音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.66 hob-No.61   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
66 61 1776 D 4 -  -  - - (1) C 後期に通じる旋律と強弱の対比が充実したMenuet
       1 D Vivace
       2 A Adagio
       3 D Menuet&trio、allegretto
4 D pretissimo

1楽章の提示部は、珍しくフィッシャーでは繰り返しがない。短い展開部で、第2主題の扱いが少ないが、その分、展開部では第2主題が拡大して扱われる。第2主題は、軽やかな雰囲気。短い展開部を挟みながらも、明るい雰囲気で終始する。D調の調性とも相まって、第1楽章だけを取ると、ロッシーニのオペラ序曲を聴く雰囲気。(提示部の繰り返しがない影響は大きい)
 Adagioの第2楽章は、大規模なソナタ形式で、2本のfg.が扱われている。Menuetは各楽器がsoloの箇所が多く、旋律は元より強弱の対比が美しい。スケール大きく後期の作品に通じるところが多い。Finaleはロンド形式だが、ここでも随所でsoloがある。
 ドラティ盤は第1楽章の提示部の繰り返しがある。普段は繰り返しがある方がスムーズであるが、第1楽章の雰囲気からすると繰り返しがない方が一気に駆け抜けるような感じで良い。Menuetのテンポもゆったりで、soloが目立たない。全体的にフィッシャーを勧める。
202011日追記 タグとして2011126
日とする)

201397日 デイビス盤を聴取。fl.が奏者で入っているので、1770年前半よりも後になることが明白。ハイドンの交響曲で最も調性が多いD調のひとつ。通しNo.60( hobNo.53)を除くと、数年前の一連の作品(特に自筆楽譜で確定しているhob-No. 5457のシリーズと比較して、明らかにスタイルが異なる。
 最初の聴き所でロッシーニのオペラの序曲を聴く雰囲気と記述をした。fl.を中心とした管楽器の活躍の影響が大きい。デイビス盤では管楽器の音色がはっきり聴こえるので軽やかな雰囲気が引き立つ。3者の中ではデイビス盤を薦めたい。
 井上著のこの曲の解説では、めったにない第2hr.fg.soloが登場すること。この点ひとつをとってもエステルハージ楽団の奏者の技術の高さが垣間見える。通しNo.52 hobNo.51で交響曲の分水嶺で、各楽器の役割(特にsolo旋律)について記載をした。No.51ではhr.を中心とした奏者の力量の高さがありながらも曲の構造の形式が、中期から後期に移りつつある分水嶺について記載した。この曲では、もはやこの分水嶺を通り越してしまうが、soloの活躍については最後の姿を残している曲と思った。デイビス盤では、solo奏者の扱いがうまいのも相まっている。

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2016225日 ホグウッドNo.61を聴取。D調のハイドンの交響曲は多いが、どちらかといえば、この曲に関しては余り印象深いものではない。その原因の一つには第1楽章が、流れるような長い旋律の主題。長い旋律が多く、旋律の展開が余りないのが影響かもと私は思っている。第1楽章は、管楽器による単独、あるいはユニゾンの箇所が多い。最近クイケンの演奏を聴く機会が多いが、ホグウッドのfl.は、また音色が異なる。
曲の中で一番面白いのはFinale。テンポはPuretissomoの指定の速さではない。第1vn.が単独で速いパッセージを引く部分が2箇所ある。(T150-156、T158-165)ここでは、vn.の腕の見せ所。ホグウッドでは弦楽器の編成数が少ないが、ここでも駆け抜けるように演奏。

201752日 T ファイ No.61を聴取。過去のランクで自分なりにCとしている曲のひとつ。管楽器のsoloが随所にありながらも、Finaleは流れるような変奏曲。過去の記事については、No.52の部分で交響曲の分水嶺について記載をした。分水嶺の曲でさらに追加で候補を上げるとすれば、この曲があがると思う。緩叙楽章ではvn.の弱音器の指示がある。これは中期以降の曲では、しばしば用いられる手法。
 ファイの録音は近接音がかなり多い。特に管楽器でのキーを切り替えている音などを含めて細かい音まで鮮明に聞こえる箇所がある。ダイナミックレンジが広く、強弱の差がかなりある。各パートの分離感が広いことに加えて、繰り返しでは同じ演奏にならないような解釈を何度も記載して来た。

 そのひとつが、この第2楽章の冒頭部分。提示部がかなり長くて全体156小節の内、58小節を占める。(さすがに、展開部と再現部の繰り返しはないが) 調性こそ違うが、No.64の第2楽章のように、通好みで細かい音のニュアンスまでじっくり聞かせてくれる楽章のひとつ。冒頭の第1主題は、最初の部分は、第1vn.弱音器を付けているが強調して登場。この旋律でvc.の対旋律も重要だが、最初は目立たせていない。一方、繰り返しの部分は、第1vn.は音量を最初よりは落とし、vc.の対旋律を目立たせている工夫がある。展示部の終わりのT54あたりからさらに音量を落として、聞こえるかどうかの微妙な音。ダイナミックレンジが広い録音とも相まって、この微妙な音も捉えている。特に緩叙楽章では録音のよさがポイントだが、ファイの演奏は、うまく当てはまる。
 


 

2019418日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 61を聴取。ハイドンの交響曲の中で、もっとも多いD調のひとつ。No.57No.53D調の共通した点を少し記載した。作曲年代はNo.57No.53と大差はないと思うが、こちらの方はsoloの箇所が多いこと。短い動機の主題よりも全体的に様々なやや長い動機が、散在している箇所があること。交響曲の分水嶺の様に、過去のスタイルを今後のスタイルの両方が見出せる雰囲気。
 ひとつ前のNo.60では2つのパートに分かれたva.について記載をした。こちらはva.の分離はなく、soloはもっぱらvc.の箇所が多い。緩叙楽章で、ややテンポを落とし、謡うような雰囲気をだすことが特徴のひとつと思う。メルツェンドルファーではこの特徴を旨く生かしているが、第2楽章の冒頭も同様。第2vn.vc.の対旋律も冒頭から重要展開部T65の部分で、この旋律がvc.でも登場するがsoloになっている。この部分でも soloの表現を旨く出している。
 再現部の冒頭T85は冒頭と殆ど同じだが、この箇所でもvc.soloで引いているような柔らかい雰囲気。低弦の柔らかさが特徴のひとつ。第3楽章 Menuet のTrioの部分。ここでも得てして、ob.soloが目立ち弦楽器の第12vc.+bassva.はない)が受け持つ。低弦のvc.bass.は得てして余りはっきりしないと思う。しかしメルツェンドルファーの演奏では、vn.とともに、低弦がsoloの様に柔らかく表現。初期の頃の録音で、不自然だった録音は全く影響ない。Soloを含む柔らかい表現を、全曲を通して旨く出している。推薦する曲のひとつとしても良い。


2019816日 61 ニコラ ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。8番目のCD3曲目に入っている。同じCDの中で、アントニーニのように、企画やテーマなりがあれば選曲にも納得がいく。しかし、この全集に関しては、この様なテーマなりが見え難い。No.2423から引き続いて聴取するとなおさら、そのテーマなりが見えない選曲と思う。
 NCO自体の奏者は、No.24にも記載をしたが、vn.はホームページによると7名が記載されている。Vc.bassは1名のみ。ホームページの複数の写真を見ると、低弦は複数いるようだ。写真の奏者はエキストラで出演しているのかもしれない。しかしいずれにしても低弦の奏者はそれほど多くないようだ。モダン楽器で奏者が多いと、低弦の旋律が目立っても、細かい音色や強弱がわかり難いときもある
 元々この曲自体、管楽器を中心にsoloの箇所がとても多く、Tuittisoloを含め、強弱や音色の対比が複雑になっている。一度、聴いただけでは、この微妙な対比がわかり難い。この演奏では低弦に関してbass.との分離を含めて細かいニュアンスが数多く伝わってくるようだ。たとえば第2楽章の冒頭の部分。第2vn.vc.を含む低弦のほうに最初に主題があるようだ。この部分でも、ユニゾンで第2vn.と低弦との音色が鮮明。展開部のT65で、vc.のみが、bass.と分離して再登場する部分がある。この箇所は、提示部と調が異なる。またウオードの場合は、この部分でvc.soloで引いている様な、微妙なニュアンスを表現。

Menuet
Trioの部分でも、低弦はabssとは分離しないが旨い表現。(下記のメルツェンドルファーのレビューに譜面あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1147.html


この曲はNo.53の頃の1776年頃の作曲と大差はない。しかし同じ調性のNo.53と比較すると明らかに、soloを中心とした、軽やかさや華やかさが前面に押しだされている。同じ頃に作曲された曲の中で、No.53と比較すると興味深い。No.53は当時から人気で、Finaleも複数のバージョンがあるようだ。しかしどのバージョンのFinaleでも全体を通して聴くと、soloを控えてザロモンセットの交響曲の先駆となるような雰囲気。一方、こちらの方は、同じD調で緩叙楽章は変奏曲。しかし随所にsolooperaブッファを思わせるような、明るく軽い箇所もある。小編成であるこの演奏は明るく軽い表現を旨く出していると思った。

 61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団 

2022年7月16日 61番 ジョヴァンニ・アントニーニBasel室内管弦楽団を聴取。現時点(2022年7月16日現在)では、最新の第12集。最初にNo.61の後、No.66.+No.69などが収録されている。例によって収録順に聴取。

表紙のタイトルはフランス語?で LES jeux LES PLAISIRS となっている。最後の単語の PLAISIRS は喜びなどを意味するようだが、今回は輸入盤で邦訳が入っていないので詳細は分からない。 ライナーノートの中ほどには英文で「PERDENDOSI THE EOMOTIONN OF EMPTINESS」のタイトルがある。消えるような、空虚 など 表紙のタイトルとはニュアンスが異なるようだ。No.69の第2楽章の一部に PERDENDOSI の記載があり、 H C Robbins Landon のコメントの一部が掲載されている。このCDのテーマは緩徐楽章の音量を中心がポイントになると思う。

  最初のNo.61は、最も多い調性のD‐dur 。レビューを最初、記載した頃は、もっとも多い調性の曲の一つ。冒頭の最初の動機が比較的、長い、固まりのような印象で、楽章の間で様々な動機が登場し、強弱や音色の変化がありながらも、少し散漫な印象だと記述をした。
 疾風怒涛期などの他の時期の曲や、その他の演奏を聴き比べてみると、今は少しこの印象は変わっている。最初の頃は確かに、この第1楽章の散漫な印象は感じる。それに対して今では、強弱や音色の対比が古楽器を中心に比較をしてきたこともあり、よくわかると自分なりに思っている。

奏者数は以下の通り

5:5:4:3:2

上記のテーマは最後の収録曲のNo.69の第2楽章から引用されている。これ以外のNo.66も含めた3曲に共通する点は、vn.を中心とした32分音符の動機が、多用されている点がある。また、2つのvn.は全て、弱音器を使用。緩徐楽章で提示部の繰り返しは共通しているが、展開部と再現部の後半は繰り返しがあるパターンとないパターンの2種類がある。2種類の違いはあるが、いずれにしても、冒頭の動機は32分音符を含まない箇所が多い。しかし途中から32分音符の動機が入り、至るところで活躍する。No.61には、提示部の終わりが消えるように終わる。3曲ともに、このスタイルは共通していると思うが、この動きが興味深い。No.61の第2楽章は、32分の動機は第2vn.が主に担う

第2楽章の冒頭もNo.64のように、微妙なニュアンスについて記載をした。(下記の T ファイ のレビューに譜例あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-713.html

 アントニーニもこの音量に違いはよくわかる。多くの指揮者にも共通するように、提示部の繰り返しのときは、さらに音量を落とす。アントニーニの場合は、 vc.とbass.はsoloで弾いているような、さらに音量を落とす。No.64にも共通するが、2名のhr.奏者は、かなり低い音域を受け持つ箇所も多い。左側にいる2名のhr.奏者の違いもよく分かる。