音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.59 hob-No.52   
2024年6月11日 更新 

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
59 52 1773 C 4 -  -  - - (1) C 大規模で、短調ながらも、明るい雰囲気
       1 C Alleglo assai con brio
       2 Andante
       3 C Menuetto & trio、allegretto
4 C Finale、Presto
この後に続くNo.53とは、殆ど作曲年代に差はない。 その後調査をしたところ、hob-No.と通しNo.では次ぎにあたる、No.53は、これらの一連とは明らかに数年先に作曲されたことが判明。短調シリーズのシュトルム・ウント・ドランク期シリーズのひとつ。Allegloは短調の第1主題であるが、直ぐに長調に転じて経過部に至る。展開部の規模はかなり大きく、両主題が様々に扱う。第2主題の扱う比重が大きいのが目立つ。Alleglo assai con brioの表示の様に大規模で、短調ながらも、明るい雰囲気も一部は伴う。
 Andanteは、弱音器のvn.を主体に終始。再現部で管による主題の提示があり、提示部と音色の変化がある。再現部の中でかなりの展開があり、規模が大きい。中後期に続く短調の交響曲に類似するのか、主調は短調ながらも、明るい箇所が多く迫力がある。No.44の交響曲のスケールを大きくした雰囲気。ちょっとした工夫なり、音色の変化などは、No.44と比較したら、余りない方だと思った。
 ドラティ盤は、特にMenuet以降の楽章のテンポがゆっくり。
井上著によると、R ランドンはこの曲をべートーベンが書いた第5交響曲の祖父と言っている。調性は同じだし、その言葉には、的を得ている点はある。

(2020年1月1日追記 タグとして2011年1月18日とする)
2011年1月10日 ディビス盤の(Helmut Schltz版)の表紙には、fg.が単独明記されている。また、fg.のパートが独自の段であり、bass.とも独立して、管楽器と一緒の旋律も多くなっている。
 Allegloは短調ながらも長調に転じたり、また主調に戻ったり調性一つをとっても動きが激しいのがスコアを見ても分かる。展示部で第2主題が、かなり重視をされ、回繰り返しがある。その後の展開部では第2主題も大きな役割になっている。
 Andanteでは突如、管楽器を含む強奏があったり、気が抜けない。
 Menuetでは、TrioがMenuetの主部と同じ主題あるのは、後年に用いている手法。(一番最後の交響曲No.104が良い例)このあたりは意外な発見。ランクはCで良いと思うが、意外な発見では推薦したい交響曲のひとつ。
2013年7月14日 追記。ホグウッド盤を聴取.。古楽器の使用のためか、第1楽章を中心に調性による弦の音色の変化が存分に楽しめる。ホグウッドでは、テンポを微妙に変化をさせて、ときによっては弱奏の部分を中心に、テンポを落としている。(例:T151 の終わり近い部分など)フィッシャー盤のきびきびとした流れる様な演奏とは対照的。
 後年のイギリスでの交響曲 驚愕と同じ様な雰囲気で、Andanteでは、弱奏から急にfになる箇所がある。fg.の独自の動きは前記をしたが、このホグウッド盤では、提示部と再現部の音色の変化が良く分かる。音色や強弱の微妙な変化は、 Menuetto の1小節内の細かい指示が記載されている。
2013年12月30日 追記。ヴァイル盤を聴取。ひとつ前のNo.51と同様に、ややゆったり目のテンポ。第2vn.の右側にある効果のためかvn.同士の掛け合いが、よく聴き取れる。楽器の配置で効果的なのは、対旋律が浮き出ていたFinaleだと思った。しかしながら、全体的にはフィッシャー盤を薦める。
 2015年4月19日 追記。ゴバーマン盤を視聴。No.26から引き続いて聴くと、短調同士でも雰囲気が、がらりと違うのことが、このゴバーマン盤では聴き取れる。弦楽器が全体的に動き、しかも第1vn.が主導している点で動くことは共通点。拡大された展開部のT100の部分では、第2主題で、2つのvn.が掛け合う。
 第2楽章ではT3で出てくる旋律が終始、全体を支配する。主に第1vn.が受け持つがT100の部分の様に、微妙に掛け合う部分が聴き所。
 Finale Prestoも、第2vn.の対旋律が良く聴き取れる。 ゴバーマン盤は、繰り返しを忠実に守らない部分が多いが、CDで比較しながら、聴き込む現代では、それほど違和感はなし。
2018年5月2日 52番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。ここまで聴き通してきた中で、モノラル録音ということもあり、各楽器のパート間の分離、対比に関しては難しい。その一方で、Tuittiやユニゾンの箇所では、この時代にしては低弦に厚みがある。このため聴き所も、この点が中心になってくる。
 初期の交響曲でNo.12、19では、soloの箇所が殆どない。このNo.52も、短調の調性とも相まって、ユニゾンの箇所が比較的多い。第1楽章の初期の交響曲でNo.12、19では、soloの箇所が殆どない。このNo.52も、短調の調性とも相まって、ユニゾンの箇所が比較的多い。第1楽章の第1主題は、その典型でユニゾンの効果が良く出ている。 しかしそれ以上に、第2楽章が興味深い。井上著でも、この第2楽章は、「ハイドンの好んだ弱音器つきのvn.の柔らかな音色で静かに始まる。第1楽章と対照的な、やすらぎ を感じさせる楽章だが、時々静寂を破るところもあり、前楽器による強奏のユニゾンには驚かせる。」と記載されている。確かに冒頭の第1主題は、第1vn.のみで静かに、提示される。この主題自体は、それほど特徴は少ないかもしれないが、16分音符の動機は頻繁に登場、展開されていく。T22からの強奏ユニゾンの動機は、冒頭から静かだった雰囲気を破る箇所。この部分でも、この強奏が印象的。その後T23で弱奏に転じるのも対照的。
 ユニゾンやTuittiがキーワードで自分なりになると思う。ここまでの選曲を考えると、この頃の作曲時代でsoloの箇所が少ない部分がこの曲は一連の中でベストのひとつだと思う。逆にNo.6〜8シリーズなどがもし、録音されていても、今ひとつの印象かもしれない。
2018年6月1日 ベーラ・ドラホシュ/スウェーデン室内管51番 を聴取。数が多いハイドンの交響曲でも、余り取り上げられない方の曲。ハイドンの魅力のひとつに、短い動機から主題が構成され、展開されていく魅力がある。(ロマン派の交響曲の主題などとは対照的)この第1楽章もその典型で、僅か1小節にも満たない。提示部だけでも、これ以外に様々な動機が登場する。しかしNo.48の第1楽章の様な「てんこ盛」の雰囲気は余りない。Hr.を含む各パートにsoloの箇所が随所にあり、No.48とは異なる雰囲気。録音が比較的新しく低弦の厚みがあり、弦の各パートとの対比が自然。たとえば提示部のT52の部分。第2主題が登場する直前vn.2部による、柔らかい旋律との対比もあり、低弦が厚みをもって f での演奏。どの指揮者も、この部分は低弦の厚みを強調するが、ドラホシュの場合も同様。
 第2楽章のHr.の奏者は右側で並んで位置。hr.の音量もやや強調はされているが。楽章の終結に向けて、2人のhr.も他のパートに埋もれることもなく、存在感を発揮している自然な解釈.
 2019年4月13日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 52番を聴取。低弦で随所に、vc.とbass。の分離がある。曲全体を通して、低弦の独自の動きがポイントの一つと思っている。Tuittiの箇所でも、低弦は適宜 fg.と共に独自の役割がある。ダイナミックレンジはそれほど広くない録音だが、この全集に共通していると思うがvc.とbass.が1オクターブ離れて比較的、良く分かる。 
 Finaleも同様。展開部の冒頭T73から低弦は4分音符で、刻み支えるように寄り添う。T81でvc.のみがbass。から分離する部分。ここでもvc.の音色が良く分かる。しかしFinaleの後半に行くに従い、例によってが多くなってしまう。録音がよければ推薦したい。
 
 2020年2月28日 52番 T ピノック The English Concert a.i.を聴取。 T ピノックは2016年から2017年にかけてボックスで入手し、一応レビューは終了していた。なぜか交響曲でNo.52だけが残っていた。このため残りを聴取。 ピノックの演奏は時によっては、今ひとつの曲もある。(特にNo.6〜8 シリーズ)しかし作曲年代が少し下がって、疾風怒濤期の頃は好演が多いと自分なりに思っている。
 古楽器で中規模の編成で、cmb.はこの時期でも常時入っている。短調の曲の一つだが、各楽章での特徴が網羅され、均整がとれていると思う曲のひとつ。R ランドンが「ベートーベンが書いた第5交響曲の祖父」と記載があった。的を得ていると自分なりに思っている。
第2楽章での冒頭の長調の主題。2つのvn.で、第2vn.は一番低い、最低音のGになっている箇所がある。開放弦の音程となるが、古楽器の特性を生かしてうまく表現。T17から確保の形で再度、冒頭の主題が登場するがここではさらに音量を落とす「pp」の記述がある。小編成を生かして冒頭の音量とも明確に対比。
 Finaleの再現部 T156からの部分。第1楽章と同様にFinaleの最後も主調のc-molの短調で締めくくる。これに至るまで弦楽器は低音の箇所が多い。第2楽章での第2vn.の最低音を記載した。T156はフェルマータの休止から最後の締めくくりに向かっていく。ここでは管楽器はhr.のみだが第2vn.は、やはり最低音域の持続音。T164からva.も最低音の持続音。この当たりは、最低音の効果をうまく演奏していると思う。
 最近FMラジオで聴いた中で弦楽器の開放弦について、興味のある点を耳にした。奏者によっては、開放弦を強いて使用しない奏法もある。開放弦と非開放弦では、スコア上では同じ音程でも微妙に音程と音色が異なる。しかし一番低い音の開放弦は、常に開放弦になってしまう。このため最低音の音色は非開放弦の代わりにはできない。必然的に楽器の持つ開放弦の、楽器として最低音で固有の音色になる。元々この曲の調性は c-mol でフラット系の箇所が多い。シャープ系の箇所が逆に少なく弦楽器でも CやGなどの音が基音の一つになると思う。vn.の最低音はG。 va.の最低音はC。これらの開放弦の音色をうまく表現していると思った。
モダン楽器だと、ここまでの音色の変化は余り分からないと逆にわかりにくいと感じた。ユニゾンでは弦楽器で最低音の各パートは、聞こえる箇所はあると思う。しかし短い間に続けて、各パートで受け渡すように最低音の持続音が受け渡すようにつながるのは、やはりハイドンならではないかと思った。
 52番 T ファイ 2020年6月28日。 ファイの交響曲はかなり入手ているが、まだ数枚が手に入らない状況が続いている。最近、その中の 第6集 No.49.53.58を入手。収録順からNo.52より聴取する。ファイは2018年8月にNo.103と104のレビューを書いた後、しばらく間が空いていた。その間、主にアントニーニの古楽器のレビューが多いこともありモダン楽器のものは、やや少なかった。
 改めて久々モダン楽器のファイの録音を聴く。元々ファイの録音は、ライブ録音とは異なり指揮者の傍で聴いているのが特徴。一般的にはホールのやや前方の中央での音響が多い中、ファイの場合はとても異なる。弦楽器は各奏者までわかるように分離間がよい。対向配置のvn.も左右いっぱいに、特にsoloの奏者は、すぐそばに位置しているのが特徴。
 疾風怒濤期の曲なので管楽器のsoloの箇所は少なく、和音を支える役割が多い。しかしfg一つにとっても、低弦とは独自の動きは少ない。しかしTuittiでのfg.と低弦のパートの重なりにともなう音の厚みなどは、この曲にもふんだんに聞き取れる。 アントニーニの古楽器では緩叙楽章でvn.の弱音器の音色の変化は少ないと記載した。一方、ファイの場合はモダン楽器のためか弱音器による音色の変化がよく分かる。
 またhr.の配置も特徴的。第1〜3楽章では余り意識をしなかったが。スコアではhr.は第1.4楽章はCとEsの調を変えた2本のhr.になっている。第1楽章では、この2本の差が余り分からなかった。しかしFinaleでは第2奏者 Es調の方は、右側に位置。それに対してC調の方は左側に位置し、分かれている。(譜面 Finale T93-94の部分)ツで2本の奏者が音程を変えるところなどは広がって迫力がある。
キレのある低弦はもともとの特徴に加えて、楽器の配置なども聴き所のひとつなっている。テンポを要所に変えているのも、いつもの特徴の一つで好印象は変わらず。
 2022年5月22日 52番 シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken) ラ・プティット・バンド(La Petite Bande)を聴取。パリセットはこの指揮者でもすでに聴取済。この度、初期の交響曲のセットを購入。下記のブログにも好演の記述がある。Vn.は通常配置。


https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1413.html

録音会場と日時はライナーノートに記載はしているが、奏者の氏名や総数までの記載がない。上記のブログにも記載があるが、古楽器の切れは冒頭からよくわかる。余り演奏される機会がない方だと思うが、この曲については、冒頭の旋律から気になっていた。No.87の冒頭にも共通するが、T1、T6で2つのvn.は縦線が2か所ある。開放弦と非開放弦での奏法の指定か?古楽器だとこのあたりの違いがよくわかるかもしれないと思うが、この演奏でもこの違いはよく分からない。アントニーニの演奏でも、やはり分からなったが。

(下記の自分のブログにも譜例あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-688.html


上記のブログで T ファイの場合、T5のhr.の旋律を際立たさせるのが印象的と記載をした。ファイの場合は、概して、hr.を爆発的に聞かせることが多い。一方、この演奏ではそれほど目立たない。

 疾風怒涛期頃の緩徐楽章は、曲によって聴き所が多い。この演奏者だけが特徴とは思わないが、第2楽章の冒頭からはhr.は登場しない。第2vn.とob.のsoloで冒頭からユニゾンで同じ旋律になる。このため第2vn.は大半は、第1vn.と違って、32分音符の刻む様な旋律とは殆ど分かれている。しかし終わりの方のT55でようやく32分音符の旋律を担当。 T58からは第2vn.はob.とは分かれてしまう。その分、。Ob.はhr.の音色を借りて柔らかい雰囲気で終わる。T54で初めて、この楽章でhr.が登場する。管楽器が途中から登場し、よく用いている手法でもある。ob.とともに、hr.も2つのパートに分かれているが、後半の繰り返しがないこともあいまって、穏やかに終わることが印象的。
 2022年7月23日 52番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。No.30にも少し記載をしたが、低弦の音量が比較的、抑え目。No.52は疾風怒涛期の曲の一つでsoloの箇所は余りない。特にこの曲は、弦が主体でユニゾンの箇所も多い。低弦の厚みが必要に応じて、欲しいと思う箇所がある。 
 Finale 提示部の途中のT28からの部分。スコアでは低弦は4分音符の記載になっている。過去の指揮者も、この指示を守り、第2vn. va.の旋律と対比させていた。ところがこの演奏では、低弦は4分音符の指定ではなく持続音に近い。音量も落としている。T46からのtuittiの部分と対照的。
 低弦の分離の箇所は余りないが、展開部の最初の部分で、分離する箇所がある。(下記のレビューに譜例あり)
 
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-918.html

 この箇所では弱奏となり分離したvc.の音色が印象的な部分。この演奏でも、低弦の分離はよくわかる。
 国内のCDなので、日本語訳があるのはありがたい。ライナーノートにも 3曲の選曲に関して、No.30はFinaleのA-B-C-Aの形式で変形されたロンド形式。どこか肩透かしにあった印象。2曲目のモーツァルト vn. 協奏曲No.3は自己完結性を持って幸福感を湛えている。最後の3曲目のNo.52はそなた形式の主題群の特殊さなど不安定さがある。2人の作曲家の違い、2曲の交響曲の違いなどが1晩の演奏会で味わえる。ライヴならではの面白みがあるかもしれない。
当日はアンコールがあったのかどうかは、私は分からない。疾風怒涛期の一つの単調の曲を最後に持ってくることで、もしアンコールがあったら? 短調で終結する曲の最後に短い時間のアンコールに適した曲を持ってくるのは、余り適当でないないと感じた。
3曲ともに、拍手は全てカットされている。ライヴ映像は分からないがある程度、残響の多い会場での録音。指揮者が指揮棒を振り下ろすタイミングは不明だが、終わり方によっては、元々の音源の一部がカットされる可能性もある。私としては、せめて最後の3曲目は、拍手が入ってもよいと思った。


 2022年8月23日 52番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。少し前のNo.48にも気になっていた部分にhr.の音域がある。No.48では全体的に音域が高い箇所が大半だった。No.51も同様でc‐cur 菅の方が常に高い音域を担っているようだ。第1楽章の提示部の終わりの部分でも ob.に近い音域に聞こえる。Fg.の奏者が1名で、ここまでの曲は、強奏以外の箇所ではfg.の分離はない。しかし第2楽章の展開部から再現部にかけてではfg.が独自のパートを受け持つ箇所がある。Fg.の音色もよくわかるのはありがたい。
 ソロモンスは第1vn.をひきながら指揮をして録音した。このCDはエステルハージ候の初演当時の奏者数と楽器を忠実に守っている世界初の録音をうたっている。ハイドンは指揮をしながら第1vn.を演奏していた。(ただしこのCDではcmb.は常時入っている)
ライナー―ノートの写真は録音の様子が掲載されている。その中の一つには、指揮者が椅子に座ってvn.を引いている。座ったままだと、平面の床面では、奏者の位置を高くしないと指揮者の動きが分からない。ザロモン交響曲はロンドンの会場では、vn.は中央の低い位置で管楽器などはステージよりも高い位置の配置となっている。この録音ではどのように配置をしていたのか気になった。

 108番、52番、44番 G アントニーニ Youtube 2024年1月10日 追記。

Youtubeに上記の3曲の映像がアップされていた。休憩時間を挟んでいることもあり、収録は約2時間となっている。サイトによるとこの年は Vienna  Musikverein Vienna, Brahms-Saal  Musikverein Vienna, Brahms-Saal、  Basel  Don Bosco Basel:
の2か所が記載されている。映像を調べてみたら、 Basel  Don Bosco Baselのようだ。バーゼル大聖堂ではないが、徒歩圏内にある。映像が開始してから、奏者が少しずつ、左右の舞台袖から入場する。この舞台は思ったより狭い。管楽器の奏者が大きなhr.をもって、舞台の前から奥側のやや高い位置の椅子席にあがるときも、譜面台を避けるように狭い。舞台の左右の端にはカメラの撮影スペースにもなっているので、なおさら奏者のスペースが狭くなっている。
第19集のテーマは 「TRAUER」になっている。Youtubeなので、音声はステレオで聴けるが、音質は今一つ。映像も私の通信環境では、全画面で見ると細かいところまではスムーズにきれいに視聴できなかった。プログラムとテーマからすると、最後のNo.44がメインで収録されている雰囲気。No.44はhr.は調性が異なる2本となる。楽章間でhr.奏者がクルック管を交換する作業があるため、指揮者は、hr.の奏者を見ながら間合いを取っていた。だが私が見る限り、この日のhr.奏者の楽器の調整が余りよくないと感じた。時折、hr.の音程がわずかではあるが、滑るところがあると思った。Soloとしてのhr.の旋律の箇所は少ない。しかし持続音で和音として支える重要な役割が大きい。収録は2023年10月16日。
bass.のsolo奏者は背後に椅子は用意してあったが、演奏中はすべて、立って演奏していた。一方、もう一人の奏者は常時、椅子に座って演奏。以前にNo.8の時に、soloの奏者が、隣の奏者にあたったことに頭がよぎる。
なお、No.44が終了した後、アンコールの映像もあった。アンコールでは2曲目のNo.52のFinale。通常のプログラムではすべて繰り返しを採用。最後のアンコールでは提示部の繰り返しはあるが、展開部と再現部の繰り返しはない。
なおこの映像は2024年1月16日までの期間限定となっている。YoutubeでもCDと同じような写真も掲載されていた。しかし音質はCDの方が勝っていると思うので購入予定。
  54番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団

表装などに関しては、下記にレビューがある。しかしその後、未聴取だった。このたび アントニーニのNo.52を最近聴取した。N マリナーの No.52を思いだし、再度、聴取をする。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1436.html

当時はNo.53とカップリングされ発売されていたのは、上記のレビューにも記載あり、改めてこのシリーズ(15枚セット)のライナーノートを参照すると、N マリナ―のシリーズで一番最初に録音されていたことが記載されている。 Recording Producer が 懐かしい Erick Smith と記載されていた。この15枚にシリーズでは 14枚目の 1990年の録音で No.99とNo.102も担当。 No.99とNo.102は、ネーミングのない交響曲なので、最後の方で録音された曲目になっている。1970年頃の後に、モーツァルトのピアノ協奏曲が 録音された記載もある。
 この当時の奏者の数はライナーノートには記載がない。アカデミー室内管弦楽団のホームページを見てみたが、過去のデータの記載が余りないようだったので奏者の数は、現時点ではわからない。過去のレビューで来日したときに奏者の数が、当時発売の単行本から、下記のデータを知っていた。このあたりの奏者ではないかと推定。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1471.html

上記のレビューでは 6:4:2:2:1 となっている。

ライナーノートの p32に 当時の演奏している写真がある。姿からしてまだ、N マリナーが若い頃の写真。この写真では vc.が「左」側に位置している。すべての奏者の写真が掲載されていなく、指揮者が中心のため詳細が分からない。vn.の対向配置に関して、ライナーノートの中で、マリナー自身が対向配置にしなかった理由が記載されていた。(当時、 Klemperer Monteux などが対向配置だったのとは対照的なことを含む)英文なので詳細な点までが私はわかり難いが、第1vn.があくまでメイン。第2vn.以下の低弦は第1vn.に対して追従するような立場の記述だった。
 CDの録音では vn.は通常配置。小編成でキレの良い演奏は同様な印象。録音のレンジがやや狭い。管楽器の音量が大きいのは、小編成のため違和感がない。しかし管楽器の奥行き感が不足し、弦楽器と管楽器が同じ場所で対等に聞こえてくる雰囲気。最近の録音では、管楽器の奥行き感がよくわかるのとは対照的。録音の点ではやや不満。
ライナーノートの最後の方には、No.52だけが、LPのみの発売でCDとしてのリリーズが2020年までできていなかった経緯が、他の指揮者のハイドンの録音なども含めて記載がしているのも興味深い。
 約3年前に購入したCD BOXだが、読み返してみて色々なところが楽しめる。P27にある No.48のパート譜の写真が一番、印象に残った。No.48は自筆楽譜が残っていない。しかし1769年の日付で写譜だった Josef Elssler の第1vn.のパート譜が掲載されている。第1vn.は 重音の箇所がある。この箇所を含めてインクの色が濃くてわかりやすいパート譜を見ると、当時の楽団の雰囲気が私にも伝わってくる。

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