通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
62 |
55 |
校長先生 |
1774 |
Es |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
B |
Finaleのロンド形式と変奏曲の混在。 |
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1 |
Es |
Alleglo di molto |
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2 |
B |
Adagio、ma semplicemente |
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3 |
Es |
Menuet |
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4 |
Es |
Finale、Presto |
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2018年10月10日 55番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。自筆楽譜が存在1774年。No.45を含む疾風怒濤期よりも2年後の後になる。自筆楽譜が存在する。No.45,46.47のシリーズと比較して僅か2年後でも、変奏曲などの形式が入ってきて、聴衆への迎合が少しずつ入ってくる雰囲気。わずか2年の違いでも曲の雰囲気ががらりと変わる時期。 この頃の作曲時期のひとつとしてNo.51の中で、交響曲の分水嶺について記載をした。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-100.html
このNo.55に関してsoloの箇所として第3楽章 trio のvc.がある。しかしこれ以外には、soloの箇所は余り目立たず。しかし第1楽章などはハイドンの得意とする展開部でシンコペーションの旋律が出てくる。長い展開部の中でもこの旋律は引きたつ。しかし対向配置でないこともあり今ひとつ、この演奏ではインパクトが不足気味。第2.4楽章は比較的分かりやすい変奏曲を採用。
通して聴くとウオードは、緩叙楽章の柔らかい雰囲気が特徴。有名なNo.94の第2楽章のように緩叙楽章の途中で、急に f となってT34で少し驚かせる箇所がある。第2楽章の冒頭は弦楽器のみで、他のパートはT32まで全て休み。T33で管楽器が f で加わるが柔らかい印象。初演当時は少ない奏者であったと思う。まだ聴衆への迎合は余り作曲者自身も意識をしていなかった交響曲のひとつだと思う。
裏を返せばエステルハーザ候を含むある程度、音楽に対する理解(転調などを含む曲のメカニズムなど)が分かる聴衆を前に作曲をしていた。このレベルを念頭に作曲された現代の聞き手側でも、それなりに知識等が必要であると思う。ウオードの演奏は、繰り返しの後半での装飾はないが。奏者が少なく大きな個性が余り見出せない。その分、模範となる演奏のひとつになるのではないかと思った。
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2019年6月4日 5番 N マリナー を聴取。No.53からメルツェンドルファー盤が入り、しばらく中断していたが再開。第1楽章は、思ったよりテンポが遅め。第2楽章の変奏曲は、曲の中途 T34で突然、管楽器が強奏で加わる。井上著では「有名な驚愕交響曲の先触れのようだ」と記述がある。しかし、こちらの方は第2楽章の冒頭からvn.は弱音器をつけているので、 T34でも 打楽器群がないことも加わり、No.94の先触れには、余り関係ないと私は思う。終始vn.は弱音器をつけているので、マリナーに関しても T34の部分では、他の指揮者と同様に柔らかい雰囲気。
この第2楽章は「音楽で描いた肖像画」のたとえがこの本にはある。変奏曲ではあるが、時間が経過していくに従い旋律はもちろん変わっていく。しかしそれ以上に、スコアには強弱記号が書いてある。箇所によっては、微妙にニュアンスを変えている。第2楽章の冒頭では2つのvn.がユニゾンで p で演奏していた。その後2つのvn.パートは、ユニゾンが多い箇所が多い。しかしT80からの変奏では、第1vn.のみが単独で登場し、 しかもpp の指定になっている。冒頭よりも明らかに音量を落としていて、明確な対比が このマリナーの演奏でも良く分かる。肖像画というたとえは面白い。最初に表紙があって、時間の経過とともに、この絵を裏へめくっていくように曲を聴いていくたとえかもしれない。同じ人の肖像画が表紙にあって、めくる毎に、この絵が少しずつ表情を変えながら変わっていくたとえ。これは変奏曲という、最初の主題から旋律、リズム、調性を変えながら進んでいく手法に共通していると思う。
第3楽章 Manuet の trio では、2つのvn.はsolo。(指揮者によっては、vc.のみがsoloになることもあるかもしれないが) soloとTuittiのバランスも自然。かなり前の録音であるが、メルツェンドルファーと違って、マリナー盤は初期から通して聞いている中とても良好。各パートの定位感と分離感も鮮明で安心して聴ける。推薦したい曲のひとつ。
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2024年2月26日 55番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。自筆楽譜が存在し、鈴木秀美 OLCのライナーノートによると、ベートーベン
No.3との類似性の指摘がある。以下は OLCの演奏のブログのアドレス
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1406.html
しかし私にはこの曲との類似は余り感じない。この曲全体を通して感じることの一つに、強弱の対比がある。例えば第1楽章の提示部の部分。この頃の作曲の特徴の共通した特徴の一つかもしれないが、分かりやすい動機のが登場した後、強弱を変えて何度か変わっていく。強弱の部分ひとつをとってみてもT57の強弱の入れ替わりが多い。調性は異なるが、例えば初期の頃の交響曲のひとつNo.9を例に取り上げてみる。全部で3楽章でこちらのテンポは速い。T44〜T46の第2主題の2小節部分のみ。提示部だけの部分なので単純には比較できないかもしれないが。初期の頃と比べると、こちらの方は弱奏の部分は1箇所のみ。

第3楽章 Menuetto も全体的に長く、強弱の対比も多い。Finaleのロンド形式も変奏曲。強弱対比がもちろん多い。全体の4楽章の内、変奏曲が2曲もあることを含めて、強弱の対比が多いと思う。それに対して後の2曲はNo.68、67なので、強弱の対比もあるが、solo
奏法を含めた音色の変化を加えているとの対称的。
上記のことから、No.55に関しては、第1に曲全体を通して音量の対比Pointになると思う。
打楽器群が全て入らない曲なので、弦楽器、管楽器同士を中心とした強弱の対比となる。この曲だけとは限らないもしれない、少なくともvn.2つのパートに関しては、ユニゾンで演奏する箇所が少ない。第2vn.は殆ど下の音のパートを弾いている。2つのvn.パートの奏者数
4名ずつなので、tuittiの箇所の音の音程の差なども聴き所が加わる。展開部の疑似再現。ハイドン曲を聴く」にも記載があるが、再現部T185の不協和音の箇所など、直ぐは分からない仕掛けもある。
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2024年2月27日 55番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。(その1からの続き)
ニックネームの由来となった 学校教師、校長先生の第2楽章。ライナーノートには、様々な変奏をとりながら、ハイドンはこの変奏をその後は取り上げなかった。(Haydn never becomes superficial in his orchestration either.) 変奏の展開方法は、ある意味、似通った? ありふれた展開の手法にも見える。例えばNo.81の第2楽章と比較してみると分かりやすい。No.81は変奏の数は少ないが、各パートの受け渡しの箇所も多く、弦楽器はピチカートで弾く箇所など音色の変化が大きい。一方、No.55は管楽器のsoloの箇所は限られ、調性やテンポの変化も少ない。No.55は敢えて、調性やテンポの変化の制限を受けながらの中で、強弱を中心に変奏曲としての集約を図ったような意図もうかがえると感じる。
第2変奏のT31の部分。この交響曲の中では、唯一、菅楽器のみのsoloが入る箇所。管楽器のfg.はFinaleが始まってから低弦と一緒に演奏していた。しかしこの箇所のみfg.が独立、菅楽器のsoloの一員として参加する。Finaleが始まってから音色が大きく変わる箇所。緩徐楽章で弦楽器のみのユニゾンに加えて、菅楽器が追加で入るのとは異なるパターン。管楽器がバトンタッチをする雰囲気になる。T31までは 弱奏が続き、T31からも一応、弱奏のまま。録音ではかなりT32の部分から管楽器の音が大きく入っている。一瞬、少し違和感が入るかも。しかし聴覚というのは不思議なもので、最初は大きく聞こえそうな管楽器のsoloの箇所も、聞き流し行くに従い、心地よい音量になってくる。
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2024年2月28日 55番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。(その2からの続き)
第3楽章 Menuetto も全体的に長く、強弱の対比も多い。Finaleのロンド形式も変奏曲。強弱対比がもちろん多い。全体の4楽章の内、変奏曲が2曲もあることを含めて、強弱の対比が多いと思う。それに対して後の2曲はNo.68、67なので、強弱の対比もあるが、solo奏法を含めた音色の変化を加えているとの対称的。
ライナーノートには、 Menuetto Trio の最後の方で、No.13 Finaleの 主題で Fuck も採用した Fugue の旋律の記載がある。たしかに T67−69の第1vn.の旋律は類似をしている。しかし私には、同じ楽章の Menuetto T33-36の ob.のパートに既にその萌芽があると思う。ハイドンの交響曲の中の Menuetto では、後期の作品の中には、No.92のように Trioより前に、既に主題の予兆を示すような箇所があるからだ。

鈴木秀美 OLC の奏者数とクランプの奏者数は全く同じ。vn.も対向配置。両者の録音を比較してみると、やはりクランプの方は、ライヴではなくスタジオ録音のためか各パートの音が鮮明。たとえば2名のob.奏者も第1、2ob.奏者のそれぞれの位置まで分かる。昔のLPで弦の奏者が多く、菅楽器が奥側にありすぎて、細かい音まで分かり難いことは皆無。残響を抑え直接音を多く取り入れている。この録音のよる効果で各パートの掛け合いが堪能できるのは、やはりありがたい。
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2025年1月5日 55番 秋山和慶 広島交響楽団を聴取。2006年11月11日のライヴ録音。2曲目にハイドンのtrp.協奏曲。2曲目にモーツァルト ディベルティメント K136。
3曲目にモーツァルトの交響曲No.39となっている。No.48から引き続くと、打楽器群はないが、録音レベルが少し高い。また今まで聞いて来た中で、fg.の音がやや目立つ。(ここまでは、tuittiの箇所でも低弦とユニゾンが大半の箇所でもfg,の音が分かり難い) 第4楽章 T31の第1変奏で、hr.ob.とともに、fg.のsoloの箇所がある。これを意識していたのか。
No.55はNo.52などと同じ時期にあたり、交響曲の分水嶺の時期の曲の一つだと思う。管楽器や弦楽器のvc.のsoloの箇所。第1楽章でわずか1小節だが不協和音の箇所。下記の鈴木秀美 OLCのレビューに譜例あり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2391.html
第2、と第4楽章は、後期でしばしば採用される変奏曲の形式。これより前の作曲でも変奏曲の形式は採用されたが、2つの楽章で採用されてはいなかった。第2楽章は、No.94の第2楽章の様に、突然の大きな音で観客を驚かす仕掛けなど。
初期から中期の交響曲とこれ以降の交響曲とのそれぞれの特徴が混在している曲だと思う。この演奏では特に第2楽章の強弱の対比をうまく表現できていると感じた。第2楽章の最初は、疾風怒涛期の特徴でもある2つのvn.は弱音器を付けている。No.94の第2楽章は弱音器を付けていない。このためNo.55は、強奏の場面でも、vn.は大きな音で演奏しても限度がある。しかしその分、弱音器を生かして特に、弱奏の部分はかなり音量を落とすことができる。モダン楽器を使用しているがフラット系の調性を生かして弱奏でも、音量の対比がよくわかる。
冒頭から第2変奏まで2つのvn.は音量の変化はあるが、殆どユニゾンで同じ旋律を弾いている。(第1変奏の一部の箇所を除く)それに対してva.以下の低弦は伴奏側に回り、殆ど同じ旋律。2つのvn.は、主旋律を担当して同じ役割を持っている。第3変奏のT81で、弱奏となる。しかも第1vn.が主旋律を受け持つ。第2vn.は伴奏側に回る。vn.の音量が少なることはもちろん、曲の雰囲気が大きく変わっているのがよくわかる。通常は繰り返しを省略することもあるがこの楽章は忠実に守り、最後のT171からの部分も反復して終了するのもありがたい。
Finaleの変奏曲も強弱の対比が効果的。中期以降に終わりそうで終わらない雰囲気の箇所があったり、終る直前に弱奏でアクセントをつけた効果などは聴き所のひとつ。第2楽章と同様に、この演奏ではT171からの管楽器と弦楽器の掛け合いなどは、聴いていて心地よい箇所になる。これまで通して聴取してきた中では、強弱の対比を生かした好演だと感じた。
当日のプログラムを参照すると、3曲目のモーツァルト K136を除くと、全て同じ調性になっている。鈴木秀美 OLCのプログラムは、ハイドンの交響曲が中心だが、間に協奏曲などを挟んでいてプログラムの組み立てが興味深い。このNo.55に関しても、No.26から モーツァルトのfg.協奏曲を挟み、最後にNo.55と締めくくる。CDのライナーノートの中で、他のシリーズの例だったが、プログラムの中でのそれぞれの調性を意識して選択している。下記の鈴木秀美 OLCのNo.14の部分にも一部レビューあり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3113.html
一方、この当日のプログラムは3曲目のk136を除くと全て ES-DURの同じ調性。最初と最後は同じ調性になる。最後は同じ調性のモーツァルトのNo.39。当日のプログラムの資料がないので、指揮者はどのような意図でこの曲を選択したのかは不明だが。私としては最後のモーツァルトNo.39を引き立たせるためにあえて、一つ前の3曲目にあかるいD-DUR のK136を持って来たのかと感じた。

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