音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.51 hob-No44)
2024年1月10日更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
51 44 悲しみ
Trauer
1771 e 4 -  -  - - (1) A 第1楽章は暗い盛り上がりで終結。
       1 e Alleglo con biroo
       2 e Menuetto & trio
       3 E Alleglo
4 e Finale、Presto
2013年8月24日 追記。hob-No.-49 f-mol 、混同していたため、再度、聴取し直し。以前も3者の演奏を聴いているが、聴き直しのためホグウッド盤から聴取。最新名曲解説全集では、No.31に続いて登場。この中では、この時期に短調の交響曲が突出して作曲されていること。対位法的な書法が積極的に導入されているのは、顕著な特徴と記載が。短調がここまで突出している原因としては、当時の楽長ヴェルナーの死去によるとのこと。
 また、この時期の交響曲としては、作曲者自身がことのほか愛した作品で、自己の葬儀の際には、緩徐楽章の第3楽章を演奏して欲しいと語ったと言われている。
 第1楽章は、再現部で著しく拡大され、最後のcodaは、劇的な盛り上がり。ホグウッド盤では、奏者が少ないのにも関わらず、最後の盛り上がりが十分。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」では、第1楽章に弦のユニゾンの効果がある。ついつい対位法に注目されてしまう。しかしその背後には、ユニゾンがあってのこそ。第2楽章のMenuetも、カノン風に追随して、暗い雰囲気が終始。trioでは、今まで殆ど活躍しなかったhr.が花を添える。
 Prestoの最終楽章は、対位法は、もちろん、ユニゾンがあってのこそ。ホグウッド盤は、長調の交響曲では、比較的、管楽器が割合に目立つ。それに対して、この曲を含めた短調の交響曲は、緩徐楽章以外は、余り目立たない。通称名の付く、No.45(ホーボーケン番号だと、直ぐ次に位置する)とともに、同じ頃に作曲された長調の交響曲とは、全く対照的。むしろ、No.44のこちらの方を個人的には高い評価をしたい。同じ作曲者とは思えない典型的な短調の曲。
(2020年1月1日追記 タグとして2011年1月11日とする)
2013年8月25日 ドラティ盤を聴取。普段は、ドラティ→フィッシャー、デイビス盤の順番で聴きくこと多いが、今回は順番が異なる。ホグウッド盤を聴いてから、ドラティ盤を聴くと、弦の奏者が多いこともあり、細かいパートの動きが不明瞭。特に、低弦は音量は大きいが、ユニゾンや対位法の細かい音色がはっきりしないのは、やや不満。カノンの書法で通すvn.と低弦との、やり取りも、今ひとつ。
2013年10月12日 追記。 ヴァイル指揮のターフェルムジークの演奏を聴取。弦楽器を中心とした対位法とユニゾンの効果を聴きどころの一つとしていた。各楽器のパートの広がりが十分に聴き取れる。第2楽章のMenuetも同様で、第2vn.の方から、主旋律を提示する部分などは、明白に聴き取れるので、弦楽器が主体の当時の交響曲の雰囲気が出ていると思う。なお、ヴァイル番のクレジットでは、この第2楽章は、canone in diapason の注釈がある。(後でもう一度、確認をしてみたらホグウッド盤のライナーノートにも記載がしてあった。)
 第3楽章は、一転して、主旋律の第1vn.を引き立てるように終始。ユニゾンで引く箇所は、それほど目立たないが。対旋律を受け持つ伴奏的な部分だと、控えめに寄り添う役目に終始。ホグウッド盤と違って、繰り返しは忠実に守らないので、終楽章などは、速いテンポとも相まって、キビキビと一気に進む。ランクはやはりAである中、ヴァイル盤も引けを取らないと思った印象。
2015年7月25日 追記。ジョン・ラボック指揮のセント・ジョーンズ・スミス・スクエア管弦楽団のCDを入手。2015年725日に聴取。このCDは、余り知られていないようだが、ハイドン音盤倉庫でかなり良い評価の記載があった経緯から今回入手。録音は、1986年と記載があるだけで詳細は不明。使用楽器はモダンで、編成はやや少ないプルト数か。第1〜2楽章にかけては、これといった特徴は余り感じない。なお、第2vn.は、右側に位置しているので、Tutti箇所で、第2vn.のオクターブなどの下がったユニゾンの音色などが、存分に聴き取れる。第1楽章の繰り返しは採用。
白眉は、第3楽章のAdagio。かなりテンポを落とし、じっくり歌わせている。T16から初めてこの楽章で管楽器が登場する。天井から降りてくるような雰囲気。くりかえしはしないが、違和感は全くなし。ヴァイル盤の古楽器とは対照的。
2016年1月9日 追記. ハイドン音盤倉庫でかなり良い評価の記載があった経緯から今回入手.
D.バレンボイム 指揮 イギリス室内管弦楽団のCDを入手。楽器の配置では第2vn.は通常の左側。ヴァイル盤と違って、第2vn.は右側に位置しないので、Tuttiでのvn.全体の音量は、殆ど、左側のみ。その分、va.を含む低弦が右側でvn.と対抗。Cmb.は、最初からbassパートと一緒に演奏しているようだ。
第3楽章のAdagioのテンポがかなり遅めだが、謡うようにきれいな雰囲気。弦の編成は少なくもなく多くもない。管楽器は、16で、初めて登場する部分が、それまで静寂を保っていて添えるような雰囲気。 1975年の録音だが、音の定位、分離感などが、とても自然で聴きやすい。Finaleは、繰り返しを採用していない。その分しっかりと聴いていかないと、すぐに終わってしまう。(僅か3:35)
 一番の聴き所はこのFunale。Prestoのテンポは、それほど、速いものではない。T18から第2vn.とvc.、bass.で第1主題を受け持つ箇所。この部分でも第1vn.の対旋律に負けないように、しっかりと形を作る。この解釈は、T51のvc.とbass.の旋律も目立つように演奏。繰り返しはないが緊張感が切れることなく一揆に終わる。なお録音データによると、録音会場はエディンバラとなっている。
2016年6月14日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No.49を聴取。緩除楽章は概して遅めのテンポだが、このNo.49の第1楽章も同様。冒頭の弦の各パートのユニゾンの部分が聴き所と、この曲では書いてきた。楽器編成が少なく、弦楽器が中心となるので、vn.パートは、広がって聞こえて欲しいが、通常の配置。ブリュッヘンでは余り特徴はないと思った。
 
2017年1月9日 T. ピノック No.44を聴取。古楽器の使用で配置も一緒の以前、ヴァイル盤を聴いて、この曲の評価をさらに上げた経緯ある。テンポも類似していて、どれほどの違いがあるか、再度、ヴァイル盤を聴取して比較をしてみた。楽器編成でcmb.がピノックは入るがヴァイル盤はなし。しかし、それ以外に、Hr.の配置も含めて(2本ずつのhr.は広がっていない)全く同じ。奏者の数がヴァイル盤の方が、少し多いようで、録音もこちらの方が鮮明。
ユニゾンが多い箇所がありながらも、不協和音を連発が聴き所のひとつ。第1楽章のT140の終わりに近い弦4分のtento。ここでは2つのvn.がオクターブ離れた半音が対比される。ヴァイル、ピノック 両者ともに、第2vn.が右側で明白に聞える。強いてあげれば、ヴァイル盤の方が編成が少し大きい分、このtento の部分で、不協和音の対比が大きく聴こえて印象が少し大きいと思った。
 
2017年4月2日T.ファイ No.44を聴取。同じ頃に作曲されたNo.44と共通点のコメント(たとえば第1楽章[T90からのシンコペーションのリズムなど]の記載もブログなどにある。しかし私としては、むしろNo.46の方との共通点が多いと思う。第1楽章の第1主題は、調性こそ違うが明らかにNo.46は、No44の第1主題を鏡の様に旋律を変形したパターン。下記のブログにも、同じ趣旨で記載。

http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/haydn046.html

冒頭の第1主題は、Allegloのテンポを忠実に守る。一方、提示部の繰り返しでは、極度にテンポを落とす。さらにその後に続く旋律もrit.をかけるようにT13からAllegloのテンポと対比させる。提示部以外に展開部+再現部の繰り返しの部分では、テンポの変化はあるものの、繰り返しでの装飾は殆ど控えている。
 第3楽章の緩除楽章。ファイの普段の解釈では、繰り返しの後半は微妙に装飾を加えることが多い。しかしここでは、珍しく殆ど装飾を加えていない。展開部を欠いた2部形式。管楽器もできるだけ伴奏に徹するなどで切り詰めた表現を得るために、敢えて装飾を採用しなかった思う。Finaleは速いテンポ。こちらはソナタ形式で、繰り返しは全て採用。しかし速いテンポで一気に終わる。第3楽章と同じ様に繰り返しの装飾はない。短調による表現が中心で、打楽器を含まない小編成。作曲者は「切り詰めた表現」を根底に据えている解釈から、この曲全体を通じてファイは敢えて装飾は控えた解釈を通したと思う。
 

2018年5月1日 48番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1961年の録音だが、No.12.19と同じCDに収録。第1楽章を中心に音源に少し歪があるようだ。このシリーズを聴き始めて、打楽器群が始めてはいることもあり、編成は大きくなるようだ。しかし音源によるのかレンジがかなり狭く聴こえる。
 第2楽章はこのシリーズで聴き始めて、vn.に弱音器を使用。この頃からハイドンの特徴ではあるが。管楽器群も随所に入るが、hr.を中心に、soloの部分は、弦楽器は伴奏に徹しているのが良く分かる。たとえば展開部の終わりにT50に近い部分。ここでob.とhr.の旋律がある。この部分は、ob.よりもhr.を目立たせている。
 テンポは今までと同じ様に、概して、緩叙楽章は少し遅め。第3楽章のMenuet 主部で後半の繰り返しは採用せず。他の箇所でも繰り返しが少ないので、細かいところまで集中して聴く必要がある。
 2018年9月3日 チャールズ・マッケラス セントルークス管弦楽団 No.45を聴取。第1楽章のテンポは速め。vn.は対向配置でないこともあり、冒頭からの第2vn.のシンコペーションの動機が不明瞭。No.31と同様にcmb.は終始入っている。
 Finaleの後半、奏者の数が次第に減ってくる部分。弦の各パートも明らか少なくなっているのがよく分かる。セッション録音のためか、減ってい来る演奏以外の音(退場時の椅子の音など)は全くない。ある意味ライブの雰囲気はかけていると思った。
 2019年2月1日44番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。下記のブログにも高い評価の記載がある。(ハイドン音盤倉庫) このブログでは特に、キレの良い演奏についての言及がある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-826.html

モダン楽器で中規模の編成だが、cmb.が装飾を含めて初期の交響曲と同様に入っている。No.43にも記載をしたが、soloの箇所は全くなく管楽器でhr.はの43と同様に、和音を補強している箇所が多い。調性の違う2本のhr.は左側に並んで位置。冒頭から強弱と起伏が激しいのが印象的。第1楽章の終わりの方で、 T140 のTenuto の不協和音を挟む部分がある。以前、ピノックの演奏ではvn.の対向配置を含めて、どこまで引き伸ばすかも興味がある。(フェルマーマータ付き)

 以下はアドレスはピノックのアドレス

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-663.html


マリナーは、当初からの速めのテンポを通して、このT140の部分は、Tenutoを忠実に守るが、その後、余り引き伸ばさずcodaに向けて一気に進む。

 圧巻はFinale。テンポは、速いのは今まで通り。hr.を含む管楽器はあくまで伴奏に徹して、弦楽器が主体で進む。各パートの強弱の対比が激しいのが印象的。たとえば展開部の入り口のT75 提示部の終わりの部分では、p で柔らかい雰囲気で一旦、終始する。その後、T75のTuitti ユニゾンで冒頭の動機が登場するが直ぐに p に消える。この対比の良さ。第2vn. va.のシンコペーションの旋律も管が気の持続する和音とも対比されて、4分音符の第1vn.の旋律とも対比が十分。T78で第1vn.だけが、4分音符で先行して登場する。ここでもこの第1vn.の旋律が引き立っている。疾風怒濤期では Tuitti ユニゾン  転調、 強弱など様々な聴き所がある中で、この曲はもっとも特徴的なひとつだと思った。 
 また録音に関しても、No.6-8の協奏交響曲とも少し異なり、定位感分離感も十分。やや少なめと思う残響がその分、曲の特徴を生かした良い録音とも相まって入る。vn.は通常配置。緩叙楽章の第3楽章で、2つのvn.パートは同じ旋律の音程で引いている箇所が多い。Va..以下の低弦は殆ど伴奏に徹している。2つのvn.パートが多少、独自の動きなどが多ければ、対向配置が好ましいと思う。左側の2つのvn.はでの一体感がある意味、特徴になっている雰囲気。
 2019年2月1日44番  N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。下記のブログにも高い評価の記載がある。(ハイドン音盤倉庫) このブログでは特に、キレの良い演奏についての言及がある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-826.html

モダン楽器で中規模の編成だが、cmb.が装飾を含めて初期の交響曲と同様に入っている。No.43にも記載をしたが、soloの箇所は全くなく管楽器でhr.はの43と同様に、和音を補強している箇所が多い。調性の違う2本のhr.は左側に並んで位置。冒頭から強弱と起伏が激しいのが印象的。第1楽章の終わりの方で、 T140 のTenuto の不協和音を挟む部分がある。以前、ピノックの演奏ではvn.の対向配置を含めて、どこまで引き伸ばすかも興味がある。(フェルマーマータ付き)

 以下はアドレスはピノックのアドレス

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-663.html


マリナーは、当初からの速めのテンポを通して、このT140の部分は、Tenutoを忠実に守るが、その後、余り引き伸ばさずcodaに向けて一気に進む。

 圧巻はFinale。テンポは、速いのは今まで通り。hr.を含む管楽器はあくまで伴奏に徹して、弦楽器が主体で進む。各パートの強弱の対比が激しいのが印象的。たとえば展開部の入り口のT75 提示部の終わりの部分では、p で柔らかい雰囲気で一旦、終始する。その後、T75のTuitti ユニゾンで冒頭の動機が登場するが直ぐに p に消える。この対比の良さ。第2vn. va.のシンコペーションの旋律も管が気の持続する和音とも対比されて、4分音符の第1vn.の旋律とも対比が十分。T78で第1vn.だけが、4分音符で先行して登場する。ここでもこの第1vn.の旋律が引き立っている。疾風怒濤期では Tuitti ユニゾン  転調、 強弱など様々な聴き所がある中で、この曲はもっとも特徴的なひとつだと思った。 
 また録音に関しても、No.6-8の協奏交響曲とも少し異なり、定位感分離感も十分。やや少なめと思う残響がその分、曲の特徴を生かした良い録音とも相まって入る。vn.は通常配置。緩叙楽章の第3楽章で、2つのvn.パートは同じ旋律の音程で引いている箇所が多い。Va..以下の低弦は殆ど伴奏に徹している。2つのvn.パートが多少、独自の動きなどが多ければ、対向配置が好ましいと思う。左側の2つのvn.はでの一体感がある意味、特徴になっている雰囲気。
 2020年2月7日 44番 シュテファン・ザンデルリンク ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 を聴取。No.43から引き続く。モダン楽器、大編成で同じ解釈。No.43と異なり、調性が短調が主体となる箇所が多い。No.43と同様に管楽器は補完的な箇所が多いものの、緩徐楽章を中心にアクセントを添える箇所も聴き所。 第2楽章のMenuet でTiroの部分は、No.43と異なり、soloでない。Trioの部分ではhr.と掛け合うが、弦楽器はその分、soloに近く音量を落としている。
 指揮者の解釈かもしれないが、繰り返しは最低限に抑えているようだ。この曲でも同様。緩徐楽章が3楽章になるこの曲に関して。スコアでは提示部はもとより、展開部と再現部の後半も繰り返しの指示が記載されている。ザンデルリンクでは、すべての繰り返しがなく、一気に終わってしまう。(4:18) Finaleの繰り返しも全くないので、全曲を通して聞くと時間がトータルで短い。これに伴って、第3楽章も繰り返しのない中での短い表現がポイントになると思う。
 スコアでもう少しこの当たりを調べてみた。Adagio の緩徐楽章で、vn.は弱音器を通してつけている。音量の差も余りなく、管楽器は殆ど和音で支えている役割はNo.43と同様。しかしNo.43と比べると小節数は下記の様に異なる。偶然かもしれないが同じAdagio 。

No.43 提示部 48、展開部 35、再現部37 合計120
No.44 提示部 40、展開部 17、再現部24 合計 82


No.44の方は展開部が短く、それに続く再現部も短い。提示部と合わせると殆ど後半は同じ長さになる。しかも再現部といっても、提示部の後半から登場するような雰囲気。冒頭の第1主題は、はっきりと回帰してこない。No.44の緩徐楽章は、提示部がメインになっているような雰囲気。(ある意味この楽章は提示部ですでに終わっているのかも)規模からしても、独特な形式と雰囲気があるように見える。

 通常の作曲者の指示通りに、前半と後半の繰り返しをすべて行った場合。繰り返しが全くない場合と比較して、ほぼ2倍の長さになる。繰り返しがあるためある意味、緩徐楽章はそこそこの規模になると推定される。ハイドン自身は、この楽章は気に入っていて、葬儀の際には、この楽章を演奏して欲しい逸話も残っている。
なぜこの楽章を選んだのか? 私の推測であるがスコア自体は繰り返しの指示はあるが、実際には繰り返しを希望していなかったのではないか? もし葬儀のための音楽なら繰り返しがあると、やや冗長な雰囲気で終わる可能性も考えられる。葬儀の音楽は様々な曲があるかもしれない。古典派の作曲家の一人、ハイドンに関しては繰り返しがない方がふさわしいと思う。ザンデルリンクのCDは、No.43〜45の3曲がセットになっている。録音時期も同じで共通点が多い。このため逆にNo.43と44との比較がしやすいと思った。
 もしNo.46の曲が同じCDに収録されたら、さらに面白い。疾風怒濤期を含めて使用されるシンコペーションの動機が、どの箇所にもNo.43〜47には含まれている。またNo.46の第1楽章冒頭の動機は、No.44の鏡像のような関係。これらの対比が同じ収録を通して比較できる楽しみがあるからだ。
 2019年11月3日 44番 エンリコ・オノフリ(Enrico Onofri)セビリア・バロック管弦楽団 を聴取。ハイドン音盤倉庫で好演だったことから購入。購入したのは数か月前だったが、NAXOS全集の方もあったため後になる。指揮者、奏者、録音会場などの詳細なレビューが以下のブログに記載されている。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1793.html

 レビューによると、特に第3楽章のAdagioが特筆と記載されている。レビューである程度の知識を得ていたので、自分なりに聴取する。古楽器でvn.は対向配置。レビューにも記述があるが、最近聴取したアントニーニのスタイルに類似している。しかしアントニーニほどの強弱、リズム感は多少控えめかもしれない。

第2楽章のMnuet。Canon風に進行し、T32でppになる。強弱の対比が大きい部分だが、わずかに会場のノイズが入っているようだ。ライブ録音かもしれない。Trioで調が異なる2本のhr.が登場。ここでは余り分かれて聞こえず。
第3楽章で2つのvn.は弱音器を付け、第4楽章でさらに外す。ライブだと、このときに空白の時間が入ってくる。この録音でも、間合いが適度にあるので違和感がない。第3楽章の冒頭からは第1,2vn.が弱音器を付けてユニゾンで演奏する。T4でva.がvn.と一緒に加わる部分。このわずかな音の厚みが、vn.の音色と対照的。va.は右側に位置。


2020年8月14日44番 John hsu  Apollo Ensemble を聴取。この曲は、cmb.が入ることも多いが、この奏者では入らず。なお過去の2曲、一連の雑音(?)について、記載をしてきた。音はほぼ中央で近い位置に聞こえる。おそらく指揮者の動く音だと思う。ライブ録音で、この様な音が入るのは当然。しかしスタジオ録音ならもう少し、この当たりの音は、カットできないかと思った。
 
44番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ 


2021年12月1日 44番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。vc.協奏曲を挟んだ後に3曲目。ライヴ録音であるが1曲目の後と2曲目のvc.協奏曲の間に、拍手は収録されていない。1曲目にしても2曲目にしても、一旦、曲が終了したときに、拍手が直ぐに入るかどうは気になるところだ。ライヴ録音が前提であるから、会場の雰囲気によっては、指揮者が指揮棒(この場合は、指揮棒は持っていない?)を下した時点で、聴衆から拍手が直ぐに入るかどうか気になるところ。3曲目の最後は終了後、拍手が入っている。拍手の入り方は自然な雰囲気。 第1曲目のNo.15にも少し触れたが、3曲目は f の対比が1曲目とは大きい。その間にvc.協奏曲が入る。協奏曲では弦の奏者を3名ずつに減らしていることは記載した。さらに、vc.の独奏の部分でも弱奏の部分は伴奏に回り、この時は弦のパートをsolo としている。 vc.協奏曲であっても、一部の箇所は弦楽器の5重奏のように弦楽器の独奏もある。Tuittiと独奏弦楽器「群」の対比が効果的。
 これを受けて3曲目になる。No.44は、元の5名ずつのフル奏者に戻る。No.44は 冒頭からスコアでは f の記載になっている。しかし、この演奏では f にこだわっていないのか、音量を少し落としている。その分、Finale の f の箇所は、対比されて効果的。一番の聴き所はFinaleだと思うが、展開部と再現部も忠実に繰り返しを採用。展開部の冒頭は、T78から f になるが、多くの指揮者は、この部分では少し音量を落とし、クレッシェンドをしている。この演奏でも同様。1本ずつのhr.は調性が異なる。録音ではそれぞれの奏者が、離れていないが、hr.の音色の対比がよくわかる。 T79からの第2vn.とva.のシンコペーションの動機も対向配置を生かしてよくわかる。
 残響が多い会場なのか、あるいは録音レーベルの判断によるのか分からないが。hr.は、弱奏の部分では、調性は異なっても、それぞれが並んで左側に位置。しかし音量が大きくなるtuittiの箇所では、右側までに広がるような迫力のある音量。


エイドリアン・シェファード  カンティレーナ Adrian Shepherd  Cantilena 44番

2021年12月29日 エイドリアン・シェファード  カンティレーナ Adrian Shepherd  Cantilena 44番 を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-581.html

同時期発売の2枚目となっているが、私としては最初の曲になる。モダン楽器で残響の多い録音。vn.は通常配置。残響が多い録音で弦楽器の奏者が多いような感じ。Cmb.は常時、通奏低音として入っている。その分、管楽器の音量は抑えている雰囲気。強弱の微妙なバランスはうまく表現していると思う。特に第3楽章の Adagio の部分。悲しみの由来の一つにもなり、ハイドンの葬儀の際には、このAdagioを奏して欲しい希望もあった。
 第1楽章の後半、展開部と再現部の繰り返しがなかった。このAdagioでも、全て繰り返しがないので短く終わってしまう。Vn.は弱音器を付けていて、この楽章の冒頭からユニゾンで音程を引く。対向配置でないので、左側にvn.の音色が集中する。T16で突如分かれ、管楽器が入ってくる部分。指揮者によっては、管楽器の音色を強調する。しかしこの演奏ではあくまで弦楽器が主体。第2vn.は低音域なので、あくまで伴奏側に分かれているのがよくわかる。
 Adagioは繰り返しがすべてない。短く終わることもありこの楽章自体の構成も少し気になった。大半の指揮者は、提示部(前半)と後半(展開部+再現部)の繰り返しがある。演奏時間が長くなるのは当然だが。前から気になっていたのだが、この楽章の再現部は、冒頭の主題の一部を省略している。ちょうど最初の譜例で触れたT16からが再現部となっているようだ。冒頭の主題は再現部では登場しない。その分、展開部の最初の部分は、調性を変えて冒頭の主題が登場する。繰り返しが全くないため、展開部を欠いたような3部形式にも感じる。
 もし葬儀の時に演奏を作曲者が意図した場合、この楽章だけが単独となろう。そうなると、むしろ、繰り返しが全くない方が、無駄な部分を切り落としたような斬新さがあると感じた。


2022年1月2日 44番 SWF交響楽団 アーノルト=エストマン(armold oestmann)を聴取。No.39から引き続く。同じオケで録音時期も殆ど同じなので、録音の差は、殆ど分からない。ただし。この録音はvn.は対向配置で第2vn.は右側に位置。またvc.は左側に位置している。Bass.は中央のようだ。このためtuittiでは、ユニゾンの多いvn.の箇所などは、左右が広がった安定した音。第2楽章のMenuettoは、テンポはかなり速い。まるで構成のスケルツオのような雰囲気。この楽章はcanon風に、音が繰り返され箇所が多い。テンポがゆっくりだと、このあたりの差がよくわかるかもしれない。しかしかなり速いテンポのため分かり難い。
 第3楽章のAdagioで繰り返しの後半はなし。テンポは中庸だと思うが、対向配置を生かしたvn.のため、ユニゾンの箇所は効果的。(この曲だけとは限らないが、2つのvn.はユニゾンとユニゾンでない箇所が、比較的 緩徐楽章の中では明白なことが多い)
 Finaleは思ったより遅いテンポ。第2楽章の速いテンポに期待をしたのとは対照的。T75からの展開部の最初の部分。多くの指揮者は、「f」で開始し、この後続く長い展開部の開始のファンファーレ風に押し出したい部分。疾風怒涛期のFinaleは、特に短調の曲で盛り上がるように終わる。この演奏では、「f」でなくどちらかといえば「p」のように柔らかく演奏。この後に続く盛り上がりも、そこそこにあるが、全般的にやや、ゆっくり目でしかもテンポの変化が余りにないため、落ち着いた雰囲気。全体の曲を通して、モダン楽器で奏者の数は多いが残響は適宜入っていて聴きやすい。
 44番 2022年5月1日  ロイ・グッドマン ハノーヴァ・バンド Roy Goodman the Hanover Band を聴取。No.43では、曲の後半から再生不良の雑音が入っていた。この曲は冒頭から入っていて、全ての楽章でひずみを伴う。弱奏の多い第3楽章も同様。このため、レビューができず。
 2022年8月5日 アイオナ ブラウン/アカデミー室内管弦楽団  Iona Brown Academy of St. Martin in the Fields 44番 を聴取。下記の ハイドン音盤倉庫にも No.44のレビューが記載されている。これによると、指揮者(同楽団の前 コンサートミストレス)は2004年に死去されている。レビューでは ウォードよりも旋律のメリハリがはっきりしており、表現も深い印象の記述がある。録音場所、老近年月日なども記載あり、ランクの高いCDとなっている。


https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-337.html

 輸入盤だが、奏者の氏名が全て記載されている。弦の奏者は下記の通り。

第1+第2合わせて 15:4:5:2
 Cmb.の奏者の記載もあり、常時、装飾風に左側に入っている。この後に続くNo.45とNo.49は hr.が2名になっている。それに対してこのNo.44は hr.は3人になっている。原曲で3本のhr.を使用するので、それぞれの奏者を分担したのかもしれない。Vn.は通常配置。
 旋律のメリハリがはっきりしているコメントの通り、特に強弱に関しては、メリハリが大きい印象。たとえば、第1楽章のT101からの再現部の部分。冒頭の旋律が回帰し、T109で fz の指定がある。多くの指揮者がこの fz の指示に従い、メリハリをつける。しかしこの演奏では、弱奏のままで通し、この後に続く経過的な盛り上がりと対比させている。過去にT109で音量を少し落とすケースはあったと思うが、私が今まで聴取してきた中では、これほど音量を落とすのは初めての経験。(過去に同楽団のN マリナーを再度、聴取してみたら、この箇所はやはり音量を落としていた)
モダン楽器のようだが、奏者の数は比較的多い。アントニーニやファイ→J クランプ の最近の録音と異なり、残響がやや多く、奏者の音色は溶け込んでいる雰囲気。(弦楽器の各奏者までの定位感は余り感じない)また多少ではあるが、録音レベルが少し低く、弦楽器の音色の高音域がやや不足していると思う。各楽章の後半の展開部と再現部の繰り返しは採用なし。CD1枚のトータルの録音時間が71分なので、繰り返しまで行うと収録ができなかった可能性もある。
 アカデミー室内管は、過去は N マリナーの録音と演奏が印象的だった。マリナーは、ニックネームの選曲集のひとつで、音色や音量の対比を抑えた流れを重視している。それに対して、この演奏は、疾風怒涛期の中であえて、演奏機会の多い短調の3曲を、CD1枚に収録した雰囲気。(ほかに他の交響曲を録音しているのかどうかは不明) 
指揮者の経歴からすると、1964年から 同室内楽団のコンサートミストレスを務めている。最近購入した N マリナーの15枚CDセットのライナーノートには、奏者の氏名まで掲載がない。指揮者を含めた奏者の写真もあるが、サイズも小さく、一部は死角になっている。当時の指揮者の写真からは分かり難い。

 ウェブ アニメータ2022年8月22日 44番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。No.48から引き続く。こ指揮者は、展開部と再現部の繰り返しを忠実に採用。第1楽章も同様に後半の繰り返しがある。展開部の繰り返しの部分では、終始、音量を落としている。あえて展開部全体の音量を落としたのはなぜか? 展開部と再現部は繰り返しがある。いったん、再現部で終わる場合、音量の大きい箇所が多い、提示部を終始、音量を落とさないでいると、メリハリがつかないためか?
 第2楽章も他の曲と同様に、Menueteの後半の繰り返しを採用。一方だ、第3楽章 Adagio は指揮者によっては、展開部と再現部の繰り返しを採用しないことが多い。しかしこの演奏では全てを繰り返している。第3楽章まで繰り返しを全て行っている。このため、第3楽章を終わった時点で、曲全体の長さも長くなる。Adagioは 作曲者 自身が 葬儀の時に演奏して欲しい逸話とは対照的。葬儀のときに演奏をもし希望したい場合、この第3楽章のみとなり、他の第1、2、4楽章は演奏されないであろう。そうなると葬儀の音楽は、あくまで交響曲の一部を切り取った楽章としての位置づけになる。それに対して、全て繰り返しを採用しているのでAdagioは切り取った楽章の位置づけとは程遠い。
 これに関連するかのようにFinaleは、もちろん全て繰り返ししているが、No.44の交響曲としてのFinaleを締めくくるような位置づけに聞こえる。No.1,2楽章と同じ調性だが、Finaleの調性は、なぜかより一層、音量が上がるとともに、短調の音色がより一層大きく出ている雰囲気。第3楽章のE−dur から一転して、短調に戻る調性の影響かもしれない。音量の差が大きいのは、Adagio を通しての音量が、かなり落としているためか? vn.は弱音器を付けていない。これはどの演奏でも同じ。低弦は全て1名ずつ。低弦の奏者が少ない分、vn.もより音量を落としての表現ができるかも。伴奏側に回る第2vn.の音量も、第1vn.より音域が低いこともあいまって音量をさらに落としている。
 
  vn.の配置については、前から気になっていた。鈴木 OLC の場合、Finale 展開部の最初の部分で、対向配置を生かしてシンコペーションの第2vn.、va.の旋律が効果的と記載した。(下記のレビューに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1424.html

 この演奏でも第2vn.とva.の旋律がよくわかる。第1と第2vn.を合わせると6名の奏者。それに対してva.は1名のみ。しかし1名でも内声部の補強的な役割の多いva.の存在はよくわかる。va.は左側の端の方に位置していない。中央よりにある。vc.とbass.の離れ具合にもよるが、録音時の実際の配置について興味深い。

 108番、52番、44番 G アントニーニ Youtube 2024年1月10日 追記。

Youtubeに上記の3曲の映像がアップされていた。休憩時間を挟んでいることもあり、収録は約2時間となっている。サイトによるとこの年は Vienna  Musikverein Vienna, Brahms-Saal  Musikverein Vienna, Brahms-Saal、  Basel  Don Bosco Basel:
の2か所が記載されている。映像を調べてみたら、 Basel  Don Bosco Baselのようだ。バーゼル大聖堂ではないが、徒歩圏内にある。映像が開始してから、奏者が少しずつ、左右の舞台袖から入場する。この舞台は思ったより狭い。管楽器の奏者が大きなhr.をもって、舞台の前から奥側のやや高い位置の椅子席にあがるときも、譜面台を避けるように狭い。舞台の左右の端にはカメラの撮影スペースにもなっているので、なおさら奏者のスペースが狭くなっている。
第19集のテーマは 「TRAUER」になっている。Youtubeなので、音声はステレオで聴けるが、音質は今一つ。映像も私の通信環境では、全画面で見ると細かいところまではスムーズにきれいに視聴できなかった。プログラムとテーマからすると、最後のNo.44がメインで収録されている雰囲気。No.44はhr.は調性が異なる2本となる。楽章間でhr.奏者がクルック管を交換する作業があるため、指揮者は、hr.の奏者を見ながら間合いを取っていた。だが私が見る限り、この日のhr.奏者の楽器の調整が余りよくないと感じた。時折、hr.の音程がわずかではあるが、滑るところがあると思った。Soloとしてのhr.の旋律の箇所は少ない。しかし持続音で和音として支える重要な役割が大きい。収録は2023年10月16日。
bass.のsolo奏者は背後に椅子は用意してあったが、演奏中はすべて、立って演奏していた。一方、もう一人の奏者は常時、椅子に座って演奏。以前にNo.8の時に、soloの奏者が、隣の奏者にあたったことに頭がよぎる。
なお、No.44が終了した後、アンコールの映像もあった。アンコールでは2曲目のNo.52のFinale。通常のプログラムではすべて繰り返しを採用。最後のアンコールでは提示部の繰り返しはあるが、展開部と再現部の繰り返しはない。
なおこの映像は2024年1月16日までの期間限定となっている。YoutubeでもCDと同じような写真も掲載されていた。しかし音質はCDの方が勝っていると思うので購入予定。