音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.64 hob-No.57   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
64 57 1774 D 4 -  -  - - (1) C Finaleのテンポの速さとテンポの変化。
       1 D Adago-Alleglo
       2 G Adagio
       3 D Menuet&trio、allegretto
4 D .pretissimo
Adagioの序奏は、後ほど付けられたか? 提示部の中ごろで、第2主題の提示前に属調 により第1主題の再現がある。この用法は後も多用されるが、ここでも見られる。展開部は比較的長い方だが、律や転調の動きは、少ない方。
 第2楽章のAdagioは変奏曲で、弱音器のvn.調性テンポは余り変化がないが、ピチカートの効果による旋律の対比あり。
Finaleの表示速度は一番速いpretissimo。速いテンポで無窮道的な部分もあれば、タランティラ風のたたみ掛ける様な速い箇所。ときには、ややゆっくりしたテンポなど。旋律に変化が多く、ベースとなるテンポが速いことも相まっている。ユーモアの雰囲気などは微塵もないのは、大きな特徴であろう。テンポが速くてテンポも変化が大きく、当時としてはかなりの演奏技巧を必要としたと思う。第1-3楽章の演奏時間は普通だが、特徴としては少ない方。しかしFinaleだけは、短いながらも随所に聴き所がある。古典派の作曲家は、このFinaleを手本としてのか、 モーツァルトやベートーベンなどの主題にも類似している箇所が多い。
ドラティ盤は例によって、Menuetのtrio部分はsoloでない。
(2020年1月1日追記 タグとして2011年1月24日とする)
2013年(平成25年)9月4日 デイビス盤を聴取。元々デイビス盤はテンポは概して遅めであるが、この第1楽章のAllegroは極端にフィッシャー、ドラティ盤と比較してテンポの遅さが目立つ。楽器編成ではtrp.とtimp.が加わっている。トータルの演奏時間は33:05。その内、第1楽章は手持ちのCDの数字データを参照すると9:47になっていた。(CDのライナーノートには各楽章までの時間の記載はなし)
普段は、提示部と再現部の繰り返しをデイビス盤では行うことが多いが、この曲では繰り返しを採用せず。第2、第3楽章のテンポも同様に遅め。 第4楽章のFinaleは速いテンポが要求されるが、2者の駆け抜けるようなテンポではない。やはりフィッシャー盤を薦めたい。 
2014年6月21日 追記。ホグウッド盤を聴取。序奏のAdagioの以上のゆっくりとしたテンポから、一気に過去の3者の演奏以上に速いテンポに突入。今まで聴取していたものと同じ様に弦のパートが鮮明に聴こえる。主部のテンポはデイビス盤が極端に遅い。もしデイビス盤を聴取した後ホグウッド盤を聴いたら、同じ曲とは思えないぐらい対照的。
 タランティラ風の速いテンポにFinaleでは、テンポこそ3者の演奏と大差はない。しかし展開部の終わりの方で、ヴァイオリンが主旋律をppで演奏している中bassが2箇所だけピチカートで引いている(T82、83)Finaleでは、低弦を含め全て無窮動きに近い旋律ばかり引いていたのに、一瞬、この部分だけピチカートの箇所」になっている。この違いが分かるのは、ホグウッドならではの特徴。
  初期の交響曲から聴き通してみるに、既に雰囲気は「がらり」と変わる。この数年後あたりに作曲されたNo.53(帝国)当たりと同じ調性は構成もあってか、大差がない雰囲気。このホグウッド盤では、楽器の特徴のためか調性による曲の違いが良く分かる。このNo.57はその典型であると思った。
2014年6月21日 2015年4月25日 ゴバーマン盤をNo.56に引き続いて聴取。第1楽章 冒頭のT1の「pp」が指定の旋律とすぐ次に来るT2 Tutti「f」指定のダイナミックレンジの広さにびっくりする。1960年代の録音とは思えない。弦楽器で各パートの厚みのある特徴は、主部 第1主題 T32の低弦にある。ついつい2つのvn.パート、ここではT32で第2vn.が 1オクターブ低い旋律で引いているのが見逃せない。しかし、これ以外に低弦のva. vc. bass.の 8分音符の刻むリズムが特徴。T102の第2主題は、同じ8分音符でも滑らかな旋律に移行していると対照的。ドラティ、フィッシャー盤等では、このT32の低弦の音符が、はっきりと目立たなかった。ゴバーマン盤では良く分かる。第2楽章は、ピチカードの使用など、音色の対比を重視している傾向。弦を中心とした各パートの細かい動きの箇所が少ないこともあり、ゴバーマンの特徴は活かせず。
 FinaleのTuttiと第1vn.の対比は、No.56と類似はしている。たとえばT16の部分など1小節の中で第1vn.が引き立つ。しかし全体的には、No.56ほど、ゴバーマン盤の特徴が多くあると余り思えない。むしろNo.55、56の方に軍配が上がる。


2017年5月5日 T ファイ No.57 を聴取。ファイの特徴を凝縮したような曲のひとつ。繰り返しでの装飾で味のよいアクセントがそのひとつ。録音によってはtimp.が入らない。ファイではtimp.が入る。第1楽章の提示部での繰り返し前では、timp.は他のパートと同様にスコアに忠実で、アクセントをつけることに徹している。一方提示部の最後の部分でスコアにはないT117の部分。ここではtimp.のトレモロによる効果があり。繰り返しにtimpの活躍を予兆される流れ。この流れを受けて提示部の繰り返しでは、timp.が即興的に活躍。繰り返しを飽きさせない。
 Tuittiとsoloのバランスがよい。第2楽章は大半が繰り返し。繰り返しの効果版では第1楽章と同様に楽器の奏者を変えたり、装飾を加えるのは同様。この楽章では、弦のピチカートと通常に引く箇所が冒頭の主題から頻繁に変わっていくので、中期の交響曲でしばしば登場する特徴。ここでは、わずか6小節の主題の中に交互に登場する。Tuittiとsoloの細かい変化は、たとえばT19からの部分が典型。
 ここでは最初の2小節は、弦はTuittiとなっている。T20の部分で弦のパートが全てsoloになっている。特にvc.の高音域の音色は印象的。続く次のMenuetのtrioの部分。フィッシャー盤などで時折、Tuittiの箇所でも随時soloが入るが、ファイ盤でも同様の解釈。Menuetの繰り返しで、前半部分を反復する手法は過去に何回か聞いてきた。主部が50小節に対して前半は10小節しかない。10小節の繰り返しにより冒頭の主題を印象付ける。
2018年7月17日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.57を聴取。繰り返しがない箇所が多い。No.55に引き続くがFinaleはPuretissimo。井上著にも記載しているが、無窮動の動機が変化がNo.55以上に多様となっている。強弱、テンポなどNo.55以上に速いテンポの中で表現して欲しいが今ひとつ。
 
2018年10月16日 57番  ニコラス・マギーガン  フィルハーモニア・バロック管弦楽団 を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1304.html


これによれば「オケの奏者全員が一体になって音楽を作り、素晴らしい推進力を生み出しています」となどの賞賛の記述がある。
 古楽器で、vn.は対向配置。ライナーノートによれば、弦楽器の奏者は下記の通り。ノートには、楽器の由来(Stradivariなどが記載している。)

第1+第2:17 va.:4 :vc.:5 basss:3

ハイドンがもっとも良く使用するD調であるが、序奏から切れの良い音色。井上著にも記載がしているが、この第1楽章でvn.はニ音よりも高くなることはない。このため、No.53やNo.104など、高い音域まで上がらないので、少し落ち着いた雰囲気に終始する。
音域が制限されている中ではあるが、スタッカートとスラーの微妙な切り替えがあり聴き所が満載。序奏からの前打音。T32からの第1主題でvn.の8分音符でスタッカートの切れの良さ。同じ箇所で、va.と低弦は8分音符で切れがあるように刻んでいる。この弦の切れの良さがとても良い。T92からの第2主題で8分音符のスラーの流れる旋律と対照的。

展開部の最後の方で第1vn.が単独で少しずつ下降しながら、再現部に落ち着こうとする部分。ここでの第1vn.が他のパートと離れて、戻ろうとする雰囲気が心憎い。(NO53の第1楽章 展開部の終わりの様に、長い旋律で下降するのとは対照的)


第2楽章の変奏曲。同様に繰り返しが全てあるが、繰り返しの後半では、装飾等は特になし。
第3楽章の冒頭は、面白いリズム感。Menuetで3拍子だが、第2vn.は2拍目から出てくる。対向配置を生かして、1拍遅れてくるvn.との対比があり。元々、vn.の切れの良さも加わり、独特のリズム感がある。

Finaleの無窮動的な動きの激しい旋律も、交響曲気味良く演出。No.98のFINALEなどと同様に、僅か1小節にも満たない短い動機が、細かく変化していく。聴き通してみて、特に奏者の多い弦楽器が、各パートがバランスよく対等に広がっているのが一番良いと思った。
ライブ録音となっているが、第3楽章のMenuetの途中で、左側の端の方から、ごく僅かなノイズがある程度。最後の拍手もカットされているので、ライブの雰囲気は皆無に近い。第1楽章の展開部と再現部の繰り返しの採用はない。Finaleもスコアでは展開部と再現部の繰り返しの記載があるが、この演奏では繰り返しがない。ライブであった場合、最後のくりかえしの有無で拍手のタイミングが微妙に異なる。(No.90のFinaleのように、長い休止を挟んだ繰り返しではない。)
 録音をするときに、事前に聴衆に、拍手を少し遅らせるように周知をしたのか? あるいは、自然の流れで、拍手のタイミングが微妙に遅れたのか?気になるところである。

  2019年4月16日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 57番を聴取。
 井上著「ハイドン 106の交響曲を聴く」の中で「この曲全体を通してvn.は ニ音より高くなることはない」と記述がある。D調で明るい調だが普段はニ音より高い音域を越えることも多いのに対して、少し落ち着いた雰囲気が特徴かもしれない。同じ調のNo.53と比較すると分かりやすいと思う。No.57のT77当たりで属調で確保していく部分。8分音符の動機がNo.53のT62でも属調で類似した箇所がある。

No.57の提示部の一部

No.53の提示部の一部





第1楽章の展開部の終わりの方で、第1vn.が単独で、4分音符で上行する動機がある。No.25の第1楽章で同じ様な箇所が、メルツェンドルファーは管楽器のob.に負けてしまい、不明瞭な点が不満だったことを記載した。(下記のブログ) こちらの方は、管楽器がからまない単独の箇所であるが、第1vn.が他のパートと対等になっていて心地よい。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1087.html

No.56のFinale以上に類似性があり、No.57の方は変化が多様と井上著には記載されている。類似している点は、私には良く分からない。しかし冒頭のタランテラ風の無窮動の連譜の連続。短い動機であるが時には、スラーで柔らかく変わったり、Moderatoで柔らかい箇所が、低弦を含む各パートでバトンタッチしていく。変化の多彩は私にも良く分かる。メルツェンドルファーの演奏ではこの多彩な点を旨く表現していると思った。録音も比較的良好。