音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.48 hob-No59)
2023年8月27日 更新 

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
48 59 火事 1768 A 4 -  -  - - (1) B 小気味良いPrestoの描写音楽。
       1 A Presto
       2 a Andante o piu tosto allegretto
       3 A Menuet & trio
4 A Alleglo asssai
中野著によると「元々は舞台音楽として作曲されたのではないか」という考えあり。W・グロスマンの戯曲「大火事」 の幕間音楽としても使われた。また、No. 43のマーキュリーも劇作品の幕間音楽としての転用の可能性があるなど、交響曲にも劇場音楽に使われてるいるらしい。
 Prestoではテンポ、強弱や音色の変化なと多彩。描写音楽の雰囲気ではある。Andanteの中間部で、低弦で持続音がフィッシャー盤では強調されていてやや不気味な雰囲気。
 Andanteの主題とMenuetの主題が似通っている。trioは例によって弦のsoloで管は休み。Allegloは、hr.を中心としたsoloなどがあり華やか。全体的に低弦を含む各楽器が随所に独自の動きやsoloの活躍があり安心して聴ける。
井上著では、Menuetの主題は、第2楽章の旋律をそのまま、調性とテンポを僅かに変形したものと記載がある。何度か聴いてみたが、すぐには気づかなかった。丁度、ブルックナーNo.5交響曲と同じ関係かも(第2楽章と第3楽章は主題が共通している)
 ドラティ盤はsoloの動きが余り聴き取りにくい。
手元に、N.マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団のCDがあった。こちらはcmb.が始めから入っている。テンポや「爽やか」ながらも「かっちり」とした雰囲気はフィッシャーに類似。編成がフィッシャーよりもやや多い様だ。

「追記」2009年11月14日 NHK FM放送「名曲の楽しみ 吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽」にて、トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュコンサートの演奏を聴取。
 この番組では最初に曲の紹介として、当時のエルテルハーザ候の楽長のヨーゼフ・ヴェルナーが1766年に死没の後、その後の楽長を引き継いだハイドンの話がある。当時はレコードなどがなく、人気のあった曲を流用したりするのが慣例とされていた。この曲もその当時に作曲されたかもしれないオペラ序曲の流用の示唆もある。
 演奏は例によって古楽器によるもの。第2vn.が右側にあるので、第1楽章の展開部や第2楽章の伴奏部分の細かい動きがよく分かる。フィッシャー盤では、Andanteでの後半で、管楽器が登場する部分が、音色としては余り目立たない。しかしピノック盤ではAndanteで割合に、抑えた弦の音色のせいか、後半に登場する管の動きが生き生きとしている。フィッシャー盤と比較して、弦のプルト数が大差がないかもしれないが、管の音量が大きい分、細かい音が聴き取れる。しかし全体的には、やはりフィッシャー盤を取りたい。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月8日とする)
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2011年1月1日 ディビス盤を聴取。Prestoのテンポや、ややゆっくりめ。今まで聴き通してきた通しNo.とディビス盤の番号が多少ずれてくる。展開部と再現部が繰り返しあり。作風から第1楽章は弦楽器が中心に活躍するためか、管楽器の独自の旋律が少ない。Andanteの後半からようやく管楽器が活躍し始める。今まで管楽器が余り登場しなかった中で、突如、調性と音色が変わる対比は、目が覚めるのは他の2者の演奏と同じ。
 Finaleは、一番、活気がある。今まで弦が中心でA調とは言え、明るさとか輝きが今ひとつだったのが、この時点で払拭される。hr.の明るい、きな音色で臨場感あふれている。フィッシャー盤よりも、締めくくりが華やか。3者の中ではディビス盤を一番に推薦したい。
2011年6月17日スコアを見ながら2者の演奏を聴取。この曲の特徴として、小気味良いPrestoの描写音楽と記載を前記した。火事の雰囲気の描写であるが。ほぼ一定のテンポを通しながらも、音符が小刻みに変わる所を堪能するのが一番の聴き所。また強弱の対比も興味深い。
 フィッシャー盤では、楽器編成が少ないのが幸いして、各弦の細かい音符が聴き取れる。また強弱の対比も、楽章の終わりの方で「pp」にて終わる。この消えるような雰囲気を弦のsoloを旨く活用している。(通常、Menuettoの主部やTrioでは、soloの扱いが目立つが、他の楽章でも採用している好例。)
 Andanteの中間部で、フィッシャー盤では、低弦の持続音が強調されて不気味な雰囲気と前記した。スコアでは、va.とvc.は異なる音程で引いているが、各パートは特に、強弱の指定は特にない。va.の音を控えて、vc.とcb.の音を引き立てているようだ。
 Finaleは、展開部と再現部の繰り返し記号がある。フィッシャー盤では、繰り返しを採用していない。はっきりとした形式が余りないような感じ。再現部で第1主題が回帰しておらず、その分、終わりの方で、はっきりと再現する点からも、自由なロンド風の形式に近いと思う。繰り返しがない方が、すっきりとする。楽器編成や奏法などは、余り特徴がないかもしれないが、何回も聴き直すと、意外な発見が随所にある名曲。ランクはBが良い。
 一方、ドラティ盤はテンポと音色は比較的中庸に終始。第2楽章のAndanteの中間部は、「piu tosto」の指定を重視しているが、低弦の音は控えめ。 soloはFinaleの管楽器の箇所のみ。
2013年8月29日 追記。ホグウッド盤を聴取。明るい調性とも相まって弦楽器が活発に終始。Andanteの中間部では、フィッシャー盤では、低弦の持続音が強調されて不気味な雰囲気がと記載をした。ホグウッド盤では、特徴は余りなし。活気のあるfinaleでは管楽器が活躍する。ホグウッド盤では、各パートが良く聴こえるので今まで殆ど目立たなかったhr.が、顕著。後半の繰り返しを採用しているので、繰り返しのないフィッシャー盤と比較すると少し冗長な印象。数年後の作曲でhob-No.-4の後に、この曲を聴取したこともあり、仕掛けや聴き所はあるものの、Bランクにしては比較的オーソドックスに聴こえた印象。フィッシャーを推薦。
2016年7月9日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No59を聴取。No.43から時間を置いて聴取するが続けて聴くことによって、作曲年代と作風が違っていて対比が面白い。No.43のES調と異なり、明るい調なので、古楽器の音色を生かした雰囲気。第2,4楽章でhr.が随所に活躍する。第2楽章の中間部でT97からそれまで休んでいた管楽器が初めて登場。この部分から終わりにかけて、管楽器と弦楽器の音色の対比が聴き所。T115でFinaleのhr.の活躍を予感させる部分がある。f 指定でhr.が活躍する部分は、フィッシャー盤ほど目立たず。
 Finaleは、No.26の第1楽章に少し似た雰囲気。hr.の活躍は、それほど目立たず。ただ、全体的に最初に聴き始めたフィッシャー盤の現代楽器で切れの良い演奏に刷り込まれているためか、ブリュッヘンでの特徴は余り目立たない印象。


2017年1月7日T ピノック No.59を聴取。ピノックの演奏は、少ない奏者で管楽器を個所によっては、明確に引き立てるのがポイント。第1楽章の冒頭の主題は、得てして第1vn.のせわしい主題しか耳に入ってしまう。しかし少し遅れてob.が呼応するようにエコーの様に聞こえる。この部分が良く分かる。切れ味の良い第1主題に対して、スラーを伴う流れるような第2主題の対比など、注意深く聴くと味のある曲。ピノックの演奏は、この各パートが明白であり、この特徴を良く捉えている。
 第2楽章と第3楽章の主題は共通部分があり。(これは少し前の聴いたNo.43も同様。第1楽章と同様に第4楽章のFinalは、特に様々な主題が至るところに登場し注意深く聞き通すとテンコ盛りの様な印象もある。Finaleの出だしは、No.103の第1主題に似ていると思う。T49当たりは、No.26の第2楽章に雰囲気が似ている。過去の作品からの回帰あるいは、「つぎはぎ」作曲した説も一理あると思う。
 

2017年5月16日 T ファイ No.59 を聴取。基本的な解釈はNo.57と同じ。第3楽章Meuetで回帰してくる部分は、装飾どころか旋律自体がかなり変わっていて飽きさせない。
Timp.が入らない分随所でhr.が活躍するのが特徴のひとつ。Finaleの冒頭からhr.により第1主題が提示され展開していく。T14から第1vn.が対旋律を演奏する。同時に第2vn.を含む別なパートは冒頭の第1主題を受け継ぐ。通常はvn.パートが分かれていないので、第2vn.の主題がはっきり聞き取りにくい。しかしファイの演奏では対向配置を生かしてこの第2vn.のパートが明確に聴こえる。
201812日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No59を聴取。3曲目となりこの録音にも慣れたのか標準的な録音に近いように感じる。しかし奥行き感はやはり不足気味。第2楽章の主題を少し変形して調を変えて第3楽章に登場する部分。ここで類似主題が明るくテンポ良くユニゾンで登場すると思ったが、No.41と同様に柔らかい雰囲気。個人的にはここで明るい調で元気良くこの主題が展開してくれるように望んでいるのが期待が外れる。Finaleは平均的に中庸なテンポで終始し細かい旋律のアクセントが余り聞き取り難い。 
2018年9月4日 59番 N.マリナー アカデミー室内管弦楽団を聴取。No.100とNo.101がカップリングされている。No.59は3曲目に収録。過去にマリナー盤はLPで発売されたが恐らく、この3曲での収録は無理であったろう。(3曲のトータルタイムは 70:06)ザロモンセットの2曲が最初に収録されているので、この曲はオマケの様な感じの収録の雰囲気。
 第3楽章 Menuetの冒頭主題は、第2楽章の第1主題と関連があると思う。Menuetの前半の部分で終わりの方のT10当たりから、 p で柔らかく終わる。またTrioに入る直前のt34当たりから、スコアはpの記載がある。マリナーは、pでも次第に消えるように、あたかも弱音器をつけているような微妙なニュアンスで表現しているのが特徴的。消えるような4分音符の動機はTrioでも生かされているので、このMenuetは一体感がある。
Finaleは快活に終始するが、管楽器が活躍。経過部T39でhr.の重音が通常は目立ち、vn.2つのパートで4分音符の動機が目立ち難い。しかしマリナーの演奏では、4分音符のスラーの旋律がくっきりと聞こえるのが心地よい。各楽章を細かく見ていると、様々な動機がスタッカート、スラーなど様々に展開する。ハイドンの演奏は細かいニュアンスを如何に受け手に聞かせていくことが必要と思う。マリナーのこの箇所でもその典型のひとつだと思った。
 


 2019年3月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 59番を聴取。以前 T ピノック (下記のアドレスに譜面あり)で第1楽章の冒頭のついて記載をした、(以下のNo.59の ブログ。執筆は約2年前だがブログのアップが漏れていたので最近、追加した)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1112.htm

 ここでのピノックは、第1楽章の冒頭の主題の後、少し遅れてob.が呼応するかの様なエコーの効果について記載をした。ピノックは古楽器で奏者の数は少ない方だ思うが、管楽器と弦楽器のバランスが良い。
 一方、メルツェンドルファーの方は過去に何度も記載をしたように、曲によっては、ob.が前面、弦楽器よりも近い位置で、強調されるものが多い。この曲もその典型のひとつで、冒頭のT2のob.が冒頭の弦楽器の主題以上に聴こえてしまう。エコーのような効果がない。
 また様々な動機が、やや「テンコモリ」の様な感じには感じるFinale。逆に様々な動機の展開や変化を楽しみのひとつではある。最近聴取したN マリナー では、経過部 T39のvn.パートのスラーについて記載をした。マリナーの場合は、この8分音符のスラーが明確に聞き取れて、これ以外の箇所では、スラーのない部分との対比が良いことを記載した。以下のアドレスに譜面あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-980.html

 メルツェンドルファーの場合は、このT39の部分でob.の持続音が前面に出てしまい、2つのvn.の音が聴こえ難い。Finaleに行くに従い、僅かではあるが録音も歪が増えてくる。録音の点でもマイナスになっている印象。
 2020年10月11日 59番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを聴取。第3楽章 Menuet では主部とTrioのテンポの3者が多いのが今までの特徴だった。この曲ではテンポの3者は余りない。しかし強弱の3者が大きいのが特徴の一つではある。Trioでは主部とテンポは同じだが音量を極度に落として管楽器が入らない部分の特徴を生かした雰囲気。T39からの1小節遅れてのカノンの2つのvn.も対向配置と音程の3者共通を生かした好演。
 
59番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ 2021年10月29日 55番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。このシリーズでは第9回の演奏会プログラミング。日本語解説の中で 楽曲解説の 飯森豊水 著「プログラミングの美しい流れ」の記述が興味深い。この指揮者と奏者はすべてライブ録音で約3曲の交響曲を1晩で収録されているようだ。このCDでは、第59番、モーツァルトセレナ―タ・ノットルナ k.239、交響曲第45番の3曲となっている。3曲の選曲と順番にあたり、各曲の特徴と順番を下記の通り記述している。

1曲目 第59番:イ長調のくすんだぬくもりのある響き
2曲目 セレナ―タ・ノットルナ:ニ長調の明るい響き
3曲目 第45番:嬰ヘ短調から無言劇を伴ったイ長調のエンディングへの収斂


いずれも、シャープが3つついた主調を基調とすること。No.59第2楽章にはNo.59のエンディングを予測する旋律が隠されていること。T20からの第1vn.の旋律。 (譜例参照)このプラグラムでは、気のきいた隠し味になっていること。
 確かにライブとしてハイドンの交響曲を中心に聞きたい場合、参列した客にとって、開始からアンコールの終わりまで、どのように開始して終わるのかは、企画者の意図、演奏なども重要になってくる。この選曲に関しては、3つのシャープの調性が共通していながらも、各曲が調性による特徴を持ちながらも共通した部分がある。この順番を含めた企画は、とても良いと思う。
 第1曲目のNo.59は、冒頭から、弦の厚みを生かした演奏。Finaleではhr.がsoloを含む大きく活躍する。第3楽章まではhr.はどちらかといえば、旋律を支える役割が多い。この演奏でもFinaleまでは控えめに演奏している雰囲気。
 Finaleの冒頭からhr.が入る。残響の多い録音なので、2名のhr.奏者が並んでいながらも、各パートに分かれての音。最近、T ファイの演奏を聴いた後ということもあり、残響の多いためhr.の音は、周囲から「包み込む」ように聞こえてくる。録音の差の違いが分かる。
 59番 Derek Solomons, L'Estro Armonico  デレック・ソロモンス レストロ・アルモニコ

2021年12月7日 59番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。第35番から引き続く。各楽章の録音レベルは、No.35と同様に差が少しあり。わずかではあるが、 プチプチするような一定のノイズが入る。80年代の当初、CDが普及し始めた頃、このようなノイズが入っているものが多い。このため聴取が十分にできない。


 2023年2月10日 ジュヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ59番 
を聴取。No.48から引き続。No.48で4本のhr.について記載をしたので、得てしてhr.を中心としたレビューになりがち。hr.という楽器は木管楽器だが、強弱に富む。持続音の和音で伴奏の様に支えるような箇所もある。それに対してsoloのように弱奏もあれば強奏もあり、音音域はもとより音色の変化に富んでいる。No.48に、その特徴が十分に生かされていると記載をした。
No.59も同様。第1楽章は強奏でも和音が中心で持続音が多い。第2楽章は、2部形式で突如、hr.が割りこむ様に入ってくる。(No.60と類似している点は後述) 僅か1小節のhr.の箇所であるが、この旋律は、No.31に類似している。アントニーニのシリーズは、他の作曲者の作品を途中で挟むことがあるが、この第13集は、全て交響曲になっている。3曲を選曲するにあたり、No.31の次に、No.59を持って来たのは、この仕掛けを聴取者に締めすためか? 楽曲解説者の中でもFinaleの冒頭の部分で、hr.のsoloの箇所はNo.31との共通点を指摘している。
なお、No.59を聴取していると、アントニーニの演奏を聴くと、No.60との共通点がさらに気になるようになった。第1楽章の再現部T89でフェルマータ―による弱奏から、急にまた強奏に移る、強弱の対比。第2楽章の中途で割り込むようにhr.が強奏で入ってくる意外さ。(先ほど記載をした)これらの箇所をとっても、No.60は、作曲年代はNo.59よりも後になっているようだ。ライナーノートにも宮廷内の火事についての記述もあるが、No.59とNo.60は同じ頃に作曲されたのではないかと思った。(2曲とも自筆楽譜は存在しない)
 鈴木秀美のシリーズはNo.59は、3曲目のNo.45の最初に持ってきている。彼自身の解説でNo.45と異なり、No.はD-durでありながらもくすんだ響きのコメントがあった。2曲目はモーツァルトの K239の 明るいD-dur が入っているので、No.59とNo.45とは全く異なる雰囲気。K239は弦楽器のsoloが入るのでsoloとしての聴き所もある。ライヴ録音で通している鈴木の場合、選曲方法はハイドンを中心に3曲程度、その当日テーマにそって、プログラム練りこんで楽しさが私には分かる。調性の音色からの視点の選曲だった。それに対してアントニーニの場合は、hr.という楽器の特徴とテーマとしながら、2曲の関連性を意識したものだと思った。