音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.55 hob-No.48
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
55 48 Maria Theresia 1772 C 4 -  -  - - (1) A 祝祭的交響曲の頂点
       1 C Alleglo
       2 F Adagio
       3 C Menuetto & trio、allegretto
4 C Finale,Alleglo
通称名のMaria Theresiaのように、1773年当時のオーストリア皇妃マリア・ テレジアがエステルハージ候へ訪問の折に、披露された交響曲。井上著によると、実際の作曲年は1769年で、この披露された曲ではなかった可能性を指摘。実際に披露をされたのは、Hob−No.-50の方であると記載。
 C調で祝祭的交響曲の典型。名曲解説全集にも掲載。通称名は、作曲者の死後に付くものも多いようだが、こちらは生前からあったらしい。Allegloは提示部がかなり長い。第1主題の提示後、経過動機が提示され、この動機が提示部内で随所で登場、展開する。余り目立たない第2主題だが、長い提示部での転調が多い。展開部は比較的短く、り調性の変化はないが経過動機も扱われている。
 Adagioでは、弱音器のvn.フィッシャー盤では、MenuetとFinaleを中心に随所でsoloがある。弦が主体で動くが中間部でhr.の高音域のsoloがある。Menuetの第2部では、trp.の3連音があり、のNo.100 の先駆をなす。特に第4楽章は、合奏協奏曲の様に速いテンポで一気に駆け抜けるようで心地よい。AllegloのテンポよりもPrestに近い雰囲気だがこちらがベター。祝典的な交響曲であるが、実際に当時このために作曲された。後の交響曲では、祝祭的な雰囲気はあるが、実際の祝典が伴うことは余りないと思われる。(貴族からの委嘱で作曲されたり、市民向けのコンサートで披露するに留まる)このため、これが祝祭的な交響曲の頂点になると思う。
 ドラティ盤は、編成はフィッシャーよりも大きいが、交響曲シリーズのひとつとしてあくまで演奏している雰囲気。soloの扱い方が控え目。

(2020年1月1日追記 タグとして2011年1月14日とする)
追記」2009年10月10日 NHK FM放送 名曲の楽しみ ハイドンその生涯と音楽にて、トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュコンサートの演奏を聴取。先週からの引き続いての聴取。フィッシャーと比較し全体的にテンポがゆっくり目。オリジナル楽器のためか響きが、やや「くすみ」がち。楽器編成ではcemb.が入っている。ドラティ盤と同様に、弦を中心としたsoloの扱いはない。第1楽章のtrp.のファンファーレ風の旋律などは輝かしさが欲しいと思う。駈抜けるような爽快感は、やはりフィッシャー盤を取りたい。
2011年1月9日 ディビス盤を聴取。楽器編成はフィッシャー盤と同様に、trp.が入る。同時にcmb.が入る。Hob−No.-52と同様に、Allegloの展開部では、最初の部分で、cmb.の独自の動きがあり、cmb.の独壇場。比較的短い展開部で転調の箇所は、他の曲よりも少ないかもしれない。しかしその分、スコアで見ると第1vn.を中心とした速い旋律と演奏が聴き所なのが分かる。
 今回はスコアを見ながら聴取をしたが、数多くの版が出回っているのか、この演奏では異なるところがある。特に、trp.の箇所が実際には入っていない。全体を通してフィッシャー盤の掛け抜ける清々しさには適わない。
2013年7月13日 追記。ホグウッド盤を聴取.。例によって、trp.とtimp.は入らず。編成からすると以前、聴取したピノック指揮の古楽器と同様になろう。しかしながら、編成が少ないのにも関わらず、迫力ある華やかさは、この演奏でも十分に聴き取れる。その原因の一つには、ときおり入る短調へ傾く旋律と音の強弱ではないか。ついつい管楽器を中心としたファンファーレに聴き勝ち。しかしながら、T12からのc−molへのpの旋律。その直後にまた、冒頭のファンファーレが来たり。従来よりも規模が大きいのはもちろんであるが、いたるところに、工夫が見られると思った。
 フィッシャー盤では、ついつい迫力さが先行してしまい、管楽器のファンファーレが聞きとりにくい。それに対してホグウッド盤では、細かいパート特にhr.が聴き取れるので、スコアをみながら、細かい分析には最適。
 名曲解説全集では、Menuettoの主部の中間あたりで、後の、交響曲100番  ミリタリーの第2楽章にも登場する、3連符のファンファーレに言及。ここまでは気づかなかった。ただしこの解説では古いためか、1773年の マリア テレジア訪問の際に演奏されたと記載。現在では、これではこの曲ではなくhob-No.-50とされている。ランクは、やはりAであると再認識した次第。
2015年4月5日 追記。ゴバーマン盤を聴取。祝典交響曲の典型であるが、裏を返せば、各パートの細かい動きは余り、重視をされて書かれていない。ゴバーマン盤は、各弦、特に第2、特に第2vn.の動きが特徴であるが、Tuittiの箇所が多く、独自の動きが少なくしかも目立たない。同じC調で、数年前に作曲されたNo.41と対比させてみると、その違いが良く分かる。
2016年1月10日 D バレンボイム イギリス室内管弦楽団のCDをNo.44に引き続いての48聴取。N45の同じ録音場所と録音年は近い。編成は打楽器群が加わる。録音が奥行き間が不足し平板な感じ。先日、ショルティ盤では、ホールの中央で聞いた雰囲気と記載をした、こちらはかなり近接している録音。提示部のみの繰り返しは採用するが、展開部と再現部の繰り返しはなし。Finaleは、かなり速いテンポで駆け抜ける。
3曲を一気に通して聴いていた。指揮者の演奏の解釈は、それほど違いがないかもしれない。しかし録音によって、聴き手にとっては、捉え方が大きくことなる。最後のNo.48は、No.44、45と異なり、timpとtrp.の打楽器群が入っている。その分、オーケストラの規模は当然大きくなる。
作曲者もその様に、演奏を希望するだろう。指揮者もその解釈が基本となる。聴き手もCD1枚に3曲がセットになっているので、収録順も考慮すると、当然、オケの規模に合わせて、それなりに期待をする。録音がNo.48では、No.45以上に音全体が近接しすぎて、分離、奥行き間が不十分。この録音のために、No.45と48に関しては、ランクが低くなってしまう。それに対して、No.44は録音もよくて、緊張感がよく出ていると思った。同じ1枚のCDでも、これほど録音による演奏スタイルの差を経験したのは初めて。
 2016年6月27日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No38を聴取。ここ数日、一連のブリュッヘンの演奏を聴いてきた中で、この第1楽章は、とても印象に残る。元々この曲のランクは自分なりに高く上げていたが、取りたてて第1楽章は派手さの中にもfとpの対比、テンポの変化、転調など、楽器編成の多さも加わって至る所に聞き所がある。ブリュッヘンは、元々 f と p の微妙なニュアンスをダントーネと同様に加えているが、この楽章でも随所に新たに登場。ホグウッドの様に、各弦のパートの分離とユニゾンの効果も聴き所。経過部のT35-T43の部分で第1vn.は伴奏的な旋律に重視する一方、第2vn.以下のパートが旋律を受け持つ。この部分でも第1vn.は、やや音量を落として他の弦のパートを引き立たせている。これに対して、再現部のT151-159の類似個所では、調性も異なり、第2vn.が対旋律を引く。この対比が面白い。
 一番興味深いのは、T44からの第2主題の第1vn.の旋律。今まで聴いてきた指揮者は、この部分をスコアではスラーの提示で、柔らかく演奏する。しかしブリュッヘンでは、スラーの指示は守らない。この主題が少し、荒い雰囲気で漂う。再現部でも同様。しかし展開部のT128で類似した旋律(ただし旋律は鏡の様に下降して登場)では柔らかく登場。第2主題の柔らかい雰囲気が一瞬、聴かれる。ブリュッヘンの演奏の中でも、ここまで聴き通してきた中では、一番推薦する曲としたい。
 

2017年1月30日 T. ピノック No.48を聴取。同じC調でNo.50から引き続いて聴取すると対比が面白い。No.50は、どちらかといえば古風な雰囲気で派手さが少ない。一方こちらの方は、大編成のオケを想定したような、派手で祝典的な雰囲気が漂う。 
第1楽章は後期の交響曲に見られる単一主題に近いような構成とは対照的に、様々な旋律が随所で登場。多い旋律が転調されながらこの楽章の中で楽しむのがポイントの一つ。T38からしばらくはvn,はユニゾンで引く。しかしT41から第2vn.は、第1vn.と異なる旋律を受け持つ。この第2vn.の旋律は、再現部でも同じように登場するが特徴ある旋律。概してT40から第1vn.の高音域の旋律に消されてしまう。ピノックの演奏では、第1vn.は少し音量を落として第2vn.以下の旋律を引き立たせている。この部分は再現部で第2vn.の旋律が第1vn.の高らかな演奏されるポイントの一つ。(再現部では、主調で逆に第1vn.がこの旋律を演奏。それに対して第2vn.は音量を落とす。
 Finaleのテンポはやや遅めだが、第1楽章と同様に2つのvn.パートの分離とユニゾンが引き立つ。Tuittiで全てのパートが鳴り響くとき、特に左右のvn.パートが広がっていて迫力がある。ピノックの演奏の推薦曲のひとつとしたい。
 48番 ファイ 2017年12月19日 T ファイ No.48を聴取。この第1楽章は
、様々な旋律が登場し、いたる所で転調を含む箇所が多く一度、聴いただけではテンコモリの印象がぬぐえない。しかしスコアを見ながら何度か聴き重ねていくと、楽章全体の統一感が見えてくる。ハイドンの面白さのたとえとして、即興と臨場感をベースとした漫才ではなく、落語の様にある程度、筋道を事前に知った上で面白さが分かる記述があった。この楽章はその典型のひとつ。楽章全体の流れを含めた、終わりまでの道筋を意識しないと、なかなか面白さは見えないと思う。
 冒頭の第1主題で、管楽器群が受け持つ。vn.は旋律としての動きは余りないが、16分音符のリズム感が目立ち心地よい。(第2vn.が右側にいるため明白に聴き取れる)この後の経過部で T ピノックの演奏で、T41からの第2vn.パートの旋律を目立たせる部分について記述をした。ファイの演奏でも、同様に第1vn.は少し音量を落として第2vn.の旋律を引き立たせている。その分、再現部の箇所では第1vn.が主調で豪快に引くのは良い手段と思った。
ファイでは通常は繰り返しを守ることが多い。しかしさすがに、このファイ盤でも第2楽章で、展開部と再現部の後半に当たる繰り返しは採用せず。第1楽章は全て、繰り返しを採用して11:24。それでも後半の繰り返しの採用がなくても第2楽章は11:32で、ほぼ第1楽章と同じ。もともと、この第2楽章は終始、2つのvn.は、全て弱音器をつける指示があり。vn.パートの細かい動きに終始する箇所が多く、やや冗長気味な雰囲気のため繰り返しがない分は納得できる。
 Menuetの再現で、timp.の即興や各パートの装飾などは、いつものファイ盤でしばしば聴いて来た特徴のひとつだがここでも堪能できる。全体的に通して聴くと、過去のファイ盤の特徴を全て旨く捉えている解釈で推薦する曲のひとつ。
2018年5月1日 48番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1961年の録音だが、No.12.19と同じCDに収録。第1楽章を中心に音源に、少し歪があるようだ。このシリーズを聴き始めて、打楽器群が始めてはいることもあり、編成は大きくなるようだ。しかし、恩芸の成果、ダイナミックレンジがかなり狭く聴こえる。
 第2楽章は、このシリーズで聴き始めて、vn.に弱音器を使用。この頃からハイドンの特徴ではあるが。管楽器群も随所に入るが、hr.を中心に、soloの部分は、弦楽器は伴奏に徹しているのが良く分かる。たとえば、展開部の終わりにT50に近い部分。ここでob.とhr.の旋律がある。この部分は、ob.よりもhr.を目立たせている。

テンポは今までと同じ様に、概して、緩叙楽章は少し遅め。第3楽章のMenuet 主部で後半の繰り返しは採用せず。他の箇所でも繰り返しが少ないので、細かいところまで集中して聴く必要がある。

  2019年2月3日48番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。ハイドンの交響曲No.中で名前が付いている25曲が選曲されている。名称の マリア テレジア は、現在の説では、当人がエステルハーザ宮殿の到着した1773年より以前に作曲されたこと。当時の交響曲はNo.50だったらしい。しかし名前を持つ曲にはふさわしい。打楽器群のtrp.とtimp.を含む演奏もあるがマリナー盤は打楽器群はなし。
 この曲の第1楽章は様々な旋律が登場し、場合によっては統一感に欠ける雰囲気もある。旋律も多いのに加えて転調の箇所が強弱の対比も多い。統一感と変化の組み合わせてのバランスを考える必要があると思う。ひとつの手段として主な旋律をある程度、目立たせて伴奏の部分を少し抑えることがある。過去のブログにT ピノック の盤で、第1楽章 T40の部分。通常は音程の高い第1vn.の旋律を抑えてその分、第2vn.を引き立てる効果を記載した。(以下のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-671.html

 マリナーの場合も同様に、この部分は第2vn.を逆に引き立ているので同じ解釈。ピノックと同様に他の箇所でも、楽章の中で柱となるような旋律を目立たせているので統一感がある。
 Finaleのテンポもピノックより速めで躍動感がある。第1楽章では、vn.とob.のユニゾンが余り目立たなかった。しかしFinaleでは、ob.のユニゾンが目立ち打楽器群がない分、管楽器とのユニゾンが豊富に聴ける。疾風怒濤の交響曲は楽器編成が殆ど同じ。特にこの曲は打楽器分がない。しかし調性が違うためか、同じ頃の作曲されたNo.44と比較すると「同じ作曲かなのか?」と疑うほどの違いがある。マリナーの場合はNo.44の悲壮感とNo.48の明るい躍動感が旨く対比されていると思った。
 2019年4月4日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 48番を聴取。第1楽章は様々な旋律が登場しながも統一感が比較的ある曲と思うひとつ。以前 T  ピノック の演奏で、第1楽章 T41の部分で第2vn.の旋律を目立たせる特徴を記載した。(以下のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-671.html

 様々な旋律が登場し必要に応じパートによっては目立たせない部分ではある。メルツェンドルファーの演奏では、ピノックほどではないが、第2vn.の旋律を比較的表に出している。対向配置ではないが、過去にも少し触れたように第2vn.が中央より右側にも広がっていて、2つのvn.は厚みがある。Finaleのテンポは普通。普段は前面にob.が出るケースはあるが、この曲では余りでない。Tuittiで弦楽器とob.のユニゾンもこの曲に関しては良好。
 ただし録音に関しては、第1楽章は、LP特有のスクラッチノイズが時々目立つ。緩叙楽章で、ややレベルを上げての録音も違和感あり。しかし第3,4楽章でのレンジも開く録音も良好。録音で各楽章の差があるのが残念。
 48番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド

2021年10月11日 48番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。1枚の収録順番は興味深い中、このCDはNo.48・49・50の3曲がhob番号順に収録されている。グッドマンは現時点で、ハイドンの全曲の録音には至っていないが、かなりの曲を収録し、まとめての発売があるようだ。全集だとフィッシャー、ソラティ盤のように、hob番号の順番で収録するのも一手段であろう。作曲順番だと多少は前後するかもしれないが。ここ最近は作曲年代にかかわらず、収録順番から聴取をする。

 No.48は自筆楽譜はないものの、打楽器群を含む版があるために、演奏も打楽器群が入るかどうかで変わってくる。このCDでは打楽器群が入っていない。指揮者がcmb.の通奏低音を演奏しながら収録しているのは今までと同じ。モダン楽器?で奏者の数はやや多いと思う。vn.は対向配置を生かして、tuittiでの音量もかなりある。第1楽章は、得てして様々な動機が登場し、統一感が少し欠ける可能性もある。(このあたりは同じ調性のNo.82も共通点かもしれない)
右側の第2vn.の音量が他の指揮者以上に明白に聞こえ、対向配置を生かしていると思う。特にFinaleの展開部 T124からの部分。第1vn.は8部音符で少しずつ上昇していく部分。第2vn.は少しずつ下降していく。vn.以外は、余り大きな動きがないので、この2つのパートの掛け合いが対比的。打楽器が入らいない分、弦楽器を含めてのパートがよくわかる。T130で再び2つのvn.はオクターブで重なってtuittiになるなど、細かい動きがいたるところにあるのも注目。指揮者はcmb.の通奏低音を引きながら指揮をしている。cmb.の音は、緩徐楽章では多少目立つが、それ以外の楽章は他のパートに埋もれてしまうのか、余り目立たない。R デイビス盤のように、右側の奥の方に位置し緩徐楽章以外も、他の楽章を含めて常時、目立っているのとは対照的。
 2022年8月21日 48番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。No.41から引き続く。第2集では打楽器群は入る最初の曲。収録の順番はランドン版による推定作曲年代に寄っている。その趣旨によればNo.41から続くことは納得がいく。武石の記述によると、エステルハーザから数マイル離れた候がキットゼー城で開いた祝祭行事が関連すると記述がある。2つ前の歌劇 漁師の娘 も上演された記録がある。率いる楽団は通常の16人程度から増強され36人の記録もあり。同じ調性のNo.50よりも、さらに華麗な雰囲気から特徴が多い。
この演奏では、冒頭のtuittiでも、打楽器群が入らないが柔らかい音色。得てして大半の指揮者は、tuittiでの奏者の多い数も生かして、大きな音量を聞かせてくれるのが特徴の一つである。これとは全く対照的。
 しかしながら、各パートの音色はよくわかる。特にtimp.は、スコアにはない独自の旋律を加えている。(trp.の旋律と同じ様だ) 冒頭からT5の部分はもとより、再現部などを含めた類似箇所は同様に入っている。 対向配置でないと思うが、第2vn.の32分音符の刻む様なトレモロがよくわかる。このあたりは、 T ファイの場合も同様。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-764.html

疾風怒涛期の緩徐楽章は一般的に長くソナタ型式が多い。中期から後期の変奏曲などと異なり、転調、旋律の変化など多彩になる。以前は、この第2楽章はやや冗長な雰囲気と記載をし、展開部と再現部の繰り返しを採用しない T ファイのレビューに関して記述をした。その後、色々な奏者を聴き比べることも含めて、考え方が少し変わった。このNo.48の第2楽章は、No.43の第2楽章と同じように、提示部の短い動機を様々に展開している手法が共通していると思う。
No.48の方は、No.43と比較して展開部の小節数は短い。しかしhr.の2名のsoli の箇所など、中庸、やや左側に位置する2名のhr.が奏者の位置も含めてよくわかる。第1楽章の C 菅の高い音域が多い音色と異なり、この楽章は F 菅となる。管楽器の持ち替えにより、音程はもちろん変わるが、柔らかい音色が印象的。もうひとつの管楽器のob.も同様で、第1楽章の、強奏の部分とは異なる音色も印象的。(vn.はこの楽章が弱音器を使用しているので、なおさら管楽器の音色が重要となる)
 冒頭のキットゼー城の由来について。私は、この仮説について初めて知った。井上著のハイドン 106の交響曲を聴く中でも、この曲の良さの記述がある。緩徐楽章も含めて聴き所の多い曲。最終楽章Finaleも華々しい。アントニーニはまだこの曲を取り上げていない。4名のhr.が登場する曲も同様。交響曲全集を目指しているのなら、アントニーニがどの時期で、どの他の交響曲を組み合わせるのか気になるところ。私なら、全体の2あるいは3曲目あたりに持ってきて4曲目は、初期の残りの交響曲でアンコール風に締めくくるような構成を検討したい。

 2022年9月1日 48番 オルフェウス室内管弦楽団 を聴取。ハイドン音盤倉庫では小編成を生かした爽快感のレビューが記載されている。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-251.html

 モダン楽器かもしれないが、確かに小編成が特徴であると思う。ライナーノートでは弦楽器の奏者の数は通常の16名での内訳は下記の通り。

第1+第2 合わせて 9:3:3:1の様だ。(この曲ではないが、下記の同じ頃のビゼーの交響曲に関して、録音を含めた編成に関する記述がある)

http://karajan2.blog101.fc2.com/blog-entry-2131.html

No.91から引き続いて聴取する。No.91は調性がEs-Dur でfg.を含めた対位法的な箇所が多く、どちらかといえば低弦に厚みをおいている。No.48は打楽器群が入る版もあるが、ライナーノートにも記載されているが、この演奏は打楽器群が入っていない演奏。低弦の厚みが少なく小編成も加わって、小編成を生かした透明感と爽快感が中心となる。  最近聴取した Derek Solomons, L'Estro Armonicoの古楽器で打楽器群が入っているのと対照的。各パートの動きが低音が軽めなのでよくわかる。Menuet の終わりの部分。ファンファーレの動機が入る T32の部分。全てのパートが3連符の同じものだと、ついつい思っていた。しかしスコアでは弦楽器は3連符でない。一瞬の短い箇所が3回だけしかないので、ここまでは気づきにくい。しかしながら微妙な違いが初めて分かった。
 音盤倉庫にも記載があるが、Finaleは軽めの爽快感に終始。打楽器群が入るスピード感を高めた雰囲気とは全く対照的。第12楽章までは、展開部と再現部の繰り返しはなかった。しかしFinaleは繰り返しを採用しているのもうなずける。
 なおクラシックCD 聞き比べのレビューでオルフェウス室内管弦楽団の写真が掲載されていた。当時の録音は1986年。ライナーノートの写真は白黒だが、録音当時の写真の様に思える。そ
なおクラシックCD 聞き比べのレビューでオルフェウス室内管弦楽団の写真が掲載されていた。当時の録音は1986年。ライナーノートの写真は白黒だが、録音当時の写真の様に思える。
それに対して、聞き比べに掲載されている写真は、最近のものと思われる。(同じメンバーが多いようだが、それなりに年齢が高くなっている雰囲気に私は感じる)

https://blog-imgs-88-origin.fc2.com/k/a/r/karajan2/orpheus_chamber_orchetra.jpg

 2023年2月11日 ジュヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ48番 
を聴取。No.59に引き続く。前の2曲と比べるとhr.のsoloの箇所は少ない。指揮者によっては、trp.を含む打楽器が入る演奏が多い。楽曲解説者のライナーノートにも記載があるが、宮廷楽団の通常配置の場合、打楽器群はC‐durの調性でも原則、入らない。このためこの演奏でも打楽器群が入らずhr.が高音域で補強的にはいる記載がある。この演奏では、hr.は2名のままで、打楽器群のパートは受け持っていないようだ。 しかし2名でも要所でhr.は鳴り放つのは同様。弦楽器の切れは随所にあるのは同様。Finaleのvn.の開放弦を含む音色を生かした対比なども印象的。下記の R グッドマンに譜例あり

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1407.html

 このCDは予約の段階から、写真の表紙が気になっていた。山の雪の中から2本の木がせり出している写真。直観的に牛の角をイメージさせる。牛の構図はちょうど、星座のひとつ「おうし座」の姿によく似ている。(おうし座は、地上からみると、冬の深夜でない時はちょうど南側の高い位置にある。左(東側)に向かって2本の雄牛がイラストで描かれていることが多い。牛の角を使って昔からhr.は使用されてきた。hr.との関連がこの写真からでもすぐにわかる。ハイドンの交響曲のhr.がこれらの中の曲で4人いて、交響曲の中でも特異な方であること。hr.という楽器はライナーノートには、前の侯爵は狩もしていたこと。狩にはhr.は欠かせないこと。このCDはナチュラルhr.を使用している。これらの点が丁寧に記述されている
さらに表紙の写真はもとより、狩にちなんで扉などの写真には、狩にちなむ写真が豊富にある。アントニーニのシリーズはテーマを持ってそれぞれ表装を含めて刊行しているが、これほど明解にテーマに沿って分かりやすい写真もありがたい。昔のCDの表紙は、単に絵画や楽器の写真などが多いと思う。もし少し前の時代ならモダン楽器あるいは古楽器のhr.をアップにする、あるいは、hr.を演奏している写真。テーマが狩になら、狩猟の絵画なども考えられる。
 この写真は Magnum Photo  Jonas Brendiksen  ノルウエー出身の写真家でまだ1977年生まれと若い。現在はナショナルジオグラフィックの雑誌などに発表している。
CDには数枚の写真しか掲載されていないが、1枚ごとに写真家からテーマに沿った伝えたいイメージが沸いてくる。日本語サイトにもマグナム フォトの解説があるが、トップページに近い最初の方に掲載があるので、著名な写真家の一人のようだ。

https://www.aflo.com/ja/pages/brand/magnumphotos

鈴木秀美シリーズと異なり表紙に関しては常にテーマがあり、これに沿った写真が掲載されている。このテーマにそって、写真を含む表装や解説を読み取る醍醐味がある。
ただし、買い手側においても、アントニーニの思想、解説者、曲の背景、知識などがある程度、分かっていないと、この企画の良さが見えてこないと思う。裏を返せば買い手側もある程度の知識をもってCDの良さを理解し、このようなレビューが書けていると私は思っている。