通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
46 |
43 |
mercury |
1770/71 |
Es |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
通称名ならむしろNo.42の方がふさわしい。 |
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1 |
Es |
Alleglo |
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2 |
As |
Adagio |
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3 |
Es |
Menuet&trio |
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4 |
Es |
Finale,Alleglo |
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(その2)2011年6月9日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。楽器の扱い方は、一つ前(hob‐No.42)の方は、豊富に使っているような感じ。しかしこちら(No.43)の方は、vn.が主体で終始をする。しかも、第1vn.が中心に動く箇所が多い。Allegloの展開部の転調が激しいと前記した。もう少し詳しく聴いて見ると、擬似再現で主調で第1主題が現れる。後半の部分では遠ざかった調から主調に向けて、戻る転調の様子が分かる。一番面白いのは、Finale。主題自体は第1楽章と関連があり。楽器の扱い方は、これ程といった特徴なない。それよりも休止の箇所が、かなりある。40小節のcodaがあるのは意外。
フィッシャー盤のsoloの箇所は第3楽章のみ。ドラティ番はテンポが遅いと前記した。しかし、テンポの点ではデイビス盤の方がもっと遅い。vn.が中心に動くので音量的には、3者の中でドラティ盤が演奏規模が大きく聴こえる。 |
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2013年6月1日 追記。ホグウッド盤を聴取。弦楽器が主体ののため第1楽章の、vn.パートの速い奏法が細かく聴き取れる。展開部の中間部分T126からの僅かな16部音符の細かい音色が、前後のゆったりした旋律と対照的。
一方、第2楽章では弦の音色が大幅に変わり、弱音器を付けたvn.パートの細かい音色の対比が対照的。va.とbass.は弱音器をつけていないので、バランスの良さが小編成も相まって心地よい。提示部の後半から管楽器が入る。この様な例は過去にもあった。数年後に作曲された、hob−No.ー64のLargoテンポの幻想的な管楽器の登場と比較すると印象は少ない。Finaleの40小節にもわたるcodaは今までにない長さ。一旦終わったと思った聴衆は、この長いcodaを聴いて、びっくりしたに違いない。
トータル的にランクはCで良いと思うが、3者の演奏を今まで聴いてきた中で、ホグウッド盤に相対すると細かい弦の音色が引き立ち、ランクを上げても良いかと思った。 |
2013年8月25日 ドラティ盤を聴取。普段は、ドラティ→フィッシャー、デイビス盤の順番で聴きくこと多いが、今回は順番が異なる。ホグウッド盤を聴いてから、ドラティ盤を聴くと、弦の奏者が多いこともあり、細かいパートの動きが不明瞭。特に、低弦は音量は大きいが、ユニゾンや対位法の細かい音色がはっきりしないのは、やや不満。カノンの書法で通すvn.と低弦との、やり取りも、今ひとつ。
(タグとして2013年8月25日とする)
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2013年9月24日 ヴァイル指揮のターフェルムジークの演奏を追記。使用する楽器か、あるいは録音の違いなのか、ホグウッド盤と違って調による音色の違いがやや少なめ。前にも記載をしたように、第1楽章は弦楽器が主体で活躍をするための影響かも。 |
2016年6月29日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment No43を聴取。古楽器のES調なので、渋い音色。管楽器の扱いが少なく、弦楽器が全曲を通じて展開される。このため弦の各パートの細かい動きがポイントの一つ。第1楽章の冒頭の出だしの部分。2つのvn.パートは、4分音符の音程が分かれて書かれている。今までの演奏では、一番高い音程(ES)が前面に出て、それより低い音程が余り聴き取り難い。ブリュッヘンの演奏は、ESの音程を協調しない分、音域が低めに聴こえる。その分、この楽章全体が落ち着いて渋い雰囲気になっていると思った。 |
43番 ピノック
2017年1月2日T ピノック No.43を聴取。No.42から引き続いて聞くと、シャープ系のDとフラット系のES調の対比が目立つ。Adagioの第2楽章のテンポはゆっくり目。No.42-42と比較して、楽器や音色の工夫が少ない方の曲かもしれない。T24から登場する16分音符の短い動機が呼応するように続く。この動機は第1vn.と他のパートが16分音符分ずれて、引きずれるように展開していく。T32に向かって収束していく部分が印象的。しかし全般的にES調の引きこもった音色に終始し印象が少なめ。
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2017年6月28日 T ファイ盤 No.42を聴取。このcdでは、録音が1曲目に当たり、その後のNo.25とNo.36が収録されている。この3曲に共通しているのは、全てシャープ系の調ではない。No.43とNo.36はフラット系の典型で落ち着いた調になっている。また3曲とも、管楽器のsoloは少なめで弦楽器が中心。
弦楽器の各パートが聴き所のひとつになっているが、低弦が支えるリズム感がファイの特徴のひとつ。第1楽章の冒頭かハイドンにしては珍しく長い小節数の主題が続く。その後の経過部も長い。この中で低弦は主に、vn.パートを単に低旋律で支えて聴こえる。実際、大半はTuittiの箇所を中心に拍子の冒頭で支えている。(例T41とT42の第1拍目) しかし、の後T43では8分音符の休止を挟、va.と低弦が8分音符ずれている。このズレは他の箇所でもあり、T84からの2つのvn.パートのシンコペーションの旋律を支える部分でもずれている。
第2楽章も弦楽器を中心に微妙に流れていくが、提示部のT30からの部分。第1vn.の短い動機は重要で、展開部でも生かされる。その後に続くT32の上がっていく音符。ここではユニゾンではな、16部音符ほど、第2vn.以下が休止符を挟んでずれている。
些細なことかもしれないが、細かい各パートの旋律が、ファイの演奏ではよく分かる。
Finaleは後期にも通用するような、終わりそうで終わらない仕掛けが特徴のひとつ。長いcodaが続いて締めくくる。再現部の終わり近くのT14からP 指定で、ゆっくりとした旋律を引く部分。繰り返しの前の部分は通常とおりのテンポ。繰り返しの後半は、ここでかなりテンポを落とす。この、codaに続く、ゆっくりとした旋律の予兆をさせる。
3曲を聴き通してみて、ファイの演奏は楽器と弦楽器のsoloの微妙な対比よりも、各弦のパー、特に低弦の微妙なニュアンスで支えることがよく分かる。低弦の音色は、vn.パートに負けないように、やや奏者が多いか、あるいは、やや強調して録音されているかもしれない。しかしこの解釈によって、スコアの背後にある微妙なニュアンスをうまく引き出していると思った。 |
2017年7月4日 T 鈴木秀美 盤 No.43を聴取。OLC(オーケスト・リベラ・クラシカ)シリーズの第1弾。No.43以外に第1曲目にC.P.E Bach 弦楽器のためのシンフォニア C-DUR Wq.182/3 モーツアルト No.29を両端に収録、初めてのリリースということもあり、ハイドン以外の他の作品も収録。ライナーノートには、ハイド以外の他の作品を収録した理由として、旗揚げ講演としてフランス料理によくある「お味見コース」の様にハイドンの周りに他の2人を配している。ハイドンはあえて最初期のものでなく、比較的同時期の作品を選んでいるとのこと。ハイドンを含めたいずれの3曲も1772頃の作品。
古楽器による編成でライナーノートによると 弦の編成は以下のとおり。
第1vn.+第2vn.:8.Va:2.Vc.:2、bass:1
先日ファイの演奏で、弦を中心とした中規模の演奏を聴いたばかり。残響がやや大きいライブ録音であるが弦の定位感はある程度、分かる。vn.の配置は対向配置。低弦を含むTuittiで迫力は、ファイ盤とは大きく異なり、あくまでエステルハーザ時代の20人に満たないことを重視した演奏。No.43がES調で古楽器も加わり落ち着いた雰囲気。最初の楽章はC-dur、モーツアルトはA-dur。フラット系のやや落ち着いた調性の特徴はよく分かる。当日の選曲も3曲の各調性を意識していたのかもしれない。
Finale再現部の終わりに近いT146-149にかけてのp指定の引きずるような旋律。ファイでは、この箇所はテンポをかなり落としていたが鈴木盤は通常とおり。
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2018年6月9日 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.43を聴取。オリジナル楽器ではあると思うが、フラット系の調性でありながらも、くすんだ音色は余り聴こえない。弦楽器が中心とした箇所が多く管楽器のsoloは殆どない。第1,2楽章では、展開部と再現部の繰り返しは省略。しかしFinaleでは展開部と再現部の繰り返しは採用。この後にCodaが続くために繰り返しは必要だと思う。しかし全体的に聴き通してみて大きな特徴は見出せず。
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2019年1月31日43番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。今まで聴いて来た作曲年代から疾風怒濤期になる。各パートのsoloは殆どなくなり、短調の箇所や起伏が多くなる。Tuitti も多い分、聴き方が変わってくる。モダン楽器でテンポは概して速めであるが、緩叙楽章は比較的遅め。弱音器をつけた2つのvn.の手法はNo.22にも共通する手法。
疾風怒濤期の緩叙楽章は、どの曲をとっても丁寧に書かれていて指揮者によって、様々な解釈がある。マリナーの場合は少し遅めのテンポに加えて各パートでの微妙なニュアンスを引き立てる。
提示部T24から登場する短い動機は余りこのときは目だない。しかし展開部では自由自在に活用される。T24から続いてT32では弦の各パートが微妙に出だしがずれている。この当たりは、No.21のFinaleの冒頭の主題にも類似箇所あり。テンポがゆっくりしているので微妙な点まで分かりやすい。
下記のNo.43 ファイ 盤でもこの点に触れている。(譜面あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-737.html
No.21 Finaleの関連ブログ こちらは、ジェラード・シュワルツ 盤
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1042.html |
2019年3月26日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 46番を聴取。弦楽器が主体で、管楽器は伴奏に徹する曲の典型。ob.はそれほど前面には出ていない。第2楽章で弱音器をつけた第1.2vn.の微妙な音色も、少しテンポを落として味わいが深い。元々、録音では緩叙楽章は、やや無理に録音レベルを上げているのか、他の曲と同様に、テープヒス音のようなものがこの曲では目立つ。最終楽章のFinaleは、さらにダイナミックレンジが狭く音量が下がってしまう。しかも左右のバランスの悪いところも目立つ。録音の点で大きく評価を下げてしまう雰囲気。 |
2020年2月6日 43番 シュテファン・ザンデルリンク ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 を聴取。この指揮者は初めて聴く。モダン楽器で奏者は多い方。Vn.は通常配置。第1楽章の提示部は繰り返しがあるが後半は繰り返しがない。元々のこの曲は弦楽器が中心で、管楽器は和音を添えるような補強的な役割が多い。その分、弦楽器の厚みを生かした特徴が前に出ていると思う。奏者が多い分、管楽器とのバランスの点で有利な点もあろう。
最近は古楽器で奏者の少ない演奏を聴く機会が多かったのとは対照的。冒頭からhr.はあくまで和音で支えるだけ。はぐらかせるような再現部の手前を経てT162で冒頭の主題が再度、登場する。この部分でもhr.が僅かにsoloで入っているが、あくまで控えめ。
疾風怒濤期の緩徐楽章は、弦楽器が中心に展開されることが多い。初期の頃と異なり全く感が入ることはないが、その分、僅かに入る箇所が微妙な聴き所になる。T37からob.が初めに登場する箇所。ここでもob.はあくまで控えになっている。
Menuet のTiroの部分は弦楽器だが、すべてのパートをsoloで繰り返す。弦のsoloの箇所はこの曲ではこの部分のみ。録音が急にsoloになるのは分かるが、音量の差が余り分からなく少々違和感がある。(奏者以外の、例によって息づかいのような音も僅かだが入っているようだ)この辺りは逆に小編成の方が音量レベルに差がないため違和感が少ないと思う。 |
2020年5月6日 43番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。第8集の2曲目。管楽器の割合は少なめでsoloの箇所は少なく、弦楽器が主体の曲の一つ。フラット系の調なので、弦楽器でも低音域の開放弦の音の響きが楽しめる。アントニーニの場合は古楽器を使用しているので、低弦を含めた開放弦の響きが聴き所の一つと思っている。 T ファイのレビューで低弦のキレの良さを記載した。(下記の自分のレビュー)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-737.html
アントニーニの場合は、ファイ 以上に低弦のキレがよく分かる。ファイのレビューの譜例の箇所のT41とT42の部分も、弦の奏者が少し多いのか、キレの良さは特徴的。
また、低弦の開放弦の音もよく分かる。例えば再現部のT108からの部分。va.は一番低い音域からT109の高い音域へジャンプする。vn.は対向配置だが、ba.は左側の奥側に位置する。しかしva.の音もよく分かる。
Youtube にも同じ指揮者と奏者でアップされている。CDとの比較は余りなさそうだ。第2楽章の展開部で弦楽器のみが降弱音でかけあう部分。弓の動きを極端に小さく抑えて演奏しているのもアップでとらえている。しかし弦のキレなどはCDの方が、断然よく分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=f42V_VDaSuA
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エイドリアン・シェファード カンティレーナ Adrian Shepherd Cantilena 43番
2021年12月31日 エイドリアン・シェファード カンティレーナ Adrian Shepherd Cantilena 43番 を聴取。前のNo.44。 No.49と比較すると長調の調性だが、短調になる部分も多い曲。前の2曲にも一部共通するが、管楽器は補完的に和声を支える箇所が大半。この曲は特に当てはまり、菅のsolo の箇所は殆どない。第2楽章 のT109からの部分でも、管楽器は、あくまで、和声を支えている。弦楽器が主体で、管楽器の音量は抑えている。この奏者の演奏は、元々、弦楽器の奏者数が多いも適する。モダン楽器だと思うが、ES調の特性を生かしているのか、前の2曲のフラット系の調性に呼応したかのように、くすんだ音色もよくわかる。
録音時期は1990年代なのでCDの時代。LPと違って、収録時間の制限は比較的少ない。このため、繰り返しを採用するかどうは、柔軟な対応が可能。この指揮者は、原則、ホグウッドのような、全ての繰り返しは採用していない。No.44の第3楽章 Adagioのように、繰り返しを極端に減らすのもある意味、興味深い印象だと思った。
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2022年4月30日 ロイ・グッドマン ハノーヴァ・バンド Roy Goodman the Hanover Band を聴取。No
42 から引き続くと調性がフラット系なので、弦楽器の音色が大きく変わるのもよくわかる。第1楽章の終わるあたりから、わずかだが、前のレビューで書いた、低音を中心とした低い音がかすかに入る。No.73のFinaleでは、tuittiの強奏の時に、弦楽器の奏法が異なっている可能性を指摘した。第1楽章の終わる行くに従い、このような音がわずかに入る。
第2楽章では、弱奏の部分が大半なので、この音は入らない。しかし第3、第4楽章になると、この音が目立ってくる。第4楽章の終わりの方では、初期の頃にあったよう、音のレンジに応じてのひずみと一定の低音の音も入る。元々の音源が不良なのか、あるいは、このCDのみかもしれないが、再生がうまくいかなかった。
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2022年8月24日 43番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。この曲で最後になる。第1集第2集を通して聴取したがこれで最後になる。第2集は6曲が収録されている。6曲はそれぞれ特徴があるがこの最後のNo.43は、ハイドンには全く異例な26小節にわたる抒情的な第1楽章第1主題を持つと記述がある。No.44の冒頭あるいは、鏡のように類似しているNo.47のようにわずか2小節のみで構成される動機とは大きく異なる。
T27から第1+第2vn.の32分音符によるトレモロが開始されるが、過去の演奏と同様に、古楽器を生かした切れがよくわかる。この切れに音色は、アントニーニなどよりもさらに切れている雰囲気。6曲の調性が異なるが、この曲に関してもフラット系のやや暗い音色の違いも分かりやすい。
最初の解説者 中野博詩 のライナーノートの記述は、ハイドン交響曲、ハイドン復活などの内容と殆ど同じ様だ。それに対して3人目の武石みどり の解説は、第2集では第48番のキットゼー城の祝祭行事に関連するなど、新たな記事もあった。第1集では修道院にある筆写譜の具体的な名称までの記述もあり、新たな発見もあったと思う。
繰り返しはMenuetも含めて全て採用。吉田秀和の著作の中で、繰り返しについて必要に応じて行うので全て採用する必要はない記述もあった。(レコードの四季の中から)この部分だけを取り出しての論点を引用するのもいささか不十分だが、ある意味うなずける。それに対してこのCDは全てを採用している。緩徐楽章の後半の繰り返しなどは、昔の自分なら退屈気味になっていた。しかし今では繰り返しの醍醐味が分かるときもある。全て繰り返しを行うことである意味、別な視点から緩徐楽章を中心に印象に残った。
しかし残念ながら、第1集の録音の雑音を含めた不良による影響は大きい。表紙はカラー写真だがそれ以外は白黒の奏者の写真。第1集は1981年の録音。第2集は1983年の録音で同じ会場。ライナーノートの白黒写真も同じような場所から撮影されている。指揮者アップの写真はあるが、奏者の正面からの写真のアップはない。第1集の中ほどにある白黒写真を第2集の裏表紙に転用しているなど、装丁に関しては手を抜いているように私には思える。中古で今回は入手したが、CDで発売されたときの定価は7200円と7800円だったと思う。定価で計12曲を2集そろえる価値はあるかどうか疑問に思った。
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2024年12月14日 43番 ドラティ盤を聴取。ドラティはモダン楽器で奏者の数も多い。後期の作品と初期から中期の作品について、奏者の数は同じ。後期の作品については、奏者数が多いので、それほど違和感がない。一方初期から中期の作品に関して、作曲者は、演奏される会場を含めた聴衆を意識していたと思う。
その作風の一つは音楽に関しての高い知識を持った限られた人」に対して、主に作曲したのではないか? No.42のレビューでも記載をしたが難しい転調などがあり、一部の部分を削除するなど苦労をしていた例もある。疾風怒涛期の作品は緩徐楽章を中心に、短調の作品はもちろん、調性やリズムなどの変化に富んでいる。
提示部はもちろんだが展開部に入ると、さらにその複雑さが増してくると思う。T121から第1,2vn.が16分音符で弾いている部分。ここでも管楽器などを含めて、下降する旋律が印象深い所。アントニーニのYoutubeでは、この部分は古楽器を生かした弦の動きがよくわかる。ドラティの場合は、奏者の数が多いためか、細かい弦の動きは各パートでは分かり難い。しかしT126からの盛り上がりは弦の厚みを生かした好演。
なおこの機会に、私にも好みの合う N マリナー の演奏を少し聴き直してみた。過去のレビューは以下のサイトを参照。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3302.html
奏者の細かい数は不明だが、こちら右側の端に他のこの頃の時期にも共通するように常時cmb.が入っている。テンポはドラティと比べると速めで快活な演奏。先行するドラティの演奏に対して、こちらの方は、追従するような形。このため、先行するドラティの演奏とは対照的な解釈と感じた。 |
2024年12月15日の追記。No.43のドラティの演奏に伴い、第1楽章の冒頭部分について、最近、感じたこと。井上著「ハイドン 106の交響曲を聴く」の中で第1楽章の冒頭の主題から、経過的な部分がしばらく続くこと。第2主題がどのあたりに来るのかなどについて、著者がコメントをしている点があった。私もNo.43の冒頭の主題が今一つ、明白でなく提示部が「雲をつかむ」ような「あやふやな」感じを持っていた。
「古典派の音楽の様式」 ハイドン、モーツァルト、ベートーベン:チャールズ・ローゼンでNo.43の第1楽章の冒頭の部分について譜例を含めて掲載がある。この著作では初期の作品の引用は少ない。交響曲に関してはホーボーケン番号順番ではNo.39から登場し、No.43がそれに続く。第2章「交響曲 の初期ハイドンのリズム組織の弱み」の部分で、冒頭からT28までの譜例がある。和声とリズムのまとまりが後年では、ごくありふれた素材よって苦も無く劇的なものにしている。それに対してNo.43の冒頭の主題は、地味な性質の素材に切迫感やエネルギー感を与えるのに苦労をしたこともある。以下、和音の終止形、半終止形を含めたリズムのまとまりの強力関係が薄く、劇的な効果に到達できないと記述がある。和音を含めた和訳なので、私の知識では、この部分は十分に内容が理解できない。
この当たりの類似箇所の例で、No.45の第1楽章の冒頭の主題にも記載がある。こちらの方は、どのフレーズも長さと形が同じ。繰り返しやバロック風の反復進行に頼っているなどの記述もある。No.45とNo.43との冒頭からその後の推移あるいは経過部などを比較してみると、これら2曲は明らかに対照的なのは私でもよくわかる。
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