音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.63 hob-No.56   
2024年4月28日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
63 56 1774 C 4 -  -  - - (1) B Adagioの2本obの音色。
       1 C Alleglo di molto
       2 F Adagio
       3 C Menuet&trio
4 C Finale.pretissimo

C調の典型でもある祝典的な雰囲気。しかし純粋の祝典としての作曲でなく、あくまでその頃の交響曲においてC調の特徴を持つことに終始。
1楽章の第1主題は、和音を基調とした単純な旋律だが、その後のゆったりとしたテンポの旋律とも対比される。 
 2013915日 追記。この第1楽章の第1主題は、他にも交響曲にも類似箇所がある。調こと違うがNo.45が相当。テンポは、Alleglo assai でほぼ同じ。2小節の下降音から構成される。No.56は3小節めで直ぐに、pに減じる。一方、No.45は、3小節目でも減じることもなく、4小節単位の主題が、色々と変えながら繰り返しがある。同じ作曲家の作品で、曲の出だしが同じでも調と強弱の違いでこれほど曲の雰囲気が、がらりと変わるのには敬服する。
 展開部で各弦のsoloと全体の演奏の調性の対比もあり、不気味な雰囲気。展開部で扱われる動機は少ないが、小節数が長く曲想の変化が特徴。提示部と比較して再現部はややカットされるが、短いながらもcodaが心地良く締めくくる。
 第2楽章は弱音器vn.はいつもの通りであるが、ob.fg.soloが随所に聴かれる。しばらく採用されなかった合奏協奏曲のスタイル第12期の雰囲気。obsoloは、ユニゾンだったりsoloだったり。2本の細かい動きが良い。fg.もかなりの高音域であり音色の工夫が見られる。第4楽章はPrestoよりも速いテンポ表示だがフィッシャーでは、それほど速くない。通して聴くと祝典的な雰囲気はNo.48と同じような感じ。しかし冒頭に記述した様に、祝典というイベントとしての交響曲でないことがNo.48とは異なる。逆に 祝典的な雰囲気はNo. 48が頂点であると改めて思う。
 ドラティ盤は、第1楽章の展開部で弦のsoloはなし。Adagioは普段は、soloは目立ちにくいが、この演奏では2本のob.を含めた音色がかなり明瞭に聴こえる。
202011日追記 タグとして2011123日とする)

20121223日 デイビス盤を聴取。もともとデイビス盤はゆっくりしたテンポが多いが、3者の中でもこの第1楽章は、フィッシャーやドラティ盤よりも顕著。またcmb.の扱いも久々装飾的な箇所が多い。(弦楽器の旋律に余り動きがない箇所に、活用している) cmb.の役割は第2楽章で顕著になる。
 Finaleのテンポ指定が、pretissimo。弦楽器の各パートが同じような旋律をユニゾンで引く。奏者の技量が少しでも劣ると、このアンサンブルのズレが目立ってしまう。初期の頃にもこの様な雰囲気はあったが、この時期には珍しい。第2楽章の楽器の扱いこそfg.などは、初期の頃にはないが少し前にも戻った雰囲気。
井上著のこの部分では、奏者のアンサンブルの点にも記述。当時のこの楽団の技量は、やはり高かったと賞賛。

2013911日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章の再現部 T222で、timp.を含めた、フェルマータがある。この部分では、弦楽器のパートは、 p の指示通常通りの奏法に終始をする。管楽器が休むの中で、tmp.は、tenutoの指示でトリルになっている。休止の部分が多く強弱の激しい楽章の中で、僅か1小節ではあるがtimp.solo演奏が堪能できる。このホグウッドでは、この細かい音色が聴き取れる。
 一昔前の作曲の雰囲気がこのAdagioは支配。エステルハージ楽団の奏者、特にfg.を含む管楽器のsoloを楽しむには、このAdagioはとても魅力的。もう少し前の作曲スタイルであったら演奏時間も、もっと短くなっていたかもしれない。しかしこの曲では141小節もある。1小節の中でもスコアでは、細かい強弱の指定の記載が多い。
 井上著の冒頭の部分で、指揮者 岩城宏之のことが記載されている。岩城宏之「楽譜の風景」の本の中で、「ハイドンは苦手」と書いてある。その理由は、「ちょっと調べてみると、フレーズの入り方など、モーツァルトやベートーベンよりもはるかに複雑で、第1、アンサンブルの難しさは後期ロマン派の作曲家たちの作品の比ではない。」と記述がある。ハイドンは一筋縄では、捕まらないとの引用がある。「この表現が、どこの曲にあてはあまるか?」と考えてみる。そうすると、このAdagioがそのひとつではないか? 1小節のなかでも、各パートが強弱記号の指定が細かくある。全体で使用する楽器は、ロマン派の時代19世紀以降と比べると遥かに少ない。それにも関わらず、楽器の使い方一つをとっても、細かいニュアンスの箇所が多い。一筋縄ではいかないハイドンを知るには、このAdagio楽章が正に典型的な一つだと思う。ホグウッドの演奏では各楽器の溶け合うような美しさを堪能できる。また井上著の本でも、このAdagio楽章が大きく推薦。No.55から通して聴くと、同じ頃の作曲でありながら各楽器の活躍や明るいC調の雰囲気とも相まって、とても対照的。
  それに対して、プレスティッシモ(できるだけ早く)の指示指定のFinale。無窮動の旋律が大半でありながらも、強弱の細かい指定がいたるところにあるベートーベン 第7番交響曲の第4楽章の動きにも、少し似ているような感じがあるかもしれない。しかしながらその根底には、演奏技術の高いアンサンブルがあって明るい雰囲気で締めくくる。その雰囲気は、やはりハイドン独自のものである。No.55(通しNo.では一つ前の55)では、ホグウッドならでは、特徴は余りなかった。それに対してこの曲では、いたるところに、ホグウッドならではの特徴を満喫できる。3者の演奏以上に推薦したい。

2015424日 追記。No.56から引き続いてゴバーマンを聴取。54から57までは、自筆楽譜が存在し作曲年が1774年と確定している。まとめて続けて聴取するのがベター。こちらも、第2vn.の、どきどき分かれた旋律が、明瞭に聴き取れるが、No.56ほどは余り目立たない。
 むしろ第1楽章は、timp.の独自の動きに注目したい。自筆楽譜が存在し、最初から打楽器が入っている。作曲者も、このtimp.の活躍は常に意識していたようで、T 221timp,Tenutoの部分。ここでは実質 soloの箇所。ゴバーマンではトリルでの演奏に注目。Timp.がいたるところで活躍し、あたかも パリセットのNo.86Finaleのような雰囲気。 第2楽章は管楽器がいたるところにSoloの箇所があるのと同様に、もはやパリセットを先取りしている。
 2つのvn.パートの聴き所は、この曲では第3楽章のMenuetのほうが面白い。72小節もあり、展開的な中間部を挟む。「f」指示による、全パートと、「p」指示の第1vn.のパートの対比が、ゴバーマンの演奏では良く分かる。Finaleも同様で2つのvn.パートが同じ旋律を引いたり、ときには第1vn.のみの箇所もある。この対比が良く分かる。強弱をつけた曲想のめまぐるしい変化がこのゴバーマンでは堪能できる。
 No.55では、緩除楽章の細かい弦の対比が特徴に対して、この曲では単一主題に近いTuttiの箇所と、第1vn.の「p」の箇所との対比が、面白いように分かる。2つの曲を比較的、近い間で聴くことでこの特徴が分かりやすい。vn.パートが左右に分かれている特徴のひとつ。



20171221日 T ファイ No.56を聴取。このCDは2曲がカップリングされていて、同じC調になっている。作曲年代がこちらの方は、数年後になっているが、作曲スタイルが明らかに中期から後期へ向かってスタイルが異なる。No.46は、第2主題を含め、多くの動機が登場する。一方こちらの方は、ハイドンにしては、第1主題はやや長い動機。また余り多くの経過動機は登場せず、第2主題も親しみやすい旋律。第2楽章はソナタ形式ではあるが、fg.を含む管楽器に旋律が受け持っているなど。No.46と同様に、第2楽章の後半の繰り返しは採用しない。しかし、曲全体の長さは3229とほぼ同じ。
 ところでファイの演奏としては、後半の2つの楽章が面白い。No.46にも記載をしたが、繰り返しの後半では各パートの旋律の装飾や即興がある。この中でtimp.はいたる所で登場するがT44の部分。ここではスコアでは全パートが1小節の休止となっている。しかしファイの演奏ではtimp.が即興でsoloを受け持っている。Menuetの前半は、繰り返しを含め、この部分は
全パートが休止となっているので印象的。
2018716日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.56を聴取。No.54に引き続く。第1楽章スタッカート様は、No.70の第1楽章の冒頭主題にも類似していると思うが、旋律自体が長く変化に乏しい方な印象(井上著にも記載されている)
 FinalePuretissimoもテンポはやや遅め。井上著では、 8分音符の無窮動きで構成された動機が、非常な速さで演奏できたエステルハージオーケストラの技術は究めて高かったと思う。私としてもできるだけ速いテンポで演奏して欲しいと思ったが残念。

2019412日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 56を聴取。No.5457は自筆楽譜が存在し、それぞれ調が異なる。ひとつ前のNo.55でもNo.43と対比させたら興味深い点を記載した。調性こそ違うが序奏のないNo.45の冒頭の出だしと類似している点を過去にも記載した。また C ホッグウッド の強弱の対比が印象的な点を記載した経緯がある。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-198.html

井上著でも、この第2楽章は弦楽器と管楽器の使い方が究めて、巧みに使用されていると記載されている。各楽器の音色の変化はユニゾンの箇所を含めて、この曲以外でも随所に聴き所があるのは共通していると思う。そもそも、この楽章の冒頭の主題自体、Adagioの ゆったりしたテンポの中で、1小節の中でも微妙な強弱が記載されている。冒頭から6小節までの第1主題も強弱の対比が2箇所ある。この部分だけでも、主題自体に微妙なニュアンスがある。その後、fg.を含む管楽器のパートの受け渡し、弦楽器とのユニゾン、微妙な転調が多いなどとても様々な仕掛けがある。メルツェンドルファーの演奏では少しゆっくり目のテンポが幸いして、この仕掛けが良く分かる。弦楽器と管楽器とのバランスも良好。