hob-No.-53Finale 第2版の姉妹版と解釈すれば良いが。如何せん通常は緩徐楽章でも、主調から外れる慣例からも外れて同じ調性。その緩徐楽章も転調やテンポの変化も余りない。
 Menuetは、デイビス盤では思ったより速いテンポ。vc.bass.の分離は随所にあるが、余りこの特徴も生かしていないと思う。Finaleはデイビス盤では、やや速めのテンポで、飽きさせないことを重視しているのか?デイビス盤でも後半の繰り返しはなし。 丁寧に作曲した雰囲気には感じることはないのは同様。デイビス盤でも同様。

2016225日 ホグウッドNo.62を聴取。第2楽章は、Allegrettoの指定ではあるが比較的速いテンポ。ドラティ盤ではFinale後半の繰り返しがない場合719。 一方ホグウッドではFinaleは、全て前半と後半の繰り返しを行っても702のタイム。ドラティ盤よりも短く、テンポはAllegroよりも速め。冒頭T1からの主題が、T2ですぐにpvc..に引き継がれる。この旋律はT7vc.を含むbass.で登場。弦の細か動きが良く分かる。しかし如何せん全体的に丁寧に書かれていないせいか、散漫な印象は変わりない。


2019420日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 62番を聴取。つぎはぎ交響曲のひとつで、第1楽章はNo.53 Finale B 版の一部を改作 転用。No.53Finaleは、415日の聴取記録でレビューした。この部分とNo.63の第1楽章は類似しているが、テンポがこちらの方はかなり速い。Finaleの改作というよりは、やや短めの交響曲の序曲の様な雰囲気。提示部の繰り返しはあるが展開部と再現部の繰り返しがないこと影響があるかも。
 Finaleの冒頭はモーツァルト No.36 のFinaleに、それとなく似ている雰囲気だと思う。 リンツ交響曲は1783年の作曲なので、ハイドンの方がこれより数年前になる。展開部の後半で第1vn.soloではないが、単独で休止を挟む手法などは、ハイドンならではの特徴だと思う。随所のvc.bass.の分離などの特徴も合わせて、Finaleの様々な手法などがメルツェンドルファーの演奏では良く分かる。録音も比較的良好。
20191020日 62  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。つぎはぎ交響曲の典型で、全集のひとつとして聞いていく場合、どうしても、曲の面白さが減っていしまう曲の一つ。No.53 Finale 改作によす姉妹版として、全集の一つとして聞くことで割り切る必要もある。(当時としては、少しずつ各社から、時期的に何度も版を変えて、出版されているので、それほど問題はなかたと思うが)
曲全体を通して聴いていく中で、比較的長いFinaleが面白い。マロン盤では、この頃の作曲でも 一つ前の No.106、 107 と同様にcmb.が結構、大きめに入っている。緩叙楽章では通常、通奏低音としてのcmb.は割合に目立つ箇所が多い。
 この演奏ではFinaleでも、vc.bass.と対等に再現部 冒頭のT123でもかなり大きな音量で入っている。この時期の曲としては、かなりの音量のcmb.は私には違和感がある。

 2024年5月25日 62番 アントニーニ Basel室内管弦楽団 を聴取。CDの1回目の聴取は、5月11日に1回目が済み。最近、過去のレビューでカテゴリーを見直し、ユーザタグの再編などに取り組んでいるため、新しい記事が滞り気味。No.84から引き続く。ライナーノートには、この後に続く3曲目のNo.50も含めて、指揮者 アントニーニの解説が書かれている。No.62はオペラ時代のつぎはぎ交響曲の一つ。全ての楽章が緩徐楽章も含めて同じ調性。第1楽章はNo.53のFinale B版の一部を転用していることもあり、どうしても つぎはぎのイメージは払しょくできない。
 井上著 「ハイドン 106の交響曲を聴く」では全4楽章の内,Finaleが一番面白いと記載がある。確かに第1楽章は過去からの楽曲の一部転用。第1楽章と同じ調性。さすがに繰り返しを採用するアントニーニでも、この第2楽章では、展開部と再現部の繰り返しは採用なし。Finaleの展開部の一部。第2主題が姿を変えて登場する部分。提示部と異なり緊張する部分。この楽章の中間部らしい音量や各パートの対比などが、アントニーニの演奏でもよくわかる。しかし全体を通しては元々の曲自体が、つぎはぎからの由来もあり、印象が余りない雰囲気。