音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.50 hob-No64
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
50 64 Tempora Mutanntu 1773 A 4 -  -  - - (1) C Allegloで様々な主題が登場することからの由来か?
       1 A Alleglo con spritio
       2 D Largo
       3 A Menuetto e trio;allegretto
4 A Finale;Presto
Allegloの出だしの第1主題から、派生した関連主題や経過部を経て第2主題。提示部が比較的長い。提示部の中でも調が頻繁に変わる。展開部でも提示部の様々な動機が扱い変わっていく。通称名の邦訳「時の移ろい」は、Allegloで様々な主題が登場することからの由来か? モーツァルト交響曲32番(B調)の第1楽章の様に、旋律が様々登場する雰囲気。
 第2楽章のLargoは聴き通して初めての登場。弱音器のvn.を中心とした弦の演奏が長く続き、漸く管楽器が登場する。しかし冗長的な雰囲気でLargoのテンポを生かしていないと思った。終結も何となく暗い雰囲気。Prestoでは中間部で提示部と異なり短調でかなりギスギスした音があるのが対照的。
 なお、Prestoの部分でフィッシャー盤は、かなりギスギスした箇所(92−93 小節) スコアでみると、単にスタカーットの指示のみの記号であった。このスタカーットの箇所はFinaleの第1主題を始め、いたるところにある。しかしフィッシャー盤では、この箇所のみは憎いほど即興的に旨く引いている。 ドラティ盤も同様な雰囲気。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月10日とする)
2011年1月12日 ディビス盤を聴取。Vivaceの第1楽章は後半の繰り返しあり。Finaleはファンファーレ風に2本のhr.が活躍する。曲そのもののランクが低いこともあって、ディビス盤で薦める点も特になし。
2011年6月30日スコアを見ながら3者の演奏を聴取.。もし従来の作曲順番通り、No.64から65へ聴き通してみたら曲の充実さが、はっきり分かるに違いない。今回は作曲順番の通りなので違和感はないが。楽器編成は全く同じであるが。
 Allegloの様々な旋律が転調を繰り返しながら登場する点は前記した。各弦は元より、管楽器を含めて旨く使い分けている。また弦のパートも独自の動きがありながらも、細かい聴き所がある。特に提示部の後半で、第1vn.とva.が1オクターブで同じ旋律を引き通す箇所は心地よい。(この組み合わせは、今まで余りないと思った。)
 Largoのテンポは 初めてだが繰り返し記号が全くないのは意外。強弱の対比は著しい。3小節目からして同じ1小節内に「f」 と「p」の対比がある。弦楽器だけで、演奏されるがT58の中間部当たりから、管楽器が次第に登場し音色の変化を加える。(今後、緩徐楽章で管楽器が加わる手法として、しばしば用いられる手法)
  Menuettoのフィッシャー盤ではsoloの活躍が目覚しい。Trioの弦のsoloの手法は、いつもの通りであるが。ここではMenuettoの主部もsoloの箇所が多い。Finaleは前半の部分は繰り返し記号があるが、その後は記号はなし。単一主題が流れるように終始。この楽章も音色の対比が特徴的。T92-93のスタカッートの指定で弦のギスギスした雰囲気は、やはりフィッシャー盤の一番の特徴。曲の由来は、転調と音色の変化が、全ての楽章においてかなり大きいと思う。
 Allegloでは、各弦の細かい動きがフィッシャー盤では聴き所で応えていた。ディビス盤では、フィッシャー盤ほどは印象は少ない点もあるが。
 第2楽章の繰り返し記号がないのは前記したが、ロンド形式とも解釈は出来る。この楽章は弦楽器は弱音器の指定がある。冗長の雰囲気があるかもしれない。しかし何度か聴き通してみると強弱の変化は著しい。調性の変化ともに、1770年代の頃とは聴き取れない。むしろhob-No.102の緩徐楽章に通じる様な、ロマン的な雰囲気が漂う様に思う。ランクはCで良いと思うが、改めて聴き直してみると、緩徐楽章はAランクでも良いと思う。価値は高い曲であると再度認識。デイビス盤は各弦の奏法はフィッシャー盤程に特徴はない。しかし細かく聴いてみたい場合、繰り返しを忠実の採用しているので、聴き所を確認する上でもこの点はメリットあり。
 ドラティ盤を聴取。3者を通してテンポの差は余り感じられない。初期の頃は、緩徐楽章は弦楽器のみが多かったが、この頃より管楽器も登場。楽章の後半から登場すること。終わりの部分でhr.の低音域が消えるように終わること。それに対して、調性がガラリと変わり主調に戻って始まるMenuettoの対比が特徴的。ランクはCで良いと思うのだが。何度も聴き直してみて、様々な特徴があり、記述する事項がこれほど多いのは初めての経験。

2012年3月20日 追記。何度か聴いてみると、意外な発見がある魅力的な作品と、以前記載をした。
「ヴィオラのイロハ」というサイトで、フィッシャー盤の全曲の聴取記録が掲載されている。
http://blog.livedoor.jp/bratsche703/archives/cat_8826.html?p=4
 この中で、この交響曲は1回聞いただけでは、地味な印象であるが、何回か聴くと、面白さが伝わってくると記載をしたあった。
2013年8月25日 追記。ホグウッド盤を聴取.hob- no - 44から引き続いて聴取。No.42は、短調の典型で、対位法とユニゾンの効果をポイントとしていた。こちらは、対位法、ユニゾンのどちらもあるが。この曲の聴取記録で意外な発見があると記載した通り。ホグウッド盤でも同様。第1楽章の第2主題で、va.が第1vn.ユニゾンで演奏する箇所は、ホグウッド盤でも、va.の旋律が際立っている。No.53の第1楽章の展開部での不協和音は聴き所のポイントとしていた。
  第3楽章ではホグウッドはMenuettoのテンポが思ったより速め。第2楽章のLargのテンポと対照的。この時期は緩徐楽章を含めて普段は繰り返しの多いが、この曲に限っては緩徐楽章やfinaleは繰り返しを採用せず。流れを重視しているのが印象的。
2018年5月27日ラトル ロンドンフィル 64番 第2楽章を聴取。ラトル ロンドンフィル 64番 第2楽章 Largo。  ハイドンの傑作の傑作楽章集として、ライブ盤が発売されている。交響曲を含むものも収録。2017年7月11&12日、バービカン・センター(ロンドン)、ライブ録音。C.デイビス盤(新盤)も同じ会場。曲目の詳細は、下記のタワーレコードの商品紹介を参照。収録順番からは5番目となる。このCDの選曲と順番は「傑作楽章集」のタイトル通り、趣旨に旨くあっているようだ。  すなわち最初に天地創造からの第1曲から導入の雰囲気から始まる。その後、シンフォニアで速めの快活で明るいテンポの曲を経過した後、この楽章になる。ハイドンの交響曲の中でなぜ、このNo.64を持ってきたのかはライナーノート(英文)にも少し書いてあるようだ。
 この楽章は初期からの作曲順番では交響曲に関しては、もっとも遅いテンポのLargoが始めて採用されていると思う。テンポも、もちろんだが弱音器付きの弦楽器の採用。中間部で初めて管楽器(ob.とHr.)が急に登場し、少し不気味な雰囲気を出す。その後も提示部と同様に明るい箇所もあるが、暗い雰囲気の部分が時折登場して緩叙楽章でも異色のひとつだと思う。異色の雰囲気で、しかも遅いテンポのこの曲を持ってきたことで、この後に続く他の曲との比較が旨くされている。第2vn.は右側に位置し録音も鮮明。

http://tower.jp/article/feature_item/2018/01/18/1102
2018年9月29日 ベーラ・ドラホシュ  ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア No.64を聴取。3枚目になるがNo.64から聴取すると、疾風怒濤期で始めての曲となる。打楽器群がなく楽器編成は少ないが、各パートの動きと対比が大きいこと。転調、テンポ、リズムの変化の起伏が大きく一度、聴いただけでは流れが分かり難い曲のひとつ。どちらかといえば通好みに近い。
 第2楽章は幻想的で最近では、ラトル盤のハイドン傑作楽章集のひとつに、この曲が含まれているのを記載した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-910.html

ライナーノートによると、ラトルのライブ盤の編成は、下記の通り

8:8:6:5:3

ドラホシ盤と比較して、ライブ録音のでモダン楽器で録音会場も異なる。Largoという、かなり遅いテンポでドラホシュの演奏は、第2楽章だけではなく全ての楽章を通しての演奏になる。後半の2楽章は演奏時間も比較的短く、(2‘44, 3'03)
比較的、軽く流れるように終わる。それに対して前半の2楽章は後半とは対照的。特に第1楽章は、No.48と同様に様々な動機が登場するが(丁度、同じ頃の作曲時期)、旨くまとめている。
 第2楽章の最後の部分。ラトルの場合も同じ雰囲気だったが、終わりの方に近づいてくる頃。この部分でhr.が中間部の動機が回帰するように演奏する。僅か2名のhr.奏者であるが、弦(vc.とbass.を含む)のパートと対比させて、低音で和音を得意とするhr.の特徴を旨く表現していると思った。
ドラホシュはライブ録音ではないが、各パートで特にhr.の細かい動きが良く分かる。今までどちらかといえば中期から後期の作曲時期について記載をして来た。この曲を聴く限り編成が少なく細かい聴き所を重視した、中期以前の曲の方がドラホシュには、合っているように思った。

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2019年3月30日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 64番を聴取。一度、聞いただけでは、様々な動機が多く繰り返しがない箇所もあり、分かり難い曲のひとつ。第1楽章は特に弦楽器で、珍しくva.の活躍する箇所も多い。それ以外にも、各弦のパートの独自の動きもあり、転調や強弱も多く、微妙なニュアンスが多いのも聴き所。普段は、ob.が前面に出るメルツェンドルファーの傾向もあるが、ここでは適度に入っている。第2主題の第1vn.とともに、va.も明白に聴こえる。この楽章だけとは限らないが、2つのvn.パートは対向配置でないが、比較的、分かれて違和感なく良く分かる。
 第2楽章は今まで聴き通して来た中で始めて登場する最も遅いLargoのテンポ。この演奏でもテンポは遅い方。S ラトルは、傑作楽章選集のひとつとして単独で選曲している。下記のブログでも中間具でob.を含めた、少し不気味な雰囲気が聴き所と記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-910.html

メルツェンドルファーでも、この箇所は弱音器をつけた2つのvn.と管楽器とのバランスも良好。その後に続くT68の冒頭主題の回帰の部分。音域の高い2つのob.がここでは適宜、前面に出てバランスが良い。
 第3,4楽章も弦楽器と管楽器のバランスも良好。ダイナミックレンジも比較的広く、きやすい。全集の中でも録音も良いので推薦したい曲のひとつ。
 2019年3月30日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 64番を聴取。一度、聞いただけでは、様々な動機が多く繰り返しがない箇所もあり、分かり難い曲のひとつ。第1楽章は特に弦楽器で、珍しくva.の活躍する箇所も多い。それ以外にも、各弦のパートの独自の動きもあり、転調や強弱も多く、微妙なニュアンスが多いのも聴き所。普段は、ob.が前面に出るメルツェンドルファーの傾向もあるが、ここでは適度に入っている。第2主題の第1vn.とともに、va.も明白に聴こえる。この楽章だけとは限らないが、2つのvn.パートは対向配置でないが、比較的、分かれて違和感なく良く分かる。
 第2楽章は今まで聴き通して来た中で始めて登場する最も遅いLargoのテンポ。この演奏でもテンポは遅い方。S ラトルは、傑作楽章選集のひとつとして単独で選曲している。下記のブログでも中間具でob.を含めた、少し不気味な雰囲気が聴き所と記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-910.html

メルツェンドルファーでも、この箇所は弱音器をつけた2つのvn.と管楽器とのバランスも良好。その後に続くT68の冒頭主題の回帰の部分。音域の高い2つのob.がここでは適宜、前面に出てバランスが良い。
 第3,4楽章も弦楽器と管楽器のバランスも良好。ダイナミックレンジも比較的広く、きやすい。全集の中でも録音も良いので推薦したい曲のひとつ。
 2019年7月28日 64番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。一度、聞いただけでは、この曲の魅力はわかり難い。疾風怒濤期には共通することが多いが、特にこの曲は、どちらかといえば仕掛けが楽しめる「通好み」で指揮者による解釈が楽しめる曲のひとつ。第1楽章の冒頭の出だしが、特にアントニーニの場合は興味深い。
 CDの開始でTuittiの強奏で始まる場合は、インデックスのボタンやCD操作の開始ボタンを押すタイミングは余り重視しないだろう。しかし曲の冒頭から弱奏で始まる場合、どの様な間合い、あるいはタイミングから、どれぐらいの音量でスタートするのかがポイントになってくる。序奏つきでない曲なら、冒頭の第1主題がどのタイミングで、どれくらいの音量で登場するのかは、とても気になる点になる。もしライブなら視覚効果も加わって、指揮者の動きを見ながら、曲の開始が多少は想像できるかもしれない。
 しかしライブでない場合、どの様に開始されるのか? この曲に関しては興味深いところに、最初の出だしがある。僅かではあるが、スタートボタンを押しても少し間を置いて開始する。この多少の間がこの曲にあっている。しかも最初の音量は、スコアの指示通り、「pp」で2つvn.がユニゾンで登場する。
 T3で「f」に少し盛り上がった後、T5で再び同じ高さの旋律が「p」で再登場する。同じ高さの旋律だが、冒頭よりも明らかに、「pp」と「p」の差が、アントニーニの場合、とても良くわかる。強弱の微妙なニュアンスをつけている典型的な例のひとつ。
 この楽章は、No.48などと同じ様に、様々な動機が散りばめられているのが特徴のひとつ。T31からの第1vn.の16分音符の刻む様な動機。No.42の第1楽章のように、アクセントと切れの良い演奏が可能かもしれない。しかしこの部分ではあくまで、16分音符を柔らかく演奏している。提示部の流れをそのまま、この箇所でも引き継いでいる自然な解釈。
 第2楽章の終わりの方で、第2hr.が低音域で吹く部分がある。この箇所でも、2本のhr.は低弦と共に、弱音ながら、明白に聞こえるのも良い。
ただし、この No.64に関しての第2楽章以降の間合いは通常通り。No.42では第1,2楽章の間で多少ではあるが、少し間合いを取っていたのでライブの様な味のある雰囲気。一方、No.64の方は各楽章の間合いは、通常通りで殆ど差がない。できれば、No.42と同様に、第1、2楽章と第2、3楽章の間に、通常より少し間合いを取って欲しかった。No42と同じ様に、No.64も第2楽章に入るときに、vn.の弱音器の使用と、hr.の持ち替えがあるから)
 2020年8月13日64番 John hsu  Apollo Ensemble を聴取。No.12から引き続く。No.12は比較的初期の作品なので、低弦の奏者は1名ずつでよいかもしれない。No.64だと、少し編成が多くなる録音が多い中、奏者の数は少ないまま。第2楽章の独特な雰囲気で特に管楽器が入る部分。指揮者によっては、hr.やob.の音色を強調あるいは弦と対比をさせたりする演出も面白い。この録音では余り目だないと思った。第3楽章のMenutetは、回帰してくる部分も忠実に反復。ここまで聴取してきた中で、繰り返しの後半で、装飾、テンポの変化などは特にないようだ。
なお、No.12で、不定期に入る雑音について記載をした。こちらも同様に入っている。雑音と記載したが、もともとの奏者が楽器を演奏するときに生じる音の可能性もある。録音楽章比較的、近いようにとらえている。この当たりの細かい点については、私にはよく分からない。
 

2020年11月9日  
T ファイ(Thomas Fey)指揮のシュリアバッハ室内管弦楽団 No.64を聴取。No.45と合わせた2曲を収録。ファイの全集2集目になるが、廃盤になっていてなかなか入手ができなかった。下記のブログに詳細はレビューが記載されている。このCDのみHeidelberger Sinfoniker ではないが、メンバーは殆ど同じと記載されている。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-729.html

このCDのライナーノートには奏者数が記載されている。弦の人数は2曲によって奏者は異なるが以下の通り。

4:4:2:2:1

同じ頃に録音されたNo.39他を含むCDのライナーノートには奏者名が記載されていない。しかしコンサートマスターには同じ氏名が記載されている。完全な照合までは難しいがコントラバスの男性奏者などは同じ顔触れのようだ。
 No.64は演奏される機会は少ない方だと思う。私になりに何度か書いてきたが、いかにも「通好み」の曲の一つ。S ラトルもこの第2楽章を単独で取り上げているが、第2楽章一つをとっても不思議な雰囲気。各パートのやり取りはもちろんだが、強弱や音色の対比などが興味深い。vn.は常に、この楽章は弱音器を使用している。モダン楽器のファイの場合、弱音器の音色の対比が大きいのも特徴的。
 また管楽器の中で必要に応じて、特にhr.を強調させるケースも多い。第2楽章の冒頭は弦楽器のみの演奏。途中から管楽器が加わる。hr.は最後に低音域でbass.と一緒に終わるなど重要な役割を持っていると思う。
T78では4部休符を挟んで弦が加わる部分がある。T78の最初は、逆にhr.が出だしから強調して加わっている箇所。この部分一つをとっても、hr.の音色が効果的に表現していると思った。

 最初に紹介したブログのレビューにも記載があったが、楽章感の対比がポイントとなっていた。第1楽章のva.を含む各パートの分離とユニゾンの面白さ。第3楽章 Menuet で弦楽器は一部 solo で引いているような雰囲気。Finaleでは第1vn.が第1楽章と同様に跳ねるように華々しく活躍する箇所。4つの楽章の対比が効果的に表現されていると思った。
 
64番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ 


2022年2月6日 64番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。3曲目 の前に2曲目の L. Boccherini のvc. 協奏曲 G.480が入る。私は初めて聴取するので、この曲自体はよく分からない。ハイドンの交響曲 No.22は管楽器が入ったが、この協奏曲では管楽器は全て休む。vn.のパートは恐らく2つ併せてNo.22と同じ8名だと思うが。前のハイドンのvc.協奏曲 No.1と同様に冒頭から 独奏vc.は演奏しているようだ。また途中からも弱奏の部分は、独奏のvc.以外に各楽器のパートも solo となっているようだ。
 No.64が3曲目になる。前半の指揮者の解説の中で、ニックネームの由来とともに、第2楽章の幾たびも 現れる「間」がある。「ふと立ち止まり、想いが途切れるように、ゆったりとした旋律の そこそこ に休止符が現れ」と記述がある。この曲の中でこの楽章は独特なのはもちろん。S ラトルのハイドンの交響曲的幻想のCDでもこの第2楽章が単独で演奏された。どのような不思議な魅力があるのか? 
自分なりに考えてみるに、この楽章の最後の終わり方がポイントになっていると思う。明るい調性と暗い調性の旋律が交互に登場、後半から管楽器が入ってくる。最初にこの曲を聞いただけではこの楽章の構造も分かり難い。繰り返しもない。最後は暗い調性で低音域のhr.も含めて、不気味に終わる雰囲気。この雰囲気を作るために作曲者は、この楽章を作ったのではないか? 
最後にこの終始を持ってくるために、冒頭は明るい雰囲気を登場させる。スコアをみると、前半の弦楽器のみの部分で、最初の低弦のパートは、最後に終始する低音域まで下がらない。提示部のT43から最初に登場し、暗い雰囲気に向けてのT56からのob.の登場に向かっていく。低域のパートを中心に見てみると、T56に向かって次第に音域が下がっていくことに伴い、ち密な工夫がされていると思う。特にこの演奏ではピラミッド型の低音が比較的、強調録音されているので印象的。